あなたは1万歩歩けますか

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*令和3年を迎えても強力コロナは衰えなし コロナを境にからだデザインも大きく変化し、当然加齢に伴い1万歩の必要性もなくなり、その違いをどうとらえるかが次の健康長寿問題となります。研究も進み、当然時代の変化に伴いあれだけ言われた「健康1万歩」も「健康長寿の人は8千歩」といわれるようになりました。 つまり1万歩の必要性がなくなり、あれだけ言われた1万歩は健康づくりには多すぎ、つまりやり過ぎとなるわけです。 これまでも健康維持増進には歩くと1万歩、しかしからだの動きを考えれば、歩くことだけではなことだなどともいわれました。 座ったまま長時間仕事をする人、立ったままの人、歩くことが多い仕事の人など様々な動きを「動きの量」として考えるだけではなく、動き方によるからだの偏った使い方もあることから、仕事の仕方、生活の仕方により関節の動きや筋肉の付き方使い方、継続時間など含めて考えれば、それぞれに合う動きづくりが健康長寿を支えることになります。 そこで私が長く研究してきたストレッチ体操、初めて日本にストレッチングを持ち帰った方は陸上競技で活躍された織田幹雄先生ですが、先生から直々伝授された私は、北海道をくまなく広げるために走り回りました。以後長く研究し、選手層のために、あるいは健康づくりのために、あるいは子供の体づくり基本運動として研究しながら継続指導し、今は自分の為のからだ維持運動「自己整体法」として日々行っています。 からだ維持のための歩数が減少した分、85歳の健康長寿、健康維持、悪い状態の股関節維持に日々これまでの運動を参考にして行い、幼児向け、小学生向け、選手向けに、高齢者にもそれぞれのからだづくりとして指導しています。 時代により、年齢により、目的により動きの方法は変わります。人の真似はできないことはそれぞれの能力次第もありますが、何よりも自分の為のからだづくり「からだデザイン」が重要です。その為には色々やってみなくてはわかりません。理論と実践を両輪としてよい指導者のもと励むことが大事です。               令和3年1月22日 ---- *健康・体力づくりは日進月歩、その上加齢により変化します。歩き方も、姿勢づくりも変化します. *      からだづくり、からだデザインが重要です。 *令和2年もすでに半年が過ぎ、この先がよめません。 &bold()この短い夏をどう過ごすか?8月も半ば過ぎ、敗戦から75年ともなれば、すっかり忘れているどころか知らない年代層がほとんどとなっていますので歴史として紐どくことの重要性を感じます。 今、世界中が新型コロナウイルスにより国の存亡にかかわる事態になっています。これは国と国との戦争のようなものです。敗戦75年を迎えた今日改めて「戦争」について考えることも大事だと思います。形を変えたコロナ対策戦争ではないか?と。 そんな中で落ち着いて考えると、コロナウイルスについてまだまだ分からないことだらけといいながらも、分かってきたことを頼りに次のステップに歩みだしたわけですから、それらのことについて日本国民は、己の快楽や感情判断ではなく、この戦いは次のワクチンと治療薬の戦いとなり、激しい競争となりつつあることを知らねばなりません。 背後に国力絡む政治や医薬業界、研究組織、医学界などがかかわりながらまさしく「競争」となっているのではないか。そんな中で日本はいち早く、アメリカとイギリスから多くのワクチンを取り込むようになりました。 専門家たちはまだまだその有効性が分からないという中で進むことについては、私達が分からないことが多すぎます。早い段階でノーベル賞受賞者山中先生は、世界中の関係者がこれまでは研究で競争であったが「競争ではなく協力」していくべきと述べておられたことが印象的ですが、もうそのような方向に進むことは難しいのでしょうか。 せめて国民の一人として、国力総動員して考えるべき時かもしれません。高齢者と子ども達が不安な日々を送り、不自由、非積極的な生活を余儀なくされていることは、結果が望めるならばの自粛ですが、最近ではまさしく自己責任とウイズコロナ生活を各自が考える段階に来たようです。 ここからは各年代層に合わせた個々人の健康・体力管理が重要となり、今後の生活様式を自己責任で確立していく段階です。山中先生が、まだまだこのウイルスについて分からない時期に、「今正しいと思うことを、後で笑い話になってもよいので実行して戦う」ことをお話ししていて元気をもらったことを思い出します。 実際数か月前には、今考えると笑うような予防策を頑張っていた自分がおります。人間が考えればこんなことまでできるということは、この数か月に変化した様々なことを思えば、コロナによる世界中の変化の仕方を戦うことも、結果を出しながらの「戦い」になりそうです。日本人の英知と隠れた能力発揮の時かもしれません。              令和2年8月15日(75年前の敗戦の日) 令和2年 2020オリンピックのこの年を、7年前から待ちに待っていた人達は多いことでしょう。2月位から暗いニュースが動き始め、学校閉鎖、3月の祝うべき月が、卒業式もなくなる状態となり、不安が蔓延しました。そんな動きの中でもまだよく分からないまま、新年度は普通どおりに進むものと考えていました。 それから数か月閉ざされ、いろいろなことを考えました。当然お正月休みに考えたことなどどこかに吹き飛んでしまいました。目標は、何事もない時に歩める方向性のようなもので、この間にあった様々なことを思い出しながら今、目標を改めることすらできない現状をどのようにとらえたらよいかまだ心の整理ができません。 迷いながらも少しずつ先に歩まなくては、いや、歩める状況に少しはなったと思いながら色々なことを整理する段階にいます。子どものからだづくり塾やキッズクラブ、高齢者の教室の再開は7月から歩みだしました。 しかし、参加者は、3分の1か2です。 フェイクニュースという言葉も耳慣れましたが、それを実感するのは難しい問題です。生活の中で言われる噂を含むものは、真実を知るのは難しいですが、細菌やウイルスについて、これまで人類が歩んできた中での「感染症の歴史」や感染症に関する著書は沢山ありますので、それらにより学びながらTVなどの情報を合わせて自分の考えで歩むしかありません。 *令和2年1月5日 この年の目標、歩み方を考えてみました。 お正月を挟んだ休暇も明日は仕事始め、そしてまたいつもの生活が始まります。朝寝坊も元に戻さなければなりません。 令和元年が早く過ぎていったと感ずるのは、5月に令和が始まり、新しい気持ちになって8カ月で終わったことで1年が短く感ずるのでしょうか。子ども達まで今年は早かったといいます。このように、時間は感じ方と過ごし方で長くも短くも感ずることが分かります。 日頃、たまの完全休みの日に感ずることですが、家にいてブラブラしていても、仕事に出かけても一日は一日、むしろ家にいる方が早く時間が過ぎていると感ずるのです。そこで考えなくてはならないのは、幼稚園の頃から学校、社会人と時間割があり決められた時間を過ごしてきたのですから、自由な生活になっても自分の生活時間割を作るべきであると考えます。退職21年で今更?ですが、毎年、何時も一応考えています。 高齢でもお元気な人は、生きる目標(自己実現目標)、生活習慣をきちんと決める、外出(できれば人生目標に近い外出)、人とのふれあい(コミュニケーション)が週単位で決められているそうです。人間の生活リズム、一日の人体のリズムなどを考えれば、規則正しい生活パターンを繰り返し行うことが健康長寿につながることを教えてくれます。 パターン化された生活に変化が出た時に何かが起きるのも高齢者が経験することです。突然起きる様々な事態に適応できないことの不安がありますが、不測の事態が起きたならば、多分これまで築いてきた何らかの力が支えになるだろうと思います。生きる意味を日ごろからしっかり持つことが力になる。それを信じて、決めた生活を規則正しく繰り返し行うには、今の自分なりの時間割を決めて、淡々と明日に向かうことであろうと思います。 令和2年新しい年に向けての歩みをどのように進めるかをこの短い休みの中で改めて考えてみました。 からだをデザインするということは、まず自分のからだについて(からだの使い方のくせ)よく知ることが大切です。 そして年数かけてできた自分のからだの使い方について、同じ時間と手直ししようとする根気強い努力と継続が重要な課題となります。 長い選手生活、かなり激しくからだを使ってきた経験からすると、ゆがみやねじれのあるからだに気が付くまでにいろいろな痛みとの戦いがあり、選手時代の戦いにも似た根気強い心理的、精神的苦痛と共に挑戦的日々を送らなければなりません。病気になる前に行うこの戦いの方が何十倍も後々得をすると自分に言い聞かせながら、小さな動きにも着目しながら歩まなければなりません。 健康1万歩といわれます 1万歩にこだわらず動き方を考えるようになりました。家事労働も含め、日常的な動き を正しく行うことも大事です。そんなトレーニングを「ファンクショナルトレーニング」と言います。 健康であれば1万歩くらい歩けなくてはいけないといっても年齢、性差いろいろありますので、環境に合わせて 運動を心掛けることがまずは大事です。 加齢と共にからだのゆがみが出てくるものですが、動かなければそのゆがみに気がつくことがありません。短い距離を歩く、家の中を歩く、またデパートや旅行など休みながらならば動ける。そんな生活状態で「自分は元気だ」と思っていませんか。それならばほとんどの人が元気だといえます。「今は何とか元気」なだけです。立ち居振る舞いに自由さがなくなり、スピード感が無くなったら考えましょう。80歳越えても90歳越えても旅行など連続的な動きができるようにするためには、今のままの動きで本当に大丈夫でしょうか。 女性は歩けなくなった時から急に様々な問題が生じます。希望を失う、先が読めなくなる、動けないので動きたくない、そして筋肉はどんどん落ち、起きているだけでも疲れる、料理から始まり家事がしたくない、できない、ついには認知症、それも相当なスピードでそれらの現象が進む。  介護士によれば、高齢までスポーツなど激しい動きに挑戦し、元気だった人ほど介護の対象になることが多いそうです。なぜそのようになるのかとずっと考えながら実践してきましたが、自分のからだが加齢とともに変化し、そのことが実感として明確になってきました。  元気にスポーツを行ううちに、これまでの経験や慣れが優先し、筋肉が弱り、疲れやすくなっていることや僅かな変化に気がつかないのではないかと思います。そして元気だ、大丈夫だと思いながら運動に挑戦しているうちに、大きなけがや不調につながるような気がします。    疲労回復が遅くなるだけではなく、今までできていた技に切れがなくなり、少しの負荷も大きく感ずるようになります。心拍数が上がり気味になると呼吸が以前より苦しくなります。帰り道で不快感が残り、帰宅後の疲れ方が変わります。それでもやっている時の快感を求めてまた続けて行ってしまうのです。やがて血圧変動や不定愁訴に見舞われ徐々に自信が無くなります。スポーツは若い時にのみするもの?なのかなーと不安がよぎります。  高齢になってから自分がやってきたスポーツを継続するのは、種目によって異なると思いますが、同じやり方ではやってはいけないとまで考えるようになりました。(令和2年2月84歳)  休みながら、止まりながら、興味のある物を眺めながらならば何とか1万歩歩くことができるのかもしれません。また楽しいことが続いている状態でならば知らないうちに1万歩以上歩いていることもあります。しかしそれが日々の運動としては、「1万歩も8000歩も健康長寿を目指すならば同じという報告もあり、自分自身も日々運動を重ねながらそのように感じます。セキスイハイムアイスアリーナで行われている「ストレッチ&ポールウオーキング教室」では、自然の移り変わりを楽しみながら公園内のウオーキングに取り組み、からだに好影響があることが十分分ってきました。24年度からは、リズムエアロも入れて、楽しく移動運動をしながら準備運動としてきました。終わりのストレッチとリラクゼーションも欠かせないことが参加者に浸透してきました。終了後の疲労回復感が違うことがからだで分かってきたのです。    28年度からは、それに加えてウォーキングの後の整理運動を定着させ、日々の暮らしの中でも、疲れを感ずるような「旅行」「買い物」の後にも活用出来るように取り組んでいます。準備運動である程度脈をあげてから歩きだした方が歩きやすい事も分かり、更に整理運動は運動後の快適感を増すことも分かってきました。終了後お喋りしながらリラックスタイムとなり、運動後の充実感も味わっています。  火曜日・金曜日午後2時30分から3時45分位まで、『ファートレイクで体力づくり』を平成23年4月からはじめ、(その頃83歳は現在90歳でお元気です。)を筆頭に参加の皆さんはそれぞれに体型変化、血圧安定、体調変化、顔色もよくなり、生きる喜びを感じながら継続されていましたが、参加者不足で平成27年度で終了となりました。  代わりに、平成28年5月から10月まで円山陸上競技場で、子ども達と一緒に「陸上競技で健康・体力づくり塾」を開催してきました。少ない大人の参加ですが、楽しく子ども達と一緒に運動をしました。冬期間は、真駒内セキスイハイムアイスアリーナ主催「からだデザイン教室」での活動に参加し継続されている方もいます。半年ではありますが、子どものからだが大きく変わり、基礎基本の運動の充実、走・跳・投運動を、からだの使い方を自覚させながらすすめています。  すべての人が健康長寿を目指していきいきと生きていかなければならない時代ですが、どんな運動でもよいわけではなく、自分のからだをよく知って運動に挑戦することをお勧めします。 布上恭子/ライフスタイル研究所 当サイトは@wikiにて作成されています &color(black){Copyright(c): 2007 Kyoko Nunogami, All rights reserved. 禁無断転載}
*令和5年を迎えて コロナを境にからだデザインも大きく変化し、当然加齢に伴い1万歩の必要性もなくなり、その違いをどうとらえるかが次の健康長寿問題となります。研究も進み、当然時代の変化に伴いあれだけ言われた「健康1万歩」も「健康長寿の人は8千歩」といわれるようになりました。 つまり1万歩の必要性がなくなり、あれだけ言われた1万歩は健康づくりには多すぎ、つまりやり過ぎとなるわけです。 しかしこのことは、1万歩よりも8,000歩の人が健康長寿であるというわけではありません。健康長寿者を調べたら8,000歩の人達であったということですから、8,000歩歩けば健康、そうでなければ健康ではないということではありません。歩数の問題ではなく、8,000歩に匹敵する運動量と方法、その人の基礎体力、生活環境などを含めて考えなくてはなりません。 これまでも健康維持増進には歩くと1万歩、しかしからだの動きを考えれば、歩くことだけではなことだなどともいわれました。 座ったまま長時間仕事をする人、立ったままの人、歩くことが多い仕事の人など様々な動きを「動きの量」として考えるだけではなく、動き方によるからだの偏った使い方もあることから、仕事の仕方、生活の仕方により関節の動きや筋肉の付き方使い方、継続時間など含めて考えれば、それぞれに合う動きづくりが健康長寿を支えることになります。 そこで私が長く研究してきたストレッチ体操、初めて日本にストレッチングを持ち帰った方は陸上競技で活躍された織田幹雄先生ですが、先生から直々伝授された私は、北海道をくまなく広げるために走り回りました。以後長く研究し、選手層のために、あるいは健康づくりのために、あるいは子供の体づくり基本運動として研究しながら継続指導し、加えて幅広く動きを求めて様々な体の使い方を学びました。ストレッチ体操、ヨガ、ピラテス、太極拳、日舞(民謡含む)、タップダンス、フラダンス、バレエ、モダンダンス、何人かの方々が進める何種類ものテクニックも含めて、体の使い方の違いなどを学び、今はそれらを通して自分の為のからだ維持運動「自己整体法」として日々行なっています。 からだ維持のための歩数が減少した分、現在令和5年を迎えて、2月には87歳になる健康長寿、健康維持、悪い状態の腰や股関節の状態を維持するためにどうすべきか考えながらの生活です。日々これまでの運動を参考にして行い、小学生と高齢者の指導に生かすべく努力しています。 時代により、年齢により、目的により動きの方法は変わります。人の真似はできないことはそれぞれの能力次第もありますが、何よりも自分の為のからだづくり「からだデザイン」が重要です。その為には色々やってみなくてはわかりません。理論と実践を両輪としてよい指導者のもと励むことが大事です。 現在4年春から続く介護生活の中での健康管理となり、改めて心と体の健康管理の挑戦が、日々の努力の中から生まれるものであることを実感しています。               令和5年1月2日 ---- *健康・体力づくりは日進月歩、その上加齢により変化します。歩き方も、姿勢づくりも変化します. *      からだづくり、からだデザインが重要です。 *令和5年春から新型コロナも2類から5類へ移行とのこと、同調意識の強い日本人がどこまで変化し、明るい年にできるか国民揃って努力することであることは間違いありません。 世界中が新型コロナウイルスにより国の存亡にかかわる事態になって3年、これは国と国との戦争のようなものです。敗戦77年を迎えた今日改めてロシアとウクライナの「戦争」について考えることも大事だと思いますが、形を変えた日本のコロナ対策戦争の結末も問われます。 コロナウイルスについて分かってきたことを頼りに次のステップに歩みだしたわけです。次なる強いウイルスとの戦いが起こりうるのですから、ワクチンに頼るばかりではなく、強い免疫力を持てるからだづくりに挑戦しなければなりません。また、この戦いは次なる強いウイルスと戦うためのワクチンと治療薬の戦いとなり、激しい競争となりつつあることを知らねばなりません。 背後に国力絡む政治や医薬業界、研究組織、医学界などがかかわりながらまさしく「競争」となっているのではないか。様々な情報が乱れ飛んだ新型コロナ対応をkのままにせず、次なる政策をまとめてほしいものです。 せめて国民の一人として、国力総動員して考えるべき時かもしれません。高齢者と子ども達が不安な日々を送り、不自由、非積極的な生活を余儀なくされてきたことは、最近ではまさしく自己責任とウイズコロナ、ポストコロナへと各自が考えて生きていく段階に来たようです。 ここからは各年代層に合わせた個々人の健康・体力管理が重要となり、今後の生活様式を自己責任で確立していく段階です。 日本人の英知と隠れた能力発揮の時かもしれません。              令和5年1月2日 令和2年 2020オリンピックのこの年を、7年前から待ちに待っていた人達は多いことでしょう。2月位から暗いニュースが動き始め、学校閉鎖、3月の祝うべき月が、卒業式もなくなる状態となり、不安が蔓延しました。そんな動きの中でもまだよく分からないまま、新年度は普通どおりに進むものと考えていました。 それから数か月閉ざされ、いろいろなことを考えました。当然お正月休みに考えたことなどどこかに吹き飛んでしまいました。目標は、何事もない時に歩める方向性のようなもので、この間にあった様々なことを思い出しながら今、目標を改めることすらできない現状をどのようにとらえたらよいかまだ心の整理ができません。 迷いながらも少しずつ先に歩まなくては、いや、歩める状況に少しはなったと思いながら色々なことを整理する段階にいます。子どものからだづくり塾やキッズクラブ、高齢者の教室の再開は7月から歩みだしました。 しかし、参加者は、3分の1か2です。 フェイクニュースという言葉も耳慣れましたが、それを実感するのは難しい問題です。生活の中で言われる噂を含むものは、真実を知るのは難しいですが、細菌やウイルスについて、これまで人類が歩んできた中での「感染症の歴史」や感染症に関する著書は沢山ありますので、それらにより学びながらTVなどの情報を合わせて自分の考えで歩むしかありません。 *令和2年1月5日 この年の目標、歩み方を考えてみました。 お正月を挟んだ休暇も明日は仕事始め、そしてまたいつもの生活が始まります。朝寝坊も元に戻さなければなりません。 令和元年が早く過ぎていったと感ずるのは、5月に令和が始まり、新しい気持ちになって8カ月で終わったことで1年が短く感ずるのでしょうか。子ども達まで今年は早かったといいます。このように、時間は感じ方と過ごし方で長くも短くも感ずることが分かります。 日頃、たまの完全休みの日に感ずることですが、家にいてブラブラしていても、仕事に出かけても一日は一日、むしろ家にいる方が早く時間が過ぎていると感ずるのです。そこで考えなくてはならないのは、幼稚園の頃から学校、社会人と時間割があり決められた時間を過ごしてきたのですから、自由な生活になっても自分の生活時間割を作るべきであると考えます。退職21年で今更?ですが、毎年、何時も一応考えています。 高齢でもお元気な人は、生きる目標(自己実現目標)、生活習慣をきちんと決める、外出(できれば人生目標に近い外出)、人とのふれあい(コミュニケーション)が週単位で決められているそうです。人間の生活リズム、一日の人体のリズムなどを考えれば、規則正しい生活パターンを繰り返し行うことが健康長寿につながることを教えてくれます。 パターン化された生活に変化が出た時に何かが起きるのも高齢者が経験することです。突然起きる様々な事態に適応できないことの不安がありますが、不測の事態が起きたならば、多分これまで築いてきた何らかの力が支えになるだろうと思います。生きる意味を日ごろからしっかり持つことが力になる。それを信じて、決めた生活を規則正しく繰り返し行うには、今の自分なりの時間割を決めて、淡々と明日に向かうことであろうと思います。 令和2年新しい年に向けての歩みをどのように進めるかをこの短い休みの中で改めて考えてみました。 からだをデザインするということは、まず自分のからだについて(からだの使い方のくせ)よく知ることが大切です。 そして年数かけてできた自分のからだの使い方について、同じ時間と手直ししようとする根気強い努力と継続が重要な課題となります。 長い選手生活、かなり激しくからだを使ってきた経験からすると、ゆがみやねじれのあるからだに気が付くまでにいろいろな痛みとの戦いがあり、選手時代の戦いにも似た根気強い心理的、精神的苦痛と共に挑戦的日々を送らなければなりません。病気になる前に行うこの戦いの方が何十倍も後々得をすると自分に言い聞かせながら、小さな動きにも着目しながら歩まなければなりません。 健康1万歩といわれます 1万歩にこだわらず動き方を考えるようになりました。家事労働も含め、日常的な動き を正しく行うことも大事です。そんなトレーニングを「ファンクショナルトレーニング」と言います。 健康であれば1万歩くらい歩けなくてはいけないといっても年齢、性差いろいろありますので、環境に合わせて 運動を心掛けることがまずは大事です。 加齢と共にからだのゆがみが出てくるものですが、動かなければそのゆがみに気がつくことがありません。短い距離を歩く、家の中を歩く、またデパートや旅行など休みながらならば動ける。そんな生活状態で「自分は元気だ」と思っていませんか。それならばほとんどの人が元気だといえます。「今は何とか元気」なだけです。立ち居振る舞いに自由さがなくなり、スピード感が無くなったら考えましょう。80歳越えても90歳越えても旅行など連続的な動きができるようにするためには、今のままの動きで本当に大丈夫でしょうか。 女性は歩けなくなった時から急に様々な問題が生じます。希望を失う、先が読めなくなる、動けないので動きたくない、そして筋肉はどんどん落ち、起きているだけでも疲れる、料理から始まり家事がしたくない、できない、ついには認知症、それも相当なスピードでそれらの現象が進む。  介護士によれば、高齢までスポーツなど激しい動きに挑戦し、元気だった人ほど介護の対象になることが多いそうです。なぜそのようになるのかとずっと考えながら実践してきましたが、自分のからだが加齢とともに変化し、そのことが実感として明確になってきました。  元気にスポーツを行ううちに、これまでの経験や慣れが優先し、筋肉が弱り、疲れやすくなっていることや僅かな変化に気がつかないのではないかと思います。そして元気だ、大丈夫だと思いながら運動に挑戦しているうちに、大きなけがや不調につながるような気がします。    疲労回復が遅くなるだけではなく、今までできていた技に切れがなくなり、少しの負荷も大きく感ずるようになります。心拍数が上がり気味になると呼吸が以前より苦しくなります。帰り道で不快感が残り、帰宅後の疲れ方が変わります。それでもやっている時の快感を求めてまた続けて行ってしまうのです。やがて血圧変動や不定愁訴に見舞われ徐々に自信が無くなります。スポーツは若い時にのみするもの?なのかなーと不安がよぎります。  高齢になってから自分がやってきたスポーツを継続するのは、種目によって異なると思いますが、同じやり方ではやってはいけないとまで考えるようになりました。(令和2年2月84歳)  休みながら、止まりながら、興味のある物を眺めながらならば何とか1万歩歩くことができるのかもしれません。また楽しいことが続いている状態でならば知らないうちに1万歩以上歩いていることもあります。しかしそれが日々の運動としては、「1万歩も8000歩も健康長寿を目指すならば同じという報告もあり、自分自身も日々運動を重ねながらそのように感じます。セキスイハイムアイスアリーナで行われている「ストレッチ&ポールウオーキング教室」では、自然の移り変わりを楽しみながら公園内のウオーキングに取り組み、からだに好影響があることが十分分ってきました。24年度からは、リズムエアロも入れて、楽しく移動運動をしながら準備運動としてきました。終わりのストレッチとリラクゼーションも欠かせないことが参加者に浸透してきました。終了後の疲労回復感が違うことがからだで分かってきたのです。    28年度からは、それに加えてウォーキングの後の整理運動を定着させ、日々の暮らしの中でも、疲れを感ずるような「旅行」「買い物」の後にも活用出来るように取り組んでいます。準備運動である程度脈をあげてから歩きだした方が歩きやすい事も分かり、更に整理運動は運動後の快適感を増すことも分かってきました。終了後お喋りしながらリラックスタイムとなり、運動後の充実感も味わっています。  火曜日・金曜日午後2時30分から3時45分位まで、『ファートレイクで体力づくり』を平成23年4月からはじめ、(その頃83歳は現在90歳でお元気です。)を筆頭に参加の皆さんはそれぞれに体型変化、血圧安定、体調変化、顔色もよくなり、生きる喜びを感じながら継続されていましたが、参加者不足で平成27年度で終了となりました。  代わりに、平成28年5月から10月まで円山陸上競技場で、子ども達と一緒に「陸上競技で健康・体力づくり塾」を開催してきました。少ない大人の参加ですが、楽しく子ども達と一緒に運動をしました。冬期間は、真駒内セキスイハイムアイスアリーナ主催「からだデザイン教室」での活動に参加し継続されている方もいます。半年ではありますが、子どものからだが大きく変わり、基礎基本の運動の充実、走・跳・投運動を、からだの使い方を自覚させながらすすめています。  すべての人が健康長寿を目指していきいきと生きていかなければならない時代ですが、どんな運動でもよいわけではなく、自分のからだをよく知って運動に挑戦することをお勧めします。 布上恭子/ライフスタイル研究所 当サイトは@wikiにて作成されています &color(black){Copyright(c): 2007 Kyoko Nunogami, All rights reserved. 禁無断転載}

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