夢うつつを彷徨いながら、私はぼんやりとテレビの音を聞いていた。
最近、新しいタイプのポケモンが見つかったらしい。
だが、そんなことは私と主には関係ない。
例えどんなポケモンが現れようとも、我々には関係ない。
何故なら主には、私がいるからだ。
このミュウツー、世界最強のポケモン、ミュウツーが。

などと考えているうちに、治療が終わったらしい。
寝台から身体を起こし、主の元へ向かう。
主は眉間に皺を寄せながら、テレビの映像を注視していた。
何か悩んでおられるらしい。
だが安心してくれ、主よ。貴方が悩む事など何もない。
例えどんなポケモンが現れようと、私は全てを一切合財粉砕してみせよう。

しかし話かけないのもなんなので、私は主に声をかけた。
「どうした、主よ。ずいぶんと悩んでいるようだが」
「ん? ああ、今日は随分と早いんだな」
「もう直ってる。遅いのはアイツらだ」
そう言って軽く、ラッキーを睨みつける。
少し睨んだだけなのに、尻尾を巻いて去っていく。……それでいい。

「さあ、行くぞ。主よ」
「そうだな、ミュウツー」

彼は主。最高にして至極、ポケモンマスターにして……私の、たった一人の主だ。


主と共に、街を行く。目的地は主の勤め先、ポケモンタワーだ。
少し前、他の人間に話を持ちかけられた主は、そこでゆうれいポケモンの調査をしている。
正直、私はあの幽霊という存在には余りいいモノを感じない。
しかし主に頼ってもらえるなら、主と一緒に仕事ができるなら、それが何よりも幸福だ。
むしろ、あの幽霊どもには感謝すべきなのかもしれない。
こうして、主とずっと一緒にいられるし、必要とされるのだから。

しかし、主は今だ悩み続けているらしい。
「どうした、主よ。悩みでもあるのか?」
そう話かけると、主はハッと此方を見て、
「ああ、いや、そうじゃないんだけど」
と言った。
困った主だ。答えは明白すぎるほどに明白だろう?
一体何を悩む事があるというのだろうか。主には私がいるのに。
そう、私がいる。主がいる。それだけで、なんと幸せな事だろうか。


タワーの前に立った瞬間、虫唾が走るのを感じた。
「また行くのかい? 盛んなこって」
ああ、この声。嫌な嗄れ声。君の悪い声。
あの人間の老婆だ。名前なんて覚えるのも嫌になるような、あの……
何故この人間ごときが主と共に仕事をしているのか、まったく理解できない。
ああもう、こんなモノ、こんなモノ……

「主は調査に来ている。部外者は黙ってもらおう」
なんとか心の中に沸き立つ力を鎮め、そう命じた。
今ここで念力を展開すれば、また主に怒られる、嫌われる、捨てられる。
それだけは絶対に避けえたかった。
「おやまあ、相変わらずだねえ。アタシもこのボクちゃんのお仲間なのに」
だが奴は、嘲るようにそう言った。まるで私の怒りを解き放とうとするように。
ああ忌々しい何故貴様のような老人如きが。
「だからその呼び方で主を呼ぶなと……!」

体の中で何かが弾けそうになった瞬間、ふっと暖かいものが私の手を包んだ。
主の手だ。やわらかく暖かい、主の手。
それだけで、すっと心の中の闇が消えていくようだった。
そう、主は、私がヒトを傷つけることなど望んではいない。それは決して犯してはならない禁忌。
主から手を取ってくれたことが嬉しくて、私はゆっくり主と歩調を合わせる。

「気をつけな! ゴーストタイプのみのポケモンが確認されたってさあ!」

それがどうした。枯れた人間め。
主には私がついているのだ。この私が。

杞憂に終わりそうだった。あの忌々しい毒霧どもに絡まれることなく、無事最上階まで上がる事ができた。
そこにある石壇に、主はそっと手を合わせる。
初めはその行為の意味が理解できなかったが、最近は少しずつだが分かってきた。
何より、主のすることだ。何の間違いがあろうか。
私も主の横で、手を合わせる。
「主の意思は私の意志だ。そこに幾分の隙間も無い」
「そうか」
静かに頷く主。どことなく嬉しそうな顔なのが、何よりも嬉しい。

その後はひたすら、辺りをうろついた。時折死霊が現れるが、どいつも私と主の逢瀬を邪魔するような相手ではない。
「帰るか。ミュウツー」
ややあって、主がそう言った。降りればまたあの老婆に会うことになるが、主の命なら仕方がない。
主も退屈しているのだろう。私は主となら、例え狭い箱の中でも永遠に過ごせるが。

頷いて階段を下りようとした瞬間、ひやりとした冷気が背筋を掠めた。
いや、これは冷気ではない。これは……亡者の霊気。
「ミュウツー」
主も気づいたのだろう。
「おそらくババアが下で言っていた新種だ。主、シルフスコープを」
そう言うと主は、シルフスコープを構えた。同時に図鑑がその名を告げる。
『新種のポケモンです。よなきポケモン、ムウマ』
主の動揺が、私の精神と感応する。
『更にムウマを確認。その数、三十五』
なるほど。あれだけの数なら主が動揺するのも、無理はない。
しかし。
「十出ようが百出ようが構わない。私の目的はただ一つ、主に勝利を」
私は一歩踏み出し、精神を集中させた。

そう、それが私の生きる意味。主に勝利を齎す事が、私の使命。
他のポケモンたちも総動員で、主は死霊を迎撃しはじめた。
……弱い奴らならともかく、私まで圧され気味なのはどういうことだ!?
ふわふわと嘲け笑うように、悪霊どもは舞い踊る。
その舞が、先ほど閉じ込めた力の箍を外そうとする。
「失せろ悪霊どもめ。私が全てを無にしてくれる……!」
サイコキネシスを展開する。あまり強くすると主にも悪影響が出る。
故にこれが限界という強度で開いたが、奴らはけろりとした顔で此方を嘲るのだ。
ああそうか、そんなに消えたいのか。死んでなお消滅を望むのか。
ならばいいだろう。全て消し去ってくれる。
ああそうだ、全て、全て!!
「このぉ……!」
箍が、外れた。
溢れ出した闇は両掌に収束され、全てを貫く雷と化す。
力の濁流が私の身体から外へと流れ出る。
主が止めた気がしたが、もう遅い。
流れ出た力は雷を纏い、彼奴らを射抜く。
「どうだ……!」

――筈、だった。
だがしかし、どうだ、奴らは、まだ、生きて――
からだが、うごかない。
だめだ、ちからが、はいらな

「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」

全身を貫く痛み。魂そのものに食い込む悪夢の牙。
目の前が、すうっと暗くなった。
ああ、だめだ、……まだ。
だって、あるじは、まだ……さけんで……

奇妙な浮遊感。闇の中。夢を見ているのだ、と自覚出来た。この空間で展開されるのは、大抵ろくでもない悪夢ばかりだからだ。
だがよく見ると、それはいつもの夢とは違っていた。辺りに何か、透明感のあるものが漂っている。
覗きこむと、以前主が教えてくれた宝石……オパールといったか……のように輝き、表面に模様を浮かばせる。
否、それは模様ではない。それは、私と主の思い出、だった。忘れはしない。忘れる事のない、宝。
そっと触れると、柔らかく暖かい感触が伝わってくる。様々な思い出。主と私の、生きてきた軌跡。

だが私は、その瞬間忘れてしまっていたのだ。暗闇の夢は、何れ悪夢に転じるということを。

ねっとりした手が、私の身体を捕らえた。気づいたときにはもう遅い。身動き一つ出来なくなっている。
そして闇の奥から、奴らが現れる。耳障りな甲高い笑い声。気持ちの悪い毒霧の身体。
ゴースにゴースト。塔に巣食う、死霊ども。
それらが私の身体を取り囲み、毒霧が肺まで犯し始める。気がついた時には、指一本も動かなかった。奴らは私の精神にまで侵入し始めたらしい。
やがて群れの中でも一際大きい黒影が、ゆらりとその姿を現した。
奴はオパールに、その汚らわしい鉤爪をかけた。
やめろと叫ぼうとしたが、声が出ない。目すら、動かせない。
ニタリと笑うと、奴はその巨大な口をがばりと開き、我らの「思い出」を捕食し始めた。
――エサにするつもりか?私と主の思い出を、貴様のような下賎の!?
振りほどこうとした途端、激痛が頭部を襲った。
目の前で主との思い出が、次々と喰われていく。
そんな、嘘だ、主、主、主ある――




              ――あるじって、だれ?


――そして、わたしは目覚めた。
ふわふわしたベッドに、消毒液のつんとした臭い。ここは――病院だ。
でもなんで、わたしはこんな所にいるんだろう。
頭が痛くて、ぼーっとする。……ワカラナイ。オモイダセナイ。
見るとお医者さんたちが、わたしのまわりをぱたぱた動いている。なんでなのかはわからない。わからない。
なんだかどきどきして、きゅっと、手を握る。シーツがかさかさした。これは……わたしの手?

そのとき、勢いよくドアが開いた。ばあんという音が耳に響いて、心臓がびくんと跳ねた。
「え……? あの……?」
そのドアから何かを叫びながら、知らない人が入ってきた。何と叫んだのか、よくわからなかった。
男の人はじいっと、私を変な目で見た。……どうしてそんな目をするの?
「あの……誰ですか? あなた……?」
そう尋ねた途端、男の人は怪しんで、びっくりして、呆然として、……あとは、何も考えていなかった。

後で、男の人が叫んだ言葉は、わたしの名前だと教えてもらった。
それが、ミュウツー、だった。

それからしばらく慌しかった。
お医者さんはやっぱりばたばたしているし、わたしにいろんな事を聞いたり、変な機械をくっつけたりした。
そのたびに首をかしげているのと見ると、どうもよく分からないらしい。
……一体なんで、わたしはここにいるんだろう。
あの男の人は、どこにいっちゃったんだろう。

ぼうっとしていると、へんなおじさんがきた。白衣を着たうさんくさいおじさんだ。
変な目でわたしを見ている。……気持ち悪い。
「ポケモンも、記憶喪失になるんじゃのう。珍しい症例じゃ。どれ、ちょっとよく見せてくれんかの?」
硬い手が、わたしの手をがしっと掴む。その瞬間、ぞわっと鳥肌が立った。
いやだこのひとはきらいだわたしに触るなッ!!
「いやぁ……! おじさん、いやぁ……!」
次の瞬間、わたしはおじさんを宙に飛ばしていた。

と、またドアがばたんと開いた。……あの人、だった。

あの人が、こっちに、近づいてくる。
初めて、わたしの名前を呼んでくれた人。優しい、目をした人。
何にもわからないけど、この人を見てると、大丈夫って気持ちになる。
「……お前がやったのか?」
ちくん、と胸が痛い。うん……そう、なの。わたしが、おじさんをぶらさげちゃったの。
「……だって、おじさん、イヤ、です……」
なんだか、あのおじさんはすごく嫌だ。でも、傷つけちゃダメ。
きっとあの人は、怒っちゃうだろうなあ……
うつむいていると、あの人の手が伸びてきた。
ああ、怒られちゃう、叩かれちゃうって思ったけど……そうじゃなかった。
あの人は、優しくわたしの頭をなでてくれた。
「え……?」
思わず、あの人の方を見る。……笑って、る?
「大丈夫。怒ってないから……な?」
なんだろう、すごくむねが、ほわってする。
「……はい」
気がつくとわたしは、その人に抱きついていた。
あったかい。いい匂いがする。すごく、おちつく。

誰かは、わからない。でも――この人だったら、きっと、大丈夫。

よろしくなあ、とそのおじいさんは言った。
あのうさんくさいおじさんとも、優しいお兄さんとも違う、不思議な感じがした。
なんだろう、何だか……すごく、変な感じがする。
こう、落ち着かないっていうか、逆にほっとするっていうか……
それに、この人は一体何なんだろう。お医者さん……にしては、他のお医者さんみたいに、白衣を着ていないし。
「お前さんの名前は?」
「……」
ミュウツー……と、あの人は言っていた。でも、なんだか自覚が沸かない。
「じゃあ、眼を覚まして、今まで見た中で見覚えのある顔はあったかのう?」
「……」
やっぱり……思い出せない。みんな、知らない人ばっかりだ。
頭を抱えていると、おじいさんがじっとわたしの目を見て、こう言った。

「何か、憶えている言葉はないのかい?」

その瞬間。わたしの中に、一つの言葉が浮かび上がった。
「……イ」
「ん?」

「アイ……」

そう、「アイ」。口に出すと、その言葉が、なんだかますます力を増した気がした。
「アイ」。何の事かは、良く分からない。でも、なんだか……


「……そうか。アイ、か。……そうか、そうか……」
おじいさんは立ち上がって、わたしの頭を撫でた。
変だ。さっきまで変な感じしかしなかったのに、今はなんだか懐かしい感じがする。
「いいかい、お前さん。よくお聞き。……ワシが言う事をよく覚えておいてほしいんじゃよ」
そう言っておじいさんは、私の耳に、そっと囁いた。
「……え?」
「いや、意味は分からなくてもいい。ただ、心のココに留めておいてほしい」
そう言いながら、おじいさんは背を向けた。……帰るつもりらしい。
「あの、おじいさ」
こつり、と靴音が止まる。おじいさんは、こちらを見ないでこう言った。

「次に会う時は……もっと、別の呼び方を考えておいておくれ」

意味は、わからなかった。考えている間に、おじいさんは部屋から出ていってしまった。
後に残ったのは、わたし一人。
なんだか、すごく落ち着かない。

その落ち着かない気分のまま、一体どれだけたったんだろう。
この部屋には時計がないからわからない。
結局、あのおじいさんは誰だったんだろう。何でわたしの所に?
それに……あの人。あの人が、いない。
「なんだか、さみしいな……」
思わず体を丸めて、呟く。

と、突然大きな音が響いた。
破裂するみたいな、壊れるみたいな、とても大きな音。
何があったんだろう。立ち上がった途端、さっきおじいさんが言ったことが、頭を過ぎった。


「いいかい、大きい物音がして不安になったときは……”ドわすれ”を使うんだ。そうすれば、不安じゃなくなるから」

”ドわすれ”……何でそのワザなのか、わたしには分からなかった。
ただ、わたしのどこかでそれを使いなさい、って声が聞こえたから。わたしは体の力を抜いて、頭をからっぽにした。
だんだん、わたしの中の『わたし』が、遠ざかっていく。
すごく……あんしん、する。
あれ、でもなんか……ヘンなかんじが……



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最終更新:2007年12月09日 22:22