ID:+OcEIZBs0氏:ひかげSS -日常茶飯事-

「はいはーいお姉ちゃん、突然ですが記憶力のテストをしまーす。おとといの夕食はなんだっでしょうかー?」
 某3-B組教諭が出席を取るときのように声高々かつ気だるげにひかげが言った。
「確か……、サラダ菜を湯がいただけのサラダ、だったわねぇ」
 答えてひなたは頬に手を当て、にっこり微笑みながら言った。そう、おとといの夕食は湯通ししたサラダ菜にマヨネーズをかけただけの簡素なメニューであった。
「……正解でーす。じゃあ昨日の夕食はなんでしたかー?」
「昨日はもやしを炒めただけのもやし炒めだったわねぇ」
 またもにこりと目を細めながらひなたが答える。そしてひなたの言った通り、昨日の食事はもやしを炒めて塩をふっただけの簡素かつ質素な料理であった。
 ひかげはそこで少し調子を落として、目線をテーブルの上に向けて一段低い声で尋ねた。
「………………じゃあ、今私の目の前にあるモノは一体なんでしょうか……?」
「お姉ちゃん特製の塩がゆよぉ。遠慮せずに召し上がれ♪」
 食卓の上には深めの皿に具なしのおかゆが白々と盛られていた。それが二つ、姉の分と妹の分。それ以外に食べるものは見当たらない。どうやらこれが今日の夕食であるようだった。
 実に簡素かつ質素な食卓であった。ついでにもう一言付け足すなら、実に簡素かつ質素かつ粗末な食卓であった。
 念のため確認するがひかげは別に通常の食事を摂取できない重病人でもないし、減量中のボクサーでもない。食べ盛りの小学生である。その晩ご飯がこれとくれば、誰だって次のひかげの台詞と同じ言葉を叫ぶだろう。
「ふざけるなあああああああああ!!!!!」
 ひかげは絶叫しながら星一徹よろしく机のふちに手を掛け思いっきり引っ張り上げた。テーブルを引っくり返そうとしたらしいがしかし力が足らず、机はがたんと少しだけ傾いてすぐ平衡状態に戻った。食卓の上の粗末な夕食も無事であった。
「たまにはお肉食べさせてよ! こんなモン人間の食事じゃないよッ!」
 ひかげは鬼が憑りついたような憤怒の表情でひなたを睨み付け抗議した。確かに今時はペットの犬でももう少しマシな食生活を送っているだろう。
 そしてひかげとは対照的に、ひなたはどこまでも晴れやかな笑顔で歌うように答えた。
「あらあらひかげちゃん。わがままはメッよぉ。お姉ちゃんのバイトだけじゃあ収入が少ないんだから我慢しないと」
「それはお姉ちゃんが毎日ぽんぽん買ってくるこの同人誌の山のせいでしょおがああああっ!!!」
 ひかげは雑多に散らかった部屋を指差して言う。確かにそこには同人誌が山のように、もしくは海のように大量に散らかっていた。おまけに外に出ているものは押入れに入りきらなかったものであり実際の総量はもっと多いのである。
「このぺらぺらに薄いくせにやたら値段の高い本のせいで! 私は来る日も来る日も1年365日貧乏生活でちっともまともにメシが食べられないのよっ!!」
「だからそれは『萌え』がお姉ちゃんのエネルギー源で……」
「ええい! その話は聞き飽きたわいっ!!」
 ぱんぱんと机の上を平手で叩きながらひかげが苦言を訴える。
 そうして数分後、最初のうちは勢い良く口角泡を飛ばしていたひかげもそろそろ疲れがきたらしく、ついにうつむいたまま半分泣いたような声を出し始めた。
「……もうやだよ…………、毎日お肉が食べれなくてもいいから、せめてお魚とか食べたいよ……、じゃないと私、動物性タンパク欠乏症で死んじゃうよ…………」

机につっぷしたひかげの口からごもった声が響いてきた。
「……それでおやつにプリンとかケーキを食べて……、週に一度はカレーの日があって……、給料日はすき焼きとかステーキとか、ちょっぴり贅沢するみたいな……、そんな普通の暮らしがしたいよぉ…………」
 あまりにみじめな台詞をみじめそうにおよおよと泣きながら語るひかげであった。この上なくミゼラブルという形容詞が相応しい有様である。この飽食大国日本でこんな会話をして育つ子どもが何人と存在するだろうか。
 アメリカでは死刑囚が最期の晩餐に好物を尋ねられたとき、『ハンバーガー』や『フライドチキン』と答えるものがほとんどであるという。彼等の多くが貧困層の出身で、それ以外に贅沢な食事を知らないからだ。
 ひかげも同じ状況に立たされた時『お肉が食べたい』と答えるかもしれない。
 今にも声をあげて泣き出しそうなひかげを見て、さすがのひなたも目じりを下げて心配そうに呟いた。
「ひかげちゃん…………」
「もおやだ…………お金がほしいよ……それで普通にクラスのほかの子みたいに家で焼肉したり、お外にご飯食べに行ったりしたいよぉ…………」
 ひかげが食事について文句を言うのは毎度の事だったが、ここまで食い下がるのは珍しかった。
 それに、クラスのほかの子みたいにと、ひかげの口からそんな言葉を聞くのはひなたは初めてだった。
「……ひかげちゃん。ひょっとして、学校でお友達に何か言われたの?」
 ひなたが尋ねた。ひかげは黙って答えなかった。
 二人とも何も言わず、沈黙が数秒続いた後、ひかげが組んだ腕に顔をうずめたまま静かに口を開いた。
「…………今日学校で友達と好きな食べ物の話になったの……」
 どもるように節々を嗚咽に詰まらせながら、ひかげは言葉を続けた。
「……でも私お寿司とかステーキとか食べたことなくて……、話についていけなくて……、それですごくバカにされて…………」
 ひかげはふぐっと鼻をすすった。頭は伏せているため表情は見て取れないが、おそらく泣いているのだろう。
「貧乏ってそんなにいけないことなの……? なんでわざわざすごく高いもの食べたり、新しい服買ったりして、それを人に自慢しなきゃいけないの……? 私……わかんないよ…………」
 言いながら、ひかげはぼろぼろと涙をこぼした。
 悲しくて、ではない、悔しかったのだ。学校でバカにされたことが、貧乏と罵られたことが、ひかげにとって悔しくてたまらなかったのだ。
 確かに姉は金遣いも荒いし、お金を家にあまり入れてくれない。しかしそれでもひかげは姉のことが大好きだった。
 姉がしっかり働いてることを知っていた。自分のために一生懸命仕事をしてくれてることをわかっていた。何だかんだと文句を言いながらも、ひかげは心の中では姉に感謝していた。
 クラスメートに家の事情を馬鹿にされたとき、それが姉に対する侮辱に感じられた。一生懸命仕事をして、自分の親代わりになって頑張ってくれている姉を侮蔑する行為に等しいクラスメートの言葉は、ひかげにとって我慢できないものだった。
 だが、同時に自分も同じ事を考えていたのもまた紛れも無い事実だった。
 お金が無くて、贅沢も出来なくて、ほしいものも買えなくて、新しい服も着れないで、毎日質素な食事を取っていた。
 そんな自分に劣等感を抱いていたのも本当だった。だからひかげは、自分と姉を馬鹿にしたクラスメートたちに対して、何も言い返すことが出来なかった。
 誰も悪くない。自分が何かをしたわけでも何かをしなかったわけでもない。姉が不甲斐ないわけでもない。他の誰かが自分たちを苦しめているわけでもない。
 それなのに、なぜ自分は今こんなに嫌な気持ちになるのか。誰に文句を言えばいいのか。ひかげはそれがわからず、ただ目の前の姉に感情をぶつけることしかできなかった。
 やがて泣きつかれたらしく、ひかげはそのまま机に伏せて寝息を立て始めた。

結局、そのままひかげは次の日まで起きなかった。ひなたが布団を敷いてそこに眠ったままのひかげを運んで寝かせていたが、朝に起きた時にはもぬけの殻になっていた。どうやら一人で起きて学校に行ったようだ。
 朝食にと置いていた塩がゆは、そのまま手付かずで残されていた。あそこまで文句を言った手前食べづらかったのか、もしくはひかげなりのハンガーストライキのつもりなのかもしれない。
「ひかげちゃん…………」
 食卓の上にラップにかけられたまま放置された食事を見ながら、ひなたはぽつりと、誰にでもなく言葉をこぼした。声はすぐに部屋の静寂に染み込んでいった。
 窓に映る朝の景色は、どこまでも晴れやかな雲ひとつ無い青空だった。
 外の喧騒が遠くに聞こえた。


 そして、東から昇った太陽が南を通過して、やや西に傾いた頃の時間だった。ひかげは学校が終わり、家に帰ってきた。
「ただいまー。……て、お姉ちゃんはバイトだから誰もいないか。……ん?」
 ひかげはカバンを下ろしながら部屋を見てふと思った。何かが足りない。
 よく見ると、床に散らかっていた同人誌が無くなっていた。
「お姉ちゃんが片付けたの? でも押入れの中は他の本でいっぱいのはず…………」
 ふすまを引いて押入れの中を見る。そこには、確かに本の入ったダンボール箱があった。
 しかし、その数が少ない。それまでは確かもっと隙間なくびっしりと詰まっていたはずだ。
 そこでふと気づいた。一枚の紙が机の上に置いてあった。手に取ってみると、それは中古書店の買取確認書であった。
「……古本屋の。つまり、お姉ちゃんここにあった古い本を売ったんだ」
 あのひなたが人命の次くらいに大切にするであろう自分の同人誌を売却した。
 なんで? だなんて聞くまでもない。おそらく昨日ひかげが言ったことが原因だ。
 お金がほしい。いいものが食べたい。ひかげがそう言ったから、読まなくなったとはいえ、大切な自分の宝を処分してまで、ひなたは余分なお金を作ってくれたのだろう。
「お姉ちゃん…………」
 ひかげは一人きりの部屋で呟いた。
 ふと昔の事を思い出していた。
 両親に先立たれて、生きていくすべなんてあるはずもなかった、幼い頃の自分。葬式ではもう目を開けることのなくなった父と母を見てわんわん泣くことしかできなかった。
 大好きだった両親にもう会えない悲しさ、そしてこれから自分がどうなるのかわからない不安、そうした感情に押しつぶされそうになっていた。
 そんな小さな自分を抱きしめて、温かい手で頭を撫でてくれたのがお姉ちゃんだった。「大丈夫よ」と言ってくれた。姉も辛かったはずなのに、たまらなく不安であったはずなのに。
 寒々しい外気の中、姉の体は暖かかだった。まるでひだまりのように、そこにいるだけで安心できた。
 だから、いつも文句ばっかり言ってるけど、私はお姉ちゃんのことが…………
「ただいまぁ~。あら、ひかげちゃん帰ってきてたの? 早かったのねぇ」

 玄関から聞こえてきた声に驚き、ひかげは体を飛び上がらせた。振り向くと、ひなたがいつもの細い目で部屋を覗き込んでいた。
「あら? どうしたのひかげちゃん。そんなところでぼーっと立って」
「な、ななななんでもないっ! てゆーか勘違いしないでよね! 別に私はお姉ちゃんに対して! ありがとうとか! そういうこと全然思ってないんだからっ! 一家のダイコクバシラとして家にお金を十分入れるのは当然の事なんだからっ!」
 ひかげは姉を指差してながら一気にまくし立てた。
 ひなたは、なぜかいきなりひかげが機嫌を損ねたようにばたばたとしているのを見て頭をかしげた。
 ひかげは顔を真っ赤にして、いきなり大声を出して疲れたらしく肩で息をしていた。
「……でっ!?」
「で?」
「だ、だからお金よ! あるんでしょ!? ここにあった同人誌売ったんでしょ!」
 ひかげはてのひらを上に向けて前に差し出す『金よこせ』のジェスチャーをしながら言った。
 対してひなたは、「ああ」と合点がいったようにぽんと手を叩いた。
 そしてなぜか申し訳なさそうに目じりを垂らしながら口を開いた。
「それがねぇひかげちゃん。実はもうそのお金ほとんど残ってないのよぉ♪」
「…………へ?」
 ひかげは目を点にして口を半円型にぽかんと開けた。
 姉はごそごそと肩から下げていたカバンの中身を探った。そして、出て来たのは大量のアニメ雑誌と漫画単行本だった。
「今日からコンプ祭が開催されてるんだけど、ちょっと軍資金が厳しかったのぉ。だからすっごく迷ったんだけど、昔の読み飽きた本を売っちゃうことにしたの♪」



幾秒後・・・・・・


「どうしたのひかげちゃん? おトイレに閉じこもったりして……」
「うるさいっ!」
 ひかげは怒り心頭の様子で声を荒げた。
 無理もない。ひなた的には何も悪い事をした覚えは無いだろうが、ひかげは勝手に内心をひどく裏切られた気持ちになっていたのだった。
「ひょっとしてお姉ちゃんが漫画をたくさん買ってきたのを怒ってるの? 大丈夫よぉ、あとでひかげちゃんにも見せてあげるからぁ」
「いるかっ!!」
 ひなたはトイレのドアの前で心配そうに顔を傾けていた。いつも通りに本を買って帰っただけなのに、なぜ今日のひかげはこんなにも機嫌を損ねてしまったのだろうか、ひなたにはそれがよくわからなかった。
 だがこうなったらひかげは当分出てこないだろう。ひょっとすると明日の朝までこのままでいるつもりかもしれない。ドアは天の岩戸のごとく堅く閉ざされていた。
 と、そこでひなたの頭上に、ぴんぽーんという効果音とともに電球が一つ光った。
「そうだ。今日の同人誌を売ったお金、まだ少しだけ余ってるのよねぇ。せっかくだし、今日の晩御飯はお外に食べに行きましょうかぁ♪」
 ひなたが言うが返事は無い。
「ああでもひかげちゃんは、なんだか今日はおなかの具合が悪いみたいだしぃ、残念だけどお留守番かしら? 悪いけど、お姉ちゃんだけで行ってくるわね♪ さーて、何を食べに行こうかなぁ♪」
 そう言いながらドアの前を離れて、鼻歌まじりに出かけ仕度をはじめるひなた。
 まもなく、がちゃりと音を立ててトイレのドアが開いた。いともあっけなくひかげは降伏してきた。
 ひかげは半泣きの瞳で姉を見上げて、口を尖らせながら言った。
「……ハンバーグっ!」
 ひなたはにっこり微笑みながら、「はいはい」と返した。



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