ID:KhTgmyEo氏:『“時間”の見せた夢』

 

「ふぉわあぁぁぁ……」

 朝の教室の喧騒から大あくびがひとつ。
 二年F組アニ研部長、八坂こうその人である。

「ねむた」
「どうしたのこーちゃん、寝不足?」(CV.くじら)
「寝不足って言うか完徹。アニ研の原稿がなかなか進まなくてねー」
「あ、学園祭で何かやるんだっけ?」(CV.くじら)
「そそ。珍しくスランプでさ」
「すぐに先生来るしがんばって起きてなよ」(CV.くじら)

 噂をすれば影とでも言うのか、間もなく担任が教室に入ってきた。
 が、まだチャイムは鳴っていない。

「ちょっと早いけど席に着けー。今日は転校生を紹介するぞ」(CV.立木)

 転校生? 学園祭の二週間前なんて微妙な時期に?

「どこの学校から来たんだろうね?」(CV.くじら)
「さあ。にしても色んな意味で絶妙な時期だよね」

「よし、入っていいぞー」(CV.立木)

 担任が教室の外にいるらしい転校生を呼ぶ。
 一拍あって、「その人」はガラリと戸を引いた。

「――やっ、やまと!?」

 こうは思わず叫んでしまっていた。
 当然、教室中の注目を浴びることになってしまう。

「あ……いや、いきなりすんません――」
「永森、八坂と知り合いだったのか?」(CV.立木)
「……はい」
「そうか。まあとりあえず自己紹介してくれ」(CV.立木)
「聖フィオリナ女学院から転校してきました。永森やまとです」

 ざわ・・・
     ざわ・・・

 と、どよめきが起きる。
 聖フィオリナ女学院と言えばこのあたりでは名門の中の名門。
 それなりにレベルの高い陵桜学園よりもずっと上、である。
 距離だってそれほど離れてるわけでもなし、そこから転校してくるなど考えられない。

「席は……知り合いの近くの方がいいよな。八坂の隣に机移動させて座ってくれ」(CV.立木)
「わかりました」

 彼女はさっさと机を指定された場所に動かし、腰を下ろす。

「やまとちゃん? こーちゃんの友達なの?」(CV.くじら)
「ていうかなんでうちの学園に――」

「こらこら、話はHRが終わってからにしろよー」(CV.立木)

「……だって。後でね」

 いつもの少しそっけない返事。
 正真正銘、こうの親友の永森やまとだった。


「それじゃあ一時間目が始まるまで質問タイムでも何でもしておいてくれー」(CV.立木)

 担任のその一言を皮切りに、やまとの席にどっとクラスメイトが集まる。

「え、ちょっ――」
「永森さん? フィオリナから来たってどんないきさつがあったの?」(CV.くじら)
「趣味は?」(CV.立木)
「食べ物は何が好きなの?」(CV.くじら)
「今日のパンツ何色?」(CV.立木)

 隣に座るこうにとっては良い迷惑だ。

「てゆーか今誰か変な質問しなかった!?」

 

 結局、昼休みに入るまでこうが彼女と話す機会は皆無だった。
 いや、やはり昼休みも質問攻めに遭わされる寸前だったのだが。

「ちょっとごめん……こう、食堂行かない?」
「え? うん、いいけど」

 突然誘われ、こうはあわてて弁当箱を出し席を立つ。

「質問タイムはまた後で。こう、行こ」
「オッケー」


「お弁当ないの?」
「うん。それにあっても教室じゃゆっくり食べられそうにないし」
「確かにね。小中高どれでも転校生への反応って変わんないもんだねぇ」

 そんな会話をしながら二人は廊下を歩く。

「それより……びっくりしたよ、いきなり転校してくるなんて」
「……私もね、正直何がなんだかわかってない」
「へ? 何が?」

 やまとは手を頭の後ろで組んでから答える。彼女の癖のようなものだった。

「昨日までは確かにフィオリナに通ってたはずだったんだけど。今朝起きたら引越ししてて、しかもここに転入することになってて」
「何それ、記憶が飛んじゃってるみたいな?」
「……さあ。でも前からここに通ってた覚えもあるような気がするのよね。しかも二年生じゃなくて三年生として」
「引越し疲れとかでそんな夢でも見たんじゃない? デジャヴみたいな」
「そんな感じなのかな」

 そうこうしているうちに食堂へ着く。

「あ、学食のシステムとかわかる?」
「大丈夫だと思う。席、確保してて」
「はいよっ」

 こうは窓際にめぼしいテーブルを見つけ、さっさと座る。
 やまとがきつねうどんの載ったトレーを持って来たのはそれから七分ほど後だった。

「先に食べてて良かったのに」
「一人で食べたっておいしくないじゃん!」
「……まあそれはわかるけど――ってこう、まだそれ続けてたの!?」

 珍しく声を荒げる彼女の視線の先には……なんと、カレー。
 弁当箱の一段目にご飯が、そして二段目にはルーが。
 誰もが一度は夢見る、そして九十九%が断念する魅惑の弁当がまさに目の前にあった。

「ちゃんと進歩してるよー? ほら、保温してるし!」

 そう言ってこうが自慢げに見せてきたものは二つのカイロ。

「なるほど……『冷めるとまずい』って弱点を克服したわけ」
「その通り! どーよ、カレー食べたくなってきたでしょ~?」
「ならないわよ……ていうか中学と違って学食あるんだからわざわざ持ってこなくたって」
「甘い甘いよやまと! 家のカレーって無性においしく感じない!?」
「それはお母さんがこうの好みの味のを作ってくれるからでしょ」
「ともかくカレー弁当ってことに意味があるのだよっ!」

 はあ、とやまとは呆れ気味にため息をつく。

「……つくづく戦隊物のイエローよね。カレー好きだし、色だって黄色が好きだし」
「給食で羊羹が出た時に人の分まで問答無用で掻っ攫ってくヤツのセリフじゃないっしょ」
「……! うっ、うるさいわね!!」


 時間が賑やかに過ぎていく。

 もしかすると――

 お互いが会いたいと望んでいたのにすれ違ってばかりだった「別の可能性の世界」のことを、こうも記憶の片隅に残しているのかもしれない。
 親友と一緒にいられるこの時をかみ締めるように味わいながら、二人は笑う。

 まだ、この世界の“時間”は動き始めたばかり。

 

 放課後も相変わらず次から次へと質問が浴びせられる。
 こうとやまと以外の全員が教室を去った頃、時刻は既に十七時を回っていた。

「やっと終わったねぇ。お疲れー」
「席、隣なんだから助け舟出してくれればよかったのに」
「私も色々聞かれまくってたもん、そんな余裕なかったって」

 考えてみれば「転校生の友達」が同じく的にされるのも当然のことである。

「……いっぱいいっぱいで気が付かなかったわ。ごめん」
「いいっていいって。それよりこれから予定ある?」
「まだ引越しの荷物とか片付いてないから……帰って荷解きかな」
「手伝わせてよ。いいでしょ?」
「そりゃ、助かるけど。でも悪いし」
「私が手伝いたいって言ってるんだって! 甘えちゃいなぁ? うりうり」
「……じゃあお言葉に甘えて」
「よし! んじゃ早速行くとしますかぁ!」

 意気揚々と教室を出る……はずだったが、こうはぴたりと足を止めばつが悪そうに振り返った。

「引越ししたんじゃ家の場所わかんないや。ははは……」
「でしょうね……」


 やまとの家は学校から徒歩二十分ほどの場所にあった。
 本来ならばそこに引越すのはとある三年生男子の一家なのだが――それはあくまでひとつの「可能性」に過ぎない。
 その男子は、この話には何ら関わってはこないのだ。

「ただいま」
「おじゃましまーす」
「お帰り……あらこうちゃん、久しぶりねぇ」(CV.くじら)
「ども、お久しぶりですおばさん。やまと、部屋って二階?」
「うん。上がって」
「後で飲み物持って行くからねぇ」(CV.くじら)
「いえー、お構いなく!」

 やまとの部屋は階段を上りきってすぐのところにあった。
 ご丁寧にも名前の彫られたプレートが飾られていたため、こうもこの部屋だとすぐに気付くことができた。

「あれ? 懐かしいねこれ」

 中学生の時、美術の授業でこうが作ったものだった。
 二人一組で完成品を互いに渡す――という趣向だったため、彼女の部屋にもやまと作のネームプレートが眠っている……はずである。

「……荷造りしてる時に出てきたから。せっかくだし飾ろうと思って」

 真っ赤な嘘だった。
 高校へ進学してすぐに、こうに会う機会が減るからと探し出した物なのだ。
 しかも本人に見られるのは恥ずかしいからと、彼女を家に呼ぶ時だけわざわざ外していたりもする。
 つまり、今日これを見られるのも誤算。
 平静をつとめようと必死に表情を隠すやまとの気を知ってか知らずか、こうはにやつきながらドアノブを回した。

「へー、結構いい部屋じゃん!」
「慣れてないけど、悪くないとは思ってるわ」

 一通り部屋の中を眺め回り、最後にダンボールの前で腕まくりをする。

「よっし、やりますか! 指示よろしく!」
「多分、そんなに時間はかからないと思うから」

 言いながら、やまとはカッターで蓋を閉じているガムテープに切れ目を入れた。


「お!」
「何――あ」

 作業が半分ほど終わったところで、こうがダンボールの中からある物を見つけ出した。

「アルバム発見! 見ていいよね? 答えは聞いてないっ!」
「み……見るなっ!」
「いいじゃん減るものじゃないんだし!」
「……もう」

 発掘したアルバムについ見入ってしまう――こういった時、人はついついやってしまうものである。
 いちいち歓声を上げながらページをめくっていくこうだったが、その頭の上にだんだんと疑問符が浮かび始める。

「あれ? やまとと一緒の写真もっと撮ってると思ってたけど気のせいだったかな」
「撮ってる。こうが写真くれないからアルバムにも入れられないんじゃない」
「あ……あー、そうだっけ? すっかりさっぱり……」
「……その分じゃ最後に撮った写真のことも忘れてるでしょ」
「ん? ……お、覚えてるよ覚えてる!」
「うそ。どうせ今の今まで――」
「ほんとほんと! 明日の朝渡すって!」
「……本当に?」
「約束!」

 ほんの少し。
 ほんの少しだけ、ひょうひょうと親指を立てる彼女が小憎らしく思えた。
 ……まあ、これぐらい言わせればいくらなんでも忘れない……はず。多分。
 そう自分に言い聞かせ、やまとは再び手を動かす。

「……約束」

 こうが呆としてその単語を繰り返す。

「どうしたの?」
「いや、そういえば約束してたよねって」

 一瞬だけ考え、それを思い出す。

「……一緒に桜藤祭回ろうって約束」
「そうそう」

 こうと違って約束とかそういうものは絶対に忘れない人間のつもりだったのに。
 自分がそんな大切な約束を忘れてしまっていたことに、やまとは驚いていた。

 ……大切な?

「でもさ、結局約束する必要なかったよねぇ」
「……なんで?」
「もう同じ学校の友達だもん。約束するまでもなく当たり前じゃない?」

 そう言って見せる、屈託のない笑顔。
 何だかそれが照れくさくて、やまとはぷいと横を向いた。

「そう……かもね」

 大切な約束だった気がする。
 ずっと叶わなかった気がする。
 もっとも、「今年の桜藤祭を一緒に回る」約束が「ずっと叶わなかった」なんて意味不明もいいところなのだけれど。

 ……やっぱり引越し疲れが残っているのだろう。そう納得し、やまとはようやく軽くなってきたダンボールを覗き込む。


 約一時間半。
 こうの協力のおかげで荷解きも驚くほど早く終わり、二人は玄関先に出ていた。
 泊まっていかないかと提案しようとも考えたが、明日も授業があるからそんなわけにもいかない。
 彼女は学校に置き勉をする人間ではないのだ。


「へっくちい! つかさたち、私の話でもしてんのかな……」


「今日はわざわざありがと。今度、こうの頼みも一つ聞いてあげる」
「え? いいよ、好きでやってることだしさ」
「私の気がおさまらないから」
「そお? んじゃー……うん、考えとくよ。くくっ」

 笑みが最後だけあくどいものに変わる。
 それを見た瞬間、やまとは言いようのない戦慄を覚えたような気がした。

「うっ……や、やっぱ今のなし」
「ダメダメ! 男に二言はないんだよやまと君!」
「女よ!」
「それじゃまた明日ね!」

 逃げるように駆けていくこうを見送りながらひとつだけため息をつく。

「まったくもう……」

 だが、顔には自然と微笑みが浮かんでいた。

「……本当に、変わってないんだから」

 嬉しそうにそう呟き、踵を返して玄関へ戻る。
 こうが聞いていれば、変わってないのはお互い様だよ――とでも言われていただろうか。

 学校に行くの、楽しみだな。
 十六年間生きてきて初めて、やまとは思った。

 

「おっはよ!」
「っ!?」

 背後から思いきり肩をどつかれ、やまとはぐらりとよろめいた。
 転ぶ寸前でなんとか踏みとどまり、犯人の顔をきっと睨む……のだが。

「……こう! 危ないじゃない!」
「スキンシップだよスキンシップ!」

 そう誤魔化す親友の顔を見ていると、だんだん腹を立てるのも馬鹿らしくなってくる。
 昔からずっと繰り返す、いつものパターンだった。

「相変わらず朝からハイテンションなのね」
「やまとは昼間もテンション低いからね。補ってるってわけよ!」
「わかったから……引っ付くのをやめて」

 こうが肩に手を回している。
 はたから見ても明らかに動きにくそうな体勢のまま、二人は学校へ向けて歩いていく。

「あ、ちゃんと写真持ってきたよ」
「ちゃんと、じゃないわよ。朝電話した時もやっぱり忘れてたじゃない……」

 結果オーライってヤツじゃん、気にしない! そう答えながらこうは鞄から一枚の写真を取り出し、手渡す。
 こうがやまとの体をくすぐり、無理やり笑わせている写真。「桜藤祭を一緒に回る」と約束した時に撮ったものだ。

「……出来はともかく、ありがと」
「どーいたしましてっ!」
「で、他の写真は持ってきてないの?」

 きょとーん。
 と、こうの目が点になる。

「普通……まとめて持ってくるものじゃないの?」

 昔から時々どこか抜けている子だった。
 ご多分に漏れず、今回も……というだけのこと。
 こういうところは変わっていてほしかったんだけど、とやまとは心の中で呆れる。

「明日! 明日こそ持ってくるから!」
「明日は土曜」
「あーそっか。じゃあどっか遊びに行こうよ、そんでついでに写真も渡す!」
「……わかったわよ」

 そうこうしている間に学校へ到着する。
 正門をくぐっても相変わらず引っ付いて離れない彼女にやや辟易しながらも、やまとは久々の「親友と一緒の登校」を心の底から喜んでいた。


 その日の放課後。
 やまとがいざ席を立とうとした時、机の前にこうが立ちはだかった。

「な……何?」

 にやにやと気味の悪い笑顔を浮かべる彼女に、思わずたじろいでしまう。

「頼み。聞いてもらうよ?」

 ああ、やっぱりあんなこと言わなければ良かった――

「……常識の範疇で」

 昨日の自分を恨みながら、次の言葉を促す。
 うんと頷き、こうは満面の笑顔で言った。

「アニ研入って!」
「嫌」
「お願い!」
「アニメ興味ないし」
「そこを何とか!」
「無理」
「私とやまとの仲じゃんっ!」

 今日もため息が出た。
 誇張などではなく、彼女が隣にいる日はため息をつかないことがない。
 ……つまり、これからはほぼ毎日幸せを逃がしてしまうことになるのだろうか。

「なんで?」
「桜藤祭に向けて一本作ってるんだけどさ、人手が足りないんだよ!」
「私、知識ないし……邪魔にしかならないわよ」
「そんなことないって! やまと風景画上手いじゃん? 背景担当してくれたりするとすっごく助かる!」
「本当に背景だけ?」

 口調を心持ち強めに尋ねる。するとこうは辛うじて聞き取れるくらいの小声で付け足した。

「いやー、できればアフレコも少し……」

 やっぱり。
 少しだけ考え、やまとは答えを出す。

「……わかったわよ」
「やってくれるの!?」

 もとはと言えば不用意に「頼みを聞く」などと言ってしまった自分が悪い。
 それに、親友に頼られて悪い気はしないものだ。

「桜藤祭までの間だけだからね」
「ありがとうっ!」

 大げさに手を取って喜ぶ彼女を見、やまとの口からくすりと笑いがこぼれる。
 きっとこの先も自分はこうの頼みは断りきれないんだろうな――と。

「そんじゃ部室にれっつらごー!」

 

「というわけでこの学園にあるアニ研部室にやってきたのだ」
「何、それ」
「なんでも」

 やまとが理解できなかったネタをさらりと自分で流し、こうは豪快にドアを引き開け――

 ――その勢いは間もなく失墜した。そこにいた部員が一年の田村ひよりたった一人だけだったからだ。

「あ、先輩。どもっス」
「……他のみんなは?」
「自分のクラスの準備じゃないっスか?」

 やれやれと頭に手を当て、こうは部室に足を踏み入れる。

「まーいいや。ひよりん、新入部員だよ」
「え、ホントっスか」

 彼女と目が合い、やまとは軽く会釈をした。

「昨日うちのクラスに転入してきた永森やまと。私の親友!」
「……こうの 友 達 の永森やまとです。よろしく」
「うわ、ひっど」
「ど、どうも。田村ひよりっス」

 なるほど二人は親友なのだとひよりはすぐに理解する。彼女自身もよく知っている穏やかな空気が彼女たちの間には流れていた。
 それに、以前何度かこうに「私の親友」について聞かされたことがある。
 よく思い出してみれば、永森やまととはあの時に挙がっていた名前ではなかったか。

「先輩が前に話してくれた人っスよね?」
「お、よく覚えてるじゃん。その通り! ダメ元で頼んでみたら快くOKもらってさ!」
「しつこく頼み続けたらイヤイヤOKをもらえた。こう、変なこと話してないでしょうね」
「ね、前に話した通りっしょ」
「ホントっスね……」
「こう!」

 わざとらしく耳を塞ぐ部長に思わず笑いがこみ上げる。この部室もますます賑やかになりそうだ。
 もっとも、あまり賑やかになりすぎても原稿に集中できなくなってしまうのだが。

「そんなわけでね、やまとは背景担当だから。作業教えるからこっち来てー」


 数分後、やまとはひよりの隣で鉛筆を片手に写真とのにらめっこを始めていた。
 こうはクリアファイルに挟まれた領収書の山を見やり、眉をひそめている。
 桜藤祭が近付けば近付くほどに生徒会会計である彼女の仕事量は増えていくのだろう。
 相当に集中しているらしく、部室にはペンを滑らせる乾いた音が響くだけだ。
 もちろんひよりも作業に専念しなければならないのは同じ。それも今回は作画という大役を担っているのだ。
 だがすぐ横に新入部員、それも敬愛する部長の親友がいるとなればそちらに興味を抱いてしまうのは必然。
 ひよりは机に置いた資料をあらためるふりをしながら、ちらりと彼女の顔をのぞき見た。

 ――綺麗な人だ。それが第一に出た感想だった。

 凛としたオーラにやや細い目。背も高い。名前に恥じない、まさに大和撫子。
 中学時代、友達にちんちくりんなどとからかわれた自分とはえらい違いだ――と、ひよりは心の中でため息をつく。

 それにしても本当に美人だ。リアルではその気がない自分でも見惚れるくらいに――

(……ぐっ、いかんいかん! 何考えてんだ私!)

 脳内に湧き始めた邪念を振り払うため、かっと目を見開いて首を前に向ける。
 と、同時にこうががたりと席を立った。

「ちょっとトイレ行ってくるね」
「あ、いってらっしゃいっス」

 彼女が教室を去っていくのを見届け、再びひよりは隣の席の少女に視線を移す。
 写真の中に立ち並ぶ木々が、さらさらと流れる鉛筆によってスケッチブックにそっくりトレースされていく。
 思わずうなりたくなるほどの画力。人を見る目だけは確かだと豪語するこうが手伝ってくれと頼み込むのも納得だった。

 不意にやまとの手が止まる。
 どうしたのかと顔を上げると――どうやら自分を観察している存在に気付いたようだった。

「何?」

 まずい。これでは変な人だと思われてしまう。いやそりゃまあ趣味嗜好的な面で言えば自分は変な人かもしれないけどさ。

「いっ、いえ……絵、うまいなぁ、と」

 しどろもどろに答えを返すひよりをぼんやりと眺め、やがてやまとはふっと微笑みかけた。

「自信があるのは風景画だけ。人物画とか工作は全然だから」
「そ、そうなんスか」

 謙遜だろうな、とひよりは判断した。工作はともかく、絵に関しては人より明らかに秀でている。
 モデルの対象が人や物になったとしてもそつなく描けるであろうレベルだ。

「田村さん、だっけ?」
「あ、はい」
「私もこうから何回か話を聞いてる。桜藤祭までの間、よろしく」
「こっちこそ……って、桜藤祭までの間? だけっスか?」
「そういう約束だから」
「もったいないっス。こんなに上手い絵を描ける人、うちにいないっスよ!」
「ありがと。でも約束は約束。それにアニメのことはよく知らないし」
「んー……残念っス。それにしても――」
「それにしても?」
「こーちゃん先輩の話聞いて持ってたイメージと全然違っててびっくりっス」
「……そう」
「あ、れ? 永森先輩?」
「なんでもない。気にしないで」

 にっこりと笑って腰を上げ部室を出て行ったやまとの背後に、ひよりは何か赤黒いオーラのようなものを見た気がした。


 その後、同一人物のものとは思えない怒鳴り声が廊下に響いたのは言うまでもない。
 先ほど感じた穏やかな空気は……気のせいではなかったと思う。多分。

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