oppai

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おっぱいってのは顔の下、身体の前にあるよね。これが例えばひざあたりにあったら、僕は果たして興奮できるの かって命題を考えたんだ。もちろん柔らかさはおっぱいそのままだし、乳首もついてる。女の子はそこを触られると 多少感じる。あと授業中に居眠り起こされてびっくりして膝を机にぶつけてもあんまり痛くない。  リアルに想像してみたけど、やっぱり僕はそのおっぱいに興奮は出来ないな、と確信したんだ。肩にあっても、後 頭部にあっても駄目。じゃあなんで顔の下、身体の前にあるとこんなに興奮するのかな。  それはだね、女の子自身が常にそれを意識してるってのが肝心なんだよ。おっぱい→見られる=恥ずかしい。この 式はもちろん我々の業界では常識だけど、これを当てはめて考えると分かりやすい。女の子の台詞にしてみると、 「あたし、こんな恥ずかしい物、目の前にぶらさげちゃってる」  かな。こう考えると、間違いなく興奮するでしょ。ここから更に、「触られちゃってる」「吸われちゃってる」「弄 ばれちゃってる」という風に進化していけば、そりゃもう興奮のるつぼグラウンドですよね?  もちろん、作中でも触れられている「母性」というのもおっぱいにとっては重要なマテリアルかもしれない。だけ ど、それは先刻の興奮に比べればむしろ小さな物だよ。「かわいい女の子が恥ずかしがってる」これより最高の状況 なんて、未来永劫あるはず無いんだから。  つまり僕の持論によれば、世界一のおっぱいとは、涙を沢山吸い込んだAAAでも、6XLをパンパンに張るダイナマイ トでもなく、女の子の「心」なんだ。  羞恥。それは芸術だよ。  そもそも女性がなんでおっぱいをみられることに恥ずかしさを感じるのでしょう。  思うに、女性だけが持てるセックスアピールっておっぱいではないでしょうか。そりゃ顔の良さとか、足が綺麗だとか、 色々ありますけれど、そういうのは男にも当てはまるものでしょう。もちろん女性特有の愛嬌ある顔立ちとか、艶やかなス タイルみたいなのはあるんでしょうけど、そういうのはたとえば男らしい顔立ちとか、たくましい体つきみたいに、男でも 置き換えが可能、あるいは対応するものがあるわけです。でも、おっぱいならどうでしょう。胸板の厚さでは太刀打ちでき ませんし、ペニスの大きさともちょっと違う。それにペニスにはヴァギナというグッドパートナーが既にいるわけです。こ の辺りで女性は自らのおっぱいを唯一無二の武器と認識し、一種の自負を抱くのではないでしょうか。  それから、おっぱいって顔立ちみたいなものだと思うんですよ。顔の造形みたいな。おっぱいにも色んなおっぱいがある じゃないですか、幼女のつるぺたおっぱいからおばあちゃんの萎びたおっぱいまで。大きさもさることながら乳首の色具合 とか、張りとかね。もちろん他の体の部位にもそういうものはあるでしょうから一概には言えませんが、私としては人間の 特徴がよく表れるのは一番は顔、そしてその次に来るのは、女性においてはおっぱいだと思うわけです。  で、大抵の女性はおっぱいの大きさを一度は気にすると思うんです。特に性徴の現れを実感するのは大抵おっぱいの成長 であるとされています。女としての衰えを実感するのはおっぱいが垂れてきた時。肌の衰えやら運動能力の衰えやらはある でしょうが、それは男も実感するはずです。そして母としての役割を実感するのは赤ん坊に母乳をあげる時ではないのか。 これは意見が多々あるかと存じます。妊娠や娩の時点で母性は実感できているのでは、と。しかし妊娠の段階では限りな く無意識なレベルで胎児の育成がなされているのに対して、母乳を含ませる際にはとてもアクチュアルな胎児の育成を体験 するわけです。あるいは母乳が出ない女性は、という問題もございますが、ともあれ、つまりおっぱいは人間の過程は限り なく密接な関係をもって変遷していくんじゃねえのかな、って推してみるわけでして、この辺、人生の流れとともに変遷し ていく顔の表情と近しいものも感じるわけです。  そうしたところで、おっぱいには女性の本質みたいなものが詰まっているんだと思うんですよ。そしておっぱいに羞恥を 抱くのもそのあたりにあるのではないか、と。つまり、処女の少女がパパ以外の男に初めておっぱいをさらけ出す際に感じ る羞恥はきっと、「こんなちっちゃなおっぱいでがっかりしないかな」とか以上に(それはそれでそそられますが)、「わ たしのすべてがみられちゃう」的な感情ということです。自分とともに歩んできた、いわば分身的な役割を果たすおっぱい が、他人にみられる。これは恋人に限らず、私のような変態におっぱいがみられるのを厭う、ということはすなわち自らの 本質を守るという防御的な意志においてなされるのでしょう。おっぱいが胸にあるというのも、進化学がどうかはしりませ んが、腕でもってすばやく隠せる場所、という意味合いから成り立っているのかもしれません。  そうした観点からするとおっぱい=女性の心というのは素晴らしい答えであって、私もうなづくほかありません。このよ うな人間の本質を多分に取り込んだおっぱいは芸術であり、神秘であるわけで、どういうおっぱいが世界一ではなく、おっ ぱいそのものが世界一の重要なものではないか、と思うわけです。

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