「星、また一つ……」 ID: > JbY6RLH0氏

その日、泉そうじろうは葬儀の喪主を務めていた。
小さな棺に横たわる小さな遺体――彼の妻、かなたである。
子供のように無垢な表情を浮かべている妻――であった存在――を見るにつけ、そうじろうは現実から逃避することを図り、その都度自分を叱りつけ、現実に戻ろうと必死になった。
残されたのが自分一人なら、自暴自棄に生き続けるも自由、人としての道を踏み外してもよいだろうし、あるいは妻のもとへ向かうこともできただろう。
それを許さなかったのは、目の前にある小さな、本当に小さな命――そうじろうとかなたの一人娘のこなたの存在だった。
それはかなたが生きたという証でもあった。だからそうじろうは、こなたに精一杯の愛情を注ごうと思った。そう思いながら、そうじろうはこなたを抱きかかえた……。


そうじろうが妻の葬儀を終えてしばらく後のことである。
ふとそうじろうは、妻の墓参りに行こうと思い立った。
埼玉在住だが、二人とも石川出身である。生前のかなたの遺志を尊重し、かなたの遺族とも話し合った結果、遺骨の一部をかなたの実家の墓地に納骨することにした。
そういう経緯でかなたは、埼玉と石川の二つの墓地に眠っている。
そうじろうは敢えて埼玉ではなく、石川の方の墓参りを選んだ。
埼玉から石川へ向かうには、一度都内に出て、空路を利用するのが最も効率的だが、それにしても難儀な道のりである。
そうじろうがそこまでして石川へ赴いたのは、かなたの遺族への挨拶も兼ねてだが、しばらく娘と距離を置きたかったからである。
こなたを育てようと決意したあの日、こなたを抱きかかえたその腕は、無意識のうちに自分の頭上に運ばれ、勢いよく振り下ろされようとしていた。
振り下ろされる腕はその途中で力を緩め、そのようなことをすれば当然、腕の中にあった「もの」は床へしたたかに叩きつけられることになる……。
そうじろうの腕が最高の高さに達した瞬間、ようやく我を取り戻したそうじろうは、自分のしでかそうとした行為に嫌悪感を覚えた。
「こなたのせいでかなたが死んだわけじゃないのに……俺は何をやってるんだよ!」
まだ気持ちの整理がついていない、そう思ったそうじろうは、妹のゆきにこなたを預けると石川へと向かった。
道中、自分の中にあった醜い感情を思い出すたびに、そうじろうはそれを拭い去ろうとしたが、いつまでもまとわり続けていた。
心の不調は体にも影響し、そうじろうは結局一度も食事をすることができずにいた。自分好みの販売員が勧めてきたにも関わらず……。

石川県内の某空港に到着したそうじろうは、バスで駅へ、次いで電車でかなたの実家へと向かう。
かなたの実家に着く頃には、夜に差しかかろうとするほどの夕景色であった。
とりあえず今夜一晩泊めてもらい、翌朝墓参りに出向く、その後はしばらくかなたの実家に滞在する―ー。
突然思いついた予定を機械的に処理する、名前も内容も終点も不明確な「儀式」を執り行うことで、気持ちを整理することができるとそうじろうは信じていた。
その夜は「醜い感情」の妨害でほとんど眠れなかった。朝食も同一人物が邪魔をして、ほんの僅かしか口にしなかった。
睡眠と栄養の不足した体で、そうじろうは墓参りに出向いた。
かなたの両親が、無理するのはやめた方がいい、と止めたが、そうじろうは頑として譲らなかった。ならば付き添いを、と申し出たがこれも固辞し、一人で出かけた。
その様子は何かに憑依されたかのようだった。
かなたが眠っている寺でそうじろうは思わずつぶやいた。
「この寺……懐かしいなあ」
ここにはそうじろうとかなたの幼い日々の記憶が詰まっている。時にかなたを怒らせ、泣かせ、呆れさせ……いつもかなたがそうじろうに振り回されてばかりだった。
感傷に浸りつつ、そうじろうはかなたのもとを目指した。
墓石は手入れが行き届いており、几帳面な家系であることを漂わせていた。
花を捧げ、線香を手向けると、そうじろうは墓石に向かって語りかけた。
「かなた……いくら何でも早すぎるだろ? 俺がデビューできて、こなたが生まれて、それで何で、入れ替わるようにお前が逝くんだよ? お前の人生って何だったんだ? どうしてあんな幸せそうな顔できるんだ?」
墓石が応じるはずもない。そこにあるのは終点の見えない片道路線のみ。
それでもそうじろうはなお言葉を続ける。
「俺さ、謝らなくちゃいけないことがあるんだ……。そっちからもう見てるかもしれないけど、俺、こなたのことを……」
そこまで言いかけて、そこから言葉が続かなかった。そうじろうは墓石の前でうずくまり、涙をこぼし続けていた。
かなたの魂が慰めてくれるわけではないし、そうじろう自身も必要としていなかった。
許してくれることも望まない。むしろ軽蔑してくれてもよかった。そして自分は、その中でただひたすら泣きじゃくっていたかった。
こうすることで満足できるのである。たとえそれが自己満足に過ぎないものだとしても……。


「そう君……」
そうじろうの耳に、ついこの間まで聞きなれていた声が響く。
「かなたの声……どうして?」
よく状況を把握しきれていないうちに、今度は見慣れていた人物の姿が目に飛び込む。
そうじろうは確信した。ここにいるのは紛れもなく、かなただと。
そうじろうが「かなた」を認識すると、呼応するかのように「かなた」が話しかけてきた。
「そう君、すごく泣いてたね」
「かなた、何でそれを……ああ、なるほど」
そうじろうはこれが夢であると見抜いた。実にできすぎている展開だ。それも夢であるなら納得できる。ならばこのまま都合のいい夢を見ていたかった。
「そう君……」
「何だい?」
「すごく幸せだったから、私……だからもう悲しまないで」
そう言うと「かなた」の指がそうじろうの顔に当てられた。指はそのままそうじろうの涙をふき取っていった。
そうじろうが突然の出来事に戸惑っていると、微笑みながら言葉を紡いだ。
「そう君ならこなたのこと大事にしてくれるって信じてるよ。だってあの時、自分の悪い心を振り払おうとしてたもの……」
「かなた……」
「そろそろ時間だから……もう行くね」
「ま、待ってくれ!」
「いつもそう君とこなたのこと、見守ってるから……じゃあね」
「かなたー!」


目を覚ましたそうじろうは、やはりあれが夢だったと実感した。涙が乾いているのは……あくまでも自然乾燥だと思うことにした。
「しっかし、何であんな夢見ちゃったんだろ?」
そうじろうは考え込み、そして気づいた。
夢には多かれ少なかれ見る人間のイメージが投影されている。自分が「かなた」の夢を、それもあのような内容の夢を見たのは、自分のかなたに対するイメージ――人を暖かく包み込む優しさが反映されているからだと。
いや、それも少し違うと、また頭をひねる。
人がイメージを形作るには記憶が必要、つまり……。
ようやくそうじろうに理解できた。これは自分に向けられたかなたの優しさに触れた記憶によるものであるということを。どのような自分も受け入れてくれるかなたがいたことを――。
そして思い出した。自分がどれほどかなたを振り回しても、謝れば許してくれたことを――。
「ごめんよ、かなた。もう一つ謝らないと。お前のこと信じてなかった……」
そう墓石に向かって謝った。
「それで、こなたのことだけど……お前の分も目一杯愛情注いで育てるよ。もちろん、いつかあの時のことを話してこなたに謝る。だから許してくれ」
墓石は相変わらず無言である。だが別にそれでもよい。かなたは許してくれることを分かっているから。
そう思うと、そうじろうの心は急に軽くなった。それは体にも影響を与えた。
そうじろうの腹がだらしない音を立てた。すると無性に笑いがこみ上げてきた。何もかもがすっきりしたかのように。
「悲しくても腹は減るもんだなあ」
何かのアニメの台詞を引用したのだろう。そうじろうは元のそうじろうに戻った。
「えーと、まずはどこかで腹ごしらえをして、それから荷物をまとめて……一刻も早くこなたの所へ帰ろう、うん!」

この旅で一人の男の人生が変わった。娘がそのことを知るのは何年も先のこととなる。



泉家にある一枚の写真――。
夏のある夜に撮影されたものである。
写っているのは一家の主そうじろうと娘のこなた、そして何か得体の知れないもの……。
その場に居合わせた「当事者」たちは、やれ「呪われる」だの「心霊写真」だのと騒ぎ、折を見てお炊き上げしようという方向にまで話が飛躍した。
しかし、何か引っかかるものがあったのか、結局お炊き上げの話がうやむやになってしまったまま、時間だけが経過していった。
こなたが母の墓参りに――それもわざわざ石川の方に――行きたいと言い出したのは、その写真を見てからだった。
特に理由などない。ただ「何となく」でしかなかった。

出発は秋のある連休。
顔ぶれはそうじろう、こなた、いとこの小早川ゆたか、その親友の岩崎みなみである。
かなたの墓参りなのだから、本来ゆたかとみなみが同行する積極的な理由はない。
ゆたかが墓参りを申し出たのは、「おばさんも私にとって大切な人だから」という自発的な理由による。
もっとも、ゆたかはあまり体が丈夫ではない。普段はみなみがゆたかを介抱している。
ゆたかの付き添いならば、ゆたかの姉の成実ゆいも考えられたが、仕事が入ってしまった。そこで名乗りを上げたのがみなみだった。
ゆたかはみなみに迷惑をかけたくないと考え、みなみの付き添いを遠慮したが、それでもみなみは着いて行くと譲らない。ならば自分は墓参りを取りやめると言ったところ、今度は行った方がいいと主張し、とうとうゆたかが折れた――これが事の次第である。
そうじろうの方は快く承知した。旅行は大勢で行った方が楽しい、とは本人の弁だが、女好きである性格を考えると、邪な――しかしささやかな――下心があったことを、こなたはとうの昔に見抜いていた。

石川へ向かう道中でゆたかが何度も気分を悪くしたものの、一行は無事に到着した。
以前そうじろうがかなたの墓参りに行ったときと同様、かなたの実家で一晩過ごし、それから翌朝墓参りに出かける予定となっている。もっとも、ゆたかとみなみはそうじろうの実家に泊まり、翌朝合流することになっている。
そうじろうの両親、つまりゆたかの祖父母がゆたかの顔を見たいと言ってきたためだ。
そのような経緯を経て夜が明けた。
それぞれ朝食を終えると、予定通りそうじろうとこなたは、かなたの眠る墓地に向かった。あとはゆたかとみなみが来るのを待つだけ――なのだが、一向に現れる気配がない。
「遅いなあ、ゆーちゃんとみなみちゃん」
こなたが心配そうにつぶやく。
それからさらに五分ほど経過して、こなたの携帯が震えはじめた。
「こなた、携帯鳴ってるぞ?」
「あ、マナーモードにしてたから気づかなかったよ。もしかしてゆーちゃん?」
発信源を確認したところ、果たしてゆたかであった。
「あ、もしもしゆーちゃん?」
「あの、岩崎です……」
「おりょ? みなみちゃん、どしたの?」
「すいません、もうすぐそっちに着きそうなところで、ゆたかが気分悪いって……」
「そうなんだ……で、今どこ?」
「とりあえず、近くの公園に……しばらく休んでから行きます」
「うん、分かった。じゃあ先にお墓参り済ませちゃうから」
こなたが通話を終了し、携帯をかばんにしまったところでそうじろうが尋ねた。
「ゆーちゃん、具合悪くしちゃったのか?」
「うん」
「じゃあ、先に行こうか」
「うん」

そうじろうとこなたは脇目もふらずに、そして互いに一言もしゃべらずに、ただかなたの墓へと足を進めた。
やがてかなたの墓に到達する。
そうじろうは慣れた手つきで花を供え、線香に火をつけ一部をこなたに渡す。
先にそうじろうが線香を手向け、手を合わせる。こなたもそれに続く。
二人は終始無言であった。ここが墓地だからというのもあるだろうが、そのことがすべてではないだろう。
なすべき作業を終えてもまだゆたかとみなみは姿を見せない。
このまま漠然と時間が流れるのに耐え切れなくなったのか、そうじろうが口を開いた。
「なあ、こなた。ゆーちゃんたちが来るまであっちで待ってようか」
「うん」
二人は墓地からほんの少し離れたところにある境内のベンチに腰掛けた。
「こなた、かなたの墓参りは埼玉でもやってただろ? 何でわざわざこっちに来ようと思ったんだ?」
「お父さんさ、前に一度こっちに来たんでしょ? お母さんのお葬式のすぐ後に」
「ああ」
「それでかなー? 何となくお母さんに呼ばれてる気がして」
「そうなのか……で、何か感じたのか?」
「別に……」
娘の反応に戸惑いを覚えたそうじろうはある決意をした。

「こなた、お父さんな、お前に謝りたいことがあるんだ……」
「何さいきなり?」
「実は……」
父の突然の告白にこなたは呆然とした。
あの時父親が自分のことを……。
「ごめん……ごめんよ……」
そうじろうはひたすら謝罪し続けた。涙を交えながら。
こなたはそれを黙って聞き続け、やがて再び口を開いた。
「お父さん……どうしてそんなこと今言うの? 黙ってれば分からなかったのに……」
こなたの指摘はもっともである。自らの罪を詫びるのは人間として正しい姿勢だが、それが原因で無駄な亀裂を生じることもあるのだ。
こなたは父の意図を測りそこねていた。
「あの時、ここに来たのはその自分が許せなくて……気持ちの整理をつけたかったんだ」
そうじろうは顔をくしゃくしゃにしながら、こなたの問いに答えた。
「それで決めたんだ……絶対にこなたを幸せにすると、あの時のことをいつか謝ろうと」
そこまで言うと再びそうじろうは泣き出した。まさに号泣であった。

こなたは父の肩に体を寄せた。そしてハンカチを取り出すと涙を拭いてやった。
「こなた……」
「お父さん、もう泣かないで……今度は私の話聞いてくれる?」
そうじろうは黙ってうなずいた。
「私ね、お母さんがいなくて、ほんとは寂しかったよ……。
 何でもないなんて嘘、これが漫画だったら奇跡とか起こって……もちろんそんなことないのは分かってるよ、でも……」
気がつけばこなたの目には涙が浮かんでいた。ほんの少しの刺激で決壊を起こしそうなダムのように……。
それでもこなたは気力を振り絞って言葉を続けた。
「私、お父さんより先に死ぬ気はないって言ったけど、でも……でも、お父さんがいなくなるのもやだよぉ……」
こなたの精神が限界を迎えた。
その様子を見たそうじろうもまた、耐え切れなくなった。
そうじろうはこなたを強く抱きしめた。こなたもそうじろうに強く抱きついた。
永遠に一緒にいるなど到底不可能なことは分かりきっている。それでもそうじろうはできるだけ長い時間をこなたとともに過ごそうと決意した。

二人のやり取りが終わってしばらくして、ゆたかとみなみが来た。
ゆたかが墓参りを終えるとすぐに帰宅することにした。元々そういう予定だった。
一行はこの地に別れを告げると、電車に乗り、空港を目指す。
ここを離れればいつもの日々が待っている。少々惜しい気もするが、みんなその「いつもの日々」がたまらなく愛おしいのである。
こなたは家にたどり着くとふと、「きっかけ」の写真を眺めたくなった。
「えーと、確かここに……え? お父さん、ゆーちゃん、ちょっと来て!」
「どうしたこなた?」
「何? お姉ちゃん?」
「こ、これ……」
こなたは写真のある部分を指で示した。この写真が「呪いの写真」などと不名誉な扱いを受ける原因になった部分である。
「嘘……だろ?」
「お姉ちゃん、これって……」
一同が驚きを隠せないのも無理はない。
そこに写っていたのは幽霊、であるからこれはまぎれもなく心霊写真。
ただし写っていた人物はそうじろうの最も愛した女性――泉かなただった。
そうじろうとこなたはようやく分かった。この写真から感じていたものが何であったのか。

翌日、学校でこなたはこのことを友人に話した。
「ふーん、うちの神社にお炊き上げ頼もうとしてた写真にお母さんがねえ……」
「不思議なこともあるんですね」
かがみとみゆきが相槌を打つ。
「きっとそれって、こなちゃんとおじさんがお母さんに対して素直な心を見せたから、神様が会わせてくれたんだよ」
つかさは臆面のない台詞にこなたは切り返した。
「つ、つかさ……恥ずかしい台詞禁止!」
その様子を見てかがみは思えわずからかってたくなった。
「あれー? こなたが珍しく照れてるー」
「うるさいうるさいうるさーい!」

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