落語家の立川談志さん死去(2011-11-21)


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★落語家の立川談志さん死去

独自の理論と型破りな芸風で古典落語に新風を吹き込んだ落語家の立川談志(たてかわ・だんし、本名松岡克由〈まつおか・かつよし〉)さんが21日、喉頭(こうとう)がんのため東京都内の病院で死去した。75歳だった。葬儀は近親者で営まれた。後日「お別れの会」を開く。喪主は妻則子(のりこ)さん。

 東京生まれ。1952年に五代目柳家小さんに入門、二つ目になって「小ゑん」を名乗ったころから才気あふれる高座で認められ、「天才」と賞された。

 63年に真打ちに昇進して五代目立川談志を襲名。65年に出版した「現代落語論」は落語界のタブーにも踏み込む内容で、先輩の落語家たちからは黙殺に近い扱いを受けたが、落語を志す若者たち、若い落語ファンの間ではバイブルとなった。

 古典を端正に演じる一方、機転のきいた社会批評や毒舌でも人気に。66年に始まった日本テレビ系「笑点」では初代の司会を務め、五代目三遊亭円楽らとともにお茶の間の人気者になった。

 83年には真打ち昇進制度をめぐって師匠小さんが会長だった落語協会を脱退、「落語立川流」を作って家元に。以来、落語界では孤高の立場を保ったが、古典落語の第一人者としての高い評価は揺るがず、志の輔、談春ら多くの弟子を育てて落語人気を引っ張った。

 97年に食道がんが見つかり、晩年は糖尿病、喉頭がんを患ったが、本人の希望で声帯の摘出手術はせず、落語への執念を見せた。10年暮れにはビデオ上映会の予定を変更して高座に上がり、もっとも愛着のある人情噺(ばなし)「芝浜」を演じた。それ以降も弟子の会にゲストで登場しては短めの噺などを披露。今年3月、一門会で披露した「蜘蛛駕籠(くもかご)」が最後の高座となった。

 71年には参議院議員に当選、自民党入りして1期務めた。75年に沖縄開発庁政務次官に就いたが、約1カ月後に辞任した。

■また落語界から星が消えた

 落語芸術協会の桂歌丸会長(75)の話 「笑点」の前身の番組(金曜夜席〈よせ〉)から私をひっぱって世に出してくれた方です。落語に関しては厳しい人で一つのお手本です。私が教わりたかったのですが、談志師匠の方から私に稽古を頼んでこられたこともありました。それを談志流にして、面白い噺(はなし)に仕上げてました。機嫌によっては難しいところもあったようですが、自分なりに進んできた方なので満足だったのではないでしょうか。五代目の円楽師匠に続いて談志師匠がお亡くなりになり、大変寂しく残念です。また落語界から一つ星が消えてしまいました。ご冥福をお祈り致します。