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**267 ID:yeQjdIM0 「ミュウツー!」  少年の呼ぶ声に一度、ミュウツーは振り向き、しかし何も言わずに再び前方の敵を見据える。  だが、少年の声に対する彼女の反応はそれだけではない。その紫の尻尾が、小さく左右に揺れる。  ――心配ない。  まるで彼女がそう言っているかのように思え、少年は言葉を詰まらせる。  彼の足は、何故か微かに震えている。  そうあの時の――邂逅の瞬間と同じように。  一瞬の静寂。  そしてミュウツーが拳を握り、 「認めろ、女」  そう言った刹那、  それは始まる。  バトルフィールド――プール一杯に満ちる大量の水が、その形を維持したまま、 ゆっくりと中空に抜き出され始める。縦横高さそれぞれ50、25、10mに整形された水が、 その形を維持したまま、ゆっくりとプールから抜き出されていく。  カスミには眼前の光景がとても信じられない。現実のものだとは思えない。  それは明らかにあの白い人型のポケモン――ミュウツーと名乗ったそれが、引き起こした現象だ。 しかし何をどうすればそんなことが可能なのか理解できない。 いや、たしかにエスパータイプのポケモン(或はその技)ならば、少量の液体を固定したまま移動させることは可能だろう。 カスミのスターミーにしても、より成長しサイコキネシスを使えるようになれば、それぐらいのことは出来るはずだ。  だがしかし、今現在たしかに展開されている「それ」の技は、プールの水そのものを操っている。  それはもはや「段違い」などという形容のそぐわない、まさしく「桁の違う」、力。  ――狂気の沙汰だ。  カスミはもはや絶句するほかなく、その口元には、意図せず乾いた笑いが浮んでいる。 ---- **269 ID:yeQjdIM0  浮んでいく、大量の水。スターミーはその中にいる。  十の足は微動だにせず、中心に戴く赤いルビーは、屈折した白を映し出す。  絶句する主人の気配を察し、微かに残る野生の本能が発する警告を察し、しかしスータミーは、 明らかな抵抗を開始する。 「愚かな」  敵――スータミーが水中で回転を開始した瞬間、ミュウツーは呟いた。  と――まるでそれに呼応するかのように、浮んでいた大量の水は炸裂し、瞬時にその型を崩壊させる。 「うわぁ!」 「きゃあッ!」  降り注ぐ水流に少年とカスミは声をあげ、反射的にその身を守る。だが、水流が過ぎた後の結果は対照的なもの。 一方はまるで何事もなかったかのように、他方は全身を打たれ濡れそぼち――そして彼らはそれが意味するところを、 全く同じように理解する。  「あれ/ミュウツーはあの子/僕を守るだけの余裕がある」  その理解は、確実に正しい。  スターミーは、そうした事実も知らぬ気に、水鉄砲を乱射しながら高速で回転しつつ、 特攻をかける。    ミュウツーはそんなスターミーに、少しだけ悲しげな視線を注ぐ。 ---- **270 ID:yeQjdIM0  高速の回転が止まったのは、ミュウツーの身体までほんの数センチの位置に近付いた時だった。  牽制と目くらましのために放たれていた水鉄砲は、しかしミュウツーの身体を僅かに湿らせることすら出来ていなかった。  スターミーは、まるで「そんなことは初めからわかっていた」とばかりに、 一瞬の躊躇さえ見せずに突っ込んでいったのだが、その身体の回転はミュウツーまであとほんの数センチの位置で、 停止した――いや、停止させられた。  誰に? それはもちろん―― 「認めろ」  と、小さく呟く――白く輝く最強に。  そしてスターミーは、いまや水の抜けた空のプールへと、その底のコンクリートへと、 爆発的な速度で叩きつけられる。 「認めろ」  ミュウツーは、再度呟く。  ほとんど同時に、今しがた叩きつけられたスターミーが、今度はゆっくりとした速度で、 彼女の前へと浮かび上がらせられる。十の足は痙攣し、中心のルビーには大きな亀裂が入っている。 もはや一見して戦闘が可能な状態ではないとわかるスターミーはしかし、 「認めろ」  というミュウツーの声に反応したのか、そのルビーが一度、瞬いた。  するとほとんど同時に、十の足の一つが破裂する。    肉片と体液が軽やかに舞う中空で、彼女は小さく、呟いた。 「認めろ」    その圧倒的な光景はたしかに――    最強の証明、だった。    九つの足の一つが破裂する。 ---- **271 ID:yeQjdIM0  最弱でい続ける、そんな存在があっていいはずはない。  最弱を義務付けられる、そんな存在があっていいはずはない。  あの緑中で私が愛した彼は、そんな存在として生まれてきたはずがない。  八つ足の一つが破裂する。  あの洞窟の中で出会った彼も、そんな存在として生まれてきたはずがない。  あの時私の腕の中で頷いた彼が 最弱でい続ける存在であっていいはずはない。  七つの足の一つが、破裂する。  しかし現実はそう上手く行いかない。いくはずもない。  ――ならばどうする?    最強(私)が自ら――貴方に従おう。  六つ目の破裂音が、ジムの中に響く。  そうすれば貴方はもはや弱者ではない。  割れたルビーの中に、その白は歪に映っている。 ---- **272 ID:yeQjdIM0 「……もう……やめて……」  スターミーの足がヒトデマンと同じ数にまで減った頃、 「もう……やめてよ………」  ジムリーダー・カスミは泣き濡れるだけの、一介の少女になっていた。  耳目を塞ぎ震えながらその場にしゃがみ込んだカスミを見、テレポートしたミュウツーは、 次の瞬間には少女の前に立っている。  そして言う。 「認めろ」  カスミにもはや闘う意志など残っているはずもなく―― 「……負け、よ……私の……。だからもう……もう、やめて……やめてよ……」  ジムリーダー公認の――強者の証たる――ブルー・バッジを、 白い化け物に投げつける。力なく。  ミュウツーは、自身の身体に当たって床に転がるその証を拾い上げる。 サイコキネシスではなく、自身の身体を使って。  青く光るバッジをしばらく眺めて後――彼女は、少年の方を振り向き、 僅かに浮翌遊してその傍らに向かう。 「あ……」  息を呑む少年の眼前に辿り着いた彼女は、音もなく着地してそのまま膝を折り、 手に入れた証明を、ブルー・バッジを差し出した。  そこでようやく、足の半減したスターミーが力なく落下し――  ぐしゃり、と、潰れた。 ---- **273 ID:yeQjdIM0  潰れたスターミーに駆け寄るカスミをミュウツーの肩越しに目撃しながら、 少年は大きく喉を鳴らして、唾を飲もうとした。しかし口内はからからに乾き、 もはやわずか一滴の唾液すら分泌できないでいる――水を司るジムにいるのに?  ――勝った。と少年は思う。  自身の鼓動が、普段の数十倍は大きく聞こえている。まるで全力疾走をした後のように、 まるで大声で叫び続けた後のように、その胸の中で心臓は大きく――そして激しく脈打っている。  ――僕が、勝った。  そして同時に、少しだけ、「勝ってしまった」とも、思う。  自身は何もしていないにも関わらず、結果として手に入れただけの勝利に、 少年はわずかに、少年の持つ倫理観はわずかに、嫌悪を感じている。  ――が。  それよりも、その心臓の高鳴りは、いじめられっ子の少年が感じるその胸の高鳴りは、  ――自身が目にした、圧倒的な暴力への憧憬に起因するもの、だった。  圧倒的な暴力を発揮した、白いイキモノが、眼前で跪きながら、はっきりと言う。 「我が名は、ミュウツー。最強と同義の存在。  そして少年、貴方に従う一介のポケモン。  受け取れ、強者の証を――    我が主」  幾度となく躊躇いながらも、少年は――自らの意志で――それを手にする。 ---- **274 ID:yeQjdIM0  彼女は自身の最強を証明し、そして少年に従うことでもう一つ事象を証明した。  ――弱いままでい続ける、最弱でい続ける存在など、それを義務付けられた存在など、そんな生命など、  ――この世にあってはならない。  ミュウツーは少年に従う一介のポケモンとなった。  少年はミュウツーを従える主となった。    ジムリーダー・カスミを倒した最強のポケモンを使役する彼は――  いまや最弱と対極の位置にいる。   少年の手の中で、その証明は青く光っている。  ただしそれが――少年の見た夢を叶えることになるとは限らない。  ――たぶん、  ――強くなりたかった。それで皆に認められたかった。  夢を叶えたことになるとは、限らない。

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