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――川の辺に居て、不足分の冷えた水を桶に補充する。
身体を冷まし過ぎないよう注意を払っているつもりだが、どうしても行為ばかりが先走る。
無意識の焦りは行動に現れ、水に浸したタオルを絞ると、そのまま捻じ切ってしまった。

以前より、落ち着きを取り戻したと自負していたつもりが、この程度では先が思いやられる。
下手を打てば、再び「主」を危険な目に合わせてしまう可能性も否定できなかった……。
やはり……スターミーに起きていて貰おうか?

流石に気が引けたが……実際、不安で堪らない。
医療知識が無いのもそうだが、何よりも問題なのは私が主の苦しみを「理解出来ない」ことだ。

私は生きてきて此の方、一度たりとも体調に不備を抱えた事がない。
それは、私の体組織が異常なほど強靭であるため、悪性のウィルスを寄せ付けないからだ。
これは恐らく、私を創った創造主の意図した操作だろうが、現在は邪魔でしょうがない。

相手の痛みを理解できないで、果たしてどう「治療」を行うというのか。
結果、共有できない「苦しみ」を前にして、私は慌てふためくだけだった。
大した「最強」の身体だよ、まったく。

……それにしても、今宵の月は一段と輝いているように思える。
普段は気にも留めない光景だが、ひとたび意識してしまうと、いつまでも見入ってしまう。
いかんな、用を済ませて早々に主の看護を続けなくてはならないのに……。

川のせせらぎに耳を澄ませ、視界一杯に広がる満天の月を目に焼き付ける。
嗜みを覚えた暁に、今度は「趣」の精神が私の心裡に浸透して、芳醇な一時を与えてくれる。
不思議だ……時間を忘れてこの場にとどまり続けていたい。

……戻らなくてはいけない。風情なら、また何時でも愉しめる。
今は、主達の下へ……急いで戻らなくては……ならない。帰るのだ……早く。

――留まって、空を眺めていれば……「安心」だ。誰も邪魔はしない、私だけの世界がある。
このままで居ては駄目なのか? 誰がそれを決める? 私は誰の指図も受けない最強の存在。
孤独に慣れている。またひっそりと生存を続けていれば……至福の一時……だ。

……いい加減にしろ、私に「指図」をするな。私の居場所を「固定」するな。
邪魔はさせない、私は「仲間」と「集団」で生きていく。それが私の「幸福」だ。
ふざけるな……私は「主」の下へ――帰る!

「誰だ!? この私に小細工を用いる者よ、姿を見せろ!」

私の深層心理へ呼び掛けて、行動を制限しようとする「外的効力」の存在。
ようやく気付けた、私はすぐさま周囲に気配の「結界」を張り巡らし、状況の捨象を行う。
流れる風の軌道を掴み、乱れる一抹の瞬間を見定めて、神経の末端まで研ぎ澄ます。
しかし、敵もよほど用心深いのか、私の結界に入ることなく、時間だけが過ぎていく。

……おかしい、ありえないことだ。
半径数十メートルを瞬時に封鎖した私の結界に、何も触れるものが存在しない。
それが事実であるのに――この凄まじいまでの「存在感」は一体なんだ?
汗が……吹き出る。こんな気分は初めてだ。

そして疑問点は更に浮き彫りとなる。
もはや網に引っ掛からないのはこの際どうでもいい、だが――この「鳴き声」は……なんだ?
いや、「歌声」なのか……? 森の方から聞こえてくる……私を「誘って」いる?

何故――そう思う? 「既視感」がそうさせるのか? 私はこの声を聞いたことが無い。
それなのに、とても――「懐かしい」響きを髣髴とさせる。
興味を刺激し、堪らない欲求の波に私の思考が占拠されようとする。

唇を噛み締め、腕を掴んで皮膚をかきむしる。
単純な痛みは支配を受ける神経を刺激し、再び私の意識下にコントロールが戻される。
しかし、これ以上の抵抗が難しいのも、次第に分かりかけてきた。

――よかろう。何者かは知らぬが、これ以上、抵抗を続けても無為に時間を食いつぶすだけ。

私は意を決し、強烈極まりない「存在感」の中枢に向けて、足を突き動かし始めた。
目の前に広がる暗闇の森の奥、果たして何が待ち構えているのか……。
確かめるには、進んでみるより方法が無い。

そして、敵ならば――「排除」あるのみ。
己の聖域たる「主」と「仲間」、それらに危害を及ぼす危険性のあるモノは全て「殲滅」する。
ようやく手にした「みんな」を誰にも侵食させない為に……。




  • 中編・




――私を誘う穏やかな旋律、調律の成された美しい鳥のさえずり……。
及んでいく森深くの道筋を蛍の陽光が照らし、幻想的で夢現の世界を映し出す。
現実か、それとも夢の中なのか、次第に判断が追いつかなくなって、どうでもよくなる。

……それが狙いなのだろうな。

私の潜在意識に呼び掛けて、果たして相手の真意はどこに向けられている。
私が「欲しい」のか? それで、猛然たる最強の気性を手にして何が満足なのだ?
「破壊衝動」が満たしてくれるものは無し――、精々抑圧された鬱憤の燻りを発散させるだけ。

「何も、与えてはくれない……」
「――であろうな」

突如、頷かれる――『三つ巴』の肯定意思。
否が応も心音が高鳴り、引いていた汗が一斉に肌の表面に噴出してくる。
まったく、声の接近に気付けなかった……。

動揺を隠す暇も与えず、声の「主達」は瞬時に私を取り囲み、悠然と視線を傾ける。
全てが「気配」のうちに行われ、蛍が照らす街道の暗がりから煌く双眸が――花開く。
圧倒的――「熱量」、「冷気」、「紫電」の奔流が開放され、伝承される輪郭の「威容」が遂に、私の前へ姿を現した。

炎の巨鳥――ファイヤー。
生命の誕生期。世界は彼同様、全てが灼熱の『劫火』に焼かれていた。
流れる時の狭間、人はその姿を目に納め、永遠不滅の象徴と呼び伝える。

氷の巨鳥――フリーザー。
冷厳なる「青」は儚くて美しい、そして――猛然と生命を絶滅に追い遣る絶対君主。
極限に達した究極の冷気は、この世の全ての理を未来永劫、『停止』させる。

雷の巨鳥――サンダー。
住まう環境を席巻して、彼の者が望むは『神鳴る力』の降ろし場。
広大な天空を神速が駆けずり回り、遮る存在は有り余る『暴挙』で粉砕し尽す。

伝承のみが全ての「証明」。
彼等は太古の昔より存在した。
そして信仰の対象として、現代まで生き長らえた『唯一無二』のカタチ。

「我等、三体。人型が敬わん――『伝説』の実現なり」

三体の鳳が翼を広げ、一糸乱れぬ「同音」の発声が私の耳元へ届けられる。
超然した圧倒的存在感を匂わせ、彼奴等は今ここにいる。
夢幻でなく、確かな「存在」として私の前に降臨した……。

かつて……『主』を至高の頂に押し上げた、三体の『伝説ポケモン』――。
彼の元を去り、今更彼奴等は何ゆえ私の前に姿を現すのか……。
偏に興味か? それとも――「異物」に対する「排除意識」が勝ち合ったか……。

「私を『呼んで』いたのは……貴様等か?」

鋭く見据える私の問いに、滾る不死鳥は翼を納め、深紅に燃える双眸で傍の二体を流し見た。
時間にして数秒だったが、彼奴等は全ての会議を終え、再び私の元へ視線を落とす。
不立文字の間柄か、意思疎通で会話を遣って退ける辺り、さすがに「凡庸」ではなさそうだ。

口頭は、やはり中央に立つ――ファイヤーが行う。
彼奴は見た目と裏腹に、傾ける瞳の奥に静寂が垣間見える。
それが、くちばしを僅かに開き、人と異なる発声方法で会話の火蓋を切る。

「その問いは『正確』ではない」
「貴公を呼び給うは異なる存在」
「故に我等は、その『橋渡し』を務めただけに過ぎぬ」

見事、三者三様でありながら、一貫した楽章を謳い終えた。
素晴らしい、賞賛に値するぞ。拍手喝采、諸手を挙げて「アンコール」を支持しようか?
たった「一体」の為に一々、三区節に区切ってまで説明してくれるとは恐悦至極――。

……ふざけやがって。

「舐めるなよ、襤褸畜生……! 気取った言葉はいらん、それが『誰』なのか、答えろ!」

自ら意識できるほど怒気が吹き出て、額の隅に青筋が浮き立つ。
しかし、これほど私が殺気を滲ませていても、伝説の三家は余裕綽々に構えており、次に吐き出す答えを吟味していた。

「答える必要は無し」
「それは貴公の双視で確かめられるが良い」
「我等の役割はその時点で達せられる」

三体の鳳が羽を広げ、私を覆うように区切った楽章を口々にのたまう。
ひどく、不愉快な気分に晒される……。
これ以上、遊びに付き合わされる道理は無い、私にはやるべきことが残っているんだ。

「『トレーナー』の下へ還るか?」
「それは許可できない」
「貴公の到来を待つ存在は別にいる」

今更、思考を読まれたところで驚きはしない。特に激情に駆られる私の心理を読み取るなど、造作も無いだろう。

だが――彼奴等ごときに「主」を語らせるのは我慢ならん……。
主の大事に逃亡した破廉恥な連中の言う事など、私の関知する事ではない。
むしろ、この場で……、

「粉微塵に『粉砕』するか?」

言うや否や、私はすぐさま手の内に破壊のエネルギーを充填した。
発光するまで集中した「力」ならば、易々と「伝説」たる妄承を粉塵に帰することも可能だ。
これを……招待へのチケット代わりにくれてやる。

「それをして何を得る?」

ファイヤーが神々しく照らし返す翼をはためかせて、整然とした声量で問い質す。

……得るだと? 馬鹿が。
これは主の下を去った貴様等への「懲罰」、「復讐」を兼ねた鉄槌だ。
己等が犯した赦されざる業をこの場で「贖罪」せよ!

臨界に達する破壊のエネルギー、その矛先を三体の鳳に合わせる。
されど、伝説の偉容は揺るがず、どこまでも超然した佇まいで私の動向を探っていた。
そして――遂に、彼奴等の態度が変化する。

「それは誤りだ」

間違いを正す口答を挿入し、ファイヤーは続く答えを他の二体に譲る。
フリーザーとサンダーは同時に頷き、私を見た。
くちばしが……割れる。

「トレーナーは『資格』を失った」
「故に、我等は彼の者の支配下から脱したまでのこと」
「『資格』……だと?」

未だ光を増す熱量を拳に宿したまま、私はもう暫く彼奴等の児戯に付き合ってやることにした。
しかし、面白い事を抜かす……。主に「資格」が無いとは、彼奴等も見る眼が無い。
「鳥目」とは案外、そういう意味で用いられるものかもしれんな?

「貴公がトレーナーを妄信する理由も頷ける」
「我等が蔑視される謂れもある」
「しかし、それが彼の者と交わした『契約』なのだ」

一同に翼を広げ、三体の伝説は満天に輝く空の明かりを覆い尽くす。
大きい、遥か雄大な姿は……想像を絶して、「偉大」だ。
そして彼奴等は言う。

「我、常に燃え滾り、絶やさぬ灼熱の『至情』がその者の資格なり」
「我、絶対零度からなる不動の『冷静心』を持つ人間こそが主に相応しい」
「我、雷光の如き猛々しさを振るう『躍動』を選別の対象とする」

翼を納め、覆われた天の風景が再び私を照らす。
夜目に慣れ、三体の全様が明らかになったところで、私は今一度、彼奴等を見る。
赤、青、黄のまったく異なる性質でありながら、同じような事を言う思想の有り方。

……言いたい事は大体分かった。

「それが主に欠如していると言うのか?」

もし「本気」で言っているのだとすれば……厚顔無恥も甚だしい、破廉恥もいいところだ。
だが、そうした私の確認に、代表してファイヤーが長い首を擡げて静かに頷く。
……どうやら「本心」で答えていたらしい。

姿形が異様だと思っていたが、考えまで歌舞いていたようだ。
完全に救いようが無い。所詮、「鳥」の考え……韜晦して脳が腐ったか?

「主は『至情』を絶やしておらんし『躍動』もある……『冷静』でもある筈だ」

それすら量れないとは、スターミーの話は誇張が過ぎたようだ。
彼奴等に他者を「慕う」心構えなど存在し得ない。

彼奴等は……『伝説』で有りすぎた。もはや対話に割く時間は必要無い。

「ノコノコと私の前に姿を晒した意味は、よもや『何事もなし』とは行くまい?」
「闘争が貴公の望みなら、敢えては否定せぬ。だが――」

私が力を凝縮する様を見て、ファイヤーは何を弁明するつもりか不動の体勢を取った。
羽を閉じたまま、フリーザーもサンダーも倣って中央に在る不死鳥に準じて立つ。

「貴公の先決はそれではなかろう?」
「貴公は是非にも、我等の招いた道の先を行って貰わねばならん」
「それが我等の役目……」

……もういい。早々に死んでくれ。

深い、溜め込まれた「嘆息」を吐き――私は彼奴等に向けて、手の内に収まる濃黒の球体を打ち込んだ。
先程から被っていた不快感が引き金となって起こす現象か、「アドレナリン」が過剰分泌されているようで動向が緩慢に映る。
シャドーボールは確実に止まり木する三羽を捉えて直進しており、いくら「伝説」の名を以てしても、避ける事は出来ない筈。

――なのに……。
――『なにか』が……、私の心理へ潜り込んでくるようで……。
――『歌声』が私の本能を抑制して……怒りが、収まっていく……。

シャドーボールが色褪せ、到達間際に塵となって消え往く。
伝説の神通力が関与したのか……いや、もっと大いなる存在が『私』にやらせたのだ。
それは……『誰』だ……?

「この先で、待っているのか?」
「左様」

返答は即決にして端的に行われる。

なるほど、興味は尽きない。
こんな事をしている暇は無いのだが――気付けば、私の脚は彼奴等より後方に向けて差し向けられていた。
潜在意識が私の手元を離れて、まったく無意識下の動向を開始させる『要素』とは……?

「どちらにせよ、答えはこの先に構える『者』が握っているのだろう」

腿を引き上げ、爪先から踵へ重心を移しつつ私は移動を続ける。
知らずの内に私の口元は笑みを湛えていたのかも知れない……。
この先に構えている存在の正体を――“既視感”という感覚の一手で私は朧げに知る事ができた。

……私と、『似て非なる存在』が待ち受けている。
森の奥深くで、歌を交えながら、私の到来をずっとずっと――。



「……これで我等の役目も無事、滞りなく果たせたようだ」
「そのようである……」

一匹の知的生命体を見送る役割を無事し終えた三羽の伝説が味わう一時。
たった一羽、肯定を促す言葉の“張り”が弱く感ぜられた。

「何か気にかかる事があるか、ファイヤーよ?」
「……いや」

否定しながら、燃え盛る不死鳥の視線は森の西側へ向けられた。
その方角こそ、彼らが最初に感じたミュウツーの位置。川のせせらぎではない、もっと以前からの場所。
そこには、かつて自分達を従えた――“主君”が、遠くない距離で疲れた身体を癒している。

「やはり、忘れられんか?」
「……あの先に居られるのだな、そう思うと」

フリーザーの視線を横に、ファイヤーは瞼を閉じて瞑想の体勢に入った。
精神を集中し、顔の向きから感じられる懐かしい波動に触れる。
温かく、柔らかな波動は他でもない、たった一人の“主君”の物だ。

ミュウツーは言った。
――「主の下を去った分際で」と……だが、それは彼女の主観で物を言っているに過ぎない。
本当なら、飛び去りたくなどなかった……。

「忘れられるものか……あれほど我等を理解してくれた存在の事を」

遥か古より思い起こされる記憶の断片。
自分達は存在した時点で“伝説”であった。そして、誰もが自分達と距離を置いた。
圧倒的“異質”であるからだと、そう誰からも言われて、自分達は自分達でいるしかなった。

火と氷と雷の鳳は、何時しか環境が覚え込ませた会話術を使う事で、喋らずとも意思疎通を図れるようになる。
それが更に、外界からの接触を妨げる要因になるとも知らず、時は流れて……彼等は“伝説”として『完成』していた。
誰も彼等を知らず、知ろうともせず、ただ“伝説”として敬意を払い研究対象とするだけ。

彼等は……誰かに“知って欲しかった”。
伝説ではない、ただの生物としての“自分達”を。

「我等は存在自体が“異質”。誰もが向ける視線は奇異のくらいでしかない」
「だが、彼は……あの方は違った。我等を恐れず受け入れてくれた」

何よりの喜び。
長い旅路の果てに邂逅した現代の青年は、自分達を前にしても、一抹の恐れを抱かず直立して見せた。
仲間達との信頼関係は確固たる“絆”を生み、不退転の意志を持った彼等は戦った。

そして、戦いの中で彼等と語り合った。
敵ではなく、研究対象でもなく、出会えた“友人”として、彼等は接してくれた。
理屈ではない、そうした経緯があったからこそ自分達は、真意から彼等へ同行を願い出た。

二度と出会えないと思った。
外界からの“友人”を望み、それがようやく叶ったのだ。

道中より強敵に出会い、己を脅かすほどの団体とぶつかりながら、遂にリーグ優勝を果たして戦いの日々に終止符を打った。
長い戦いの日々はそのまま彼等との旅の歴史でもあり、何物にも換えがたい財産だった。

だが――、それも“ある日”を境に泡沫と消えた。

「哀しき定めかな……主は貴き人を失った」
「そして、抜け殻となって生ける屍となった」
「とても……見てはいられなかった」

だから、彼等は“飛び去った”のだ。
強い尊敬の念を抱く人の心を“救う”ため――“特効薬”を探す旅に出た。
それによって、もう二度と“帰れない”と分かっていながら……。

「破廉恥な“お願い”をした。その見返りが」
「『主の下に二度と戻ってはならない』……か?」
「辛いが、等価価値としては“安すぎる”ものだろう……我等は“慈母”の尊厳を冒涜したのだから」

彼等は“特効薬”を見つけ出し、そして頼み込んだ。
――「“主の心の拠り所となってほしい”」と……。

「契約は守られなくてはならない。我等は二度と主と見えることは適わないのだ」
「“慈母”は我等の願いを聞き届けて下さった。我等も誠心誠意、その御心に報いるまで」
「なれど――」

吐かれる言葉を断ち切り、ファイヤーは二匹の間に立って照りつける翼を闇夜に広げた。
行為は繋がり、青く冷厳に輝く翼と爆ぜる山吹色の翼が幅を大きく拡大する。
何もかもが“掟”で決められていようと、彼等の思いは一点に集約される。

彼等は、今でも“青年”を慕い続けているのだ。

「“祈る”事は禁じられておらぬ。だから祈ろう、主達の行く道が明るくあり続ける事を」

今宵、異なる三羽の鳳が、甲高くその囀りを夜空に響かせた。



  • 後編・



一体どこまで続くのか……。
私は三匹の忌まわしい鳥の挑発に、まんまと乗せられてしまったのだろうか?
やはり分からない。歩けど歩けど、行き着く“先”が見えてこないのだ。

それなのに視界は飛び交う光の粒子物体に照らされて、更に奥へと私を間接的に誘ってくる。
おまけに道なき道を行っている筈が、何時しか整備されたように草の葉が私を避けて進路を切り開く。
ここまで何かしらの念力も感じられないから、これもどうせ草木がそういう風に生えていると解釈するより無い。

うす気味悪いがな……。

歌の音が段々大きく聞こえてくる。
近付いている証拠で目安にもなるが……ところで彼奴の目的は一体なんだろうか?
わざわざ“伝説”の三羽を使って私を呼びにやらせるような相手だ、凡庸とは思えない。
その点は注意しておいた方がいいだろう。

それにしても、嫌に耳の奥まで入り込んでくる歌声だ。
目立って大声というわけではないが、小声というわけでもない。
不思議な感覚で、私だけがそう思うのか直接頭に響いてくるようなのだ。
先の間で、私が混乱状態に陥ったのも、こういった経緯で催眠術にかかったものかもしれない。

何にせよ、悪趣味な輩だ。

思考の海に意識を浮かべていると、不意に視界が光に覆われていく。
どうやら目的地に着いたようだ。先の見えない暗闇の旅行は終わり、遂に対面のときが来た。
さて、私を呼びつけた不躾な輩は、一体どんな顔立ちをした存在だろう。
選り分けられた道を歩き、最後の一歩を光に満ちた森の出口へ踏み出す。

「……ほう」

思わず感嘆の息が漏れた。

開かれた空間を一杯の緑が包み、その周囲を色鮮やかな光の粒子が明るく照らし出す。
水溜りが幾つも点在し、透明な水の底は深く、淡い青に染まって生物が躍動的に泳ぎまわっている。
しかも、お誂え向きに切り株まであって、まるで“誰か”が腰掛けるようじゃないか?

不自然だ。
ありふれた一介の森が、これほど神秘じみた世界観を持っているわけないだろう?
これは明らかに『作られた』ものだ。ふざけおって……。

「まだ私をからかうつもりか?」

何処からか私を監視している“誰か”に対し、私は敵意の念を発した。
今まで『仲間』の手前、抑制し続けていた破壊衝動がここにきて漏れ出てくるようだ。
既に強力な念力は周辺を形作る“力”を浸食し始め、可笑しなグラデーションを描き出す。

さあ、早く出てこなければ、貴様が私を出迎えるために創造した「世界」が破滅するぞ?
一旦、抑えを止めれば、私の内より溢れ出す衝動の奔流は何者より貪欲だった。
世界を描き出す「色」を捻じ曲げて、強引に立体図面から抽象画を描きなぐる。

どうする? どう出てくるつもりだ?
再び、私の精神へ『歌声』を以て侵入してくるか?
さあ、どうなんだ。私を呼びつけた――『ヤツ』!

「……ッ!?」

何が……起こったのか、まったく理解できない出来事が起こる。
強引に燻り出しを謀った私の念力が……“無くなった”。
いや、使えなくなった……違う、“使いたくなくなった”のだ。一体なぜ?

そして当然のように、世界はコマ飛びの要領で何時の間にか修正されて蘇っていた。
水溜りから元気よく魚が飛び跳ねて、側面に付いた魚眼が私の姿を見る。
驚異のサイコキネシスを垣間見せられて、言葉を失った私を更なる驚きが容赦なく襲い掛かる。

空間の中央に位置した切り株の上に、何時の間にか“誰か”が腰掛けていたのだ。
長い桃色の髪をなびかせて、質素な純白のドレスを着た――『女』が優雅に歌を奏でている。
その歌は……聞いた事のある音色、私を何度もここへ誘致した内容のものだ。

「貴様……いつからそこに?」

何とか振り絞った言葉は、我ながら何とも情け無い怯えを滲ませていた。
己こそが「最強至上」と妄信していたが為に、今私は辿り着けない境地を見せ付けられて動揺している。

こいつは一体何者だ……攻撃意志は感じられないが、それ以前に存在自体が「希薄」に思える。
目を離せば途端に消えてなくなりそうな、“儚さ”が滲む。
お前は誰だ? 私を呼びつけて、何が目的なのか……。

歌が止み、私達を取り巻く空間に静寂が訪れる。
あれほど耳に付いた声は、一度音を失うと何ともいえない名残惜しさを感じた。
忌まわしい雑音は優しい子守唄に取って代わり、荒ぶる私の心にゆとりを生んだ。

まるで、初めて『主』と邂逅を果たした時と同じ心地がする……何故だろう?
温かい……これは、“彼女”を“私”が求めていたという表れなのか?
生き物は、それを求めて生き続ける――私の『ルーツ』……。

「何万年……いいえ、もっと多かったのかもしれません」

歌声ではない、今度こそ生の音声で『彼女』が言葉を発した。
濁り気の無い澄んだ音質は抵抗感なく知覚され、深く心の中に浸透してくる。
催眠術の類ではない、本心から彼女は私との出会いを望んでいた。

その理由は――『回帰本能』。

「ずっと生き長らえてきました……『私』と『私』が逢う日を夢に見て」

切り株から腰を上げて、彼女は肩に掛かる桃色のカーテンを優しく下ろす。
振り向きざま、スカートがなびいて細い足首が地面の上で踊る。
桃色のヴェールを引き摺って、淡い封印が解かれた先に彼女の表情が浮かんだ。

「やっと逢えましたね? 『ミュウツー』……」
「『ミュウ』……なのか?」

鏡が目の前に立って、私の前で優しく微笑みかけてくる……。
だが幻覚ではない、確かな実感を持って彼女は私の前に「存在」していた。
正真正銘、私の『基礎』となった“伝説”のポケットモンスター――『ミュウ』。
原初より存在し、現代まで進化を行わず生き続けていた生命体。

私の……『母』にあたる存在なのか? お前は……。

そんな事が脳裏を掠めていく間、彼女は柔和な表情を傾けて私の身体を見回し始めた。
そして、一点に注目して視点を止める。

「怪我を為さっているのですか?」

言われて、私は彼女の視点をなぞり、行き着いた先で包帯の巻かれた二の腕に着目した。
これは初めて主と出会った時、応急手当の一環として巻かれたものがそのまま残っているのだ。
当然、当時の傷は完治しているので外すのが適当なのだろうが、何故か出来ないでいた。
特に邪魔にもならないので放っておく様になり、何時しかファッションとして定着した。

多分、そんな感じだ。

「怪我じゃない……気にするな」
「そう……ですか」
「…………」
「…………」

以降、発展した会話は出てこないまま、時間だけが過ぎていった。
互いに興味はあったが、いざ邂逅を果たすと何を話していいのか困り果て、戸惑っているのだ。
実際、私も何を話して言いか言葉選びに夢中だ。

聞いてみたい事がある。例えば、私のことをどう思っているのか?
そして、何故私をこんな回りくどい手を使って呼び出したのか、など。
色々選別した上で、私はようやく口を開いた。

ミュウの緊張が伝わってくる。
私も緊張している……。

「私とお前……関連性は遺伝子上の『同一染色』でしかない。何故、私の前に姿を現した?」

違う……私はそんな事を問いたいのではない! もっと、別の会話をしたいのに……。
生まれついての性格、私を形創った研究者の意図した作用は“凶暴”だ。
素直な気持ちで本心から言葉を選択する事など、出来ないのか……。

ミュウ……貴方は私をどう見ているのだ?
悲しげに私を見て、哀れむのか? 貴方は今まで何をしていたのだ、何を……。

「ミュウツー……」

優しげに語りかけて、私を落ち着かせようとしてくれているのか。
穏やかな微笑で、私の苛立ちを包み込んでくれようとしているのか。
それも……『自然体』だから持てる優雅さの表れなのだろうな……私に無い“モノ”。

――ふざけるのも大概にしろッ!

「今更なんだと言う!? 『母親』にでもなったつもりか?」

『怒り』……ただ、ただ純粋に私は怒っていた。
何を今更、お前は私を求めた? 母としての務めを今になってやろうというのか?
――必要ない! 貴様には劣るだろうが、私には誰の看護だって用を為さない「力」がある。
そして、今の私には掛け替えの無い“宝物”が存在するのだ。

“主”……そして“仲間達”がいる。何より私を恐れず、諭して温かく迎え入れてくれた。

「お前なんて……“要らない”!?」

今も昔も、私の本来から備わる気性は変わらないだろう。
だから、私が「要らない」と言えば「要らない」のだ。もう必要が無い。
私は全てを手に入れた。この輪が健在であれば、私はもはや独りではない。
誰の介入も赦さない……お前も同義だ。奪う事は赦さない!

ミュウは――悲しげに視線を落とした。
急激に、私の中で熱が冷めていくのを感じる。
どうしようもなく、彼奴は私と肉親関係にあるらしい。彼奴が悲しむと私も辛くなる。
一種の魔法と言えるだろう。

ミュウは視線を持ち上げ、ブルーの瞳で私を柔らかに捉えた。
淡い朱色の唇が揺れる。

「ごめんなさい……貴女と話がしたかったの。『私達』に同一種族は存在しないから……」

そう言って、ミュウは僅かに顔の向きを逸らした。

ヒトと同じ身体の作りをした造形の一部、不意に顔を側面にずらす事で一際異質に気付く。
私と同じく、頭部の両端に角のような鋭角が突き出していた。
それが、私達と人間とを差別する象徴。ミュウと私は同じ存在……。

『私達』……私を創造した研究所で、私は一つの文献を読んだ記憶がある。
“伝説ポケモン”に関する研究記録は、一つの結論を導き出していた。

――“伝説ポケモン”は永遠に一体だけの固有種。故に……、

「『仲間が存在しない』……」

唯一無二の存在であるが故の宿命。
人が「神」として信仰する彼等には、永遠に為しえない当然の行為が無い。
ファイヤー達も兄弟のような意思疎通を見せていたが、結局あれも全く別の種族が寄り添っているに過ぎない。
彼等に省みる「種族」は無かった。

「だからこそ、貴様は私を呼び込み……話し相手を務めろというのか?」
「強制するつもりはありません……私は貴女に興味があったのです。同じ存在として……」
「ならどうして、私をあそこから連れ出そうとしなかった!? 私は『独り』だったんだぞ」
「それは……“出来なかった”のです」

口篭り、ミュウは眉を寄せて辛げに瞼を閉じた。
環境を作り変えるほどの念力を有しながら、『出来ない』事があるものか……。
私の先入観は揺ぎ無いものとして固定されていた。

だから……その後に彼女が言った言葉を理解する事はできなかった。
泣きそうに目尻を火照らせて、ミュウは決心したように目を見開いた。

「“伝説”である私達は……下界に干渉してはならないのです。これは『掟』だから……」
「ふざけるな、そんな手前勝手な決まり事で収まる筈無かろう!?」

怒りが呼び起こす無意識の念力が、刃となってミュウの頬をなぞる。
線状に入った切り傷から鮮血が滴り、伝って彼女のドレスに赤い斑点を描く。
何故避けなかった? それで罪滅ぼしをしたつもりか……嘗めやがって!

「次は……首を刎ね飛ばす!」

腕を持ち上げ、私は最も鋭利な残像を削りだし、その矛先を鏡に映る私の首根にあわせた。
後は、発射すれば見事に首と身体が泣き別れるだろう。一種のジョークとして笑い続けてやる。

哀しげな顔をして同情を誘おうとしても、今回ばかりは私の怒りが勝るようだ。
死ね――ミュウ! この世に仲間が居ないのなら、あの世で捜し出す事だ。
私はお前の思い通りにはならない、私にお前は必要ないのだ。

誰もお前を必要にしていない!
だからお前はこの世に不必要な存在なのだ!
求められず、応えることも無く消えて行け!

ほら、見えるか? 仄暗い道の先でお前の到来を待っているヤツがいる。
変なヤツだ。お前と全く違う存在なのに両手を掲げてお前を待っている。
角を生やしたヤツだ。もっと薄い色をした桃色の髪をなびかせている……コイツは。

「どうして私がお前を“求めている”んだーッ!」

怒りの象徴は有らぬ方へ発射され、緑の壁を切り裂いて虚空の彼方に消えていく。
私は力なくその場に膝を着いて、泣いた。

母なら私を助けてくれたはずだ。
同じ仲間なら私と連れ添って遊んでくれたはずだ。
私なら……私なら一体どうする?

「私は私自身に……何をしてあげられただろうか?」

もっとも完成された、全く同じ生き物が並んで向き合っている。
だけれどそれは、とても不安定で脆い……私は、何のために『生まれて』きた?
人の好奇心を満たすために……生きなくてはならないのか?

「ミュウ……教えてよ」

情緒が揺れ動いて、私はどうにかなってしまいそうだった。
頭痛がして、吐き気が喉を突いて、とにかくがむしゃらに泣き喚いた。

私はどうして生まれてしまったのか?
久しく忘れてしまった生い立ちが頭の中を回り、培養液に浸る私を観察する無数の目が恐怖を煽る。

怖い――怖いよ……助けて、私をここから出して!
意識だけが先行発達しても、身動きままならない四肢は虫の蠢きより儚い。
視線が刺さり、プラグを打たれて情報が無理やり頭の中に入り込んでくる。

性格は凶暴一端――、戦う相手は慈悲なく殺せ――、その術は全てお前の遺伝子に備わっている――。

「やめて……くれ」

生命の冒涜も……『彼等』のような“探求者”にとってすれば、立派な『玩具』。
遺伝子レベルで遊ばれて、そして創り上げた『最凶の生命体』。
私の親は……やはり、『ニンゲン』なのか?
だから、私も抵抗感なく相手を“殺められる”……。

私は『何者』だ? 
私の『名前』は? 
私の『故郷』は?

私の――『親』は……?

「私は……なんだ?」

空虚に儚く問う声は、私にだけ聞こえて反響して……誰も聞いてくれない。
それが、私の生きてきた“環境”の常識だった。そして、これからも同じだと思っていた。
だが、今は――違った。

泣きすがる私の肩を抱くしなやかな指、涙に濡れる私の顔を見詰め、優しく微笑んでくる『女』の顔……。
ミュウは、過去に翻弄される私の姿を見て……慰めようとしてくれている。
温かい……懐かしい匂いのする抱擁を受けて、私は言い得ぬ「安堵」を覚えた。

「貴女はミュウツー……今はそれだけでいいでしょう?」

これが『母』の腕の中なのか……? なんと、安らぐことだろう。
抱擁の中で言葉を聴き、既に心は平静を取り戻したというのに涙が止まらない。
一体、何故だろうか? 

ああ……理屈なんてどうでもいい。
知りたくない。知ってしまうと、この感動は二度と得られない気がする。
だから……永久に知らないままで、『お母さん』の腕に抱かれていたい。

けれど、それは出来ない。
私は自分の役目を果たさなくては為らないからだ。
まだ、私を必要としている人間が――“主”が待っているのだから。

私は優しく抱きしめる彼女の腕を解き、柔らかな動作で身を離した。
目を伝う涙を拭い、乱れた髪を手櫛で梳いて背中に纏める。

「ミュウ、私は……」

去り際の背に柔らかな感触が接触し、同時に腕が回されて抱擁される。
頬から甘い香りが漂い、はっきりとミュウの“匂い”が感じられた。

「また、逢いましょう? その時は、ちゃんと説明するから……きっと」
「……うん」

私の返事を合図に、抱擁は自然と解かれた。
一瞬、振り返りたい衝動に駆られるが、そんな事をすれば、ますますこの場を立ち去りづらくなると思い、私は早足で森を駆けた。
次第に匂いは薄くなり、彼女との接点を世界が揉み消していく。

名残惜しいが、「また逢おう」という言葉を信じて、私は今日の出会いが続く事を願った。
私には、私を創造した連中に対して、胸を張って彼女が『母』であると言える。
あの甘い匂い、柔らかな温もり……“私だけ”のものだ。

奴らには創れない、本物の母親の“愛情”。
そして、私には“仲間”もいる。
生まれてきた『意味』を問うなら、今の私にも勇気を持って答えられる筈だ。

それは――、

「……?」

森を抜ける直前、せせらぎの聞こえる川原で徘徊する人の姿が目に入り込んだ。
何事かと気配を殺し、注意深く様子を窺ってみると、それは他でもない“主”本人だった。
気付いた私は驚きのあまり転び、途端に起き上がって、今も何かを探すそぶりを見せるその人の傍に走り寄った。

すると、彼も私の存在に気付いたようで、ふら付きつつ私の方へ駆け寄ってくる。
まだ熱射病が回復していないのに、なんて無茶をする人だ! 
私は目の前まで近付き、倒れそうになる彼の身体を支えるべく肩を取って並ぶ。

「帰ろう、貴方はまだ寝ていなくてはならない身の上だ」

だが、私のそうした言葉を聞いているのか、彼は動かず私のことを見下ろしているばかりいる。
訝しんだ視線を送ると、不意に肩を掴まれて目の前に送り出されてしまう。
寸分狂わず視線が合い、一体何が始まるのか分からず思考を重ねていると――腕の中に抱かれた。

「………………!?」

上手く言葉に表現できない。
何をどう表現すれば適切かなんて判断は、知識に刻まれた経験から導き出される。
しかし、この状況だけはさすがに予想を超えていた。

思考が停滞し、間近で得られる主の“匂い”に知らず意識が高揚してくる。
それに奉仕活動で鍛えられた上半身は、存外肉厚で頼りがいがある。
駄目だ……何だと言うのだ、この感覚は!?

「あ、主……どうしたんだ?」

声が上ずっている。なんとも情け無い初々しい『少女』の声が漏れた。
余計に顔が火照ってきて、既に頭は熱暴走で噴火しそうだ……!
主、何とか言ってくれー!?

「――え?」

耳元で囁かれた言葉。
注意して聞かないと聞き漏らしてしまいそうな僅かな声で、彼はそう言った。

「ミュウ……?」

母の名を、己の主人の口から聞き、私の興奮状態は次第に治まり始めた。
なるほど……何時だったか、スターミーが話していたな。
“歌声が主を救った”と、その『歌声』の持ち主こそが……“ミュウ”だったのか。

そして、今主は私と彼女を重ね合わせている。
ああ……構わない、今は彼女の代わりを務めても悪い気はしない。
彼女も私の母親を務めてくれたのだから、そのお返しをすると思えばいいのだ。

「さあ、主……帰りましょう?」

私は抱かれる腕から逃れ……ようとして『失敗』した。
予想以上に主の抱擁は力強く、生半可な力では脱出できなかった。
右往左往していると不意に頭上が暗くなり、見上げると目と鼻の先に主の顔が迫っていた。

咄嗟に心臓が破裂せんばかりに脈打ち、目が白黒反転して再び頭が沸騰直前に煮え出した。

待てよ、待てよ……ミュウは一体、主に何をしたんだ!?
なんで主が私に顔を近づけているんだ?
主は私とミュウを取り違えているんだから……つまり、主はひょっとして――!?

思考が纏らないまま、主の顔は更に接近してあからさまに“キッス”の体勢に入っていた。
おい、おい、おいー!? 私はミュウだけど、ミュウじゃないんだ!
どうせキッスをくれるなら、『ミュウツー』にしてくれ! 

“代わり”はイヤだァーーーーーーーーーーーーーッ!?

「ソォーーーーーーーーーッイ!」

無意識の内に私は奇怪な叫び声を上げて、そのまま眼前に立つ主の顎を下から拳で突き上げていた。
我ながら見事なあたりだったと思う、会心の一撃だった。

それから数日――、主はしっかり休養を取って、再び元気な姿で旅を続けられるようになるまで回復した。
その間、意識不明だったのは……やはり私の責任だろうか。
しばらく、主の純粋な微笑が胸に突き刺さったのは、言うまでもない。


<了>



その頃、三羽の鳥は

「グオォッ!?」
「何事だ、ファイヤー?」
「いや……なんでもない」
「? そうか」
「ああ……気にしないでくれ」
「ふむ、我等は少し夜風に当たってくる。留守を預けるぞ?」
「うむ、息災でな」

「……あの娘、いいパンチを持っているな」

<おしまい>