「鎖」ID:m24ctwAO氏

出会いは別れの枕。
ひどく曖昧なことだけれど、それは確かな真実。
それを理解しているから、人は別れを覚悟出来る。耐えることが出来る。

――それがあまりにも絶対的で、圧倒的なものでなければ。

――

例えば、ここにとても仲の良い親子がいたとする。
もし、何らかの理由でそのどちらかがこの世界からいなくなったら、残された方はどうなってしまうだろうか。
「実は相手のことが嫌いだった」なんてことが無い限りは、当然、悲しむだろう。涙を流すもの、あるいは耐えきれずに壊れてしまうものも、あるかもしれない。
そしてそれは、彼女、泉こなたも例外ではなかった。

――

「お父さん……どうして……」
暗い部屋の中、ひどく憔悴しきった顔で彼女は呟く。瞳が充血している理由は、考えるまでもないだろう。
「どうして……」
答えは返ってこないと知りながら、力の無い声で、同じ問いを繰り返す。誰の耳にも届かないそれは、鈍い痛みを伴って心を突き刺す。
その問いは、他でもない、彼女自身に向けられていたのかもしれない。
『どうして自分だけ生きてるの?』
それくらいに、彼女は乱れていた。根本から、揺らいでいた。



彼女の父親――泉そうじろうが帰らぬ人となったのは、昨日のこと。
「ちょっとコンビニに行ってくる」
それが、彼女が聞いた最後の、いちばん身近“だった”声。何よりも優しく、自分を包み込んでいたもの。時には夢を、時には愛を伝えてくれたもの。
しかしそれをそばに感じることは、もうない。上書きされていく記憶の中に、いつまでそれを留めておけるかも、分からない。

出かける時、いつものように私を誘ってくれていれば。私に言葉をかけてくれていれば。その僅かな時間が、別の“今”をもたらしたかもしれないのに。
しかしそれは、考えても仕方のないこと。後悔はより良い今を、より良い未来を願ってするものだけれど、いくら後悔しても、閉ざされたそうじろうの未来はもう、戻らない。
彼女もそれは分かっている。分かりすぎるほどに、分かっているけれど。
「じゃあ私はどうしたらいいの?」

この世界で、何を求める? 何を掴める?
この世界の、何に応える? 何に抗える?

“死”という絶対を目の当たりにしたこの心で、何が出来る?
「教えてよ……」

――



目の前に、そうじろうの背中がある。これは夢だと知りながら、いや、夢だと知っているからこそ、彼女は呼び掛ける。
「お父さん」
その声に反応して、そうじろうは振り向く。彼女は何か言おうとしたが、彼は彼女と目を合わせると、悲しげに微笑んで、そして――消えた。
ぺたりと、彼女はその場に座り込む。
もう涙は出てこない。代わりに出てきたのは、渇いた笑い。
「あはは……だよね、そうだよね。そんなうまい話、あるわけないよね」
幸せな夢に身を委ねることも、許されない。認めたくない現実は、もはや現実などではないというのに。それでも彼女は目覚める。目覚めてしまう。生きているが故に。
「それでもさ、何か言ってくれたっていいじゃん。ねえ。ねえってば」
虚空に声は散り、響くことなく消えていく。

届かない思いを声に変えても、もう何処へも行けはしない。
伝わらない思いを解き放っても、もう何処へも行きはしない。

ひたすらに静かな夢の中で、彼女はただ、立ち尽くした――。



――

目を覚ますと、部屋はまだ暗かった。もしかしたら、眠ってはいなかったのかもしれない。
時間を確認しようと携帯を開くと、十件を超える着信が入っていた。そのほとんどが、友人である柊かがみからのもの。
そういえば、今日は月曜日だったっけ。何となく、彼女は考える。学校で私のことを聞いて、それで心配して電話くれたのかな。かがみのことだから、家に来たかもしれない。
いずれにせよ――今の彼女にとっては、そんな気遣いが何よりも、何よりも――迷惑だった。
心配してくれる友人の存在。それは確かに有難いもの。
でもいくらお互いに認め合った親友であっても、この悲しみを癒せはしない。悲しみを癒してくれるほどの存在が近くにあるなら、そもそも悲しまない。
自分にとってのそれが父親だったのだろうか、とは彼女は考えなかった。どんな思いを抱いたところで、受け止めてくれる人はもういないのだ。
かがみに電話をかけることは、しなかった。今慰めの言葉をかけられたりしたら、何を言ってしまうか分からない。
彼女は、眠ることにした。体が睡眠を欲していたわけではないが、起きていても、しょうがない気がした。彼女はすぐに、眠りに落ちた。

――



さっき見た夢と、ほとんど同じ光景。唯一違うのは、彼女の目の前にいるのが、彼女と同じような体格の女性だということ。
何故か、驚きは無かった。
「……お母さん」
恐る恐る、彼女は声を発した。
振り返った彼女の母親、かなたは、泣いていた。
「こなた……ごめんなさい」
ふるえた、声。突然の謝罪に、彼女は戸惑った。
「い、いきなり何言ってるのさ? お母さんが私に謝らなくちゃいけないことなんか、無いでしょ?」
その言葉を聞いて、かなたはうつむき、首を横にふる。
「あなたのそばに居てあげられなかった。……そしてあなたからそう君を、父親を――“奪ってしまった”」
そう語るかなたの表情はあまりにも痛々しくて、どうしようもなく悲痛だった。軽く突くだけで崩れ落ちてしまいそうなほどに。それほどに脆いように、感じられた。
「お母さんがいないのは確かにさびしかったけど、お父さんがいたから、私平気だったよ。平気、だった……」
残酷なまでに、非情。非情なまでに、残酷。
「ごめんなさい……私のせいで……」
かなたの手が、肩が、震えていた。
「お母さん……奪ったとか、自分のせいだとか……わけがわかんないよ。だって……だってお父さんは事故で――」

そこまで言って、彼女はハッとする。『奪った』『“偶然の”事故』――いちばん考えたくない可能性に、気付いてしまった。思考が、たどり着いてしまった。それを認めたくなくて、彼女は狼狽する。
「まさか……」
速くなる、鼓動。
かなたはゆっくりと、今にも消え入りそうな声で、“真相”を、語る。
「もし……もしそれが、“私の望んだこと”だったとしたら、あなたはどう思う?」

嫌だ。

それ以上、聞きたくない。
それ以上、知りたくない。
出来ることなら、耳を引きちぎってしまいたかった。
“それ”を否定するためだけに、彼女は叫ぶ。
「そんなこと……そんなこと、お母さんが望むはずないよ!」
「……私も、そう思ってた。幸せな二人を見守っていられればそれでいい、って思ってた。でも――」
一瞬、言葉に詰まる。絞り出すように、かなたは言葉を紡ぐ。
「願ってしまっていたの。自分でも気付かないうちに。『そう君のそばにいたい』と」


なんだ。
やっぱり、お母さんは悪くないじゃん。
もう、びっくりさせないでよ。
こんなことはお母さんも望んでなかった、それくらい、私にも分かるよ。
お母さんの心にあったものは一つだけ。
それは――





それは、純粋な愛情。

そう、結局は。結局は、誰が悪いわけでもなくて。
彼女は、涙声で自分を責めるかなたを、何故か、哀しいと思った。
「そばにいたいなんて……そんなの、当たり前の感情じゃん。それを願ったくらいで何かが起こるわけ――」
しかし、それでもその先は、言えなかった。
彼女の世界に、そうじろうはもういないのだから。
“何か”が、起こってしまっているのだから。
歯を食いしばって、下を向く。
彼女は、受け入れるしかなかった。

「どうして、こんなことに……」
答えの無い問いだということは、分かっている。
ボタンを、掛け違えたわけではないから。
ただ最初から、ボタンホールが足りなかった。
三人で幸せになれるはずだったのに、そこから欠落したものが、大きすぎた。
さっきは出なかった涙が、溢れた。それは頬を伝って、地面を濡らす。
「ごめんなさい……私がもっと強かったら……」
かなたはそう言って、手で顔を覆った。
直視するのが辛くて、彼女は視線を下に向ける。
今心を埋め尽くしているこの感情は、何だろうか。後悔? 違う。悲しみ、でもない。

――これは、郷愁。戻らない過去への、未だ見ぬ過去への、憧憬。



「お母さんは、悪くないよ」
それは、言うまでもないこと。それでも、彼女はなんとなく、言わなければならない気がした。かなたとそうじろう、二人を繋ぐものを肯定するために。
かなたは、彼女の母親は、その場で泣き崩れ、そしてまた、ごめんなさいと、呟いた。
彼女はその様子を見て、何もかもが、救いようがないほどに終わってしまっているのだと、感じる。いや、父親を失った時点で、それは既に感じていた。しかし、目を瞑った。悲しみ、苦しみは容赦なく触れてきたけれど、希望の無い未来を見たくないから、暗闇を恐れたから、彼女は目を瞑った。
それが彼女に出来た、たった一つのこと。
あまりにも無力な、抵抗。

しかし、それも彼女にとっては最早どうでもいいこと。彼女は知った。自身の、未来を。
「――もう、いいんだ」
涙を拭い、彼女は投げやりに呟く。
かなたの思いが、そうじろうをあちら側に引き寄せたのなら。
それならば、この先何が起こるか、彼女には分かる。
彼女は、確かに自分が父親に愛されていたと、知っているから。
かなたとそうじろうを繋ぐものが、自分と父親の間にもあったことを、知っているから。
要は、連鎖。決して外れることは無い鎖の、連なり。

いちばん大切な人を失った自分にとって、それは決して悪い未来ではないなと、彼女は思った。
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