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太田からのコメント

 猿が間違えた事情をもっと理解するために、最初の「猿が里に遊びにいった」というところをもっと想像してとりあげたらいいのではないだろうか。
 猿は遊びにいって、どんなことをしていたんだろう。(これは日光の猿などを知っている生徒もいるかも知れないので、猿が人間をあまり恐れず、人間の文化に触れていることを想像してもよい。そのなかで、花火や蝋燭をみたことがあるのかも知れない。
 また、猿以外の動物は、この文で見る限り、ほとんど里にいったことはないようだ。だから、花火などは見たことがない。したがって、猿と他の動物の「差」などを確認しておくといい。

 また、猿が里から蝋燭をもって帰ったときに、どんな言葉で動物たちに語りかけたのか、いろいろと出してみることは、そのあとの動物たちの反応を理解することになる。かなり芝居がかった台詞で語ったことが想像されるので、そうした台詞を考えさせる。

 火をつけに行く場面では、亀のときには「花火」、鼬のときには、「蝋燭」となっており、猪のときには、何も書いていない。ただ火をつけたというだけだ。この違いは、どんな感じの差を生むか、また、作者はどうしてこうした同じ蝋燭なのに、違う表現にしたのか。この物語は、「話者」がけっこう微妙な役割を果たしているように感じる。
 最終の場面を、道徳的な解釈をしているが、もちろん、それはあり得る解釈だが、違う解釈も可能だろう。蝋燭が燃えていて、しばらくたってから、耳や目をふさぐことをやめて、どんな反応をしたのか、それを想像することが必要だと思う。その後の話の作り方で、当然、解釈が異なる。ぜひそれを作ってみよう。