三人の“狩人”

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三人の“狩人”」(2010/06/24 (木) 20:49:39) の最新版変更点

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赤月涼夜は第零階層"万象の世界"出身ではあるが、"界渡"どころか"創界"すら可能な"神"クラスであり既に"被造物"ではなく"創造者"であることは疑い無い。 で、生来の"遊び好き"のせいもあって"万象の世界"には時々帰ってくるという程度。 まあ"帰ってくる"といっても、既に帰る場所であるはずの家族や故郷は片鱗すら残っていないのだが――それについてどう思っているのか、聞くような命知らずは現在存在しない。 ――前置きが少し長くなったが、ともかく気まぐれで涼夜は"万象の世界"、日本に帰還した。 「ふいー"空間渡航"は何度やっても慣れないものなのですよー」 「何百年もやってれば慣れる。それまで辛抱」 「というか、慣れろよ。何回やってると思ってんだか」 赤すぎる月を背景に、真夜中の自然公園に三人の人影が現れた。 "シャングリラ"と自称している小さな"世界"の"王"である赤月涼夜とその眷族、黒とかなでの二人の合わせて三人がワイワイ騒ぎながら人気の無い自然公園を歩く。 「ほらー!!ミスっちゃん、超ビンゴー!!"来訪者"が三体もいるっすよー!しかも一つは"神"クラスー!」 突如そんな楽しそうな少女の声が夜の森に響いた。 「なんでしょー、あの微妙に黒と同じ匂いのする声は」 「……バカ?」 「だろ……厄介なのに見つかったか」 > 涼夜が面倒そうに声の方向――数メートルばかり先の大樹を見る。 > そこには、三つの人影。 > 一つは張り出した大枝に座る人影、そして残る二つは大きな幹に隠れるように立っていた。 > 月明かりも届かない木の陰にいる三人の姿は普通ならとても見えるものではないが、ほら"神"って一種のチートなんで、涼夜は十分に三人の姿を視認できた。 > 「"かりうど"って何ですー?」 > 黒が首を傾げる。 > 「簡単に言うと、外世界からの来訪者を討ち滅ぼす存在。私たちの天敵」 > 黒はふーんとよく分かってなさそうに首を傾げ、 > 「あー黒、危ないぞ」 > そのまま黒の体が縦に両断された。 > 「はれ?」 > 気の抜けた声一つ残して黒の体はずれたように二つに分かれ地面に崩れ落ちる。 > 「覇厳さん抜け駆けズルいー!」 > 少女の声を受けたのはいつの間にかシャングリラ方の三人の前に現れていた男。 > 白髪混じりのやや老けた顔つきに、草臥れた薄茶の軍服擬きの簡素な服を纏うやや小柄な彼は、月明かりを受けて輝く一メートル近い野刀を右手一本で無造作に持っていた。 > 「うっぜぇなぁ――殺ったもん勝ちだろが」 > 彼は血走った瞳で残る二人を見つめ、狂ったような酔ったような陶酔した薄笑いを浮かべる。 > 「はうー危なかったですー」 > 危ないも何も、明らかな致命傷――いや、死を受けたのにも関わらず黒は真っ二つになったまま立ち上がる。 > 「ペタリと――あれ?」 > 傷口を繋ぐように半身同士が結び付く、が当然くっつくことはなく、再び二つに分かれる。 > 「へえ――お前、"真性"の狩人か」 > 黒のグロいコントを目の当たりにして涼夜は面白そうに笑う。 > 対して、男はつまらなそうに黒を見る。 > 「ちっ――"不死身"か。うぜぇ」 > 野刀を持ち上げ、 > たと同時に振りきられていた野刀が黒を今度は横に両断する。 > 「うきゃー」 > 割と余裕な悲鳴と共に四つの肉片がボタボタと地面に落ちる。 > 「涼夜――」 > かなでが涼夜を庇うように男の前に立ち塞がろうとしたが、 > 「まあまあ、落ち着いたら?」 > やや眠そうな女性の声とともに肩にポンと手が置かれ、かなでの体が電撃でも走ったかのように痺れ硬直した。 > 「え――」 > 接近どころか触られる直前まで気付けなかった、その事実にかなでの肌が粟立つ。 > が、それも一瞬の事、即座に背後の気配(恐らく女性)目掛けて"蟲"を放つ。 > 瞬間にして顕現する大小数百匹の蟲の軍勢が一斉に背後に襲いかかり―― > 「――危ないなぁ」 > どこかゆったりした声とともに肩に置かれていた手が離れ、 > 周囲が蒼白の光に包まれた。 > 「――っ」 > 清らかな蒼白の光はしかし、かなでの全身に炎のような痛みを与え、咄嗟に光から逃れる。 > 逃れつつ、背後を振り返り、背後の人影を視認しようとする。 > ――グギィィィッ―― > 光に包まれた蟲たちは苦悶の声が響き、砕けて灰と消える。 > その向こう側、白光に包まれた中心に立つのは一人。 > 蒼の袴に純白の巫女服、透き通るような青白い肌、青白い髪が少し混じった腰までの黒い長髪、何処か中性的な容貌(バストサイズ含む)、そして円く赤い瞳をゆるめて悪戯っぽく微笑む女性だった。 > 「少しぐらい"ボク"と遊んでくれたって良いんじゃないかな?」 > ――ボクっ娘巫女!―― > 戦慄を覚え、再び全身が総毛立つ。 > 「おい、かなで、黒。残りの奴等抑えとけ」 > そんな中、主――涼夜の愉しそうな声がかなでにヤル気を取り戻させる。 > ――涼夜がこんな面白そうな娘に興味を持つ前に始末しないと!―― > > 「ういー」 > 対していつの間にか、四等分されたはずの黒の体は修復されており、最後の一人と相対していた。 > 最後の一人は眼鏡をかけ、やや赤茶けた煉瓦色の髪を左右でくくり、髪の束を大きな鈴の髪留めで止めた、黒と同じくらい――いやそれよりも更に小さく、太っているまではいかないがやや丸みを帯びた体型の少女。 > 「きゃははっ!アンタみたいなチビにミスっちゃん止められるのかなぁ!」 > 「むかー!そっちの方が小さいくせに!序でになんかキャラが被ってる雰囲気ですよ!」 > 二人揃って餓鬼レベルなのは間違いないかと。 > > 「さて――取り敢えず聞いてやるが、お前の名前は?」 > 最後の一組、赤月は狂ったような笑みを浮かべた男と相対した。 > 男は野刀を無造作に下げたまま赤月の言葉を鼻で笑う。 > 「はっ、オレは刀堂覇厳(トウドウ・ハゲン)」 ――死ねよ。 挨拶もそこそこに刀堂の野刀が走る。 右手一本で振るわれる野刀はしかし、十分すぎる速さと精密さを持って赤月を逆袈裟に薙ぎ払わんとする。 「あっぶねー」 しかし赤月は言葉とは裏腹に余裕を持って後退して野刀を避ける。 当然、振りきられた野刀は致命的な隙を産む、得物の長さと片手のみで振るうというバランスの悪さゆえに咄嗟の反撃は不可能。 そんな彼を軽くぶち殺そうとしたが、 刀堂の次の行動に驚愕する。 振り上げた瞬間、いや当たらないことが確定した瞬間、彼は既に右手を刀から手離しており、振り上げた勢いで宙に浮き上がった刀をそのまま左手で受け止めていた。 そして、ダンサーのように舞い上がって一回転。その勢いで左手で持った刀を今度は首筋目掛けて叩き込む。 「――っつ!」 右手一本の時とまるで変わらない鋭い一撃を上半身をのけ反らせて避けるが、刀堂の連撃はまだ続く。 更に半回転して完全に赤月に背後を見せた状態で着地。 しかし、背後を見ること無く身をのけ反らせて硬直した赤月目掛けて刀をバックハンドで投擲。 狙いすましたように赤月の心臓目掛けて走る刀を赤月は体勢を立て直しつつ弾く。 「――"戻れ"」 弾かれた刀は刀堂のスペルに合わせて消え、彼の背にくくりつけられた鞘に戻る。 それを確かめもせず、刀堂は赤月に正対するために回転しつつ身を沈め、地を這いつくばらんばかりの姿勢で走り出す。 コンマ数秒で赤月を間合いに収めた瞬間、刀堂は斬撃を放っていた。 その斬撃は正しく神業――誰が一メートル近い、しかも背に収めた刀で居合い抜きを放てるだろうか。 しかし真実、刀堂は減速どころか加速しつつ右手一本で背の刀を鞘から引き抜きその軌道のまま下段に薙ぎ払う。 赤月は飛び越して避けるが、刀堂はその瞬間再び刀を右手から左手にスイッチ。 自身の身体をはね上げる動きと連動させて刀を切り上げる。 「うおっとお!」 やや余裕を無くしたような声を上げ、赤月は空中を蹴って後退する。 しかし、体勢を立て直す間も与えず刀堂の連撃は更に続く。 一瞬の停滞無く赤月を追い続ける連撃は計算され尽くしたもののように思われるが、赤月がどんな奇抜な回避をしても続くことから、本能――いや、直感で最も相手を殺すための最善手を選び続けているだけに過ぎない。 ――先天的なものか、後天的なものかは知らねえけど、どっちにしろ大したもんだよな―― 何にしろ、その殺すための最善手を選び続けられる能力とその通りに身体を動かせる運動能力には正直、感心せざるを得ない。 更に、多分彼は"真性"の狩人――まあ、かなでと黒に任せた残る二人もそうなんだろうが――であり"来訪者"に対して圧倒的なアドバンテージを持っている。 例えば、刀堂の野刀は強度を保つための僅かな魔術付加しかされていないに関わらず、黒に傷を負わせた――しかも瞬間的には再生しないレベルで――こと。 あれは、この世界では本来有り得ない現象(この場合、黒の超再生)を一時的に無効としたのだろう。"狩人"特有の力、"来訪者"――この世界とは異なるロジックを持つ存在に、この世界のロジックに従うことを強要させる力――まあ、力の土台がこの世界である赤月当人はそれほどでもないが、この世界よりの力を殆んど持たない存在には正しく必殺の一撃となりかねない。 何故なら、たとえ別の世界のロジックで"不死身"を達成したとしても、この世界にそのロジックが存在しなければ、"不死身"は無力化するのだから――黒は普遍性の高い"不死身"のロジックだったため多少回復が遅れただけだったが、特殊なロジックで構成された"不死身"であれば完全に無力化され"常識的に"死亡するだろう。 ――おもしれえな―― これで敵が美少女だったりすると、もう最高だが、それほどまでいかなくとも十分楽しめる。 例え、死して蘇るとしてもここ数百年死ぬかもしれないような状況に陥ったことすらなかったのだから。 ――少しぐらい、本気でいくか―― 非戦闘員なりの戦い方として、まず距離を取ろうとしたかなでだったが、 「――さて、と」 巫女服の女性はいきなり側にあったベンチに座った。 「座ったらー?ほら、観戦しようよー」 ――は?―― 迂濶にも唖然としたが、女性は既にかなでから視線を切って残る四人の戦いを見ていた。 御丁寧にいつの間にか手に缶コーヒーを持っているし。 「…………」 どうするべきか割と真剣に迷う。 「一つ言っとくけどさ、"私"病弱だからあんまりやる気ないんだよねー。だから、戦うのは止めてくれると助かるかな」 視線を切ったままの女性の気の抜けた言葉に少し脱力し、同時疑問が浮かんだ。 ――あれ?さっき―― すると女性がしまったと言わんかのように片手で額を軽く叩く。 「あっちゃぁー……ま、ミスっちゃん気付いてないみたいだし、いっか」 気楽そうにケラケラと笑い、く茫然としているかなでを見る。 「ああ、ちょっとあそこの煉瓦色の髪の子――刃積美鈴っていうんだけどさ、彼女との罰ゲームで今日一日は一人称"ボク"で通すことになってたんだー あ、ついでに"ボク"ら――私たちがこんな所で待ち伏せしたのもあの子とのゲームに負けたからだからね。あの子はおよそゲームと名の付くものには勝率八割を誇る天才でさー」 自慢の娘を誇るかのように彼女は語る。 「……そう……」 生来口数が少ないせいではなく、単純に何と言って良いのか分からなくて口ごもる。 かなでが戸惑っていると、また女性が語り始める。 「そうだ、自己紹介でもしておこうかなー 私は"雪灯籠"解礼灯火―― 日本魔術血統二十三席の一角を占める"祓い"の解礼家の現当主なんだけど、それはどうでもいいよね――肝心なのは、」 瞬間、彼女の朱瞳がかなでを見据えるかのように微かに細められ、長髪が重力に逆らって波打つ。 「――アナタは絶対に私に勝てない――」 蒼白の魔女は冷酷に宣告した。 同時、魔女は凍えるように冷たい、汚れない純粋な殺意を発する。 「……!」 かなでは彼女の殺気に戦慄を覚え、半ば無意識の内に大型の"蟲"を召喚。加えて、その背後から無数の雷撃を放つ。 回避など不可能だし、生半可な――百年も生きられないようなただの"ヒト"など軽くダース単位で殺せるような必殺の攻撃。 しかし、魔女は、 「本気じゃないんだろうけど――手、抜きすぎじゃない?」 皮肉げに口の端をつり上げた。 魔女の波打つ長髪から零れるように無数の蒼白の光の粒が現れる。 最初、指先ほどの大きさだったそれは瞬間的に拳大まで膨れ上がり弾丸のごとく"蟲"に襲いかかる。 "蟲"の装甲は耐魔術がかけられているし現実的な強度も生半可な鋼より遥かに硬い、それなのに―― ――グギィィィッ―― 光の塊はまるでそこに何もないかのように無造作に"蟲"を貫いた。 全身に無数の穴を開けた"蟲"は苦悶の声を上げながら灰と消える。 しかし、その間を掻い潜る雷撃は光の粒に遮られること無く魔女に襲いかかる。 迫り来る必殺の雷撃を前に魔女は、神聖なる呪詛を紡いだ。 「―至高の神より賜りし天上の白光、我を守護する雪となり、我を犯さんと欲する全ての混沌を吹き散らせ― ―"吹雪く聖結界"―」 応えるように魔女の全身から溢れ出した無数の微細な蒼白の光の粒が、風に吹かれたように舞い上がる。 粒は風などまるで吹いていないのに暴風に揺られるかのように舞い、彼女の周囲だけ吹雪でも吹き荒れているように輝かせた。 そして光の吹雪は襲いかかる雷撃を呑み込み、正しく"粉々に"粉砕した。 「――っ!」 何故こうも焦っているのか、自分でも分からず、無意識の内に更に攻撃を叩き込もうと―― 「はい、おしまーい」 これまでの攻防が嘘のようにあっけらかんと彼女は笑い、手放していなかった缶コーヒーのプルタブを開けた。 間の抜けた音が月明かりの照らすのみとなった薄暗い森に響き、彼女はコーヒーを一口含み顔をしかめた。 「……やっぱまだちょっと熱いね」 既にやる気無さそうな彼女の様子に、かなでの焦燥もまた消え去り、冷えた頭でようやく思い至った。 「――でもさ、少ししか力を発動してないのに、ここまで敏感に反応するなんてアナタよっぽど"混沌"に近い存在なんだね。あそこの"不死鳥"の人と相性悪くない?」 ――"不死鳥"の"再生"とか"円環"って"秩序"側だからね―― 彼女が嘯く。 そんなことを言えるということはつまり、 「あなたは"混沌"の祓い手」 かなでの無表情が、ほんの少し悔しそうに歪んだ。 「そ。私の――解礼家の性質は"清浄"。"混沌"――マイナス概念よりの存在を"消滅"させる力だからねー。 ――アナタとは相性が抜群に良いみたい」 クスッと猫のように悪戯っぽく微笑んだ。 そう、華唄かなで――かつて、とある世界をたった"一人"で崩壊させようとした最悪の"細菌"はまごうこと無き"混沌"寄りの存在であることは疑い無いし自らの喚ぶ"蟲"もそれに近い存在であるのは事実。 故にかなでの本能は目の前の"祓い手"を"敵"と認識して過剰な敵対行動をとってしまったし、"蟲"は魔術付加やらなんやらを無視して存在のみを直接に"消滅"させられたのだろう。 確かに相性が悪い、別に"蟲"が使えないところで他の攻撃手段も有るからそれは良いんだが、問題は戦っている内に先程のように暴走するかもしれないということ。 ――それはキャラに合ってないから―― そんなバーサークは黒にでも任せておけば良いわけで、自分はそんな力任せな戦いは大嫌い、うん。 自分の主義嗜好を再確認するように一人軽く頷くかなで。 「それは事実。それで、あなたはどうするの?」 「別に、何も。言ったでしょー"病弱"だって。それに私は"白木の杭"じゃないし、"不死身"の相手なんて出来ないって」 "白木の杭"の意味が分からず少し首を傾げたが、灯火はそんなかなでを見ていない。 「まあ、アナタたちの目的は分かんないけど、取り敢えずあそこの二戦が一段落したら引き上げてくれると助かるなー」 灯火は缶コーヒーを口に運び、満足そうに目を細めた。 そんな彼女の様子を見て、やる気も削がれたかなでは灯火の座るベンチの片隅に座った。 「そうそう、一つ質問なんだけどさ。あそこの"不死鳥"の人って"此処"の出身?」 先ほどから言っている"不死鳥"とは赤月涼夜の事――恐るべき事に彼女は力の片鱗も見ること無く、涼夜の本質を理解していた。 で、そんな涼夜は今現在"砂蛇"とか名付けていた野太刀を振るって同じく野太刀を振るう男と一進一退の攻防を繰り広げていた。 それは割と珍しい光景。剣の腕だって達人クラスの涼夜と何合と無く打ち合い、どちらの刀も相手をかすりすらしていないのだから、相手の実力がただならぬものと分かる。 「記憶が確かなら、金城(かなぎ)の一派が似たような太刀筋だった筈なんだよねー。ああ、金城って言うのは刃積の配下の家でさ、太古から剣術に拘ってる一門なんだけど」 「……"金城"は知らないけど、確かに涼夜はここの出身とか聞いてる」 ――後で、"金城"についてじっくり聞く必要あり―― そんなかなでの心中は知らず、灯火は話を続ける。 「やっぱりねー。まあ、"不死鳥"の力を持っているってことは途方もない昔の人なんだろうね。そういう意味では厳密には私たちの敵じゃないんだけど」 まあ、確かに"来訪者"ではないだろう。 「と言っても、今更退かないとは思うけど――後、十五分かな」 灯火は左手のダイバーウォッチに視線を落としていた。 「十五分?」 「そう。覇厳さんがあの"不死鳥"を一度殺すまで――ま、あの勢いならだけど」 「……!」 何気無い呟きにかなでは寒気を覚えた。 と、気配が伝わったのか灯火の円い赤瞳がかなでを見つめた。 「そんな驚かなくても良いでしょー。アナタたち"不死身"なんだしさ」 確かに"死"はそう恐るべきではないが、その内容はかなでを戦慄させるに十分だった。 主――赤月涼夜が"狩人"とはいえ、ただのヒトに敗れる?それも、ただの斬り合いで?―― 「……あ」 にわかには信じがたかったが、よく考えるとそれは十分有り得ること。 そもそも、"一度殺されなければ本気は出さない"がシャングリラのルールである以上、無意識の内に本気を出したいと思って死へと向かうことは有り得ないことではない。 まあ、最も本人に聞いても否定はされるだろうが、その可能性はかなでにとっては否定しきれない事だった。 ただじゃなくても"不死身"にとって"死"はタブーでもなんでもないのだから。 ――巻き込まれないように逃げる準備が必要かも―― そう思ってしまう。 "不死身"でも痛いものは痛いし、何年も修復に費やすのは正直ぞっとしない未来絵図。 「――ま、それ含めても四十分がリミットかな」 かなでに聞こえないように口の中でそう呟いた。 「行くですよー!」 「きゃははっ!楽しいなっ!」 森を駆け回り、交錯を続ける黒き疾風と煉瓦色の颶風――黒と刃積美鈴、二人の笑い声が夜に響く。 二人は亜音速近くまで加速し、木々を時々薙ぎ倒しながら互角の戦いを続けていた。 見た目的には正しく互角の戦いだがしかし、 ――何で"互角"に戦えているの?―― 観戦していたかなでは首を傾げざるを得ない。 正しく身一つで飛行機も落とせるような"バカ"力(ぢから)の黒と、彼女の真骨頂である近接格闘戦で二十年も生きていないような少女がついてこれる道理がない。 そもそも、生きてきた単位と存在の規模が正しく"桁外れ"の彼女らシャングリラの不滅の怪物たちが、定命の存在と互角と言うことは実際"狩人"の補正が有るとはいえ信じられないのだが。 それはともかく、黒と刃積の少女の戦いを暫く眺めていると、隣に座る解礼灯火が口を開いた。 「ねえ、あっちの黒い娘あんまり頭良くないでしょ」 「……」 その通りなんだけど、黒の名誉のために庇うべきだろうかとか一瞬考えてしまった。 「だってさ。あれだけ運動性能強化に特化してたら普通気付くと思うんだよねー "何故、殆んど肉体強化魔術をしていない相手が自分についてこれるのか"とかさ」 そう、それはかなでの感じた疑問その物だった。 黒が気付いているかは――考えない方向で行こう。 「まあ気付いていないみたいだし、それでも良いかとか思うんだけど、アナタは気になってるみたいだし、少しぐらい説明してあげようかなー」 実はさっきから一番気になっているのは、隣の灯火がかなでを見ることもなくかなでの心を読んだかのようにタイミング良く会話を振ってくることなんだが。 それに、刃積の少女のタネは考えてみればそれほど難易度の高いものではない。 「足して、二で割る」 かなでの言葉に灯火がクスリと微笑んだ。 「なんだ、分かっちゃったー。その通りだよー」 ならばつまり、あの少女は相手と自分の運動能力を足し合わせ、平等に二等分しているのだろう。 だから、相手が何であろうと"互角"に戦える――正しく万能の力。 「流石、"五行家"の一角」 「……ふうん、よく知ってるねー。ま、有名どころだし」 灯火は缶コーヒーを飲む。 「ま、ミスっちゃんの力はあくまで運動性能の"均一化"だけであって技術や魔力は別問題だからねー。アナタや"不死鳥"の人とは勝負にならないかも」 確かに、魔術専門の自分、そして武術という技術においても超一流である赤月なら、"力"(パワー)が同じだったところで大した意味はないだろう。 そこまで考えて、かなでの背筋が震えた。 ――ひょっとすると―― あくまで、自然な流れで決まったように見えたこの対戦カードはしかし、誰か――例えば横に座る彼女に勝てるように仕組まれたそれでは無いだろうか? だとすれば赤月と男――刀堂覇厳もまた、"相性が良い"のではないか? その時、銃声が響いた。 「――十三分。思ったより速かったねー。……急ぐか」 灯火が腕時計を見て呟いたが、かなでは既に聞いておらず、 「……っ!」 頭部が綺麗に消失した赤月涼夜を茫然と見ていた。 少し、時間を戻す。 赤月涼夜は自身の武装が一、野太刀"砂蛇"を以て刀堂覇厳と切り合いを続けていた。 ――滅茶苦茶だよな。こいつ―― 心中苦笑。数分――そろそろ十分近くになるが、これまで一度も覇厳は足を止めず剣撃を続けている。その剣撃全てがフェイントの一切を含めない必殺の一撃なのも驚愕に値するが、その剣撃――ヒトという種として行える限界近いそれでありながら、未だ微弱に加速を続けている。 そして何より、覇厳はこれ迄の交錯で赤月の放つ剣撃をかすりもさせていなかった。 ――いや、かすってもこいつ変わらずに襲ってくる気がするんだが―― 多分、目が見えなくなったところで気配を読んでひたすらに攻撃を続ける気がするのだが――まあ、当たらない以上仮定の話をいくら続けても仕方無い。 その間にも覇厳は赤月の袈裟に払った野太刀を身を深く沈めて避け、同時赤月の足目掛けて切り払う。 そんな野刀を飛んで避け身を低くした覇厳の頭上を飛び越そうとしたが、更に上昇したとき既に赤月の真下を走り抜け、同時に跳躍。 赤月の背に踊るように斬りかかった。 「シャアッ!」 空中で即座に背後を振り返り、間一髪で野刀を野太刀で受け止める。 空中に足場など無い覇厳は、致命的なまでに体勢を崩すが―― 反撃に転じようとした赤月の右腕を持ち上げた左足で蹴り飛ばし、その反動で地面に加速して墜落することで赤月の反撃を避け――しかし、地面に背をつけて倒れ込む。 そして、寝たまま襲いかかる赤月に野刀を投擲。 赤月が弾いた隙に地面を回り、立ち上がる。 「――"戻れ"」 瞬時、野刀は背の鞘に戻るがその時赤月は覇厳を間合いに収め、野太刀を頭上から振り降ろしていた。 このタイミングでは背の野刀を抜いたところで相討ちが限界。勿論、赤月は死なないわけだし、少々卑怯かとか思わなくもなかったが、これで決まりかと思った。 しかし、何も握られていない覇厳の右手が真っ直ぐに赤月に伸びる。 ――何だ?―― 普通の日本刀より長い野太刀で攻撃しているのだから、その間合いは当然拳の届くような近距離ではない。 ――誤ったか―― 多少残念に思う気持ちも自覚しつつ、覇厳を一刀の下に斬って捨てようと―― 「――なっ!」 全身の肌が一瞬にして総毛立った。 覇厳の右手――何も握られていなかったそこに、袖から飛び出した金色の小型拳銃が収まったのを見てしまったから。 「――じゃあな」 ニイッと口の両端をつり上げ、歪な歓喜に溢れた笑みを見せつけ、斬られるより速く、ただ人差し指を数センチ動かした。 銃口から、暗黒色の弾丸が放たれるのを赤月は見て―― 赤月涼夜は死亡した。 「まず一人か」 たった一発撃っただけで、まるで戦車にでも轢かれたかのようにひしゃげた拳銃を無造作に投げ捨て、 頭部が"消滅"した赤月の死骸が倒れ落ちるより速く、抜き払った野刀で四つに斬って捨てた。 最後に覇厳が取り出した拳銃に籠められていた弾丸は"消滅"の劣化概念を加工したものであり、相手がどんな防御能力を持っていようと一律に破壊しうる。 最も、これはあくまで"消す"だけであり、最善なのはあらゆるロジックを"殺す"、"滅神"や存在全てを理不尽に"無"で塗り潰す"虚無"等だが、そちらは現在殆んど抽出できていない。それに"消滅"――マイナス10階層の力ですらも専用に造られた信じられないほど高価な(材料費だけで都内の一戸建てが数戸買える)魔装を"使い捨て"なければ使えないのだから、マイナス階層の極限、マイナス12階層、そしてマイナス13階層に属するそれらを使用するのに一体どれだけの才能と対価が必要なのか――そう考えると魔術師としては二流、三流の刀堂覇厳は永遠に不可能じゃないかと考えるのである。 とか、刹那思考を走らせていると、 「刀堂さーん!その人、"不死鳥"でーす!」 灯火のお気楽な声がかかり、 赤月涼夜だった死骸が一斉に炎上する。 ――お前、何で敵と一緒にベンチ座ってんだ―― 思わずそう思ったが、直ぐ様炎の方に視線を戻す。 「はははっ!中々やるじゃねえかよ」 しかし、その時には既に赤月涼夜は五体満足となって"新生"しており、彼は愉しそうに笑う。 「良いぜ。シャングリラのルールに則り、 本気でやってやる」 「……いや、手抜き過ぎでしょ」 倍――いや、三倍近くに膨れ上がった赤月涼夜の魔力の波動に灯火は冷や汗を感じ、 かなでは既にベンチを立って赤月から少しでも距離を取ろうと後退していた。 「刀堂さーん……本気でやってくださいね?」 困ったような灯火の声が聞こえてきたが、覇厳はもうそちらを見ることはない。 そう、もうそんな余裕はない。 「――面白い」 知らず、顔がほころぶ。 そんな彼に、赤月が少し怪訝な顔をしたが、 しかし、覇厳は堪えきれなくなったように遂に笑い出す。 それは、不思議なことにこれ迄の狂ったような笑いではなく、純粋に楽しそうな子供のような笑い。 「――ああ、これだよ。これだ――」 刀堂覇厳はずっとこれを待っていた。 「お前、そこまでやっといて簡単に死ぬんじゃねえぞ」 自分の全てを出し尽くせるような相手との何一つ手加減してはいけない、一手誤ればそれに気付く間もなく死亡する。そんな真の死闘、それを刀堂覇厳は望んでいた。 だから、全力を出そう。 「―獣を斬れ、蟲を斬れ、人を斬れ、岩を斬れ、鋼を斬れ、炎を斬れ、水を斬れ、悪魔を斬れ、天使を斬れ、神を斬れ、世界を斬れ、命を斬れ、死を斬れ。 世界にあまねく万物全てを一つ残らず斬り尽くす、ああ其が名は何か? 其は神でもなく、悪魔でもなく、天使でもない、人でなければ、獣でもあり得ぬ。 其が名こそ 剣 其こそが真実偽りなき我そのものである―」 これが、刀堂覇厳の全力。大昔に創ったは良いが、使うに値する相手に今まで出逢えなかった刀堂覇厳――ただ一振りの"剣"を目指した一人の男の極限。 覇厳の全身の魔力回路が目視できるほど鮮やかな鉄色の光を放ち、服越しでも分かるほど。 そして、彼の左胸――心臓の真上に、三本の剣が交差した紋様、魔術血統が一"刀堂"を示す御印"御劔"が、まるで覇厳の歓喜を代弁するかのように一際大きく、燃えるように耀く。 「―"万尽断得劔也"(よろずことごとくたちうるはつるぎなり)―」 そして、戦いは再開した。 実際、ヒトと神が一対一でやり合うなんて有り得ない。 たとえ神が人型を取っていようと、その内力(いわゆるオド)はどれだけ低く見積もってもヒトの限界値の十倍で特級魔術師ですら困難な大魔術を大量に同時展開しうる上、神格概念――"常識"を超越した異常なロジックを用いるのだから。 だが、彼らはあくまで"来訪者"であるがゆえにこの世界からの介入を受け、一、二割パワーがダウンしている上、自然の力(いわゆるマナ)を殆んど取り込めない――すなわち、自然回復が不可能。 対して、それらに対抗するための存在である"狩人"は"来訪者"に対してのみ世界からパラメーターが全体的に一割近くプラスされるという補正を受けるが、実際一割増えたところで"力"の総力はまるで話にならず、数値だけを見れば最強の"狩人"――"血塗れの猟犬"等と蔑称される彼女ですらレベルⅦ"神"どころかレベルⅥ"擬神"や"半神"などとすら桁が違う。 だが実際問題、まだルーキーの美鈴はともかく、覇厳や灯火は一対一でレベルⅥとやりあうのも出来なくはない。 まあ、レベルⅥクラスは殆んど"来訪"しない(もしくは上手く紛れて関知されないか)ため、仮定の話にしか過ぎないし――そもそも、レベルⅦ一体よりレベルⅠ一万体の方が脅威と言えば脅威なのだが。 ……多少脱線したが、本線に立ち返ろう。 何故、数値的には遠く及ばない"狩人"達が"神"に近い"来訪者"達に勝利しうるのだろうか。 分かりやすいのは、灯火や美鈴。灯火は"混沌"寄りのマイナス概念を無条件に"祓う"力を持つことから"混沌"寄りの存在に対しては数値を無視した圧倒的優位を示すし、美鈴は相手がどれほど強かろうと"均一化"することで"互角"の戦い方ができる。 つまり、彼女等は特異な能力――才能によって不足分を補おうとする。 しかし、刀堂覇厳は異なる。 彼の力は、刀による"切断"を強制的に顕現する――すなわち"万象の世界"において大体の神格概念を無力化し"切断"するそれだが、実はこれは才能ではない。 勿論、"刀堂"の性質としてそっち方面に突き抜ける因子は存在したのだが、それを能力として顕現し得たのは才能ではない。 彼が産まれたときから手にしていたのは、ただ一振りの剣だけであり、生まれつきに魔術回路を殆んど所有しておらず、更に異能と成りうるだけの超越も顕現していない、いわば凡人――それが刀堂覇厳の評価であり、疑い無い純然たる事実だった。 だが、彼には一つだけ――そう本当に一つだけ、異常足りうる"性質"が有った。 それは――"不屈"。 どれだけ才能がなくとも、どれだけ能力が低くとも、どれだけ敗北しても"切り裂こう"とし、そのためには文字通りあらゆる方法を用いる。 それを戦いの度に繰り返してきただけ。 刀堂の当主として一流の剣士であった父親を切り裂くために、剣術のみを三年間鍛練した。ヒトを超越した速度を誇った姉に追いつき切り裂くために魔術回路を体内に生成し、肉体強化魔術を覚え自らも加速することを選んだ。カタチを捨てた"来訪者"を切り裂くために"切断"を顕現させた―― そんなことを五十年以上続けてきた――ただ、それだけ。 それだけで、"鬼"とすら恐れられる狩人――刀堂覇厳は誕生した。 「―万尽断得劔也―」 覇厳の詠唱が終了し、励起していた魔術回路から光が消え――しかし、覇厳の外見も周囲の空間も、何一つ変わっていなかった。 「何したんだ?」 赤月は思わず疑問符を浮かべるが、覇厳は物のような無表情に無言でゆっくりと野刀を両手で握り、正眼に構える。 「ま、いいか――死ねよ」 赤月の顔が獰猛な笑みを浮かべるが同時、彼の背後に無数の魔方陣が描かれる。 瞬間、魔方陣から放たれるは青き光線。 軽く百は越すだろうそれが正しく光速で、構えたままの覇厳に襲いかかる。 刹那すら待たず、全身に光線を受けて覇厳は死亡するはずだったが―― ―光断得劔也―(光断ち得るは剣なり) そんな"音"を赤月は認識し、 覇厳は動いた。 赤月の目ですら視認が困難な速度で――いや放たれた光よりも速く、機械仕掛けのように精緻に徹底的に無駄を廃して覇厳の体と刀が駆け、全ての光線を"切り裂いた"。 "切り裂かれ"、存在そのものがほどかれたように虚空に消える光線。 ――何だと!―― その光景に思わず驚愕するが、それも刹那。 今度は覇厳を包囲するように無数の魔方陣を現し、その全てから全く同時に青き光線を放つ。 たとえ光を"切り裂ける"と言っても、野刀一本で前後左右全方位よりのそれを処理するのは常識的に不可能。 ――しかし、事実は"常識"を超越する。 再び覇厳の体は襲い来る光より速く駆け、一回転しながら振るわれた野刀が、全く同時に襲い来る光全てを一つの例外無く"切り裂いた"。 「ちっ――」 赤月は明らかに"常識"の埒外たる現実を目の当たりにしても、狼狽えはなく、精々厄介だと言う代わりに舌打ち一つしたのみ。 通じないならば、他の方法を選択すれば良い。 「――燃え上がれ」 ワンフレーズの呟きと共に顕現するのは"青い炎"。 単に温度が高い故の青でなく、元からそうであるように青く染まった炎――それこそが、赤月涼夜の"象徴"そのものであり、彼の"神"としての圧倒的な力を純粋に"力"として顕現させた塊。 そんな純粋な力の塊が、直径一メートル近い巨大な炎球となり覇厳に襲いかかる。 流石に光速でこそないが、亜音速は叩きだし、力の総量・密度は先ほどの光線の数倍。 それに対して、覇厳は今度は一体何をするのか。それを見極める。 ―焔(ほむら)断得劔也― 果たして再び"音"が聞こえた。 炎球が覇厳を呑み込もうとしたが、 野刀が走り、炎球を縦一文字に切り裂く。 赤月の力の純粋な顕現である炎を切り裂くとは驚愕に値するが、しかしまだ赤月の攻撃は終わっていない。 炎球が真っ二つに切り裂かれると同時、切り裂かれた切り口から次々と鋼が現れる。 鋼とは無数の武具――剣が槍が斧が槌が鎌が―― 一つ一つが"神"すら殺しうる神器の模造品が惜しみ無く現れ、まるで目に見えない武芸者に振るわれているかのように正確に覇厳の急所を狙って襲いかかる。 ―鐡(くろがね)断得劔也― 対して三度、"音"が聞こえ、三度野刀が走る。 野刀は、現れた武具の全てを一刀の下に切り裂き、無力化する――それは既に人間の業でも、神の業でもない。 ――真物の"劔"か―― 赤月はそんな言葉を思わず連想した。 「自己幻想展開かー。まさか、そっち側が切り札だったとはね……あの人も中々大概な"魔術師"みたいね」 灯火が微かに目を細める。 灯火にとって覇厳は言わば"師匠"で幾度も共に仕事をしていたが、彼が肉体強化でない"魔術"を発動するのを見るのは初めてだった。 しかもそれが"幻想展開"――自らの考え出した"秩序"を世界に顕現させるという魔術師にとってのハイエンドの術であるのだから驚かざるを得ない。 「領域は恐らく認識範囲、強度は神格概念と同格――エフェクトは、"劔による切断"の絶対化って所かな」 光より速く動き、光を切り炎を切るという物理的に不可能なことすら達成し、更に亜神器すらも一刀の下に切り裂く――つまり、彼は何であろうと"切り裂く"事が出来るのだろう。 「純粋特化概念憑依にして概念実行の優先権行使――確かに覇厳さんのハイエンドには相応しいかもねー」 純粋に感心の息をつく。 「これで押しきれるなら良かったんだけど――」 傍観者である灯火は、それ故に対峙している二人よりも正確に戦況を把握している。 「そろそろヤバいかな」 そんな事を呟きつつ、遠ざかっていく美鈴と黒の格闘の音を聞き、覇厳と赤月の戦いを見――そして、 悠々とコーヒーを飲む。 覇厳と赤月の戦いは更に加速していく。 赤月は亜神器の群れが切り裂かれたことを確認した瞬間、地面を蹴って瞬間移動のように覇厳に接近した。 そして超絶の力を誇る右の拳を振り抜こうとした瞬間―― ―拳断得劔也― 覇厳の野刀が走り、振り抜かれる直前に赤月の右の拳を切り裂く。 「ちっ――」 振り抜けば当たる当たらないに関係無く周囲を残さず吹っ飛ばすような、正しく神がかった拳であろうと振り抜く前に止められては力を発揮できない。 右の拳が回復するよりも速く、左の拳を振るおうとしたが、それもまた野刀が切り裂く。 しかし、その僅かな時間に既に右拳は完全再生しており、すかさず放とうとする。 しかし、その攻撃も例外でなく野刀が切り裂く。 が、それはフェイント。同時に顎目掛けて蹴撃を放とうと右脚を放つ。 しかし、半ばまで脚が上がった瞬間に覇厳がそれを認識し、 ―脚断得劔也― 脚が覇厳の顎に届くより刹那より速く野刀が脚を切り裂いた。 ――認識と同時に発動か!―― 厄介にも程があると再認識しつつも、フェイントも織り交ぜた格闘を行う。 しかし、放つ拳も蹴りも全て例外無く一刀の下に切り裂かれ、覇厳の身体をかすりもしない。 一見、覇厳の圧倒的優勢――しかし、真実劣勢なのは覇厳に他ならない。 いくら切り裂いてもすぐに回復され、赤月の攻撃を全て防御してはいるものの、逆に言えばそれが限界。自ら攻勢に回ることも不可能だし、術がそして野刀が一瞬でも揺らげば瞬間赤月の拳か蹴りの直撃を受けて死亡が確定するだろう。 そんな次の瞬間崩壊してしまいそうな危うい均衡が、恐るべき事に数分維持される。 しかし、そこまでが限界だった。 何十回目か、赤月の拳を切り裂いた瞬間―― 血と脂にまみれた野刀が遂に骨を断ち損ね、僅かに歪んだ。 そして、それを認識した赤月はすかさず蹴りを野刀に叩き込む。 しかし、ここで初めて――術を始動してから無表情となっていた覇厳の表情が動いた。 それは、勝利を確信したような確たる満面の笑顔! それを不審に思うより速く、放った蹴りは―― 覇厳の左腕を丸ごと消し飛ばした。 ――なっ!―― 赤月は確かに野刀をへし折ろうと蹴りを放った。しかし、瞬間、覇厳は野刀を守るように自身の身をずらし、野刀を手放した左腕をその軌道の前に差し出していた。 その間に、野刀は右手一本で振り被られており―― 「捉えたぞ。"不死鳥"!」 左腕の吹き飛んだ激痛にしかし頓着すること無く、同時に覇厳はカウンターを放つ! ―不死断得劔也― 最後の音と共に、赤月を"切り裂かん"と野刀が走った。 覇厳の野刀が"不死"を切り裂こうと走り―― ――パリン―― 「――!」 しかし、軽い音を立てて野刀が砕け散った。 赤月はニヤリと不敵に笑う。 「おいおい。俺は"不死"なんかじゃないぜ。俺は、"赤月涼夜"だ」 瞬間、覇厳は何が起こったのか理解した。 ――概念の隠匿か!―― 覇厳の"万尽断得劔也"は、覇厳当人が認識、或いは選択した全てを絶対に"切り裂く"術。 つまり、覇厳が認識もせず、選択もしていない存在ならば、それを切り裂くことは出来ないということ。だから、赤月は野刀が当たる瞬間、自らの"不死"という概念を"隠匿"した。 結果、覇厳の術式は意味を成さず、ただの野刀が赤月の頑強な体に当たり、結果として砕け散ったのだった。 「惜しかったな――五百年前だったら死んでたかもな」 笑いながら、赤月は拳を振り被ぶる。 「ちっ――」 しかし、武器が無くなっても、左腕を失っても、自身の最大の術が破られても、まだ覇厳は諦めない。 ――べちゃっ―― その時、覇厳の頭に横から飛んできた雪玉が当たって砕けた。 「は?」 予想外の現象に思わず動きを止めた赤月。 そして、同じく動きを止めた覇厳に更に横手からの雪玉が次々と命中し、彼は蒼白の雪まみれになった。 「灯火ーっ!」 覇厳は雪玉の飛んできた方に顔を向けて怒号を飛ばすが、 「じゃーねー」 いっそ清々しいほど暢気な声と共に、覇厳の全身は天よりの降り注いだ蒼白い光の柱に包まれ、消えた。 「はい、撤収撤収と――まあ、ギリギリかな?」 雪玉を投げたのは当然、観戦していた解礼灯火。 彼女は片手で缶コーヒーを飲みながら、ベンチに座ったまま無造作に林の向こう――遠ざかっていた刃積美鈴へと握っていた雪玉を投げた。 「ミスっちゃーん!撤退ねー!」 続いて、彼方でもう一度光の柱が上がった。 「さてっと」 それを確認して灯火はようやくベンチから立ち上がった。 そして、彼女を睨み付けていた赤月の瞳を正面から見返し、暢気そうに微笑んだ。 「初めまして。ワタクシ、日本魔術血統二十三家の一つ"祓い"の解礼家当代大巫、"雪灯籠"解礼灯火と申します。――ひょっとすると"千堂"の末と言った方が説明になるかもしれませんね」 少しだけ、赤月の表情が動いた。 「"シャングリラ"の"王"、赤月涼夜さまと御会いできるとは望外の喜びと存じます」 恭しく澄んだ言葉を紡ぐ。 「お前……俺ら三人と一人でやる気か?」 そう、前には赤月、後ろにはかなで、そして林の向こうからは黒が戻ってきていて、灯火は包囲されていた。 「いえ――あなた方"不滅"の怪物と一人で勝てると思うほど増長は致しません。ただ、このままお帰り願いたいと思うだけですよ」 「そっちから喧嘩売っといて随分な言いぐさだな」 戦いに水をさされて不満な赤月は苛立ちを隠そうともしない。 「一応、止めたんですよ?心の中で」 しかし、灯火は微笑みながら空々しく嘯く。 「それにまあ、ただでお帰り願えるとはこちらも思っていませんし」 スッと、缶コーヒーの持っていない左手を肩の高さまで持ち上げる。 「―嗚呼、誰も知らぬ。何時より雪は降ったのであろうか?何時より、かくも白き景色は生まれたのであろうか?―」 左手から蒼白の雪が一片こぼれ、地面にハラリと舞い落ちる。 そして、世界が光に包まれた。 「なっ!」 「きれー」 「おいおい……」 かなでが絶句し、黒が喜び、赤月ですら驚いた。 見渡す限りの草木が、石が、雑草の一本、小石の一個にいたるまで雪に覆われたかのように蒼白く輝いている。 その光によって真夜中にも関わらず真昼のようにまぶしく、空気ですら清らかに感じられるほどのそこは、疑い無い"異界"だった。 「……はっ。中々やるじゃねえか」 皮肉でも何でもない、純粋な称賛。これ程のことを赤月にもかなでにも一切気付かれること無く準備しきった彼女の技巧は並大抵ではない。 「この自然公園内――アバウト五キロ四方を私の完全な支配下に置きました――そして」 灯火の全身が蒼白の輝きを帯び、呼応するように周囲の輝きも増す。 「―第四の封印を解く時"来たれ"と声が響く 天を見よ、蒼褪めた馬が来る。騎手の名は"死"、黄泉を従えし者である― ―"蒼白の騎手"(ペイン・ライダー)―」 周囲をまばゆいばかりに包んでいた光が、更に輝きを増す。 そして、灯火の背後の上空の空間が歪んだ。 歪みの向こうから現れたのは光輝く中ににあって、光の一切を持たない蒼褪めた死んでいるような馬。そして、その背に乗るのは馬と同じ蒼褪めた色の甲冑を全身に纏った騎士。 騎士の手には黒い大きな戦旗が握られており、 騎士の現れた空間の隙間には今にも溢れ出しそうな程の"闇"の塊が覗いていた。 騎士が手綱を引くと、蒼褪めた馬は断末魔のような恐ろしい嘶きを上げ、ゆっくりと魔女の横に降り立つ。 その見るもの全てに本能的な恐怖――すなわち、"死"の恐怖を思い起こさせるような騎士の威容を見て、しかし魔女は蒼白い肌に薄笑いを浮かべる。 「ヨハネ黙示録第六章第八節より"蒼白の騎士"の顕現です さて、やりますか?」 「……涼夜」 かなでが口を開きかけたが―― 「――退け。気が乗らねえ」 赤月の面倒そうな言葉に制された。 「ふい?帰るですか?」 「ああ、悪いが出直す。先に帰っといてくれ」 「ういー」 おどけた仕草で敬礼して黒は世界移動術式を発動して退場。 「……じゃあ、私も帰る」 やや怪訝そうな顔をしつつ、かなでも退場。 そして、残されたのは二人。 「いやーどうも有り難う御座います」 魔女は赤月に軽く礼をし―― 頭を下げた瞬間、赤月の手が閃く。 そして放たれた直刃の剣が魔女の傍らの騎士を馬ごと貫いた。 蒼白の騎士は何の反応も出来ず燃え上がる。 「おや」 魔女は目を丸くするが、しかし取り乱さない。 「一対一でやります?」 穏やかな調子で問い掛ける魔女を見て、赤月は苦々しげな表情になる。 「……やっぱり、本気じゃねえんだな。"四騎士"の顕現が全力か?それとも――」 赤月の言葉を遮るように左手をひらひらと振る。 「見たいですか?この領域のマナ全部使えば十分に顕現できますよ」 穏やかに言いつつ、魔女は自然な動作で缶コーヒーを一口飲む。 しかし、赤月は首を横に振った。 「いや、やらねえよ。女性と戦う趣味はねえし、そもそも―― 本気でやったら死んじゃうじゃねえか」 魔女の頬がひきつり、握っていた缶コーヒーが微かに軋んだ。 「……分かります?」 「まあなー。あんまり"神"舐めんなよ?」 しばし、無言で二人は睨み合う。 「……では、どうされますか?」 平静を取り戻した魔女は、缶コーヒーを飲む。 「まあ、今回は帰ってやるよ――お前とあの"狩人"に敬意を払ってな」 「身に余る光栄です」 微笑みが魔女の顔に浮かぶ。 「その代わりって言っちゃあ何だが、少し聞いて良いか?」 「何です?」 「お前、死が怖くないのか?」 魔女はポカンとした顔になり、 爆笑した。 「え?何? ひょっとして気遣いですか?失礼ですけど、大きなお世話ですよ」 爆笑する魔女を、しかし"不死"は気分を害した様子も見せず面白そうに見つめる。 「"人々よ、死を恐れるな。死は安息であり我等全てに約束された究極の贖罪である"ってね。これまで遊んできた清算を求められるというなら、喜んで――とまでは言えませんけど、謹んで許容しますよ」 魔女は笑い、"不死"もまた笑う。 「――お前、"善人"だな」 ある意味気恥ずかしくなるような断定に、魔女は抜け抜けと肯定する。 「ええ、さすがに"神"は誤魔化せませんか」 「ククッ、良いな。"解礼"――いや、"千堂"の末か。あの"抜け作"の末は面白くなってんじゃねえか」 赤月の手が再び閃き、灯火は投げられたものを反射的に掴み取る。 それは黒地に青い三日月の描かれた一枚のカード。 「気に入ったぜ、解礼灯火。それやるよ」 「これ何です?」 「それを使えば一度だけ、そう一度だけ俺を呼び出せる。一度だけ、お前の都合に従ってやるよ。光栄に思えよ?俺が他人の都合に合わせるなんて本来絶無なんだからな」 しかし、灯火は困ったように首を傾げた。 「これ、私じゃなくても"解礼"の後代が使っても良いですかね?」 赤月が、あっけに取られたような表情になった。 「いや、だって私が使う用事が有るとは思えませんしね――大体のことは自分で何とかしますし」 流石の赤月も沈黙した。 「……いや、良いだろう。お前の子孫なら手伝ってやる」 なんか、渋々と赤月は頷く。 「なら――」 灯火は巫女装束の襟をはだける。 と、左胸の上部、鎖骨の下に輝きが現れる。 それは七つに枝分かれした樹のような紋様。 「解礼の御印"七枝御幣"です。これの所有者を一度だけ助けてください」 「良いぜ。何に誓ってやろうか?」 「まあ"神に誓って"で十分ですけど」 また、二人して笑った。 「さて、じゃあそろそろ帰るかな」 一しきり笑った後、赤月が退場しようとしたとき、その背中に灯火は声をかけた。 「そうだ、しばらくこっちには来ない方がいいですよ」 「何でだ?」 「数百年に一度の地脈の揺らぎが日本中に影響を与えてますから――"狩人"たちも殺気立ってます。無用な争いを嫌うのであれば慎んでいただけると喜びます」 「……考えとく。 まあ、じゃあな」 「ええ、"さようなら"」 灯火が、時空の彼方に消え行く赤月の背中に恭しく一礼した。 これが、解礼灯火と赤月涼夜の最初にして最後の別れの言葉だった。 シャングリラの一行は既に去り、残されたのは灯火のみ。 「さて――と」 灯火は歩き出しつつ缶コーヒーを一口飲む。 「まあ、こんなものかな?」 と、周囲の青白い輝きは幻のように消え、闇の静寂が戻ってくる。 彼女は袴についているポケットに手を突っ込み携帯電話を取り出す。 「えーっと……」 まず最初に通話すべきなのはと数秒思案し、結局ディスプレイに浮かんだ文字は"刃積美鈴"。 「……あ、ミスっちゃん?」 『灯さん、大丈夫だったー?』 返ってくるのは気楽そうな声で、ホッとした。 「うん、まあお帰り願ったよー。そっちもその様子だと大事無いみたいだね」 『うん。まあ、ご命令通り時間稼ぎを第一にしてたからねー。少し物足りなかったけどー』 「あははー。まあ、たまには良いでしょ……で、聞きたくないんだけど」 それでも取り敢えず聞かなければならないだろうなぁ―― 『覇厳さんならもう帰るって言って帰っちゃいましたよー怒ってはいたけど、まあいつも通りじゃない?』 「……まあ、それはそうだけどね」 それでもほっとくとヤバいのも事実なので後で謝りに行くことは決定と。 「まあ、わ――ボクも今日はこのまま家に帰るから。また何かあったら呼んでねー」 そう言って、通話を切ろうとしたが、 『……あのっ!』 美鈴にしては珍しく焦ったような、真摯な声がそれを遮った。 「ん?何かある?」 勿論、言いたいことは予想がつく――が、それを気にして欲しくないのも灯火の思いだった。 『あの……"予言"を信じてくれて有り難う御座いました』 美鈴の力、"予言"は発動のタイミングが不確定で内容も曖昧なことからあまり信用されていない――ただじゃなくても美鈴の立場は弱いのだから。 だが、灯火は軽く笑い飛ばす。 「いいって、"友達"の言葉を信じるのは当たり前でしょー」 『……灯さん……』 「じゃ、お休みー」 湿っぽくなりかけた空気を振り払うように灯火は通話を切った。 「……ミスっちゃんも何とかしないとねー」 缶コーヒーを一口飲む。 続いて、更に携帯電話を操作しようとして、しかしポトリと携帯電話を取り落とした。 「……おっと」 苦笑いをし、痙攣している手をゆったりとした動作で口許にやって、 「ガホッ!」 真っ赤な真っ赤な血を吐いた。 「ゴホッ!ゴホッ!」 数度、白い肌を、巫女装束に赤い彩りが加えられ、そこでようやく彼女は真っ赤になった口許をぬぐった。 「ふう……やりすぎちゃったよねー」 か細い声で呟く彼女の顔は何時もより更に青白くなっており、脂汗がいくつも浮かんでいる。 彼女は老人よりも更に緩慢な動作で携帯電話を拾い、未だ震える手で操作する。 そして、二三度咳払いをして、更に口許を赤く染めるとようやく通話を開始する。 次にディスプレイに表示されたのは"主治医"。 『……何の用だ?』 電話に出た渋い声の男の名は野口平介――まんま灯火の主治医である。 「あ、どーも。いや、ちょっと吐血したんで、明日辺り検診してもらいたいんですけどー」 いつも通りの声音で、出来る限り明るく告げる。 『……あ?』 ヤクザも震え上がる(実話)ドスのきいた声に苦笑する。 『……怒らないから、言ってみろ。お前……何日前に前回の検診を受けたっけな?』 「三日前ですねー」 『そんときは小康状態だったんだぞ、このボケ!なんで三日で吐血までいってんだよ!』 やっぱり怒るんじゃん…… 携帯電話を耳から離しつつ嘆息した。 『どうせまた、魔術使ったんだろが』 「あーまあ、六十パーセントばかり」 『そもそも使うなって言ってんだろーが!このバカ野郎!!!』 「はい、すみませんでしたー」 ケラケラと、深刻でも無いように見せ掛ける。 「で、明日何時なら空いてますかー?」 『今すぐ来い!良いか、今が十時か、今日中に絶対来い!バックレたらこっちから行ってやるからな!』 「えー、そこまでは悪いですよー」 『ナマ言ってんじゃねえ!さっさと来い!』 「えー……あ、切れちゃった」 携帯電話から十センチ以上離れていてもなお聞こえる驚愕の怒号を最後に通話は切れた。 「……まったく、野口さんにも困ったもんだよね」 口ではこんなことを言いつつも、灯火だって分かっている。 こんなふうに誰かから真剣に心配されている自分は幸せなのだということぐらいは。 ついでに、そんな他人の善意を理解した上で利用させて貰っている自分は狡いということも。 「まあ、野口さんがいなかったらこの歳まで生きられなかっただろうしねー」 笑いこそ軽いが、言っていることは真面目なもの。 感謝はしているのである。湿り気が嫌いなので態度には見せないが。 そんなことを考えつつ缶コーヒーを一口飲む。 そして先程よりややゆっくりした歩みを進める。 「……まあ、たまにはこういう遊びも悪くないよね」 そうまとめて、近くのゴミ箱に缶コーヒーを捨てた。 ◇ ◇ ◇ 「それで、それが五年前に貰ったカードだよ」 月明かりのみが照らす病院の待合室。 無数の椅子が並ぶそこに今は二人しかいなかった。 一人は、腰までの黒い長髪にやや胸の膨らんでいる白い患者服を纏った赤瞳の女性――解礼灯火。 彼女は椅子の一つに座って、待合室の片隅に立つ青年を見る。 「……馬鹿らしい。ホントにこれ使えるのか?」 紫瞳を細めた目付きのやや小柄な濃緑の服を纏った青年は渡されたカードを検分する。 「さあ?まあ、使えば分かるよ」 ニヤニヤと月明かりで更に青白くなった顔で笑っている。 「……馬鹿野郎。そもそも、どうやって使うんだよ?」 青年は面倒と言うよりむしろイラついているような嫌悪感に溢れた声音でブツブツ言いつつ、渡されたカードを手でクルクルと回す。 「テレカっぽいし電話機に差し込むんじゃない?」 「……馬鹿らしい。まあ、良い。借りは返す。預かってやるさ」 嫌そうな口調、しかし素直に手にしたカードを握り締める。 するとカードは彼の手に呑み込まれ、姿を消した。 「後、これもよろしくー」 続けて、灯火は手にしていた白い塊を投げ渡す。 青年は右手一本で受け取る。 受け取ったのは白い、雪を封じ込めたような鉱石の塊。 その鉱石――厳密に言えばその奥の輝きを見、彼は鼻を鳴らした。 「お前の力の集約か?」 「まあ、そんなものかな」 クスクスと彼女は笑う。 「……で、何時まで預かってやれば良いんだ?」 その鉱石もまた握り締めて呑み込み、彼は溜め息をつく。 「んー十五年先ぐらい?」 青年の目が更に細まる。 「――馬鹿野郎。そこまでお前が生きてるわけがないだろうが」 ある種、冷酷な宣告にしかし灯火は気分を害した様子も見せず笑った。 「まあね、だから私の為じゃなくて娘のためだけど」 「……は?」 しばらく沈黙。やがて、彼の額に青筋が浮かび、微かな歯軋りが待合室に響いた。 「…………良いだろう。ああ、借りは返す。約束は守ってやろう。だが、そこまで俺が生きているかも分からないぞ」 彼は一度だけ舌を鳴らした。 「大丈夫よー。あなたみたいな人は中々死ねないから」 灯火は悪戯っぽい微笑みに変わり、青年は目をそらした。 「どいつもこいつも馬鹿野郎じゃねえか……」 憎悪に満ちた呟きが彼の口から漏れた。 「まあ、あの娘が君の元に辿り着いたら、その時渡してあげてよ」 「良いだろう。その時まで俺が生きていたらな」 そう言って、彼は踵を返した。 「よろしくねー」 彼はうざったそうにヒラヒラと手を振り――そこでふと足を止めた。 振り返り、紫瞳で灯火を見据える。 「そう言えば、お前のガキの名前は?」 灯火は満面の笑みを浮かべた。 「浄歌(キヨカ)よ。浄き歌と書いて、浄歌。良い名前でしょう?」 彼は再び背中を向け、 「……まあ、良い名前かもな」 とだけ呟いた。 これが、解礼灯火が亡くなる一週間ほど前の話
赤月涼夜は第零階層"万象の世界"出身ではあるが、"界渡"どころか"創界"すら可能な"神"クラスであり既に"被造物"ではなく"創造者"であることは疑い無い。 で、生来の"遊び好き"のせいもあって"万象の世界"には時々帰ってくるという程度。 まあ"帰ってくる"といっても、既に帰る場所であるはずの家族や故郷は片鱗すら残っていないのだが――それについてどう思っているのか、聞くような命知らずは現在存在しない。 ――前置きが少し長くなったが、ともかく気まぐれで涼夜は"万象の世界"、日本に帰還した。 「ふいー"空間渡航"は何度やっても慣れないものなのですよー」 「何百年もやってれば慣れる。それまで辛抱」 「というか、慣れろよ。何回やってると思ってんだか」 赤すぎる月を背景に、真夜中の自然公園に三人の人影が現れた。 "シャングリラ"と自称している小さな"世界"の"王"である赤月涼夜とその眷族、黒とかなでの二人の合わせて三人がワイワイ騒ぎながら人気の無い自然公園を歩く。 「ほらー!!ミスっちゃん、超ビンゴー!!"来訪者"が三体もいるっすよー!しかも一つは"神"クラスー!」 突如そんな楽しそうな少女の声が夜の森に響いた。 「なんでしょー、あの微妙に黒と同じ匂いのする声は」 「……バカ?」 「だろ……厄介なのに見つかったか」 涼夜が面倒そうに声の方向――数メートルばかり先の大樹を見る。 そこには、三つの人影。 一つは張り出した大枝に座る人影、そして残る二つは大きな幹に隠れるように立っていた。 月明かりも届かない木の陰にいる三人の姿は普通ならとても見えるものではないが、ほら"神"って一種のチートなんで、涼夜は十分に三人の姿を視認できた。 「"かりうど"って何ですー?」 黒が首を傾げる。 「簡単に言うと、外世界からの来訪者を討ち滅ぼす存在。私たちの天敵」 黒はふーんとよく分かってなさそうに首を傾げ、 「あー黒、危ないぞ」 そのまま黒の体が縦に両断された。 「はれ?」 気の抜けた声一つ残して黒の体はずれたように二つに分かれ地面に崩れ落ちる。 「覇厳さん抜け駆けズルいー!」 少女の声を受けたのはいつの間にかシャングリラ方の三人の前に現れていた男。 白髪混じりのやや老けた顔つきに、草臥れた薄茶の軍服擬きの簡素な服を纏うやや小柄な彼は、月明かりを受けて輝く一メートル近い野刀を右手一本で無造作に持っていた。 「うっぜぇなぁ――殺ったもん勝ちだろが」 彼は血走った瞳で残る二人を見つめ、狂ったような酔ったような陶酔した薄笑いを浮かべる。 「はうー危なかったですー」 危ないも何も、明らかな致命傷――いや、死を受けたのにも関わらず黒は真っ二つになったまま立ち上がる。 「ペタリと――あれ?」 傷口を繋ぐように半身同士が結び付く、が当然くっつくことはなく、再び二つに分かれる。 「へえ――お前、"真性"の狩人か」 黒のグロいコントを目の当たりにして涼夜は面白そうに笑う。 対して、男はつまらなそうに黒を見る。 「ちっ――"不死身"か。うぜぇ」 野刀を持ち上げ、 たと同時に振りきられていた野刀が黒を今度は横に両断する。 「うきゃー」 割と余裕な悲鳴と共に四つの肉片がボタボタと地面に落ちる。 「涼夜――」 かなでが涼夜を庇うように男の前に立ち塞がろうとしたが、 「まあまあ、落ち着いたら?」 やや眠そうな女性の声とともに肩にポンと手が置かれ、かなでの体が電撃でも走ったかのように痺れ硬直した。 「え――」 接近どころか触られる直前まで気付けなかった、その事実にかなでの肌が粟立つ。 が、それも一瞬の事、即座に背後の気配(恐らく女性)目掛けて"蟲"を放つ。 瞬間にして顕現する大小数百匹の蟲の軍勢が一斉に背後に襲いかかり―― 「――危ないなぁ」 どこかゆったりした声とともに肩に置かれていた手が離れ、 周囲が蒼白の光に包まれた。 「――っ」 清らかな蒼白の光はしかし、かなでの全身に炎のような痛みを与え、咄嗟に光から逃れる。 逃れつつ、背後を振り返り、背後の人影を視認しようとする。 ――グギィィィッ―― 光に包まれた蟲たちは苦悶の声が響き、砕けて灰と消える。 その向こう側、白光に包まれた中心に立つのは一人。 蒼の袴に純白の巫女服、透き通るような青白い肌、青白い髪が少し混じった腰までの黒い長髪、何処か中性的な容貌(バストサイズ含む)、そして円く赤い瞳をゆるめて悪戯っぽく微笑む女性だった。 「少しぐらい"ボク"と遊んでくれたって良いんじゃないかな?」 ――ボクっ娘巫女!―― 戦慄を覚え、再び全身が総毛立つ。 「おい、かなで、黒。残りの奴等抑えとけ」 そんな中、主――涼夜の愉しそうな声がかなでにヤル気を取り戻させる。 ――涼夜がこんな面白そうな娘に興味を持つ前に始末しないと!―― 「ういー」 対していつの間にか、四等分されたはずの黒の体は修復されており、最後の一人と相対していた。 最後の一人は眼鏡をかけ、やや赤茶けた煉瓦色の髪を左右でくくり、髪の束を大きな鈴の髪留めで止めた、黒と同じくらい――いやそれよりも更に小さく、太っているまではいかないがやや丸みを帯びた体型の少女。 「きゃははっ!アンタみたいなチビにミスっちゃん止められるのかなぁ!」 「むかー!そっちの方が小さいくせに!序でになんかキャラが被ってる雰囲気ですよ!」 二人揃って餓鬼レベルなのは間違いないかと。 「さて――取り敢えず聞いてやるが、お前の名前は?」 最後の一組、赤月は狂ったような笑みを浮かべた男と相対した。 男は野刀を無造作に下げたまま赤月の言葉を鼻で笑う。 「はっ、オレは刀堂覇厳(トウドウ・ハゲン)」 ――死ねよ。 挨拶もそこそこに刀堂の野刀が走る。 右手一本で振るわれる野刀はしかし、十分すぎる速さと精密さを持って赤月を逆袈裟に薙ぎ払わんとする。 「あっぶねー」 しかし赤月は言葉とは裏腹に余裕を持って後退して野刀を避ける。 当然、振りきられた野刀は致命的な隙を産む、得物の長さと片手のみで振るうというバランスの悪さゆえに咄嗟の反撃は不可能。 そんな彼を軽くぶち殺そうとしたが、 刀堂の次の行動に驚愕する。 振り上げた瞬間、いや当たらないことが確定した瞬間、彼は既に右手を刀から手離しており、振り上げた勢いで宙に浮き上がった刀をそのまま左手で受け止めていた。 そして、ダンサーのように舞い上がって一回転。その勢いで左手で持った刀を今度は首筋目掛けて叩き込む。 「――っつ!」 右手一本の時とまるで変わらない鋭い一撃を上半身をのけ反らせて避けるが、刀堂の連撃はまだ続く。 更に半回転して完全に赤月に背後を見せた状態で着地。 しかし、背後を見ること無く身をのけ反らせて硬直した赤月目掛けて刀をバックハンドで投擲。 狙いすましたように赤月の心臓目掛けて走る刀を赤月は体勢を立て直しつつ弾く。 「――"戻れ"」 弾かれた刀は刀堂のスペルに合わせて消え、彼の背にくくりつけられた鞘に戻る。 それを確かめもせず、刀堂は赤月に正対するために回転しつつ身を沈め、地を這いつくばらんばかりの姿勢で走り出す。 コンマ数秒で赤月を間合いに収めた瞬間、刀堂は斬撃を放っていた。 その斬撃は正しく神業――誰が一メートル近い、しかも背に収めた刀で居合い抜きを放てるだろうか。 しかし真実、刀堂は減速どころか加速しつつ右手一本で背の刀を鞘から引き抜きその軌道のまま下段に薙ぎ払う。 赤月は飛び越して避けるが、刀堂はその瞬間再び刀を右手から左手にスイッチ。 自身の身体をはね上げる動きと連動させて刀を切り上げる。 「うおっとお!」 やや余裕を無くしたような声を上げ、赤月は空中を蹴って後退する。 しかし、体勢を立て直す間も与えず刀堂の連撃は更に続く。 一瞬の停滞無く赤月を追い続ける連撃は計算され尽くしたもののように思われるが、赤月がどんな奇抜な回避をしても続くことから、本能――いや、直感で最も相手を殺すための最善手を選び続けているだけに過ぎない。 ――先天的なものか、後天的なものかは知らねえけど、どっちにしろ大したもんだよな―― 何にしろ、その殺すための最善手を選び続けられる能力とその通りに身体を動かせる運動能力には正直、感心せざるを得ない。 更に、多分彼は"真性"の狩人――まあ、かなでと黒に任せた残る二人もそうなんだろうが――であり"来訪者"に対して圧倒的なアドバンテージを持っている。 例えば、刀堂の野刀は強度を保つための僅かな魔術付加しかされていないに関わらず、黒に傷を負わせた――しかも瞬間的には再生しないレベルで――こと。 あれは、この世界では本来有り得ない現象(この場合、黒の超再生)を一時的に無効としたのだろう。"狩人"特有の力、"来訪者"――この世界とは異なるロジックを持つ存在に、この世界のロジックに従うことを強要させる力――まあ、力の土台がこの世界である赤月当人はそれほどでもないが、この世界よりの力を殆んど持たない存在には正しく必殺の一撃となりかねない。 何故なら、たとえ別の世界のロジックで"不死身"を達成したとしても、この世界にそのロジックが存在しなければ、"不死身"は無力化するのだから――黒は普遍性の高い"不死身"のロジックだったため多少回復が遅れただけだったが、特殊なロジックで構成された"不死身"であれば完全に無力化され"常識的に"死亡するだろう。 ――おもしれえな―― これで敵が美少女だったりすると、もう最高だが、それほどまでいかなくとも十分楽しめる。 例え、死して蘇るとしてもここ数百年死ぬかもしれないような状況に陥ったことすらなかったのだから。 ――少しぐらい、本気でいくか―― 非戦闘員なりの戦い方として、まず距離を取ろうとしたかなでだったが、 「――さて、と」 巫女服の女性はいきなり側にあったベンチに座った。 「座ったらー?ほら、観戦しようよー」 ――は?―― 迂濶にも唖然としたが、女性は既にかなでから視線を切って残る四人の戦いを見ていた。 御丁寧にいつの間にか手に缶コーヒーを持っているし。 「…………」 どうするべきか割と真剣に迷う。 「一つ言っとくけどさ、"私"病弱だからあんまりやる気ないんだよねー。だから、戦うのは止めてくれると助かるかな」 視線を切ったままの女性の気の抜けた言葉に少し脱力し、同時疑問が浮かんだ。 ――あれ?さっき―― すると女性がしまったと言わんかのように片手で額を軽く叩く。 「あっちゃぁー……ま、ミスっちゃん気付いてないみたいだし、いっか」 気楽そうにケラケラと笑い、く茫然としているかなでを見る。 「ああ、ちょっとあそこの煉瓦色の髪の子――刃積美鈴っていうんだけどさ、彼女との罰ゲームで今日一日は一人称"ボク"で通すことになってたんだー あ、ついでに"ボク"ら――私たちがこんな所で待ち伏せしたのもあの子とのゲームに負けたからだからね。あの子はおよそゲームと名の付くものには勝率八割を誇る天才でさー」 自慢の娘を誇るかのように彼女は語る。 「……そう……」 生来口数が少ないせいではなく、単純に何と言って良いのか分からなくて口ごもる。 かなでが戸惑っていると、また女性が語り始める。 「そうだ、自己紹介でもしておこうかなー 私は"雪灯籠"解礼灯火―― 日本魔術血統二十三席の一角を占める"祓い"の解礼家の現当主なんだけど、それはどうでもいいよね――肝心なのは、」 瞬間、彼女の朱瞳がかなでを見据えるかのように微かに細められ、長髪が重力に逆らって波打つ。 「――アナタは絶対に私に勝てない――」 蒼白の魔女は冷酷に宣告した。 同時、魔女は凍えるように冷たい、汚れない純粋な殺意を発する。 「……!」 かなでは彼女の殺気に戦慄を覚え、半ば無意識の内に大型の"蟲"を召喚。加えて、その背後から無数の雷撃を放つ。 回避など不可能だし、生半可な――百年も生きられないようなただの"ヒト"など軽くダース単位で殺せるような必殺の攻撃。 しかし、魔女は、 「本気じゃないんだろうけど――手、抜きすぎじゃない?」 皮肉げに口の端をつり上げた。 魔女の波打つ長髪から零れるように無数の蒼白の光の粒が現れる。 最初、指先ほどの大きさだったそれは瞬間的に拳大まで膨れ上がり弾丸のごとく"蟲"に襲いかかる。 "蟲"の装甲は耐魔術がかけられているし現実的な強度も生半可な鋼より遥かに硬い、それなのに―― ――グギィィィッ―― 光の塊はまるでそこに何もないかのように無造作に"蟲"を貫いた。 全身に無数の穴を開けた"蟲"は苦悶の声を上げながら灰と消える。 しかし、その間を掻い潜る雷撃は光の粒に遮られること無く魔女に襲いかかる。 迫り来る必殺の雷撃を前に魔女は、神聖なる呪詛を紡いだ。 「―至高の神より賜りし天上の白光、我を守護する雪となり、我を犯さんと欲する全ての混沌を吹き散らせ― ―"吹雪く聖結界"―」 応えるように魔女の全身から溢れ出した無数の微細な蒼白の光の粒が、風に吹かれたように舞い上がる。 粒は風などまるで吹いていないのに暴風に揺られるかのように舞い、彼女の周囲だけ吹雪でも吹き荒れているように輝かせた。 そして光の吹雪は襲いかかる雷撃を呑み込み、正しく"粉々に"粉砕した。 「――っ!」 何故こうも焦っているのか、自分でも分からず、無意識の内に更に攻撃を叩き込もうと―― 「はい、おしまーい」 これまでの攻防が嘘のようにあっけらかんと彼女は笑い、手放していなかった缶コーヒーのプルタブを開けた。 間の抜けた音が月明かりの照らすのみとなった薄暗い森に響き、彼女はコーヒーを一口含み顔をしかめた。 「……やっぱまだちょっと熱いね」 既にやる気無さそうな彼女の様子に、かなでの焦燥もまた消え去り、冷えた頭でようやく思い至った。 「――でもさ、少ししか力を発動してないのに、ここまで敏感に反応するなんてアナタよっぽど"混沌"に近い存在なんだね。あそこの"不死鳥"の人と相性悪くない?」 ――"不死鳥"の"再生"とか"円環"って"秩序"側だからね―― 彼女が嘯く。 そんなことを言えるということはつまり、 「あなたは"混沌"の祓い手」 かなでの無表情が、ほんの少し悔しそうに歪んだ。 「そ。私の――解礼家の性質は"清浄"。"混沌"――マイナス概念よりの存在を"消滅"させる力だからねー。 ――アナタとは相性が抜群に良いみたい」 クスッと猫のように悪戯っぽく微笑んだ。 そう、華唄かなで――かつて、とある世界をたった"一人"で崩壊させようとした最悪の"細菌"はまごうこと無き"混沌"寄りの存在であることは疑い無いし自らの喚ぶ"蟲"もそれに近い存在であるのは事実。 故にかなでの本能は目の前の"祓い手"を"敵"と認識して過剰な敵対行動をとってしまったし、"蟲"は魔術付加やらなんやらを無視して存在のみを直接に"消滅"させられたのだろう。 確かに相性が悪い、別に"蟲"が使えないところで他の攻撃手段も有るからそれは良いんだが、問題は戦っている内に先程のように暴走するかもしれないということ。 ――それはキャラに合ってないから―― そんなバーサークは黒にでも任せておけば良いわけで、自分はそんな力任せな戦いは大嫌い、うん。 自分の主義嗜好を再確認するように一人軽く頷くかなで。 「それは事実。それで、あなたはどうするの?」 「別に、何も。言ったでしょー"病弱"だって。それに私は"白木の杭"じゃないし、"不死身"の相手なんて出来ないって」 "白木の杭"の意味が分からず少し首を傾げたが、灯火はそんなかなでを見ていない。 「まあ、アナタたちの目的は分かんないけど、取り敢えずあそこの二戦が一段落したら引き上げてくれると助かるなー」 灯火は缶コーヒーを口に運び、満足そうに目を細めた。 そんな彼女の様子を見て、やる気も削がれたかなでは灯火の座るベンチの片隅に座った。 「そうそう、一つ質問なんだけどさ。あそこの"不死鳥"の人って"此処"の出身?」 先ほどから言っている"不死鳥"とは赤月涼夜の事――恐るべき事に彼女は力の片鱗も見ること無く、涼夜の本質を理解していた。 で、そんな涼夜は今現在"砂蛇"とか名付けていた野太刀を振るって同じく野太刀を振るう男と一進一退の攻防を繰り広げていた。 それは割と珍しい光景。剣の腕だって達人クラスの涼夜と何合と無く打ち合い、どちらの刀も相手をかすりすらしていないのだから、相手の実力がただならぬものと分かる。 「記憶が確かなら、金城(かなぎ)の一派が似たような太刀筋だった筈なんだよねー。ああ、金城って言うのは刃積の配下の家でさ、太古から剣術に拘ってる一門なんだけど」 「……"金城"は知らないけど、確かに涼夜はここの出身とか聞いてる」 ――後で、"金城"についてじっくり聞く必要あり―― そんなかなでの心中は知らず、灯火は話を続ける。 「やっぱりねー。まあ、"不死鳥"の力を持っているってことは途方もない昔の人なんだろうね。そういう意味では厳密には私たちの敵じゃないんだけど」 まあ、確かに"来訪者"ではないだろう。 「と言っても、今更退かないとは思うけど――後、十五分かな」 灯火は左手のダイバーウォッチに視線を落としていた。 「十五分?」 「そう。覇厳さんがあの"不死鳥"を一度殺すまで――ま、あの勢いならだけど」 「……!」 何気無い呟きにかなでは寒気を覚えた。 と、気配が伝わったのか灯火の円い赤瞳がかなでを見つめた。 「そんな驚かなくても良いでしょー。アナタたち"不死身"なんだしさ」 確かに"死"はそう恐るべきではないが、その内容はかなでを戦慄させるに十分だった。 主――赤月涼夜が"狩人"とはいえ、ただのヒトに敗れる?それも、ただの斬り合いで?―― 「……あ」 にわかには信じがたかったが、よく考えるとそれは十分有り得ること。 そもそも、"一度殺されなければ本気は出さない"がシャングリラのルールである以上、無意識の内に本気を出したいと思って死へと向かうことは有り得ないことではない。 まあ、最も本人に聞いても否定はされるだろうが、その可能性はかなでにとっては否定しきれない事だった。 ただじゃなくても"不死身"にとって"死"はタブーでもなんでもないのだから。 ――巻き込まれないように逃げる準備が必要かも―― そう思ってしまう。 "不死身"でも痛いものは痛いし、何年も修復に費やすのは正直ぞっとしない未来絵図。 「――ま、それ含めても四十分がリミットかな」 かなでに聞こえないように口の中でそう呟いた。 「行くですよー!」 「きゃははっ!楽しいなっ!」 森を駆け回り、交錯を続ける黒き疾風と煉瓦色の颶風――黒と刃積美鈴、二人の笑い声が夜に響く。 二人は亜音速近くまで加速し、木々を時々薙ぎ倒しながら互角の戦いを続けていた。 見た目的には正しく互角の戦いだがしかし、 ――何で"互角"に戦えているの?―― 観戦していたかなでは首を傾げざるを得ない。 正しく身一つで飛行機も落とせるような"バカ"力(ぢから)の黒と、彼女の真骨頂である近接格闘戦で二十年も生きていないような少女がついてこれる道理がない。 そもそも、生きてきた単位と存在の規模が正しく"桁外れ"の彼女らシャングリラの不滅の怪物たちが、定命の存在と互角と言うことは実際"狩人"の補正が有るとはいえ信じられないのだが。 それはともかく、黒と刃積の少女の戦いを暫く眺めていると、隣に座る解礼灯火が口を開いた。 「ねえ、あっちの黒い娘あんまり頭良くないでしょ」 「……」 その通りなんだけど、黒の名誉のために庇うべきだろうかとか一瞬考えてしまった。 「だってさ。あれだけ運動性能強化に特化してたら普通気付くと思うんだよねー "何故、殆んど肉体強化魔術をしていない相手が自分についてこれるのか"とかさ」 そう、それはかなでの感じた疑問その物だった。 黒が気付いているかは――考えない方向で行こう。 「まあ気付いていないみたいだし、それでも良いかとか思うんだけど、アナタは気になってるみたいだし、少しぐらい説明してあげようかなー」 実はさっきから一番気になっているのは、隣の灯火がかなでを見ることもなくかなでの心を読んだかのようにタイミング良く会話を振ってくることなんだが。 それに、刃積の少女のタネは考えてみればそれほど難易度の高いものではない。 「足して、二で割る」 かなでの言葉に灯火がクスリと微笑んだ。 「なんだ、分かっちゃったー。その通りだよー」 ならばつまり、あの少女は相手と自分の運動能力を足し合わせ、平等に二等分しているのだろう。 だから、相手が何であろうと"互角"に戦える――正しく万能の力。 「流石、"五行家"の一角」 「……ふうん、よく知ってるねー。ま、有名どころだし」 灯火は缶コーヒーを飲む。 「ま、ミスっちゃんの力はあくまで運動性能の"均一化"だけであって技術や魔力は別問題だからねー。アナタや"不死鳥"の人とは勝負にならないかも」 確かに、魔術専門の自分、そして武術という技術においても超一流である赤月なら、"力"(パワー)が同じだったところで大した意味はないだろう。 そこまで考えて、かなでの背筋が震えた。 ――ひょっとすると―― あくまで、自然な流れで決まったように見えたこの対戦カードはしかし、誰か――例えば横に座る彼女に勝てるように仕組まれたそれでは無いだろうか? だとすれば赤月と男――刀堂覇厳もまた、"相性が良い"のではないか? その時、銃声が響いた。 「――十三分。思ったより速かったねー。……急ぐか」 灯火が腕時計を見て呟いたが、かなでは既に聞いておらず、 「……っ!」 頭部が綺麗に消失した赤月涼夜を茫然と見ていた。 少し、時間を戻す。 赤月涼夜は自身の武装が一、野太刀"砂蛇"を以て刀堂覇厳と切り合いを続けていた。 ――滅茶苦茶だよな。こいつ―― 心中苦笑。数分――そろそろ十分近くになるが、これまで一度も覇厳は足を止めず剣撃を続けている。その剣撃全てがフェイントの一切を含めない必殺の一撃なのも驚愕に値するが、その剣撃――ヒトという種として行える限界近いそれでありながら、未だ微弱に加速を続けている。 そして何より、覇厳はこれ迄の交錯で赤月の放つ剣撃をかすりもさせていなかった。 ――いや、かすってもこいつ変わらずに襲ってくる気がするんだが―― 多分、目が見えなくなったところで気配を読んでひたすらに攻撃を続ける気がするのだが――まあ、当たらない以上仮定の話をいくら続けても仕方無い。 その間にも覇厳は赤月の袈裟に払った野太刀を身を深く沈めて避け、同時赤月の足目掛けて切り払う。 そんな野刀を飛んで避け身を低くした覇厳の頭上を飛び越そうとしたが、更に上昇したとき既に赤月の真下を走り抜け、同時に跳躍。 赤月の背に踊るように斬りかかった。 「シャアッ!」 空中で即座に背後を振り返り、間一髪で野刀を野太刀で受け止める。 空中に足場など無い覇厳は、致命的なまでに体勢を崩すが―― 反撃に転じようとした赤月の右腕を持ち上げた左足で蹴り飛ばし、その反動で地面に加速して墜落することで赤月の反撃を避け――しかし、地面に背をつけて倒れ込む。 そして、寝たまま襲いかかる赤月に野刀を投擲。 赤月が弾いた隙に地面を回り、立ち上がる。 「――"戻れ"」 瞬時、野刀は背の鞘に戻るがその時赤月は覇厳を間合いに収め、野太刀を頭上から振り降ろしていた。 このタイミングでは背の野刀を抜いたところで相討ちが限界。勿論、赤月は死なないわけだし、少々卑怯かとか思わなくもなかったが、これで決まりかと思った。 しかし、何も握られていない覇厳の右手が真っ直ぐに赤月に伸びる。 ――何だ?―― 普通の日本刀より長い野太刀で攻撃しているのだから、その間合いは当然拳の届くような近距離ではない。 ――誤ったか―― 多少残念に思う気持ちも自覚しつつ、覇厳を一刀の下に斬って捨てようと―― 「――なっ!」 全身の肌が一瞬にして総毛立った。 覇厳の右手――何も握られていなかったそこに、袖から飛び出した金色の小型拳銃が収まったのを見てしまったから。 「――じゃあな」 ニイッと口の両端をつり上げ、歪な歓喜に溢れた笑みを見せつけ、斬られるより速く、ただ人差し指を数センチ動かした。 銃口から、暗黒色の弾丸が放たれるのを赤月は見て―― 赤月涼夜は死亡した。 「まず一人か」 たった一発撃っただけで、まるで戦車にでも轢かれたかのようにひしゃげた拳銃を無造作に投げ捨て、 頭部が"消滅"した赤月の死骸が倒れ落ちるより速く、抜き払った野刀で四つに斬って捨てた。 最後に覇厳が取り出した拳銃に籠められていた弾丸は"消滅"の劣化概念を加工したものであり、相手がどんな防御能力を持っていようと一律に破壊しうる。 最も、これはあくまで"消す"だけであり、最善なのはあらゆるロジックを"殺す"、"滅神"や存在全てを理不尽に"無"で塗り潰す"虚無"等だが、そちらは現在殆んど抽出できていない。それに"消滅"――マイナス10階層の力ですらも専用に造られた信じられないほど高価な(材料費だけで都内の一戸建てが数戸買える)魔装を"使い捨て"なければ使えないのだから、マイナス階層の極限、マイナス12階層、そしてマイナス13階層に属するそれらを使用するのに一体どれだけの才能と対価が必要なのか――そう考えると魔術師としては二流、三流の刀堂覇厳は永遠に不可能じゃないかと考えるのである。 とか、刹那思考を走らせていると、 「刀堂さーん!その人、"不死鳥"でーす!」 灯火のお気楽な声がかかり、 赤月涼夜だった死骸が一斉に炎上する。 ――お前、何で敵と一緒にベンチ座ってんだ―― 思わずそう思ったが、直ぐ様炎の方に視線を戻す。 「はははっ!中々やるじゃねえかよ」 しかし、その時には既に赤月涼夜は五体満足となって"新生"しており、彼は愉しそうに笑う。 「良いぜ。シャングリラのルールに則り、 本気でやってやる」 「……いや、手抜き過ぎでしょ」 倍――いや、三倍近くに膨れ上がった赤月涼夜の魔力の波動に灯火は冷や汗を感じ、 かなでは既にベンチを立って赤月から少しでも距離を取ろうと後退していた。 「刀堂さーん……本気でやってくださいね?」 困ったような灯火の声が聞こえてきたが、覇厳はもうそちらを見ることはない。 そう、もうそんな余裕はない。 「――面白い」 知らず、顔がほころぶ。 そんな彼に、赤月が少し怪訝な顔をしたが、 しかし、覇厳は堪えきれなくなったように遂に笑い出す。 それは、不思議なことにこれ迄の狂ったような笑いではなく、純粋に楽しそうな子供のような笑い。 「――ああ、これだよ。これだ――」 刀堂覇厳はずっとこれを待っていた。 「お前、そこまでやっといて簡単に死ぬんじゃねえぞ」 自分の全てを出し尽くせるような相手との何一つ手加減してはいけない、一手誤ればそれに気付く間もなく死亡する。そんな真の死闘、それを刀堂覇厳は望んでいた。 だから、全力を出そう。 「―獣を斬れ、蟲を斬れ、人を斬れ、岩を斬れ、鋼を斬れ、炎を斬れ、水を斬れ、悪魔を斬れ、天使を斬れ、神を斬れ、世界を斬れ、命を斬れ、死を斬れ。 世界にあまねく万物全てを一つ残らず斬り尽くす、ああ其が名は何か? 其は神でもなく、悪魔でもなく、天使でもない、人でなければ、獣でもあり得ぬ。 其が名こそ 剣 其こそが真実偽りなき我そのものである―」 これが、刀堂覇厳の全力。大昔に創ったは良いが、使うに値する相手に今まで出逢えなかった刀堂覇厳――ただ一振りの"剣"を目指した一人の男の極限。 覇厳の全身の魔力回路が目視できるほど鮮やかな鉄色の光を放ち、服越しでも分かるほど。 そして、彼の左胸――心臓の真上に、三本の剣が交差した紋様、魔術血統が一"刀堂"を示す御印"御劔"が、まるで覇厳の歓喜を代弁するかのように一際大きく、燃えるように耀く。 「―"万尽断得劔也"(よろずことごとくたちうるはつるぎなり)―」 そして、戦いは再開した。 実際、ヒトと神が一対一でやり合うなんて有り得ない。 たとえ神が人型を取っていようと、その内力(いわゆるオド)はどれだけ低く見積もってもヒトの限界値の十倍で特級魔術師ですら困難な大魔術を大量に同時展開しうる上、神格概念――"常識"を超越した異常なロジックを用いるのだから。 だが、彼らはあくまで"来訪者"であるがゆえにこの世界からの介入を受け、一、二割パワーがダウンしている上、自然の力(いわゆるマナ)を殆んど取り込めない――すなわち、自然回復が不可能。 対して、それらに対抗するための存在である"狩人"は"来訪者"に対してのみ世界からパラメーターが全体的に一割近くプラスされるという補正を受けるが、実際一割増えたところで"力"の総力はまるで話にならず、数値だけを見れば最強の"狩人"――"血塗れの猟犬"等と蔑称される彼女ですらレベルⅦ"神"どころかレベルⅥ"擬神"や"半神"などとすら桁が違う。 だが実際問題、まだルーキーの美鈴はともかく、覇厳や灯火は一対一でレベルⅥとやりあうのも出来なくはない。 まあ、レベルⅥクラスは殆んど"来訪"しない(もしくは上手く紛れて関知されないか)ため、仮定の話にしか過ぎないし――そもそも、レベルⅦ一体よりレベルⅠ一万体の方が脅威と言えば脅威なのだが。 ……多少脱線したが、本線に立ち返ろう。 何故、数値的には遠く及ばない"狩人"達が"神"に近い"来訪者"達に勝利しうるのだろうか。 分かりやすいのは、灯火や美鈴。灯火は"混沌"寄りのマイナス概念を無条件に"祓う"力を持つことから"混沌"寄りの存在に対しては数値を無視した圧倒的優位を示すし、美鈴は相手がどれほど強かろうと"均一化"することで"互角"の戦い方ができる。 つまり、彼女等は特異な能力――才能によって不足分を補おうとする。 しかし、刀堂覇厳は異なる。 彼の力は、刀による"切断"を強制的に顕現する――すなわち"万象の世界"において大体の神格概念を無力化し"切断"するそれだが、実はこれは才能ではない。 勿論、"刀堂"の性質としてそっち方面に突き抜ける因子は存在したのだが、それを能力として顕現し得たのは才能ではない。 彼が産まれたときから手にしていたのは、ただ一振りの剣だけであり、生まれつきに魔術回路を殆んど所有しておらず、更に異能と成りうるだけの超越も顕現していない、いわば凡人――それが刀堂覇厳の評価であり、疑い無い純然たる事実だった。 だが、彼には一つだけ――そう本当に一つだけ、異常足りうる"性質"が有った。 それは――"不屈"。 どれだけ才能がなくとも、どれだけ能力が低くとも、どれだけ敗北しても"切り裂こう"とし、そのためには文字通りあらゆる方法を用いる。 それを戦いの度に繰り返してきただけ。 刀堂の当主として一流の剣士であった父親を切り裂くために、剣術のみを三年間鍛練した。ヒトを超越した速度を誇った姉に追いつき切り裂くために魔術回路を体内に生成し、肉体強化魔術を覚え自らも加速することを選んだ。カタチを捨てた"来訪者"を切り裂くために"切断"を顕現させた―― そんなことを五十年以上続けてきた――ただ、それだけ。 それだけで、"鬼"とすら恐れられる狩人――刀堂覇厳は誕生した。 「―万尽断得劔也―」 覇厳の詠唱が終了し、励起していた魔術回路から光が消え――しかし、覇厳の外見も周囲の空間も、何一つ変わっていなかった。 「何したんだ?」 赤月は思わず疑問符を浮かべるが、覇厳は物のような無表情に無言でゆっくりと野刀を両手で握り、正眼に構える。 「ま、いいか――死ねよ」 赤月の顔が獰猛な笑みを浮かべるが同時、彼の背後に無数の魔方陣が描かれる。 瞬間、魔方陣から放たれるは青き光線。 軽く百は越すだろうそれが正しく光速で、構えたままの覇厳に襲いかかる。 刹那すら待たず、全身に光線を受けて覇厳は死亡するはずだったが―― ―光断得劔也―(光断ち得るは剣なり) そんな"音"を赤月は認識し、 覇厳は動いた。 赤月の目ですら視認が困難な速度で――いや放たれた光よりも速く、機械仕掛けのように精緻に徹底的に無駄を廃して覇厳の体と刀が駆け、全ての光線を"切り裂いた"。 "切り裂かれ"、存在そのものがほどかれたように虚空に消える光線。 ――何だと!―― その光景に思わず驚愕するが、それも刹那。 今度は覇厳を包囲するように無数の魔方陣を現し、その全てから全く同時に青き光線を放つ。 たとえ光を"切り裂ける"と言っても、野刀一本で前後左右全方位よりのそれを処理するのは常識的に不可能。 ――しかし、事実は"常識"を超越する。 再び覇厳の体は襲い来る光より速く駆け、一回転しながら振るわれた野刀が、全く同時に襲い来る光全てを一つの例外無く"切り裂いた"。 「ちっ――」 赤月は明らかに"常識"の埒外たる現実を目の当たりにしても、狼狽えはなく、精々厄介だと言う代わりに舌打ち一つしたのみ。 通じないならば、他の方法を選択すれば良い。 「――燃え上がれ」 ワンフレーズの呟きと共に顕現するのは"青い炎"。 単に温度が高い故の青でなく、元からそうであるように青く染まった炎――それこそが、赤月涼夜の"象徴"そのものであり、彼の"神"としての圧倒的な力を純粋に"力"として顕現させた塊。 そんな純粋な力の塊が、直径一メートル近い巨大な炎球となり覇厳に襲いかかる。 流石に光速でこそないが、亜音速は叩きだし、力の総量・密度は先ほどの光線の数倍。 それに対して、覇厳は今度は一体何をするのか。それを見極める。 ―焔(ほむら)断得劔也― 果たして再び"音"が聞こえた。 炎球が覇厳を呑み込もうとしたが、 野刀が走り、炎球を縦一文字に切り裂く。 赤月の力の純粋な顕現である炎を切り裂くとは驚愕に値するが、しかしまだ赤月の攻撃は終わっていない。 炎球が真っ二つに切り裂かれると同時、切り裂かれた切り口から次々と鋼が現れる。 鋼とは無数の武具――剣が槍が斧が槌が鎌が―― 一つ一つが"神"すら殺しうる神器の模造品が惜しみ無く現れ、まるで目に見えない武芸者に振るわれているかのように正確に覇厳の急所を狙って襲いかかる。 ―鐡(くろがね)断得劔也― 対して三度、"音"が聞こえ、三度野刀が走る。 野刀は、現れた武具の全てを一刀の下に切り裂き、無力化する――それは既に人間の業でも、神の業でもない。 ――真物の"劔"か―― 赤月はそんな言葉を思わず連想した。 「自己幻想展開かー。まさか、そっち側が切り札だったとはね……あの人も中々大概な"魔術師"みたいね」 灯火が微かに目を細める。 灯火にとって覇厳は言わば"師匠"で幾度も共に仕事をしていたが、彼が肉体強化でない"魔術"を発動するのを見るのは初めてだった。 しかもそれが"幻想展開"――自らの考え出した"秩序"を世界に顕現させるという魔術師にとってのハイエンドの術であるのだから驚かざるを得ない。 「領域は恐らく認識範囲、強度は神格概念と同格――エフェクトは、"劔による切断"の絶対化って所かな」 光より速く動き、光を切り炎を切るという物理的に不可能なことすら達成し、更に亜神器すらも一刀の下に切り裂く――つまり、彼は何であろうと"切り裂く"事が出来るのだろう。 「純粋特化概念憑依にして概念実行の優先権行使――確かに覇厳さんのハイエンドには相応しいかもねー」 純粋に感心の息をつく。 「これで押しきれるなら良かったんだけど――」 傍観者である灯火は、それ故に対峙している二人よりも正確に戦況を把握している。 「そろそろヤバいかな」 そんな事を呟きつつ、遠ざかっていく美鈴と黒の格闘の音を聞き、覇厳と赤月の戦いを見――そして、 悠々とコーヒーを飲む。 覇厳と赤月の戦いは更に加速していく。 赤月は亜神器の群れが切り裂かれたことを確認した瞬間、地面を蹴って瞬間移動のように覇厳に接近した。 そして超絶の力を誇る右の拳を振り抜こうとした瞬間―― ―拳断得劔也― 覇厳の野刀が走り、振り抜かれる直前に赤月の右の拳を切り裂く。 「ちっ――」 振り抜けば当たる当たらないに関係無く周囲を残さず吹っ飛ばすような、正しく神がかった拳であろうと振り抜く前に止められては力を発揮できない。 右の拳が回復するよりも速く、左の拳を振るおうとしたが、それもまた野刀が切り裂く。 しかし、その僅かな時間に既に右拳は完全再生しており、すかさず放とうとする。 しかし、その攻撃も例外でなく野刀が切り裂く。 が、それはフェイント。同時に顎目掛けて蹴撃を放とうと右脚を放つ。 しかし、半ばまで脚が上がった瞬間に覇厳がそれを認識し、 ―脚断得劔也― 脚が覇厳の顎に届くより刹那より速く野刀が脚を切り裂いた。 ――認識と同時に発動か!―― 厄介にも程があると再認識しつつも、フェイントも織り交ぜた格闘を行う。 しかし、放つ拳も蹴りも全て例外無く一刀の下に切り裂かれ、覇厳の身体をかすりもしない。 一見、覇厳の圧倒的優勢――しかし、真実劣勢なのは覇厳に他ならない。 いくら切り裂いてもすぐに回復され、赤月の攻撃を全て防御してはいるものの、逆に言えばそれが限界。自ら攻勢に回ることも不可能だし、術がそして野刀が一瞬でも揺らげば瞬間赤月の拳か蹴りの直撃を受けて死亡が確定するだろう。 そんな次の瞬間崩壊してしまいそうな危うい均衡が、恐るべき事に数分維持される。 しかし、そこまでが限界だった。 何十回目か、赤月の拳を切り裂いた瞬間―― 血と脂にまみれた野刀が遂に骨を断ち損ね、僅かに歪んだ。 そして、それを認識した赤月はすかさず蹴りを野刀に叩き込む。 しかし、ここで初めて――術を始動してから無表情となっていた覇厳の表情が動いた。 それは、勝利を確信したような確たる満面の笑顔! それを不審に思うより速く、放った蹴りは―― 覇厳の左腕を丸ごと消し飛ばした。 ――なっ!―― 赤月は確かに野刀をへし折ろうと蹴りを放った。しかし、瞬間、覇厳は野刀を守るように自身の身をずらし、野刀を手放した左腕をその軌道の前に差し出していた。 その間に、野刀は右手一本で振り被られており―― 「捉えたぞ。"不死鳥"!」 左腕の吹き飛んだ激痛にしかし頓着すること無く、同時に覇厳はカウンターを放つ! ―不死断得劔也― 最後の音と共に、赤月を"切り裂かん"と野刀が走った。 覇厳の野刀が"不死"を切り裂こうと走り―― ――パリン―― 「――!」 しかし、軽い音を立てて野刀が砕け散った。 赤月はニヤリと不敵に笑う。 「おいおい。俺は"不死"なんかじゃないぜ。俺は、"赤月涼夜"だ」 瞬間、覇厳は何が起こったのか理解した。 ――概念の隠匿か!―― 覇厳の"万尽断得劔也"は、覇厳当人が認識、或いは選択した全てを絶対に"切り裂く"術。 つまり、覇厳が認識もせず、選択もしていない存在ならば、それを切り裂くことは出来ないということ。だから、赤月は野刀が当たる瞬間、自らの"不死"という概念を"隠匿"した。 結果、覇厳の術式は意味を成さず、ただの野刀が赤月の頑強な体に当たり、結果として砕け散ったのだった。 「惜しかったな――五百年前だったら死んでたかもな」 笑いながら、赤月は拳を振り被ぶる。 「ちっ――」 しかし、武器が無くなっても、左腕を失っても、自身の最大の術が破られても、まだ覇厳は諦めない。 ――べちゃっ―― その時、覇厳の頭に横から飛んできた雪玉が当たって砕けた。 「は?」 予想外の現象に思わず動きを止めた赤月。 そして、同じく動きを止めた覇厳に更に横手からの雪玉が次々と命中し、彼は蒼白の雪まみれになった。 「灯火ーっ!」 覇厳は雪玉の飛んできた方に顔を向けて怒号を飛ばすが、 「じゃーねー」 いっそ清々しいほど暢気な声と共に、覇厳の全身は天よりの降り注いだ蒼白い光の柱に包まれ、消えた。 「はい、撤収撤収と――まあ、ギリギリかな?」 雪玉を投げたのは当然、観戦していた解礼灯火。 彼女は片手で缶コーヒーを飲みながら、ベンチに座ったまま無造作に林の向こう――遠ざかっていた刃積美鈴へと握っていた雪玉を投げた。 「ミスっちゃーん!撤退ねー!」 続いて、彼方でもう一度光の柱が上がった。 「さてっと」 それを確認して灯火はようやくベンチから立ち上がった。 そして、彼女を睨み付けていた赤月の瞳を正面から見返し、暢気そうに微笑んだ。 「初めまして。ワタクシ、日本魔術血統二十三家の一つ"祓い"の解礼家当代大巫、"雪灯籠"解礼灯火と申します。――ひょっとすると"千堂"の末と言った方が説明になるかもしれませんね」 少しだけ、赤月の表情が動いた。 「"シャングリラ"の"王"、赤月涼夜さまと御会いできるとは望外の喜びと存じます」 恭しく澄んだ言葉を紡ぐ。 「お前……俺ら三人と一人でやる気か?」 そう、前には赤月、後ろにはかなで、そして林の向こうからは黒が戻ってきていて、灯火は包囲されていた。 「いえ――あなた方"不滅"の怪物と一人で勝てると思うほど増長は致しません。ただ、このままお帰り願いたいと思うだけですよ」 「そっちから喧嘩売っといて随分な言いぐさだな」 戦いに水をさされて不満な赤月は苛立ちを隠そうともしない。 「一応、止めたんですよ?心の中で」 しかし、灯火は微笑みながら空々しく嘯く。 「それにまあ、ただでお帰り願えるとはこちらも思っていませんし」 スッと、缶コーヒーの持っていない左手を肩の高さまで持ち上げる。 「―嗚呼、誰も知らぬ。何時より雪は降ったのであろうか?何時より、かくも白き景色は生まれたのであろうか?―」 左手から蒼白の雪が一片こぼれ、地面にハラリと舞い落ちる。 そして、世界が光に包まれた。 「なっ!」 「きれー」 「おいおい……」 かなでが絶句し、黒が喜び、赤月ですら驚いた。 見渡す限りの草木が、石が、雑草の一本、小石の一個にいたるまで雪に覆われたかのように蒼白く輝いている。 その光によって真夜中にも関わらず真昼のようにまぶしく、空気ですら清らかに感じられるほどのそこは、疑い無い"異界"だった。 「……はっ。中々やるじゃねえか」 皮肉でも何でもない、純粋な称賛。これ程のことを赤月にもかなでにも一切気付かれること無く準備しきった彼女の技巧は並大抵ではない。 「この自然公園内――アバウト五キロ四方を私の完全な支配下に置きました――そして」 灯火の全身が蒼白の輝きを帯び、呼応するように周囲の輝きも増す。 「―第四の封印を解く時"来たれ"と声が響く 天を見よ、蒼褪めた馬が来る。騎手の名は"死"、黄泉を従えし者である― ―"蒼白の騎手"(ペイン・ライダー)―」 周囲をまばゆいばかりに包んでいた光が、更に輝きを増す。 そして、灯火の背後の上空の空間が歪んだ。 歪みの向こうから現れたのは光輝く中ににあって、光の一切を持たない蒼褪めた死んでいるような馬。そして、その背に乗るのは馬と同じ蒼褪めた色の甲冑を全身に纏った騎士。 騎士の手には黒い大きな戦旗が握られており、 騎士の現れた空間の隙間には今にも溢れ出しそうな程の"闇"の塊が覗いていた。 騎士が手綱を引くと、蒼褪めた馬は断末魔のような恐ろしい嘶きを上げ、ゆっくりと魔女の横に降り立つ。 その見るもの全てに本能的な恐怖――すなわち、"死"の恐怖を思い起こさせるような騎士の威容を見て、しかし魔女は蒼白い肌に薄笑いを浮かべる。 「ヨハネ黙示録第六章第八節より"蒼白の騎士"の顕現です さて、やりますか?」 「……涼夜」 かなでが口を開きかけたが―― 「――退け。気が乗らねえ」 赤月の面倒そうな言葉に制された。 「ふい?帰るですか?」 「ああ、悪いが出直す。先に帰っといてくれ」 「ういー」 おどけた仕草で敬礼して黒は世界移動術式を発動して退場。 「……じゃあ、私も帰る」 やや怪訝そうな顔をしつつ、かなでも退場。 そして、残されたのは二人。 「いやーどうも有り難う御座います」 魔女は赤月に軽く礼をし―― 頭を下げた瞬間、赤月の手が閃く。 そして放たれた直刃の剣が魔女の傍らの騎士を馬ごと貫いた。 蒼白の騎士は何の反応も出来ず燃え上がる。 「おや」 魔女は目を丸くするが、しかし取り乱さない。 「一対一でやります?」 穏やかな調子で問い掛ける魔女を見て、赤月は苦々しげな表情になる。 「……やっぱり、本気じゃねえんだな。"四騎士"の顕現が全力か?それとも――」 赤月の言葉を遮るように左手をひらひらと振る。 「見たいですか?この領域のマナ全部使えば十分に顕現できますよ」 穏やかに言いつつ、魔女は自然な動作で缶コーヒーを一口飲む。 しかし、赤月は首を横に振った。 「いや、やらねえよ。女性と戦う趣味はねえし、そもそも―― 本気でやったら死んじゃうじゃねえか」 魔女の頬がひきつり、握っていた缶コーヒーが微かに軋んだ。 「……分かります?」 「まあなー。あんまり"神"舐めんなよ?」 しばし、無言で二人は睨み合う。 「……では、どうされますか?」 平静を取り戻した魔女は、缶コーヒーを飲む。 「まあ、今回は帰ってやるよ――お前とあの"狩人"に敬意を払ってな」 「身に余る光栄です」 微笑みが魔女の顔に浮かぶ。 「その代わりって言っちゃあ何だが、少し聞いて良いか?」 「何です?」 「お前、死が怖くないのか?」 魔女はポカンとした顔になり、 爆笑した。 「え?何? ひょっとして気遣いですか?失礼ですけど、大きなお世話ですよ」 爆笑する魔女を、しかし"不死"は気分を害した様子も見せず面白そうに見つめる。 「"人々よ、死を恐れるな。死は安息であり我等全てに約束された究極の贖罪である"ってね。これまで遊んできた清算を求められるというなら、喜んで――とまでは言えませんけど、謹んで許容しますよ」 魔女は笑い、"不死"もまた笑う。 「――お前、"善人"だな」 ある意味気恥ずかしくなるような断定に、魔女は抜け抜けと肯定する。 「ええ、さすがに"神"は誤魔化せませんか」 「ククッ、良いな。"解礼"――いや、"千堂"の末か。あの"抜け作"の末は面白くなってんじゃねえか」 赤月の手が再び閃き、灯火は投げられたものを反射的に掴み取る。 それは黒地に青い三日月の描かれた一枚のカード。 「気に入ったぜ、解礼灯火。それやるよ」 「これ何です?」 「それを使えば一度だけ、そう一度だけ俺を呼び出せる。一度だけ、お前の都合に従ってやるよ。光栄に思えよ?俺が他人の都合に合わせるなんて本来絶無なんだからな」 しかし、灯火は困ったように首を傾げた。 「これ、私じゃなくても"解礼"の後代が使っても良いですかね?」 赤月が、あっけに取られたような表情になった。 「いや、だって私が使う用事が有るとは思えませんしね――大体のことは自分で何とかしますし」 流石の赤月も沈黙した。 「……いや、良いだろう。お前の子孫なら手伝ってやる」 なんか、渋々と赤月は頷く。 「なら――」 灯火は巫女装束の襟をはだける。 と、左胸の上部、鎖骨の下に輝きが現れる。 それは七つに枝分かれした樹のような紋様。 「解礼の御印"七枝御幣"です。これの所有者を一度だけ助けてください」 「良いぜ。何に誓ってやろうか?」 「まあ"神に誓って"で十分ですけど」 また、二人して笑った。 「さて、じゃあそろそろ帰るかな」 一しきり笑った後、赤月が退場しようとしたとき、その背中に灯火は声をかけた。 「そうだ、しばらくこっちには来ない方がいいですよ」 「何でだ?」 「数百年に一度の地脈の揺らぎが日本中に影響を与えてますから――"狩人"たちも殺気立ってます。無用な争いを嫌うのであれば慎んでいただけると喜びます」 「……考えとく。 まあ、じゃあな」 「ええ、"さようなら"」 灯火が、時空の彼方に消え行く赤月の背中に恭しく一礼した。 これが、解礼灯火と赤月涼夜の最初にして最後の別れの言葉だった。 シャングリラの一行は既に去り、残されたのは灯火のみ。 「さて――と」 灯火は歩き出しつつ缶コーヒーを一口飲む。 「まあ、こんなものかな?」 と、周囲の青白い輝きは幻のように消え、闇の静寂が戻ってくる。 彼女は袴についているポケットに手を突っ込み携帯電話を取り出す。 「えーっと……」 まず最初に通話すべきなのはと数秒思案し、結局ディスプレイに浮かんだ文字は"刃積美鈴"。 「……あ、ミスっちゃん?」 『灯さん、大丈夫だったー?』 返ってくるのは気楽そうな声で、ホッとした。 「うん、まあお帰り願ったよー。そっちもその様子だと大事無いみたいだね」 『うん。まあ、ご命令通り時間稼ぎを第一にしてたからねー。少し物足りなかったけどー』 「あははー。まあ、たまには良いでしょ……で、聞きたくないんだけど」 それでも取り敢えず聞かなければならないだろうなぁ―― 『覇厳さんならもう帰るって言って帰っちゃいましたよー怒ってはいたけど、まあいつも通りじゃない?』 「……まあ、それはそうだけどね」 それでもほっとくとヤバいのも事実なので後で謝りに行くことは決定と。 「まあ、わ――ボクも今日はこのまま家に帰るから。また何かあったら呼んでねー」 そう言って、通話を切ろうとしたが、 『……あのっ!』 美鈴にしては珍しく焦ったような、真摯な声がそれを遮った。 「ん?何かある?」 勿論、言いたいことは予想がつく――が、それを気にして欲しくないのも灯火の思いだった。 『あの……"予言"を信じてくれて有り難う御座いました』 美鈴の力、"予言"は発動のタイミングが不確定で内容も曖昧なことからあまり信用されていない――ただじゃなくても美鈴の立場は弱いのだから。 だが、灯火は軽く笑い飛ばす。 「いいって、"友達"の言葉を信じるのは当たり前でしょー」 『……灯さん……』 「じゃ、お休みー」 湿っぽくなりかけた空気を振り払うように灯火は通話を切った。 「……ミスっちゃんも何とかしないとねー」 缶コーヒーを一口飲む。 続いて、更に携帯電話を操作しようとして、しかしポトリと携帯電話を取り落とした。 「……おっと」 苦笑いをし、痙攣している手をゆったりとした動作で口許にやって、 「ガホッ!」 真っ赤な真っ赤な血を吐いた。 「ゴホッ!ゴホッ!」 数度、白い肌を、巫女装束に赤い彩りが加えられ、そこでようやく彼女は真っ赤になった口許をぬぐった。 「ふう……やりすぎちゃったよねー」 か細い声で呟く彼女の顔は何時もより更に青白くなっており、脂汗がいくつも浮かんでいる。 彼女は老人よりも更に緩慢な動作で携帯電話を拾い、未だ震える手で操作する。 そして、二三度咳払いをして、更に口許を赤く染めるとようやく通話を開始する。 次にディスプレイに表示されたのは"主治医"。 『……何の用だ?』 電話に出た渋い声の男の名は野口平介――まんま灯火の主治医である。 「あ、どーも。いや、ちょっと吐血したんで、明日辺り検診してもらいたいんですけどー」 いつも通りの声音で、出来る限り明るく告げる。 『……あ?』 ヤクザも震え上がる(実話)ドスのきいた声に苦笑する。 『……怒らないから、言ってみろ。お前……何日前に前回の検診を受けたっけな?』 「三日前ですねー」 『そんときは小康状態だったんだぞ、このボケ!なんで三日で吐血までいってんだよ!』 やっぱり怒るんじゃん…… 携帯電話を耳から離しつつ嘆息した。 『どうせまた、魔術使ったんだろが』 「あーまあ、六十パーセントばかり」 『そもそも使うなって言ってんだろーが!このバカ野郎!!!』 「はい、すみませんでしたー」 ケラケラと、深刻でも無いように見せ掛ける。 「で、明日何時なら空いてますかー?」 『今すぐ来い!良いか、今が十時か、今日中に絶対来い!バックレたらこっちから行ってやるからな!』 「えー、そこまでは悪いですよー」 『ナマ言ってんじゃねえ!さっさと来い!』 「えー……あ、切れちゃった」 携帯電話から十センチ以上離れていてもなお聞こえる驚愕の怒号を最後に通話は切れた。 「……まったく、野口さんにも困ったもんだよね」 口ではこんなことを言いつつも、灯火だって分かっている。 こんなふうに誰かから真剣に心配されている自分は幸せなのだということぐらいは。 ついでに、そんな他人の善意を理解した上で利用させて貰っている自分は狡いということも。 「まあ、野口さんがいなかったらこの歳まで生きられなかっただろうしねー」 笑いこそ軽いが、言っていることは真面目なもの。 感謝はしているのである。湿り気が嫌いなので態度には見せないが。 そんなことを考えつつ缶コーヒーを一口飲む。 そして先程よりややゆっくりした歩みを進める。 「……まあ、たまにはこういう遊びも悪くないよね」 そうまとめて、近くのゴミ箱に缶コーヒーを捨てた。 ◇ ◇ ◇ 「それで、それが五年前に貰ったカードだよ」 月明かりのみが照らす病院の待合室。 無数の椅子が並ぶそこに今は二人しかいなかった。 一人は、腰までの黒い長髪にやや胸の膨らんでいる白い患者服を纏った赤瞳の女性――解礼灯火。 彼女は椅子の一つに座って、待合室の片隅に立つ青年を見る。 「……馬鹿らしい。ホントにこれ使えるのか?」 紫瞳を細めた目付きのやや小柄な濃緑の服を纏った青年は渡されたカードを検分する。 「さあ?まあ、使えば分かるよ」 ニヤニヤと月明かりで更に青白くなった顔で笑っている。 「……馬鹿野郎。そもそも、どうやって使うんだよ?」 青年は面倒と言うよりむしろイラついているような嫌悪感に溢れた声音でブツブツ言いつつ、渡されたカードを手でクルクルと回す。 「テレカっぽいし電話機に差し込むんじゃない?」 「……馬鹿らしい。まあ、良い。借りは返す。預かってやるさ」 嫌そうな口調、しかし素直に手にしたカードを握り締める。 するとカードは彼の手に呑み込まれ、姿を消した。 「後、これもよろしくー」 続けて、灯火は手にしていた白い塊を投げ渡す。 青年は右手一本で受け取る。 受け取ったのは白い、雪を封じ込めたような鉱石の塊。 その鉱石――厳密に言えばその奥の輝きを見、彼は鼻を鳴らした。 「お前の力の集約か?」 「まあ、そんなものかな」 クスクスと彼女は笑う。 「……で、何時まで預かってやれば良いんだ?」 その鉱石もまた握り締めて呑み込み、彼は溜め息をつく。 「んー十五年先ぐらい?」 青年の目が更に細まる。 「――馬鹿野郎。そこまでお前が生きてるわけがないだろうが」 ある種、冷酷な宣告にしかし灯火は気分を害した様子も見せず笑った。 「まあね、だから私の為じゃなくて娘のためだけど」 「……は?」 しばらく沈黙。やがて、彼の額に青筋が浮かび、微かな歯軋りが待合室に響いた。 「…………良いだろう。ああ、借りは返す。約束は守ってやろう。だが、そこまで俺が生きているかも分からないぞ」 彼は一度だけ舌を鳴らした。 「大丈夫よー。あなたみたいな人は中々死ねないから」 灯火は悪戯っぽい微笑みに変わり、青年は目をそらした。 「どいつもこいつも馬鹿野郎じゃねえか……」 憎悪に満ちた呟きが彼の口から漏れた。 「まあ、あの娘が君の元に辿り着いたら、その時渡してあげてよ」 「良いだろう。その時まで俺が生きていたらな」 そう言って、彼は踵を返した。 「よろしくねー」 彼はうざったそうにヒラヒラと手を振り――そこでふと足を止めた。 振り返り、紫瞳で灯火を見据える。 「そう言えば、お前のガキの名前は?」 灯火は満面の笑みを浮かべた。 「浄歌(キヨカ)よ。浄き歌と書いて、浄歌。良い名前でしょう?」 彼は再び背中を向け、 「……まあ、良い名前かもな」 とだけ呟いた。 これが、解礼灯火が亡くなる一週間ほど前の話

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