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784 ID:mlcK/Zg60

 気がついた時、彼女は既にそこに在った。
 何をするでもなく、ただあるがままに、そこに在った。
 しかしその「あるがまま」は、気がついた瞬間に終わっていた。
 意識の発現は、退屈の出現と同義だった。
 彼女は窮屈な空間の中で培養液に浸り、そして退屈に支配されていた。
 緑色の液体の中、ゆるゆると上っていく気泡の数を数えた。不規則に出現するそれを的確に捉えていくことが、
当時の彼女にはたしかに面白かったのだ。が、ほどなくそれにも飽きた。気がつくと、
数えようと思った瞬間には数え終わっているようになっていたからだ。次に彼女は、
気泡の数を思考の中で様々に演算するという遊びを考えた。次第にそれは、気泡の数という具体性を伴ったものではなく、
数字という抽象概念のみで理解するものになっていった。そしてもちろん、そのころにはその遊びにも飽きていた。
 そんな中で、やがて気がついた。
 緑色の外では、私以外のナニモノかが活動している。
 それがどんな形をしているのかは、わからない。
 私の周囲を満たす緑色に遮断されているのか。
 上っていく無数の、そして微細な泡は、それら一つ一つの形すら感覚できるのに。
 と――。
「反応があったぞ!」
 何かが意識に入った。それが、彼女にとって「聞く」という行為の原初になった。

785 ID:mlcK/Zg60

「反応があったぞ!」
 白衣を着た人間たちの一人が、そう言った。にわかに研究室の中が色めきたつ。それは彼女とて例外ではない。
約半年ぶりなのだ、この研究室に新たな意思が生まれたのは。
 彼/彼女は、彼女と同様、緑色の培養液の中にいる。
 形状に、人工的な直線の一切を廃した人工物。そこに宿った命。
 「私」と、同じ存在。
「まさかこれほど早く二例目を作り出せるとはな」
「神の思し召しだろう、一応、感謝でもしようか?」
「そうだな、感謝しよう」
 人間たちはそんなやり取りを交わした後で、互いに「ありがとう」と言い合った。
 彼らが何故互いに感謝しあうのかは、考えなかった。その真意はどうあれ、彼女はたしかに彼/彼女の誕生を喜んでいたからだ。

 半年の間、私は人間たちが生み出す音を聞き続けていた。
 その結果、言語を学び情報を解釈する術を得た。
 知ったのは、何故自分が作られたのか。さらに、ミュウという、ポケットモンスターの一種が己のハハであること。
そしてもう一つ、彼女自身を示す記号――名前。
 ミュウツー。最強と同義の言葉。それが彼女の名前。

787 ID:mlcK/Zg60

 では今、新たに生まれた彼/彼女は、一体何だ?

 ――彼/彼女には、私がわかるだろうか? 
 ――わかるのならば、その可能性があるのならば――
 ――話をしてみたい。

 瞬間。 

 ――×××××?

 ミュウツーの意識に、何かが入り込んで来た。
 それは未だ名付けられざる、「彼女自身」の言葉だった。

 人間たちは、「彼女自身」を「タイプ2」と呼んだ。
 それは最強(ミュウツー)の別存在なのだと、その時の彼女は考えていた。
 無数に存在する、生命の可能性の一端だ、と。

789 ID:mlcK/Zg60

 ミュウツーはタイプ2に言葉を教えた。彼(或は彼女なのかもしれないが、ミュウツーは今でも2のことを彼と呼ぶ)は、
すぐさまそれを理解した。そして彼女と彼はいろいろなことを話した。それはとても楽しい行為だった。
ミュウツーは、他者と言葉を交わすことを楽しいのだと認識する自分を発見した。
そして、無邪気に言葉を返してくれる2のことを愛しいとも思った。
ただ、生まれたばかりの彼はまだ存在が曖昧だった為、あまり長い時間連続して会話を続けることは不可能だった。
 それは少し残念だったが、しかしそれを差し引いてもミュウツーは幸福だった。
 この時期、ミュウツーは時折、世界の外にいる人間たちから煩わしい実験を強いられたが、そんなことは些末な事だった。
実験に必要なサイコキネシスの能力は、彼女にとって既に当然の存在だったからだ。
 何よりも、人間たちが実験を開始するのは2が疲労を見せ、会話を中断せざるをえない時と決まっていたからだ。
 緑に満たされた保育器ごと実験室に移動する直前には、決まってこんな言葉を交わした。
 ――行って来る。2、お前は休んでおけ。
 ――うん。カエってきたら、またハナシをしよう。いってらっしゃい。
 だからどこに連れて行かれることも、何をやらされることも怖くなかった。
 ミュウツーには、帰る場所があった。

 しかし――

790 ID:mlcK/Zg60

 タイプ2が生まれるまで、人間たちは何をしていたか?
 彼らは、もう一つのミュウツーを造ろうとしていた。
 その為に何をしていたか?
 彼らは、繰り返していた。
 何を?
 失敗作の抹殺を。
 失敗作の定義は?
 生命として存在できるか否か。
 ならば生命とは?
 自我を確立しているか否か。
 すなわち――
 外部の圧力から自身を防衛する手段を持っていること。

 では、外部からの圧力とは何だ?
 それが強すぎれば、どんなものも生命ではいられないのではないのか?
 そう、例えば――

 生まれた直後から、まだ存在が曖昧な状態にある時から、「最強」がすぐ横にいる、とか。
 そして、その「最強」がそれに無自覚だったなら?

 答えは――

791 ID:mlcK/Zg60

「衰弱しているな、タイプ2は」
 無機質な響きを持った声。
「回復は見込めると思うか?」
 無感動な響きを持った声。
「もう無理だろう。生体反応もほとんど零だ」
 躊躇いとは無縁の声。
「やれやれ、こっちは結局また失敗か」
「そう言うな。現段階では一ヶ月持続でも上々の出来だろう」
「そうだ。ミュウツーの成功は奇跡なんだ」
 培養液の中でミュウツーは身を固くする。何故なら彼らが導く結論を知っているから。
 対策を思考する暇もない間に――
「仕方がない」
 リーダー格の人間が、言った。

「壊せ」

793 ID:mlcK/Zg60

 それはすぐさま実行される。
 まずタイプ2の保育器内から緑色の培養液が抜かれていく。その培養液は未発達の生命を守る為のものだ。
これによって、まだ完全ではない肉体の細胞組織が保護されている。
つまりそれは、タイプ2のような生命体が生存するために不可欠なもの。
 それが抜かれるということは、一体何を意味するか。
 ミュウツーはそれを知っている。
 何故ならそれは何度も繰り返された光景だから。
 タイプ2の体、その曲線で形成される白の肉体が、緑の培養液から解き放たれていく。ほとんど同時に、
その身体からは煙が立ち上る。溶けているのだ。不純物を内包する外気の前に、
タイプ2の不完全な体組織は、圧倒的な速度で融解していく。
 しかしミュウツーにはそれを止めることが出来ない。彼女はタイプ2とは別の培養液の中にいる。
サイコキネシスを使っても、既に意味はない。何故なら、一度壊れ始めた体組織の崩壊を止める手立ては存在しない。
仮に彼女がそのサイコキネシスを使って、抜け落ちていく培養液を停止させたところで、タイプ2の崩壊は持続する。
タイプ2という存在が完全に消滅するまで、それは決して止まらない。
 ミュウツーはどうする事もできないまま、その過程を見せ付けられる。

 タイプ2の存在が完全に消えた頃、人間の一人が小さく呟いた。
「まあ、トータルで考えれば収支はプラスだ」
 それが引き金になった。

794 ID:mlcK/Zg60

 ミュウツーにとって、タイプ2は大切な存在だった。
 初めての話し相手であり、自身と同一の存在であり、教え子であり、息子のような存在であり――
 帰るべき場所だった。
 しかし、それはいまや失われてしまった。いや、殺されてしまった。
 タイプ2を造った人間たちは、衰弱した彼に何の処置も施さないままでいたばかりか、
躊躇なく最後の鉈を振るって生命を奪った。
 何故だ? 崩壊していくタイプ2を感じながら、ミュウツーは問う。
 何故殺した。何故、お前達は何もしなかった。何故、彼を助けようとしなかった。何故培養液を抜いたのだ。
お前たちが生み出した生命だろう。生きて欲しかったから生み出したのではないのか。
 何故だ、答えろ。
 答えろ。
 答えろニンゲン!

 ニンゲンは言った。
「まあ、トータルで考えれば収支はプラスだ」

 そこには何の感慨もなかった。
 ただ事実だけを述べたその言葉が、ミュウツーに怒りを教えた。

796 ID:mlcK/Zg60

「何故、殺した?」
 瓦礫の中で、ミュウツーは問う。
 眼前の男は既に死を免れない傷を負いながらも、未だに生き長らえている。口からは荒い息を吐き出すばかりで、
彼女の質問に答えようとはしない。苦痛に顔を歪めながら、目を逸らしている。
 再度、ミュウツーは問う。
「何故、殺した?」
 問うだけでは足らず、彼女は更に言葉を紡ぐ。
「何故、お前達は何もしなかった。何故、彼を助けようとしなかった。何故培養液を抜いたのだ。
お前たちが生み出した生命だろう。生きて欲しかったから生み出したのではないのか。
 何故だ、答えろ。
 答えろ。
 答えろニンゲン!
 何故タイプ2を殺した!!
 答えろ!!!!」

「お前を確かめるためさ」

 ミュウツーの激情を嘲るように、ニンゲンは、ひひと、小さく笑った。

805 ID:mlcK/Zg60

「……何だと?」
 予想外の回答に虚をつかれ、ミュウツーはそう言った。
 その様が可笑しかったのか、人間はさらに笑い声を大きくする。
「意外だったか? そうだろうな。予想もしていなかったはずだ。当然だ、人工物なんぞには人間の考えはわからない」
 ミュウツーは男を殴りつけた。研究所をわずか数分で崩壊させたサイコキネシスではなく、彼女は自身の肉体を使った。
「うるさいッ……!」
 殴られた人間は、もはや開き直ったのか、その瞳に下卑た光を浮かべて言葉を紡ぐ。
「お前は大好きだったものな、あれが。毎日毎日、念で会話をしてたんだろ? 何を話していたのかは知らないが。
面白いデータだったぜ? お前と話をするにつれて、タイプ2の生体反応は確実に衰弱していくんだ。
それなのにお前らは一向に会話をやめない。タイプ2にしても、むしろお前と話したがっていたようだったしな」
 荒い息遣いにはそぐわない、自らの優位を確信した声で人間は続ける。
「そもそものアイツは、お前とは違う目的の産物だったがな。
 俺たちは最強を、お前を造った。
 ならば生命を保ちうる中での、最弱はどこだ? 
遺伝子を操作することで生み出せるポケモンというカテゴリーの中で、“最弱”は一体どこにある?
 その命題に対する答えが、タイプ2だ。同じミュウというポケモンから生み出せる可能性の一端だ。
 ……はっ、なるほど。あれは“お前自身”だったんだろ?」
「黙れ……ッ!!!」
 ミュウツーが、今度はサイコキネシスを発動させる。周囲に転がっていた無数の瓦礫が浮かび上がる。
「いいや、黙らない。どうせオレは死ぬ。……そう、どうせ、だ。
 教えてやる。
 タイプ2が衰弱していった直接の原因は何だと思う?

 原因はお前だよ、最強(ミュウツー)」

806 ID:mlcK/Zg60

 「お前が無自覚に垂れ流した最強の外圧。それがタイプ2の神経を焼き切った原因さ。
念によって直接的な会話を続けた結果だよ。まさしく害圧だ。
 最弱の存在は、最強の無自覚に耐えられない。
 本当はわかっていたはずだ。お前も、タイプ2も。
 しかしお前たちは念話をやめたりはしなかった。むしろ積極的に話をしていた。
 とても興味深かったな。研究員の中には、遺伝子操作によって誕生したポケモンは、
一様に無自覚の自殺願望を持つ、なんて説を提唱する奴も現れたぐらいだ」
 人間は続ける。まるで学会で研究結果を発表するかのように、その業績を誇るように。
「自覚しろ。

 お前がタイプ2を殺したんだ」

「うるさいッ!!!!」

 浮かび上がった瓦礫が、人間の腹に突き刺さる。

807 ID:mlcK/Zg60

 絶命する直前、男は自身が打ち立てた仮説は正しかったのだと歓喜に震えていた。
 彼が打ち立てた仮説。
 それは、「人間が人間を殺すには爆発的な怒りが必要であり、そしてその怒りを生じさせた相手が、
何故そのような行動を取ったのかを問うという段階を経なければならない」という前提の上に成り立っている。
 それはつまり、何故それをしたのかをわざわざ相手に尋ねるような、そんな感情が生じるのは、
いかなる形態であっても人間でしかないということを意味する。
 そして彼が打ち立てた仮説とは、
「遺伝子操作によって誕生したポケモンであっても、人間に寄り添うことは可能であるはずだ」
 というものだった。
 タイプ2との念話が確認された時、彼はミュウツーにその仮説を証明し得る可能性を見出した。
 そしてその可能性を確かめるために、タイプ2を当初の製造目的からは逸脱した使い方をした。
 彼にはそれだけの発言権があったし、何よりも研究所の人間たちは一様に彼の仮説を支持したいと思っていた。
 人間の感情を、心理を、単純な喜怒哀楽の機微だけでも、理解できるポケモンを人工的に作り出せたならば、
それはきっと将来的に多くの人間を癒しうるだろう。
 そして今、ミュウツーは彼に問うた。
「何故だ?」
 ――と。
 だから彼は、死の瞬間にも笑みを浮かべていた。
 ミュウツーは、思っていたよりも人間に近い位置にいる。その精神は、タイプ2との交流を経て、
ますますその傾向を強めている。
 それならば、自分と仲間たちを殺した相手を、言葉で傷つけられるから。

「自覚しろ。

 お前がタイプ2を殺したんだ」

「うるさいッ!!!!」
 だから彼は、死の瞬間にも笑みを浮かべていた。

808 ID:mlcK/Zg60

 空には雲一つない。青く晴れ渡る下で南洋の風が緩やかに肌を凪ぐ。
 廃墟の中、笑みを浮かべたままの死体を前にして、ミュウツーはしばし立ち尽くした。
 その身体は眼前の死体が噴霧した鮮血に染まり、鈍い紅に染まっている。
 どれほどの時が経っただろう。
 中天に燃えていた日の光が海の彼方に沈んだころ、彼女はおもむろに自身の肌を剥がし始めた。
 腕、足、胸、腹、頭部、尾。
 紅に染まった己の肌を無言のまま強引に剥いでいく。
 剥ぎ取ったその肌は地面に捨てられ、着地と同時に出現する青い炎ですぐさま燃え尽き、灰となる。
 その一瞬の輝きは、さながら送り火を思わせるようであり、さしずめ後に生まれる灰は魂のよう。
 燃え尽きた魂は、それに合わせるように逆巻いた南洋の風に吹かれ、月夜の空へと立ち上り、
何処ともなく消えていく。
 肌を剥ぎ取った彼女は、その身体は、全ての灰が空へ消える頃には、何事もなかったかのように、
白く輝いている。その皮膚は、何事もなかったかのように、復元を完了している。
 他の生命を感じない南洋の孤島で独り、彼女は天に祈る。
 何を祈るのか、それを知るものは一人としていない。
 祈りを終え、彼女は立ち上がり、自身の身体が空を飛ぶ姿をイメージする。
 するとほどなく、彼女の身体は地面から離れ、空に浮かび始める。
 島全体を見下ろせるほどの高度まで上昇し、そこで彼女は停止する。そして淡々と右腕をかざす。
 小さく、呟いた。
「行って来る。2、お前は休んでおけ」
 言葉に続いて、周囲に凄まじい音が轟く。彼女を生んだ島は、いまや跡形も残っていない。
突然の消滅に驚いた海が、自身の身体を波打たせるのみだ。
 ミュウツーの耳に届くのも、そうした波の音だけだった。
 少しだけ期待していた自分を発見し、彼女はまたしても天を仰ぐ。

 ――うん。カエってきたら、またハナシをしよう。いってらっしゃい。

 そんな声は、当然ながら、どこからも聞こえない。
 かつて島のあった場所に再び視線を落とすことなく、ミュウツーは夜の彼方へと消えていく。