「なんてこったい☆伝説」ID:ihy1PQEo氏

 12月30日、東京都江東区有明――


「来た……ついにっ!」


 現在時刻、9時48分。
 『夢の中へ』から始まる点検放送が流れ、会場全体の士気が否が応にも高まる時。


「確認するよ。合同サークルで参加したのは作業と販売の効率化のためだけじゃない。何
よりも重要なのは今回最大のミッション、それを遂行すること!」
「Yes!」

 東5ホール、幸運にも壁際に配置されたとある合体サークル。
 そのブースの主である彼女たちが、かつてないほどに燃えている。

「販売担当は2人、これは2時間で交代。お互い1人ずつで最初は私とひよりんだね」
「ういっス!」
「他全員でミッションに当たるよ!」
「はい!」
「各自連絡は怠らないこと。電話番号とメアドの登録漏れはないよね? 予備バッテリー
を2個ずつ配ってあるから電池切れの心配はないと思うけど、ここにまだ用意してあるから
なくしたりした時は戻ってきてね」

 ひとつの戦いが、開幕の合図を今か今かと心待ちにしていた。

「巡回時の買い物は自由。ただしテキパキ済ませることを心がけて」
「了解!」

 他のどのサークルにも劣らない気合の入りよう。
 この場において明らかに異質だと言えるほど、バックファイアが燃え盛っているのだ。

「トイレ待ちが怖いから水分補給は最低限、ただし無理はしないこと。気をつけてね」
「No problemネ!」
「よし、開場と同時に散開して。いい? 私たちの目的は――」


『伝説の少女Aの特定っ!!』


 ――それは数年前から同人界でまことしやかに語り続けられる噂。

 「その少女が作品を買っていったところは大手サークルへと成長する」
 誰もが一笑に付すであろう根も葉もない噂。そう、単なる噂に過ぎなかった。
 事実、それを真に受ける者などいなかったのだ。初めのうちは。

 だが、その「噂」はやがて「ジンクス」へと変わっていった。
 上海なんとか、TYPEなんとか、07thなんとか。プロ同人として名を馳せるようになった
サークルの影には常に「少女A」の姿があったという。
 もちろん彼らはその存在を認めない。認めることができない。
 50万を超える参加者の中にその少女がいたとして、本人だと確認できるはずがないのだ。

 それでも噂は流れ、背びれ尾びれが付けられていく。
 やがて「少女A」は伝説となり、同人界をある意味で支配するほどの存在となっていた。
 今もそれぞれのブースで静かに開戦を待っているサークル参加者たちのおよそ6~7割が、
顔も知らぬ「伝説の少女A」との邂逅を待ちわびているのだ。
 中には並々ならぬ努力によって彼女の容姿を知ることに成功した者もいるのだが、それ
については今回は割愛する。


「ねえ」
「ん?」

 戦慄が走る中、ひとりの少女が今回のリーダー、八坂こうに声をかける。

「私も出なきゃならないのよね……やっぱり」
「当然! 頼りにしてるよ永森参謀!」

 永森やまとは溜息をついた。
 同人界に対しまるで興味を持っていない彼女がこの日この時間のこの場所にいる理由。
それは親友のこうに拝み倒されたからに他ならない。
 国際展示場は広く、たった5人では満足に巡回することなどできはしない。ならばと彼
女が協力を仰いだのがやまとだった。
 ちなみに彼女は夏にも荷物持ち要員として参加させられている。

「けど、永森先輩がいるっていうのは心強いっスよね!」

 こうの隣に座る田村ひよりが目を輝かせた。合体サークル、その片割れだ。
 実はこのサークルが今回壁際に配置されたのは彼女の功績によるところが大きいのだが、
自身も含めてそのことを知る者はいない。
 言うまでもないが、こうとひよりは陵桜学園のアニメーション研究部に所属する先輩と
後輩の関係である。

「せいぜい見取り図を覚えてるくらいだもの。期待を裏切るようで悪いけど」
「ワタシはまだオボえきれてないヨ……ヤマトはスゴいネ!」

 言葉を遮ってパトリシア・マーティン……パティがやまとを褒める。
 春先にアメリカから留学してきた彼女もまた、コミケへの参加は前回が初めてだった。
 ひよりとパティがやまとに出会ったのはそれが縁だったわけだが、これについても割愛
させていただこう。
 ともかく、顔を合わせたことは数えるほどしかないのだが、不思議とやまとは彼女たち
に慕われているのだった。

「ウチらってブレーキ役がねー。というわけでがんばって!」
「……善処するわ」

 「善処する」と言うヤツほど初めからその気はない――とは誰が言ったセリフだったか。

「あ、ほら開場するよ! みんな、健闘を祈るっ!」

『おー!!』
「……おー」
「やまと、声が小さいっ!」


 ところ変わって屋外。
 どこぞの大佐が目を見開いて喜びそうなほどの人の群れの中に彼女たちはいた。

「基本的な流れは去年と一緒。午前中は赤印のルートをたどることに専念してね」

 泉こなた、そして柊つかさ、かがみ。
 昨年の大晦日とほぼ同じ出で立ちで(これも指示のひとつである)3人は入場待機組の
列に並んでいる。
 もっとも、つかさだけは前回と比べてだいぶん動きやすい服装になっていたが。

「はあ……なんで受験間近の年末にこんなトコにいるんだか」
「って言いつつも友達のために買出し引き受けちゃうかがみ萌え」
「帰るぞ」
「お、お姉ちゃん……」
「大体……つかさ、去年散々な目に遭ったのによくまた手伝う気になったわね」
「うーん、だからこそかな? 去年はこなちゃんの役に立てなかったから今年こそはって」
「健気だねぇつかさ、わたしゃ嬉しいよっ!」
「お前が言うなお前が!」

 余談になるがこのコミケ、参加者の割合としては女性の方が比率が高い。
 アニメで放送されたような男性だらけの状況などはおそらくないということである。
 ……行ったことないけど。

「とにかく、去年よりはだいぶ楽なルート選んであるから安心して。はいこれ」
「実弾?」
「そーそー。水分補給は30分に1回――だけど飲みすぎると危ないからね」
「肝に銘じとくわ……」

 トイレ待ちの列で1時間待たされた悪夢が頭の中に蘇り、かがみは身を震わせた。

「今回の危険地帯はココとココとココ。ルート通りに行けばそんなにひどい列にはかち当
たらないと思うけど、何が起こるかわかんないからその時は臨機応変にね」
「うん」
「午後は例によってみんなでゆっくり見て回ろ。ひよりんたちのサークルがココらしいか
ら挨拶しにいこーよ」
「へー、田村さんが。かなりがんばってるのね」
「みんなこの日のために全力出してるんだよ。例外はないね! ……あ、開場するよ」
「……よし。つかさ、何かあったらすぐ電話するのよ」
「う、うん……」

 つかさとかがみの顔が真剣な面持ちに変わる。
 それほどに気合いを入れなければひどい目に遭う、ということを嫌と言うほど思い知ら
された過去があるからこそ出せる表情だった。

 にわかに列が進みだす。
 こうたちと目的は違えど、彼女たちの戦いもここに始まる。


 午前10時 コミックマーケット7X(2日目)開場――


 腑に落ちない点が二つあった。
 ひとつは「伝説の少女A」を捜す際の手がかり。
 背は低い、服は地味め、髪はある程度以上の長さがあるなどの漠然としたものしかメモ
には書かれていない。
 大体、服なんて何のアテにもならないじゃないか。毎回同じ格好で参加しているわけで
もないだろうに。
 もうひとつはそもそも彼女が今日、この会場に現れるのかということ。
 コミケは3日間にわたって開催されるのだ。特定の日にしか来ない可能性だって充分に考
えられる。というかそう考えるのが自然だ。

 こうの「大丈夫」は全然大丈夫じゃない。今さらながらに思い出し、やまとは再び溜息
をついた。
 もっとも、引き受けたからには途中で投げ出したりはできない。
 今回は荷物持ちをさせられるわけでもなし、気楽にやればいいのだ。

 入り口側からなだれ込んでくる一般参加者を避けるため、脇のスペースに引っ込む。ま
もなく駆け足気味の人ごみが通路を覆った。

「最初に走るなってアナウンスされてるのに」
「本当にねえ。でもまあ、これも風物詩のひとつだと思えば笑って流せるものよ」

 小声でついた悪態を聞かれていたことに気付き、やまとはぎょっとした。
 隣に立っていたのは――すぐそこのブースの売り子だろう。20歳前後の女性だった。

「……そういうものですか」
「そういうものよ。もしかしてあまり来たことない?」
「まだ2回目です」
「入り口と逆の方向から歩いてきたからサークル側なのね」
「友達の手伝いで振り回されてるんです。……よくわかりますね」
「2、3年もいれば大体のことはわかるようになるわ」
「はあ」

「すいません、いいですか?」
「はいどうぞー。それじゃあね」
「あ、はい。失礼しました」

 見る見るうちに人が増えていく。それなりに大手のサークルだったらしい。
 ……ここも「伝説の少女A」に開拓されたのだろうか、なんて。考え方がこうに感化され
つつあるようだ。
 次第に形を作り始めた列に行く手を遮られないうちにやまとはこの場を離れた。


「これで3番目終了、次は……Bの21か」

 見取り図とにらめっこをしながら、それでもかがみは今のところ順調にルートを辿って
いた。
 ほっと息をつき、こなたに渡されたカフェラテを一口含む。そして付近をくるりと見回
してみる。
 先ほどからつかさがずっと視認できる距離を保っていることが不思議だった。
 どうもこなたはそこまで考慮して今回のルートを組んだようだ。つかさに何かあった時、
すぐに自分がフォローに回れるように。
 その方が効率がいいと昨年の一件から判断したのか、それとも友達を想ってのことなの
か。

 黄色いリボンが移動を始める。彼女もなんとかノルマを処理できているみたいだ。
 ――まあ、後者だと考えておくか。
 そう結論し、かがみも次のブースへと足を向ける。

「えっと、新刊3冊お願いします」
「1800円になりまーす」

 “弾”を売り子に手渡し、受け取った同人誌を紙袋に突っ込む。
 去年も思ったことだが、この同人作品という物は代金のキリが良くて助かる。
 もっとも、1・2桁目を0以外にしても会計に時間がかかって混雑を助長させるだけか。

「Aの……ああ、すぐ近くね」

 つかさの次のノルマは自分と同じく壁際サークルのようだ。列に並び、最後尾の札を持
たされているのが人の壁の合間から見えた。
 つくづく視界から消えないものだ。こなたも結構気を遣ってくれているんだな――
 そう心の中で少しだけ感謝しながら歩いていると、ある物がかがみの目に入った。

「だっ……これ、は」

 ごくりと喉が鳴る。
 見覚えのある絵柄、薄紫を基調とした表紙、そこに描かれた上半身裸のあの2人。
 そして何より、すさまじいまでのインパクトを誇ったタイトル。

「……『呪縛』」

 思わず足が止まる。止まってしまう。
 その隣にも同人誌が積まれている。「新刊」と紹介されたソレもやはり同じ系統。

「う……うぅ……」

 『篭絡』と題されたその本に手が伸びる。
 ちなみに本を試し読みする時は売り子に一声かけるのがマナーなので気をつけること。

「ちょっと……だけ」

 ぱら、ぱらりとページがめくられる。
 予想……いや、期待通りと言った方が正しいのかもしれない。
 そこにはフルメタルな彼らの「パニック」がふんだんかつ濃厚に描かれていた。

「いかがですか?」
「うぁ!? あぅ、私には――」

 デジャヴだ。同じ光景を見た記憶がある。
 売り子もそれに気付いている。にやけ顔が表に出ないよう必死で抑えているのが容易に
読み取れた。

「……いやっ……これとこれ、いっさつずつ……」
「あっはい、1000円になりまーす」

 目にも留まらぬ速さで自分の財布から千円札を抜き出し彼女に渡す。

「ありがとうございましたー」

 そしてかがみはブースからさっと離れ、急いでバッグにその2冊をしまい込んだ。
 冷静さを取り戻してから一連の行動を省みて、呟く。

「……やって、しまった」

 よもや自分が同人誌に手を出してしまうとは。しかも同性の、男同士の、絡みに。
 つかさは向こうで慌てふためいている。こなたは4・5・6ホールを回っているはず。
 誰にも見られてない、誰も自分のことなど気に留めていない――

「カガミー!」
「ひゃいッ!?」

 追い討ちをかけるようなタイミングで飛んできた声にかがみは跳ね上がった。

「パ、パトリシアさん!?」
「こんなトコロでアウなんてキグウですネー!」
「そそそそうね! 私はこなたの買出しに付き合ってやってるんだけどね! 決して同人
に興味があるわけじゃないからね!?」
「What's...? ドーしたんですカ?」
「なんでもないなんでもない!」

 どうやら「現場」は目撃されていないらしい。破裂しそうな胸をほっと撫で下ろす。
 改めて見ると、パティは紙袋を肩から提げていた。中身もちらりと顔をのぞかせている。

「パトリシアさんは……田村さんと一緒じゃないの?」
「ヒヨリはウリコさんなので、ワタシはヤマトとテワケしてジュンカイチュウですヨ!」
「巡回……? あ、午後になったら田村さんのところに挨拶しに行くってこなたが言って
たわよ」
「Yes, sir! デハ、イソイデルのでシツレイしまース!」
「あ、うん……」

 そう言って彼女は台風のように去り……いや、違った。かがみが今さっき同人デビュー
を果たしたブースに立ち寄り、売り子に声をかけている。

「Hi! シンカン2サツくーださーいナ!」
「どうも、1000円ですー」

 自分があれだけ苦悩して購入に踏み切った物を何のためらいもなく。

「あの度胸、うらやま……って何言ってんだ私っ!」

 一喝。かがみは逃げるように次のブースへと向かった。


「ありがとうございまーす!」

 その元気のいい声に男は笑顔を返し、背を向ける。

「いいね、いい感じだね!」
「今回は今までで一番のデキだと自負してますから!」
「アニ研の原稿そっちのけでがんばってたもんねひよりん」
「うぐぅ……それは言わない約束っスよ」

 お互いに新刊の売れ行きは好調だった。
 これで不安要素は全て取り除けたことになる。「伝説の少女A」の捜索にもいよいよ本腰
を入れられるということだ。

「そんでどう? 見つけられると思う?」
「先輩、見つけられるかどうかじゃないっス。見つけるんです!」

 ひよりはぐっと握りこぶしを作った。言うまでもなくそれは気合いの表れだ。
 彼女が眉の端を上げるのを見て、こうは満足そうな笑みを浮かべる。

「そう! 我々に示されているのは『見つける』という道のみっ!」
「『伝説の少女A』の恩恵を受けて私たちも大手サークルの仲間入りっス!」
「その情熱を同人活動に注ぐのが何よりの近道だろうに」
「なっ、えぇ!?」

 ぴしりとたしなめられ我に返った2人の目の前にいたのは――

「ひかる先生!?」

 陵桜学園アニメーション研究部顧問、桜庭ひかるだった。

「どうだ調子は」
「な、なんで先生がここに……」
「調子はどうだと聞いてるんだ」
「あー、いや結構快調ですよ? 先生もコミケ来るんですねぇ」
「ほとんど毎回来ているぞ? 掘り出し物が見つかるからな」
「掘り出し物?」
「ひよりん知らなかったっけ。先生、BL小説が趣味なんだよ」
「なんとっ! 意外や意外っス……」
「でも、私たちも毎回参加してるのに全然気が付かなかった――」

 言いながら、こうはひかるをまじまじと見つめる。

「……なんだ。言いたいことがあるならはっきりと言え」
「いやぁ……私服にも無頓着なんですね先生」
「ほっとけ」

 ジーンズにパーカー。背の低さも相まって良く言えばボーイッシュと呼べなくもないの
だろうが、大人のファッションかと聞かれれば首をひねるところである。
 いつもくわえている禁煙パイポがなければ小学生か中学生にしか思われないだろう。
 これではたとえこの会場ですれ違ったとしても自分たちの顧問であるとは気付けまい。

「ところで、1人で来たんですか? ふゆきちゃんは?」
「別行動中だ。カタログ持って意気揚々と走っていったな」
「ふゆきちゃんって天原先生っスよね? あの人にもそんな趣味が……」
「違うだろう。あいつは純文学派だ」
「ちぇー、残念っス」

 買い手を捌きながら3人はしばらく会話に花を咲かせた。
 ひかるが現れてから7、8分経っただろうか。不意にバイブ音が耳に入る。

「あ、私だ」

 呟き、こうは上着のポケットから携帯を取り出す。そして椅子から立ち上がり、壁に背
を預けて通話ボタンを押した。この東館のどこかにいるであろうサークル仲間からだった。

「もしもーし。どう?」
『全然。やっぱり人多すぎですよ。そっちは?』
「本ならいい感じに売れてるよ」
『よかった。そろそろそっち戻りますねー』
「お、もう12時か。りょーかーい」

 通話を切って時間を確認する。11時43分。

「ひよりん、パティに電話して。もうすぐ交代だから」
「ういっス」
「他のメンツは散開中なのか」
「そーですよ。売り子は2人で充分ですし」
「ふむ。それじゃあ私はここらで失礼するぞ」

 言い終えるより早くひかるはきびすを返した。

「先生、良いお年をー」

 遠ざかっていく小さな背中を見送る。
 やがて、ひよりがぽつりと言葉を漏らした。

「……桜庭先生って背、ちっちゃいっスよね」
「だねぇ」
「服も地味め」
「……だねぇ」
「コミケには毎回来てるって言ってたし……」

 一瞬、妙な沈黙。
 だがそれはひより自身によって破られる。

「……でも髪長いわけじゃないから違うっスよね!」
「だ、だよね! あっぶないな、ちょっと信じそうになっちゃったじゃん!」
「あーっと、電話電話……」


 時はさらに進み、13時。
 彼女たちは予定通りエントランスホールで落ち合うことができた。

「2人ともおつかれー。首尾はどうかね!」

 膨らんだ紙袋を積んだキャリーカートを引きながら誇らしげに声をかけるこなた。

「あ……あぁ、こっちは大丈夫……」

 自分のバッグをちらちらと気にするかがみ。

「なんとか……赤ルートは全部回れたよぉ……」

 そしてぜえぜえと息をするつかさ。

 かくも三者三様、十人十色のイベントである。

「ご飯食べてちょっと休憩したらひよりんたちのブース行こー」
「そ、そーね……お腹空いちゃったわ」
「私もー……かなり体力使うよね……」
「はいおにぎり。好きなの取っていーよ」
「これ、そこで買ったの? 混んでるってレベルじゃないわよ?」
「まさか。うちの近くのコンビニで事前調達だよ」
「んーと……私は鮭にしよっと」
「じゃあ私はたらこ」

 それぞれが選び取ってから、余った梅おにぎりの包装を解く。

「どれが嫌いってわけじゃないけど、他の人が選んだヤツって無性に食べたくなるよね」
「日下部もそんなこと言ってたな」
「でもそれわかるかも。こなちゃん、交換する?」
「いやいや気にしないで」

 飄々と答え、こなたは山頂部分にぱくりとかぶりついた。

「ひよりちゃん、どんな本描いたのかな。私が考えたネタ使ってくれてるかなぁ」
「あー、そういえばそんな話もしてたわね。あるある系だっけ。でも――」
「でも?」
「つかさのネタって微妙だから田村さんも処理に困ってそうよね?」
「えぇ!? じ、自信あったのに……」
「一口にあるある系って言ってもさ、やっぱり売るからには面白いものじゃないと。ま、
変哲のないネタをいかに面白くするかってのも作者の力量だけどね」
「……なあ、それは誰に向けて言ってるんだ?」

 いえ特に他意はありませんですハイ。

 簡素な昼食を摂り終えて腹ごなしの雑談に10分弱を費やした後、こなたは珍しく携帯し
ていた携帯を手に取った。
 アドレス帳を開き、ひよりの電話番号を呼び出しながら2人に言う。

「そろそろ行こーか。電話するからちょっとだけ待ってね」


 ポケットで携帯が震える。開場してから通算7本目の電話だ。
 こうして日に何度も連絡を取り合っていると「任務」の雰囲気も出るというものだ。

「もしもしひより? 何かあった?」
『えっと、今から知り合いが来るんですよ。それで先輩にも顔出ししてもらいたいなあと』
「いいけど……その知り合いって私が知ってる人じゃないでしょ?」

 こうは人見知りするわけではない。
 ただ、例年に比べて時間がないのだ。14時にはまたブースに戻って売り子を務めなけれ
ばならない。
 在庫の少ない本は午前中に仲間に押さえてもらっているものの、そうでないところはこ
の2時間で回りきらなければならない。
 それに今回は「伝説の少女A」にも気を配る必要があるのだ。自由に動ける時間はいくら
あっても足りなかった。

『学校の先輩っスよ。3年の』
「ふーん……」

 前期の生徒会役員にオタクはいなかった。たとえ隠れオタでも匂いでわかっていたはず。
 アニ研のOBならひよりがわざわざ回りくどい言い方をするわけがない。
 3年生との、交流と呼べる交流は他には思い当たらない。同じ学園とは言えど、やはり面
識がある相手ではなさそうだ。

『お願いしますっ! こーちゃん先輩を紹介したいんス!』
「まあ、そこまで言われて断る理由もないけど――私の分も買出ししてくれるなら行くよ」
『OKっス! 今エントランスから向かってるらしいんで早めにっ!』
「りょーかい」

 早めにとは言われても、自分たちのブースは目と鼻の先。
 このあたりの目標を処理するくらいは大丈夫でしょ。そう考えてこうは売り子に声をか
けた。

「すいません、新刊3冊ずつ――」

 その時、視界の端にそれは映った。
 自分と比べて頭ひとつ分も身長差のある青いロングヘア。

「……どうかしました?」
「あ……3000円ですよね! はい!」

 慌しく本を受け取り、すぐに視線を戻す。だが既にターゲットは人ごみの中に紛れ消え
てしまったようだった。
 それでもこうは波をかき分け、「その人物」を追う。
 通路の出口に差し掛かった瞬間、見覚えのある顔が早足で現れた。

「おわっ、やまと!」
「こう! 今の――」
「見たっ!」

 T字に分かれた道の2方向から合流したこうとやまと。つまりあの人物が消えた道は残り
の1本。
すなわち、彼女たちのブースがある方向。
 自分のサークルの前にいるかもしれないという一抹の望みを懸けて2人は急ぐ。

「い、いた!」

 ビンゴだ。ひよりとパティが彼女と話をしている。そしてこうたちに気付き、手を振っ
て応えた。

「あ、先輩! ちょうど良かったっス!」
「見つけた……」
「先輩? こーちゃん先輩?」
「お、この人が部長さん?」
「服が地味で!」
「髪が長くて――」

『背が低い!』

「ちょっ、……え?」

「――って、ゲーセンのチビぃぃいぃぃぃ!?」


 場の空気が固まった。正確にはこのブースの関係者だけが。
 こうの声はあっという間に会場の喧騒にかき消され、それを気に留めた参加者もいない。

「……むぅ、初対面でいきなり言われるとさすがにちょっと凹む――ん?」

 セリフとは裏腹に、こなたはこの状況でもさして動揺などはしていないようだった。

「ちょ……ちょっと、さすがに今のは失礼――」
「いいってかがみん。キミどっかで見たことあるねぇ」

 憤りかけるかがみを制し、こうの顔をまじまじと見つめる。

「だ、だからゲーセンで……」

 その言葉におぉっと手を叩き、こなたは笑顔で答えた。

「そーいや何回かやったね。常連でも結構強い方だったから覚えてる覚えてる」
「ええっと……知り合いだったっスか?」
「話したのは今が初めてだけどねー。そっかそっか、キミがアニ研の部長さんかぁ」
「ってコトは……うそ、ひよりんが言ってた3年の先輩!?」
「そーゆーコトになるね」
「うっそぉおぉぉ!!」

 八坂こう、本日2度目の絶叫。
 そしてすぐにぺこりぺこりと頭を下げた。

「先輩なのにとんでもないこと言っちゃってすいませんでしたぁっ!」
「いやいや、いーってば。それより――」
「こなた、それより私らにもわかるように話せ」
「あのー、できれば私も……」
「ナニがナンだかワケわかめデース」


 かくして、簡単な自己紹介が始まった。

「2年の八坂こうです。ひよりんから聞いてるみたいですけど、アニ研の部長やってます。
そんで親友の――」
「永森やまとです」
「私は泉こなた。それとこっちがつかさ、かがみ」
「柊つかさです……よろしく」
「よろしく。それで、後輩に面と向かってチビって言われた気分はどう?」

 かがみが嫌味たらしく口を歪ませる。と言ってもからかい以上の悪意はないようだが。
 だが、こうはそれを真に受けてさらに気を沈ませてしまっている。

「実はかがみ、結構陰湿?」
「冗談に決まってるでしょ。それより――」

 言いかけてから彼女はやまとに向き直る。

「永森さんだっけ。どこかで会ったことない?」
「え? そんなこと――」
「やまと、知り合いだったの? そうなら言ってくれればよかったのに」
「ち、違う……違うんだけど、言われてみれば前に会ったことがあるような気も……」
「それそれ。私もそんな感じだよぉ」
「確かになんか覚えがあるかなぁ」

 不思議なこともあるものだ――と、4人は一斉に首を傾げた。

「ていうかそうだ本題!」
「本題?」
「泉先輩、『伝説の少女A』って知ってます?」
「知ってるよー。作品を買ったら(ry)でしょ?」
「かっこあーるわい……?」
「以下略って意味っス」

 意味不明な言葉を聞いてぽかんと口を開けるつかさをフォローしながらひよりは尋ねる。

「こーちゃん先輩、なんで泉先輩に――」
「まだ気付かない!? 『伝説の少女A』の特徴、全部当てはまってるじゃん!!」
「えぇっ……」

 そんなまさか、が口から出ることはなかった。
 かくいう自分も先ほど顧問を疑ったばかり。そして手がかりが確かに全て一致している。
 こうの推測をようやく理解し、ひよりは素っ頓狂な声を上げた。

「あっ、あぁぁあぁ!!」

 本人である可能性が限りなく高い人物との対面に驚くばかりのサークルメンバー、そし
て話についていけず呆然とする3年生3人。
 ブースに流れ始めた妙な空気を断ち切るかのごとくかがみが口を開いた。
 
「……だからさー、こっちにもわかるように説明しなさいよ」

 

「はぁ。なんか疲れた」

 東京住まいのサークルメンバーと別れ、乗った電車の中でこうは誰ともなしに呟いた。
 と言っても、周りに立っていた3人にも充分聞こえる大きさの声ではあったが。

「本は完売したけど……結局収穫はなしか」

 あの後、こうたちは『伝説の少女A』について自分たちが知る全てを説明した。
 だがこなたは「自分がそんな大層な人間なわけがない」の一点張り。
 さらにかがみには「所詮噂、存在するわけがない」とまで言い切られてしまった。

「泉先輩だと思ったんだけどなぁ……」

 当然彼女たちが去った後は「伝説の少女A」捜索が再開されたのだが、その成果が上がる
ことはついになかった。

「私も納得はいってないけど、伝説なんかに頼らないで努力しろってことなのかもね」
「やまとまでひかる先生と同じこと言ってるし……」

「でも――」
「ん?」

 ひよりが窓の外の暗闇をぼうっと見つめながら思いを吐露する。

「やっぱり、泉先輩は『伝説の少女A』だと思うっス」
「どうしてそう思うの?」

 彼女の自信ありげな表情。それが気になってやまとは尋ねた。

「泉先輩が来てから売れるペース早くなったと思いません?」
「Right! アッーとゆーまにウレちゃいましタ」
「変なトコに長音付けなくていいから」
「……何それ」
「小ネタだよ小ネタ」

 パティの言うとおり、14時以降の売れ行きには目を見張るものがあった。 
 午前中と同じペースで本が売れるなど、本来はありえないことだというのに。

「だから――少なくとも私たちのサークルにとっては、泉先輩こそが『伝説の少女A』じゃ
ないかなぁって」
「ひよりんが今いいこと言った! 伝説の……いや幸運の女神? これも違うか――」

 うまい言い方が見つからず、こうは難儀する。
 だが、彼女が言わんとしていることはわかる。だからひよりは天に拳を突き上げて意気
込んだ。

「次のイベントも今回以上の結果を残せるようにがんばるっス!」
「……うん。がんばろう!」
「フタリをオーエンしますヨ!」
「私は……もう巻き込まれたくないけど」
「えぇ!? そんなこと言わないでよ!」
「冗談よ。……多分、ね」
「永森先輩、性格っていうか……感じ? かがみ先輩に似てるっスよね」
「そう?」
「こーちゃん先輩が泉先輩で、永森先輩がかがみ先輩。当てはまる気がするっス」
「あの2人のボケとツッコミは秀逸だったね!」
「サッコンのゲーニンはコナタとカガミをミナラウべきでス!」
「そうだ。祝勝会ってことでパーッとどっかでご飯食べて遊ぼうよ。んでうちに泊まる!」
「言いだしっぺの法則。こうの奢りなら行こうかな」
「え、お……奢り?」
「先輩、ゴチになります!」
「オナカがフトマシイネ!」

「……わかったよ! 今日は部長が奢るよっ!」
『いぇーい!!』

 彼女たちの戦いはその歓声で締めくくられる。
 コミケという大舞台での確かな手ごたえと、胸のつかえが下りたような心地よさを得て。

 

「ひきしっ!」
「お姉ちゃん、風邪?」
「会場で伝染されてきたか? 父さんは何ともないけどな」
「風邪かなぁ。誰かに噂されてるような気もする……」
「ね、田村さんたちどうだった?」
「すごくがんばってたよ。はいこれ、ひよりんの本。健全だから安心していーよ」
「ありがと!」


 完

 

 

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