剣と拳


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>
>
>刀堂一二三はその日、オリンピュア日本支部の中でも最下層――端的に言って地下十階にある監査部魔導調査室にやって来ていた。
>魔導調査室とは、簡単に言うと魔術を始動した際に生じるある種の世界の"歪み"を感知するための装置(S式次元歪曲観測装置というのが正式名称)が置かれている部屋で、常時何名かがその装置に張りついて日本で行われている魔術を全て監視している――事になっている。と言うのも、実際世界の"歪み"など小規模なものはほんのちょっとした要因からでも容易に起こりうるモノであり、正直そんなものまで一々データに取っていたら、いくら人手が有っても足りないし、そもそも魔術師達は各々好き勝手個人の都合で魔術を使いまくっている(一応、オリンピュアに報告義務は生じるのだが、実際それを守っている人は皆無)んだから、それを一々データにするのも何の意味があるのかと言うところであり、結局一定量以上大きな反応があったときと、監査官が奇妙に思った時のみ報告する。ということで落ち着いている。(実際、これに感知されない魔術や、感知されないように出来る魔術師も存在はしているのだが……)
>で、それで一定量以上の反応が有ったりするとまず呼ばれるのが異端調査官なのであった。
>「おー来たか。一二三」
>雑多類な機械が所狭しと敷き詰められ、モニターの明かりぐらいしか光がないという薄暗い――しかし、無駄に広大な部屋の入口に立っていたスキンヘッドに黒いサングラスをかけたいかにも怪しそうな小柄な男が階段から降りてきた一二三を認め、軽く手をあげる。
>彼の名は"見識蟲"忌部捨拾(INBE-Sutehiro)。当然オリンピュア日本支部所属であり、監査部直属情報解析官などという無駄に御大層な肩書きがつけられているが、やっていることは要するに延々ここで魔術の使用状況の監視である。
>「お久しぶりです。忌部さん」
>軽く一礼する一二三に目もくれず、忌部はコードやら何やらが埋め尽くす床を器用に渡って奥に向かう。
>「やれやれ」
>仕方無く一二三も彼について奥に向かう。
>「ほれ、これを見せようと思ってな」
>ふと立ち止まり、ある机上に置かれていた記録用紙を一二三に見せる。
>――それはある時間帯の"歪み"の程度を折れ線グラフとして記録した用紙。見ると一週間以上前の日付になっている。
>「これは――」
>見たところ、何処にも奇妙なところは見えないが――ん?
>「……何ですか?この一瞬だけ数値が跳ね上がっているのは?」
>時間に直すと精々十秒。グラフで見ると本当に少しだが、確かに桁外れにその一点だけ跳ね上がっていた。
>「ああ、そう。それなんだよ。なあ、奇妙な数値だよなぁ?」
>同意を求めるように忌部は口の端を吊り上げる。
>「ええ……一体どんな意味ですかね――こんな急激な反応なのに、こんな短時間とは――装置の誤作動じゃ有りませんよね?」
>実際こんな奇妙な状況は信じたくない――もし、これが本当だったら、それこそ白心司――特級魔術師ランクの人間が本気で力を使ったということになってしまう。
>しかし、ここ数日そんな魔術が使われたような事件も何も起こらなかった。実際、一二三はここ数日久しぶりにゆっくりとした仕事をしていたのだった(この時、"開眼"に関するデータは既に来ていたものの、それは全て朱楽が押さえており、それを一二三が知ることになったのはこの話が終了してから――既に氷野と片倉を"屍使い"の捕獲に向かわせた後だった)。
>「アホか。んなご都合主義有るわけないだろ。大体この前日に定期検査をしてんだよ」
>――そっちのほうがよっぽどご都合主義か――と、自分の言ったことに忌部は笑う。
>「分かりました、それは真実としておきましょう――しかし、これだけじゃ何も分かりませんよ?」
>このデータから分かるのはその時間、日本で強大な魔力が使用されたということだけ、誰が何処で何をしたのか――そんなことは一切分からない――だから、それを調べるのが一二三の仕事なのだが、流石にこれは大雑把過ぎる。
>「ヒントはある」
>ほれ、と。忌部は机に更に数枚のグラフを広げる。
>そのどれも、真夜中――所謂丑三つ時のもの。そのどれにも、同じような反応が現れていた。
>「"奇妙な反応"から毎日始まった現象だ――これが、ヒント1。続いて――」
>続いて、忌部が見せたのは何処かの掲示板に書かれていた話。
>「"夜、高級住宅街を駆け回るドレス姿の少女"?――何処の都市伝説ですか?」
>凄く嫌そうに一二三は言うが、忌部は説明を続ける。
>「ま、そう邪険にするな――どうやら、これ数日前から広まったらしくてな――なぁ、何処かで繋がっているとは思わないか?」
>はぁ――と、一二三は溜め息をはいた。
>「わかりましたよ。今は少しは時間が有りますから。そこまで言うなら、試しに数日調べてみましょう」
>結局渋々ながら、一二三はこの怪しい男――忌部捨拾の依頼に従うことにしたのだが、というのも一二三は忌部の人格は評価していないものの、それでも彼の能力――そしてなにより、袴田と同じぐらい"正解"をかぎ分ける彼の運を信用していたのである。
>「ああ、悪いな」
>ちっとも悪く思ってなさそうに忌部は言った。
>「で、貴方の見積もりでは何が起こったと思いますか?」
>ずっと気になっていることを聞く。本来なら上に書類を出してそこから監査部独自の調査を経て異端調査室に回すはずの依頼を敢えて直接、副室長である刀堂一二三に手渡したのには何らかの理由があるはずだ――冗談や気まぐれでは済まされない程の重大な理由が。
>しかし、そんな一二三の気負いを知ってか知らずか忌部は簡単に答えた。
>「まあ、データは足りないが多分、"来訪"だろ。レベル7か6ぐらいの」
>軽く言ってくれたものだ――本当に――
>
>
>そして、その数日後。
>
>刀堂一二三は銀に鈍く輝くジェラルミンのトランクを片手にとある高級住宅街を訪れていた。
>彼はこの数日間をかけて、"夜、高級住宅街を駆け回るドレス姿の少女"の話の出所をここと断定し、更にこの周辺で夜中に確かに"歪み"が観測されている事を忌部に確認させ、今日実際に訪れてみたのである。
>「さて、来たが……どうしたものかな」
>周辺を見比べても一際大きい屋敷を見上げて一人ごちる。
>今、一二三が見上げているのはは春日井という中規模の貿易会社の社長宅。
>一二三は二つの点からこの家に"ナニか"が有ると目星をつけていた。
>先ず第一にこの近辺の家で少女――かなり大雑把に見積もって10~20歳ぐらいの女性がいる家に該当した。春日井比奈花(KASUGAI-Hinaka)という今年中学二年生になる長女がいるということ。
>――こちらの該当者はかなり多かったのだが、もう一つの不振な点が、一二三の興味を惹いた。
>それはちょうど、反応が始まった翌日、両親二人が揃って骨折等の軽傷で病院で診察を受けていたのである。二人とも、まあ何か適当な言い訳をしたがそれが嘘とは調べればすぐ分かる話。
>問題は何故、そんな嘘をついたのか。ということ――
>「まあ、いいか。折角来たし、軽く調べてまた夜に来ようか」
>タン!
>手のトランクを地面に落とすと、トランクが少し口を開き中から針のように細い刀身を持った銀製の短剣が飛び出し、まるで糸でつながっているかのように自然に一二三の右手に収まった。
>一二三が手の中の短剣を人差し指に載せると――短剣は何かを探すかのようにくるくると指の上で回り――やがて、ある一点、屋敷の中を指し示した。
>「反応は有り――これが確認できただけでも来た価値はあるか」
>先程、一二三がしたのは簡易魔力探知。本来こういうダウジング的なモノは一二三の得意領域とは僅かにぶれているのだが、異端調査の中では結構役に立つので使えるようにしたのである。
>まあ、簡易なので分かるのは精々指し示された方向に魔力を発生させる存在がある。ぐらいだが。
>もし今回の件と関係無くとも、ここにナニかが有ると分かったのだから、手が空いたときに誰かに魔術管理法に反していないか調べさせるか――
>等と考えてながら、短剣の反応を見つつ屋敷の周辺を歩いていると――
>「お前。何をしている」
>黒いスーツにサングラスをかけたがっしりとした角刈りの男――所謂ガードマンを絵に描いたような容姿の男が一二三の眼前に立った。
>「……仕方無いか……」
>多分春日井家のガードマンなのだろうと、素早く辺りを見渡すと似たような男達が数名、一二三を取り囲むように近寄ってくる。
>一二三は咄嗟に仕事モードに入り、取り敢えず手の短剣をトランクの隙間に落とし込み、トランクを手放して両手を挙げる。
>「すみません。私はオリンピュア日本支部異端調査官の刀堂一二三といいます。証明書を出しても良いでしょうか?」
>男が軽く促すと、一二三は内ポケットからオリンピュア日本支部発行の身分証を取り出し、男に手渡す。
>男は暫く身分証を検分していたが、まあ一応納得したようで一二三に身分証を返す。
>「で?刀堂とか言ったか。お前は一体何をしていたんだ?」
>男の問いにある程度までは正直に答える。
>「実は、この辺りで魔術の使用が感知されまして。小規模なものでしたが、度重なったので一応調べてこいと上司に言われまして」
>尚、一二三がさっき男に見せた身分証は一二三が持っているなかで最も当たり障りの無い、簡略されたものであり、ただ異端調査官であるとしか書かれていない。
>だから、恐らく一二三の前に立つ彼は気付いていない。
>今、自分の前に立っているのはオリンピュア日本支部異端調査部副室長であり、世界の魔術師上位二割を占める"称号持ち"のⅡ級魔術師である"調律の剣医"刀堂一二三であるということに。
>――いや、自分の上司じゃあるまいし、そんな見境無く暴れる気は毛頭無いんだから、そんなものどうでもいいんだが。
>「そうかい――しかし……」
>「おや、刀堂くん。久しぶり」
>御しやすい相手だと思ったのだろう。恫喝する体勢に入った男の言葉は、突如聞こえてきた言葉に遮られた。
>「何!」
>驚いて、男が後ろを振り返ると――彼の背後にはいつの間にか銀縁の丸い眼鏡をかけ、目立たないスーツを纏った長身、細身の人の良い笑みを浮かべたサラリーマンのような三十代前半ぐらいの男が立っていた。
>「針生さん……何故ここに?」
>



時間を少し遡る
早朝の私立世杖学園中等部、理事長室。
「お久しぶりです。理事長。」
銀縁の丸い眼鏡をかけたスーツ姿の三十代初めぐらいの男――針生尚康(HARYU-Naoyasu)は部屋の奥の椅子に座っている男に軽く一礼する。
「やあ。針生くん。元気にしていたかな?」
若々しい声で男は言う。
「ええ。おかげさまで。新学期に入ってようやく落ち着いてきた所ですよ」
穏やかに針生は男に笑みを見せる。
「そう。それは良かった――ということは、今は少し余裕が有るね?」
男が笑いかけると、針生は首肯し目を輝かせる。
こういう話の流れになったとき、自分に何が依頼されるのか。もう、針生には分かりきっていた。
「何処に出張しましょうか?ヨーロッパ?アメリカ?中東?何処でも良いですよ」
やる気満々の針生の言葉に男は苦笑した。
「悪いね。そんなに遠くじゃなくて、国内だよ――中等部の生徒に春日井比奈花っていう子がいるよね?」
針生は少し考える。
「ええ、二年二組に――確か、一年の三学期ぐらいから大病を患ったとかで休んでいますね」
「そう、その子。ちょっとその子の家に行って欲しいんだ」
針生は即答した。
「はい。――今からですか?」
「ああすまないね。根津くんには私から言っておくから」
「では、失礼します」
自分がするべきことを教えられただけで、その意味を尋ねるなど一切しない――つまり、針生はそれだけ男を信じているのである――その男、世杖学園総理事長、仲居虚天(NAKAI-Kyoten)を――


で今、針生尚康は春日井家前で刀堂一二三と出会っていた。

「針生さん……何故ここに?」
針生は軽く笑う。
「いや、私の方が聞きたいくらいなんですが。――何でこんなところに居るんですか?」
と、聞いてみたもののその理由は別に聞かなくても良かった。
理事長が命じた所に日本でも有数の実力者たる刀堂一二三が現れた――それだけ分かれば、もう針生にはどうでも良い話だったから。
――さて、ここからどんな"物語"が始まるんですかね――
こっそり忍び笑いをして、針生は再び一二三に向き合う。
「失礼しました。貴方の事情はは私にはどうでも良いんですよ――では、貴方の質問に答えますとね……」
その時、完全に無視されていたガードマンが怒ったように声を上げた。
「お前ら!いい加減にしろ!」
「五月蝿いですよ」
笑みを張り付けたままの針生の腕がフッとぼやけ――
ガン!
ガードマンが何かに吹っ飛ばされたかのように、数メートル程先の壁に叩きつけられた。
一瞬にして、色めき立つ他のガードマン達――しかし、針生の姿は突然見えなくなり――
ガン!ゴン!ガン!ドン!
ガードマン達は次の瞬間、全員地面に沈んでいた。
「さて、これで落ち着いて話ができますね」
悠々と笑みを浮かべたまま、針生は再び一二三の前に現れていた。
「ははは……」
力無く虚ろに笑う一二三だったが、そんなことは気にも止めず針生は自分の目的を話す。
「何、簡単なことですよ。ここ――春日井家の長女、比奈花さんは世杖学園の生徒でして、病気に倒れたとかいう彼女のお見舞いです」
その言葉を聞いて、一二三の目が一瞬光る。
――これで当たりですね。さて、彼女が一体どうしたんでしょうか――
笑みを浮かべつつ、一二三を見て針生はある提案をしてやる。
「ああ、ここで会ったのも何かの"縁"です。貴方も一緒に会いに行きませんか?」
針生の唐突な提案に、しかし一二三は頷かない。受けたいのだろうが、それほど傍若無人にはなれないのだろう。
「……あなた方が"縁"というと、本当にそら恐ろしくなりますよ……」
一二三は針生から目をそらして、そうぼやく。
「まあまあ。そうも邪険にしないでください――貴方は医者でしょう?その見地を持って彼女の体調なんかを教えてくれると嬉しいから提案したんですがね――どうです?どうせ、貴方もこの家に何かしらの用が有るんでしょう?」
一二三は見かけ渋々と頷いた。
「分かりました――では、同伴させていただきます。よろしく御願いします」
「はい、こちらこそ」
一二三は渋面を崩さず、針生は人の良い笑みを浮かべたまま、二人は軽く握手をした。

「どうも。お電話致しました世杖学園の針生尚康です」
春日井家の門前のインターホンに向かって針生は丁寧に語る。
『どうぞ、お入り下さい』
インターホンからそんな女性の声がして、門が音もなく自然に開いた。
「では、行きますか」
「はい」
二人は立派な西洋風の庭を数分ばかりかけて通過して、玄関の前に立つと、そこには――秘書だろうか?高価なスーツを着た長身の女性が立っていた。
女性は二人を認めて軽く一礼する。
「針生尚康様ですね?本日はご足労頂きありがとう御座います――お連れの方は?」
恭しい女性の言葉に針生は人の良い笑みを浮かべて答える。
「これはこれは。わざわざお手数をかけます――ああ、こちらは保険医の刀堂くんです。いや、私が一応現担任ということで参らせていただきましたが、恥ずかしながら私は医療系はさっぱりですので、事情を知る上ではそちら方面の人も必要かと思いまして」
人の良い笑みを少しも崩さず、当たり前のように嘘をつく。
「そうですか――では、こちらにどうぞ」
特に疑問に思わなかったのか、はたまた無関心なのかは知らないが女性はそのまま二人を豪華な調度品の並ぶ応接室に案内した。
「今、主人を呼んで参りますので、暫くお待ちください」
女性は二人を案内し、奥に消えた。
刀堂は豪奢に飾り付けられたソファーに身を沈め、出された紅茶を口に運ぶ。
「軽く数百万ですか。結構趣味の良いものを持っていますね」
針生は壁一面にかけられていた風景画を見つつ、そんなことを言う。
「良いですよね。金が有るところは」
刀堂が本当に嫌そうにボソリと呟いた。
「いや、この家はそうでもないですよ。没落の始まりとでも言ってみましょうかね――まだ、家の家財をそう売るほどまではいっていないみたいですが……おや、これはいけませんね。逆にみすぼらしいですよ」
チェストの上に置かれていた置物の間隔が広がっているところを見つけて針生は笑う。どうせ、この間に入るべきものはもう既に売ってしまったのだろう。
「――学費でも滞納してるんですか?」
「まあ、それも有りますがね――この家は何の会社を経営しているか知っていますか?」
刀堂は即座に答える。
「確か、華村財閥の系列で貿易会社を経営しているはずですよ。父親は実力を認められて華村の人間と結婚したとか――全く、どこに問題が有るんですか?」
ややひがみっぽく一二三は言う。
「いやいや、世の中そう上手くもいかないんですよ。――ほら、インド洋で海竜が出たじゃないですか。あの時、貿易船――加工用の鉱石を運んでいたらしいですがね――が沈められたそうでして――まあ、保険は降りるといっても、加工業者には鉱石を卸さなければいけませんよね。責任問題ですから――ただ、タイミング良くその鉱石が値上がりしてしまったとかで、結局それで結構な穴を出して今は回復に奔走してるようですよ」
「どうせ、いざとなったら華村本家にすがりつくんじゃないですか?」
下らなそうに一二三は吐き捨てる。
――相変わらず金に関しては否定的ですよね――
心中苦笑しつつ、針生は話を続ける。
「いえ、あの御老体はそんな甘えた言い分聞きはしませんよ。向こうもそれが分かっているから、死ぬ気で頑張ってるんでしょうね」
針生は可笑しくて、クツクツと笑う。
と、そこで扉が開き先程の女性が黒いスーツを着た疲れたような目をした男性を伴って戻ってきた。
針生と一二三は同時に立ち上がり、軽く一礼する。
「春日井さん、わざわざ忙しい中時間を割いていただきありがとう御座います。お聞き及びとは思いますが、こちらが保険医の刀堂一二三で私は御嬢さんの現担任となります針生尚康と申します」
――さっきから針生は現担任と何度も言っているが、それは大嘘であるとだけ言っておこう。まあ、本人に言わせれば
――別に良いじゃないですか、私はあまり困らないんですし――
で、男――春日井法次は二人を認めるとゆっくりとソファーに向かい合うように座った。

で、延々と行われた実の無い会話を記しても良いんだが、"物語"を円滑に進めるために少し後に時間を進めよう。

結局、春日井法次はいきなりやってきた二人に対して好戦的――というか、邪魔者扱いでさっさと帰れと言わんばかりの態度だったが、最終的には針生に押しきられ、二人は春日井比奈花の部屋の前に立っていた。

――コン、コン
二人を案内していた女性が丁寧に扉をノックする。
「――はい」
扉の向こうからか細い少女の声が聞こえた。
「菊池です。朝お知らせした先生方をお連れしました」
女性――菊池がそう言うと、少し間を置いて、
「入ってください」
菊池は二人を見ると、
「失礼します」
ゆっくりとドアを押し開いた。
部屋の中は随所に高価な物が置かれていたが、しかしそれが逆にまるで博物館か何かのように生活感の感じられない雰囲気を出していた。
そして、中央に置かれたキングサイズのベッドの上には、艶のある黒い髪を背中ぐらいまで伸ばし、病気のせいだろうか白い肌というより青ざめてまるで地の通っていない人形のような肌の痩せた少女が上体を起こしおりて、その瞳――まるで黒曜石のように強く輝いている瞳が真っ直ぐに部屋に入ってきた三人を見据えていた。
「どうも、春日井さん。私が貴女の現担任になります、針生尚康です。で、こちらが今年から採用になりました保険医の刀堂一二三くんです」
「どうも」
一二三は軽く一礼をして、少女を見やる。
少女はまるでガラス細工のように見えた。あまりにも脆く、儚く――そして、それ故に美しく――って、何で外見の批評になってるんだ!
自分に軽く突っ込みをいれて、一二三は今度こそ春日井比奈花を"視る"。
「わざわざ来ていただきありがとう御座います。先生」
比奈花は針生、そして一二三に対してお辞儀をして体を起こそうと――
「あ、無理はしないでくださいね」
針生がとどめる。
「じゃあ、このまま話させていただきます――菊池」
キツい調子で比奈花が言うと、菊池はとっさに身を竦める。
「何をしているの。早くお茶を持ってきなさい」
「はい!」
十四の少女とは思えないほど威圧的に比奈花が命じると、菊池はそさくさと逃げるように部屋から出た。
「さて、あんまり時間をかけてもいけませんかね?」
針生が尋ねると、比奈花は愛らしい笑みを浮かべて首をふる。
「いえ、ゆっくりしていってください。折角来ていただいたんですから――あ、私の方はお気になさらずに、最近は調子が良いんです」
針生も人の良い笑みを浮かべる。
「そう、それは良いですね」

ガシャン!

突然、窓ガラスが割れ何かが真っ直ぐに比奈花目指して飛んできた!

二人は窓ガラスが割れると同時に動いた。
一二三はトランクを床に落とし、そこから飛び出してきた十字短剣を二本両手に構える――それで一瞬。
しかし、その時には飛んできた"ナニか"は既に針生の拳に打ち据えられ、床に叩きつけられている。
そして、一二三は尚も蠢こうとする"ナニか"の頭に十字短剣を突き込み、床に縫い止めた。
「これは何です?」
至って穏やかに針生は飛んできた"ナニか"――まるで、矢のような形をした白い生物を踏み潰した。
パリン!ガラスが割れるような音を立てて、ナニかは消滅した。
「――また来ましたよ!」
一二三が、窓の外に目をやると白い筋を引いて先程と同じモノが何体も飛んできていた。
「おやおや」
ゆっくりと針生が言うと、一二三の手から数本の十字短剣が放たれる。
同時に放たれたソレはまるで弾丸のように空を駆け、一つの撃ち漏らしも無く飛んできた生物を全て貫いた。
と、生物達は全て跡形もなく、まるでそうであるのが当然であるかのように消滅した。
この間、時間に表すと僅か五秒間の出来事、あまりの展開の速さに比奈花はベッドの上から目を丸くしている。
「さて、じゃあ折角ですから"遊び"に行きますかね。一二三くん、後は任せましたよ」
それだけ言って、針生は割れた窓から飛び出した。
「あ!ちょっと!……」
一二三の言葉も間に合わず、針生はまるで風のようにあちこちの塀や屋根を足場として、あっという間に駆け去り――数秒で春日井宅から五キロ以上離れたオフィスビルの空いた窓からその中に飛び込んだ。
「どうも、はじめまして。私、針生尚康と申します」
恐らく空き部屋だったのだろう、何もないそこにただ一人いた男に針生は人の良い笑みを浮かべる。
部屋の中にいた男はやや茶味がかった白髪に簡素な茶色いトレーナーにやや破けたジーンズをはいた、三十代ぐらいのどこか冷えた目をしており、その手には木造の簡素――しかし、上等な弓が握られており、何もつがえていない筈のソレを真っ直ぐに部屋に入ってきた針生の胸目掛けて引き絞っている。
――ビン!
男が無言で弓を放つと虚空から白い矢に似た生物が現れ、針生に襲い掛かる!
ガン!
針生はしかし、眉一つ動かさず生物をその右拳で明後日の方向に殴り飛ばした。
そして、そのまま男の懐に潜り込み――
と、男の両方の袖口から小さなボウガンが飛び出す。
男は弓を手放しボウガンを両手に構え、針生目掛けて射る。
ボウガンから小型の黒い玉が生まれ、針生の目を狙って飛んでいく。
咄嗟に針生が玉を殴り付けると、玉は爆発し周囲に黒い煙幕を撒き散らした!
しかし、針生は視界が黒で覆われても止まらず、そのまま男がいるだろう地点目掛けてラッシュを繰り出す。
「がはっ……」
そんな呻き声とともに針生は確かな手応えを感じたが、煙幕が晴れた時にはただ、男の持っていた弓だけが転がっていた。
「おやおや、逃がしてしまいましたか――肋骨の数本はいったと思うんですけどね――中々頑張るじゃないですか――」
まるで何でも無いように言って、針生は落ちていた弓を蹴り上げ
――ダダダダ――
目にも止まらぬ連撃で跡形もなく破壊した。
「さて、と」
針生は懐から携帯を取り出す。
「あ、もしもし。針生です。榊さんですか?」
『はい。何の用ですか?針生さん』
電話に出たのは榊樒(SAKAKI-Shikimi)。世杖学園理事長仲井虚天の秘書の一人である。
「すみません。理事長に少し聞きたいことが」
『先程のは玄穹劫(GENKYU-Go)。暮里忍軍チーム壬の人間です――今回の事情の説明が必要でしょうか?』
聞きたかったことを先に答えられてしまってはもう仕方無い。
「あ、いえ。結局、これは春日井さんがキーなんですね?」
『はい』
「なら、問題は有りません――あ、ひょっとしたら明日遅刻するかもしれないので、根津さんにはお願いします」
『わかりました』
「では――」
軽く言って、針生は携帯を切ると、面白そうに微笑んだ。
「さて、楽しくなりそうですね」


とある路地裏。
何とか逃げ出した玄穹劫はそこに座り込んでいた。
「くそっ……まさか、あそこに刀堂一二三と針生尚康がいるとはな……安請け合いだった」
折れた肋骨を抑えつつ、ブツブツと文句を言って――
――ビン!
咄嗟に殺気を感じた方角に右手のボウガンを射る。
ボウガンから現れた小さな矢のような生物が真っ直ぐに路地の先に立っていた男に飛んでいく。
――しかし、男は右手をかざして生物をそのまま掴み取り――無造作に握り潰した。
その間に玄穹は傷ついた体を起こし、男に対して身構える。
「まあ、そこそこってとこか?玄穹」
どこか大袈裟な口調で男が口を開き、一歩踏み出す。
男の服はまるでどこかのホストのように上等なスーツをだらしなく着崩しており、その顔はかなり整っているものの、どこか退廃的な印象を与えていた。
「……椋涙か」
玄穹は渋々とボウガンをおろし、袖口にしまう。
「そう、暮里忍軍チーム壬第一位、椋涙残供(MUKURUI-Zanku)さんだ。いやぁ、けっこうやられたようだな。御自慢の弓はどうした?針生にでも折られたか?」
椋涙は嘲るように笑いながら問いかけるが、玄穹はウンザリだと言わんばかりの渋面をつくる。
「一体どうしてこんなところに来た?これは俺が引き受けた仕事の筈だぞ」
「おいおい、折角困っているようだから助けに来てやったんだぞ。その言いぐさは酷いなあ」
まるで劇か何かのように大袈裟に両手を広げて見せる。
「……何のつもりだ?」
玄穹は怪訝そうに尋ねる。
「いやぁ、あのデブのオッサンからお前の仕事に邪魔が入ると教えて貰ってな。こりゃ"壬"の失点に繋がりかねないってことで可憐嬢から急遽ヘルプとして派遣された訳です!」
「……そういう事か、なら仕方無いな。確かに俺ではあの二人を突破することは難しい」
仕方無さそうに玄穹は言う。
「報酬はどうする?山分けか?」
しかし、椋涙は激しく首を横に振る。
「いやいや、そんな思い上がった真似はしないさ。今回の私の報酬は後から依頼人から"危険手当"として追加報酬を支払って貰うだけだ」
「……なら良いか。」
納得したように玄穹が言うと、椋涙はニヤリと笑った。
「よし、オッケーですね!それで、これからはどうします?」
「取り敢えず怪我の手当をさせてくれ。そうだな、夜に再び攻撃をかける。俺が直接標的を狙うから、お前にはサポートを任せたい」
「了解しました」
大袈裟に深々と礼をした


で、刀堂一二三は襲撃の直後やってきたガードマンたちに追い出され、今は近くのファミレスで帰ってきた針生と昼食をとっていた。
「では、あなたはこれからどうするんですか?」
分厚いステーキ(三枚目)を見た目礼儀正しく、しかしかなりのスピードで食べながら針生は尋ねる。
「というか、それはこちらが聞きたいことなんですがね。家庭訪問は終わったでしょう?なら、もう帰ったらどうです?」
一二三は魚のフライを口に運びつつ、不機嫌を隠さずに言った。
しかし、針生はあくまでも悠々とした態度を崩さない。
「まあ、まずは食事ですよね――あ、すみません。ステーキもう一枚お願いします」
――まだ食べるのか――心中の呟きは口には出さない。
大体、目の前の針生のように人外専門の戦士ってのは基本的に常人の軽く数倍は食う。まぁ、当然と言えば当然だろう、彼等の活動量はどんなスポーツ選手よりも多く、しかも何時でも食べれるわけではない以上食べれる時には食べれるだけ食べておく――空腹で遅れをとる事も充分に有り得るから。
しかし、一二三はそれほど食べる方ではなく常人から見てもむしろ少食の部類に入る。というのも、彼は食事なんかに必要以上の金を使うほど豊かではないのである――二十代という若さで異端調査部副室長という要職に就いており、普通のサラリーマンの何倍もの給料を貰っているのにも関わらずだ――その訳はまた何時か語ることも有るだろう。
「で、結局彼女の体って何が悪いんです?」
ステーキを待ちながら、針生が尋ねる。
「簡単に言えば心臓が何時止まってしまうかもしれない事です。普通に心不全と言えば分かりますか?後、それに付随した合併症が幾つか有ったようですが、現在は特に大きな症候は見られませんでした。大体、今の彼女の体調は極めて安定していまして、体力さえ快復すればもう完全に――とまでは言いませんが運動以外なら普通の生活が送れるでしょうね」
スラスラと一二三が説明する。
「――そうですか。じゃあ、心不全の根本的な解決方法って有りますか?」
「心臓移植。それが最も簡単な方法ですよ。……いや、四條南伊と言う医者がそういう種類の臓器不全を改善する研究をしているらしいですが。
結局、移植が現在でも一番手っ取り早い方法です。現在ならドナーの提供を待つまでもなく人工臓器は有りますから」
「流石、"学院"魔術医療学科卒業ですね。」
針生はそう言って、タイミング良く運ばれてきたステーキを凄い勢いで平らげる。
「さて、じゃあ。食事も頂きましたし、私はこれで失礼しますよ」
本当に食事の為だけだったらしく、針生は伝票を持って軽く立ち上がる。
「食事代ぐらいはこちらで持ちますから、ゆっくりしてください。いえ、どうせ経費で落としますからね」
そう言って、針生は立ち去った。
「――さて、なら本気で準備して、また夜に来ようか――」
食後に緑茶を啜りながら、一二三はそう呟いた。
一二三は先程視た彼女の身体を思い出す。
――間違いなく、"来訪者"による寄生だな。割合としては既に70%以上が、"来訪者"のソレと入れ換わっている――健康にもなる筈だ。しかし、"来訪者"の意識の浸食は視られなかったな。奥に隠れているのか?――さて、これからどうするか。
そこまで自問したが、その答えは既に出ていた。
「取り敢えず夜にまた行こうか。――"来訪者"と話が出来ればいいが」
そうして、一二三は立ち上がった。
「一応、支度は最大限しておこうか――正体不明の"来訪者"に暮里か。厄介だな」
厄介事を押し付けられたと、苦笑しつつ一二三は静かに歩き去った。

三日月が輝く真夜中、刀堂一二三は春日井宅の近くの街灯の下に立っていた。
彼の姿は昼間とは違いトランクを持っていない手ぶらで、脚近くまでの長さがある深紅のロングコートを深く纏った上に、彼の右目には緑色のレンズの嵌まった古風なモノクル(片眼鏡)がかけられている。
そして、彼はモノクルの方の目を春日井宅――あの少女の私室の方に向けていた。
「さて、今夜も動くか?」
思わず呟く。
「動くと思いますよ。」
「うわっ!」
いきなり真後ろから声をかけられ、不覚にも本気で驚いてしまった一二三であった。
「……だから、何故あなたがここにいるんですか」
振り返ると、そこには昼間別れた筈の針生尚康が当たり前のように一二三の一メートルばかり離れた位置に立っていた。
「ま、気にしないで下さいよ」
悠々と言って、黒い革手袋をつけた右手で眼鏡をかけ直した。
「いや……気にしないでと言われても……」
何処から突っ込めばいいのだろうかと、割と真剣に一二三が考えていると――

パリン!
硝子の割れる音が夜に響き渡った。

「始まりましたか」
微笑と共に針生が春日井家を見ると、窓ガラスから少女が飛び出し、屋敷の屋根づたいに駆ける。
――少し遅れて、人一人分くらいの大きさの白い矢のような生物がいくつも少女に目掛けて放たれるが、それらは全て少女に当たる前に少女から放たれた真っ黒い靄に包まれ、消滅した。

「――おや?」
それを見た針生は軽く首を傾げ、
「刀堂くん――って、もういませんね」
隣に居たはずの一二三はいつの間にか近くの家の屋根まで上がり、屋根づたいに少女を追っていた。
針生は軽く嘆息して考え込む。
「――さて、先にどちらを片付けましょうかね――貴方はどう思います?」
微笑みと共に振り返ると、まるで闇から現れたように道の端に一人の男が現れていた。
上等なスーツをだらしなく着崩した男は針生にたいしておどけた調子で一礼する。
「ここで私に足止めされるのが最適だと思いますが?」
そう言って、男――椋涙残供は静かに針生に向かって一歩踏み出――
――軽い風切り音一つ
あっという間に間合いを詰めた針生の右ストレートが、残供の左耳をかすめる。
「どうやら、腕は落ちてないようですね。残供くん」
世間話でもするかのように穏やかに言いながらも、針生の両拳は休む間もなく普通の人――いや、大抵の人間が見ることすら出来ないほどのスピードで残供に放たれるが――その全てはかわしている様にも見えない残供の肌一枚をかすめるだけだった。
「他の誰が無理でも私だけは貴方を"足止め"することができるんですよね――いや、幸運幸運」
口笛でも吹きそうな程軽いノリで残供は笑う。
「いや、これでは前の再現でしょう?さて、これからどうする気ですか?」
面白そうに針生は笑う。
「さて、どうしましょうか」
飄々と残供は笑った――

数分前、春日井比奈花の寝室に玄穹敖は現れた。
彼は音も立てずに重厚なドアを開け、室内に入り込む。
(――ターゲットはベットの上)
見ると、天蓋つきのキングサイズのベットの上には――
「今晩は。こんな夜分遅くに何の御用でしょうか?」
「……!」
音も気配もなく入ってきた筈の玄穹をネグリジェを纏い上半身をベットから起こした少女の黒曜石のように黒く気高く輝く瞳が真っ直ぐに捉えていた。
少女は上品な、それ故に冷酷さを感じさせる微笑みを玄穹に向ける。
しかし、玄穹が驚いたのはその間だけ。次の瞬間、何とか彼は自失状態から回復し、右手に提げていたボウガンを少女に向ける!

「――命が惜しいなら、お止めなさい――」

少女はそう言っただけで、ベットから上体を起こしたまま動いていない――しかし、玄穹の体はまるで刃物を首筋に突きつけられたかのように動けなかった。
(――この俺が、たかが子供に怯えるだと!)
突如吹き出した冷や汗で滑りそうになったボウガンを握り直し、引き金に指をかける
――しかし、後少し指に力をかける。それだけのことができない。その理由は本当に簡単なこと

――射った瞬間、玄穹劫は絶殺することが決定しているから

少女はそんな玄穹を見てぞっとするほど妖艶に笑い、軽くベットから降りた。
「……ううっ」
少女が動くと同時に玄穹は無意識に下がる。
「こんなモノが来るようでは、ここで暮らすことは出来なさそうね――さて、何処に行こうかしら」
少女は玄穹を冷ややかに一瞥をくれたのみで二度と見ることはなく、そのままゆっくりと窓際に向かった。
――しかし、玄穹は動けない。
「まあ、この力があれば何処でも何とかなるかしら――そう。もう、この家もいらないわ」
そう言って、少女は窓ガラスを突き破って外へ飛び出した!

パリン!
硝子の割れる音が夜に響き渡った。

――カシャン――
一人取り残された玄穹の手からボウガンが床に落ちる。
「……この俺が!」
ギリッと奥歯を噛み締める。つい先程まで恐怖で青ざめていた肌が物凄い勢いで紅くなる。
「この俺が、戦いもせずにガキごときを怖じ気づいて取り逃しただと!!」
玄穹の顔は怒りで真っ赤になる。
「……この俺を!バカにするな!!!」
玄穹の絶叫と同時に彼の周囲から一瞬にして白い矢のような生物が何体も現れ、割れた窓から少女目掛けて猛スピードで放たれた!
しかし、屋根づたいに走る少女はそれを軽々と打ち落とす。
「――お前も俺を無視するか!!」
玄穹の体は激昂と共に変ずる。
両腕はまるで羽根のように細く長く延び、体と頭は矢のように鋭く延びる。
数瞬後、そこにいたのは一体の鳥だった。
全身は禍々しい黒褐色でその胴はまるで矢のように細く鋭く延びており、その両翼はまるで弓のように細く湾曲している。
そう、まるで彼の姿自体が一揃えの弓矢であるかのように。
「俺を舐めるなぁ――!!!」
絶叫と共に玄穹の背から無数の白い矢のような生物が産み出され、これまでとは比べ物にならない程のスピードで少女目掛けて放たれる。
そして、玄穹は夜空へと弾丸の如く飛び出した!

キャアアアアア――!!!

「あ、やばい。玄穹がキレた」
夜に響き渡る甲高い悲鳴のような鳴き声を聞いて、椋涙は苦笑した。
「はあ、あの人は魔族だったんですか」
ラッシュを一瞬たりとも止めること無く、針生は首だけをひねって夜空を飛ぶ黒鳥を認めた。
「――これは、少し面倒ですかね……ま、潮時ですか」
そこで初めて針生は椋涙から距離をとる。
「おや?どうする気ですか?」
わざとらしく両手を広げて椋涙が問う。
「いえ、どうやら貴方とあんまり遊んでいる場合では無いようでして」
針生は笑みを潜めてスッと両手を高く、ボクシングのファイティングポーズのように構える。
「へえ、私を倒せるんですかね?これまで、一発も当てられてないのに?」
ニヤニヤと嘲るように笑いながら、椋涙は無防備に針生に歩み寄る。
「違いますよね」

針生がそう断言すると同時に椋涙は歩みを止めた。
「――何が違うと?」
椋涙はほんの少し強ばった笑みを浮かべる。
針生はそんな彼に対し、淡々と語る。
「いや、貴方は実は私の全ての攻撃が当たっているんでしょう?――あ、いえ、やはり"当たっている"と言うと語弊が有りますね――だって貴方、」

――ヒュン!
針生の言葉を断ち切るかのように椋涙の右袖からナイフが真っ直ぐに針生の額に目掛けて飛び出した!
――カン――
しかし、針生は慌てることなく手袋をした手で無造作に弾き飛ばす。
「確率に介入して"当たった自分"と"当たっていない自分"を入れ換えているんでしょうね――流石は"切断者"です。こんな運命に介入する力はそうは有りませんよ」
椋涙は口惜しそうに舌打ちを一度すると、乱暴に口を開いた。
「分かったらどうするというんだ?」
針生はゆっくりと答える。
「貴方の能力の問題点は二つですよね――まず、おそらく能力の効果範囲は精々自分の肉体の周り程度という狭さ」
「よくわかってんな」
変に気取った仕草を捨て、椋涙は忌々しげに吐き捨てる。

「そして――」

一刹那、椋涙は脳を揺さぶられる微かな振動を感じた

――え?――
気が付いた時、既に椋涙は地面に倒れていた。
(――俺は今、何をされた?)
いつの間にか椋涙の頭の横に立っていた針生は動けない椋涙の頭を、情け容赦無く蹴っ飛ばして意識を刈り取ってから言った。
「能力を発動させないために、意識できないほどのスピードで意識を落としてしまえば良いだけなんですよ。結局」
軽く言って、針生は踵を返す。
「ま、これは自動発動じゃない全ての能力に言えることなんですけどね」
最後にそう言って針生は悠々と立ち去った。
――後に残された椋涙は恐らく永遠に気付けないだろう。
自分がほんの一瞬で側頭部・顎・下腹に各々三発ずつ針生の拳を受けていたなどと……

「では、かなり"加速"もついてきましたし――往きますか」
そして、針生は宵闇に溶け込むかのように歩き去った。

キャアアアアア――!!!

突如、夜空に響き渡った甲高い悲鳴のような声にとある邸宅の屋根に上がっていた一二三は思わず身を固くする。
と、身を固くした一二三の遥か上空を幾つもの白い矢のような生物が何匹も通り過ぎ、続けて細長い矢のようなシルエットの黒い怪鳥が一匹頭上を通り過ぎて、少し離れた屋敷の屋根に立つ春日井比奈花目掛けて飛んでいく。
「暮里か?」
と、少女の身体から真っ黒な靄が立ち上り、少女の姿を覆い隠す。
「死ね!」
甲高い声を怪鳥が上げると、白い矢のような生物が一斉に少女に襲いかかった!
白い矢は靄に包まれ崩壊していくが、それでも勢いは止まらず、その内の一体が遂に少女の左肩を掠め白いネグリジェの下から宵闇の中でもなお白い肌が現れた。
「……邪魔ね」
少女が不愉快そうに吐き捨てると、少女の手から黒い槍が産み出された。
「喰らいなさい」
冷酷な宣言と共に少女の手の槍が消えた!
――キャアアア!――
闇に消えるようにして放たれたそれは、一瞬にして怪鳥のその細い胴を貫く。
そして怪鳥は緩やかに墜落していき――再び現れることは無かった。
――言いたくないが、滅茶苦茶強いな――
一二三は心中舌を巻く。この薄暗闇の中、一瞬にして空高くにいるヒトぐらいの大きさのモノに狙いを定め、それを回避不可能な速度で射ち出し命中させる。そんなこと普通ならばあんな細身の少女が出来るようなことではないし、一二三だってそう簡単に出来ることではない。
「さて、どうするべきか」
ボソリと呟きつつ一二三は屋根から屋根へとまるで池の飛び石を渡るかのように跳んで、少女の前に立った。
「――貴方は?」
少女は一二三に気付き、真っ直ぐに一二三をその穢れの無い本当に純粋な意思を感じさせる瞳で見据える。
「昼間もお会いしたのですが、覚えておられますか?」
思い出したのか、少女はまるで絵画のように美しい微笑みを見せる。
「ああ、確かに針生先生と一緒に来ておられましたね。……刀堂一二三さまでしたよね?」
「はい。確かに私は刀堂一二三です」
一二三は恭しく一礼する。それは端から見れば、まるで女王にかしづく家臣のようで――そして、それを少女は当然のように受け止めていた。
「で?一体何の御用かしら?こんな夜遅くに、こんな場所で」
微笑む少女を真っ向から見つめ返し一二三は意を決する。
「その前に一つ聞きたいのですが――」
少女は少し怪訝そうに一二三を見る。
「何ですか?」
刀堂一二三はある問いを発した。
「――貴女は誰ですか?」
一瞬ソレの顔は歪んだ笑みを浮かべたが、それは直ぐに少女の上品な笑みに変じた。
「何を言っているのですか?私の名前は春日井比奈花です。昼間も言ったじゃないですか」
一二三はソレの表情をモノクルで見て、そして冷静に口を開く。
「ええ、確かに貴女の精神は"春日井比奈花"なんでしょうね――それは否定する気は有りませんよ。それが解らないほど盲目でも有りませんしね」
――ただ――
一二三はこれを言わなければならない自分が本当に悲しかった。

「――貴女の身体は一体、誰なんですか?」

少女は――"ソレ"はこれ迄の少女の表情とは全く違う。まるで生きているとは思えないほど凍てついた何の感情も感じられない無表情を作った。

「――さすがに唯一の第零階層"万象の世界"か、本当に何が起こるか解らない」
ソレは少女の声とは打って変わった冷えた氷のような声で呟いた。
と、ソレの白い肌は幽かに紫光を帯びる。
「――失礼。私の正体を見破った君に尊敬の意を込めて質問に答えさせていただく」
ソレは堂々とした様子で語る。
「我が名は――メキュペルムス。-7階層所属"妖天の世界"の"王"だったものだ」

「――そうですか」
そっけ無い返事で一二三は自分の声に感情が現れるのを覆い隠そうとしていた。
――違ったらどれだけ良かったか――
心中そう思いつつも、一二三は感情を押し殺して自分の役目を果たそうとする。
「では、聞かせていただけますか?メキュペルムス」
不自然なほど平坦になった声に、メキュペルムスはさして気にした様子もなく応じる。
「何だ?」
「貴方の目的は何ですか?」
メキュペルムスは軽く答える。
「知れたことよ。我が力の完全復活と我が世界の再生――それ以外に何を望めというのだ?」
少女の表情としては不釣り合いな程、老獪な笑みが浮かぶ。
一二三は無表情にコートの裏――空間を歪めて裏地の代わりとでも言うかのように幾重にも張り巡らされた十字短剣の一本を何時でも引き出せるようにコートの上から密かに押さえる。
「――その為の"力"は何処から手に入れるつもりですか?」
メキュペルムスは当たり前のように答える。
「ふむ、この世界の力を奪い取るに決まっているだろう?幸い侵入は上手くいき、現在まで"王"の介入は受けていないからな。このまま、密かに力を集めさせていただくよ」
ソレは笑いながら続ける。
「――まあ、お前のような存在に気付かれるとは誤算だったが――折角だ、お前から喰らうことにしようか」
殺気も何も無く、メキュペルムスは一瞬にして一二三の眼前に現れる。

ヒュン!

目にも止まらぬ速さで一二三の頭めがけて繰り出されたメキュペルムスの腕は、しかし一二三の頭に当たるよりも早く一二三がコートから取り出した十字短剣に深々と突き刺さった。
「――何?」
メキュペルムスは突き刺さったことを知覚すると同時に一切の無駄を省いた動作で十字短剣を引き抜いて、その勢いのまま一二三から飛びすさり――そこで、自分の腕に傷一つついていないことに気付く。
「――その剣は何だ?」
首を傾げながら、メキュペルムス自身の体を一瞬で調べ尽くすが、何の異常も見られない。
一方、一二三は両手に十字短剣を持ち、油断無くメキュペルムスの出方を窺う。
――やはり、経絡に直接叩き込まないと意味は無いか。大体、流石に"神"だ。容量が軽く俺の五倍か?長引きそうだな――

あらゆる状況――例えば、目の前に立つ"敵"の姿である春日井比奈花の事やほったらかしにしたきりどこへ行ったかさだかでない針生尚康の事などを完全に意識の外に追い出し、一二三は静かに目の前に有る"戦い"に意識を集中させていく。
「――試してみるか」
そう呟いたメキュペルムスの手からまるで闇をそのまま切り抜いたかのような黒一色の槍が現れる。
――スッ――
と、メキュペルムスが残像を残すほどの高速で一二三の視界から消えた。
そして、メキュペルムスは敵の姿を見失い、虚を突かれた筈の一二三の背後に現れる。
メキュペルムスが心臓目掛けて槍を繰り出そうとした瞬間、一二三はそこにメキュペルムスが居るのが分かっているかのように迷い無く振り返り、左手の十字短剣で槍の穂先を切り飛ばす――と、槍は影も残さず消滅する。
そしてその勢いのまま、一二三は弾丸のように一直線にメキュペルムスの懐に潜り込んだ。
「――しまっ……」
、一二三の右手の十字短剣は惑うこと無く一直線にメキュペルムスの額に吸い込まれていく。
メキュペルムスは咄嗟に眼前に障壁を発生させるが、十字短剣はそれをまるで無いもののように無造作に突き抜け、メキュペルムスの額に深々と刺さり込んだ。
――パリン!
傷をつけること無くメキュペルムスの額に刺さり込んだ十字短剣の刀身は一瞬にして砕け散った。
しかし、一二三は留まること無く左手に残された十字短剣を今度はメキュペルムスの下腹部に突き刺す。
――パリン!
再び砕け散る刀身。
――やはりメキュペルムスの腹部には傷一つついていない。
一二三は次に柄のみとなった両手の十字短剣を投げ捨てると、軽いバックステップで距離を取りながらコートに両手を当てる。
と、一二三の両手にはコートから現れた十字短剣が4×2の計八本握られており、一二三はそれら全てを一息で目の前のメキュペルムス目掛けて放った。
全く異なった軌道を描いて飛び来る八本をメキュペルムスは魔術で破壊しようとし――
そこで初めてメキュペルムスは自身の異常に気付いた。
「――何をっ!」
狼狽を抑え込んで咄嗟に方針を変更し、飛び来る八本を両腕ではたき落とす。
――トスッ
八本のすぐ後方から飛んできていた九本目がメキュペルムスの右胸に刺さり込んだ。
――パリン!
三度傷一つつけること無く砕け散る刀身。しかし、一二三が何をしているか気付いたメキュペルムスにとって、その事実は呪うべき出来事だった。
「――貴様!」
憤慨と共にメキュペルムスが叫ぶ。
――これは、刀堂一二三にとって何時もの反応。
だから、彼には既にメキュペルムスが次に何を言うかは分かりきっていた。
「私の魔力を封印しているな!」
「――御名答」
そう、刀堂一二三の操る十字短剣は刺すことで対象の魔力を奪い取り――更に経絡に刀身を突き刺すことによって、一時的に対象の魔力を封印することができる。――魔力を用いる能力者には正しく天敵とも言える魔術!

――取り敢えず、このまま削っていって――
そこで、一二三は自分はどうするべきなのかを考えてしまった。
――俺は彼女を殺せるのか?

それは、本当に一瞬の思考の空白――しかし、その一瞬完全に一二三の注意が自分から離れたのをメキュペルムスは見逃さなかった。

――ズシャリ――

メキュペルムスの腕が魔術で硬度を増している筈のコートを軽々と突き破り、そのまま一二三の胸を貫いた。

――ああ、分からない。
一二三は貫かれた胸の灼けるような痛みすらも意識すること無く、ただ一つの事を考え続けていた。

――俺に"人"を殺す資格があるのか?――

そうして、ゆっくりと一二三の意識は闇に沈む――

「――ふん、手こずらせてくれたな」
気を失った一二三を前にメキュペルムスはそう吐き捨て、槍を造り出す。
「だが、これで終わりだ」
真っ直ぐに槍は一二三の頭に進み――
「――何?」
止まった。
あと少しで、一二三の頭を砕くというところからどうしても槍が進まない。
「――これは――」
――フッ。と口元を軽く歪めて、槍を再び振り上げ――

「何してるんですか?」
いきなり耳元に声をかけられて、メキュペルムスは咄嗟に後ろを向いた。
「――どうも、春日井さん。久し振りですね――と言っても午前中会ったばかりですが」
背後には当たり前のように針生尚康が立っていた。
「なっ――」
一切の気配を感じさせること無く現れた針生にメキュペルムスは驚きを隠せない。
「おっと。どうやら、貴方が春日井さんに憑いてる人ですか」
針生は、ほんの一瞬の僅かな反応の違いから容易く"春日井比奈花"の変化を見破る。
「それで、貴方はどう呼べばいいですかね?」
自然体のまま、針生は槍を構えたままのメキュペルムスに近寄っていく。
「――メキュペルムスだ!」
ヒュッ――槍が一直線に針生の頭部目掛け突き込まれるが、針生は軽く首を曲げるだけでそれを避ける。
「そうですか――では、初めまして、メキュペルムス様。私は針生尚康と申します。以後お見知りおきを――」
名刺でも出してきそうな程バカ丁寧な調子で針生は名乗りを上げる。
――ヒュッ――
メキュペルムスはその間に再び腹部目掛けて槍を放つが、針生は軽くバックステップでかわす。
「うーん。どうやらこれは、順番を間違えたって所ですかね。椋涙君の相手をしてあげたのが悪かったかな?」
針生はメキュペルムスが突き出す槍をことごとく必要最低限の動きでかわしながら顎に手なんか当てて考え込むポーズをしてみせる。
「――ですが、まあ椋涙君が出てきた時点で多少"運命"も変わったでしょうからね――まあ、仕方無いですね」
うんうん――と、メキュペルムスなどいないかのように一人納得する。
「舐めるな!」
途端、メキュペルムスの持つ槍の穂先が幾つにも分離する。
そして、その一つ一つがまるで命あるかのように四方から針生に襲いかかる。
――スッ――
槍が針生を串刺しにしようとした瞬間、間違いなく針生は"消えた"
「――ギリギリ急所はかわしていますね。今なら助かりますか」
針生は"目にも止まらぬ"速さで数メートルを詰め、倒れ伏す一二三の傍らに移動していた。
――よっこらしょっと――
メキュペルムスを見ることもなく、針生は一二三を背中に担ぐ。
そして、尚も向かってくる槍を無造作にかわしながらもクルリと踵を返し、メキュペルムスに背を向ける。
――そして二三歩進んだところで、一度だけ針生は振り返りメキュペルムスを見た。
「――すみませんが、明日――いえ、もう今日ですか――今日の授業の準備がありますから今はこれで失礼しますよ。放課後また来ますので――」

威圧も虚勢も何もなくそう言うと、まるで生徒に向けるような優しげな微笑みを一瞬だけ浮かべた。
――ヒュッ――
次の瞬間教師の姿は、完全に消えていた。

「…………」
メキュペルムスは暫く一人茫然と立ち尽くしていたが、やがて明けていく夜と共に消えた。

◇ ◇ ◇

刀堂一二三が目を覚ました時、最初に見たのは蛍光灯の眩いばかりの光だった。
「よう。起きたか」
事態を把握するよりも早く、そんな声がして視界の外から短く髪を刈り揃えた、四角い巨石のようにがっちりした――しかし、どこか子供のような表情をした男の顔が現れた。
「――朱楽さん――ここは?」
一二三が、彼を見てバッと身を起こすと彼――オリンピュア日本支部異端調査部室室長"四面夜叉"朱楽授樹は子どものように破顔した。
「おうおう。お前の驚いている顔を見るのも久しぶりだな――っと、体は大丈夫か?」
――そういえば、貫かれた筈の胸には傷痕どころか、包帯すら巻いてないということをベージュの患者服からはだけた胸元を見ることで気付いた。
――ということは、ここは病院か――
どうやら今自分が居るのは個室のようだった。
自分が眠っていたベットの周りには朱楽が座っているソファー一つと、中くらいのクローゼット一つがあるだけの殺風景な部屋で、窓からはブラインドごしに淡い夕日が射し込んでいる。
一二三は少しダルさの残る頭を押さえながら、落ち着くという意味も含めてここに至るまでを回想してみる。
――忌部に怪しげなデータの原因を調べて欲しいと頼まれて、そして春日井比奈花が"来訪者"に"感染"していることを確認して――で、夜に逃亡しようとした彼女を――
「くっ――」
そうか、彼女を止めようとして――
「あ、起きましたかぁ?刀堂さん」
一二三の思考を吹き飛ばすかのようにそんな欠伸混じりの気の抜けた声がして、個室のドアが開かれた。
中に入ってきたのはもう化粧としか思えないほど深い隈を目の下に湛え、トロンと眠そうに薄目を開いたツインテールの女性。
「――佐和さん。ということは、ここは朱陽院ですか――」
入ってきた女性の名は朱楽佐和。今、一二三の目の前にいる朱楽授樹のまごう事なき妹であり、世界でも数少ない他者を"回復"させる魔術師である。
で、そんな彼女が務めているのは日本有数の魔術専門病院である"朱陽院"であった。
「はい~そうですよぅ」
佐和は眠たげに目を擦りながらよろよろと一二三に歩み寄る。
そして、軽く一二三に一瞥をくれると満足そうに微笑む。
「――流石は刀堂さんですねぇ。私の治療の成果とは言え、一両日もせずに回復ですか~」
フワフワとした調子でそう言いながら、彼女はバタリとベットに倒れ込んだ。
――スースー
心配するよりも早く、そんな穏やかなわざとらしいとも言える寝息が彼女の口から漏れる。
「――有り難う御座います。佐和さん」
完全に熟睡している佐和に御礼を言って、一二三はベットから降りる。
「やれやれ。相変わらずこいつも効率が悪いよな。一人回復する度にこんな昏睡するんだからな」
授樹は呆れたように、しかしどこか優しい調子で言いつつも妹をベットに寝かしつける。
「――さて、一二三?」
授樹は静かに、しかし確たる意思を持って一二三を見つめる。
一二三は怯むこと無く授樹の目を真っ向から見返す。
そのまま、数瞬とも数分とも知れぬ沈黙の後、授樹が遂に口を開いた。

「――俺のマグカップを割りやがったのは誰だ?」

――ガクッ!――
完全に予期しなかった上にまるでこの場と関係無い台詞に脱力感を覚えた――いや、実際危うく倒れかけた。
そう言えば、昨日の昼に宗方さんが何かを割って慌てていたが――
「……宗方さんだと思いますよ……」
ガックリしつつも一二三はそれだけ答える。
授樹はそれを聞くと口を釣り上げ、凄惨な笑みを浮かべた。
「クククッ、そうか――俺のものを壊した罪はきちんと支払ってもらうからなぁ――」
危なげな口調でそう言いつつ、授樹は病室から立ち去ろうとする。
「おお、そうそう」授樹はドアの前で立ち止まり、一二三を見た。「お前の荷物と着替えはクローゼットの中に入ってるから。一応、トランクも持ってきてやったぞ。後、ここの部屋代はもう部室に回してるから何時でも出ていって構わない――あーそうだ」
そこで、授樹は悪戯を思い付いた子供のようにニカリと笑った。
「退院したら室井に連絡しろ。こっちは上司命令な」
――じゃな。
言いたいことを言いたいだけ言って、授樹はさっさと病室から出ていった。

暫く一二三は特に何を考えるでもなく、思考停止に陥っていたが、やがてノロノロとクローゼットを開く。
そこには、一二三が夜着ていたものがコートを含めてきれいに掛けられており――いや、
「――!」
掛けられていたのは赤と黒の二つのロングコート――ソレは間違いなく刀堂一二三の罪その物だった。
「――そう言えば――結局、朱楽さんに預けたんでしたね」
自分でも嫌になるほどひきつった笑みを浮かべながら、取り敢えずその他の服を取り出す。
「――おっと」
シャッ――
例え空襲が始まっても起きそうも無いほど熟睡している佐和だったが、一応気分の問題でベッドの周りのカーテンを閉める。
服を手早く着込み、クローゼットの下に収まっていたトランクを取り出す。
トン!と軽く地面に落ちると同時にトランクはガバッと口を開ける。
その中はまるで肉食動物の口の中のように無数に様々な形状の十字短剣が隙間無くキチンと取り出しやすいように収められていた。
それを確認し、序でに数本取り出して軽く振ってみる。
「――流石、佐和さんだな。昨日、死にかけたとは思えない」
自分の体が普通の状態まで回復していることを確認して軽く笑う。
――っと、忘れてた。
というか、授樹があんまり関係無いことを言うからだが――昨夜、自分が気を失ってから一体何が有ったのだろうか?
――朧気ながら針生さんに助けられた記憶は有るけどな――
一度、気を失ってから傷口が開いた痛みでほんの少しだけ覚醒したとき針生の背中にいたのは覚えている――その直後更に傷口が開いて痛みの余りまた失神したんだが――
「……よく生きてるな、俺……」
多分失血死寸前だったんじゃないだろうか。
背筋が少し冷えた。
「まあ、それは良いか」
――それよりも、あの少女は一体どうなったのだろうか?

「――そう言えば――室井さんに電話をかけろとか言ってたな」
授樹の去り際の言葉を思い出し、クローゼットの奥に入っていた携帯を取り出す。
「一体どういうつもりなんだか」
今まで授樹の"上司命令"を聞いて、ろくな目にあったことが無いと思い出しつつも渋々電話をかける。

「復活したか。一二三」
電話の向こう側から初老の男の声が聞こえてくる。
彼の名は室井蓮彦。オリンピュア日本支部異端調査部室所属の"観察者"である。
「――はい……って何処まで事情を知っているんですか?」
授樹がろくなことを言わなかったものだから、本気で現在の情況が分からない。
――が、それを差し引いても室井の答えは驚くべき物だった。
「俺に関して言えば、全て――と言っても問題ないな」
「全てとは?」
不審げに尋ねた一二三に対して答えは極めて明瞭。
「お前が忌部捨拾から依頼を受けて、独自に"来訪者"を調べて昨日未明にその来訪者と激突し負傷し、針生尚康によって朱陽院に運ばれた――という全てだが、何か文句あるか?――ああ、流石に他の奴には朱楽が誤魔化している――分かったな?」
確かに、それはこの件で発生したこと全てだった。
「――何故、知ってるんですか?」
やや狼狽した一二三だが、電話の向こう側は淡々と説明する。
「実は、昨日の朝その忌部から朱楽に連絡があってな――お前が調べている件はどうなったのかとな。それで、面白いと思った朱楽が俺をお前の監視として派遣していたということだ。だから、俺は昨日の事を全て見ているし――現在も"メキュペルムス"を監視している」
「なっ!」
どこから突っ込んで良いか分からなかったが、取り敢えず一二三は絶句せざるを得ない。
「それで、お前はこれからどうするんだ?」

刀堂一二三は考える――

「――それで、お前はこれからどうするんだ?」
そう言う室井蓮彦の口元には皮肉げな笑みが浮かんでいた。
――やれやれ、昔からの悪い癖だな。――困っている奴を見ると背中を押してやりたくなる。
全く、どうせ決まっているだろうが――お前がすべきことなんてな。
口元だけの笑みを深くしつつ、室井は返事の返ってこない携帯に呼び掛ける。
「まあ、どちらでも俺は構わないが――言ってやろう。俺が、アレを危険と判断するのは明日だ。分かったか?」
微かに絶句する気配が感じられる。
――おいおい、急げよ?失う前にな――
「ま、そういうことだ。何か用が有ったらまたかけろ」
――プチッ――
結局、一二三に時間を与えることにして室井は通話を切った。
「――さて、では"監視"に戻るか」
そして、そのまま室井は携帯を内ポケットに入れて通話中も当然のように残る左手でもって覗いていた単眼鏡に意識を集中させる。
その単眼鏡は、どちらかといえばビデオカメラのような大きな形状をしており、そして実際単眼鏡から見える景色は全てコードで繋がれて室井の足下に置かれているノートパソコンに記録されていた。
その単眼鏡から見えるのは今、室井の潜んでいるビルの屋上から数キロ離れた先。
そこには、夕暮れ時の河川敷で戦っている二人の姿があった。
一人はやや汚れた白いネグリジェを纏い、紫の槍を構えた少女――メキュペルムス。
そして、相対するのは緑色の病院服に黒と白の包帯で完全に素肌を隠した病人のように痩せ細ったシルエットの男(?)だった。
男の名は――瀬野戯介(SENO-GISUKE)、世界で一番忌避すべき組織にして、室井自身も所属している"オリンピュア"の敵対勢力"ウィッカ"の構成員の一人である"ウィッチ"である。
「――こんなところで"ツチノコ"を見れるとはな――どうやら、日本ウィッカが混乱していると言うのは本当らしい」
室井は少し前に掴んだ情報――日本ウィッカが何者かによって全滅したという情報を思い出した。
――まあ、あの死すらも放棄した狂者どもがそう簡単に全滅すると思っていたわけではないから、実際にウィッチを見ても然程驚きはない。
そんな事を考えている間も二人の戦いは続く。
メキュペルムスは手にした槍で瀬野に襲いかかるが、瀬野の体は包帯のみを残して既に其処には無い――いや、それはあくまでもメキュペルムスの視点からの話。
遠くから見ている室井には確かに見えていた。
――瀬野戯介の包帯には中身は無い――
その間に、メキュペルムスの背後で再構成された瀬野の右手から伸びる黒い包帯が襲い掛かる。
それを、メキュペルムスは体から紫色の波動を出して破壊する。
「――"神"と名乗っているが……恐らく、アバター(分身体)の一つだろうな。どちらかといえば、物理的な面に能力が偏った……」
そうでも無ければ、刀堂が不意を突いたとはいえ一時的に圧倒出来た訳がないし、現在刀堂によって魔力をある程度失ったとはいえ、瀬野戯介――ウィッカの中でも特に上級とも言えない彼に押されているわけがない。
――"神"とは本来そういうモノらしい。ありとあらゆる策略や謀略を巡らしたとしても、才能がなければ戦いにすらならない存在からして既に世界の住人とは異なった存在だと。

「……しかし、これでは勝負にはならないな」
メキュペルムスの攻撃は全て瀬野が身体をバラすことで無為化されているが、瀬野の攻撃は恐らく"加護"の一種であろう紫靄を突破できるほどの力は無い。
「瀬野もそれは解っている筈だ……さて、どうする気だ?」
何か面白いことが起こるのを期待して舞台を見つめる室井は未だ気付いていない――自分の単眼鏡の外から真っ直ぐに二人を目指して歩いてきている男がいることに。
次の瞬間――戦いを続ける両者の間に一人の男が現れた。
「――なっ――」
寸前まで何の予兆も感じさせず、真に一瞬で男が現れたのを見て思わず室井は絶句した。
両者の間に現れた男は傍観している室井の目にすら写らないほどのスピードで拳をふるい、メキュペルムスの槍を明後日の方向に弾き飛ばし、瀬野を――
「……そんなバカな……」
ラッシュの拳撃で形無い筈の瀬野を空高く吹っ飛ばした。
そんな暴挙を為し遂げたのは銀縁の眼鏡をかけ、勤め人らしいスーツ姿の三十代ぐらいの男――その姿とその常識外の実力の持ち主はこの広い世界にはたった一人しかいない。
「針生尚康か!」
そう室井が叫んだ瞬間、針生は確かにこちらを見て会釈した。
「……撤退する」
自分の位置がバレたことを悟り、室井は素早く機具を片付ける。
これこそが、室井蓮彦のルール。例え味方にでも監視が見破られたら即座に撤退する。
――そんな極端なルールこそが大した実力もない自分が今まで生きていられる理由なのだと、室井はよく知っているのだからその動きには何の迷いもなかった。
「刀堂の選択も見たかったがな――まあ、あいつには頑張ってもらいたいものだな」
それだけ言い残して室井蓮彦は観客席から立ち去った。

◇ ◇ ◇

「さて、お久し振りです。メキュペルムスさん」
針生は全くの自然体で一礼して、メキュペルムスを見る。
「――貴様の目的は一体何だ?」
メキュペルムスは新たに創り出した槍を油断無く構え、針生を睨み付ける。
針生はそんな問いに対して軽く答える。
「いえ、私はただ"教師"として"生徒"と話をしに来ただけですよ」
相手が殺気と共に得物を構えているにも関わらず、彼はいたって悠然とした態度を崩さない。
メキュペルムスは槍の切っ先を無防備な針生の首に向けながら安心できない調子で口を開く。
「一体何を話しに来た?」
「"貴女"は何時から登校する気なのかと言うことですね――類ヶ崎さんも心配しておられましたよ」
"類ヶ崎"(RUIGASAKI)という名を聴いて、僅かに"彼女"の身体が震えた。
――未だ彼女の精神は残っているんでしょうけどね――さて、どうしましょうか――
と考えても、針生尚康がする事――そして、出来る事などただ一つしかない。
「はっ!誰が、そんなたわ言に付き合うか!」
「ですよねぇ」
その時、針生はメキュペルムスの目の前まで入り込んでいた。
「――なっ!」
「安心してください。意識落とすだけですから」
――戦いが始まった――

◇ ◇ ◇

オリンピュア日本支部は日本の首都である街のオフィスビル街の中心部に存在する高層ビルである。
知らない人間が見れば魔術界を一手に統べる組織の日本支部であるとは思えないような普通の外観を持つビルではあるが、実際このビルは日本中の魔術師の力と豊富に貯えられた過去の偉人達の成果を余すこと無く利用した結界や加護によって何重にも護られており、世界探してもこれ程強固な建築物は数少ないと言われるほどの"城塞"である。
で、その"城塞"の1フロアにオリンピュア日本支部最強の戦力を集めた部室、異端調査部室が存在する。
「――ああ、分かった。ま、別に良いぜ。ありがとよ――」
室長と書かれた三角柱が置かれ、今にも崩れ落ちそうな程乱雑に書類が積み重なっている机にだらしなく足を載せて、誰かと電話で話している男が一人。
男は、鍛え上げられた赤銅色のまるで鎧のような筋肉で全身を包み何処か岩を連想するような彫りの深い顔立ちに紅蓮のような赤をその黒眼の奥から窺わせる――まるで赤鬼のような巨漢。
彼こそがオリンピュア日本支部異端調査部室室長"四面夜叉"朱楽授樹。日本魔術血統第二十二席"肉(ししむら)"の朱楽家の現当主にして世界の魔術師の上位一割弱を占める事実上最高位足るⅠ級魔術師である。
で、授樹は室井から撤退したとの連絡を受けた。
「――さて、アイツはどうするんだろうなぁ?」
彼は受話器を書類の山の中に投げ込み、とても厭らしい笑みを浮かべる。
「――また、何か悪巧みをなさっているようですね」
授樹の机の前に立った、両手に書類の束を抱えたやや白髪混じりの初老の男性が授樹の呟きを聞いて呆れた顔をする。
このやや皺混じりの何処か犬のような顔をした男性の名は宍戸貴家(SHISHIDO-Sasuga)。異端調査部室の現在最年長部員であり、年の功とでも言うか比較的マトモなヒトである。
「ああ、まあな~……そういや、お前は知ってるのか?」
「何の話ですか?――こちらは今日中に承認が必要なものです――こちらが、玄嶋くんのアインゼナッシュ研究所の調査報告書に室井さんの春日井貿易会社の調査報告書です、数日以内にこれ等の最終決定をお願いします。後――こちらが例の件の関係書類です」
宍戸は授樹の言葉を聞くこと無く、テキパキと書類の山の上に自身の持ってきた書類を並べる。
「おー分かった。後で見とくからよ」
そう言って、授樹はシッシッと宍戸を追い払う仕草をするが、彼は微動だにせず静かな笑みを浮かべて言った。
「私の見ている前で仕事をやっていただけないでしょうか?」
物静かな、しかし有無を言わせぬ宍戸の迫力に授樹は軽く舌打ちする。
「分かったよ。但し、無駄話には付き合え」
「ま、良いでしょう。で、一体何の話をしようとしたんですか?」
渋々ながらも凄いスピードで書類を片付け始めた授樹を見て、宍戸はホッと息を吐く。
そして、書類から眼を離すこと無く授樹は言った。
「いや、一二三が何であんな風になったのかの理由」
一瞬、宍戸は凍りついた。
「本当はお前も詳しい話は知らないだろ?アイツが何で自分の命を賭けて他者を助けるのかを――な」
悠々と喋り続ける授樹を恐ろしいモノでも見るような目で宍戸は見る。
だって、そうだろう?――他者の最も触れられたくないであろう部分をただの暇潰しとして無造作に語ろうとする彼は一体何を考えているんだ?――その当人の事を考えれば、そんなもの無闇に他者に語たれるようなものである筈がないだろうが――
「宍戸さーん!外線が入ってますよ~」
「分かりました!直ぐ出ます!……では、失礼します」
軽く一礼して逃亡した宍戸を見て、授樹は舌打ちした。
「ちっ……マトモで面白くねぇなぁ……」
書類を放り投げて退屈そうに呟き、くるくると椅子で回る。
「あ、そういや」
ふと思い出して、宍戸が"例の件"と言ってまとめた書類一式を手に取る。
それを面白そうな笑みと共に読みふける授樹の頭の中には既に一二三が巻き込まれた問題など欠片も残っていなかった。
「さて、面白くなりそうだよな……」
呟く朱楽授樹は一二三を一切気にしていない。
刀堂一二三はあの程度で負けることなど有り得ないと確信しているから――


――"調律の剣医"刀堂一二三を産み出すに至った理由は遡ること十四年前――俗に"エポック"と呼ばれる世界全土を舞台とした"戦争"にまで遡る。
当時、一二三は十二歳。既に才能を認められ、本格的な魔術の英才教育を受けていたとはいえ、未だ実戦に出るレベルには程遠く、数多くの刀堂の魔術師達によって守られる側だった。
そして、エポック後半。日本は主戦場となり、刀堂家にも悪魔達が襲撃してきた。

――ここに、隠れていてください。……あ、心配は要りません。直ぐ終わらせますからね――
そう言って、当時一二三の世話役であった青年――諏訪瀧弘(SUWA-Takihiro)は微笑んで、戦場へと姿を消した。
ひっきりなしに聞こえる、剣が何かとぶつかったような金属音に人々の怒号――そして、断末魔の声に一二三は一人隠し部屋の奥で身を震わせていた。
それが、刀堂側の勝利によって終結したのは二、三時間程後、しかしただ待つのみであった一二三にとってその時間は永遠のように感じられた。
――先ず理由の一つはこの直後に発生する。
ガラッ
隠し扉を開けて、身体中を血や何ともつかない液体で汚した瀧弘が入ってくると、一二三は笑みを浮かべて瀧弘に走り寄った。
――終わりましたよ――
実際疲労困憊であったろうに、そんな様子を露とも見せずに彼は一二三に笑いかける。
そして、瀧弘と共に室外に出た瞬間――
――ドン――
勢い良く室内に突き飛ばされた一二三
直後、一二三に降りかかるアカい液体
そして、長剣が胸の中心に深々と刺さり込んだ諏訪瀧弘の姿があった――
――ふん、邪魔をするか――
そう言って、現れたのは刀堂一二三の父親――刀堂海里だった。
――当主、何をやってるんですか?自分の子供でしょう?――
胸を刺されても尚、瀧弘は毅然と海里に立ち塞がる。一二三を守るために――
――……お前がそれを言うのか?――
不愉快そうに海里は吐き捨て、腰に差したもう一振りの長剣を引き抜く。
当時の一二三は知らなかった話だが、刀堂海里は嫡子が女子一人しかいなかった刀堂家を存続させるためだけに外部から迎え入れられた入り婿にすぎず、当主と言っても名ばかり。実際はその妻、刀堂那智が刀堂家を全て統括していた。
そして、そんな夫婦の仲は結婚当初から破綻――いや、存在すらしておらず――それ故に、海里は出生当初から一二三は自分の子どもではないのではないかと疑っていた。
そして、彼は長ずるにつれ自分以上の才能を見せる一二三を"息子"ではなく、自分の地位を脅かす"敵"と思うようになったのではないだろうか。――と、一二三は後に考えた。
そして、最良の機会が彼の目の前に転がり込んできたとき、それを座して見逃すほど彼は無能ではなかったということか――
そして、海里の剣が閃き、ただ立つのみで精一杯の瀧弘の体を両断した。
――さて、では死ね――
血にまみれながら、海里は倒れた瀧弘の身体を乗り越え、一二三にその凶剣を向ける――
一二三はもう起き上がる事の出来ない瀧弘を茫然と見ており、その瞳は海里を見ていなかった。
――だから、海里は殺してしまえば良かったのだ。そのまま、余計なことをする事無く。
自分を見ようとしない一二三に海里は苛立ったように声を荒らげ、言った。
――此方を見ろ!刀堂一二三!――
一二三はゆっくりと、虚ろな目を上げ――海里を認めた。
――自分の大切なモノを奪った敵だと――

数分後、屋敷中に轟いた轟音に慌てて集まって来た人々が見たものは四つ。
欠片も残さず砕け散った海里の双剣と瀧弘の刀。
両断された諏訪瀧弘の遺体。
畳を身体中から溢れ出る鮮血で紅く染める刀堂海里。
そして、茫然とした瞳のまま傷一つ無く海里を見る血で染められた真っ赤な装束を纏った刀堂一二三だった。
――バ……化物が……――
海里の体は自身の血と共に畳に沈んだ。

その後、刀堂海里は一命を取り止めるも昏睡状態が続き、八年後に二度と目覚めること無く死亡する。
そして――これが一番大事なことだが――
刀堂一二三はこの日の事を完全に忘却していた。
それと同時に、刀堂家はこの事を完全に隠蔽する事を決定し、公式には刀堂海里は悪魔と戦い戦死したということとなり、刀堂一二三を忘れたままにさせておくことにした。

――そのまま、忘れていれば刀堂一二三は幸せだったかもしれない。
しかし、彼はそれから六年後にその事を思い出すことになる。

その時、刀堂一二三は既に"学院"卒業確定の身分であり、過去を思い出すことも忘れていることすら気付くこと無く日々を過ごしていた。
一二三は当時、卓越した戦争のセンスと圧倒的な魔術の才能を誇り、数人の仲間達とともに"武者修行"と称してマフィア等に喧嘩を売っていた。
だから、その事で死ぬ一歩手前迄追い込まれたとあるマフィアが復讐に一二三達を襲うのは当然の事で、それを予想できないまま半端に脚を突っ込んだ一二三達が全体的に悪かったのは言うまでもない。
――結局、一二三はその時の事をあまり覚えていない。
一体、何十人もの集団が高々八人しかいなかった一二三達の根城であったアパートに攻め込んできたのか。
一体、自分は何人を殺したのか。
一体何時間戦っていたのか。
他の仲間達はどう戦い、何処で死んだのか。
――ただ、最終的なカタチだけは忘れようとも忘れられない。
――イニミ!危ない!――
漸く、敵を全滅させたと思ったとき。
そう叫んで飛び込んできた最後の仲間が、死体に隠れていた敵の刃をその身に受けて崩れ落ちた。
瞬間、一二三は魔術を発動させ最後の敵を切り刻んだ。
――バ……化物が……――
そう言って、崩れ落ちた敵の姿を見届ける事無く、一二三は崩れ落ちた仲間の元へ駆け寄る。
――大丈夫か!――
そうは言っても、一二三も彼も分かっていた。刃は深々と内蔵を貫いており、今すぐ本格的な治療を受けなければ助からないだろうと。
そして、それは無理な話。一二三には他者を治療する技など無く、一瞬にして仲間を病院に移動させることも出来はしない。
だから、彼は微笑んだ。
狼狽える一二三を安心させるように――
――ああ、良かったよ。お前が無事で――
そうして、彼は息絶え――刀堂一二三は思い出した。
――自分が六年前にも助けられたことに――

数週間後、全ての後始末を終えた刀堂一二三は自身の所属していた研究室の教授に一枚の紙を出していた。
――転科届け、ねぇ。ま、アンタ程努力できるなら何処でもやっていけるとは思うけどねぇ――
教授は不満そうに一二三を見たが、一二三の瞳は揺るがない。
教授は溜め息を一つついて、転科届けを受理した。
――でもね?助けられなかった自分を憎んでるなら、それは筋違いだろ?――
それくらい分かっている。自分のやることはただの贖罪に過ぎず、しかもソレには絶対にゴールが存在しないと言うことも。しかし、刀堂一二三は赦せなかった。
一度体験したはずの事を、自分が忘れていたせいでもう一度起こしてしまったことを
――そして何より――
二度も自分は命を救われたのに、それの恩を返すことが自分には出来ないということを。
だからこそ、刀堂一二三は決断した。
――彼等がしてくれたように、自分もまた人を救おう。
それが自分のために死んだ、そして自分が殺した人々に対する唯一の贖罪だ――と。

そうして、五年後。
"調律の剣医"刀堂一二三が誕生した。


「――ハハッ」
沈み行く夕日を背に、刀堂一二三は歩みを止めること無く一人苦笑した。
――迷うことなど何も無かった。
元より、自分の命はその為だけに使うとあの時決めたのだから――
「思い出させてくれた彼には感謝しなければいけませんよね」
一人微笑みながら、彼は遂に辿り着いた。

針生尚康はメキュペルメスとの闘いを止めること無く現れた一二三に笑って見せる。
メキュペルメスは現れた一二三を見て怪訝な顔をする。

そんな両者を見つつ、一二三は両手に十字短剣を握る。
そして、世界に宣言するように彼は呟く――

「――私は、救われぬものを救うためにのみ生き、その為だけに死のう――」

――それこそが、"調律の剣医"刀堂一二三の唯一の願いなのだから――


そして、一直線に彼は戦いの中に飛び込んだ。

――全てを救うために――

――春日井比奈花の望みは本当に単純なものだった。
――生まれたときから、不調続きで自分の思うように動かない自分の体。
自分を哀れむのみで、そんな自分に酔っているだけの母親。
自分を自分の権力を示すための道具としか見ず、望みもしないのに着飾らせてあっちこっちに連れ回す父親。
そして、自分を所謂"御嬢様"と思わせる"家名"
――そのどれも、彼女にとって鬱陶しいモノにしかすぎず――だから、それから逃れたかった。
しかし、彼女の身体はそれを可能にするほど――いや、そんな望みを抱くことすら愚かだと思わせるほど脆く、儚かった。

だからこそ、彼女の望みは本当に単純なものに成らざるを得なかった。

――せめて、夢を視られるだけの健康を私に――

その時、"ソレ"は現れた。
――夜、見上げた空に浮かぶ紫の靄。ソレは真っ直ぐに室内に入ってくると――突然、こう問うた。
――"力"は要らないか?――


――パリン――
メキュペルムスの胸に突き刺さると同時にメキュペルムスの魔力を奪い取り、崩壊する十字短剣。
――八本目!――
更に一二三はコートの内側の空間に"貼り付けられた"十字短剣を取り出し、メキュペルムス目掛けて放つ。
メキュペルムスは手の紫槍で十字短剣を叩き落とそうとするが――
「こっちも気にした方が良いですよ?」
――ヒュッ――
唸りを上げて、針生の拳がメキュペルムスの胸目掛けて放たれる。
「くっ――」
咄嗟に槍で拳を流した瞬間――
二本の十字短剣はメキュペルムスの身体に血の一滴も流すこと無く突き刺さる。

――パリン――
メキュペルムスの魔力を奪い取り砕け散る十字短剣。

――これで、約三割か――
メキュペルムスの残りの魔力の量を"視る"。
――コストパフォーマンスが悪すぎるな――
誰かさんなら金の無駄遣いだと絶叫しそうだが――本来、十字短剣はこういう使い捨てのモノではない。
十字短剣――つまり、"調律の剣医"刀堂一二三の用いる魔装"安息の十字剣〈Peacefull・Cross〉"とはそもそも、魔術を魔力を寸断することでキャンセルし、魔術師の魔術回路に直接叩き込むことによって相手の魔術を一時的に使用不能にすると言うものだ。そして、その副産物として魔力をその刀身をもって吸収するという効果もあるが、それもあくまでも付け足したモノに過ぎない。
――これの本質とは、敵すらも傷付けること無く無力化しようという刀堂一二三の思想の発露に他ならないのだから。

――もう少し、だな――
"切り札"を切るまでにせめて、半分近くは奪い取っておきたい。
一二三は更にコートから八本の十字短剣を取り出し構える。
シュッ――
針生がメキュペルムスの動きを止めた一瞬を狙って、一二三は両手の十字短剣を一斉に放つ。
一つの撃ち損ないもなく、八本はメキュペルムスの身体に刺さり、魔力を奪い取って破裂する。
――これで、約半分。そろそろ往くか――
一二三はゆっくりとコートの後ろに右手を伸ばし――

「――我が腕は救われぬ者の手を掴むがために――」

ガシッ――一二三の右手はコートの背面から飛び出した柄を掴み取る。

「――我が体は救われぬ者を刃より守るがために――」

コートの全面から溢れるように十字短剣が現れ、背面に集まっていく。

「――そして、我が力は救われぬ者を救うためのみに在り――」

――パリン――
一斉に砕け散る十字短剣の刀身。そして、粉々になった刀身が一二三の右手に握られた柄に集まる。

「――ただ、救うための力をこの手に――」

刀身の破片は柄を中心に集まり、一本の大剣を造り出した。

「――"The Sole Benefit"〈救われぬ者の唯一の恩恵〉――」
ビュン!一二三は勢い良く背後に構成された大剣を引き抜いた。
――それは一見、何の変哲もない鉄色に鈍く光る幅広の大剣。しかし、これこそが、"調律の剣医"刀堂一二三の用いる最強の魔装"The Sole Benefit"〈救われぬ者の唯一の恩恵〉だった。
「おや、何か凄いものを持ち出しましたね」
メキュペルムスと交戦を続けながらも首だけをこちらに向けて針生は感心したような声を上げる。
「針生さん。一旦退いてください」
決意と共に、大剣を構えて一二三は一歩踏み出す。
「何時までですか?」
笑いながら針生は問うが、一二三の答えは一つしかない。
「私が死ぬまで、です」
「分かりました」
途端、針生は微かな微笑みの残像を残して明後日の方向へと走り去った。

そうして土手に残されたのは刀堂一二三とメキュペルムスのみ。
「一つ聞きますが――貴女の願いは何ですか?」
一二三はゆっくりとメキュペルムスとの間合いを詰めながら問うた。
「言った筈だぞ――我が世界の再生、と」
メキュペルムスは一二三から以前対峙したときよりも大きなプレッシャーを感じて、油断無く紫槍を構える。
――覚悟の差か――
一二三の構える大剣は真っ直ぐにメキュペルムスの首元に向けられており、その切っ先は揺るがない。
「いえ、貴方には既に聞きました――私は春日井さんに聞いているんです」
メキュペルムスの体が、一瞬硬直する。
「ふん、未だソレの意識が残っていると思っているのか?」
メキュペルムスは取り繕うように不敵な笑みを浮かべ、自分から一歩踏み出し――

瞬間、一二三の大剣が目にも止まらぬ速さでメキュペルムスの左腕に叩き込まれ、メキュペルムスの左腕の感覚が消失した。
「な……何だと!」
咄嗟に左腕を見るが、確かに左腕はついている――しかし、メキュペルムスにはそれを動かすことが出来ない。
「――こ、これは!」
狼狽えるメキュペルムスに、一二三の大剣が迫る。
「くっ」
メキュペルムスは身体を反らせると共に、残った片手で槍を振るう。
大剣と槍が交錯する瞬間――
「――!」
メキュペルムスの槍が消滅した。
斬!
一二三の大剣は、傷一つ与えること無くメキュペルムスの右腕をすり抜ける。
しかし、その時、大剣は僅かに紫色を帯び、メキュペルムスの右腕の感覚が消失した。
顔を歪めながら、メキュペルムスは一二三から間合いをとる。
「――その剣は"マジックキャンセラー"と、"マジックイーター"か」
憎々しげにメキュペルムスは吐き捨てる。
先程の一二三は静かな目でメキュペルムスを見る。
「――はい、その通りです。最も、キャンセル出来る範囲はこの剣の間合いより少し広いぐらいでしか有りませんし、奪い取れる魔力も普通ならほんの微々たるものです」
つまり、メキュペルムスの両腕の感覚が消失したのは、魔力によって春日井比奈花の身体に寄生しているメキュペルムスと春日井比奈花との繋がりを大剣によって断ち切られたからである。
そして更に言えば、現在のメキュペルムスには自身の体と言うものが存在せず、魔力の塊となって春日井比奈花の肉体に寄生している状態。
もし、このまま魔力を奪い尽くされれば――
メキュペルムスは消滅する。
「ですが、今の貴方にはそれで十分みたいですね」
再び、一二三が間合いを詰めようと動く。
メキュペルムスは自身の存在を更に魔力に変換させ、両腕と自らを繋げる。
そして、そのまま回避しようと後ろに飛びすさるが――
斬!
一二三の間合いを詰める方が速く、メキュペルムスは袈裟に斬られた。
地面に倒れるメキュペルムスに、一二三は追撃せず、声をかけた。
「再び聞きますよ――春日井比奈花さん、貴女の願いは何ですか?」
少女は立ち上がることもせず、地面に横たわったまま、力のある目で一二三を睨み付ける。
「私の願いはただ一つ――ただ、夢を視られるだけの健康を手に入れること。それだけです」
春日井比奈花は、ゆっくりと立ち上がる。
「それだけなのに――どうしてそれすらも私は叶えられないんですか?」
そう言って、少女は紫槍を両手に表し、やや不器用ながらそれを構える。
そんな比奈花を一二三は優しい目で見て言った。
「貴女の願いは立派なものです――そもそも、全ての願いは決して誤りなんかではないのですから」
比奈花の身体が一瞬固まる。
「でも、願いを叶えるために他者を犠牲にしちゃいけないんですよ。それを許すと――
――誰かが不幸になってしまう」
自分に言い聞かせるように一二三は言う。
「それは、仕方無いのではないでしょうか?自分が幸せになるなら他人を犠牲にしても良いと考えるのは」
比奈花の至極当然な言葉に、しかし一二三は認めない。
「他人を犠牲にしても願いを叶えようとするのは、方法が間違っているんですよ」
「――でも、今の私は他人を犠牲にすることでしか、思いつきませんよ」
一二三は言った。
「それなら、私が代わりに方法を見つけます」
「信じて良いんですか?」
「信じてください――それしか言えない自分がもどかしいですがね」
静かに二人は見つめ合う。
が、やがて比奈花は苦笑した。
「どちらにしろ、もう私には貴方を頼ることしか出来ませんからね――貴方を信じさせてください」
その言葉を聞いて、一二三は穏やかに微笑んだ。
「はい――私は貴女が幸福であれるように全力を尽くします」
一二三の大剣が比奈花の身体に残るメキュペルムスを切り裂いた。
意識を失い、崩れ落ちようとする比奈花を抱き止めて、一二三は呟いた。
「――必ず、私は貴女を幸せにしますよ」
――全ての人を助ける。それこそが、刀堂一二三の目的なのだから――

「フッフ……ハッハッ……ワハハハハハ……!!!」
いきなり、遠くから聞き慣れた男の大笑いが響いた。
「……」
見ると、河川敷の川向かいの土手に大柄な男が立っていた。
「お……お前、それプロポーズにしか聞こえねーぞ!」
尚も、爆笑する朱楽授樹。
取り敢えず、そんな川向かいからでも五月蝿く聞こえるような大声で笑うのは止めて欲しい――って、プロポーズ?
冷静に自分の言ったことを思い出して――固まった。
「な……なっ。そんなつもりは決して……」
確かにそんな風に聞こえないこともないが、そんなつもりで言ったわけではなく――
「というか、何でそんな所に居るんですか!」
話をそらしたいという意味もあって、一二三は叫ぶ。
と、朱楽は土手から川向こうのこちらまで軽く跳んできた。
「あ?部下の心配しちゃいけないのか?お前が何時も言っているように上司らしい振る舞いをしてみただけなんだけどな」
本当にそう思っているなら、その悪戯が成功した子供のような意地悪な笑みは止めて欲しい。
「……いつから見てましたか?」
「さあって、いつからだろうなーっ」
笑いながら、授樹は一二三が比奈花を抱き止める際に手放した大剣を拾う。
メキュペルムスの魔力を吸いとって紫色に変わった大剣を見て、授樹の笑みの質が僅かに変わる。
「お前の事だ。この中にメキュペルムスの"破片"がいるんだろう?」
その通り。メキュペルムスの精神は今、大剣の中に封じ込まれていた。
いや、しかし授樹は何と言った?
「――"破片"?」
「あ、お前は知らねえか。いや、実はな――
"メキュペルムス"を名乗る神モドキが世界中で数体現れてんだよ」
その言葉に、一二三は凍りついた。
「――成る程。だから、あまり強くなかったんですね」
「だろうな――多分、本体は何処かで隠れて様子を見ているんだろうよ」
軽く言って、授樹は手にした大剣を振り回す。
「後で言葉の奴にでもコレの体を創らせるか――ま、本体のヒントぐらいにはなるだろ」
「――そうですね」
未だ未だ、事件は終わっていないことを確認して一二三は決意を新たにする――
「ところで、お前何時までそいつを抱き締めてんの?」

刀堂一二三は赤面した。

「――さて、春日井さんは彼に任せれば良いですよね」
授樹が覗いていたより更に遠くから一二三を見ていた針生だったが、やがて救急車に比奈花が運ばれていくのを見て満足したように言った。
「では、最後の仕事を終わらせますか」

深夜 春日井宅
「どうも、春日井さん」
「な……何故、ここにお前がいる」
針生は春日井法次と彼の書斎で向かい合っていた。
「さて、何故だと思いますか?」
優しげな――しかし、それ故に何処か冷えたものを秘めた笑みに法次は凍りつく。
暫く、二人は無言だったが、やがて呆れたように針生は言った。
「時間の無駄なので、要件だけ言いましょうか
――暮里に頼んだ貴方の娘さんの殺害依頼をキャンセルしてください」
途端、法次の顔が青ざめる。
「なっ……そんなこと私はしていない」
狼狽える法次に針生は溜め息をつく。
「全く、小テストの採点をしなければいけないんですから、そう時間をとらせないでくださいよ――ああ、証拠はこれなんで、私が帰ってから確認でもしてください」
一枚のCDを軽く机に置く。
「余計なスキャンダルになる前に少し金をかけてでも殺す――まあ、自分の娘じゃなかったらよくある話なんでしょうけどね。
――やっぱり、血が繋がってないとそういう風に考える物なんですか?」
つまらなそうに針生は言うが、法次は何も言うことが出来ない。
「まあ、貴方は私の生徒でも有りませんし、特にどうこう言う気もありませんよ――ただ、」
ヒュッ!
軽い風切り音と共に、針生の拳が法次の眼前で止まる。
「生徒に危害を加えることだけは絶対に許しません」
それだけ言い残して、針生の姿は消えた。
法次は立ち尽くしたまま、動かなかった。


春日井比奈花はあの日以来、昏睡状態となりICUに暫く入っていた。
で、今刀堂一二三は春日井比奈花の個室の前に立っている訳だが。

――どうしたものかなぁ――
やらなければならないことは有るのだが、どうも覚悟を決められず、扉を開くことが出来ない。
いや、別に朱楽にプロポーズみたいだとからかわれたせいではない筈なんだが。
「入るならさっさと入れ」
後ろからそう声がして、一二三は振り返る。
「あーすみません。弓庭さん」
後ろに立つのは白衣に無精髭の痩せた、とても医者らしい体型をした男で現在比奈花の担当医である弓庭志津摩だった。
「全く――何を気にしているんだ?」
「いえ……特に」
「じゃあ、別に良いだろう」
と、弓庭がドアに手をかけた所で、弓庭のポケットからベルが鳴った。
「ちっ――救急の手伝いか。当直だけで何とかしろってんだ」
ポケットから小さな通信機を取り出して弓庭は溜め息をつく。
「すまないが、用が出来た。お前一人で会ってくれ」
一二三にそれだけ言って、弓庭は小走りに立ち去った。
「えーー」
凄く取り残された感が漂うが、あまり悩んでも仕方無いと、いい加減覚悟を決めてドアをノックする。
「はい、どなたですか?」
「刀堂一二三です」
僅かな間。
「……どうぞ、お入り下さい」
「失礼します」
僅かな間が気になりつつも、一二三はドアを開け、病室に入る。
部屋に置かれたやや広いベットの上には春日井比奈花が上体だけ起こしており、その瞳を真っ直ぐにこちらに向けていた。
「お久しぶりです――体の調子は大丈夫ですか?」
一二三が尋ねると、比奈花は何処か気恥ずかしそうに微笑む。
「はい――もう大分落ち着いて来たところです」
「そうですか――それは良かった」
それだけ言って、一二三は次どうしようかと悩む。
「あの……どうぞ、座ってください」
所在無さげに立ち尽くす此方に比奈花はベットの横に置かれたパイプ椅子を示す。
「あ、はい」
一二三はゆっくりとパイプ椅子に座り、比奈花の様子を視る。
――取り敢えず、メキュペルムスの部分も落ち着いているみたいだな。やや顔が赤いのは気になるけれど、まあ体調も悪くなさそうだ――
比奈花は今、身体に人間としての部分と、メキュペルムス――つまり異界のモノとしての部分を持っている。
その二つを上手く融和させることが弓庭と一二三の考えた彼女の治療法。
これが、上手くいきさえすれば、これまでのように身体の弱さに悩まされることは無くなる――しかし、調整を失敗すれば比奈花の身体は二つに分かれるか――異界のモノに身体を乗っ取られ、ヒト以外のモノに変質してしまう。
そして、現在比奈花の身体の二者の割合は30:70――セオリーで言えばギリギリ、ヒトとしての形態を保てる限界のところまで比奈花の身体は侵食されていた。
当然、それを融和させる作業は一二三も協力したとはいえ、難易度は高く――また、ギリギリであるからこそ、現在落ち着いていても未来もそうであると油断することは出来ない。
――そう言うことは未だ言わなくても良いか――
取り敢えず、面倒な説明は弓庭に押し付けることにして、一二三は持ってきたものを取り出した。
「それは何ですか?」
一二三が取り出したのは、手のひら大のまるで指輪でも入っていそうな上等な箱。
「貴女に渡さなければならないものが有ります」
瞬間、比奈花の顔が真っ赤になったが、一二三は自分の言っていることの気恥ずかしさに目を逸らしたので、比奈花の顔を見ることはなかった。
一二三はゆっくりと箱を開ける。

そこに入っていたのは鉄の鎖のネックレス――その先端には十字架と短剣を足して2で割ったような金色に輝く小さなアクセサリーがつけられていた。
「貴方の身体に眠るメキュペルムスの力を抑えるための封印具です――出来るだけ、何時でもつけていて欲しいのでネックレスにしてみましたが……」
――いや、本当に指輪にしなくて良かった――
そういう肌身離さずつけておくモノは魔術師の常として、指輪とかそういうアクセサリーにして目立たないようにするという常識があるのだが、敢えてネックレスにしたのは流石に指輪にすると本当にプロポーズみたいでこっぱずかしかったのだった。
「――これは、刀堂さんが?」
比奈花が恐る恐る尋ねる。
「そうですけど――やっぱり変ですかね?女性のために創った事はないので――」
「い、いえ!全然、そんなこと有りません!」
慌てて比奈花が言うので一二三は苦笑する。
「あんまり無理しないで正直に言ってくれて良いですよ」
「いえ!わざわざ作ってくださり有り難うございます!」
顔を赤くして、比奈花は言う。
「そんなに喜んでくれるとは嬉しいですね」
言葉は落ち着いているが、心中穏やかではない。
――ああ、もう、そんな風に嬉しそうにされると本当に困るな――
喜ぶ比奈花の姿は本当に可愛くて――
「……では、どうぞ」
危ない方向に進みそうな自分の思考を中断して、一二三は比奈花にネックレスを差し出す。
が、比奈花は上目遣いに一二三を見て、やや顔を赤らめて恥ずかしそうに小声で。
「あの……つけてくれませんか?」

一二三、フリーズ。
「……わ、分かりました」
数瞬のフリーズの後、一二三がそう言うと、比奈花はくるりと背中を向ける。
「……お願いします」
いや、もう何してんだろ自分――
色んな意味で泣きそうになりながら、一二三は震える手で比奈花の首にネックレスをつけた。
「はい、出来ましたよ」
比奈花はこちらを見て満面の笑みで、
「有り難うございます」
「それは、一日二日着けなくても問題はありませんが、出来るだけ着けるようにしてください――水に濡らしても特に問題はありませんので」
「は、はい。大事にします」
「そ、そうですか」
思考停止寸前な一二三です。
そして、暫く二人して黙っていたが――やがて、比奈花が恐る恐る口を開いた。
「あ……あの」
「何ですか?」
比奈花の顔に浮かんでいる真剣な表情を見て、一二三も気を引き締める。
「……あの時の言葉は本当ですか?」
ピタリ。
――ひょっとして、やっぱり最後の言葉を聞いてた?
やぶ蛇になりそうだから確認したくないんだけど――しかし、確認しないと更に大きな勘違いを呼びそうな気が。
「ええ、確かに私は貴女が幸福であるために全力を尽くすと言いました。それを違えるつもりは決してありません」
少しだけ、比奈花は不安そうな顔をした。
うわ、本気で不味いだろ、これは。
「……い、いえ……その後に」
もう止めてください――完全に誤解されてません?これ。
「あ……ああ、言いましたね。
確か……貴女を必ず幸せにすると。ええ、確かにそれも本気です……」
この勢いで話を進めて本当に良いんだろうか?
何か、そんなつもりは全然無かったのに結果としてプロポーズみたいな取られ方をされているような。
その言葉を聞いて、比奈花はまるで大輪の花のような美しい笑みを浮かべた。
「……良かった」

パタリ。
そこで、比奈花は倒れた。
「なっ……」
慌てて、一二三は立ち上がり比奈花の体調を診る。
が、やすらかな寝息を立てて眠っている比奈花を見てホッと安堵の息を吐く。
「――全く、慌てさせないで下さいよ」
疲れて寝てしまった比奈花の身体に布団を被せてやる。
「……ン」
夢うつつに、比奈花の手が一二三の手を掴んだ。
「……まあ、これも良いかな」
ゆっくりと柔らかい手を握り返してやり、一二三は比奈花が目覚めるまでそうしていることにした――
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