ID: > FCrF4+ZO氏:Slump Beat

「いっただきまーす」

目の前には特製のナポリタン。
そして亡き妻の遺してくれた最愛の娘の姿。

見ているだけで、声を聞くだけで、触れ合うだけで、どんな疲れだって一気に吹き飛ばしてくれる何よりもの特効薬。
それさえも、今の彼には届かなくて。

「‥‥すまん、こなた。今日はちょっと遠慮しとくわ」
「ぇ‥‥お父さん食べないの?」
「ん、折角作ってくれたのにごめんな。また腹が減った時にでも食べさせてもらうわ」

その声には何の抑揚もなく、まるで役者の卵が大根な演技をかましているような生気のなさだけがあった。
当然それに娘のこなたが気づかないはずも無く。

「お父さん、どっか具合でも悪いの?」
「いやぁ、少しスランプ中でな・・・じゃあお父さん仕事に戻るな」
「うん・・・」

スランプ。いわゆるネタ不足。これからのストーリーを考えること。
作家をやっていれば誰でもぶち当たる壁を、そうじろうは久々に体験していた。

仕事部屋に戻り、ため息を一つついてからノートパソコンの起動ボタンをプッシュ。
娘に露骨なまでに心配をさせてしまい、自分を偽る余裕すらも無くなってしまっていることが情けなくて腹が立つ。

「(しかしこんなスランプ‥‥まだかなたが生きていた、あの時以来じゃないか?)」

あの頃は当然ながらそうじろうも若く、激しいネタ不足に喘いではかなたに付き添ってもらって気晴らしに酒を呑んだり、遊びまわったりしていたものだった。
かなたもまだ元気で、しばらくは稼ぎが無くともある程度かなたが働いて稼いでくれていた。

しかし今は違う。
娘という何よりも大切で、かけがえのないものを一人で背負っている。


実はというと、そうじろうは二ヶ月ほど前から同じようなスランプに陥っていた。
とにかく次が思い浮かばない。まるで先に進むための釣り橋を落とされたかのように、全く先の展開が予測できない。
だからと言ってずっとこの状態でいる訳にはいかなかった。
例え川に落ちてそこから這い上がってでも次に進まなければいけない。自分の肩には何よりも大切な娘がかかっているのだから。

「‥‥‥ッ!」

そう自分に言い聞かせるたびに、弱りきった心はどんどん萎縮していく。
顔は既にディスプレイを見ていない。俯き加減で右手の指先にある「J」ボタンをカタ、カタカタ、と押していく。しばらくしてから画面を見ると「jjjjjj」と何の意味も持たない文字が羅列されていた。

jjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjj。
ドラッグして一斉消去すればいいもののマウスに持ち替える気力も無く、指の位置を少し斜め右上に移して消去ボタンで一つずつ消していく。
やっとのことで文字を全部消し終わると、ばたりと後ろに倒れこむ。そこら辺にあった座布団を引き寄せて、半分に折りたたむとそれを枕代わりにして天井を見つめた。



参った。これは参った。

にっちもさっちも行かないとはまさにこのことで、過去の自分の作品を読み返してみたり、少し遠出して気晴らしをしてみたりと色々頑張ったものの全く突破口が見出せない。
暗闇の中を手探りで、引っ掻いても引き寄せても全く感覚が無いような。必死でもがく手が空を切っていく感触。





次の日、そうじろうは朝の食卓にも顔を出さなかった。

娘のこなたが作った今日の朝食はベーコンエッグ。アツアツの黄身は丁度半熟で今が食べごろ、という状態だが、それでもそうじろうは起きてこない。

「おとーさん、アタシもう学校行くよ?朝ごはん置いとくからね。早く食べないと黄身が固くなっちゃうよ。あと昨日お風呂入ってないんだから入らないとダメだよ」

まるで壁に向かって話すように呟くと、玄関でひとしきりの生活音が聞こえた後に家の扉が閉まる音がする。
娘の通学を告げるその音を最後に、あたりには水を打ったような静けさが広がっていた。
仕事部屋でそのまま寝ていたそうじろうの身体には、いつの間にか毛布がかけられている。娘が出来る、父への精一杯のお手伝い。
いつも自分のことばかりで飄々としているように見えて、こういうさり気ない気遣いのきくところは亡き妻のかなたによく似ていた。
それがそうじろうの胸の奥で切なく疼く。


遥か彼方へと逝ってしまった妻。
その妻が遺してくれた、此方にある娘。

今までも、そしてこれからも自堕落な自分がここまで守りたいと思うことは無いであろう二人を、そうじろうは既に一つ無くしてしまっている。
だからこそ、もう失うわけにはいかない。例え自分の命に換えてもそれは守り通さねばならない。
こなたがいなくなってしまえば、もう自分に残るものは何一つとしてないのだから。

そう考えれば考えるほど、体から力が抜けていく。
身体を起こす力さえも失われて。

「くそっ‥‥‥」






どれくらいそうしていたのだろう。
カーテンのかかる窓からは薄く夕日が差し込んでいた。
目を凝らす。いつもははっきり見えるはずの天井。なのにまるでピントがズレたみたいにぼやけているところをみると、どうやらまた眠りについていたようで。

ふと、喉が渇きを訴えていることに気づいたそうじろうは、久々に身体に力を込めた。
昨日の夜から何も食べていないというのに何故か空腹は感じない。今考えていることで腹がいっぱいなのだろうか。
しかし失われていく水分には抗えず、おぼつかない足取りで台所に向かう。

水をコップに一杯、それを一口口に含んだだけでふらふらと食卓のテーブル、そこにある椅子へと座り込んだ。


休んでいるヒマなど少しもないはずなのに。娘を路頭に迷わすことなどあってはいけないとわかっているのに。それが自分の唯一で絶対の存在意義なのに。
情けない。情けない。情けない。
その想いが苛立ちとなり、どうしようもない怒りの感情を生み出す。

「俺は、俺はッ・・・!!!」

ぱきゃん。
突然、道路の水溜りに張った氷が何かに踏み潰されたような音がした。
同時に迸る、鈍い感覚。


「ただいま~‥‥ぇ?」

ほぼ同時に小さくきぃ、と床を踏みしめる音がする。
愛しき娘の帰宅を告げる音。おかえり、と言おうとして顔を上げたそうじろうだが、言葉の方は出てこなかった。

いつものリラックスしたはずの娘の表情は、見てはいけないものを見てしまったかのように強張っている。

「おっ、おとーさんっっ!!!」
「どうしたんだ、そんなに慌て───」
「手っ、手・・・・・!!!」

まるで縮地でも使ったみたいに素早く父に近づくこなた。すかさず彼の右手を取ると、急いで治療にかかる。

そうじろうの握っていたグラス。それは今跡形も無い位に砕かれていた。
自分への怒りに任せて力を込めた際の副作用。だが勿論、ガラスの破片を思いっきり握り締めた右手が無事で済むはずが無く。

その手からは至るところから血が噴出し、腕の方まで鮮血に染まっていた。








「‥‥ふぅ、これでおっけ、と・・・」

右手だけ包帯男のソレになってしまったそうじろうは、未だに呆けた顔をしていた。
合気道を習っていたことによるケガの時の前知識もあるだろうが、こういった作業をそつなくこなしてしまうあたり、やはりかなたの血を引き継いでいるということだろうか。
包帯を結び終わったこなたは、結び目を持ったまま動かない。

「ごめんな、こなた・・・少し考え事してて気づかなかったんだ」
「気づかない‥‥って、グラス握りつぶして手がグチャグチャになってんのに気づかないなんてあり得ないよ!?」
「ホントだよな、父さん、何やってんだろうな・・・」

ここまで来るともう情けない自分を嘲笑することしか出来ない。
ふと、包帯の結び目を握ったこなたの手が震えてることに気づいた。

「おとーさんの、ばかっ・・・!」

身体に力の入らないまま、ふいっと娘の方を一瞥する。
俯きがちになったその顔から表情は窺い知れない。だがその小さな身体がおかしいほどにぶるぶる震えていることは分かる。

「お、おい、こな───」
「アタシがっ!!アタシがどんだけ心配したか分かってんのっ?!最近おとーさん全然元気ないし、でもアタシにはご飯作って寝ちゃったおとーさんに毛布かけてあげる位しか出来ないんだよっ!!
でもお父さん全然元気になってくれないし、どんどんやつれてってさ‥‥‥‥アタシ、あたしもうそんなおとーさん見たくないよっっ!!!!」


霧が晴れていく。
霞(かすみ)がかった深い森林の濃霧が、一筋の風で全て吹き飛んでゆくような。
そうじろうの頭には何も浮かんでこなかった。ただ、ただまっ白な世界。

そう、こなたはずっと前から気づいていた。
父の調子が悪いことも、それを娘には感づかせまいと無理をしていることも。
でもそれに気づいていることがバレてしまえば、父はさらにそれを取り繕うようにして無理に元気な姿を見せるだろう。父は自分に心配をかけたくないのだから。
娘にしてみれば、そんな無理をする父の姿など見たくなかった。痛々しくて見ていられなくなるのは目に見えていた。

気づいてないフリをすることが、こなたにとってどれだけの負担になっていたのだろう。本当はすぐにでも父さんに話を聞いて、力になってあげたかった。
小さいその身体に想いを封じ込めて、無理に何も気づいていないフリをすることがどれだけ苦痛だったのだろう。

ぼすっ、とその小さな身体が父の胸に収まる。
未だに「ばか、ばか」と連呼しながらそうじろうの作業衣を握り締めるこなた。

久々にその温もりを胸に抱き、改めて思う。
いとしい、守りたい、と。








ひとしきり泣き止んだ後で、父の作業衣で涙を拭いてからこなたは顔を上げた。
未だ潤んだままの瞳。だがそこにはしっかりと意思が宿っていた。

「‥‥おとーさん、アタシ明日学校休むから」
「はぁ?それはまたどうして‥‥」
「こんな大怪我しても全然気づかないような人が家にいたんじゃ学校で集中して勉強なんて出来るわけないじゃん」
「は、ははは・・・」

手厳しい発言を残しながら、ゆっくりと立ち上がるこなた。
こなたはそこら中に置きっぱなしの荷物を片付けるために、自分の部屋のある二階へと向かった。
・・・かと思いきや。



ふと、首の辺りに感じる熱。
床に座り込んでうなだれたままの父の背中を、娘が優しく背後から抱きしめていた。

「お父さん、言ってみてよ。何でそんなになっちゃったの?」
「‥‥ああ」

娘にこんな情けないことを言えるはずが無い。

「父さんな、ほんの二ヶ月前くらいから全く小説のアイデアが浮かばなくなったんだ」
「うん」

父として、娘にこんな情けない姿を晒しているだけでも穴があったら入りたいほどなのに。

「軽いスランプならたまにあることなんだけどな、今回は一月たっても二月たっても全く見込み無い位に直らなくってな」
「うん」

そもそも何で今まで隠し通してきたのか。それはこなたに心配をかけさせないためじゃなかったのか。

「でもいつまでもこんな状態だと稼ぎがなくなるだろ。まだ高校生のこなたにそんな心配をかけさせちゃダメだって思ったら、何でかますます書けなくなってきてな」
「うん」

では何故今、俺は安易にもその娘に全てを吐露しているのだろう。自分の意志はそこまで弱いものだったのか。

「せめてこなたには心配かけないように、って思ってたんだが、とうとう無理が利かなくなってな。娘に元気なフリも出来ない自分が情けなくって」
「うん」

うつろな視界に白くて細っこい女の子の指が見える。

「娘に心配ばかりている自分が情けなくてもう仕方がなかったんだ・・・!」
「うん」

違う。まるで自分の凍りついた心を容易く溶かしていくような、この温もりは───

「かなた・・・っ!」



そこには、亡き妻かなたの面影をありありと遺した娘こなたの姿があった。

そうだった。
確かにかなたはここにはいない。でもだからといって、自分独りで家族を支えているわけがなかった。
自分とこなただけの家庭でも決してない、そうじろうと、かなたと、こなたと、三人がいて初めて成立するこの泉家。
かなたの存在はこなたの胸にも、勿論そうじろうの胸にもしっかりと刻み込まれているのだから。

自分だけでやってきたわけでは到底なかったのだから。



「───‥‥ぁ、す、スマン・・・こな」
「いいよ」

自分は何を思い上がっていたのだろう。
そもそもかなたがいなければ、こなたがいなければ今の自分など元からありはしなかったのに。

「本日限り限定だけどね。‥‥お父さん、寂しかったんでしょ?」

呆れたような、それでいて小さい子供をなだめるような優しい瞳をもって、両手を広げる娘の姿。
それは壁にぶつかってへこたれてる自分を優しく受け止めてくれた、在りし日のかなたにどこまでも酷似していて。
凍り付いて何もかもを遮断していた心は、いとも容易く解き放たれた。


「かなた、かなたっ・・・!!」
「‥‥ふふっ、何時までたってもしょうがないんだから、そうくんは」

どこからか、亡き妻の声が聞こえたような気がした。








「明日はアタシが一日中おとーさんの相手してあげるかーらね」
「ホントか?期待してるぞ~性的な意味でも」

すちゃ。ぴっ、ぴっ。

「ぁ、もしもし先生ですか?やっぱりアタシ明日学校行きます。ついでにこう言っては何なんですけどしばらく泊めてもらえませんか?激しく身の危険を感じたので」
「うあ゙あ゙ぁ゙ごお゙ぉ゙ーな゙あ゙ぁ゙ーだあ゙ぁ゙ーーーー!!!」
「分かったらこれ以上セクハラな発言しないこと。さすがにアタシでもフォローしきれないよ」



時刻は夜7時半。
目の前には昨日と同じ、娘の作ってくれた晩ご飯が並んでいた。

「さぁ~出来たよ、お父さんっ」

ただ、いつもと違うのは。

「な、なぁ、こなた?」
「ん?どーしたのおとーさん。そんな青ざめた顔して」
「い、いや、こなたの飯が食えるのはお父さん凄く嬉しいんだけどな、これは幾らなんでもちょっと‥‥」
「ダメだよおとーさん。今までどれだけアタシの作ったご飯残してきたか分かってんの?あと食事当番のことも忘れてたでしょ。最近ご飯ずーっとアタシが作ってるんだよ」
「す、スイマセン・・・」
「だめ、許してやんない。このご飯全部食べきるまでは許してあげないからね!」
「ひ、ひいぃ・・・」
「まぁおとーさんなら楽勝だよねー。こーんな可愛い娘がけなげに毎日ご飯を作ってくれてるんだから、こん位秒殺だよね?」

某バラエティ番組で挑戦されていた、「某中華料理店に6人で行って、食費10万円を使い切ろう」という企画をご存知だろうか。
だがその結果は無残。腹いっぱい食べて、あまつさえ残しているのに使った額はおよそ1万5千円だったという。

おそるべし、中華料理。おそるべし、餃子の○将。

「ほれほれほれ~、さぁ~~~、遠慮しないで食べたまへ~?」
「ひぃ、いやぁあああぁ!!!!」
「はっはっはっ、まぁこんくらいしないとアタシの腹の虫は収まってくれそーにないんだよね~こなったこなった☆」
「それはお前だっ!!色んな意味でっ!!!」


しかし、こんなドタバタ劇の次の日には、二ヶ月悩んで出せなかった答えがあっさりと出せてしまったりするのだから不思議である。






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