ID:kC78alM0氏:天使たちの微笑み~ゆたかの場合~

 田村ひよりは朝から胸を躍らせていた。
 今年も「その日」が訪れたからだ。
 もっとも、ひよりがそのことで盛り上がっていたのは今年が初めてだったのだが。
 その名をバレンタインデー。日本限定だが、女が男にチョコレートを贈り、思いを伝えるという、大多数の男には忌まわしい悪習としか思えない行事である。
 実はひよりには特に意中の相手がいるわけではない。彼女は思い人が二次元世界の住人――と言っても通用してしまうほどのオタクである。
 オタクの中には、キャラクター同士に恋愛をさせる者もいる。ひよりもその一人だが、彼女の場合は異性同士では飽き足らず、同性同士(男女不問)で恋愛させる、いわゆる腐女子と呼ばれるタイプだ。
 そしてその毒牙は常に親友たちに向けられていた。
 親友の名前は小早川ゆたかと岩崎みなみ。二人のあまりの親密ぶりを見て、密かにこの二人をネタにした百合の同人誌をいくつか手がけたりしている。ひよりのこの日のテンションが異常に高かったのも当然の結果だった。

 放課後。
「みなみちゃん、これ」
 その言葉をひよりは聞き逃さなかった。
 その方向を見れば、果たしてゆたかが、みなみにチョコレートを渡す瞬間であった。
 ついにひよりが待ち望んでいた「その時」が来た。
(長かった……今か今かと待ち望んだこの瞬間が!)
 この光景を前にひよりの創作意欲は大いにかきたてられた。
 そうやって妄想を繰り広げながら、次に目にした場面にひよりは首をかしげた。
 今度はゆたかが留学生のパトリシア(通称・パティ)にチョコレートを配っていたのである。
 ひより、ゆたか、みなみ、パティの四人はよく一緒にいるが、これは一体……。
(ま、ま、まさか、小早川さん、二股を!?)
 ひよりの脳裏をまたしても妄想がよぎった。妄想の激しさに我を忘れたひよりは、ゆたかが声をかけるまで、ゆたかが近づいてくることに気づかなかった。
「田村さん、はい」
 ゆたかの声に一度現実にひき戻されたが、目の前に差し出されたチョコレートを見て、ひよりは限界に達した。
(こ、こ、こ、小早川さん、私にまでー!? 私はどうすりゃいいのー!?)
 他人の恋愛を眺める立場にいるつもりが、自分が当事者となる予想の斜め上すぎる展開。目の前に突然、宇宙人、未来人、超能力者が現れるのと同じくらいの驚きかもしれない。
 だが、このまま動揺していても話は先に進まない。
 意を決して、ひよりは尋ねた。

「小早川さん、これは……?」
「みなみちゃんもパティちゃんも田村さんもいつも友達でいてくれてるでしょ? だから感謝の印にと思って」
 満面の笑みを浮かべてゆたかは答えた。
 ひよりは呆気にとられた。全ては自分の思い込みだったのだ。
(ああ、私のお馬鹿ぁ……)
 穴があったら入りたいところだった。
「田村さん?」
 ゆたかが間一髪のところでひよりが穴に入るの防いだ。そしてゆたかに礼を言うように自分に言い聞かせた。
「え? あ、えーと、ありがとう」
「どういたしまして」
 もう一度ゆたかは笑顔をひよりに向けた。

 帰り道の途中、ひよりは考え事をしていた。あくまでも妄想ではなく考え事である。
(結局小早川さんと岩崎さんのラブラブは見られなかった。でも、小早川さんの真心が込められたチョコ……うん、やっぱりうれしい。これからも小早川さんたちと友達……ふふふ)
 そう思いを馳せつつも、
(それにしても、私をあそこまで驚かせるとはさすが小早川さん。ひょっとして小悪魔の素質が……博愛主義な小悪魔、すると岩崎さんは……)
 やはりひよりはひよりのようだ。

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