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316 ID:tEvKufqf0


―ワタシヲヨブ“ハハノコエ”―


長い永劫乖離の旅の日々。
主は己の贖罪を続けるため、その日も一日を費やし奉仕活動を行っている。
およそ二十代後半を数える身体に鞭打って、この人はどれほど困難な依頼も引き受けてしまう。

数日前の橋掛けに続き、身体が自由にならない年寄りへの慈善事業。
斧や鋸を手に木を切り倒して、薪を仕立ててやるのも既に見慣れた光景だ。
期待を受けては「農奴」の如く駆り出され、数日掛りの仕事を一手に引き受ける。

――心配だ……。

多分に、「それ」は無いと信じているが、休む間も無く能動的に動き続ける「ツケ」は確実に迫ってきている。
休んで欲しい……。たった一日でも構わないから、骨の髄まで休まる時間を差し上げたい。
それが叶わないなら、せめて私達にも仕事を手伝わせて欲しいのだ。

だが……貴方はそれを拒否する。
「これは自分のやるべきことだ」と、言うのだ……。止む無く、私は貴方の指示に従う。
私は貴方の「所有物」。貴方の望むとおりに動向を重ねる「ポケモン」。

貴方の指示に反したくない……だが、心の奥底では貴方の指示を破りたくて堪らないのだ。
今日は昨日よりも顔色が優れない、過労の為に食事も満足に喉を通らないのだろう。
栄養を取らないで過酷な肉体労働に従事するのは、ただの――「自殺」行為……。

主、私は貴方の事が……心配でならない。
これほどの苦行を御身に科して……よもや御身は“そうなる”ことを望んでいるのか?

極端な発想を浮かべては頭を振って払拭し、私はその日も労働を終えて帰ってくる主を待ち続けた。
今日も夕暮れ時、埃に塗れた顔を頼りない微笑みに染めて疲労困憊した様子を隠すのだろう。
そして、私達を安心させるのだ。――自分は疲れていない、と。

全く以って、ズルイ人だ……。
私達とて、トレーナーを心配したいのに、そうされると出来なくなる。
早く戻ってきてくれ……。それだけが、今の私が望む全ての「願い」だ。

森の奥に構えるテントの傍で立ち尽くし、私は一人、祈りを込めて主の帰還を待っている。
しばらく祈る時間が続き、それが過ぎ去った頃、ようやく視界に人影がぼやけて映りこんだ。
陽炎に晒されて、像が揺らめく事からきっと今日は大変な暑さを体験した筈だ。

私は居ても立ってもいられず、水筒を持って主の影の下へ駆け出した。
陽炎は思いのほか遠く、距離感を掴ませないで中々、主の下へ辿り着かせない。
しかし、進んでいれば必ず二人は接触する。それは数分の後に果たされた。

同じく熱に晒され、加えて走った運動量も相俟って、私は柄にも無く全身に汗を滲ませた。
手には水筒を持って、それを目の前に立つ「主」に向かって差し出す。
だが――「主」は、そのジェスチャーに対して、何も反応を示さなかった。

視線を正面に向けたまま、何かに取り付かれたように、おぼつか無い足取りで進み続ける。
主の終着駅はテントなのか? ……いや、そもそも主には私の姿が「見えて」いないのか?

――まさか!?

どうやらこの時の私も、外気の熱線にやられて注意力が疎かになっていたらしい。
違和感の正体に気付けず、それに考えが及んだ時には後の祭りだった。

主は、猫背になった身体を一段と左右に揺らしたかと思うと、次の瞬間、糸が切れたように地面に倒れこんだ。
もう、冷静ではいられなかった。叫んで、身体を揺すって、声を掛けるだけ。

応急処置に何をすべきか、まったく頭に浮かんでこなかった。
夕暮れは次第に明るみを奪っていき、私達の周囲を暗闇に包み込む。
目の前が暗くなり、私は余計不安になって、どうすればいいのか分からなかった。



「――まあ、こんなもんでええじゃろう」

熱射病に倒れた主の応急処置を済ませ、スターミーが傍で様子を窺う私を見ながら言った。

恥かしい……私はあの後も、どうしてよいか分からず、ただ泣き叫んでばかりいた。
もし、あの時スターミーが異変に気付いてくれなければ、私の不注意で「主」を死なせていたかもしれない。
今考えても、背中に雪の塊を押し込まれたような怖気が全身を駆け巡った。

そんな私の様子を見て、スターミーは落ち着かせるように穏やかな声で諭すのだ。
「熱中症で、人はそう簡単に死なない」と、安心させる意味で「私」に言う。
それが……ひどく惨めで悲しかった。

私には、主の有事を救える「知識」も「手立て」も無い。
あるのは単純に「敵」を破壊するだけの「衝動」のみ。何の役にも立たない……。
それを、まざまざと思い知らされる。

「あまり考え込むもんじゃないぞ? 元はと言えば、小僧が働き過ぎるのが悪いんじゃ」
「慰めはよしてくれ……私は現に『主』を殺しかけたのだ……!」
「しかし、今は生きておる。それでよかろう?」

ヒステリックに叫ぶ私を相手に、スターミーは一切の小細工を用いず真正面で諭す。
視線を逸らさず、喚き散らす私の訴えを全身で受け止めるのだ。

……それから何を言ったのか覚えていない。
しかし、内容は支離滅裂で、その殆どが罵詈雑言だったのは想像に容易い。

有ろう事か恩人のスターミーに向けて、私はとんだ恥知らずな行為を再び発揮したわけだ。
そして、全てを吐き出し終えた私を前にして、彼は緩慢な手つきで顎を撫でる。
その瞬間、中央に収まる宝玉が僅かに煌いて、冷静に欠く私を優しく包んだ。

「今までよく我慢してきたのう……お前さんは――『強い子』じゃ」

不意に、私の中から燃える篝火が消え、代わりに穏やかな風が荒んだ心を抱きしめた。
怒っていい、罵声を浴びせる権利もある。だが、スターミーはそれをしない。
全てを聞き、それらを敢えて水に流せる雄大な度量をもって彼は、私を励ましてくれた。
鼻先に痺れる痛みが走り、私は泣き出しそうになるのを懸命にこらえる。

本心を言ってしまえば、怖くて堪らなかったのだ。
「彼等」の主を死なせかけた罪の意識、私はまた「独り」になってしまうのだろうか?

――嫌だ! 私はもう独りになりたくない。
「主」も「仲間」も、失いたくないんだ……。

スターミーは、そんな私の内面に眠る「恐れ」を見抜いていたのだろう。
だから、敢えて頭ごなしには叱らず、むしろ褒める事で私の恐怖を吹き飛ばしてくれた。

『父親』――の憐れみとは、これほど大きな安堵による抱擁を差すのだろうか……。
私は……ようやく温かみある全ての愛情の「原点」を手に入れた。
それは――「家族」と言えるだろう。私は自信を持って「それ」を言える。

感動に沸く私を見上げながら、スターミーは少し困ったように首を傾けた。
表情の無い星型の全体でも、今の私なら彼の心理が分かる。きっと照れ隠しだ。

普段から超然した佇まいのくせに、唐突に己に話が及ぶと怯んでしまう。

視線が重なって数十秒、終わらぬ閑話休題に終止符を打つべく、彼は肩を竦めて身を翻した。
そのまま緩やかな足取りで主の背負い鞄まで歩くと、一度、振り返って私を見る。

「老体にこれ以上の夜更かしは辛いわい……あとは頼んだぞ?」
「『あと』……とは?」

自分でも腑抜けた返事だったと思う。スターミーは見事に仰向けに倒れてしまった。
端的に「自分は休むから、主の面倒を委託する」という誰でも分かりそうな構図の話。
もしかすると、私こそが熱射病に侵されているのかもしれない……。

そんなことを思い浮かべつつ、タオルを桶の水に浸して絞ると、主の額に収まるよう畳んで乗せた。
前方からスターミーの溜息が漏れ、静かに存在がモンスターボールの中に吸い込まれていく。
我ながら、今日という日は一体どうしたのだろうな……。

普段の調子が出ない。それが結果的に主の身を危険に晒した。
二度と、こんな過ちは犯すまい。

そう心に呼び掛けると、私は揺らめくランタンの灯りを落し、周囲の環境を静寂に変えた。
せめて私が夜の番を請け負い、その間に起こる一切の「脅威」から貴方を守る。
それが今の私にできる……最大限の「看護」だ。