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年度が替わり、6年度が始まりました
桜情報をTVで観るだけの生活になってしまいました。ポールをつけば何とか歩けたところから、腕が痛みポールがつけない、つまりポールをついても歩けない状況になり3か月が過ぎました。暖かくなればとの期待も関系なく痛みとの闘いの日々に疲れてきたところに卒業生の紹介でよい整骨院と出会いました。12キロ体重減と主人が亡くなりもぬけの殻となった自分の体は、自分で操作できなくなっていることが分かりました。

整骨院や整体、カイロプラクティスなどに通いましたが、それぞれ10回以上受けてくれば、自分の体に合っているのか、このまま継続してよいのか、先行き目途が立つかなどが体を通して分かってきます。

その間救急車のお世話にもなりましたので、医師との触れ合いも加わり、私が自分に理解できないことは医師といえども質問します。次々の質問に医師たちは「すみません私には分かりません」と言われれば、ますます自分の体は自分で守らなければならないことを理解せずにいられません。

考えれば当たり前のことですが、医学の進歩は機械の進歩であり、医師たちが優れた第六感で病の解決策を探るのはわずかなことで、その多くは機械操作によるデーター解析、その時にそのデーターや画像の見方(観察感知する)の中に経験と第六感が働くのかもしれない。
検査結果に何事もなければ、大丈夫だといわれて帰宅するのが普通かもしれないが、何でもないのになぜ異常が出たのかと聞いてもよい返事を聞けないのは当たり前なのかもしれない。しかし患者はそこが知りたい。今、今日は何でもないかもしれないが、先日救急車に乗ったのはなぜか、またそのようなことが起きるのではないか?そうならないための対応策は何かと聞きたくなるのである。

すみませんが私には分かりませんと頭を下げる医師にどう対応するかよりも、そうならないための日々の健康管理をどうするかについては、自己反省をしきりと行うことしかないことが分かる。

整骨院に通いながら、あれこれ質問攻めをする私に対して、若い先生は真摯に、しかも即座に良い返事、良い解決策を知らせてくれる。整形外科の医師たちにそれを期待することができない。それを良い方向に導くのはリハビリの先生たちであり、医師とリハビリ担当者の良い関係、学びあいの関係が非常に大切となる。私が歩けなくなるのはこれまでに何回もあって、そのたびに医師はレントゲン結果を見るだけで、その解決策へと導くのはリハビリの先生であった。

7年ほど前には、友人医師とリハビリの先生を頼って小樽まで5年間毎週火曜日通ったという経験がある。リハビリについての大変良い勉強になり、それらは健康教室でのレッスンに形を変えて役立って、多くの人の痛み軽減、治癒、完治などに役立ってきた。

そしてアフターコロナにより、高齢者のフレイル問題が大きく報道され、急にフレイル解決のための運動指導が増えた。考えれば何十年も同じことを繰り返しているようにも感ずる。今更フレイル解決ではなく、これまでの高齢者の動きが生活習慣となっている日本人としての動きある生活習慣がその背景にあることに今更ながらながら気が付くのである。それらを紐どけば、現代生活からくる動き不足による日々を考えれば、更なる不足が新型コロナ騒動で起きたのならば、相当に低下に違いない。

昔の生活習慣を経験してきた高齢者だけではなく、体を動かす仕事をしている人以外は相当の動き不足により免疫力が低下して、更に最近ではワクチン接種回数が増えれば免疫力低下するとの報道があるので一考を要すると考えます。

現代社会にどっぷりつかり、全く動きのない生活をしていた人たち、子供達はあのパンデミックを時々思い出して、体を動かす習慣作りに挑戦しなければならないのです。歩けない動けない私も日々冷や汗かきながら焦ってリハビリに挑戦しているところです。

動きましょう。特に太陽浴びてゆっくりと運動に励みましょう。今日から20年もポールウォーキングを行い指導までしてきた私が、歩けないのでウォーキング指導受講が始まります。これまでは歩けないので歩く練習ができませんでした。一年生になって頑張ろうと決心しています。よい逃げ道があればと期待して始まります。
                 令和6年4月7日記


アフターコロナに期待して

4年ぶりに雪まつりが始まりました。札幌に来たので、小樽を日帰り観光しようと出かけた大勢の観光旅行者が大変な目にあったと今朝の新聞で見ました。ラッセル車がエンジン不具合で動けなくなり、全面運休で、小樽駅に多くの観光客が足止めされ、高速バスやタクシー乗り場は長蛇の列。異例の臨時列車にも乗れない人が、小樽駅で一夜を明かした人もいたとのこと。ホテルも取れず大変な「雪まつり前夜」となりました。

災害や事故で始まった令和6年度、身近に色々な災難が起きると新しい年への期待も薄れ、この先が心配になります。

最近読んだ本に、人生は苦難の方が多いと書かれていましたが、自分を振り返ってみても、どんなに思いをかけて心をつなごうと努力をしても、やり方が悪いのかと悩むことが多々あります。こんなに長く生きてきて、たくさんの苦しいことや悲しいことも経験してきているはずなのに、だから精いっぱい心傾けているのになぜ通じない、なぜ分かってくれないと思うほど思いが、心が伝わらないこ とがよくあります。また楽しい、良いことが続くと必ず何かが起きてきたことも事実です。良いことが続くと何が起きるかと怖くなります。

相手の受け止め方は、その人の生きてきた経緯を知らないと、そんなつもりで言っていないのにというずれが生じていることにも気が付くことがあります。職を選ぶ、学校を選ぶときは必ず履歴書が必要で、その人の人となりが最低線分かるような資料がなければ、面接や試験の点数だけでは測れないのが人間です。、

しかしコロナ騒動後の今、既に携帯電話がそうですが、直接会わずとも伝えることだけは十分できまる世の中になりました。話せばまだよいですが、忙しい時代でもあり、直接話せなければメールだけでの連絡になってしまいますが、文章の流れが悪ければ正しく伝わらず、後で慌てることがあります。会話であれば訂正もでき、再度繰り返し言葉を変えて話すこともできますが、メールは間違いを起こしやすいと思うことが多くなりました。子供の世界でも、直接遊ばない友達がいるとのこと。メールだけでは深く付き合える友人にはなりえないと思います。メールの回数で深くつながっていき事故に巻き込まれている状況を見れば、大人は危険を感じますが、子供は人が違っただけと判断しまた同じような事故に会いかねません。

コロナ騒動でマスク生活3年を終えた小学生が、中学に入学してきて先生方が戸惑うと聞きました。ゲームのやりすぎで、いわゆるゲーム感覚、ゲーム頭になっていて、ものごとの判断や友達関係でリセットすれば解決するという感覚が出てきて、暴言吐いてもリセットすれば元に戻ると考えているとのこと。友人同士のもめごとも、言いたい放題言ってもリセットすれば元に戻るという感覚の「いじめ」があり、人の心に残った感情を理解できないというのです。感覚のずれを成長期に経験すれば、新興宗教にはまった人を中々元に戻せないに似て、この感覚のずれを何をもってどのように学ばせたらよいかがわからないとのこと。

一般社会でも人が変化し、これまでのような対応だけではことが進まないということを聞きますが、新型コロナは感染だけではなく、人の心にも社会性にも変化をもたらしたようです。
私たちが行う「子どものからだづくり塾活動」を通しても、子供はもちろんのこと、保護者が変化していると感じます。保護者同士でもそのように言っています。つまりきっと互いに心が通じないのでしょうね。

活動内でのプログラムは変化しています。「動く」ということは疲れた体では思うように動けませんが、運動不足の子供たちは有酸素運動系が苦手ですぐに疲れます。心が進まない疲れる運動は、子供たちは自らはしません。楽しい遊びならば何とか行ううちに心が体がほぐれてきて、汗びっしょりになって笑顔が出てきます。もう細かな説明や難しいことは避けて、夢中になって動き回ることを第一に考えています。これはしばらく続くと考えます。体力が過去最低と言われ、小学生の自殺が過去最高などと聞くと、我を忘れて夢中になって遊び、汗をかいてよく食べ良く寝れば子供らしい生活に戻れるのではないかと考えています。

大人はどうするか?大人も同じように高齢者まで運動不足です。だから幅広い人が参加できるようなスポーツクラブがどんどんできています。しかも自由に選択できる、内容が豊富な、受講生としては選択して満足できるものができています。あとはやるかやらないかです。子供含めてやるかやらぬかの差がこれから大きく出てくるのではないかと思います。それはこれまでの経験であり、良く動いた人は取り戻そうと励みますが、やらずに来た人が今からやろうとすることはなかなか難しいことです。

しかし、今後また10年たったら、更に強烈な感染症が出てくるといわれています。過去そうだったからです。新型コロナによるあのパンデミックを忘れてはなりません。その恐怖を忘れず免疫力低下させない体力、筋力維持増進は継続するべきです。生きる力を保てるように励むことです。

フレイルでポール持参で歩いていましたが、今はポールもっても歩けず痛みと戦っています。さてこのフレイルが果たしていつ取り戻せるかですが、長く健康長寿を目指してからだづくりをしてきたことが功を奏するようにと願いながら挑戦しています。
                      令和6年2月5日記


コロナ後遺症の話題の中で

 TVで報じられる情報でコロナ禍様々な情報に振り回された国民も、少し冷静に判断するようになったようです。高齢者でも「あれは何だったのか」と改めて考えるようになりました。それ程高齢者中心に新型コロナ感染の恐怖をあおられました。
 おかげさまで高齢者は、これまでの人生において様々な体験をしてきたことから、自粛も、制限も何のその、その中で生活を守ることが出来ました。従って元気な高齢者達は、あのような恐怖あおられた環境の中で平然と生き抜きました。

 振り返れば、高齢者に大きな不安をあおられたのは、施設における感染の広がりや病院内の高齢者の感染、つまり弱いか現在持病ありの人達であったことです。
 また、大勢が集まる場所で、大型船や屋形船、コンサート等狭い空間に大勢が集まったところが大きく報道されました。今に至り考えてみれば、納得することばかりです。

 自宅でのんびり生活していた高齢者は、外出しない状況の中での生活をそのまま続ければよかったのですから、元気な高齢者は平然とパークゴルフに興じ、畑仕事を継続し、庭いじりなどで元気に過ごしてきました。日光を浴び、外での生活を元気に過ごせば、新型コロナ感染対策にもなっていたわけです。これは元気な高齢者にとっては幸いでした。
 最初から、日光あびての散歩は推奨されていましたし、コロナ禍ばかりではなく、落ち着いてからもフレイル対策として推奨されていることです。

 100年前のパンデミックと同様の状況を知ることで、こんなことがまた何年か後に起きるのだと、災害と同様に心して対応できるようにしなければなりません。落ち着いた今こそ、日々どのように振り返り対処しながら生きていくかを、忘れぬうちに再検討しなければなりません。

 最近「コロナ後遺症」が世界的話題のように報道されます。新型コロナ感染者は国民の全てではありません。従ってその後遺症も、国民病のように取り上げられるのも考えものです。
 新型コロナ感染後遺症も、現在他の病気で苦しむ後遺症も、違いがあるのか否かも分かりません。果たして新型コロナ感染による後遺症か否かも分かりませんし、対応もないと言われます。まるで難病のようなものです。
 まだワクチンとの関連も話題になりませんが、ワクチンの後遺症はないのかも疑問です。ワクチンは今なお6回も7回も受けている人達がいます。打つたびに免疫力が下がるともいわれる中で、何をどこまで信じ、どこまで自己責任で考えるのかさえ分かりません。急に帯状疱疹が話題になったのも解せない話です。

 本を頼りにすれば、新型コロナに関わる本が棚から消えれば、恐らくがんの本になると言われていた通り、がんの本が急増とワクチンによる恐怖をあおるような本が多くなっています。
 まだ今のところワクチン後遺症が話題ではありませんが、数年後にワクチン接種者に奇妙な病気が発症するといわれる恐怖の方が新型コロナよりも恐ろしいと思います。

 まだまだ目が離せない新型コロナの影響による恐怖と間もなく更に強い感染症の再来に不安が伴います。しかしこれまでの経過を見れば、今回の新しい方法によるワクチンの開発がノーベル賞につながったことで、更なる強い感染症が出てきた時には、新しい仕組みによるワクチンが早急に出来上がり感染症を抑えることが出来ると言われますが、それよりも何よりも、人体の免疫力強化の方がワクチンよりも重要であるという考えに至ります。

 現代人の生活を見れば、昔のような様々な微生物や細菌やウイルスと共存する生活ではなく、清潔感あふれる、ある意味無菌状態の中での生活になっていることから、僅かなウイルスにも反応するようになっているのかもしれません。昔の生活習慣の中で育ち生きてきた高齢者は、現在は元気そのものです。私達高齢者は汚い生活をしてきたので、この難関を逃げ切れたのかもしれないと考えます。

 現代社会の中で生きてきた若者世代が、田舎の生活や山の中の生活に憧れ移住するという話題は、ごく当然の成り行きなのかもしれません。いったん都会に出た若者が、地元に帰り、古い生活習慣の中に戻る話もよく聞くようになりました。これが人が自然と共に生きる、生きたいと考える自然な姿なのかもしれません。

 そんな生活に憧れる若者が、子育てすれば次世代はまた少しは変化するかもしれません。養老孟子先生が最近盛んに本を書かれていますが、それに同調する方々が共著として書かれている本も含めて、新型コロナ騒動から、多くを学ばなければ、更なる強いウイルスが現れた時に敗北者になるような気がしてなりません。

 今のところ何をどのように学ぶか定かではありませんが、人体の不思議、人体の小宇宙を頭に置きながら、挑戦的に生き抜かなければならないことだけは間違いないと考えます。

 私は87歳、フレイルからの脱出に挑戦していますが、今の股関節異常や心不全といわれる状況からの脱出につながるか否かは今のところ分かりません。しかし、少しずつ変化が出ていることは、自分のからだの使い方や姿勢、移動の重心変化、歩き方などなどに大きな問題があることを発見していることから、期待しなが日々挑戦していますのでその良い報告が出来ればと思います。
                     令和5年10月25日


コロナ騒動は完全終了か?
 いまだにマスクをかけている人がいますが、「風邪ですか」と聞かれる昔の感覚とは異なるような気がします。屋外でしかも周囲に誰もいないところでも、自転車で風切り走っているのに、またランニング中にもしっかりマスクをかけている姿を見ると不思議な感じがします。

 習慣だという人もいます。お店ではまだマスクがけでの客対応をしているところもあります。商品としては今なお売り場がありますから、必要な人達がいるわけです。しかしTV放送関係は、マスクなしでかなり接近して会話しています。その辺のアンバランスが理解できません。
 マスクを外して元気にしている子どもの中で、小学生でもいまだに運動中でもしっかりマスクをしている子どもがいて可哀そうになります。

 海外では早くからマスクがけの国は殆どありませんでしたが、海外旅行でワクチン証明書だけは必要であったようです。

 当初から政府の考えに反対意見だった医療や感染症専門家方や著名人が、コロナの終息後にはがんが増えると言っていましたが、本屋さんの本棚からは、かなり前からコロナに関する本が消えてがんの本が出ていました。

 数日前久しぶりに本屋さんへ行きましたが、がんに関する本が更に増えて、数年の間にワクチン接種による死者が増えるとか、ワクチン後遺症、今後出てくる病気についての本が目立ちました。
 一方で6回目のワクチン接種が未だに行われており、接種者に腕が上がらなくなったという人や帯状疱疹が出ていて、回数増えるごとに免疫力が下がるといわれています。

 一体このような状況の整理はどのようにしてなされるのでしょうか。既に帯状疱疹の予防接種は病院で大きく紹介されており、これまで話題にもならなかったのですが、50過ぎれば多くの人がかかる。かかると大変と紹介されると急になぜそのようになったのかと疑問持ちながらも接種する人が多くなるのですから情報は怖いです。

 私が行う健康・体力づくりの活動では、大人も子供も参加者激減、また周囲を見てもこれまで元気に通っていた高齢者が参加しなくなっています。自分自身を考えても、看病介護に追われた1年数か月の間に体重12キロ減で歩けなくなったのがきっかけで、急に動けなくなり、運動もストレッチ体操だけでも週数回あったのがなくなり、運動の機会が激減したことで完全なるフレイル

 痛みが出て歩けなくなり、寝ても、座っても、立っても痛みとの戦いになりました。立ち上がり不可能かと焦れば焦るほど痛みが酷くなります。レントゲン上でも異常があることは以前からのことですが、色々試みながら運動が続けられていたのに全く歩けないばかりではなく、ストレッチ体操をしても体が動きません。あの柔軟なからだはどこに行ったのかと不思議に思うほどのからだの変化です。

 からだが動かないと心も動かなくなることを改めて経験しています。特に痛みで行動できないとなれば施設に入るしかないかと、日常行動すら不安になります。ここをどう切り抜けることが出来るのか、このまま終わるのか今様々に挑戦を試みているところです。
 痛みを感じても少し無理な動きを続けていると痛みが消えることがあります。それは運動不足だと思います。しかしどんどん痛みが増すようであれば早くに切り上げて休むのがよいようです。公園のベンチで休み、再度挑戦すると楽になることがあります。そこをすかさず確認しながらまた歩き出しますが、痛みが出そうになったら切り上げて帰ります。
 帰宅後やはり少しでも動けばからだが楽になり、血流の変化による快感を感じます。休みながらこれを繰り返し、だましだましという高齢者用の運動療法を探っています。
果たして良い結果が生まれるかどうか、暫く実践してみます。その間に例年通りレントゲンで確認、血流検査、リハビリ医の診断を受けようと考えています。

 果たして結果がよく出るか数か月後に良い報告ができるように挑戦していこうと思います。
 人間は動かなければだめになることは誰もが承知のことです。特別暑いこの夏、動けばむしろ体が楽になり、暑さの中でもどんどん動けるようになると高齢者でも言います。

 そんな中で、熱中症で小学生が無くなるという報道、すぐにも学校が短縮授業となります。私達の放課後活動では、頭からびしょびしょの状態で元気に走り回ります。そのまま家に帰り、親が留守の中で帰りを待つ子供の方がよほど危険だと思います。学校にいた方がまだ安心です。
 子どもは元気、寧ろ動いた方が熱発散でからだがよく動き楽になりますが、大人が心配しすぎの社会状況に問題がありそうです。高齢者は公園でパークゴルフに興じて元気です。動かず家にいる高齢者が危ないのです。
                令和5年9月4日記

 どこを見ても、TVの報道を見ても、誰もマスクはしていませんし、かなり接近して会話をしていますので、全くコロナは一般的には気にしていません。

 小学校では学校閉鎖や学級閉鎖はないようですが、学校祭の時期にある高校で学校閉鎖があるようです。小学生は元気、中学生もまだ発育発達が盛んな時期、高校生が長期のマスク生活による生活規制や運動不足がかなり影響した中、閉ざされた3年間を取り戻そうとするかの如く、学校祭で頑張っている様子が想像されます。

 以前の孫の学校際にかけるエネルギーが、短期ではありますが、すごいものがあったことを思い出すと、体力低下の中不規則な食事や寝不足などが加わり起きたことではないかと考えられます。

 新型コロナの後の生活は、やはり何事もなかったかのように過ごしてはいけないと考えます。私自身を考えても、体重減(12キロ減が8キロまで回復)とフレイルによる体力低下が別人のように感じますので、87歳では回復は困難だと考えます。新しい自分を構築することではないかと思います。

 その為には現状の力を確認して、どのように生活するのか(生き甲斐含め)をまず考え直すことであると思い、少しずつ頭も、生活も、身辺整理もしながら構築しなおすべく取り掛かりました。さてそれがいつ出来上がり、実践に移るのかはまだ少しかかりそうです。




アフターコロナ(ポストコロナ)にどう立ち向かうか

 令和5年3月の段階でマスクは場所により個人の選択といわれても、ほとんど変化がなく過ぎました。公園でも、一人乗りの車でも、自転車でもしっかりマスクをする人を見ながら人それぞれというけれど、日本人にとって事マスクについては、本当に理解できません。
 昨年5月の段階で、子ども達の登下校時のマスクは不要と政府が述べたといいますが、全く変化がなく更に1年が過ぎた今も登下校でマスクをする子ども達が気になります。

 いつまでもマスクを外せない日本人といわれて、最近では医師がTVでこれまでのマスク生活でも効果があったとして1.4%、あっても2%とか平然と述べる今、そんなことを聞かされると、確かにマスク不要といっておられた専門家もいたのですから、果たして何が正しかったのかと益々分からなくなります。

 豊富な時間と錯綜する中の情報を集めながら、未知の新型コロナを知ろうとかなり頑張ってきた3年間、今はまるで嘘のような脱コロナです。
 痛めつけられたあの状況は、誰もが思い出したくないという感覚のもと、確かに忘れたいのかもしれませんが、一方で10年に一度はこのような状況が来ると人々が忘れないように警告を出す人達がいます。

 後10年たてば生きていないかもしれないと言いながらも、私自身計算すれば97歳、新型コロナ以上のパンデイミックはかなり不安が伴います。しかし今回の場合も、高齢者が心配されましたが、施設や病院入院中の高齢者が対象で、普通に暮らす高齢者は何事もなく元気に過ごしたように見えます。ただフレイルだけは免れることができず、私自身もこの3年間での身体変化は取り返しがつかないと実感しています。

 子どものからだづくりを仕事の一つとして来て41年目、子どものからだが3年間のマスク生活でどれほどの低下を示すかと心配してきました。日本の将来は「コロナ世代」といわれるこの人達の成人後、そして高齢期にはどうなっているのか本当に心配です。

 長く続いている「子どものからだづくり塾」と高齢者の健康教室での様子から、日常的に運動(動き)を取り入れた生活をごく自然にしている人達をみると、コロナであろうと地震であろうと前向きに生きようとする心の強さを感じます。そんな心の強さは、体をしっかり使いこなした上で身につくことであると知らされます。

 かといいながら、加齢とともに動かなくなる、動けなくなる我が身を通して、現状の中で動かないまま時間を過ごしていくことが子どもの成長にどう影響するのか考えるといてもたってもいられず「子どものからだづくり塾」指導に出かけます。

 昨日も円山陸上競技場及びその周辺で行う活動に参加して子ども達の動きを観察しましたが、自然発達がありますから、張り切って元気に動き、抑えられている隠れた力がかなりあることが分かります。
 低学年はそれほど頑張らなくても身が軽く、自然発達も加わり、動作も自然でよい動きをします。学年が進むと頑張ろうとする心の力の方が大きく働き、例えば走運動では、前かがみ、腰が抜ける、脚部はもたつき、伸びた脚が思うように動かないことが見て取れました。
 まだまだ頑張れるといいながらも、脚の踏ん張りが効かなくなっていることから、転倒による事故も予測されたことから、もう少しやりたい気持ちを抑えて終了しました。さてこの後、宿題があると言っていたことからどう対応できたか次週聞きたいところです。

 こんな様子を見れば保護者は子ども達が元気だと判断すると思いますが、私の目から見れば、自然発達で支えられている成長した伸び伸びしたからだであって、踏ん張りの効かないよれよれの体幹で、恐らく一生を支える腹筋背筋腕の力がないことが感じられました。
 実際仰向けに寝て、起きあがってこれない子が珍しくないのです。腕立てをすれば、肘がそって支えられない子がなんと多いことか。背筋では自力でそれない子が多くいます。コロナ禍関節痛で病院を訪れる子や親より先に整体を受ける子どもが増えていることは相当前から聞いていました。

 一見元気そうに見えて、その力は自然発達であり、体をこなしながら基礎体力と共につけていく底力がないことが将来の「生きる力」となるかといえばまだまだ足りない「体力づくり」が必要であると感じます。そんな子ども達が成人して国を支え、高齢者を支え切れるか私は不安と共に大いに疑問を感じます。

 現状の中の子どもの体力を底からつけていく、つまり地面をしっかり押さえて立つことからつけていくにはどんな動きづくりが必要か、そして彼らが喜んで挑戦でき、自然に力がついていくにはどんなプログラムが必要で、それをしっかり指導できる指導者の目がどう磨かれるかが大変大事な課題であると考えますが、それにはもう私の手が足りませんし時間がありません。

 保護者と学校の支えが重要ですが、問題意識が足りません。恵まれた生活、車社会、楽な社会、問題意識が生まれるわけがありません。それでも次なるパンデミックを迎え撃つ力がこれからの「生きる力」になると考えられることから、コロナ経験で得たことをじっくり考えながら、これから先を見て挑戦していかなければなりません。
 昨日子どものからだを見ながら、頑張って挑戦する子ども達の楽しそうな運動場面を見て、更なる体にとって有効な挑戦的プログラムを考えてあげたいと思いました。そして我が身にとって重要、必要な動きづくりをどう展開するかについても熟慮が必要であると考えました。
            令和5年5月12日子ども達の動きを見て 5月13日木記







コロナはどこに行ったのか?

 スイスに長く住む友人が、帰国の度に言っていた「日本に帰るたびに、あまりの早急な変化に驚くと共に、怖くなる」と
もう3年前の恐怖心は思い出せない、思い出したくないも含めて思い出そうとしない日本人。つまり過去を振りかえるよりも、振り返る暇がないとばかりもう先を見据えて動き出しているのです。

 あの感動的なオリンピックでさえもうすでに随分前の事のように思えます。あの時期日本しかオリンピックは出来ないと言われ、参加国があるのかと心配でしたが、なんと過去最高の国が集まったとか?えーつそうなのー?

 選手たちは不自由な管理のもとのオリンピック参加にもかかわらず、コロナが収まったら絶対日本に来てオリンピックで見られなかった日本をゆっくり見たいと口々に言っていました。選手達は果たして本当にやってくるのかどうか。

 観光にしても、ホテル経営も変化し、日本的な味わいをもつて行われてきた「地方の祭り」も、これまで通りにはいかず3年ぶりだからといいながら、伝統的方法にも変化が出ているが、日本独特の味わいに戻れるのか否か、それは次年度の運営方法やその結果の成り行きをみなければならない。

 不思議の国ニッポンはコロナ禍ポストコロナを叫びながらどう変化しうるのか。
 きっと何年か後には、実はコロナはこうだったとか、ワクチンの真相など出てくると言われていましたが、意外と早く既に後遺症やワクチン死に対する国の対応など含めて色々な話が出てきました。

 当初から反対意見が出されていましたが、それは単なる反対意見としか受け止められなかった事実を追えば、「やっぱりそうだったのか」ということになってきたようです。

 物事全て、世の中はそんなものだと言えば、一気に片づけられますが、日本人の同調意識の強さがそうさせたのであれば、間違いがどこにあったのか検証しなければならないのです。更に強いパンディミックが起きれば今回のコロナ対策が大きな参考となるに違いがないことを考えれば、国会での答弁も逃さず聞いておかなければならないのです。そんな考えで生き抜くことが、自分のからだは自分で守るにつながるのだと思います。

 介護の最中の入院で僅かの時間が確保され、半年以上ぶりに美容室へ駆け込んだのですが、美容室にいつも置かれていた週刊誌などは見当たらず、アイパットが渡されて、週刊誌を選んで読むようになっていて驚きです。自分も持っているのですぐにも使えますが、時代においていかれる焦りを感じました。

 ファッションブックが大好きで、そこからヒントを得て舞台衣装を考えていた私ですが、なんとファッションブックを見てあまりに大きく変化していて驚き、その感覚に全くついていけないことを感じて目を伏せてしまいました。
 色よりどり、その組み合わせ色も、デザインも全く飛びつくものがありませんでした。もうだめだー!胸ときめくデザインや色に出会えず、なんでなんでとページをめくっても、心ときめくものが一つもありませんでした。
 これではもう舞台衣装も表現のテーマも問題意識も人の心を揺さぶるものができないと、あきらめきれない心ではあるのですが、密かに心の奥ではもう表現しきれないかもしれないと感じてしまいました。

 来年は「米寿の舞」ですが、すっかり自信を無くして、髪型だけは現代版のパーマ掛けで帰宅し、主人入院中の一人暮らしの心が一層暗いものになりました。

 コロナがまだ収まっていないのに日本に旅行に来る外国人、なんでそんなに日本に来たいのかが分からない。諸外国を旅行したのは随分前のことですから、私はかなり前の浦島太郎状態です。
 しかし私の頭には鮮明に残る印象が強かっただけにしっかりと焼き付いており、今頃でかけても心ときめかないかもしれないと旅行すらもうする気にもなりませんので、日本が求められる日本らしさと素晴らしさはどんな印象なのかが理解できずにいます。

 仕方がないので今のありのままの日本を受け入れてもらうしかないのかもしれません。今後日本がどのようにポストコロナを歩むかに僅か期待して令和5年度を迎えようと今活動しているいくつかの活動内容の企画にいそしんでいます。これが私の介護生活の中の健康維持の原点なのです。

 人は何のために生きるのか、生きたいのか、日々主人と話し合っています。介護だけでは生きられませんが、そうしなければ身が持たなくなるであろうことをぼんやり考えながらの自宅介護です。
 何事にも懸命に頑張り挑戦する私の生き方が、今は人がそこまでしなくても、そこまでするのと言われる今のレベルの介護ですが、兎に角懸命に頑張り懸命に挑戦する、それが今の私の「生きる」です。
                  令和5年2月4日

卯年に向けての期待と不安

12支にまつわる気になる意見などを無視しても、何か関係がありそうに思えるのは長年の経験からくる卯年の影響です。家内安全な意味を示し、飛躍や向上を象徴すると言われ、新しいことに挑戦するのに最適な年と言われますが、果たして自分にとって良い年になるか否かと考えれば、介護に明け暮れる現状の中ではいくら大目に考えても期待が持てません。

しかし高齢になれば、また病気と戦う高齢者は、僅かなことで顔色に変化が出ることに気が付きます。従って、怒りの態度や不安な態度は絶対に見せてはいけないのです。修業が足りない私は、介護にあたり「明るく」「楽しく」「期待を込めて」例え残された時間が少なくても時間いっぱい誠実に介護することに徹しようと考えているのですが、中々私の気持ちが通じないことがある度に、つい顔色に出てしまったり言葉に粗さが出ることがあり、その度に反省しきりです。だから介護は修行なのです。

そんな修行の繰り返しをしながら、子どものからだづくり塾活動に行けば、夢中になって遊び惚ける子供の姿に心があらわれます。そんな活動の中から私自身の健康管理がなされていくのを感じて、また頑張って出かけます。

コロナ禍、いくら2類から5類になろうとも、3年間不安と強制の中で生きてきた習慣は、私達の心と体に大きな傷をもたらしました。
その傷をいやすのは互いの心育てであると思います。温かい言葉かけだけでもと、寒い中休まず配達している方々に余計な言葉をかけています。
ご苦労様、寒いから、滑るから、気を付けてねー!と余計なお世話かなーと思いながら、そんな言葉をかけた私の気持ちが温かになるのです。

コロナウイルスは人々の心を痛めつけ、不安を持たせ、疑う心と目を知らぬ間に植え付けました。意識してこれを取り除かなければ、日本人の優しい心は少しずつ薄れていくような気がします。毎日の介護に落ち込み、睡眠不足と戦いながらどこまで戦い続けられるか、長年専門としてきた「健康管理」の理論と実践がどこまで生かされるか挑戦の年となります。
                   令和5年1月2日(卯年)

ウイズコロナ・ポストコロナ

新型コロナと言われるということは、旧型コロナがあったということ。井上正康先生や賛同する諸先生方が、コロナ騒動の初めから、コロナを正しく恐れるようにと述べ、コロナは怖くない、日本人はコロナに対する抗体を持っていると述べておられました。この意見を尊重する諸先生方の発言を集めて作ったノートを見て、今は「一体あの騒ぎは何だったのか」と思うほどコロナウイルスに対する対応が大きく変化しました。

ウソとは言わないまでも、作られたTVや新聞による情報は、国民を恐怖のどん底に陥れました。平和で何事もなく過ぎて来た80年という長い歳月がもたらした、よく言う「平和ボケ」などと言い切れないどんでん返し、まさしくパンデミックを体験し、人々が大きく変化することを知りましたので、これからは早いここからの脱出を考えなくてはならないと思います。

まさしく模索しながら、ある意味もがきながら色々な立場でそれぞれが、新しいやり方、新し生き方、ユニークな考えや行動を起こし始めている姿をTVなどで知ることができます。個性豊かに、まさしく自分表現ができる人達がこれから先伸びていき、日本を元気にしてくれるのではないかと期待をもせてくれます。

そんな中で今一番気がかりなのは、長く活動してきた子どものからだづくり塾と高齢者の健康教室です。子どものからだづくり塾は40年目を迎え、学級閉鎖続きの中で中々参加者が増えません。高齢者の教室は、熱心に通っていた方々が参加しなくなっていることを公にできないことから心配しながらも、どう対応してよいか対応に苦労しています。

コロナ禍の高齢者問題は、精神・意欲の低下、活動量低下による生活の変化、動かない、動けない生活からサルコペニア(加齢による骨格筋力の低下)やロコモ(立つ、歩く等の移動機能の低下)による生活の変化が話題となっており、更に成長期の子ども達は、高齢者の問題よりも更に深刻化しているといわれます。

子ども達の生活を早く変えてあげないと大変なことになると小児科医が叫んでも、またTVでもやっという言うになっても中々進まない。日本人の同調意識の強さがよい時は強い力となりますが、コロナ禍における同調意識が悪い方向に広がっていることを国民はこぞって考えなくてはならないようです。
特に子ども達の同調意識は、大人以上に厳しいものがあり、子ども達の間に入ることができないので、より良い指導が必要になります。不安と無意識な同調を外すには時間がかかりますが、早急にしてあげる必要があると思います。
子どもの免疫力は大人と大きく異なるという小児科医の発言はさらに大きな声で広めてほしいと心から願います。
      ウイズコロナ・ポストコロナ期 令和4年12月19日
コロナ禍の新しい生き方模索
急にコロナ感染についてのニュースが少なくなり、毎日毎日どの時間も統一教会問題です。日本人は忘れっぽいと言われますが、コロナのことを忘れてどの方向に向かうのでしょか。私たちの健康問題はどうすればよいのでしょうか。

そして最近の話題を通して、日本人の心が変化しているように感じます。よい方向に変化するのなら喜ばしいのですが、人を陥れるような探り、悪いことばかりあげつらう。先に述べた近畿大学卒業生向けの安倍元総理の講義内容の中で最後に、日本にとって悪いことは大きく報道されるからよく判断するようにと言われていましたが、そんな中で安倍さんをたたえる海外の方々の発言があったということはどんなに日本国民として喜ばなければならないか。そんなことmももうすっかり忘れて、死者に鞭打つような発言ばかりで情けないです。海外ばかりではなく、この日本国内でさえ、人を批判する、何をどのようにやっても悪くしかとられないこの状況下、どんなに優秀な人でも何もできません。心がすさんでいると感じます。からだの問題は心の問題が支えですから、この先日本はどのような方向に進むのでしょうか。。

そんな時私はある一つのことを思い出します。アメリカ人は個人主義で人のことをあまり気にしないとかいいますが、人の力をしっかり認めます。今は大谷選手がそれを証明してくれています。
もうずいぶん古い話です。オリンピックの開会式での世界に向けての選手代表の発言中、代表を務めた黒人の確か400Mハードルの世界記録保持者か?が途中で言葉が出なくなり長い沈黙が続きました。

はらはらしながら見ました。その後アメリカでの報道では、彼は人前で発言するのが専門ではない。ハードルが専門なのだから競技場で頑張ればよいという批評でした。その人のその行動にも批判ではなく認める報道をしたのです。
これが日本ならば、しかも最近の日本ならばどうなるでしょうか。想像するだけで恐ろしくなります。
菅元総理の国葬における弔辞は多くの人の涙を誘い感動させてくださいました。と同時に政治家たちの日々がどんなに大変なものであるか僅か垣間見ました。改めて安倍さんのご苦労と菅さんの大事な人を失った悔しさ、深い友情に対して、場に似合わない拍手が沸いたのは自然の成り行き、人間味を感じました。最高の弔辞ではなかったでしょうか。

その後の報道ではそれをも批判や侮辱をし、安倍さんを悪く言うだけではなく菅さんをも陥れるような報道に情けなくなります。また立場上岸田さんはあのような弔辞が当たり前ですが、菅さんと比較して批判だらけです。情けないです。こんな状況では心がが荒みます。
悲しい時には本当に悲しみ、嬉しい時には心から喜ぶ喜怒哀楽、けじめある感情表現ができる国にしたい。安倍さんが望んだ「美しい日本」とは程遠いい。
安倍さんが言われる良いことは報道しないが、悪いことは倍力を入れて報道するので、気を付けるようにと若い人に告げたのは、本当に今の日本はそうです、特に最近コロナ禍みんなの心がすさんでいると思います。情けないです。

国葬後長い時間替耐えて長蛇の列の中で待ち続けた若い人たちが多くいたことをなぜ報道しないのかと麻生さんが述べていたといいますがその通りです。よいことは目を伏せて、悪いことと批判に当たりそうなことを探して大々的に報ずる報道関係者に報道の意図を尋ねたいくらいです。

こんな状況下子どもたちが変化しています。からだもこころも。私は今年で40年目の「子どものからだを考える」活動をしていますので、コロナ以後の2年半のマスク生活で大きく変化していると感じています。教員もそのように感じているようですがどうにもなりません。
せめてそのように感じている大人達だけでも子供の心を救いたいと考えながら子供たちと触れ合っています。

最近になってコロナの最初の頃に言われていた「専門家会議」以外の諸先生方の意見が気になり始めています。最初の頃から言われていた通りになりつつあるともいえます。
改めて海外と日本の状況を幅広い見地から見直し、新しいウイズコロナに走り出さないと、現状の中でもがくだけではいけないと考えます。
日本人らしい暖かな心、やさしさ、人を大事にする姿を取り戻し、子ども達をしっかり育てていきたいと思います。

そのためには体が資本です。高齢者なら高齢者らしいからだづくりがあります。この間新しい発見がありました。中々外出できずらい昨今、ネットでの新しい方法で指導できればと学びなおしが必要です。
火曜日13時30分から自宅でレッスンをしていますが、2年半の遅れが高齢になるとかなり大きく響いていることに気が付きます。


キッシンジャーさんの「彼に会えて幸せだった」という言葉は本当に安倍さんに聞かせたかった。若者が葬儀で花を添える姿に感動しましたが、国葬では長い待ち時間をものともせず花を添える若者たちの姿に、本当の心を知りました。コロナを乗り越え、せめて心の強い日本人を取り戻さなけばならないと、非人間的なやり方が通り続ける戦争のニュースが流れるたびに明日は我が身にならないにはどうすればよいのか考えさせられます。

7波の中で考えること

7波とは何ですか?国民は自分達で経験したことから多くのことを学び、自分達で考えて行動しなければならないことを突き付けられた思いです。

尾身さんですら、行動制限はしないが、7波の中自分達でこれまで通り感染予防をしながら、自分達で生活をも待っていくようにと昨日(7月24日)述べています。これまでのことを考えると、見方考え方によっては、無責任な発言にも聞こえます。

でもそれしか言えないのでしょう。それしか言えない状況はこれまでも同様ですから、これまで同調意識の強い真面目な国民は、言われるとおりにしてきたのですが、それでよかったのかと大きな疑問と共に反省し、他国の情報も多く受け取れる現状を考えて、日本人として熟慮しなければコロナに大負けする事になりそうです。

5月11日原稿を書いた後、安部元総理の考えられない不幸を目の当たりにしてしまいました。どんな思いで日本を守ろうとし、アメリカとの関係を深めるために努力されたか、外交に努力された状況など国民の一人として全く考えが及ばなかったことを今になって知り、海外からの元総理に対する感謝や悲しみを聞けばなんともやるせない気持ちをどこにぶつければよいのか?

印象に残るアメリカのキッシンジャーさんの「彼に会えて幸せだった」という短い言葉に感動ししました。単にトランプ元大統領との仲の良さなど、私たちが目にする表面的な関係ではないことが今になれば分かります。

安部さんの葬儀の時の弔辞で「世界の人達が認め、何かにぶつかれば、安部はどういっているかと安部さんの発言を求め名前が出るのが誇らしかった」と述べる麻生副総理の発言で私も誇らしく思いました。
そんなに簡単に求められるものではありませんから、おせいじではありません。本当に世界で求められて、日本の立ち位置が良くなったことは誇らしいことです。ご苦労が沢山ありながら耐えて、日本国のために努力されていたことを今になって分かり、多くの国民が感謝していることも分かりました。
反対派の方々や悪いことばかりあげつらわれて、苦しまられながらも政治家として戦い続けてあのような亡くなり方では、本当に悔しいことでしょう。

まだまだやり残したことがあるでしょうに、私達も知らないような大きな仕事があったでしょうにと残念で残念で仕方がありません。ここまで考えさせてもらえることで、政治に対するニュースや裏事情、様々な意見や流れなど益々興味がわいてきました。
こんな状況の中、アメリカでは半旗で、スパーマーケットまで、また個人宅でも半旗でお悔やみを気持ちを見せている中、日本は堂々と旗を上げていて、慌てて数日後半旗にしたとのニュースや党内でのもめ事、特に安部派の内情など目にし耳にすることで情けなくなります。
表面的には、安部さんの遺志を汲んでとか言いますが、果たして今後の流れがどうなるか本音が分ることでしょう。

政治家達が一枚岩になれない訳も憶測できる現状をみれば、国民の方が現状把握が出来ているのかもしれません。政府に頼れない、自分のことは自分で守らなければという言葉を耳にするようになったのは、この事件ばかりではなく、コロナ対策やワクチン問題、全て説明もなく、何か隠し事があるのではないかと疑うような気持が国民の間に生まれているような気がします。

今日たまたま4か月前の近畿大学での安部元総理の卒業生向け祝辞を見つけて読んだことで、上述のような考えが湧いてきました。単に安部さんへの無念に対する思いだけではなく、日本国として本当に勿体ないことであったと更に思ったのです。
この言葉を聞いて卒業した学生たちは、本当に勇気をもらえたと思いますし、安部さんの行動力は現場体験を通して行われており、良き仲間づくと共にあったことを知るに足る講義内容でした。
最後にあった情報発信について、日本のメディアの報道はGHQ観を未だに踏襲している。気を付けて!
日本にとって悪いことは大きく報道をします。よい報道はしませんと言われていることが印象に残りました。
コロナのその後について書こうとしましたが、近代卒業祝辞講演内容で、日本の現状を書いているうちに、コロナで学生生活の半分を大変な思いで過ごした若い人達を励ました最後の言葉から、コロナ禍の私の考えは後日にすることとします。
                   令和4年7月25日

コロナとの戦いも終わりですか?

この2年半コロナウイルスとの戦いでしたが、過ぎてみればコロナウイルスにより世界のニュースが身近になり、世界のどこかの生活がそのまま伝わり、自分達の生活をも変えさせられそうです。
よーく考えれば、イギリスで起きたことがそのまま日本にも起こるのであれば、コロナ情報は当初から日本でも同じように起こるはずでした。当初まだ色々な情報が飛び交っていた頃は、様々な立場の人がそれぞれの立場から物が言えたのですが、やがて専門家会議と政府という立場の人からの情報しか伝わらなくなりました。

それでも私は、書けばすぐ消えると言われる情報も含めて、毎日ネット情報獲得に時間を費やしました。更には様々な人が書く(実は書く人は専門家会議以外の人、つまり反対意見が多い)コロナ関係、或いはワクチン、その後の問題などの本を数えれば15冊も買い集めてお勉強しました。とても熱心に学ぶには、学べば学ぶほどこれは大きな社会問題であり、TVや新聞情報のみに振り回されてはいけないと思ったからです。

子どもや高齢者の健康づくりにかかわる指導的立場にあることで、多くの情報から幅広く学ばねばならないと考えたからですが、政府や専門家会議と反対の意見やそれとなく国民に考えてもらおうとあえて考えて書いている或いは情報を流している様子から、読めば読むほど、自分で考えることの大切さを学びました。

今となっては、その頃何が起きていたかを木村盛世さんの「誰も書けないコロナ対策のA級戦犯」なる本を読むことでコロナの後の日本がどう方向転換するのか、しないのかと気がもめる事態になりました。
しかしウクライナとロシアの問題に大きく話題が移ったことから、毎日のコロナ情報よりも戦争情報がいかにも身近な問題にすり変わってしまいました。そして遠くの問題ではなく、日本も攻め込まれるのではないかというコロナどころではない恐怖に追い込まれそうです。

人の生活が一気に変わる姿を身近な問題の様に日々報道されることから、コロナウイルスも含めて平和で楽しく生きてく事がいかに難しいかを思い知らされます。
私自身この2か月生きた心地がしないような生活となり、改めて自分のからだは自分で守ることが強く生きるために必要であることを思い知らされました。
そのことを次回ゆっくり伝え皆さんと共に考えたいと思います。
    令和4年5月11日



変異株との戦い方

姿を変えて迫りくるオミクロンも、見えない敵との戦いであることは間違いなく、どうすればよいかと問えば専門家さえ分からないらしいのでどうにもなりません。自信がない中でも、兎に角ワクチン接種を進めておけば間違いないと考えるも無理がないというところでしょうか。
そのワクチンさえコロナにもオミクロンにもあまり効かない?そうですワクチンそのものが絶対ではありませんから。しかしパンディミックであればワクチンが効くかもしれませんが、落ち着いてくればワクチン効果は薄れるに決まっています。インフルエンザが流行していない最中にワクチンを打つ人はいませんから。

そんな中毎日毎日コロナウイルス情報が乱れ飛び、分からないといいながらの感染者数増加であおられています。しかしどんなに数が増えても、検査するからでしょう?感染しても軽いんでしょう?と気にしなくなった国民感情をどう扱おうとしているのでしょうか。

2歳児も強制ではありませんがマスクをつけてくださいと政府関係者が言い、新聞にも大きく出ればどうなるのか?考えないで発言する政治家の考えが全く理解できません。

強制ではないとか平気で言えること事態驚きです。ワクチンと同じで、任意だといいながら職場接種をすすめれば社員はどう対応するかくらい想像しながら発言して欲しいものです。
実際しかたなく打ってその後酷い症状で働けなくなった人が身近ににいれば、職場で強制されて打った結果がそのようになっても誰も責任を持たない状況です。

何の根拠を持っての2歳児マスク着用発言なのか本人の口からもう一度聞きたいものです。翌朝小児科専門医が、2歳児のマスクは何一つメリットはない、ただあるのはデメリットのみと発言されましたが、後の祭りにならないように大声を上げて欲しいです。新聞に掲載されて、その後のこの発言を聞かなければ、保育園も幼稚園も益々マスクをつけさせるでしょう。可哀そうなのは幼児達です。海外を見てもあのように多い感染者の中で、幼児は亡くなっていないと報道されています。

また最近のTv出演感染症専門家は、イギリスで40万感染者でも一人しかなくなっていない。しかも90代と述べておられました。日本でも死者が出てきているといいながら、年代を言いません。聞くところによるとそのほとんどは持病あり高齢者であるとのこと、なぜ国民を恐怖に追い込み、今なお生活を抑え込み、ワクチン推奨、入院できないほど患者が多いといいながら、旅行案内が出回る。
訳が分からない中で、がん患者の放射線、手術などの治療以外で直そうという医者が言う「日光に当たりましょう「酸素を十分取り入れましょう」「からだを酸性にしない」という発言から、病は同じところに注意が必要であると分かります。
コロナ騒動当初から日光に当たり歩く、走るなど運動に励むことを多くの専門家や医療関係者が推奨していました。
これ迄軽い風邪模様であれば寝ていて直しましたが、咳が出る、口が乾く、ねっっぽい、だるいだけで検査に行く、行けば陽性?でも翌日には下がり普通に元気?風邪気味が陽性と言われ、何日も自粛となる。
ある人が熱が出て3時間待ち検査、結果陽性、保健所からの指示に従うように言われて数日たっても何も連絡なし、そのうち熱も下がり益々元気、いまだに連絡なし、どうすればよいのー?仕事が忙しい人なら出かけるでしょう。それで感染広げることになるのですか?それなら絶対0になるはずがなく、初めてコロナと共同生活となるのでしょうか?

昔から鼻かぜくらいで学校も職場も休みません。今は1億総勢弱いので仕方がないのでしょうね。清潔すぎる生活、自然と遠のく生活など改めて、自然との共有という環境問題になりそうです。
自分の免疫力を信じて、感染予防に努めながら、元の生活に戻る静かな挑戦を始めることですね。
令和4年2月5日 
   オミクロンからまた変異する見えない敵と戦いながら

コロナは本当に収まったのか?

人々が大勢繁華街に出回っている姿を報道しています。知人がニューヨークに行ってきたそうです。その勇気に驚きながらも情報を聞けば、TVで観る、或いは新聞情報とは大きく差があることに気が付きます。

戦場のニュースでもひどく荒れた街の様子が映りますが、そんな中でも多くの人達が毎日生活しているわけです。近くに情報集めに行っている日本人、しかも女性がいるのですから危険な場所であっても人々が生活している、生きているには間違いありません。

コロナの情報も、TVや新聞情報だけに頼っていては、一点集中、偏り、つくられた情報でもあるともいえますので、慎重に受け取り、誰が言う情報か?誰が言う判断かシッカリとみていかなければなりません。

ニューヨークに行ってきた女性の話によると、「あれなら感染するでしょうねー」と言っていました。現状を見てきたのですから、TVで観るよりも確かでしょう。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツは移民が多く、その人達が付く仕事も偏っている場合があり、生活状況もその国の国民とは異なります。イギリスでは感染拡大によりトラックの運転手が減少し、流通がマヒしていたことがありました。

私が初めてイギリスやフランスに行ったときに驚いたのは、黒人が多かったことです。今もフランスから移民がボートでイギリスに向かい、途中で船が沈没大勢の人が亡くなったと報道がありましたが、日本の状況とは大きく異なり、経緯を見ても生活環境から考えても日本人の感染状況とは大きく異なるわけです。毎日アメリカのある都市ではワクチン強要、どこの国は3回目のワクチン、いや4回目などとあおる報道がありますが、日本国民の方が冷静です。

日本人として考えなければならないことは身近にあって、高齢者の自粛に伴う認知症の増加、子ども達の健康、学習、情緒的問題、子ども含めた自殺者の増加など出ているだけでも解決していかなければ今後の日本人の健康長寿問題にも大きく影響が出るのではないでしょうか。病気を恐れる、感染を恐れるあまり、自己防衛としての免疫力をさげて生活するのは疑問です。

勇気のある人たちは、堂々と旅行をし、飲食を楽しみ、人々の交流を楽しんでいます。決定的な事が分からないので高齢者は恐れていますが、子ども時代を比較するだけでも、ばい菌と戦いながら生きて来た今の高齢者は、元気な人が多い上に免疫力もあり、高齢者こそ認知症予防のための行動を考えていかなければなりません。持病あり者が高齢者に多いのは当然ですから、そこをしっかり支えながら健康で元気な人たちへの行動拡大も大事な生活環境です。

とうとう尾身さんまでが、お正月の旅行は航空券を買った人は気を付けて旅行してください。迷っている人は今回はやめましょう。旅行券購入後のキャンセルが出て、航空会社も旅行会社もキャンセルで混乱しているようです。毎日オミクロン情報、しかもイギリスなどの10万人越えを聞かされればおじけます。日本の状況を見ればほとんど関係ないのかな海外ではー?イギリスも普段通りの生活ですし、そんな感染状況の中マスクをしていない人もいます。

日本でも相当数の外国人の中で、イスラム教徒が多くいて、以前は飛行場に小さなお祈りの場所が設けられているという情報を見たことがありましたが、今は東京にあるモスクの大きさに驚きます。それ以上に数が多くなってるのも驚きです。そこに金曜日に集まるイスラム教徒たちの様子が先日TVで報道されました。人数が多いこと、人々の接触に驚きました。更にマスクをしていない人達がいるのです。

日本人はマスクをしていない人には近づきません。先日地下鉄でただ一人マスクなしの男性を見ました。悠々と携帯をいじっていました。段々混んできてもその人の隣に座る人がいないどころか近づきません。まるで人がばい菌みたいに!!
子ども達もマスクなしで公園散歩していたら逃げていきます。昨日もレストラン内で、食事後マスクなしのまま店内のソフトクリームを買いに行きましたが、前に並んでいた子と傍の子が離れていくので気が付いたのですが、私がマスクをしていなかったからです。まるで人をばい菌扱いです。

今後収まってもきっと日本人はマスクを外さないだろうといわれていますが、日本人の同調意識がよい場合と悪い場合があり、今後の成り行きが気になります。

このまま、0にはならないでしょうが風邪程度になれば幸いと願いながら良いお正月に、つまり翌年に希望が持てるようなお正月にしたいものです。
  令和3年12月25日良い年を迎えたいと願いながら

第6波が来るといわれる中で考えること

コロナに限らず、感染状況は浮き沈みを繰り返しながらやがて消えていくというこれまでの経験的変化からみて、そういつまでも続かないでしょう?いや続けていてはいけないのです。
世界の国々の状況変化を参考にすることはあっても、初めから全く異なる日本の状況を深く考えもせずに歩んでこなかったか?ここにきて反省しなければならないのではないでしょうか。日本人のまねっ子ザルはやめたいですね。

私は当初から色々な情報を集め(反論はすぐにも消される)、著書も買いあさり読みふけりました。僅か研究者の端くれ的身であることから、資料の読み取り方経験も助け、沢山の情報を集めながら、TVの毎日変化する感染者数にも反応していました。そして政府の思いとややもすると異なる専門家会議の報告に違和感を持ちかけていた頃、やっと経済学関係者がその会に参加するようになったと知りました。しかし感染症専門家たちの中に他の分野の人が加わったという話は聞きませんでした。

日本人は色々な分野の人達が集まり、同じ目的に向かいながら喧々諤々と議論を戦わせることが難しい国民のようです。ですからそこに「忖度」が行われ、知らぬ間に深みにはまりあらぬ方向へと進んでしまうような気がします。

最近の事件で言えば、政治がらみもそうですが、大学経営にも不審なことが生じ、学生にも大いに負担や迷惑がかかるようになります。コロナ対策が間違った方向に歩めば、様々な影響がでて、世界との差も大きくなることはもうすでに始まっています。経済的な事ばかりではありません。人びとの心も体も大きく変化しています。特に子ども達とかかわっている私達の目から見ても、子どもの将来に悪影響が出ると考えていましたがが、もう既に心配なことが次々現れています。

ウイズコロナ。アフターコロナ、ポストコロナなど色々な言葉が飛び交いますが、これからは感染を心配する一方で、落ちた免疫力や耐力・体力をどうするか方向転換しながら経済を回していかなければなりません。既に世界に遅れを取っているといわれています。橋本五郎さんが公の場で、今の感染症専門家の会議は解散した方がよいといわれましたが、本当に急がなければならないと思います。

加えて免疫専門家の話を取り入れながら、多くの人が手を携えて、国の立て直しと更にやってくる強いウイルス対策を考える必要がありそうです。新型インフルエンザの方が大変だったと思いますが、あれは平成21年です。僅か10数年で今回のコロナ騒動です。
そんな中での選挙ですが、与野党問わずコロナ対策と叫んで、野党はこれまでの与党のコロナ対策批判をしていますが、そんなことを言っている場合ではありません。国民総力あげて、マスク姿の子ども達を救い出して、元気な子どもの姿に戻してあげなくてはなりません。先読みできず夢が消えた若者を救わなければなりません。

コロナのニュースが少なくなり、にわかに年金問題が浮上していますが、高齢者を心配させることよりも、若者が自分達の将来に不安を持つような情報ばかり流さないで欲しいと思います。コロナが済んだら次はこれというメディアの考えもあるでしょうが、国民こぞって夢に向かうための報道にも心がけて欲しいものです。

一方国民もTVや雑誌、新聞だけの情報ではなく、自ら求めて情報を集める機会に恵まれているのですからぜひ多くの情報を集めて心の中で議論し、考え、世界を見つめて、日本のあるべき道を夢見て欲しいと思います。もう超高齢者が出る幕ではないと思いながらも、新しい国の向く方向を見たいと思いながら日々情報を集めて考えています。
            令和3年10月29日収まりかけたコロナに更に静まってと願いながら。

小学生は最も疲れ知らずで、楽しいことがあれば笑顔が先で大声あげて大暴れをしてくれます。しかし日常学校生活で、「大きな声を出すな」「給食時もお友達と話すな」「走るな、間を開けろ」行動全てが制約されていますので、おとなしいというよりも、高齢者のような行動を強いられています。動きも遅く、話し声もなし、初めの頃は歌も歌えずハミング、静かに話しを聞くので「静かにしなさい。話を聞きましょう」という言葉かけは一切しなくてよくなりました。

第5波の中で考えること

 オリンピックもパラリンピックも心配されながらも、国民に大きな感動を与えながら終了しました。終了後もオリンピックなんかやってる場合じゃなかったという声が収まりません。しかし何事も、メリットとデメリットというのですから、世界中で日本しかできなかっただろうといわれながら終了したことはある意味日本の力が世界に示されたことでもあると考えます。係わった方々の心に感動が残れば、まずは喜び、選手から、ボランティアからもらった多くの感動を、コロナ禍のすさんだ心を励ましてもらったと思い感謝しています。

 世界からこんなにも多くの選手が集まること、地球上にはこんなにも知らない国が沢山あること、障害があることが彼らの大きな力にさえなっているのだと感じさせられたことなど沢山学習させられました。
 困難の中、やり遂げた関係者の皆さんは、組織委員会関係者ばかりではなく、本当にご苦労様でした。

 そして、今回ほどパラリンピックから多くの感動と勉強をさせてもらえた大会はありませんでした。周囲の方々の感想でも、開始前にタモリさんと山中先生の「超人たちがやってくる」という番組から知らされたように、感動よりも考えさせられる事が多くあったと聞きます。。

 これまで障害がある人達が頑張る姿に胸が詰まる思いがありましたが、今回はそれをも超えた感動と考えさせられることが多くあり心から感謝です。人間の力の凄さを目の前で次々に魅せられて、自分が頑張ってきたことなどとても自信もって言えないとしみじみ思いました。

 人体は小宇宙と言われますが、多くの方々が力振り絞って書かれた様々な体に関する数えきれない著書と共に、退職後健康管理講演を仕事として20年越え、からだについて自身のからだを通してかなり知ったつもりが恥ずかしくなるような場面だらけで、パラリンピックを通してからだに関する考え方が大きく変わりました。

 現代社会では、少しでも体調が悪いと必ずいわれる初めの原因は、検査結果です。健康診断と言われる健康なのに検査をすることで知らされる検査結果により「あなたは病気です」ということです。早期発見早期治療が常識となっている現状からすれば、あなたは気が付いていないけれど実は病気ですということですが、症状があり、悪い数値が見え、それを正すことで臓器の異常が消え、体調がよくなればこそ、早く分かってよかったということになりますが、検査結果だけが優先し、病気だといわれても本人が元気で何も感じなければ??とその検査に疑問を感じます。検査をすれば病人にされ、治療をすればなお悪くなるとまで言うお医者さんもいて、検査をすれば寿命が縮むとまで言われると、本当に悩みます。

 私は内臓よりも整形外科的障害による内蔵への影響が多いのですが、退職後長年の夢であった大学院での勉強により、修士論文で苦しみ狭心症になりました。相当に悪いので精密検査をするように言われましたが、論文のせいであるから終われば治るとそのままにしていました。その後不整脈で苦労したのも、心臓のせいよりも高齢であるからと、運動と生活習慣で悩みながら挑戦し、スポーツ障害と戦っています。
血圧の変動や帯状疱疹で苦しみ、20年以上となる股関節痛、腰痛、膝痛、肩首肘と移る痛みと戦いながら毎年レントゲンで様子を知りながら自己流リハビリで生活しています。

 医師によればこの状況では足がしびれて歩けないと思うが?膝は機械をつけた方がよいと7万円の用具をつくり(それはほとんど使いませんでした)、昨年は股関節が両方リハビリが出来ないくらい悪いといわれました。今はリハビリをする状況にないといわれて帰宅し、そこから自分流リハビリが始まりました。今は何とか寝ててもやむ股関節と腰痛に、足と首がしびれて眠りを妨げる状況ですが、起床後のレッスンと動きで日常生活は普通にこなし、散歩も、公園の坂登もできます。

 パラリンピックから学んだ、下半身がなくても上半身で運動があそこまで出来ること、胴体以外片腕、しかもその片腕も半分しかない人の水泳、どうして前に進むのか?両足動かず車いす生活、その足を切断し器具をつけて自分で行動し、しかも選手として励む姿に感動どころか不思議と感じながらも、上半身があればかなりのパフォーマンスが出来ること、「失ったものを嘆くより、残されたものを使え」という考え方が究極の彼らの力となっていることに気が付きました。今の自分が高齢はどうにもならないが、手足が付いていることがむしろ不自由にしているのではないかと思いつかせてもらい、からだの使い方を深く考えるようになりました。これは大きな発見でした。85歳にして今頃気が付く体の使い方があるのです。

 これまで行ってきたレッスンから細かく感じ取っていたこと、例えば足の裏、足の指の使い方、重心の乗り方、肋骨、肩甲骨、股関節、腰の動き、その上での上半身全体と腰と股関節、そこからつなぐ下肢へと動きの連動(現役教育現場で学んだ運動学です)はずっと考えてきたことでした。この度のパラリンピックの選手たちから得た運動、動きの連動は、まさしく体幹の大切さです。姿勢づくりです。重心の一です。
令和3年9月18日パラリンピックから学んだことの実践から伝えたいこと


Olympicと共に考えさせられること
押し込められた感情が、オリンピックと共に、人々の心を明るくさせてくれることを祈りたいと思います。TV等の報道機関で、オリンピックを大声で反対していた人達が感動的な勝者となる姿に感動しない、或いはいまだに競技場前で反対運動をしている人達が居ることを悲しく思います。

別にOlympicでなくても、人が懸命に働く、動く姿、優しさ可愛らしさを表する笑顔や声などで全く心が動かない人達が居ることも併せて社会であると認めながらも、感動の涙を流すことが一番幸せであると感じ、そこから感動の心を共有出来ること、素晴らしい!すごーい!驚き!やったー!大したもんだーと涙と共に語れることを本当に幸せだと思います。

この暑い中でも、からだづくりに参加し、汗みどろ、手を拭けば真っ黒、顔には流れる汗、でも笑顔を見せながら運動する子ども達、それをそっと支えるご両親、物陰から覗き込むように見ているお母さん、施設関係がまたもや使用禁止活動禁止となる中、それぞれの責任の下活動しているところもあります。マスクなし、暑い中声も出さずに静かにテニスに励む小学生達、高校のグラウンドでは、マスクなし大勢の生徒がそれぞれのスポーツに励んでいる姿がある一方で、マスクをしながら静かに日々を送る子ども達もいます。

また公園でマスク掛けで集まり毎日ドッチボールをする10人前後の小学生グループもいて、炎天下大声をあげて大騒ぎしていますが、熱中症を心配しながらも声をかけることが出来ません。

外での体育時、マスクを外してといっても外さない子ども達を心配する小学校教師の発言にどう対応するのか?もっとマスクの外し方やする時しない時の諸注意を声高に伝えて欲しいものです。

Olympicのための4連休は、開催しながらも観戦できないことから、国民は自分達の考えで行動し始め感染者が増えています。当然のことですが、自粛が解けたので今だーとばかり飲み会実施、堂々と今ならよいかと思ってという若者の考えの足りなさに、学習したうえでの責任ある行動が取れないことの教育の貧しさ、自分に必要な以外の情報を見ない若者へどう伝えたらよいか等は大きな社会問題であると思います。

またそのようにしか判断できない状況下に国民が置かれていることも併せて考えなくてはなりません。イスラエルを参考に、単なる風邪としての判断をする国が出てきていますが、オリンピックの最中に感染者数が上がろうが慌てふためくことがなくなっている国民は、思い通りに旅行や散策等、堂々と行動変更しています。

Olympicもそんな中で開催されたことで、選手たちも思い通りどころか、それ以上の力を発揮して盛り上げてくれています。国民はそれを感じ、コロナ禍の自己責任を改めて考え、感染しないように、また再燃しないように自らのからだを整え、健康管理に努め、選手を見習い体力向上に励み選手と共に明るくコロナを撲滅する方向に歩み、オリンピック終了後には日本中が明るく力に満ち、日本人本来の心を取り戻し、ワンチームを思い出して頑張れるようになっていればと思います。
参加選手数、種目も過去最高の中で行われている様子を、日本人として誇りのに思い、これが日本の力と認めましょう。そして非難ばかりが渦巻く様子を「褒める」方向に切り替え認め合いましょう。

開会式も色々批判されていますが、この状況下で、しかも開催されるか否かも分からない中で、どのようにして練習されていたのか、当日参加できなかった人もいるでしょう、練習不足で動きを間違った人もいることでしょう。私の長い舞台生活経験から、あのようにとりまとめることの苦労は並大抵ではなかったと察します。認めましょう、よくやったと褒めましょう。政府の判断も、JOCでさえ決めかねたこの状況下での開会式です。

この後のパラリンピックからも、多くの勇気と感動を沢山沢山もらい、子ども達に伝え、落ち込んでいる日本の力の底支えになるようにと願います。コロナに打ち勝つにはからだばかりではなく意志力も大きな支えとなっています。タモリと山中先生の「超人たちがやってくる」を2度見ても飽き足りない位、人間の力を生み出す意志力に感動しました。老いたからだとこころにどう生かすかは、これから自分自身の考えをまとめなくてはなりません。
 オリンピック最中の日本選手の活躍に感動しながら令和3年7月27日


長引く自粛の中で考えること
 時間があることがメリットとなるようにと、今までできなかったことに挑戦している一つが身辺整理ですが、「古着でワクチン」に協力し、少し衣服の整理ができました。
 まだまだ整理がつかない(気持ちの整理の方が大きいですが)のですが、今までとは異なり時間があることでかなり心の整理もできました。あまり整理が過ぎると後悔することがあるとは、これまでに聞いた先輩たちの言でしたが、そうならないようにするにはまず心の決め方です。

 もう見ないだろう、もう開くこともないだろうとあふれる本の山、写真やCDやカセットテープよりも、これまで行ってきた社会活動の講義や講話、実践の原稿、新聞その他の掲載されたものを書き出してみました。そこにあふれるのは、自分が考えきたこと、その時考えていたことなどが、相手先から出されるテーマにより色々な角度から表出され、その時々の自分の全てがわかり面白いと思いました。

 また、なんと社会活動が多かったことか、道内各地を回り、多くの方々に触れ、様々に学ばせていただき、その都度出合った方々から沢山の愛情あふれる感想やその後の支えになる言葉をいただき、触れ合った皆さんに支えられて生きてきた自分があることを改めて知ります。

 今私が人々のために、子ども達のために社会貢献として支え担っているのはまさしくその後の御恩返しであると思います。
 今このような状況下で世間が落ち着きませんが、子どもた達の心もそれを支える保護者達も、また元気に生きようと頑張る高齢者の皆さんも、乱れ飛ぶ情報にさらされて不安や疑いが色濃くなってきていますので、少しでも役立つために、多くの情報を集めしっかりとした考えのもと、皆さんとよりよい方法でこの難局を乗り越えることが出来るように頑張りたいと考えています。
 改めてこの社会貢献をより良いものにするために「死ぬまで努力」が出来る方法がないか?と考えています。
 今大事な日本人的心、支えあい、助け合う、よりよいコミュニケーションづくりのために、積極的に行動するべく安全な方法を見出そうと情報集めを幅広く保ちながら日々長い時間を過ごしています。

 勿論自分の健康管理が何よりも大事です。長いこと「健康管理」が原点の仕事ですから、有効活用し、「運動(動きによる血流確保)・栄養(食生活管理は腸活中心に)・休養(睡眠だけではないからだ休めの工夫)」をポイントに日々努力です。

 ワクチンが大騒ぎですが、疑わしきは、出されている色々な情報などから、自分の判断でできることが何よりも重要であると考えますが、職場で強制されたり命令されたり、職場でうたなければ「くび」宣言されたことなど雲行きが怪しくなっています。ワクチンパスポーツも検討されているようですが?自由に旅行もできなくなるのでしょうか?

 打たないならば打たないという自信が持てるような学習、情報あつめが今容易にできていますのでこの際「自分で学ぶ」「流されない」ための良いチャンスかもしれません。
 からだばかりではなく、そのような不安払拭のためには、こころを支える意味でも自ら学ぶ力が大切です。人々が集まり話し合う機会を失っているために更に不安がつのりますが、TVやマスコミ情報だけに頼らず学ぶことの喜びの為にも多くの情報集め本も読んでゆっくり考えてみましょう。
           令和3年6月19日活動できない不安の中で

自粛の中での生活と健康管理
 心も癒えてくると思いながらも、仕事がお休みとなり時間が長く感ずることにも慣れて、こんな高齢生活に慣れてよいのかと思うほど何もしない家での生活、楽なものだと思いながら家の整理にのみ体と心を傾けています。中々できなかった整理も、後は死ぬだけが時間経過と共にあると思い始めたことからどんどん進みます。

 思い出の品は、これから年が過ぎれば見ると思った心は見るわけ無いに変わり、これは使うかもしれないと思った物も、使うわけ無いに変わると捨てることがドンドンできるので不思議なものです。

 これは本当にコロナのお陰です。考えも変わります、日々感ずることも変わります。コロナから教えられた事は、これまであまり感染症に苦しめられなかった日本人にとって多くのことを「考える」機会にしてくれたと考え、新しい自分の逢えるような気持ちになります。

 よく読む本の中に養老孟子先生の本がありますが、最近「養老先生病院に行く」という本を見つけて読み始めました。先生は私と同じ年齢層ですので、考え方や生活の仕方、ものの見方など教えられることが即実行できるので大事な参考書です。ご自身の大病、そして愛猫の死から医療とのかかわり方が描かれていて、私にとっては面白い参考書です。

 その前に読んだのは「都市と田舎」のことを書かれたものでしたが、都市は人工的、田舎は自然、でも内容的には少し難しくて途中で頓挫しました。そのうち最後まで頑張って読みますが。
 最近のコロナ禍で田舎暮らしを求める人達が増えているとか?これが自然な人間の姿であり、コロナと無縁な生活をしている案内「ぽつんと一軒家」TV番組を見れば、羨ましい自然の中での静かな、しかし日々は戦いの中での生活です。例えば電気がない、水も少ない、自給自足などわざわざそのような生活を求めて生きている人など毎回興味深く見ています。

 生きるとは?このような戦いの中の生活をすっかり忘れて、便利な都会の恵まれた生活をごく当たり前と思って生きてきたことへの反省も、仕事が休みになり時間が増えて、社会からの断絶状態の中で、改めて超高齢期を生きるとは?と私なりに反省し、考えています。

 大事なことは生活管理と健康管理、死に向かう覚悟、五木寛之さんの本もよく読むのですが、高齢期の生き方を書いた中での「覚悟」という言葉がずっと頭から離れずにいましたが、ただ考えて、それなりの仕事の整理もしていたのですが、僅かしていただけで本当の覚悟が出来ていなかったと改めて思います。

 そんな覚悟の中で行う整理も自分の人生の整理と同じで、物の整理だけではなく、生きてきた自分自身の整理につなげながら行うと、あまりに多すぎる資料や本、活動してきた中での原稿や冊子に載っている自分の書いたもの、新聞に載せられたもの、舞台プログラム、舞台写真、ビデオ、みな自分の頭から表出したものであることから、なかなか整理が付きません。

 自分の人生が終わった時に整理してもらうしかないと気が付き、改めて「死んだら見ないで捨ててよい」とした箱をまとめたのですが、其の多さに唖然!整理が付きません。そうこうしているうちに、仕事もできなくなれば、整理に明け暮れ、それが十分な運動になるであろうことを予想し、それを待つことにしようかと、部屋の隅に「死んだら捨ててよい」という箱を積み重ねることとしました。

 足を踏ん張り、しかし、殆どが上半身を使う「整理運動」、それだけで下半身迄筋肉痛となり、上半身に力が付き、昔主婦の運動量を研究したことを思い出し、掃除がよい運動であると述べていた自分を思いだしています。家事労働と言いますが、生活の中での動きをスポーツ化することもトレーニングとしていた自分の若い時を思い出しています。

 学生時代家のお風呂に水を張るにはポンプを500回、膝を屈伸しながら行う、電気のこで引いた後の薪割りは筋トレとして行う、エレベーターがない建物の階段はトレーニングとして最高、滅多に来ない車を追いかけて行う後追い疾走など生活がトレーニングとなっていたことを思い出しながら、我々年代が自然に身につけた生活の中でのトレーニングを今再現しているのです。

 狭い台所では、お鍋が煮立つまで、小刻みに足を動かす、膝上げを行う、腕振り、肩・腕・腰回し、後ろ向き移動で皿を取りに行くなど動きは工夫すれば全てトレーニングとなる。仕事が再開されるまで、体力、特に頭の力が低下しないように(実は認知症気味で焦ってる)と昔を思い出しながら超高齢でもできる生活をトレーニング化できるようにと変化させながら新しい超高齢者向けトレーニングづくりに励んでいます。果たして効果はいかにというところですが?
                  令和3年5月25日




コロナ禍の健康管理

長い間健康管理を講演或いは実技指導してきた自分の現在の健康管理が難しくなってきました。半世紀以上継続してきた舞台活動も昨年度は一度もできませんでした。しかし作品づくりは舞台を予定して行っており、練習もそれなりに行っていましたがとうとう一度も発表することが出来ずに終わりました。

令和3年に入り全く舞台活動が出来なくなり、とうとう作品づくりも終了です。やめるのは簡単、継続するにはどうすればできるかを考えて努力をすることが大事と考えながら、様々な活動は引くことよりも進むことを前提に頑張ってきました。

しかし個人の努力が進まない事態ですから、この状況をどう抜けるかは神のみぞ知る状態です。コロナには負けたくないと頑張ってきたこの1年、抜け道が分からず次第に自身の考えと行動によるのみというところでしょうか?

三度目の自粛要請も、国民は「何の効果もない」という意見がほとんどです。街に出れば、或いは飛行場も、自然ならよいかと海も登山道も人人だらけです。病院がひっ迫していると言っても、死者が何人と出ても、若い人が急に状態が悪くなったと言っても、病院だけが大変な思いをしているのではないかと関係者の使命感に感謝しながらも高齢者はただ家にいるだけ、日に日に体力の低下と精神的な落ち込みをどうしようもありません。

これまで継続してきた最低線のからだづくりだけが頼りですが加齢が先に進みます。教室参加高齢者達は、自分で行う最低線のことでは追い付かない、やはり教室で流れよくレッスンをしないと体も心も持たないと叫んでいますが、施設側の心配も上からの指令ですから已むをえません。

どうぞ継続は力ですから、また活動が始まればからだも心も思い出し成果も効果も続きますのでしっかり継続してください。
              令和3年5月6日

令和3年も早3月です。

 新年を迎えて今年こそと思ったのも束の間、新型コロナウイルスも変異株の増加で更なる恐怖です。コロナのことも完全に分からぬまま、ワクチン接種が始まりました。当初ワクチンは少なくても数年はかかると言われながら早1年で世界の注目を浴びています。

 長い感染症の歴史の中で優れた専門家を輩出してきた日本も、ワクチン開発では世界に後れを取っています。ノーベル賞受賞者の諸先生方は、基礎研究に力を入れていない日本は、やがてノーベル賞受賞者はこれまでのように現れないであろうと言っておられましたが、既にワクチン開発からみても他国に頼らざるを得ない状況です。

 いち早く後進国にワクチンを輸出している中国は別として、これからも出てくると予想される新型のウイルスや細菌に悩まされることだけ考えても、日本としても対応策を考えなくてはならないのではないか。

 コロナ感染の初段階で、世界に比してまだあまり日本中に広がらない頃の発言として、WHO内では、日本には優れた感染症専門家が沢山いるので上手く対処できるだろうと述べていて少しホッとし期待していた。

 しかしその後の様子から、確かに諸外国の比ではないが、長く続く感染状況からして、不安が消えたわけではない。

 高齢者のからだづくりやポールウオーキング教室を通して、高齢者のからだを観察するところ、自分も含めて殆どの人は随分痩せてきている。
 筋肉が低下し、元に戻れない不安を述べているが、中でもコロナ禍で「太った」という人は6・70台前半で、後半から80台になればどんどん痩せてきている。
 生活習慣が変化すれば、すぐにも体に現れる様子を見ながら子ども達を見れば、太目細目ばかりではなく、心肺機能力低下が明確で、僅かな動きであえぐ、集中力に欠ける、運動の持続ができないなど明らかにからだが変わってきている。

 コロナのために体力低下が進んでいるという報告も既に出ており、このまま「コロナ世代」として特別に考えなくてはならないのではないかと案ずる。それは成人後、それぞれの年代で問題が起きないかと心配になるくらい体力低下がみられる。
 幼児を含めたそれぞれの年代層のレッスンは、これまでの考えを変えて、心肺機能強化と動きの連動をリズミカルにすることなど、疲労しないからだづくりと動きによる満足感を与える内容を研究している。
                令和3年3月6日


新しい年もコロナと共に明けました。

改めて新年あけましておめでとうございます。

今年こそという思いもそがれる毎日の感染者数増に自分自身の生活管理もこれでよいのか不安が伴います。しかしどのような状況であれ、日本ではまだ生活そのものにはこれまで同様不安がないことが現状としてはありがたいことです。

昨年は5月・11月と舞台が中止となり、主催者は大変だったことと思いますが、演者たちも思いが届かず、不安だけではなく意欲喪失となりました。特に私のような高齢者は、再び意欲燃やして作品づくりができるのか不安が伴います。

物事全てやっている時には難なく継続できるのですが、一度やめてしまうと立ち上がることよりも、やめてもよいのではという方向に至ることを常日頃から不安に思っていました。そして今、再燃できるのかエネルギーが途絶えそうになっていることに気が付きます。

そろそろ例年であれば、5月の舞台についての出演打診が来る頃ですが果たして?どうなることか?

また依頼されての教室活動では例年通り進んでいますが、年が改まり減少していた参加者が元に戻るか否かは今のところ未知数です。

NPOの活動も半減した諸活動とともに、メインの活動である子どものからだづくり塾活動が更に1か所閉鎖していることから、本年度の活動が心配されます。

何よりも子どものからだが体力低下のみに終わらず、元気がなく、集中力がないと子ども達が感じていることが大きなな問題を残していると思います。ずっとコロナ世代と言われ、子どもばかりではなく、大人も同様に心身ともに力ない世代のようにならないことを祈りながら、せめて周囲の方々と共に健康長寿目指して頑張り、社会貢献と共に有意義な人生を送れるように励みたいと思います。





コロナの影響で舞台の中止

命のつどいでの舞台参加予定でしたが、5月に続いて11月の舞台もできなくなりました。このような事態は初めての経験ですが、世界中が大変な状況にあり、日本はそれでも恵まれている方であり、諦めるしかありませんでした。

当然ながら集って練習もできませんので、高齢者参加も多いこの舞台も実施できないのではないかと群舞の予定を取りやめソロにして時間短縮行う予定でしたが、2週間くらい前から、参加者は子どもや若い人も多いので、感染した時のことを考えると不安になり参加しないことを本部に伝えながら悔しい思いでおりました。

コロナに負けたくないからソロでも参加すると伝えていたので、自ら辞めることを悔しく思っていましたが、中止の連絡を受けまた残念な思いが膨らみました。

仕方がありませんね。また次といっても未発表作品をもう一度やり直すことでコロナの影響を思い出すので、令和3年85歳の舞台は希望溢れる社会に向けて発する作品を作りたいと思い、この冬の間に思いを膨らませ明るい令和3年にしたいと考えます。良い年になればよいですね。
                    令和2年12月15日


感染拡大と生活意識

冬に向かってコロナもインフルエンザも流行する可能性があるといわれながら用心している矢先、日本全国感染が拡大、果たしてこれが旅行と飲食を進めた結果か否かは分からないという。

一方で旅行の取りやめや大勢が集まる飲食を禁止、しかも具体的に5人以上が集まる会食を家庭でも避けるという指示である。

国民は政府の意向をくみながらも、これまで言われてきたことを振り返りながら、自分の生活をどう守るかそれぞれが考えながら歩みだしたような気がする。旅行がだめならどういう方法で楽しむか?地元ならよいのか、自然の中ならよいのかと模索しながら連休も「静かな生活」どころか賑わいを見せている報道が多い。情報として、何をどのように信じたらよいのかが分からないまま、それぞれが自らの考えで行動し始めているような気がする。

確かに街中の人出は少ない。しかしどこのお店も人がいてにこやかに食事を楽しんでいる様子が見える。感染対策をきちんとやりながら旅行もよし、飲食もよしから、全てが急に変更になった理由が良く分からない。

クラスターが多く、施設や病院、他はどこが感染源になっているのかが分からないからか?例えば相撲観戦や野球観戦でクラスターか否かは判断が付かない。静かに応援し、静かに観戦している様子は確かに観客としてのマナーが素晴らしいと思う。行き帰りの電車や帰りの飲食は?

20万部の世界の論文をAIが読み取り、最終的に多かった感染予防は、初めから言われてきたことに尽きるといわれているが、それだけ全ての人が守ればよいのではないか?守れない人、守らない人が多くなれば、守る人とのバランスが崩れるといわれていたことが起きてきたのか、それは気のゆるみ、予防を忘れた、安心感が出たなどにより、「コロナを甘く見ないでください」につながったのか?もう一度来引き締めて当初のようにみんなで頑張らなければならない、偏った人だけの頑張りでは収まらなくなったのではないか?

アメリカやヨーロッパでは、もともとマスクの習慣がないために、60パーセントの人しかマスクをしないために、マスクをしないと罰金がかけられることにつながる。当初から、ドバイでは2M離れていないと日本円で10万円の罰金、スーパーでの買い物にも気を使うと報道されていました。

日本人には考えられないことがあるのですが、今は日本人も心して予防に力を入れる必要があるのではないでしょうか。
一方で体力低下を案じて、公園などの散歩やわずかの仕事に出かけながらも不安が付きません。

コロナに負けたくないと11月30日の舞台、群舞ができないことから5分のソロでまとめたのですが、コロナに負けることにしました。若い人が多い、大勢が集まるなど、更衣室の不安も加わり取りやめることにしました。負けるが勝ちになればよいのですが、気が落ちそうです。
                  令和2年11月23日



冬に向かいコロナと共存生活
スポーツ界も活気を帯び、当然観客増や接触の多い種目や合宿が始まり、感染者が出ていますが、その人のみが自宅待機となるだけになりました。

そうでなければ、21年オリンピックもできませんし、海外から人を呼び込むこともできません。既に条件付きであっても海外から人が入っているようですから、当然感染者が増えていきます。それでもヨーロッパ各国のように封鎖されることもなく生活できる日本は特別視され、私達は不安ながらもやや以前のような生活ができるようになりました。

それでも旅行や飲食のキャンペーンには参加できない人もいて、何とかバランスが取れているそうです。そのバランスを保つ役割は高齢者なのかもしれません。高齢者の自粛は、やや緩みながらも相当の神経を使っていることがわかります。

そのような環境の中でも、高齢者こそ、健康長寿策を自らの考えとこれまでの経験知から生み出し挑戦的に生きていかなければなりません。こころして今この生活環境の中でどう自分のからだを守り切るか考えています。

長くからだを動かしながら生きてきたことから、一日の歩数が進まない時には、夜中のトイレ通いが増え、心臓に違和感が出ます。また、ポールウォーキングで頑張りすぎると翌日の朝ふらつき感が出ます。その歩数は今のところ限界が続けて5,000歩のようです。筋力低下と自粛中の心肺機能低下により、あの頃のように1万歩とはいかなくなりました。

これがアフターコロナ生活となった今の私の限界です。そして両股関節が痛み生活に支障をきたし、年1度の例年の検査で相当に反対股関節が異常をきたしていることがわかりました。長くスポーツをしてきたことで、痛ければ更に頑張り無理をするという逆療法がこの筋力低下では無理であることがわかりました。

そこで今はこれまで皆さんに言いながら自分に戻ってきたと思われるからだ使い、筋肉の使い方、関節の動かし方、重心の位置など改めて考えなおし、筋トレ(筋トレによる筋肉の部分づけではなく)を生活の中に入れながら、動きながら筋肉を有効につけていく方法で(いつも皆さんに言っていたように)立ち居振る舞いの中で復活しようと励んでいます。

お医者様からは、とにかく重いものは持たない、痛みの出ない生活を心がけるようにと言われましたので、痛く無く動く、痛くなく生活できるように心がけ立つ度、動く度重心の位置確認、骨の動かし方を考えながら動いています。検診後12日目、今はほとんど「痛いっ」と言わずに生活できています。あとは痛みなく長く(2から3,000歩)歩けるようにすることです。ポールウォーキング参加者も皆さん高齢の方ほど、よろけてバランスが取れないといいながら頑張っています。

コロナ鬱はこころだけではなく、からだ全体の力を低下させました。そしてやる気がなくなったことは、セロトニン分泌減少、少しでも外の空気を吸い、太陽に当たることが大事といわれますので、公園散歩を心がけたいのですが、なかなか私でも気が進みません。冬を前に頑張らねばなりません。春までにどんなからだになるのか考えただけでも恐ろしいです。これまでみんなで頑張ってきてよかったと励ましあいながら頑張っています。

令和2年10月30日


アフターコロナ生活

旅行や飲食キャンペーンが大々的に行われ、勇気ある人達は、待っていましたとばかり旅行に飲食にと楽しんでいるようです。その様子をTVで見ながら羨ましいなーと思います。私はそれに参加する勇気が全くなく、今まで通り、僅かでも仕事があるだけよいかと考え、狭い行動範囲を守りながらやや自粛的生活を続けています。

自粛期間の長かったことと、その中でこれまで継続してきたレッスンを2か所やめたことが大きな影響となり、体が変化していく心配が益々大きくなっています。その一つは筋肉減少、それに伴う体重減が体のバランスを大きく変化させていることに気が付きます。

周囲の高齢者を見れば同様にからだのバランスが崩れ、食べても太らなくなったといいます。食べ過ぎ、太りすぎていたと思いながらも筋力低下がここまでバランスを崩すとは思いませんでした。

たまたま長く続けてきたポールウォーキングが再開され、歩き出して気が付いたのは、腕がだるくなり、時々ポールを突かずに歩かなければならなかったことです。やがてそれが落ち着けば、歩く距離が伸ばせない体力低下がなかなか回復しません。そこで考えると、筋力がなくなることで、腕を使う、つまりポールを連続突くことに影響し、歩幅も狭く踏ん張れないのは脚部の筋力不足、その上呼吸器が弱り息使いが荒くなるなど気になる体力低下に驚きです。
たかがポールウォーキングも休めばこんなに違うのかと改めて、難なく続けていた活動がいかに高齢者のからだづくりに重要な意味があったのかがわかりました。

参加の皆さんも同様に感じ、復活に向けて頑張っていますが、ポールを持つと歩けるが、無しではよろけるという意見が出始めました。筋肉低下で、骨の歪み、体全体のバランスが異なり、重心が定まらないのだろうとわが身を通して感じています。リュックを背負い、ポールを突いて早くにバランスを取り戻すことが大事であると伝えながら自分も努力しています。

ウイズコロナからアフターコロナ、あとは自己責任です。初めの頃をときどき思い出し、予防と消毒にしばらく努力をしなければなりません。身近に感染者が出て、しかも家庭内感染です。一層の努力をしなければなりません。周囲に大変な迷惑が掛かります。令和2年10月15日

ウイズコロナとなり気が付くこと?

自己責任となったコロナ対策、このウイルスについて分かってきたことを改めて確認しながら、自ら作る「新しい生活様式」はできましたか?と問われれば、アフターコロナによる体力低下、目に見える低下よりも体の芯に起きている低下に気が付き、どう立ち直ればよいか、色々実践しながら考えていますとしか今のところ言えません。

このところ明確になったのは、私は筋力低下と体重減です。普通の高齢者と比較すると「筋力」というよりも筋肉量と質が驚くほど異なるとは毎週受けている整体師の発言でした。これについては具体的に計測したわけではないのでイメージによる差です。自分としては、人体は、動くようにできているという「動く」ということが、「動かない」状態で持っている筋肉量・質とどのような関係があるかという疑問がかなり前から実感としてありました。ある意味宝の持ち腐れとなっているのではないかと考えていました。

今回の自粛生活で、継続実施してきていた自分で考案した「自己整体ストレッチ」レッスンをやめていたことによる身体に起きた痛みやできていたことができなくなっていることによる生活の中での不自由さを体験し恐ろしくなりました。

今その復活にかけて数日前から始めた独自の解決策に取り組み、少し先が見えてきました。しかしこの数か月継続していた動きづくり90分週2回のレッスンを全くやらなくなって気が付いた事が、果たしてどのくらい元に戻す時間が、あるいは努力が必要かと考えると、僅かな時間をかけて継続していたことの重要性が身にしみて感じます。

特に高齢者の体への変化について、報道されている施設内の超高齢者の動きの変化については、小さな生活上の動き、「寝返り」「起き上がり」「ベットから出て立つ・歩く・移動など」、小さな動きでは食事をする、飲み込むなど筋力低下により起きる諸動作を考えてもただならぬ影響があるはずです。

一方子どもの様子を見れば、順調な発育中の幼児、小学生、特に低学年まではそう変化(ダイナミックな動きのリズムには変化がある)が見られませんが、学年が進むと明らかに動きが変化しており、特に意欲や集中力がかなり劣っている様子が見られます。

高齢者を含め、動きが止まった数か月を取り戻す筋力、動きのリズム、そして意欲、集中力の挽回は夏を超えずに取り戻したいものです。インフルエンザとコロナに責められるこの秋から冬にかけて、迎え撃つ力を総体的に取り戻し、更に向上させていかなければならないと考えるのがウイズコロナです。頑張る力が、心があるか否かが勝負だと考えます。
             令和2年8月15日(敗戦75年)

アフターコロナといわれ、今はウイズコロナ

新しい生活様式といわれても、具体的に細かなことについては自分で考えるしかありません。私達高齢者は、昔の生活に戻るというイメージもあり、掃除、換気、手洗い、うがいなどの日常生活、それ程の外出もしない
ので、街に出ることができない寂しさもなく、今まで通りの生活に近い新しい生活です。

 高齢者が広げたクラスターは、昼カラオケだったといわれ、死者まで出るに至り考えさせられました。高齢者は行く場所がないといいますが、楽しみばかりではなく、昔の高齢者を学ばねばならないとも考えました。

 車でどこにでも出かけられるこの時代の高齢者は、自分のからだが大きく変化し、弱っていても気が付かない面がありそうです。カラオケでどこにでも出かけて元気に歌っていた人がコロナで亡くなると聞けばショックです。車社会、機械化された便利な生活、からだが相当弱っても何とか生きていけそうな気がするほど超高齢者の体力はどの程度なのか気になります。自分自身もかなり気を付けて体力気力が低下しないように考えて生活していますが、果たしてこれでよいのか誰も教えてくれません。

 若い人達との共同生活が当たり前だった頃まで戻らずとも、商店であれば女性は台所や子守、男性は商店を助けたり家の周りのことを一手に引き受け、若い人達を助けてきました。高齢になってもやることが多くあったのではないでしょうか。仕事が忙しかった私の定年までの生活、母がずっと子育て、家庭の切り盛りをしていました。

 世の中、核家族となって久しいのですが、今また同居する人達も増えてきました。同居はしない、自分達も自由に楽しみたいといっていた親世代も高齢となり、やがて超高齢者ともなれば、すぐに施設というわけにもいかず、子どもと同居或いは近くに移住する人も増えています。

友人達が、子どもの近くにと北海道を離れる姿をみながら、その勇気に驚いていましたが、先読みができていたのか、不安が募ったのか聞いてはみませんが、長く住み慣れた土地を離れる考えにはやはり相当の決意を感じます。

 健康管理の講演などを仕事の一部とし、健康づくりの実践教室や塾を開催しながら、日々忙しく過ごしてきました。82歳以後はその講演活動もなくなり、生涯現役といっていた私も毎年仕事を削りながらもこの2月までは日々活動があり忙しく過ごしていました。そこにコロナを迎えました。一気に動きが止まりましたが、事務的な仕事もあり、資料整理に時間をとられ数か月が過ぎるうちに今や完全コロナ鬱です。

 何のために一生懸命やってきたのか、急にすべてが止まることで色々考えているうちに、何もしたくなくなり、何もしなくても一日が過ぎ、お腹もすき眠くもなるこのようなごく普通の高齢者の生活になり始めて、社会的活動なんて何もやらなくてもよい、そして徐々にやめてもよいと思う時に活動が再開となりました。目が覚めたようにも思いますが、まだコロナ鬱状態です。

 さてここからが超高齢期の人生設計となります。
 第2波、第3波に加えてインフルエンザが来るとも言われます。この冬はコロナ一色でインフルエンザが鳴りを潜めていましたが、次なる冬はどうなるか。体と心を鍛えて向かい打つ覚悟をしなければなりません。

数か月ぶりの高齢者レッスン、早く元の生活に戻すことが重要といいながら始めましたが、やや弱い筋肉痛、やったなー!動いたなー!という快感です。順調にいけば元に戻れるかもしれないと感ずるのは、長く継続してきたからです。継続は力といえることを嬉しく思い、心から感謝です。

 すべての仕事がストップ

コロナとの戦い

コロナウイルスとの戦いが続いていますが、他国との大差が話題になるほど、日本の状況は他国との比較ができません。グローバルとは?考え方?生活の仕方?生き方?と疑問視していた中での今回の騒動ですが、コロナウイルスによりたくさん考えさせられました。

最終的には、長く教育現場で、或いは講演など多く経験させていただきながら学ばせてもらった「からだ」についての学習を通して、自分の健康は(からだは)自分で守ることでした。

コロナに感染した人達が治療薬がない中受けたアビガン治療、本人達が治っても治療薬にならない??素人にはわからない?

コロナに感染した元野球選手の方が、最終的には「ここからはあなたの免疫力に頼るしかない」と言われて怖かったという言葉からするとまさしく本人の力で復帰したことになります。勿論看護師さんたちの「必ず治りますから」という励ましも良薬に似て治療に役立ったことでしょう。

コロナウイルスについては、日々いろいろなことが分かってきました。そのような情報は見逃さず、また研究を重ねてくださる研究者の皆さんの
良い情報をかみしめながら、自分の環境にそれらを当てはめて、まさしく
「コロナウイルスとの共存共栄」の段階に入りました。

活動してきた高齢者のためのレッスン内容も考えなくてはならないと思います。床に落ちたウイルスが靴下につく話が出てきました。此れは日本人が家では靴を脱ぐことが感染しない理由だといわれましたが、何人かで行う畳や床での靴下はいた活動ではどうなのか?

床や畳の拭き掃除が大事ということからして、家ではまだよいとして、人が動く、密集する所では体についているウイルスが下に落ちて生きていれば、靴下につくことは間違いない。気にすればきりがないが、気が付いて行うことが予防につながるならば考えて治せるならば行った方がよいのではないでしょうか。

そこでどうするか?気にしすぎて動きが取れなくなることを考えると、それはどう解決するかを考えればよいのでは?

ウイルスは空気中に飛んでいるわけではないので、最後は、手洗い、うがい、特に体についているものを落とすには帰宅後衣類や荷物は玄関において、始末をしてからさらに手洗い、特に指先。

初めから言われたように、手洗い、うがいなど考えれば昔から言われてきたこと。日常的には首から上に手、指を当てないことを癖にする。口から、鼻から、目からもウイルスが入り込む。子どもの教室で、腕で汗をぬぐう、手で汗を拭わない、咳やくしゃみは腕で抑えることを実践しながら自分もこれを癖にしなければ、人が1時間に20回以上も顔を触るという研究者の話もうのみにできないと思ったのです。

色々コロナウイルスから教えられ、日常まで変えられて今の生活を見直したり、なおざりにしてきた習慣を改めたり、考えさせられることが沢山あります。この際みんなで考え、この状況下での生き方を考えたいと思います。

今かわいそうなのは、大学生と子ども達です。これから先の夢を与えるには大人として何をしたらよいか考えています。


自粛生活が長引きます。さてこれからどうする?

 日頃の生活習慣が、このような状況に置かれたときに表面化すると思われます。からだのこと、こころのこと、生き方(生活習慣)、日々の健康管理、病気に対する対応策など自分の仕事の一つでもあることから、ごく身近かな問題であると考えておりましたが、細菌やウイルス対応については全く考えたことがありませんでした。

 インフルエンザは毎年のように色々な型で騒がれても、予防接種もしたことがなく、実際にインフルエンザにもかからないので他人事でした。子ども達と接触する機会が多いのですが、学校休校やクラス閉鎖を耳にしながら、現代っ子の弱さを嘆いていました。

 自分が超高齢者であることを忘れて、決して強がっていたわけではありませんが。これまで風邪もひかず、体調不良は血圧変動と体のバランス、つまり年齢にふさわしい生活の仕方が分からなかった事でもありますが。
 長年のスポーツ障害から来る姿勢や関節のずれ、ケガの後遺症など整形外科的障害から来る内科的問題が大きかったのです。調子が悪いのは、からだが弱いわけではないと考えていました。

 弱い体を問題視されてきたのは現代っ子ばかりではなく、体力低下を問題視されながら既に日本の成人たちはそろそろ中年以降になっているのです。そしてその人たちが育てる子ども達は、親よりも更に体力がなく、健康長寿が問われる年代といわれてきたのが今の若年層、そして児童、幼児なのです。若い女性に、そして大学生に、高校生にと年齢が下がってきましたが、普段の健康状態がどのような人たちであったのかの情報が分かりませんので、大学は閉鎖のまま、元気な子ども達は学校生活を奪われています。

 そのようなことが今回のコロナ問題で表面化してきたように感じています。当初は高齢持病ありの人達が感染し、重症化するといわれ、徐々に年齢が下がり、最近病気年齢といわれる4・50代に感染者が続き、男性に多いといわれながら、2・30代女性へと移ってきました。
 もともと体の弱い人(ダイエットのやりすぎも?)、インフルエンザにいつもかかる人(免疫力が弱い)、何らかの持病ありの人が感染しやすい、とか、が分かれば対応の仕方もあるのですが、ただただ感染者数で毎日報道されると、恐怖ばかりが先立ちます。

 間違った情報に振り回されないようにといわれても、間違いが何なのかが分からないのでのす。
 少しずつ分かってきた情報をもとに、コロナ菌がどこにいるのか?床に、壁に、物に、洋服に付着するというのならば、そしてそこから人のからだに入り込もうとするというならば、咳、くしゃみ、つばを避け、直接入り込まないように注意し、床や壁、手すり、つり革なども手が触れないようにし、付着しているかもしれないコロナ菌が体に入らないように消毒、手洗い、うがいも気にすることなど、を真剣に考えればよいよな気がしてきます。人との間を開けるといえば、公園内の散歩でも人を避けようと逃げるようにすることはおかしい?人を黴菌のように毛嫌いして離れるのもおかしい?なんのために間を開けるのかが分かれば、少しずつ生活の仕方を考え、あまり悲観的に考えずしっかりとコロナと闘いたいと考えます。

コロナウイルスとの戦い

少しずつコロナの何かがわかってきたようですが、それにも多くの犠牲者があって分かってきたこともあります。正しい情報を受け取れるように、研究機関や学会などの情報を正しくとるようにと言われます。

素人ながらもいろいろな情報を読み取りながら、若い人に移り、子どもにも感染するようになってきたことが気になっていました。
もともと若い人よりも高齢者が元気、年齢が下がるごとに体力や免疫力がないといわれていました。今の児童は、その親の子ども時代に比較してかなり体力が低い。そして将来の健康長寿を危ぶまれてきました。

抗体検査の必要性が問われ、海外で始まっていることも報道されています。そして、60歳代以上の人は抗体の力があり、マクロファージ力もあり、若い人の3倍とか言われ、これから若い人に感染者が多くなるだろうともいわれます。

一昔前には、いわゆる病気年齢が60歳代といわれ、実際有名人が70歳前半で次々に亡くなりました。今の70歳代は歌手や芸能人でも元気な方が多く、80歳過ぎても活躍している方もいます。むしろ病気年齢は、4・50代になってきているように思われます。感染者も4・50代に増えています。そして更に子どもにも出てきましたので、これからは年齢が下がるのではないかと心配になります。

子どもや若者からの感染拡大にならないのか不安です。今出されている予防に関する情報を分析し、コロナウイルスの傾向を考えながら国民全体でできることに取り組み、平和で安心安全だった日本を取り戻すことができるように、今こそワンチームで自分にできることを精いっぱいやりながら
見えない敵との戦いに力合わせて挑戦していくように努力したいと考えます。

コロナ対策からだづくり
このような状況に押し込まれてしまい、こころもからだも縮んでしまいます。コロナはどんどん力が強くなってきているという報道に収束できるのか不安になります。

よく考えればクルーズ船から始まり、ここまでコロナに振り回されています。子どものからだづくり塾活動が急に3月閉鎖となり、その後も引き続き再開されず、やっと4月11日できた学校2校での子どもの元気な姿にホッとしました。1か月以上動いていなかった子どもの動く姿は本当に涙が出るほど「まさしく水を得た魚」状態でした。

高齢者の教室もやっと動き出しましたが、恐れをなした「高齢者が感染、高齢者が死亡」の情報で参加者は半減でした。なんとなく日頃の生活や考え方が良く見えたことでもありました。

クルーズ船でも、あのような状況の中でも全員がかかったわけでもなく、運良くかからなかったわけでもないのではないかと考えると、まさしくどう対応するかが問われます。

毎日のように感染症研究者やその関係の研究者が、TVでいろいろなことを言われますが、それを聞きながら、つまるところ最後は自分で考え、自分で判断しながら、今は終息のために国が示すことに沿いながら、生活の大きな変化がないように、心を強く持って(山中先生がおっしゃっていました)コロナとの見えない戦を続けるしかないように思います。

最近ちらっと出てきた生物学者のお話、ノーベル賞受賞者のお話など、感染症系の先生方を専門家として次々情報を伝えていますが、他の人体に関する専門家の考えも聞いてみたいと思います。生物学研究者は、ゼロにはできないこの件の戦いは、どうすればよいかと述べておりました。

検査に間違いがあり、陰性者が陽性者として扱われたかなり多い状況を聞けば、検査を多くすることが良いことではないという医師もいる事にも耳を傾けたいと思います。検査対象にならないようにすることのためには、自分のからだを信じながら、今の最高の予防を続けて、からだの動きを止めず行動する内容、プログラム作りが必要ですが、日ごろから学んでいる運動を組み立て、思い出しながら継続してほしいと願います。

日頃から熱心に健康づくりをやってきてよかったと思えるように、そして運動教室などが再開するときには活動がさらに活発になるように今励んでほしいと思います。
 呼吸器系の強さが求められることから、少しははあハアハアいう運動に励みましょう。歩く時にも小股で急ぐことで脈がいつもよりも上がります。いろいろ工夫して体の力を落とさぬように励みましょう。




2年度5月の「命のつどい」の作品発表の募集

 参加者数により、参加費が決まりますので今公表できませんが、10分内での作品発表を募集します。相談ください。NPOとしての参加ですので、「特定非営利活動法人みんな生き生き生涯学習研究会北海道」の生涯学習作品としての参加になります。


社会活動及び個人の*活動としてのプログラムご案内

 命のつどいでの作品発表は、毎年2回開催されていましたが、本年度は会場確保できなかったことで、1回のみで終わりとなりました。従って毎年今頃から秋の舞台に向けての作品づくりに入るのですが、次年度まで持ち越しとなりました。

 しかし、動きのレッスンは継続されていますので、このご紹介し参加をお待ちいたします。
月曜日 13時30分より15時 自己整体法 ライフスタイル研究所
水曜日 13時15分から14時30分 ポールウォーキング 真駒内公園
木曜日 10時から11時30分 会場の関係でアリーナ・地区センター
土曜日 10時から11時15分  からだデザイン教室 アイスアリーナ

 成人向けとしてはじめたものですが、今や整体の学生割引、子どもの整体通いの時代ですので、このレッスンは子どもから大人まで有効な時代です。土曜日の教室は、親子、家族で行う活動としてご案内しています。
中学生が3人参加しています。
 夏休み中の一日見学参加もできますので是非参加し、からだ全体のバランスを考えたレッスンを経験してみてください。

 子どものための活動は、ホームページ「さっぽろ子どもスポーツ」でご覧いただき子どものからだについて考えていただきたいと思います。

 加えて、いつの時代も同じ、大事な幼児期です。2歳からの幼稚園通いが当たり前になりつつあることを考えると、自由で、自分の今の体力、興味を大事にしながらお友達と遊ぶ楽しさを知ってもらいたいと考えて行うきたえーるキッズクラブ」の活動を是非参考にしていtだきたいと思います。

 保育料無料になる子育ての変化はその条件の良さを考え、この時期の子どもにとって何が大事な事かを改めて考えなくてはならないようです。

子どものからだづくり塾活動についてはホームページ「さっぽろ子どもスポーツ」をご覧ください。


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最終更新:2024年04月07日 11:09
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