イベントが終わって控え室に続く廊下に出ると、彼女は唐突に叫び声をあげた。
「ああっ、クリスマスプレゼント忘れてた!」
「……はあ、そうですか」
周囲の誰もが巻き込まれないように退避していく中、逃げ遅れた僕は歩きながらそう答えた。
可愛らしい彼女の声は、僕の返事が耳に届くと同時に凄みのあるものへと変わる。
「そうですかー、じゃないわよ。あんた、わざと言わなかったでしょ?」
「まさか。そんな事をしたら、あきら様が不機嫌になるのは分かりきった事じゃないですか」
そう。この反応は予想してしかるべき事だった。
「いくら仕事だったからって、サンタの格好をしただけでクリスマス終了は寂しすぎるでしょ」
「その手は?」
僕は喋りながら、差し出された手にトナカイの前足を乗せてみる。
一瞬の間をおいて、差し出されたのとは逆の手による握り拳が、気ぐるみのトナカイの腹部を捉えた。
「ぐはっ」
あくまでも腕力は少女のそれで、ダメージよりも迫力による驚きから大げさなリアクションをしてしまう。
「お手じゃないっ。プレゼントは何かないのか、って意味よ」
「おお、なるほど」
笑わせて怒りを軽減しようとする作戦は見事に失敗で、僕は次の時間稼ぎを無表情で考える。
「えっと、今更なんですけど、どういう物が欲しかったんですか?」
「高い物」
「……なんというか、言い切れるあなたは大物だと思います」
尋ねる前から想像はしていたが、ロマンの欠片もない回答だ。
どうして、こんな子を好きになったのか、自分でも不思議になるほどに酷い。
「うっさいわね。あんたが訊いたんでしょ」
訂正をしよう。普段の態度が悪ければ悪いほど、好きになるのかも知れない。
そう思ってしまうくらいに、顔を僅かに赤らめる少女の姿は魅力的だった。
「いいわよ別に。白石なんかに貰わなくても、サンタから貰ってるから」
「……サンタ?」
聞こえる限界に近いほど小さな音量で発せられたその単語を、僕は聞き間違いではないかと疑った。
頭の中に三田、三太などの無理やり人名に変換した物がいくつか浮かぶ。
しかし、実在の人物の話だと思うことはどうしてもできずに、思わず僕は言ってしまった。
「サンタクロースから?」
「ん、なによ。サンタからプレゼントを貰うなんて、子供の証拠だと思ってバカにしてるの?」
「いや、そういうわけじゃなくて……その……」
「言っとくけどね。心が純粋なら、大人だろうとサンタは来るのよ」
そう言ったきり、彼女は俯いて黙り込んだ。
僕は思わず抱きしめてしまいそうになるのを堪えると、いつの間にか止まっていた歩みを再開した。
「あの、あきら様がそう言うのなら、僕は信じますよ」
その言葉に返事はなかった。
追いついてこない足音に、今まで並んで歩いていた少女が幻だったのではないかという気がしてくる。
不安から足を止めて後ろを振り返ろうとしたとき、背中に軽い衝撃があった。
「本当に、いるんだよね」
「あ、あきら様?」
抱きつかれた事への動揺から、彼女が何を言っているのかすぐには理解できなかった。
「それとも、みんなが言うみたいに、いないのかな?」
「それは……」
不安げな彼女の言葉は、仕事中に言われたのであれば、ネタにしてからかうべき内容だった。
だけど、舞台の終わった後の僕らが見るべきなのは、観客ではなく目の前の相手だ。
大勢の人間のためではなく、たった一人を喜ばせるために言葉を探す。
「僕は。いると思っています。誰がいないと言ったって、絶対にいます」
「…………」
数歩先に自分の控え室があるのを見ながら黙っていると、不意に背中から圧力が消えた。
「なーに、信じるとか言ってんのよ。私の妹ですら信じてないのに、バカじゃない?」
それは聞きなれた明るい彼女の声だった。
素ではなく、『小神あきら』というキャラクターを演じるときに使う、愛くるしい声だ。
振り向いて彼女の顔を見ると、涙の跡は残っていなかったけれど、確かに目が充血していた。
「いいじゃないですか。バカでも子供でも」
「そうね。まあ、あんたらしいとも言えるかもね」
そうして彼女が見せた笑顔がぎこちない物だったので、考えていたことに決心がついた。
「あきら様。控え室に置いてある物、ちょっと回収に行って来ていいですか?」
急いで気ぐるみだけを脱いで飛び出すと、廊下の空気は信じられないほどに冷たかった。
連続で二回くしゃみが出て、プレゼントを入れた紙袋に唾が飛びそうになって僕は慌てた。
「すいません。あの、渡すべきか迷ってたんですけど、クリスマスプレゼ……って、あきら様!」
言い訳がましい僕の言葉に苛立ったのか、彼女は奪い取るようにして袋の中身を取り出した。
バイトの時間を削って編んだ、赤く細長い物が広がる。
「マフラー?」
「高価なブランド品じゃなくて悪いんですけど、良かったら、もらってください」
彼女はまるで興味を持っていないように、視線をマフラー以外に彷徨わせている。
だから今にも突き返されるような気がして、僕は身体を直角に近い形に曲げて、頭を下げた。
目を閉じて、じっと彼女の答えを待つ。
一分が一時間に感じるという体験をしたのは、初めてこの業界で仕事をした日以来だった。
「…………」
あまりに長い沈黙に、彼女は足音を立てずにどこかへ行ってしまったのではないかと不安になる。
そうして、迷惑ならば返却してもらうべきかと考えかけたとき、ふわりとした毛糸の感触があった。
「寒そうだし、お返しの品も用意してないから、使わせてあげる権利をプレゼント」
首にかけられた物を確認しながら顔を上げると、既に彼女はこちらに背を向けてしまっていた。
「あー、やっぱりいらなかったですよね。ははは」
「そうじゃない」
やはりこうなったかと落胆しかけた自分に対して、彼女は慌てて振り向いた。
「貸すだけだから、あとで絶対に返しなさいよ」
「ということは、もらってくれるんですか? 高い物が欲しいって、言ってたのに」
僕が興奮気味に言うと、彼女はまた後ろを向いてしまった。
「材料は安くても、その、貰う人によっては、高価な物と同じかもしれないから……」
「あきら様……」
「あー、やっぱり寒いから使う。返せ!」
そう叫んでマフラーを奪い返すと、彼女は聞いてもいないのに、着替えるからと言って走り去った。
サンタクロースの衣装を纏ったその後姿を見ながら、僕は彼女の言葉を思い返す。
「使わせてもらえる権利って事は、一つのものを共用するってことだよなあ……」
今年のサンタクロースは、ずいぶんと気前がいいらしい。
ずっと喜びに浸っていたかったけれど、再び寒さを思い出した僕は慌てて控え室へと引っ込んだ。
最終更新:2007年12月26日 13:38