ID:lQYV2Mg0氏:時をかける青い髪の少女

人生で最も青春したなぁって思った瞬間がいつかと聞かれれば、
私は真っ先にあの文化祭のことを言うだろう。
中学のとき、引っ込み思案で人との関わりが苦手だった私は、
自分に青春なんて言葉はないんだろう、と思っていた。
友達と呼べる存在も、あまり多くなかった。

しかし、陵桜に来て、私は初めて心から解り合える「友達」と出会えた。
彼女たちとずっと過ごして、そして解ったこと。
それは、青春というものは誰にでもある、ということだった。

文化祭が終わって、私たちの友情は更に深まっていた。
みさきちや峰岸さんたちとよく話すようになったし、
ゆーちゃんたちも時々私たちの教室を訪ねてくるようになった。
そして何よりも、私たち4人はこれまで以上に仲良くしていた。

 

「ほい、じゃー席につけー」

黒井先生が教室に入ってきた。今日の最初の授業は、世界史だった。
右手には、大量の紙が握られている。

「え、先生、まさかそれって…」

クラスの男子が焦りながら尋ねた。
黒井先生はニヤリと笑って、

「せや。今から抜き打ち小テストするでー」

と言った。その瞬間、クラスから大ブーイングが飛んだ。もちろん、私も飛ばした。
つかさは顔を青くして震えている。
みゆきさんは余裕そうだった。チッ、憎いね。


テストはもちろん散々だった。もともと予習、復習などしない上に
今授業で扱っているところは実に複雑で、みゆきさんですら頭を抱えているらしい。
一夜漬けなんてもんじゃない、三日三晩漬けこんでもできるかどうかわからない。

だから、ふて寝してやった。もちろん黒井先生から天誅が下ったけど。

3時限目、体育。今日はこの時を楽しみに学校に来ていたものだ。
体育館でバスケットボール。私は球技の中でバスケが一番得意だった。
まだ少しズキズキと疼く頭を気にしながら、私はコートへ入った。

ゲームの最中、私にパスが回ってきた。
ドリブルで前へとボールを進めていると、声がした。

「危なーい!!」

声のするほうへ顔を向けると、目の前には巨大なボール。
と思ったのもつかの間、私とボールは見事な接触事故を起こした。
私はコートに倒れた。と同時に、さっき天誅が下された部分を硬い床にぶつけてしまった。
目の前に星が飛んだ。

「こ、こなちゃん大丈夫!?」

つかさが自分のゲームをそっちのけで私に駆け寄ってきた。
みゆきさんも駆けつけてくれる。クラスの皆も心配そうに私を見ていた。

私は痛さを我慢して起き上がった。

「へ、平気平気。でもちょっとクラ~っとするから、抜けるね」

そう言って、私は頭を押さえながらコートを出た。
バスケットボールが、「ざまぁみろ」と言っている気がした。
なんとなく腹が立ってきたので、バスケットボールを蹴飛ばしてみた。

それは壁に跳ね返って、再び私の顔面に激突した。

「ふぎゃ」と我ながら情けない声を上げながら、私はまた倒れた。


その時、右肘に何かが触れた。


と同時に、私の目の前の景色が歪んだ。

歪みは瞬く間に酷くなり、やがて別の景色を映し出した。
雲ひとつない青空、真下には地平線の彼方まで続く大海原。
その景色の中を、私は超スピードで飛行していた。
声が出ないほど美しい景色だった。瞬きも忘れるほどだった。

とはいえ、目が乾く。瞬きを一度。

その瞬間、目の前の景色は体育館の天井に戻っていた。

そして、また頭に鈍痛が走る。
今度は心配する声と同時に、私を笑う声も混じっていた。
私は恥ずかしくなって、俯いた。

昼休みになった。私たちはいつも通り机を付けて4人でお弁当を食べる。
これだけ不運が続いてると、そろそろいいことがあってもいいんじゃないかと思う。

「こなちゃん、今日何かツイてないよねぇ~」
「うーん、そうだね。テスト散々だし、バスケで怪我するし…」
「テストはあんたのせいだけど、怪我は大丈夫なの?」
「頭を強く打たれたんですよね? やはり保健室で寝ていたほうが…」

みゆきさんが少し心配そうな顔をした。
でも、どちらかというと黒井先生の鉄拳の方が頭に響いていたので大丈夫だった。

「だいじょーぶだいじょーぶ。それに、こんだけツイてないと今度はいいこと有りそうじゃん?」

私は笑った。それにつられて3人も笑う。

「でも、二度あることは三度あるとも言うわよ~、また何かあるかも…」

かがみがニヤニヤして私を見てくる。

「もぉ、かがみん、今いい雰囲気だったのにぃ…KY」
「そのセリフ、そっくりそのままあんたに返すわ」


私の毎日は、こうやって過ぎていく。
つかさやみゆきさんと話して、かがみと絡んで、家ではゆーちゃんやゆい姉さん、お父さんと楽しく過ごして。
時間がもし可逆なものだとしても、私は絶対に戻さない。
まぁ、時間はもともと戻せないんだけどね。


帰り道。
私はかがみたちと別れ、一人帰路についた。
最近太陽が沈むのが少し早くなってきた。冬が近いことを教えてくれているようだった。

「あ、忘れ物した」

かがみに返してもらった漫画を、そのまま机の中に入れっぱなしだったのを思い出した。
無駄に軽やかなステップを踏んで、私は180度体を回転させた。
携帯を取り出し、時間を見る。3時40分。
見たいアニメが始まってしまう。私は、ジョギングで学校へと向かった。

学校から少し離れた道路。
次の曲がり角を右に曲がれば、学校の通りに出る。

「おー、泉。どうした。忘れ物か?」

曲がり角のところに、黒井先生がいた。

「はい、そうです。かがみに貸した漫画、忘れちゃって…」
「勉強道具じゃないんかい…。ホンマにお前は…」

黒井先生が私を見て呆れたような顔をした。
私はそれを尻目に、電信柱に手を掛けて体を遠心力に任せて回転させた。


そのときだった。


目の前に、この狭い通りに不似合いなトラックが現れた。

もちろん私は反応する余裕などなかった。


私の体は、飛んだ。


「おい、泉! 泉!」

黒井先生が私をすごい形相で見ていた。
薄れていく視界の中で、ぼやけていたが辛うじて確認することが出来た。


目の前が真っ暗になる。
体を動かそうとしても力が入らない。
…これが、死ぬって事なんだろうか。

あぁ、こんなことなら今日学校に行かないでネトゲに浸かってればよかった。
マンガを読み漁ってればよかった。
お父さんやゆーちゃんともっと話すればよかった。

かがみやつかさ、みゆきさんたちともっといっぱい遊べばよかった…。

お父さん、ゆーちゃん、ごめんなさい。
かがみ、つかさ、みゆきさん、今までありがとう。
お母さん、今からそっちに行きます…。

目の前が突然明るくなった。
と同時に鈍い痛みが私の額に走る。

「いったぁ…」

額を押さえて、私はうずくまった。電信柱にぶつかったようだった。
と、同時に一つの疑問が浮かぶ。

「…何で生きてんの、私?」

そう言うと同時に、私を撥ねたのに似たトラックが通っていった。

「あれ? あれ?」

私は混乱した。
確かに、私はさっきトラックに轢かれた。痛みもあったような気がする。
でも、体を見ても怪我の跡はない。
胸に手をあててみる。心臓は相変わらず鼓動をしている。生きているのは間違いないみたいだ。

「おー、泉やないか」

黒井先生が私を見つけて声を掛けてきた。

「なんや、電信柱にぶつかったんか? ボケっとするのも大概にしときや」
「あ、あのっ! 黒井先生っ!」
「な、何やねん」

黒井先生のスーツを掴んで、私は必死に今起こったことを話そうとした。
上手く舌が回ってくれない。

「えっと、その、わ、私生きてますよねっ?」
「何言うとるんや。死んでたら、お前が今ウチの前に立っとるわけないやろ?」
「そ、そうですよね…」

何が起こったか全く理解できない。私は頬を思い切りつねった。痛い。

「やっぱ夢じゃない…」
「早く家帰るんやで。期末テストが今日みたいに悲惨やったらマジでぶん殴るからなー」
「あ、はい。さようなら」

黒井先生が立ち去った。
とりあえず生きているのは間違いないようなので、学校から漫画を持って帰った。


家に帰ってからも、なかなか落ち着けなかった。
私は死んだはずだ。それも、相当酷い事故で。
あれは幻なんかではない。確かに私はトラックに撥ねられたのだ。
あれこれと考えて、一つの結論にたどり着いた。


…もしかして、私、過去にワープした?

私は、可能性をとことん追求してみることにした。
まず、時間を確認。ベッドに乗る。
深呼吸を二度、三度。両手を広げる。
目を閉じる。
そして…大きくジャンプ!


私は膝を床に強打した。


「あ、いったぁ…」

鈍痛が膝を駆け巡る。
今日だけで体を何回打っただろう。そんなことを考えていると、ゆーちゃんが部屋に入ってきた。

「お、お姉ちゃん、今の音どうしたの?」

私は恥ずかしくなった。

「い、いや、なんでもないよ。気にしないで」

ゆーちゃんは心配そうな顔をしながら部屋を出て行った。
私は不時着した状態のまま、少しの間考えた。

やっぱ、トラックに撥ねられたときみたいに死ぬかもしれない状況じゃないと無理なのかな。
窓を開ける。外は少し冷えていた。後ろを振り返って、時間を確認する。
5分前ぐらいに戻ってみようかな。窓から身を乗り出す。

「お姉ちゃん、ダメぇっ!」

後ろから声がした。私は心臓が飛び出そうになるほど驚き、窓から本当に落ちそうになった。
声の主は、言うまでもなくゆーちゃんだ。私を両手でがっしりと掴んで、窓から私を引き摺り下ろした。
ひと段落して、ゆーちゃんはしばらく肩で息をしていた。

「お姉ちゃん、死んじゃやだよぉ。何か嫌なことあったの? 私、力になるよ?」

すごく真剣な眼差しで、ゆーちゃんは私を見つめていた。目にはうっすら、涙を浮かべている。

「別に死のうとなんてしてないよ。泣かないでよ、ゆーちゃん。別に何もないから」
「本当に? 本当に何もないの?」

ゆーちゃんが今度はひっく、ひっくとしゃくりあげ始めた。
だめだ、このままじゃラチがあかない。

「大丈夫だって。私、ちょっと出かけてくるから」

心配そうに私にくっついてくるゆーちゃんを尻目に、私は家を出た。

家の近所にある公園。私はそこのベンチに腰掛けて、考えを巡らせた。

時間を遡ることなんてできるわけないじゃん。
私、何考えてるんだろう。
いや、でも実際にワープしたわけだし…。

ぐちゃぐちゃと色々なことが頭を回って落ち着かない。


…うん、もう一度試してみよう。


公園の時計をチェックする。5時36分だ。
そこそこ長い階段の前に立った。
近くでは、遊具に戯れる子供たちの声が聞こえる。
心臓が高鳴ってくる。
助走距離をとった。

「唸れ、私の足!」

意味もなく掛け声を出して、猛ダッシュする。

階段の1メートル手前で、私は踏み込んだ左足に力を入れて、跳んだ。

「うおぉぉぉぉ…」

怖くなって、目を閉じた。

 

「うわあぁぁぁっ!」

私は、何か硬いものに激突した。

「いったぁ…」

何度目かと数えるのも面倒くさくなってきた。
頭を押さえながら立ち上がると、そこは見慣れた部屋。

「…私の部屋だ」

時計を見る。4時27分。
反射的に、この時間帯にいつも自分がしていた行動を思い出した。

「あ、見たいアニメあったんだ」

TVをつけると、聞きなれたオープニングテーマに乗せてキャラクター達が愉快に動いていた。
そして、私は確信した。

「私、飛べんじゃん。…飛べんじゃん!」
時間を飛び越える能力。マンガの中の話だと思ってた。
でも、実際今、私は時間を飛び越えられる。
これなら、何でもできる。なんなら、今までの失敗を取り返す事だって…。

「あ、そうだ」

私はあることを思いついた。
そして、今朝まで時間を飛び越えた。

 

「ほい、じゃー席につけー」

黒井先生が教室に入ってくる。右手には、大量の紙。

「え、先生、まさかそれって…」
「小テストですよね? 先生」

私は得意げな表情をしてみせた。
黒井先生がこっちを見て疑問の顔を見せる。

「せや。泉、よく解ったな。予知能力でも見につけたか?」
「まさか。私生まれ変わったんですよ。テストばっちりできるように、復習カンペキにしてきました」

ウィンクとガッツポーズを同時に黒井先生にお披露目する。
黒井先生は少し戸惑っていたようだが、

「…ま、まぁ、ええわ。机並べろー。カンニングしたもんは罰として歴史上人物に関するレポート提出や」

ブーイングが飛ぶ。前よりも大きいブーイングだ。
もちろん私はブーイングなど飛ばさない。だって…


「満点!? こなちゃん、すごいね!」
「まーねー」

問題わかってたし、という言葉を飲み込んで私は言った。

「私でも満点は無理でしたのに…。泉さん、素晴らしいですね」

みゆきさんが笑顔で私を称えてくれた。いやー、ありがたいね。
満点取るのがこんなに嬉しいことなんて、初めて知った。

「うー…こなちゃんまで勉強できるようになっちゃったら、私困っちゃうよぉ…」

つかさが俯いて悲しそうな声を出した。私はつかさの肩を叩いた。

「大丈夫、次のテストは出る問題教えてあげるって」
「え?」

つかさが顔を上げて、いかにも不思議そうな顔で私を見た。

3時間目、体育。バスケットボールだ。
ドリブルでボールを進めていると、横から声。

「危なーい!!」

私は左手を顔の横へと出した。
左手に感触が伝わる。ボールを受け止めたのだ。

「ほいっ」

そのまま左手をまっすぐ押し出して、ボールを投げ返す

「いよっと!」

そして右手でゴール下へドライブイン、ランニングシュートを決める。
周りから歓声と拍手が沸き起こった。

「すげぇ、泉」
「泉さん、すごーい」

思わず踊りだしてしまいそうな快感。いやぁ、何とすがすがしいことか。
私はクラスメイトの歓声に酔いしれながら、試合を続行した。

試合の流れを全て把握していた私は、結局一人で20ゴールを決める大活躍をした。

 

「なんかこなちゃん、今日すごいよねー」
「うーん、そうだね。テストできたし、バスケすごく調子よかったし」
「あんたが世界史のテストで満点取るなんて…明日は槍、いや矛かしら?」
「かがみさん、それは言いすぎでは…」

いつも通り、4人で机を付けて昼食。
しかし、今度はどこも痛まないし、悔しい気持ちも感じない。
すごく幸せな気分だった。

 

帰りはちゃんと漫画を鞄にしまい、鼻歌を歌いながら家へと帰った。

 

何もかもが上手くいった。私の思い通りに。
こんなに楽しい一日は、人生の中で初めてかもしれない。そう思った。


それから、私はこの能力を使って自分の思い通りに日常を過ごした。

使用例、その1。


「お姉ちゃん、遅刻しちゃうよー?」

私は重い瞼をむりやり持ち上げ、時計を見た。

「ん…あぁっ! もうこんな時間!?」

もう7時30分を回っていた。普段ならこの時間に家を出ている。

「さっきから何回も起こしたのに…」
「ご、ごめんゆーちゃん、先に行ってて!」

私はゆーちゃんが立ち去るのを見届け、廊下へ出た。
助走距離をしっかりとって、思い切り駆け出してジャンプ!


壁に激突。もう痛いのは慣れてきた。…って、何かマゾに目覚めたみたいな言い方だけど。


もちろん、時間は戻っている。いつも起きる時間に。

 

使用例、その2。

「あの、これください」
「あ、すいません、それ前のお客様で売り切れちゃったんですよ」
「えぇっ!?」

すぐに助走距離をとって、ダッシュ。

「はぁ、はぁ、これ、ください」
「はい、こちらですね。7000円になります」

私は財布からお札を取り出し、店員に渡す。

「ありがとうございましたー」

私は、限定版フィギュアを大切に鞄にしまった。
これと同じ手口で、私は限定品を買い漁っていった。

使用例、その3。

「問題です。雷のことを俗に『稲妻』と言いますが、その由来はなんでしょうか?」

クイズ番組。私たちは、3人揃ってしかめ面をした。

「えー、こんなのわかんないよぉ」
「そうだな、これは流石にお父さんもわからんなぁ」
「みゆきさんなら知ってるかな」

3人で悩んでいると、司会者が答えを発表した。
それをしっかりと覚えて、私は廊下に出て、ダッシュした。

 

「問題です。雷のことを俗に『稲妻』と言いますが、その由来はなんでしょうか?」
「えー、こんなのわかんないよぉ」
「そうだな、これは流石にお父さんもわからんなぁ」

私はテーブルを拳で軽く叩き、得意げな顔をする。

「実はね、古代信仰では稲がなるときに雷が多かったから、雷の光が稲を実らせるって言われてたんだって。
 で、『稲の妻』みたいな存在だから『稲妻』って言うんだよ」

司会者が、答えを発表。間違えているわけがない。

「お姉ちゃん、すごーい!」
「すごいな、こなた。どこで知ったんだ?」

褒められるのが照れくさい。私は頭を掻いた。

「いや、まぁ、知ってて当然?」

当然な訳ないのだけれど、私は胸を張って言い切った。

 

こんな感じで、私は自分の意のままに時間を飛び越え、そして自分が得をするように日常を過ごした。
そんなある日のことだった。

私が登校して上履きを取り出すと、下駄箱の中から1通の手紙がはらりと落ちてきた。
それを拾って、中を見る。

「泉へ 今日の放課後、屋上で会ってください」

丁寧な字で書いてあった。私は赤面して、その手紙を鞄にねじ込んだ。
生まれて初めてもらったラブレター。いや、ラブレターと決まったわけではないけど。
でも、体が火照るのがわかる。こんな経験は初めてだからだ。
その日の授業は、上の空だった。黒井先生の授業は今日はなかったので、特に鉄拳を食らわされることもなかった。


かがみたちに相談できるわけもなく、放課後。


屋上で静かに待っていると、ある男子が駆け寄ってきた。
クラスメイトでもなんでもない、赤の他人だった。

「ごめん、泉…。待たせた?」
「…ううん。待ってないよ」

相手の顔を見ることが出来ない。俯いて、私は小声で返事をした。

「…話って、何?」
「うん。…俺さ、泉のことが好きだ」

この展開はギャルゲーとかで何度も経験していたけど、実際自分が体験するとなると何も言えなくなってしまう。
私は、ゆっくりと顔を上げた。返事は考えていなかった。
相手の顔を見る。とても優しそうな顔。
さっきは思い出せなかったけど、彼とは何度か顔を会わせたことがある。
話もした。そのときはただ、いい人だなと思ったのだ。

「泉、付き合ってくれ」

付き合うのか、付き合わないのか。頭の中の葛藤はなく、答えは私が思ったよりもすんなりと出てきた。
翌日の昼休み。
いつも通り4人でお弁当を食べていると、昨日の彼がやってきた。

「泉、ちょっといいか?」
「あ、うん。今行くね」

私を除く3人がきょとんとする。まぁ、無理もないだろう。
私は、彼と付き合うことにしたのだった。何故かはよくわからない。
でも、男性と付き合うことがどんなことなのか知ってみたかったのだ。

しかし、彼と付き合うことで失うものはあまりにも大きすぎた。

いつもの4人で過ごせる時間が、短くなってしまったのだ。
登下校はいつも彼と一緒。昼休みもそうだ。
話せる時間は短い休み時間の間だけ。その時間を使ってつかさやみゆきさんと話そうとするが、何故かぎこちなくなってしまう。
私たちの関係は、自然と薄くなっていった。

彼とは毎日会っている。別に嫌ではない。付き合っているから。


でも、私にはもっと大切な友達が必要なのだ。


「…駄目だ。あの時に戻って、ちゃんと断ろう」

私は時間を飛び越え、あの日の放課後に戻った。


「泉、付き合ってくれ」

相手の真剣な顔を見ていると、断るという気持ちが薄れていってしまう。
私は、また俯いてしまった。言葉が出てこない。

でも、駄目だ。ちゃんと断らないといけない。
私は、かがみや、つかさや、みゆきさんたちと毎日を過ごしていたいんだ。

「…ごめん。私、付き合うとかそういうのは考えられない…」

彼は私の言葉を聞くと、少し肩を落として、溜め息をついた。
それから笑顔に戻って、

「そうだよな。柊たちと一緒にいたいんだろ?」

と言った。私は黙って頷いた。

「時間とって悪かったな。それじゃ」

彼は後ろを振り返ると、そのまま校舎へと消えていった。


…これで、本当に良かったのだろうか。


一度は付き合った男性。人生で初めて異性と付き合うということを知った。
でも、私は時間を戻して「彼と付き合う」という出来事を無かったことにした。
もちろん、彼は私と付き合ってはいないし、私も異性と付き合ったことはない。
全てをリセットし、何もない状態に戻ったのだ。

彼の悲しそうな笑顔を思い出す。
生まれて初めて、私のことを好きになってくれた人。
その人の気持ちを、私は弄んだのだ。

自分が嫌になった。
自分の都合のいいままに事を運んだ自分が嫌になった。

 

それから、私は時間の跳躍を少し控えることにした。
他人が絡むことに対してこの能力を使うのは、人の気持ちを弄んでいるようで嫌だから。

 

それから、私の日常は能力を得る以前の状態に戻った。
失敗もすれば成功するときもある、この日常が、やっぱり一番いいのかもしれない。

「…ねぇ、かがみ。もし時間を思い通りに飛び越えられるとしたら、何する?」

ある暖かい日の昼休みに、まどろみながらかがみに聞いた。
かがみはわざわざ私の正面の椅子に腰掛けて、返事をしてくれた。

「そうねぇ…。今までにした失敗、全部取り返したいな。
 あと、未来に起こるであろうことを、未然に防ぎたい、っていうのもあるかな」

かがみがこちらをチラリと見た気がした。

「何? 私の顔に何かついてる?」
「い、いや、何でもないの。寝ぼけてると次の授業で黒井先生にまた殴られるわよ」

かがみはそう言って教室から立ち去っていった。

 

「…桜庭先生、『時』って何なんですかね。戻る事ができないし、かといって進む事も止めることもできないし」

生物の時間、桜庭先生になんとなくこう尋ねてみたこともある。
生物というより、科学、化学全てに詳しい桜庭先生なら、何か詳しく教えてくれると思ったからだろうか。

「ふむ。泉にしてはなかなか興味深い質問だ」

先生はそう言うと、黒板に周期が同じな曲線を書いていった。
黒板の半分ぐらい書くと、先生はこちらを振り向いた。

「泉、この曲線が何を示しているか、答えてみろ」
「え…?」

突然の出題に、私は戸惑った。頭を掻いて、私は正直に答えた。

「…わからないです」
「まぁ、そうだろうな。私だっていきなり聞かれてもわからん」

先生が、微笑する。私もつられて微笑した。
しかし、先生は突然真剣な顔になった。

「これはな、人間の一生の『時の流れ』を示している曲線だ」

私は少し疑問がわいた。

「先生、でもおかしくないですか? 時の流れって、普通真っ直ぐじゃありませんか?」
「ふむ、いいところに気付いた」

先生はまた黒板に振り向き、今度はさっきよりも振れ幅の大きい曲線と、直線をそれぞれ書いた。

「お前が言っている時の流れとは、こっちのことだな」

先生が、直線を棒で叩く。私は黙って頷いた。

「じゃあ泉、考えてみろ。お前がもし自分が嫌なことをやっているとき、
 例えば、お前の場合なら学校の授業か。それをやっているとき、どう思う?」

私は少し考えた。

「そうですね…面倒くさいなぁ、早く終わんないかなぁ、って思いますね」
「私は別にいいが、他の教員に対して授業が面倒くさいと絶対に言わないこと」

先生が私の額を棒で軽く叩く。私は少し面食らった。

「まぁいい。とにかく、時間が長く感じるのは確かだろう。それがこっちだ」

曲線を叩いて、桜庭先生が続ける。

「では逆に、お前は好きなことをやっているとき、時間の流れはどうだ?」
「そうですね…すごく早く感じます。一時間でも一瞬のように感じるし」
「それがこれだ」

先生が、直線を叩く。

「人間の一生っていうのはな、この2つの時間の流れが合わさって出来ているんだ。
 同じ『時間』でも、人によっては長くも短くも感じる。そして、人の人生におけるこの2つの時間の流れを平均すると」

先生が今度は最初の曲線を指す。

「このようになる。人間の生涯は、こうやって山あり谷ありだから面白くも儚いものになるのだ。
 もし、この山や谷がなくなると、人生というのは実に短くなる。わかるな?」

先生の口調が早くなっている。少し興奮してきている証拠だろうか。
私は、また黙って頷く。

「山や谷がなくなる、というのは、要するに『失敗しない』ということだ。
 人間というものは成功と失敗の積み重ねで生きているようなもの。成功しか知らない人生を送っていると
 人生があっという間に過ぎ去る。面白みのない人生だ。そして最も怖いのは、いざ失敗したときにどん底に貶められることだ」

少し頭が混乱してきたが、私はとにかく桜庭先生の話に耳を傾けた。

「どん底に貶められた人生を軌道修正するのは、不可能に近い。だから人間は普段から失敗を繰り返し、
 それを糧に大きな失敗をしないように努力していく。それが『人生』というものの本来あるべき姿だ」
「…すいません、ちょっとよくわかんないです」

流石に頭がパンクしそうだったので、私は言った。
先生は懐から煙草を取り出し、一本くわえた。

「…まぁ、わからなくても無理はない。ま、せいぜい悩むことだ、若者」

先生が教室から立ち去ろうとする。

「あ、先生。最後に聞きたいことが」

先生が振り返る。

「何だ」
「もし、時間が戻せたら何したいですか?」

先生は大きめに息をついて、

「好きなだけ寝る」

とだけ言って教室から立ち去った。

家に帰ると、時間は既に7時を回っていた。
鞄を置いてベッドに寝転ぶ。最近の疲れがどっと出てきたように体が重くなった。
目を閉じて、いつもより深く呼吸をする。

この能力を手に入れてから、私の人生は大きく変わったのだと思った。
好きなように人生を送って、全てを自分の思い通りにして。
そうすれば、私はいつまでも楽しく生きていける。そう思っていた。

でも、実際はそうじゃないのかもしれない。
桜庭先生が言っていた通り、失敗と成功があってこその人生。
全てを自分の思い通りにすることは、愚かなことなのかもしれない。

もっと頭のいい人なら、この力を上手く利用できるんだろうな。


「…ちゃん」
「ん…?」
「…お姉ちゃん、起きてってば」

いつの間にか眠ってしまっていたようだった。重い瞼を持ち上げ目を擦ると、目の前にゆーちゃんが確認できた。

「叔父さんがお風呂沸いたから入りなさいって…」
「あ、わかった。ありがとね」

ゆーちゃんの髪の毛に手をポンと乗せて、私は部屋を出た。
そして、風呂場へと向かった。

浴槽に浸かっている間、私の頭の中では最近の出来事がぐるぐると回っていた。
風呂の湯加減がいい具合だったので、私の頭は勝手にふわふわとしていた。

髪を洗っているとき、鏡の中の自分の右肘に何かあざの様なものが目に付いた。

「…何だろ、これ」

指で擦ってみても消えない。

「今まで気付かなかったってことは、最近できたのかな。どっかにぶつけたっけ…」

あざをよく観察すると、それは何かを形どっているようだった。

「…数字?」

電卓にあるような、デジタルの数字のようなもの。

「50? 05?」

50とも、05とも見受けられる。いずれにせよ、その数字が何を示しているのかはわからない。
しかし、気になって仕方がなかった。

結局その数字を気にしすぎて、長風呂をしてしまった。もちろん逆上せた。

「あ、今日確か…」

新聞のテレビ欄をチェックする。

「やっぱり。見逃してた」

いつも見ているアニメを、見逃してしまったのだ。録画もしていない。

「…どうしよ」

時間を戻して見るか、それともこのままか。
私は迷った。この能力の使用は控えている。
でも、他人が絡むわけではないし、別にアニメの一つや二つ、人生に影響はしないだろう。

「よし、戻ろう」

久しぶりに時間を戻す決意をした。そして、私は時間を戻してアニメを見た。

 

「うーん、今回はなかなかシュールな感じだったなぁ」

アニメの感想を、一人呟いてみる。
印象に残ったシーンを頭に浮かべながら、私はベッドに横になった。

ふと、右肘のあざのことが気になった。起き上がって、パジャマの袖を捲る。

「…あれ、減ってる」

50、もしくは05だった数字が、今度は『04』となっていた。

「これ、まさか…残り回数?」

時間を飛び越える能力にも限りがある。
その事実は、私に少しばかりの不安を与えた。
そして、私はそれと共に一つの決意を新たにした。

「肝心なときにだけ。本当に必要なときにだけこの能力を使おう」


能力を使わない生活がしばらく続いた。
相変わらず失敗ばかりだが、桜庭先生の言ったとおり、なんとなく今の生活が楽しかった。
黒井先生に殴られたり、つかさとみゆきさんとお喋りしたり、かがみをからかってみたり。
時間を戻す必要なんか何もない。だんだんその事実に気付き始めていた。

そんなある日の帰り道だった。

「こなちゃん、今日うちにおいでよ。ちょっと気合入れて、新しいお菓子作ったんだ」

つかさが私の手を取って笑った。

「そうなのよ。この子、昨日一日中悩んで一生懸命だったのよ」

その少し後ろで、かがみが付け加える。

「そうなんだ。じゃあ、お邪魔しちゃおうかな」

私はつかさが一生懸命にお菓子を作る姿をうっすらと想像しながら、返事をした。
つかさはさっき以上の笑顔になって

「ホント? やった!」

とスキップして私たちより先に進んだ。
その光景を、私とかがみは和やかに眺めていた。

 

そのときだった。

 

突き当たりに差し掛かったあたりで、道路の中心に飛び出したつかさの左から一台の車が現れた。

「つかさっ!!」

 

かがみの静止も空しく、つかさは、車に跳ね飛ばされた。

 

つかさの体が宙に舞う。
私たちの体は、金縛りにあったように動かなかった。声も出せない。

つかさの体が地面にたたきつけられると同時に、私たちの体の金縛りは解けた。
私たちはつかさの方へ駆け寄った。かがみが体を抱きかかえた。
つかさの体には至るところに傷。そして、腕や足がありえない方向へ曲がっていた。
さらに、セーラー服が血で滲んでいた。

「つかさ! ねぇ! つかさ!」

かがみが目を大きく見開いてつかさに叫び続ける。
つかさの目は固く閉ざされたままで、開かない。
かがみは、大粒の涙を流していた。

私は、つかさの変わり果てた姿を見て呆然と立ち尽くしていた。

「お…ねえ、ちゃん…?」

つかさが今にも途切れそうな声で囁いた。

「つかさ、つかさ! 大丈夫、今救急車が来てくれるから…!」

つかさを轢いた車の運転手が、遅れて駆け寄ってきた。
私は、その憎むべき人間の胸倉を掴んで叫んだ。

「アンタ免許持ってるんでしょ!? なんでつかさを轢いたんだっ!」

頭の中では、この人間を思い切りぶん殴ってやりたいという衝動でいっぱいだった。
私が左手を握ると、かがみが私の左手を掴んだ。

「やめて…」

私は我に返った。かがみの方を見ると、かがみは私の顔をじっと見つめ、顔を横に振った。
こんなところで争っても、意味がないでしょ。かがみの表情から、そんな言葉が読み取れた。

かがみの腕の中で、つかさが首をもたげ苦しそうに喋り始めた。

「…お姉ちゃん…こなちゃん…。私…死にたく…ないよ…ゴホッ、ゴホッ」

つかさが咳き込む。打ち所が悪すぎたのだろう。咳と共に血が飛ぶ。

「ヤ…だよぉ…死にたく…ないよぅ…ひぐっ…」

そう言った瞬間、つかさの瞳から、光が消えた。

「つかさ? つかさ?」

かがみがつかさの頬を軽く叩く。何度か叩いたあと、つかさの体を静かに地面に寝かせた。

「うわああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

私は、空に向かって泣き叫んだ。この行動が意味するものは何もないが。
泣き叫んでいるときに、思い出した。

時を戻す能力の存在を。
なんで今まで気付かなかったんだろう。
肝心なとき。本当に必要なとき。それは、まさに今だ。

私は、かがみ達に背を向けると、まっすぐに駆け出した。

必死に駆けて、駆けて。私の足は、この能力を実感するきっかけとなったあの公園へと向かっていた。
足が棒のようになっても、呼吸が苦しくなっても、ただひたすら走った。

つかさは、本当にいい子なんだ。こんなところで、死なせたりしない。
大丈夫。時間を戻せば、きっとつかさはまた私にあの笑顔を見せてくれるはずだ。


――――泉さん…だよね? この間はありがとう!
――――紹介するね。私の双子の姉、かがみお姉ちゃんだよ。
――――これからは『こなちゃん』って呼んでいいかな?


つかさは、私がかがみと出会うきっかけとなった人物。
料理が上手くて、天然で、それでいて誰よりも優しい心を持った女の子。


私は、あの公園の階段の上に立った。

つかさ、待っててね…! 今、助けてあげるから!


助走距離をとる。呼吸を落ち着ける。
パンパンになった足を、手で叩く。
心臓の音が、耳に響いている。

そして、私は再び駆け出した。


つかさは…

――――私ね、こなちゃんと話しているといつも思うんだ。


つかさは…

――――こなちゃんと会えて本当に良かったな~、って。

 


「つかさは、私の、一番大事な友達なんだっ!!!」

 


足に力を入れて、私は青空へとジャンプした。
目の前の景色が揺れ動く。天と地が引っ繰り返る。
景色がぐるぐると周る。私は、目を閉じた。

 

暫くして目を開けると、教室に居た。
私の視界に入ってきたのは、かがみ、みゆきさん、そして、つかさ。

「つかさ…つかさっ!」

私は我を忘れてつかさに抱きついた。
つかさは顔を赤くしながら戸惑っていた。

「ちょっと、こなちゃん! いきなりどうしたの?」
「つかさっ…つかさぁ…!」

涙がこぼれてくる。よかった。時間を戻せば、死んだ人も生き返らせることが出来るんだ。
よかった。本当によかった…!

「ちょっとアンタ、マジでどうしたの?」
「何かつかささんに関する悪い夢でも見たのでは…?」
「ううん、違うの。上手く説明できないけど…。本当によかった。つかさ、私、つかさに会えて本当に良かったよ」
「ちょ、ちょっと、恥ずかしいよぉ、こなちゃん」

つかさの顔が、余計に赤らんでいった。

 

放課後になった。

「こなちゃん、今日うちにおいでよ。ちょっと気合入れて、新しいお菓子作ったんだ」
「そうなのよ。この子、昨日一日中悩んで一生懸命だったのよ」
「そうなんだ。じゃあ、お邪魔しちゃおうかな」

そう言って、私はつかさの手を握る。この後、何が起こるかわかっているから。
つかさを再び戸惑わせているのは解っていたが、私は彼女の手を強く握り締めた。

近くの通りを、つかさを撥ねていったものと同じ車が通り抜けた。
そして、私はつかさの手を離した。これで、もう大丈夫だと確信していた。

つかさが一生懸命作ったお菓子は、程よい甘さと苦味が混じって本当においしかった。


自分の家のドアを開けると、暖房の暖かさが私をすぐに包んだ。
荷物を部屋に置いて、リビングへ入ると、ゆーちゃんがいた。

「お帰り、お姉ちゃん。どこ行ってたの?」
「んー? かがみの家だよ。つかさの作ったお菓子をいただきにね」

つかさの作ったお菓子の甘みがまだ口に残っていた。私は、TVのチャンネルを適当に回した。
その時、あるニュース番組が私にとって衝撃的な映像と音声を流しだした。

 

「うそ…お姉ちゃん、これって…」

ゆーちゃんが顔を真っ青にしていた。
私は、無意識のうちに家を飛び出していた。

――――先ほど入ったニュースです――――


認めない。そんなの絶対認めない。


――――今日午後6時10分頃――――


嘘だ。絶対嘘だ。


――――埼玉県の鷲宮神社で――――


だって、だって…!


――――柊つかささんが、何者かにナイフで刺され間もなく死亡しました――――


つかさは、私がちゃんと助けたんだから…!

 

鷲宮神社に着くと、既に野次馬が沸いていた。
私はその中を無理矢理通り抜け、神社の入り口に張られたテープを乗り越えようとした。

「ちょっと君! ここは関係者以外立ち入り禁止だよ!」
「うるさいっ! 私は関係者なんだっ!」

静止に入る警察官を押しのけ、石段を駆け上る。
駆け上った先には、他の警察官たちが現場の調査をしているようだった。
一本の木の下に、人の形をしたテープが貼られていた。
つかさは、ここの落ち葉を掃除しているときに殺されたのだろう…。
木の根元に、血痕が残っていた。

私は、地面に膝をついた。

「…何で? 何でつかさが死ななきゃいけないの…?」

この現実を受け止めたくない。
私は両手で体を起こして、後ろを振り向いた。

絶対につかさを死なせない。
私は駆け出し、再び空へと跳んだ。

時間は、今日の放課後に戻っていた。
つかさは、ちゃんと生きていた。しかし、前のようには喜べない。
彼女を、私から離してはいけない。ずっと一緒に居てあげないと。

「こなちゃん、今日うちにおいでよ。ちょっと気合入れて、新しいお菓子作ったんだ」
「いや、それより二人とも今日はうちに泊まりに来なよ! つかさのお菓子、うちで食べよ!」

二人は顔を見合わせた。

「…うん、いいよ。じゃあ、私たち家で準備してくるから」
「待って! 私もついていくから」
「どうしたのよ、アンタ。今日はやけにくっついてくるわね」

二人は終始戸惑っていたようだった。無理もない。
私はつかさを死から護らなければならないのだ。そんなこと説明しても信じてくれないだろう。
私はつかさから目を離さないようにして二人についていった。

 

私の家に到着して、ようやく私の緊張の糸は切れた。
部屋に荷物を置いて、ベッドにへたり込む。つかさはそんな私の様子を見て、

「どうしたの、こなちゃん? 調子悪いの?」

と心配そうに言った。心配したのはこっちだよ。

つかさの作ったお菓子は前に食べたものと同じ。この味が出せるのはつかさしかいないと大袈裟なことを考えた。
夜も3人で色々な話をして盛り上がった。


午前1時。流石に眠くなってきたので、床に布団を敷いてからベッドに潜り込んだ。
おやすみと二人に声を掛けて、電気を消す。

まどろみ始めてきた頃に、かがみが声を掛けてきた。

「ねぇ…こなた」
「ん…。何、かがみ」

豆電球の薄暗い明かりの中で、私はかがみの顔を見た。

「アンタさ、もしかして…」
「何?」

かがみは少し俯いて、黙ってしまった。

「…いや、いいわ。なんでもない」

そう言うと、かがみは布団に包まってしまった。
私はかがみのことが暫く気になったが、眠さもピークに達していたのですっかり眠りこけてしまった。


「…ゴホッ! ゴホッ!」

誰かの咳き込みが聞こえて、私は目を覚ました。

「はぁ、はぁ…ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ!」
「ちょ、ちょっとつかさ! どうしたの!」

かがみの声。私は急いで電気をつける。
かがみの方を見ると、そこには血まみれになった布団と、苦しそうに咳き込むつかさがいた。

私は、もうどうすることもできなかった。

つかさは、しばらく咳き込んだのちに静かに息を引き取った。

 

時間を戻しても、人の運命は変えることができないのだろうか?
他人が幾ら干渉しても、絶対に買えることの出来ない運命というものが存在するのだろうか?
答えは解るはずもなく。

 

私は、再び時間を戻した。
もう、つかさが死ぬと言う運命には逆らえないのかもしれないけれど。

時間は、戻ったはずだった。
また放課後に戻って、みゆきさんやつかさやかがみが目の前に居るはずだった。

しかし、目を開けた私の前に広がっていたのは学校の校庭だった。
それも、太陽が昇る前のように薄暗かった。

私は、校庭の端の方で倒れていたようだった。
体を起こして、セーラー服についた砂を払い落とす。なんとなく体が重く感じた。
校庭を横切り、校舎の前にたどり着いた。
校舎を見ると、一つだけ明かりのついた部屋があった。
私は扉を開け、そこへ急いだ。

明かりがついていたのは、私たちの隣のクラス。かがみが居るクラスだった。
なぜか心臓が高鳴っている。
深呼吸を二度、三度して、私は戸をスライドさせた。

「…やっぱり、アンタだったのね」

あまりにも聞き慣れた声。
教室で一人窓際に佇んでいた。

かがみだった。

「か…がみ…? どうしたの、こんなところで?」
「…『タイムリープ』」

私の質問に返事をせず、かがみは一人語り始めた。

「時間を自由に跳躍できる能力。本人の意思一つで、過去であればどの時間にでも戻れる能力よ。
 こなた…。あなた、タイムリープができるのよね?」

私は戸惑った。かがみは何故そのことを知っているのだろうか。

「…なんで知ってるの?」
「私も、タイムリープ能力を得た人間の一人だから…と言えば解るかしらね」

かがみが窓から離れ、椅子に座った。

「私は、この時代の人間じゃないの」

かがみの口から、衝撃的な言葉が聞こえた。

「え…。ま、待ってよ。そんなのおかしいじゃん」

私はさっきからひたすらに鼓動を早める心臓を手で押さえながら、かがみに問うた。
「だって、かがみは私たちと同い年だし、双子のつかさもいるし、お姉ちゃんもいるし…。
 この時代の人間じゃないって、そんなのおかしいよ、絶対」
「何から話せばいいかしらね」

かがみが頬杖をついた。

「あなたは、本来ならばこの世に存在していないはずの人物なの。こなた」
「え…?」

かがみの真剣な眼差しに、私は言葉を失った。

「本来なら、あなたは既に死んでいる。私があなたの運命を変化させて、救ったのよ」

かがみが一呼吸置いて、続ける。

「あなたは、本当なら最近、死んでいるはずだったの」

かがみの言葉が、私にとてつもない衝撃を与えた。
私は、本当なら死んでいるはずだった…?

「つかさを通じて私とあなたは出会った。すぐに仲良くなれて、私はずっとあなたと仲良くしていたいと思った。
 でもね、叶わなかったの。今日からちょうど2週間前、あなたはトラックに撥ねられて死んでしまったから」

それで思い出した。私が、トラックに撥ねられたときのことを。
学校に忘れ物をして、それを取りに行った。黒井先生に会って、曲がり角を曲がった。
そしてそこに現れたトラック――――――

「本当にショックだった。大好きな親友が死んでしまうのは、本当に悲しかった。
 つかさも、みゆきも、それだけじゃない。あなたに関わった人間が全て、明るさを失ってしまったの」

かがみの声が、少し震えていた。目に涙を浮かべていた。

「私も相当病んでいた。それで、ある日私も交通事故に遭ってしまった。ボーっとしてたんでしょうね。
 一命は取り留めたけど、入院生活を余儀なくされた。入院してから1ヶ月が経った頃、私の病室に一人の男性が現れたの」

かがみが目を伏せる。

「その男性は、『チアキ』と名乗っていたわ。私の悲しげな表情を見て、彼は言ったの」


――――お前、過去にやりのこしたことがあるんだろ?――――
――――やりなおして来いよ。俺が手伝ってやるから――――


「彼は私に一つの小さな機械を渡して立ち去った。
 それが、この『時間跳躍装置』。これを使って私はタイムリープの能力を得、そしてこの時空へとやってきたの」

かがみが、小さな種のようなものを手のひらに乗せた。

「これ、落としちゃってね。探してたのよ。体育館に落ちてたわ。
 ―――――もう使用済みだったけど」
かがみが、もう片方の手でそれを摘み上げ、潰す。ぶちっと音を立てて、それは微塵になった。
『体育館』という言葉が、私に体育の授業での出来事を思い出させた。
あの時右肘に触れた『何か』――――それが、これだったのだ。

「あなたがトラックに轢かれる時、私はあなたを引き止めて助けようとした。でも、その必要はなかったの。
 なぜなら、既に歴史は変わっていたから。あなたはトラックに撥ねられなかったから」

私の口は、依然として動かない。

「それで私は確信した。あなたがタイムリープの能力を得たことを」

かがみが椅子から立ち上がり、私のそばへと歩いてきた。

「タイムリープをすると、タイムリープした本人はその時空から消え去り、自分が望んだ時間へと遡ることが出来る。
 その時、歴史は最も自然な形に書き換えられるの。
 あなたがトラックに撥ねられたときは、時間を遡ったあとに何か起こったはず」

私は、トラックに轢かれて時間を遡ったあとの自分を思い出した。
その時、私は電信柱にぶつかったのだ。
それが『自然な形に書き換えられた歴史』なのだろうか。

私の肩に手を置いて、かがみは喋り続ける。

「あなたが生きていてくれて、よかった…。本当に良かった…」

かがみが私に後ろから抱きついた。泣いているようだった。

「これからもずっと一緒で…。いつも笑い合っていたかったのに…」

かがみのすすり泣く声が、更に大きくなる。
私の喉は、声を発しようとしない。
「ごめんね、こなた。チアキが言ってたの。
 タイムリープの存在を他人に知られた者は、自分の居た未来へ帰らなければならないって」

さらなる衝撃。私は自分の耳を疑った。
それと同時に、ようやく声を発することが許された。

「それ…ホントなの?」
「本当よ。あなたと話していられるのも、これが最後」

そんな馬鹿なことがあるわけがない。
だって、勝手にかがみの機械を使って、自分の思うように歴史を変えていたのは私なのだ。
これがもし『罰』というものなのであれば、私が受けるべきだろう。

「嫌だ、嫌だよ、そんなの!」

私はかがみのセーラー服を掴んで、必死に訴えた。
そんな訴えが届くわけもなかったが。

「駄目なの。もうお別れ」

かがみが私の手を掴んで、セーラー服から引き離す。

「――――時間よ」

周りの景色が大きく揺れる。揺れは瞬く間に酷くなり、そして一つの景色を映し出した。


あの時と同じ、雲ひとつない青空、地平線の彼方まで続く大海原。

 

柊かがみ。

私の人生を大きく変化させた人間。
初めて出会ったときから、何か運命的なものを感じた。
かがみとだったら、大人になってもずっと仲良くしていけるような気がした。
私のことを時折からかったり、私の言動に呆れたり、その態度の中にも、かがみは優しさを見せてくれていた。
ずっと一緒に。それは、私が彼女と出会って以来抱き続けてきた気持ちだった。

でも、その願いは、かなわない。

「待って、待ってよぉ、かがみぃ!」

涙が勝手に流れてくる。かがみに触れたい。触れるだけでいい。
手を真っ直ぐに伸ばす。私の手は、空を掻く。
かがみは私に背を向けて、静かに立っていた。

「こなた」

かがみが私の名を呼んだ。

「時間が、何で戻せないか知ってる?」

かがみのツインテールが、風に靡いている。その姿が、美しく思えた。

「わかんない……。わかんないよ」

涙が私の視界を遮る。ぼやけた視界の先のかがみが、こちらを振り向いた。
笑っていた。

「思い出を、大切にしていて欲しいから」

かがみが、私の手をとった。

「色んな人と出会って。色んな話をして、色んな事をして。あなたが生きてきた今までの時間、記憶。
 その中でも、一番心の中で輝き続けているもの。それが、思い出。
 時間は、時を経過させることでその思い出を押し流そうとする。でも、本当に忘れたくない思い出は、
 どんなに時が速く流れていても、どんなに忘れようとしても、忘れられないもの。
 時間は、そうやって思い出を押し流そうとすることで、人に、その思い出の大切さを自覚させようとしてくれるの」

私の手の甲に、雫が一滴落ちる。
泣いてる。かがみは、笑いながら、泣いていた。

「だから、だからね? 私は、あなたのことを絶対に忘れない。これからどんな事に遭っても」

かがみが、私の手を強く握った。

「だから……」

かがみがそこで言葉を切る。私は、未だにぼやけるかがみの顔をじっと見つめた。

「だから、お願い。あなたも、私のことを絶対に忘れないで」

 

突風が吹いた。

 

「……勿論だよ。かがみのこと、忘れるわけないじゃん。絶対に……!」

かがみが、私に微笑みかけた。

「……ありがとう」

その瞬間、私の視界が真っ暗になった。

 

 

 


―――――いつか、また会いに行くから
―――――それまで、私のことを忘れないで

―――――またね。

 

 

 

 

 

「お姉ちゃん、お姉ちゃん!」

誰かが私の体を揺すっている。……いや、『誰か』なんて表現する必要もないか。

「んー……おはよ、ゆーちゃん」
「そんなのんびりした挨拶してる場合じゃないよ! 時間、時間!」
「時間……?」

『時間』という言葉に一瞬かがみの顔が浮かんだ。

「ほら、もう7時半になるよ! 普通だったらもう家出てるよ!」
「うぉぁっ!?」

ゆーちゃんが語調を強くして言うので、私は飛び起きてしまった。

「下で待ってるよ! 急いでね!」

ゆーちゃんが顔を赤くしながらそう言って、私の部屋を出て行った。
私は、ベッドの上で胡坐をかいて、自分の現在の状況を把握する時間を作った。
カレンダーに目をやると、タイムリープ能力を得た日付に戻っていた。

「……そっか。戻ったんだ。ということは、かがみはもう居ない」

口にすると、また悲しさが襲ってくる。涙を堪えながら、私はベッドから下りた。

 

その時、床にひらひらと何かが落ちてきた。
それを拾い上げた瞬間に、その正体がわかった。

「かがみのリボンだ」

かがみの髪の毛を毎日ツインにしていたリボン。かがみが、私にプレゼントしてくれたのだろうか。

―――――自分のことを、忘れないでほしいから。

私はそれを両手できゅっと抱きしめながら、部屋を後にした。

 

 


☆     ☆     ☆

 

 


「こなちゃん、おそーい!」
「ごめんごめん、寝坊しちゃった」

いつもの待ち合わせ場所に、駆け足で近寄る。そこには、つかさが一人で待っていた。
やはり、かがみはいない。でも、代わりと言ったら失礼だけど、そこには普段は見慣れない姿があった。

「ったく、また夜通しでゲームかよ、ちびっ子」
「泉ちゃん、隈が酷いわよ……?」

みさきちと、峰岸さんだ。
そっか、これが、かがみがいない『私が生きている時空』なんだな。

「いやいや、これはゲームだけが原因じゃないっていうか……」
「そんなわけねぇだろ。ったくー、あたしでもそんな遅くまでゲームしないぜ?」

そういって、みさきちは私の髪の毛を見つめる。

「あれ、そういやちびっ子……」

峰岸さんとつかさも、私の髪を見て少し驚いた表情をする。

「髪型、変えたよな?」
「そうよね。いつもは下ろしてるけど」
「今日はポニーテールにしたんだね」

今日、私は髪の毛をかがみのリボンでまとめ、ポニーテールにして家を出たのだった。
これなら、かがみとずっと繋がっていられる。離れていても。

「似合うな、意外と」
「そうねぇ。新鮮だわ。私もポニーにしてみようかな」
「峰岸さん、きっと似合うんじゃない?」

そんな他愛もない会話をしながら、4人で通学路を歩く。

「おはようございます、みなさん」

途中でみゆきさんと合流する。
これが、青春ってものなのかな。こういう、何もない日常を過ごしていることが。
青春っていうものを、私は満喫しながら毎日を5人で過ごす。

―――――あ、5人じゃないか。6人だね。

かがみが、私の傍に居てくれてるから。

 


―――――絶対、忘れないで欲しい
―――――あなたのことを、どこかで想ってくれてる人がいる
―――――あなたは、どこかで誰かと繋がっている

―――――だから、あなたが今持っている思い出を大切にして
―――――あなたが誰かを忘れたら、誰かもあなたを忘れてしまうから

 

Fin

 

 

ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。