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「なあ悠里、質問してもいいか?」

 やや高めのアルトボイスが僕を呼び止めたのは、 やたらと豪華な学生寮を自室へとたどり着き、ドアノブへ手をかけた時だった。購買で買ってきた夜食を抱えたまま僕が振り向くと、背後にはこれまた購買のビニール袋を抱えた燕尾服の男装美少女が立っていて、やあと手を小さく振りながら僕に近づいてくるところだった。

「お、スバルか。どうしたこんな時間に」

 スバルとは、女でありながらある人物の執事たるべく男に扮して生きてきたこの少女の名前だ。僕やごく一部を除き、この子が女子だと知る者はいない。

「いや、たまたま悠里を見かけたから声をかけただけだ」

 男物の服ならば女が集まる美少年、女物ならば同性が羨む美少年に変身する中性的な面貌に微笑みを浮かべ、スバルがいう。

「そっか。で、質問ってのは?」

 ドアを開け、玄関口の棚に夜食の袋を置く。自動点灯装置が働いて、消灯されていた玄関に明かりが灯った。

「ああ、今日の昼間に、悠里は傭兵だって話を聞いたんだ」
「ん? 知らなかったのか?」
「本当なのか?」
「ああ、僕は長らく兵隊家業をやってる」

 立ち話もなんだから上がれよ、と僕は勧める。寮は基本的に2LDKの洋室が多く、僕の部屋もその例に洩れず土足基本だ。

「いいのか?」
「これ以上話がなかったり、上がるのが嫌なら別にいいが」
「あ、いや、嫌なんかじゃないぞ? まだ聞きたい事もあるし、そうだな、じゃあお邪魔します」

 慌てて否定し、僕の様子を伺うような上目遣いで見上げてくる。僕は肩を竦めて苦笑で返した。

「入りな」

 スバルを招き入れてドアを閉め、彼女をリビングに通した。スバルにソファを勧めて僕はキッチンへ向かう。客人を招き入れた以上もてなすのは礼儀だから、何か飲み物を用意しよう。

「何か飲むか?」
「何があるんだ?」

 僕は棚と冷蔵庫をあさり、

「コーラ、カルピス、ビール、カクテルパートナー、あとはパウダーと缶のココアぐらいかな」
「悠里の淹れたココアが飲みたい」

 即答。しかも僕のココアである事を強調して。そういえば、前にココアを淹れてやったら凄く気に入ってくれていたな、と思い出しながら、僕はマグカップを取り出した。

「で、他に聞きたい事って?」
「うん、傭兵ってどんな仕事なのか……興味があってだな」

 へぇ、と返しながらココアパウダーをマグカップに用意し、湯を少量注いでスプーンで練る。この際に粒状にパウダーがまとまらないよう満遍なく練って潰すのは基本だ。

「どんな仕事……ねぇ。そうだな、フレデリック・フォーサイスの『戦争の犬たち』なんか読めば良くわかると思うけど。渋いけどおすすめの本だ」

 ココアパウダーをよく練ったら次はミルクや砂糖をいれるのだけど、今日の僕は練乳の気分だから練乳を一匙分溶かし込む。

「そういう事じゃないし、創作物は創作物だ。僕は悠里の口から聞きたいんだ」
「まあ、たしかに本は本でしかないが」

 練乳とココアパウダーを混ぜ合わせたものに牛乳を少しずつ流し込んで慣らしていく。あまり一度に多く牛乳を注ぐと混ざり切らない事があるのだ。
僕は牛乳に溶かし終えたココアのマグカップを持って、ソファに座るスバルの元へ向かい、彼女にマグカップを差し出した。

「ほい、ココア」
「うん、ありがとう」

 カップに口をつけ、スバルは微笑む。僕はその隣に腰掛け、備え付けの液晶テレビの電源をいれた。
音声が先に流れ出し、あとに画面が続く。どうやらこの時間は深夜バラエティの放送が多いようで、どこもかしこも売り出し中のアイドルや芸人で溢れかえっていた。

「で、何が聞きたいんだ?」
「……ん……ああ、傭兵ってどんな仕事なのかなって」
「テレビや映画に出てくる認識とそう大差ないよ」

 例えば? とスバルが首を傾げる。
 傭兵の仕事はシンプルだ。金をもらって業務を果たすだけであり、必要なのは経験と運の二つだけと言っても過言ではない。
 紛争地帯や戦場に出向き、情報を集め、リスクと報酬の兼ね合いを考えて雇い主を選ぶ。その際に必要なのは、現地の情報や政治事情から隠れたリスクを感じ取る経験に基づく勘と、予期せぬイレギュラーを回避する運だ。
とはいえ、予期せぬイレギュラーなどというものはやはり経験によって回避出来るのだから、最も重要なのは経験だろうが。
 そして仕事の内容だが、大まかに二つだ。
 一つは映画やテレビでよく見るような、金で雇われて暗殺したり、ジャングルの奥地で麻薬組織とドンパチするような直接戦闘業務。
 もう一つは練度が低く装備運用ノウハウもない貧乏後進国で戦術指導を行ったりする間接戦争業務。
この二つだ。

「悠里はどんな仕事をするんだ?」

 ちびちびとココアを啜りながらスバルが尋ねる。まるで宝物のようにマグカップを抱え込み、興味津々の様子で僕の話に聞き入る彼女に微笑み、僕は続けた。

「僕は基本的に直接戦闘だね。暗殺、組織殲滅、機密の奪取、護衛、他にもいろいろあるけど」
「危なく無いのか?」

 どことなく心配そうな声音。僕は肩を竦め、

「危ないさ、そりゃね。でも僕は経験ならかなりのものだからそうそう死にやしない」

 ふとみると、スバルは捨てられた子犬じみた寂しげな表情で僕を見つめていた。もしこの子に犬耳と尻尾があったならどちらも垂れ下がり、哀愁を誘う鳴き声を漏らしているに違いない。そう思わせる表情だ。

「死んじゃ……イヤだからな?」

 小さく絞り出されたアルトボイスには僕を心配するような、それでいて半ば何かを確かめるような声音が混じってる。

「言ったろ、経験なら積んでる。死にやしないよ」
「本当に?」
「こういうときに嘘をつくほど腐っちゃいない」

 よかった、とはにかんだスバルの顔にはちょっとした疲労の色が滲んでいる。そういえば、この子にここにやって来てまだ2ヶ月と経っていない。新しい生活には馴染めたのだろうか……。その事を尋ねようかどうか思案しているうちに、向こうが先手を打っていた。

「悠里はなんで傭兵に? そうなる前はなにかやっていたのか?」
「ん? ……………ああ、前は米軍にいたんだ」
「アメリカ軍に?」

 ああ、と僕は頷く。僕の親父は白人でお袋は日系人だった。そして、親父、祖父、曾祖父と軍か政府機関の人間だったから、僕もそれに従って高卒で米軍へ入ったのだ。 親父は僕を真っ当な職に就けたがっていたが、今思えば、僕の選択にはその親心への対抗心もあったのだろう。

「僕が入ったころは第二次世界大戦と朝鮮戦争後の再編期でね、入ってすぐに即戦力になるように訓練んされたよ。ヴェトナム戦争にも参加した」

 クソ暑い上に尋常じゃない湿度。毒を持った虫や蛇、疫病とベトコンの恐怖にさらされていた毎日……。胸に抱えたM16の頼もしさと腰のコルトの安心感、休暇にはこぞってしけ込んだ娼館の饐えた匂い。懐かしくも恐ろしい記憶が蘇っては消えてゆく。

「じゃあなんで傭兵に?」

 回想に浸りかけた意識を現実に引き戻す声。僕は舞い降りた奇妙な沈黙を誤魔化すためにマグカップに口を付けた。

「米軍にいる限り米軍としての任務にしか参加できない。僕はどうしてもケリをつけたい事があって、倒さなきゃならないヤツがいたから」
「だから傭兵に?」
「うん」

 まあ、後ろ盾が減るデメリットを考えればどっちもどっちだがね、と僕は肩を竦め、リビングの窓に目を向ける。とっくに日が落ちた外界の闇の中に、僕が追い回す男の顔が見えた気がした。
 窓越しの漆黒に浮かび上がった男の顔は、僕同様に昔と何一つ変わらない若々しい面貌を笑みの形に歪め、いまだに追いつけない僕をあざ笑っているようだった。
 40年前、逃げ去る間際に僕に向けた嘲笑。かつてはソ連KGBの工作員として相対し、そして今は一国の主へと昇り詰めようとしているその顔が、『早く私に追いついて見せろ』と嘲る声を発する。
 待ってろよ、必ずお前の喉笛を噛みちぎってやる。そう返すはずだった声は、体を揺さぶられる感覚と「悠里? 大丈夫か?」と焦燥と不安を滲ませた声に吹き散らされていた。

我に帰ると、何時の間にか身を寄せていたスバルの顔が眼前にあった。不安を隠し切らない表情に、案ずる瞳の色を浮かべたスバルにとりあえずも笑顔を返し、ほぼ無意識のうちに彼女の艶のある髪をわしゃわしゃと掻きなでていた。

「ちょっと思いでに浸ってただけだ」
「そう……か? 悠里、すごく怖い顔してたぞ」
「元の人相が悪いからだろ」
「そんな事は……ない…………とおもう?」

 疑問系かよ、と僕は嘆息する。すると、スバルは慌てて首を振り、「あ、いや、人相あるいなんて事はないぞ! ただ少し目つきが鋭いってだけで」と弁解する。

「それは人相が悪いの範疇だと思うんだ、僕」
「ううっ…………ごめん悠里ぃ……………」
「だからって涙目になるのもやめて欲しいんだけど……」
「でも…………でも……」
「気にしないでいいよ。この外見は気に入ってるから」

 ぽんぽん、とスバルは頭を撫でる。すると先ほどとは打って代わって、涙目が年相応の女の子らしい微笑みに変化した。流石に美形、しかも男装しているとはいえ少女だけあって、笑顔がよく似合う。
 とはいえスバルは体面上男となっているものの、実質的には女の子なのだ。それなのにここまで馴れ馴れしいジジイはどうなんだろう。窓に反射した僕の外見は20代の頃のものだけど、内面は72歳の老人なのだから。
 全く、体だけ若いとロクな事がない。鼻腔を満たす女性の匂いを振り払うようにそっと溜息をつき、体の芯から下半身へと集まり出した血流を意識して抑える。
 発情期の犬でもあるまいし、友人の――それも女の子――の前で息子をおっ勃てるような真似はしたくない。というか、この思考をせなばならないのがすでに異常なのだが。

「もうこんな時間か」

 とりあえずも、状況打開の策として、僕はスバルの帰宅を促す事にした。さりげなく部屋の時計を見上げ、彼女の注意を動かす。時計の針はすでに新しい一日の訪れを示していた。

「結構長居してしまったな。すまない、悠里」
「いやいや、気にしてないよ。いつでも来てくれ」

 スバルが立ち上がり、僕が続く。燕尾服を正して玄関へ向かう彼女を送り出す所までが僕の役目だろう。

「ココア美味しかった。また今度来てもいいかな…?」

 伺いを立てるような上目遣い。僕は首肯して、

「いつでも来てくれ。用意して待ってる」
「うん、ありがとう悠里」

 玄関を出て、スバルを見送る。ビニール袋をさげて自室へと向かう彼女に小さく手を振り、部屋に戻ろうとした時、

「悠里、死んじゃだめだぞ」

 僕はわざとらしく肩を竦め、親指を立ててスバルに返した。




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