「私」論06


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「どのようなかたち」であれ、「私」は「存在」する。しかし、この社会によるある種の価値観として、「『私』ありき」であることは、「よくない」としている。それは、「滅私」とか「無私」という言葉で表されて、それらは「尊いもの」とされる。しかし、それらもまた、「私」によって為されることには他ならず、もしそれが「本当に」、「自分」を「失わせて」のそれを指すのであれば、それは端的に言って、「自分ではないものの『考え』」によって、「為す」ということであり、もしそれによって何らかの「弊害」が生じた場合、その「責任」は結果「採択」した「私」にあるのだけれど、しかし「考え」が「自分」にないことで、「そう」ではなく、「自分」に「『考え』を『与えもの』」に「責」あるとも「できる」。

その典型は、「戦争に向かっていく」、「戦前」の日本社会だと言えるだろう。