「逢瀬と誤解と交錯する想い」ID:CBZ > V5c0氏

かたかたかた。
リズムを刻むような子気味のいい音が、部屋の一室で鳴り続けている。


俺の名は、泉そうじろう。
幼なじみのかなたと結婚してこなたという一人娘を授かったのも束の間、かなたに先立たれ、それ以降はこうして娘のこなたと2人で暮らしてきた。
そこに親戚の小早川ゆたかことゆーちゃんが加わり、最近ではますます賑やかな我が家となっている。

我が娘は勿論、ゆーちゃんも娘に負けず劣らず愛らしい。そんな2人に囲まれながら、皆で仲良く和気あいあいと暮らしている俺はつくづく幸せモンだなぁ、と思う。
かなたのことは勿論今でもいとおしい。だがいつまでも悲しんでいるわけにはいかないし、やっぱり目先の幸せに男は目が行ってしまうものなのだ。

「ふぅ」

ぷつん、と接続の切れた音。
一応小説家として飯を食っている俺は、次の締め切りまでに大体のプロットが出来たことに満足すると、パソコンの電源を落としてとりあえず今日は休むことにした。
ベッドに潜り込み、布団をかぶる。どこかきな臭いような匂いが鼻腔に伝わってきた。
そういえばこの布団、最後に干したのはいつくらいだろう。今度の休みにでも干しておくか。

そんなことを考えつつ、今日仕上げたプロットの回想を頭に思い浮かべてうとうとと夢見ごこちな気分に陥っていく。
至福の刻(とき)の訪れだ。



草木も眠る丑三つ時。
深い眠りに落ちていたはずの俺は、何らかの違和感を感じて目を覚ました。

何らか、と言ったのは本当に自分でも何の違和感なのか自覚がもてないからだ。例えば蚊にかまれた部分がむず痒くて目が覚める。変な体勢で寝ていて体の一部に痺れを感じて目が覚める。
そんな、ハッキリとした理由は思い浮かばない。異変のようなものは何も見当たらなかった。

仕方なく、もう一度眠りに落ちようとする。しかしどうにも目が冴えてしまって、先ほどまで蛇のように身体中を取り巻いていた眠気が嘘のよう。
こうなってしまってはしょうがない。布団から這い出ると、居間へと向かうべく自室のドアを開けた。
ひんやりと冷たい居間の空気。流しに置いてあったコップを取ると、洗った後であることを確認して水道の蛇口をひねる。
冷たい水がコップの半分くらいまで注がれて、それを一気に飲み干した。

火照っていた身体を冷ますことに成功した俺は、もう一度睡眠を試みるために部屋へと戻った。
布団へ舞い戻ると、さっきとは打って変わってまたウトウトと眠くなる。何だかんだ言って疲れが溜まってるのかもしれない。
今度マッサージを受けに行ってみるのもいいかもしれないな。そんなことを考えつつ、再び至福の刻を迎えた。


『‥‥そー‥‥ん』

至福の刻を超えた先に待っていたのは‥‥懐かしい声。
あいつの夢を見るのは久しい。もう二度と逢えなくなってしまった当時は、そりゃ毎晩のように夢見てはうなされ、まだ小さかった娘の睡眠を妨げてしまってたものだが。

『‥‥そーくん』

自分の名前を呼ぶ声。このあだ名で呼ぶヤツなんて限られていた。
いや、それより何より、この聞き覚えのある‥‥優しく自分を包み込むような声。声なんて誰にでもたやすく真似できることではない。

『・・・かなたか』
『久しぶりね、そうくん。死んじゃった私が出てきたのに、驚かないの・・・??』

驚くもんか。昔はあんなに毎日悪夢のように出てきては、俺の睡眠を邪魔してきてたくせに。

『ハハハ、当たり前だろ。何回俺がかなたの夢でうなされてきたと思ってるんだ?』
『そうなんだ・・・じゃあ』

悲しそうな表情を浮かべたのも一瞬で、次の瞬間には悪戯っ子のような幼い表情と共に、自分の両頬がパチン!と勢いよく叩かれていた。



そして、また目が覚める。

いったい何だったんだろう。
過去に何度も夢には見たが、今みたいな全く意味の分からない行動を取るかなたは初めてだった。こうも惰眠を妨げられてはどうしようも寝付く気にならない。
しょうがない、仕事を再開させよう。明日の昼にでもまたゆっくり寝ればいい。こういったある程度の生活リズムの自由はこの職業特有のものだし、思う存分に生かしてやればいい。

そう思って、ゆっくりとかぶった布団ごと身体を起こした、その時。

「…目が覚めた?そうくん」
「・・・・・・へ?」

目の前にいたのは、真性のオバケでした。



「ひっ‥‥」
「ひ?」
「ひぎゃあああああぁあああぁぁむぐぅうっっ!!?!?」
「(こらそうくんっ!こなたやゆたかちゃんが起きるじゃない!)」

耳元で囁きながら、小さな手で力いっぱい自分の口を塞ぐ手。何度も何度も触れ、それだけでドキドキした手だ。
この感触は、紛れもなくあの頃のかなた本人のもの。

「はぁっ、はぁっ・・・」
「どう、少しは落ち着いた‥‥?」

こりゃ夢見も悪くなるわな。
しかもそのユーレイは、さも当たり前のように一人分の俺の布団の中で笑ってる。まるで今までずっと子供の隣りで添い寝をしていた母親のように。
ていうか、ユーレイでも布団に入ったら布団膨らむのか?それじゃあ実態と何も変わらないだろ。

「ほ、本当に、かなたなのか‥‥?!」
「はいはい、貴方の幼なじみで、小説の新人賞が取れなかったヤケ酒に何度も付き合わされて、誕生日に女の子のフィギュアをプレゼントされたあのかなたですよ」
「ぐはっ・・・」

幼なじみはともかく、後者の2つは確実に俺とかなたでしか知りえないことで。


「そ、それがまたどうして・・・まさか、俺を恨んでっ!」
「もぅ‥‥そんな訳無いでしょ?むしろ、私そうくんには感謝してるばっかりなんだから」

本人が姿を見せたことで思い出す。
あの頃、自分の力足らなさに大事な妻を死なせてしまったとばかり思って泣いていた日々を。

「引っ込み思案だった私をいつも引っ張ってくれて‥‥確かに、いつもそうくんが連れまわすところは決まって私が付いていけないような趣味の場所ばっかりだったんだけど、それでも楽しかった。
‥‥いつも、隣りにそうくんがいたから」

かなたはまっすぐに見つめてくる。
あぁ、この目だ。たとえ俺が何をしようとも一生かなう気がしない。

「ありがとう、そうくん。私‥‥短い間でも、貴方といれて幸せだった」

やっぱりかなたは・・・・・・俺にとって、最高のパートナーなのだ。



久しぶりの二人の布団は温かい。まるで結婚して間もない頃に戻ったようだった。
ほのかに灯っている豆電球の光は厳かで、相容れない二人を結びつけた神聖なるこの夜を守るかのように見える。
かなたはというと、俺も今まで見たこと無いくらいの笑顔でニコニコしながら俺のとなりにいた。久しぶりの逢瀬が相当に嬉しいのだろう。勿論俺もだ。

「でもかなた、今日はどうしてまた戻ってこれるようになったんだ?」
「うん・・・多分、そうくんと同じ。ずっとそうくんが心の底で後悔してるんじゃないかって思ってたら、中々成仏できなくて」

まるで漫画の世界に足を突っ込んだかのようなことを平気で言うかなた。そりゃ話には聞いたことがあるけど・・・。

「やっぱりかなたも、俺が自分を責め続けてる姿を見て苦しんだりしてたのか・・・?」
「うふふ、まぁ・・・ね。そうじゃなかったら、こうして自然の摂理に反してこの世に留まり続けたりなんて出来ないわ」

苦笑いの奥に潜んだ無邪気な笑顔。それは今も昔も変わらない。
俺が生まれて初めて、強く、強く守りたいと思ったものだ。

「そうか・・・すまんな、かなた」
「気にしないで、そうくん。これで私もやっと成仏出来そうだから。それより‥‥こなたは元気?」
「あぁ、元気だぞ。今ではすっかりゆーちゃんのお姉さんだ」


かなたに本当にそっくりに育ち、一日一日の成長が楽しみな愛娘の話題が出る。
こなたのことだったら何時間話しても飽きないだろう。今はいないかなたに勝るとも劣らないくらい、俺が守りたいと思うものなのだから。

「結局、私に似て小さく、そうくんに似てオタクな子になっちゃったわね・・・」
「おいおいコラコラ!自分の娘をそう悪く言うなっ!!」

ため息をつきながら憂いの目を見せる。時々飛び出してくる毒舌も健在のようだった。

「でも、ちゃんと大きくなったのよね・・・?」
「そう‥‥だなぁ。でも女手がいない、っていうのは大変だったぞー?初めてこなたが女の子の日を迎えた時なんか‥‥ハハッ、今思うとアレは傑作だったなぁ」
「‥‥どうしたのよ?」

あ、少し睨みつけるような、いわゆるジト目になってるぞ。
かなたはこういう話、苦手だったっけ。

「こなたはこなたで今まで見たこと無いくらいに恥ずかしがるし、俺は俺で夜のコンビニに走って生理用品を買い占めてきて、店員に変な顔されたりな。
それでもまさか俺がこなたのパンツの中を見るワケにいかないし、こなたは一人じゃ分からないみたいで‥‥後になって、ゆいちゃんとかに相談すればいいのを思いついたんだっけ。
どうすればいいか電話して、夜中なのに家に来てもらって・・・こなたは初めてのことでやっぱりビックリしたんだろうな。恥ずかしいのと驚きとでずーっと泣きそうな顔してたし」
「ふふふ、あの子も女の子ですもの。普段のんびりしててもやっぱり恥ずかしいわよ」

夜の静寂(しじま)は決して俺とかなたの会話を邪魔することなく、静かに見守り続けている。
あの時の自分の慌てようを思い浮かべて、俺は少し恥ずかしくなった。

「私も初めての生理は遅い方だったから、こなたにちゃんと来てるかどうか実は心配だったの。オマケに普段はあんなだし、恋愛だってゲームだけで奥手みたいだし、女の子らしいところもあまりなくて‥‥」
「ハハ、本当かなたは昔から恋愛話が好きだったよなぁ。俺はリアルの恋愛話はちょっと苦手だったし・・・まぁかなたの恋愛話を聞いてたお陰で、
今書いてる小説でもサイドストーリーとして恋愛話を書くことが出来るのかもしれないけどな」
「本当にあの子、見た目だけは私そっくりになっちゃったわね‥‥身長だって胸だって、私に似て小さいままだし・・・」

そう言って、両手を無い胸へとやるかなた。
その仕草にどきんとしてしまったのは、好きな人の一面だからか、それとも俺がロリコン(でもある)だからだろうか。

「ハハ、大丈夫だって。さっきかなたが言った通り、こなただって女の子なんだぞー?○○○とかちょっとツンってしただけで感じるみたいだしな」
「ちょっ、そーくんっ!!!ってゆーかいつの間にそんなことしてたのよっっ!!」

血相を変えてかなたが詰め寄ってくる。あ、ちょっと怖いかも。
やっぱり嫉妬して‥‥じゃないか。まぁ人としては相当ダメな行為だしな。当然今まで誰かに話したことなんてない。

「ち、違う違う。アイツ夏とかだと家ではノーブラだろ。だから畳の上とかで一緒にお昼寝してたらチラッと見えて・・・それでちょっと悪戯を」
「それでも一緒ですっ!!私の知らないところでそんなことを・・・!」

やばい。かなたが怒ったまんまだ。
折角こうしてまた再会できたのにこれじゃ台無しになってしまう。ただでさえ、かなたは一度機嫌を損ねたら中々直らないタイプだというのに。まぁ、その分普段は寛大なんだけどな。

くそっ、こういう時の常套手段といったら‥‥!

「まぁまぁかなた、あれはちょっと興味が湧いただけであって、あの時一回きりだったしさ。それより折角久しぶりに会えたんだから、夜にやることといったら・・・」

かなたの腰へと片手を潜らせる。
それを支えに引き寄せて、何年ぶりかのかなたの唇を味わ───

「───っ!実の娘に手を出すなああぁっ!!!!」
「ごふうっっ!」

冬眠中のクマも目を覚ましそうな絶叫と共に、強烈な掌底が右頬に叩き込まれていた。









問い。何故俺は夜中に自分の布団の上で正座をしているのか。
答え。娘に手を出しそうになったから。
   詳しくは既に出していて、片足だけ犯罪の領域につっこんで「極楽、極楽~☆」と言っていたようなものだから。


というわけで、俺は見事に騙された。
幽霊なんていない。そこにあるのはただの実体‥‥もっと言ってしまえば、自分の娘そのものだった。

「・・・とりあえずさ、何か言うことがあるんじゃないの?」
「・・・すいませんでした」

まさか娘にこれほどの恐怖を感じる日がこようとは思いもしなかった。稲妻と例えていいほどの怒りのオーラが、身体から迸(ほとばし)っているのを感じる。
頭につけていたテープらしきものをびっ、と乱暴に引っ張る音。切れた数本の髪の毛がテープに引っ付いている。頭のてっぺんを見ると、遅れてびよーんとバネのようなアホ毛が一本、飛び出してきた。

「いやぁ、暗がりだとこれだけでも区別付かなくなるもんなんだね~」
「‥‥って、お前そういえば目元にある泣きボクロはどうしたんだっ?」

言われて、目元を右手でこしこしとこするこなた。
それが終わると同時に姿を現した、一点の泣きボクロ。

「私も“一応女の子”なわけだし?化粧道具くらいもってるワケ」

こすった手でヒョイとポケットから取り出したのはスティックコンシーラー。確か顔のシミとかを消して見えなくする道具だったか。

「で、でもこなた・・・父さんはお前にヤケ酒の話とか誕生日プレゼントの話とかした記憶ないぞ‥‥?」
「何言ってんのさ、おとーさんのフォト&ムービーマニアっぷりは今に始まったことじゃないでしょ。
こないだ返すビデオを探してたら偶然発見しちゃったんだよね~。いやぁ若かりし頃の2人が見れて良かったよ~うんうん」

得意げににんまりとする、まだいつものこなたに近い表情。だかそれも長くは続かなかった。

「・・・でさぁ、まだ白状して謝らないといけないこと、あるよね・・・?」
「‥‥‥はっ?」

予想外の発言に、一瞬頭がフリーズした。そのため何のことだったかさっぱり思い出せない。
俺がオロオロしているのに痺れを切らせたこなたは、ぼそり、と呟くようにして言った。

「・・・私がお風呂入ってる隙に、お父さん居間からいなくなってさ。どこに行ったかと思ったら私の部屋で何かしてるの見つけたんだ。正確にはタンスの前で。‥‥覚えてる?」
「‥‥‥あ」

思い出した。
何がきっかけだったかは覚えてないが、こなたの今の胸のサイズが気になって、それで一回だけ、こなたが風呂入ってる隙にこっそり・・・。


「普通に聞いても多分知らんぷりするだろうから、自然に聞きだせるようにこんな作戦を思いついたんだけどさ‥‥私が聞きたかったこととは違う余罪が出てきちゃうし」

次に見た娘の目には、今にも溢れ出しそうな雫が溜まっていた。

「私がどれだけショックだったか、おとーさん分かってんのっ・・・!?オタクだしエロゲもするおとーさんだけど、犯罪にまで手を染めるよーな人じゃないってずっと思ってたのに‥‥
それなのに、裏切られて・・・もうわたし、何を信じていーのかわかんないよっ・・・!」

何を信じていいのかわからない。
その言葉を聞いた瞬間、心がずくんと大きく揺れた。

まるでナイフか何かでぐさりと貫かれたような衝撃が走って、身体がぴくり、と痙攣する。
確かに自分では日常生活のちょっとした出来事に過ぎなかった。でも“女の子”である娘にとって、それは絶大かつショックな出来事に他ならないわけで。

前と同じような信頼は得られないかも知れない。でもやるしかなかった。



「‥‥‥わかった。お父さんも、もう全部ぶちまける。こなたさえ良ければ、聞いてくれないか」
「‥‥うん‥‥」

溢れてくる涙をどうにも止められずに苦労してる娘に、少しでも慰めになればと思った。

「まず、これだけは最初に言っておく。お父さんな、いつもお前のことを本当に可愛いとは思っているが‥‥変なことをしてやりたいとか、そういう風に思ったことは一度も無い」

それは形の無いもの。でも、自分の心にある真実だ。
今は信じてもらえなくても構わない。大事な娘を傷つけたのは、自分自身なのだから。

「さっき布団の中で話したこと‥‥アレは、その・・・こなたを傷つけた後でこういうことを言うのは本当に言いにくいんだが、全く何の悪意も無い、ただの悪戯なんだ。
言い訳になるけど、今思えば自分でも寝ぼけていてふと目に付いたんだと思う。こなたの気持ちなんて考えず、何となく悪戯感覚でやってしまったんだ‥‥本当に、すまない」

薄い肌色の中に一つだけある、異った色のピンク。
一点だけそこにある異なる色が少し気になってしまって、ふいに手を伸ばした。
触れた後にそれが何なのか気付いて、少しだけ反応した娘を『やっぱり女の子だなぁ』なんてのんきに思いつつ、再びまどろみの中へと落ちていく。

‥‥今思えば、娘のことを全く省みない最低な行為だ。何で行動に移す前に気付かなかったのか、自分が嫌になる。


「次にタンスの件なんだが、あれは‥‥」
「・・・あれは?」

‥‥確かやましい理由ではなかったはず。
だがどうしてそういう経緯に至ったか、その理由が全く思い出せない。
困った。ぶちまけると決めた父がこんな隠し事をしてるような態度では、もう本当に娘からの信頼を得られなくなってしまうかもしれない。
手にじんわりと嫌な汗を感じる。頭が真っ白になって、緊張と焦りで一秒が数分にも感じ始めた時───

「───あっ」

思い出した。こなたのタンスを開いてブラのサイズを確かめてた理由。

「あの日、かなたの命日だったのを覚えてるか?」
「‥‥うん」

父はきっと正直に話してくれている。
雰囲気で何となくでもそれを感じてくれたのか、こなたは俯きながらも一生懸命俺の話を聞いてくれていた。

「かなたは昔から恋愛の話が好きでな、自分に胸がないことを嘆いて恋愛の妨げになってた時期がある、って何回か話してくれたことがあるんだ。
それで生まれてきたお前に、『この子には私なんて比べ物にならないくらいの胸があって、思う存分恋愛の出来る子になってほしい』ってことをよく言ってて・・・」

思い出した。鮮明に蘇ってくる記憶。
まだこなたが生まれて間もない頃。冗談を言い合ってた時にベッドの上のかなたが放った、さり気ない願いの言葉。
『勿論五体満足なのが一番なんだけどね』と、後で優しく付け加えたあの表情を。

「かなたのことを考えたら、ふとそんなことを言ってたな~なんて思って、それでちょうどこなたが風呂に入ってたもんだから、男親が娘本人に聞くのもセクハラだろうし、この隙にちょっと確かめてみようかと思ったんだが‥‥」

俺がスランプだった時、変なプレゼントをあげた時、娘が誕生した時。かなたは、本当にいつも自分の大切なもののことを想っていた。
あの小さい身体で無理をして、本当に頑張って生んだ子供に無償の愛を注ぎ続けて。

「かなたの願いが、少しでも届いてたらいいな・・・って」
「おとー・・・さん?」

右手が熱い。
手の甲には、目から零れ落ちたものが水溜りを作っていた。
おかしい。ここは俺が涙を流すような場面ではないはずだ。傷つけられたこなたならまだしも、加害者である自分が涙するなど。

「・・・っ、かなた、かなたぁ‥‥」

湧いても湧いても留まることなく湧き続ける、自分の涙と、そしてかなたとの思い出。
眠りに落ちていた自分の隣りに現れたのは、いつの日だったか『お化けでもいいから会ってみたい』と切実に願っていたかなた・・・ではなかった。
しかしかなたが残してくれた娘は、あまりに亡くした人に似すぎていて。

その姿は、思い出の引き出しに固く掛けられた鍵を、突き破る勢いで外していく。もう記憶のかなたへと飛んでしまってたこと、思い出さなくてもいい辛い記憶も全て蘇ってしまう。
さっきまで泣いていた娘が泣き止んだ代わりに、俺の方がもう嗚咽につぐ嗚咽で言葉にしたくても出来ない状態になってしまった。

「まぁ、でも・・・」

見かねた娘が、座って泣きじゃくっている俺に合わせてしゃがみ込んでくる。

「一応悪気もなく、やましいことを考えていたわけでもなく、反省もしてるんだし、次やったら本当に許さないってことも分かってくれただろうし、おとーさんが私のことを大事にしてくれてる、ってことも分かったから‥‥」

おもむろに顔を上げる。
そこに入ってきた、先ほどと同じく強烈な拳。

「これくらいで許したげるっ!」
「ぐわっ…」

鼻水と少しの鼻血を空中に放ちながら、三度目の至福の時を迎えた。
最後に目にしたのは、迫っている日の出の僅かな光を背に去っていく、娘の姿だったような気がする。



かなた。俺もアイツも、やっぱり人間だからさ。
道を踏み外すことは多いけど、少なくともこうやってお互いに修正し合って生きていける仲だから。
だから俺たちのことは心配しないで、お前はゆっくり成仏してくれよな。

今でも俺は、お前のことが大好きだからさ。思い出くらい、守って生きたいからさ。
せめてお前の元へ逝く、その時くらいまでは。







「‥‥でもこなた、お前意外と演技とか上手いんだな~。あそこまでカンペキだと、逆に誰も騙された俺を責められないんじゃないか?」
「ふっふーん、何回もビデオを見直して練習した甲斐があったってもんだよ。ハ●ヒのモノマネとかだったらもっと上手だよっ」
「まぁ、声マネも上手かったんだけどな。何より人物に入り込んでるというか‥‥普通、『俺のことが心配で成仏できなかった』なんてただモノマネしてるだけじゃ浮かんでこないセリフだろ~」
「うーん・・・」
「どうしたんだ、こなた?」
「それがさ‥‥あの時に言ったこと、あまり覚えてないんだよね~」
「‥‥‥は?」
「叫んだおとーさんの口を塞いで、おとーさんが自白するような流れに持っていこうとした意識までは覚えてるんだけど・・・あとは何か全然覚えてないんだよね。やっぱり寝ぼけてたのかな?」
「おい、それって・・・・・」



『全く、本当にいつまで経っても世話の焼ける人たちなんだから・・・』




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最終更新:2008年03月27日 23:57
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