「初めてのオフ会」:ID:4snWmxt80

「あの、どうして嘘をついてまで抜け出すんですか?」
手を引かれてカラオケボックスから連れ出されると、私はようやく彼女に質問をした。
同じ県に住んでいるという自称高校教師は手を離して、私のほうに振り返る。
月は出ていなかったけれど、街灯に照らされた顔はまじめな雰囲気が漂っていた。
「どうしてって、ヤバそうな雰囲気やったやん。コナコナは気づかんかったんか?」
「はあ。それはどうも、ありがとうございます」
「ええって。また顔を合わせても気まずいし、とりあえず移動しよか」

一瞬、女同士とはいえ二人きりになるのは危険だろうか、と考えを巡らせる。
しかし、赤の他人の集まりであってもそれが演技の可能性はあるわけで、心配は徒労だと考え直した。
会話もないまま、よくわからない土地をひたすら歩く。
私が人通りのない道に誘導されないかだけに注意を絞っていると、前を行く背中が突然止まった。
その顔の先には電灯がついて辺りを白く照らす自動販売機があって、彼女は財布を取り出している。
「ビール飲むか? 奢ったるで」
「未成年ですけど」
「そんなんわかっとるわ。けどなあ、ウチは中学の二年には体験済みやったで」
そう言って先生は、取り出し口から出てきたばかりの缶ビールを私に差し出した。
高校教師だという話が嘘だとしか思えないようないい加減さだが、一応は恩人の勧めでもある。
迷った末に私はそれを受け取ることにした。
「じゃあ、一口だけ」
私はプルタブを引くと、缶に口をつけながら傾ける。
「どうや?」
うまいやろ、と今にも言いいだしそうな先生の顔に、私はしかめっ面を作って答えた。
「苦いです」
「あはは。真面目やなあ。本当は飲んどらんのやろ?」
「あ、えっと。その……」
ビールが苦いものだと言われているのは、子供に飲ませないための嘘だったのだろうかと焦る。
先生はそんな思考を見透かしているかのように口元を緩ませて、小さく息を吐いて楽しそうに笑った。
「なんや、ほんまにか。コナコナは真面目やなあ」
先生は私が真面目だと何度か繰り返し、ついには笑いを堪えきれずに通行人から不審な目で見られていた。

私はなんだか恥ずかしくなって、ビールの缶を突き返した。
彼女はそれを受け取ると、缶の口を拭いもせずに、勢いよくそれを傾けた。
「こんなにうまいんやけどなあ。真面目で残念やったなあ」
一度ならともかく、こう何度も言われると反発心が疼きだす。
「やっぱり飲みますから、返してください」
「あかんて。娘が旅先で不良になって家に帰ったら、両親が心配するで」
「…………」

車の走る抜ける音で聞こえなければいいのに、両親という単語は私の耳にはっきり届いた。
両親。父親と母親の二人を指す言葉。
誰もが当たり前のようにそれを使う、普通の家庭というものから私を遠ざける大きな壁。
「うちは、父親だけですよ。母は……もういません」
和やかな雰囲気を壊してしまうとわかっていても、私は言わずにいられなかった。
「なんや、地雷やったんか」
先生の声から明るさが消えていくのがわかる。
いつもそうだ。
片親だと知ると、みんなが私に同情する。
気にしないと言ってくれても、そういう人ほど態度が大きく変わっていた。
きっと、これから出会う人もそうなんだろう。
その事実に気づいて以来、私はなるべく母のことを話さないように暮らしてきた。
親友とも言える、同じ中学のオタク仲間にさえ、親のことは秘密にしていた。
それを、今日に会ったばかりの人に話すほうがどうかしていた。
ここまで、か。
無人の公園にまで着いたところで、私は駅への道を探すことにした。
そろそろ帰ろう。
興味はあっても、やはりオフ会なんて来るんじゃなかった。

私がそんな後悔に浸ろうとしたとき、彼女は口を開いた。
「なあ。コナコナは、どうなったら地雷が爆発するか知っとるか?」
意味が分からない。
それでも、どうせこれで最後だと思い、真面目に答える。
「一応は……。踏んで、足をどけてからですよね」
「せやろ。つまり、逃げようとするから互いに傷つくねん」
逃げようとするから?
「それ。まるで、何の問題も無いみたいな言い方ですね。同情されるのには飽きたんですけど」
「こんな事で関係を切ってどうすんねん。言うとくけどな、ウチは優しく遠ざかったりはせえへんで」
私が鼻で笑った瞬間、空き缶が地面に落ちる音がした。
先生の両手に顔を掴まれて、彼女と目が合う。
「同情されるのを嫌うのは構へんけどな。同情された事を理由にして、そっちから逃げとるんちゃうか?」
「……逃げているのはみんなですよ」
私はそう答えたけれど、彼女の目を見る事はできなかった。
だって、とっくに気づいていたから。
彼女は怒りながら泣いている。
自分勝手な怒りなど、怒る理由はいくらでも思い浮かぶけれど、涙の理由は多くない。
彼女は、私が他人を遠ざけることで孤独を抱えていると知って、泣いている。
もちろん、慈愛の手を差し伸べる自分に酔って泣く、という可能性はあるかもしれない。
それでも私には、その涙は本物だとしか思えなかった。
「ゲームの中での関係やったけど、仲間やん。ちょっとでも同情したら、友達から外されるんか?」
先生の熱弁は続く。
私は彼女を信用しようとすでに決めていたけれど、うまく言葉にできなかった。
しかし、このまま黙っていては無駄に説得が続いてしまう。
私はひとまず、先程から固定されたままの顔から、手をはなしてもらう事にした。
「あの、先生の本気は伝わったんですけど。ひとつ言いたいことが」
「なんや?」
「友達としての忠告です。とりあえず、ゴミを拾ってください」

私は開放されたものの、一時凌ぎの嘘ではないかという疑いを晴らすために、会話はなおも続いていた。
夜の公園で、私達はブランコをゆっくりと漕ぐ。
先生のビールは三本目に突入していた。

「なあ、母親の事は今でも好きなんか?」
「よくわからないです。母が死んだのは、私が小さい頃なので」
「そうか。それも寂しいんか、そうでないんか、ようわからんな」
私だけが話し続けるのは不公平だと思ったけれど、先生はずっとこの調子だった。
たぶん私と同じで、納得はしているのだけれど、惰性で質問を続けているのだろう。
このまま夜が明けるのではないかと思い始めた頃、ようやくネタ切れになったらしい先生は、話題を変えた。
「なんや、コナコナと話しとったら、ちょっとだけ子供が欲しなったなあ……」
「先生なら簡単に相手が見つかりそうですよね。スタイルいいし、美人だし」
「お、嬉しいこと言ってくれるやん。よっしゃ。ウチの奢りで朝まで飲み明かそか!」
「……いや。だけど人は顔じゃないとも言いますからね」
「お前なあ、それは褒めた後のセリフちゃうで」
テンションがおかしくなっているのか、先生は私が何かを言うたびに笑い、私も釣られて笑った。
いったい今日だけで、どれだけ笑ったのだろう。
テレビを見ていても笑いはするけれど、こんなに思い切り笑ったのは随分と久しぶりな気がする。
お酒を飲む気にはなれないけれど、彼女の言うように朝まで一緒にいるのも悪くないと思った。
けれど楽しい時間には限りがあって、この小旅行のタイムリミットまで、猶予はあと少しだけ。
「えっと、そろそろ帰らないと電車がなくなっちゃうんで」
「そうか。ほんなら、駅まで話しながら歩こか」
先生は引き止めるような事はせずに、笑顔のまま私の横に並んだ。
「コナコナは今年で卒業やったっけ。なんならウチの高校に来いや。自由な校風やし、ええ学校やで」
「もしかして、先生の力で入れてもらえますか?」
ありえない事だとは思いながらも、淡い期待を持って私は尋ねる。
「あはは。そんな権限あるかいな。自力や、自力。友達百人作るんも自力でな」
「いや、まあ。友達のほうは三人ほどいれば十分ですよ。そんなにできるのかは、わかりませんけどね」
酔いの回り始めた先生とたわいもない会話をして歩いていると、真新しい建物の駅が視界に入ってきた。
彼女はこの近辺に住む友人の家に泊まるらしく、私達は改札口で別れの挨拶をした。


「今日はありがとうございました。ビール残しちゃってすみません」
「気にせんでええって。お酒は三十路間近になってから、って言うやろ」
「二十歳の間違いじゃ……それは演歌が混じってますよ?」
「細かいこと言わんとき。そんじゃ、また会おな。受験がんばるんやで」
「あはは……。自分なりに頑張ります。っと、そうだ。私の名前は泉――」
「ん、名乗らんでもええやろ。受験が終わったら、またゲームん中で会おうや」
「はい。先生」
そう言って私は彼女に背を向けた。
会話が終わって電車の扉が閉まるようなら完璧だとは思ったけれど、アニメのようにはいかないらしい。
私は少しだけ迷ってから乗るべき電車の来るホームを見つけると、先生がいた方向を見た。
「ネトゲは息抜きだと考えて、勉強の合間にでも遊びに行きますよ……先生」
先生の姿はもう見えなかったけれど、まだ見送りとして改札口に立っているような気がした。



はじめてのオフ会から、約半年の時間が過ぎた。
旅とも言えない距離での日帰りではあったけれど、一人で出かけたのはいい経験になったと思う。
あの日は、私がオタク系イベント以外で知らない町に行った、記念日にもなっていた。
今頃先生はどうしているだろう。
昨日も遅くまで一緒にパーティーを組んでいたけれど、今朝は寝坊をしているんじゃないだろうか。
そう考えていると、チャイムから少し遅れて一人の女性が教室へと駆け込んできた。
それは寝癖のひどい先生で、私はその寝不足気味な顔を見て思わず笑ってしまった。
教師は真面目な雰囲気の中でひとり笑う生徒を見逃さず、私は入学早々に注意を受けることになった。

「そこ。あとで職員室な。ええか泉。絶対に来るんやで」



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