ID:LEHUg+q70氏:胸

 高良みゆきの胸と云えば、「らき☆すた」界で知らない者はない。
 周囲は二十九寸あって撓わに実っている。形は丸みを帯びてぴんと張っており美しい。
 云わば熱帯の果実のような物が、彼女の端麗な容姿を彩っているのである。

 十六歳となった岩崎みなみは、小学校時代の昔から、陵桜学園に進学した今日まで、内心では始終みゆきの胸を羨んで来た。
 勿論表面では、今でもさほど気にならないような顔をしてすましている。
 これは専念に、日頃から何かと世話になっている先輩に、そのような感情を抱いているのが悪いと思ったからばかりではない。
 それよりむしろ、自分で胸を気にしていると云う事を、人に知られるのが嫌だったからである。
 みなみは日常の談話の中に、胸や乳などと云う語が出て来るのを何よりも惧れていた。

 みなみが胸を気にしている理由は二つある。――一つは実際的に、胸の無いのが不便だったからである。
 第一ブラジャーを買う時にも容易ではない。迂闊に着ければ、布と肌との間に大きな空間が出来てしまう。
 そこでみなみは、日常的にはブラジャーを付けず、晒木綿(さらしもめん)――所謂サラシのみで済ませる事にした。
 しかしサラシを下着として用いると云う事は、決して容易な事ではない。
 一度体育の授業中にサラシが解(ほど)け掛かり、それを小早川ゆたかが他の皆に気付かれぬよう結わいてくれた話は、
 田村ひよりによって同人誌のネタとされてしまった。
 けれどもこれはみなみにとって、決して胸を苦に病んだ主な理由ではない。
 みなみは実にこの胸によって傷つけられる自尊心のために苦しんだのである。

 「らき☆すた」界の者は、こういう胸をしているみなみのために、みなみにはゆたかがいる事を仕合せだと云った。
 貧乳がステイタスと捉えられるのは世間的にはまだ極く僅かだと思ったからである。
 中にはまた、あの胸だから、自分より全体的に小さなゆたかと一緒にいるのだろうと批評する者さえあった。
 しかしみなみは、ゆたかが傍にいるために、幾分でもこの胸に煩される事が少くなったと思っていない。
 みなみの自尊心は、数少ない友人を比較対象と看做すには、余りにデリケイトに出来ていたのである。

 そこでみなみは、積極的にも消極的にも、この自尊心の毀損を恢復しようと試みた。
 第一にみなみの考えたのは、この僅かな胸を実際以上に豊かに見せる方法である。
 これは人のいない時に、鏡へ向って、いろいろな角度から胸を映しながら、熱心に工夫を凝らして見た。
 どうかすると、角度や方向を換えるだけでは、安心が出来なくなって、
 両手で寄せてみたり乳首の先へ指をあてがったりして、根気よく鏡を覗いて見る事もあった。
 しかし自分でも満足するほど、胸が豊かに見えた事は、これまでにただの一度もない。
 時によると、苦心すればするほど、かえって平らに見えるような気さえした。
 みなみは、こう云う時には、鏡の蓋を閉めながら、今更のようにため息をついて、
 不承不承にまた元の勉強机へ、宿題をしに戻るのである。

 それからまたみなみは、絶えず人の胸を気にしていた。
 陵桜学園は、千二百人の生徒が在籍する巨大学園である。
 学園内には、凡そ五百人もの女子高生が、制服や体操着などで日々闊歩している。
 みなみはこう云う人々の胸を根気よく物色した。
 一人でも自分のように胸の僅かな女子を見つけて、安心がしたかったからである。
 だからみなみの眼には、紺のニーソも青のスカートも入らない。
 まして靴や上履きなぞは、見慣れているだけに、有れども無きが如くである。
 みなみは人を見ずに、ただ、胸を見た。――しかしAカップはあっても、みなみのような胸は一つも見当らない。
 その見当らない事が度重なるに従って、みなみの心は次第にまた澱んだ。
 みなみが泉こなたと話しながら、思わず両方の胸を手で抑えて見て、年甲斐もなく顔を赤らめたのは、
 全くこの澱み動かされての所為である。

 最後に、みなみは、小説や漫画などの中に、自分と同じような胸の人物を見出して、
 せめても幾分の心やりにしようとさえ思った事がある。
 けれども、胸の豊かさを描写する作品はあれど、胸の僅かさの描写はどの作品にも見られない。
 みなみは、アマゾネスは生まれて間もなく片胸を切り落とされるので、成長しても片方の胸は平らなままであるという事を聞いた時に、
 それが両胸で、しかも生まれつきのものだったら、どのくらい自分は心細くなくなるだろうと思った。

 みなみがこう云う消極的な苦心をしながらも、
 一方ではまた、積極的に胸の大きくなる方法を試みた事は、わざわざここに云うまでもない。
 みなみはこの方面でもほとんど出来るだけの事をした。
 牛乳は毎日欠かさず五合以上飲み、睡眠は必ず毎晩七時間半は摂っている。
 優しく揉むと良いと聞き、両手が攣るまで胸を弄っていた事もある。
 しかし何をどうしても、胸は依然として、ぺたんと平らなままではないか。

 所がある日、ゆたかに誘われて、泉家に一泊したときのことである。
 泉こなたが、僅かな胸を忽ちのうちに大きくする法があると云う。
 実際にある即売会において、かつては貧乳であったコスプレイヤーがこの法に挑み、
 人並みの胸が必要な装束を見事に着こなしきった、と。

 みなみは、いつものように、胸などは気にかけないと云う風をして、
 わざとその法もすぐにやって見ようとは云わずにいた。
 そうして一方では、自らの胸に手をやり、無言で俯き、悩んだ。
 内心では勿論その法を試したく思っており、こなたが強く自分を説伏せようとするのを待っていたとも云える。
 こなたにも、みなみのこの内心がわからぬ筈はない。
 こなたは、みなみの期待通り、口を極めて、この法を試みる事を勧め出し、ゆたかもこれに追従した。
 そうして、みなみ自身もまた心を固め、結局この熱心な勧告に聴従する事になった。

 その法と云うのは、ただ、風呂に肩まで浸かるか、あるいは布団蒸しになる等して身体を温めながら、
 自らの胸を直(じか)に他人に揉ませると云う、極めて簡単なものであった。
 勿論みなみは既に自分でそういった事を試したことがあったが、
 自分で揉むのでは遠慮が出てしまうから、他人に、それも長時間揉ませるのが肝要であると云う。

 かくて、みなみはゆたかと一緒に風呂に入り、ゆたかがみなみの胸を揉む事となった。
 二人とも身体を洗い、互いに互いの背中を流し合い、そして風呂に浸かる。しばらくするとゆたかが云った。
   ――もうそろそろ温まったかなあ?
 みなみは苦笑した。これだけ聞いたのでは、誰も胸の話とは気がつかないだろうと思ったからである。
 みなみの身体は、風呂の温かさのためか、それとも一糸まとわぬゆたかが傍にいるからか、ともかく充分に火照っていた。
   ――ほ、本当にいいんだよね? みなみちゃん。さ、触るよ?
 ゆたかは、最初みなみの正面から、両手を差し伸べるようにしてみなみの胸を触り、そしてゆっくりと何回か揉んだ。
 しかし、すぐに手を離すと、
   ――みなみちゃん、ごめん、何か恥ずかしいから、後ろに回るね。
 と、みなみの背後に回り、そこから両手でみなみを抱えるようにして、再び優しく揉み始めた。
 そしてゆたかは、時々恥ずかしそうな顔をして、みなみの項(うなじ)に眼をやりながら、こんな事を云った。
   ――痛くない? こなたお姉ちゃんは、強く揉んだほうが良いらしいって云ってたけど、痛くないよね?
 みなみは首を振って、痛くないと云う意味を示そうとした。
 ところが、首のみならず、身体のどこも意識して動かすことができない。みなみは、ただ、
   ――大丈夫。痛くない。
 と答えるのが精一杯だった。
 実際、既にみなみの全ては、これまでに経験したことの無い類の快楽に包まれていたのである。

 どれほどの時が経ったか、いつまでも風呂から出て来ぬ二人を心配したこなたが覗くと、
 風呂の湯で茹だったのか、それとも何か他の理由か、
 二人ともどこか恍惚とした表情で、しかしゆたかの手だけが絶えずみなみの胸を揉み続けながら、黙って風呂に浸かっていた。
 こなたに促された二人は風呂から出、パジャマに着替えて布団に入った。
 但し、みなみは普段とは違いサラシを付けなかった。
 二人とも何も言葉を発さず、ひとつの布団に並んで横たわり、掛け布団を掛け、
 その中でゆたかはみなみのパジャマのボタンとボタンの間から手を入れ、みなみの両方の胸を交互に揉み続けた。

 翌朝、やはり二人が起きて来ないので、こなたは二人を起こそうと、掛け布団を剥いだ。そして、驚いた。
 ゆたかの両手の下にあったみなみの胸は、両方とも既に自分よりも大きくなっていたのである。
 みゆきほどではないが、かがみと同じくらいはあるのではないか、そう思った。
 目を覚ましたみなみは、その大きくなった胸を撫でながら、
 こなたが差し出した鏡を、きまりが悪そうにおずおず覗いて見た。
 胸は――あのぺたんと平らだった胸は、ほとんど嘘のように大きくなり、文字通り自信を持ってぴんと張っている。
 乳首とは別に所々まだらに赤くなっているのは、恐らく揉まれた時の痕(あと)であろう。
 こうなれば、もう、大丈夫だ。
 ――鏡の中にあるみなみの顔は、鏡の外にあるみなみの上半身を見て、満足そうに眼をしばたたいた。

 しかし、その日はまだ一日、胸がまた平らになりはしないかと云う不安があった。
 そこでみなみは、ゆたかと二人で歩いている時にも、食事をする時にも、
 暇さえあれば手を出して、優しくそっと胸を撫でてみた。
 が、胸は自信ありげにぴんと張っており、格別それより萎もうとする気配もない。
 その日は二人で百貨店に行き、こなたに聞いていたサイズよりも一回り大きな、新しいブラジャーを買い、
 そして一日じゅうゆたかと街歩きをしてから別れた。
 ただ胸が大きくなっただけで、なんだか世界の見え方が違ってくる――そんなふうに、みなみには思えた。

 それから一晩寝てあくる朝早く眼が覚めると、みなみはまず、第一に、自分の胸を撫でてみた。
 胸は依然としてその大きさを保っている。昨日買ったブラジャーの布と肌との間にも空間はできていない。
 みなみはそこで、幾年にもなく晴れやかな気分になった。

 所が二三日たつ中に、みなみは意外な事実を発見した。
 それは折から、学校での休み時間にゆたかとひよりと三人で話していたときに、
 ひよりが前よりも興味深そうな、不思議そうな顔をして、話も碌々せずに、
 まじまじとみなみの胸ばかり見つめていることである。
 それのみならず、クラスの他の生徒たちが、みなみを指差して、何かひそひそと話をしたり、
 下卑た笑いを浮かべたりしていることもあった。それも一度や二度ではない。

 みなみははじめ、これを自分の胸が急に大きくなったせいだと解釈した。
 しかしどうもこの解釈だけでは十分に説明がつかないようである。
 勿論、ひよりが胸を見つめたり、或いは他の生徒たちの、恐らくは猥褻な会話のネタとされていることなどの原因は、そこにあるのに違いない。
 しかし、ひよりの、自分たちから同人誌のネタを探そうという態度は、以前とそう変わらぬようであったが、
 他の生徒たちが、自分をネタにしている様子は、胸の平らだった昔とは、どことなく違っている。
 長らく貧乳キャラであった人物の胸が、いきなり大きくなったということが滑稽に見えると云えば、それまでである。
 が、そこにはまだ何かあるらしい。

   ――私の胸が平らだった頃、他の皆は私をどう見ていたんだっけ。
 みなみは、一人で自室にいる夜に、緑色の頭を傾けながら、時々こう呟く事があった。
 愛すべきみなみは、そう云う時になると必ず、
 机上に置かれている写真立ての、自分とゆたかが二人で写っている姿をぼんやりと眺めながら、
 胸の平らだった四五日前の事を思い出して、
 「今はむげにいやしくなりさがれる人の、さかえたる昔をしのぶがごとく」ふさぎこんでしまうのである。
 みなみには、遺憾ながらこの問に答えを与える明が欠けていた。

 ――人間の心には互に矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。
 所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。
 少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥れて見たいような気にさえなる。
 そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くような事になる。
 ――みなみが、理由を知らないながらも、何となく不快に思ったのは、
 ゆたかとひより以外の、クラスの生徒たちの態度に、この傍観者の利己主義をそれとなく感づいたからにほかならない。

 そこでみなみは日毎に機嫌が悪くなった。
 といっても、元々口数の少ないみなみであり、傍目にわかるような大きな変化が生じたわけではない。
 しかし、普段仲の良いゆたかやひよりに対してまで、冷たく刺々しい言葉が多くなり、
 しまいにはゆたかでさえ、
   ――みなみちゃん、何だかずっと機嫌悪いなあ、どうしたのかなあ
 との想いを抱くほどになった。

 殊にみなみを怒らせたのは、みゆきの母親であるゆかりの言葉である。
 みなみが高良家を訪れた際に、ゆかりは大きなプリンを振舞ったのだが、その際に
   ――このプリン大きくてぷるぷるしてるわねぇ。まるで、みなみちゃんのおっぱいみたい。
 と、茶化したのである。
 勿論、ゆかりにしてみれば、娘であるみゆきに対して普段から言っていることを、
 そのまま、娘同様の存在であるみなみにも言ってみただけでおり、そこにみなみを貶す意図は何らも無かったのであるが、
 みなみは激しく怒り、無言で席を立つと、そのままつかつかと隣である自分の家に帰ってしまった。
 みなみはなまじいに、胸の大きくなったのが、却って恨めしくなった。

 するとある夜の事である。日が暮れてから急に風が出たと見えて、
 雨戸が風でがたがたいう音が、うるさいほどに枕に通(かよ)ってきた。
 その上、寒さもめっきり加わったので、みなみは寝つこうとしても寝つかれない。
 そこで布団の中でまじまじしていると、ふと胸がいつになく、むず痒いのに気がついた。
 手をあてて見ると少し張りが弱くなっている。どうやらそこだけ熱さえもあるらしい。
   ――無理に大きくしたから、何か副作用みたいなものが出てきたのかな。
 みなみは、小動物を愛でるような優しい手つきで、胸を撫でながら、こう呟いた。

 翌朝、みなみがいつものように早く眼を覚まして見ると、
 庭の銀杏や橡(とち)が一晩の中に葉を落したので、庭は黄金を敷いたように明るい。
 庭の地面には霜が下りているせいであろう、まだうすい朝日に、土がきらきらと光っている。
 みなみは、窓を開けて、外の空気を深く吸い込んだ。
 ほとんど、忘れようとしていたある感覚が、再びみなみに帰って来たのはこの時である。
 みなみは慌てて胸へ手をやった。手にさわるものは、昨夜までの、一定の大きさをもった胸ではない。
 普通に下を向くだけで、足元まで楽に見通せる、昔の平らな胸である。

 みなみは胸が一夜の中に、また元の通り平らになったのを知った。
 そうしてそれと同時に、胸が大きくなった時と同じような、はればれした心もちが、どこからともなく帰って来るのを感じた。
   ――何で私は、胸が平らなことを、あんなに気にしていたんだろう。
 みなみは心の中でこう自分に囁いた。
 明け方の秋風に向かって、胸を張って立ち、緑色の髪をたなびかせながら。


 (了)
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