ID:0XGtPaNP0氏:だいすきな、あなたに

 その日は、何時もの朝、何時もの時間、とは行かなかった。
 玄関からつかさの声が響く。
「おねぇちゃ~ん! 早くしないと、ちこくしちゃうよぉ~~」
 切迫感の無い、のんびりとした声に急き立てられる。
 簡素に済ませようとしたのに、少しばかりの冒険心を出してしまった結果、二人分の
お弁当は壊滅状態、余裕があるはずの朝は急転直下、西部劇でマシンガン乱射を受けた
ラストシーンの如き慌ただしさに変貌した。
 慌てていたからなのか、通学鞄を自分の部屋に忘れてしまっていた。いつもはきちん
と一緒に持って居間に置いておくのに。
 部屋から鞄を持ち、小走りに階段を下る。タイミングを取り、イチ、ニ、サン。後数
段の所で蹴躓く。
 電話置きの台が倒れる音。私の、その直後につかさの悲鳴が上がった。
「……ぅ何なのよ、もぉぅ……」
 身体の方は何ともなかったが、片側の髪が解けていた。
 どこかに引っかけのか、リボンが破けてしまっている。

 ……お気に入りだったのに。

 替えを出して、もう一度結んでいる時間は、無い。今日は髪を下ろしたままになる。
 ちなみに、派手な音に驚いて駆け寄ろうとしたつかさまで転ぶと言うオマケがついた。

 慣れない事はしない方がいい。切実にそう思う。
 多少落ち着いたとは言え、まだ夏の熱気が残っている。下ろした髪でうなじのあたり
や、かかった背中が暑い。汗が滑り落ちるのが不快だし、落ちる髪で左右の視界が遮ら
れる感じが嫌だ。
 いつもの通り、通学途中でこなたと合流する。時間や場所を決めている訳ではないの
で、出会う場所は駅前だったり、バスの中だったりとまちまちだ。
「おはよう、こなた」
「おはよう~こなちゃん」
 姉妹ステレオで前方を歩くこなた――萌えのグレートハンター――に声をかける。
振り向き「おは……うおっ!」と言った所でこなたの全稼働が止まった。
 理由も聞かず「ワタシのツンデレがぁぁぁ、ツインテがぁぁぁ~~」とか言って私の
両肩を鷲掴みにして、男泣きに泣いている。前後に揺さぶられるに同期してこなたの触
角……アホ毛か? が揺れる。

「何時から私はオマエのモノになったんだ!」

 ったく朝っぱらから……いつもの通りの突っ込み、そしていつもではない一日が始
まった。

 多分、発端は凄くつまらない事だったと……思う。

 ラノベの新刊を買うのに付き合わせようとすると、珍しくこなたは嫌がった。ポイン
トで釣れるイキモノの癖に! 生意気と思ったので、嫌がるのを無理矢理付き合わせた。
 こなたはバイトとは別に何か他に用事があるようだったが、無理矢理と言っても本当
に嫌だったらついてこなければいいだけの話だ、結局一緒に居るのだからいいと思った。

 自分の事は棚に上げまくりのこなたが「イメチェン? 男? 誰? 白石くん?」
といつもより粘度が高い感じで絡んできた所から始まった。そこからターゲットの話に
移り、こなた視点によるいつもの勝手な妄想と妄言――萌え要素やフラグとやら――の
講釈が始まった。そしてとどめの一言がこれだった。

「かがみん、そのままだと微妙にみゆきさんとキャラ被るから止めた方がいいよ~。
勝ち目も無いしね」

 カチンと来た。別にしたくてしている訳でもないのに。
 確かに、みゆきと比べられれば誰だって勝ち目は無いと思う。だが、指摘されれば、
図星であれば尚更神経を逆撫でするものだ。
 こなたからのいい加減な妄想を延々聞かされるのにもうんざりしていたのかもしれな
い。それに、こなたの口から恋愛の話、とりわけ私自身が誰と、とと言う話を聞くのが
何故か癇に障る。そんなに私と誰かをくっつけたいのか、お前は。
 そこから始まった。
 初めのうちはこなたもいつもの通りに茶化していたが、互いが引くに引けないそんな
口論に発展してしまった。
 そして私は、爆発する感情に任せて、言い放った。

「オタクの癖にっ! なんでもかんでも萌えとか言うな、気持ち悪い!」

 言ってしまった事は多少なりとも、自分自身の事でもある。言葉の気まずさに息が詰
まる。
 こなたは何かを言いかけたが、唇を堅くつぐみ、すぐに下を向いて黙ってしまった。
 小さい身体が、益々小さく見えた。
 身を翻して駆け出す前、一瞬だけ見えた目元。涙目だった様な気がした。
 が、知った事か!

 一人取り残され周囲の、少なくない奇異の目に晒されば冷静にもなる、往来での事な
のだ。そんな場所での口論してしまった恥辱に身体が固まってしまった。
 更に怒りがこみ上げて来る。
 目的の買い物、こなたの用事、そんなものはもう頭の中には無かった。

 帰宅してから、つかさが何か物言いたげに見ていたが無視した。こなたと喧嘩したな
んて言える訳が無い。黙々と夕食とお風呂を済ませ、課題に取りかかる。
 しかし集中しようとすればするほど、今日の事を反復してしまう。
 つまり、後悔とは、後からするものだ――実に常識的な事だ!――課題が思い通り進
まず、机を離れベッドへ転がる。
 枕に顔を突っ込み、叫んだ。

「んもぅ、最低!」

 だが、それが自分へ向けた言葉なのかこなたへの言葉なのか、判らない。
 くぐもった自分の声は枕に吸収されて外に漏れる心配は無い。“王様の耳はロバの
耳!”掘った穴にそう叫んだ理容師と同じだ。
 そのまま動かず居ると、息苦しくなってきた。顔を上げ一息つくとそれは、深呼吸と
もため息とも取れた。そのまま、何をする気も起きず布団を被る。
 明日になれば、こなたも私も忘れている。いつものじゃれ合いが少々行きすぎただけ
の事、そう、いつもの通りだ。
 そう言い聞かせて、目蓋を閉じる。暗闇に浮かぶのはこなたの固く結ばれた唇と小さ
な身体。
 たぶん、きっと……。だいじょう……ぶ。
 心地よい眠気の闇に沈んでいく中、すれ違った時のこなたの横顔が浮かんで消えた。

 眠い……。
 いつもの通り、目覚まし時計が鳴る5分前の起床。
 純粋な睡眠時間からすれば十二分な時間なのだが、気分が晴れない。忘れてしまえば、
と期待をしていたが、そんな事は無かった。当たり前だ。人間はどちらかと言えば不都
合に出来ている。
 普段と同じように起きたにもかかわらず、気分が沈んでいるからか朝の支度はいつも
より手間取った。
 お弁当は当番だったけれど、細かい失敗を繰り返して結局つかさがほとんど作った。
 鏡に向かって髪を結ぶ。リボンの色も、結ぶ位置も、何故か気に入らない。そんなに
違いがあるはずも無い、簡単なはずだ。バレッタで簡単に纏めてしまおうかとも思った
が、思っただけで手が伸びなかった。いっそ、ショートにしてしまおうか? 夏を過ぎ
て、ショートにする理由は無い。変に勘ぐられるだけだ。
 理由。
 髪型をツインテールにしている理由。
 特に無い。
 無いはず……。
 結局、櫛を簡単に入れただけで今日もそのままにした。
 理由は無い。

 登校中にこなたに会ったらどうしよう。どうやって謝ろう。
 そればかりを考えていたが、杞憂に終わった。結局学校に到着するまでこなたは現れ
なかったからだ。
 拍子抜け半分、不安半分。そして僅かな安心を引きずって、つかさと分かれて自分の
教室に向かう。いつもより少し遅めになり、あやのが珍しそうな顔を向けた。みさおは
……もう少し後、こちらはいつもの通りギリギリだろう。
 扉の滑車が外れそうな勢いでみさおが入ってきた。かなり大きな声で「セーーーフ!」
とか言っている。比率は9:1、勿論9側がアウトだ。
 髪を下ろしているのが珍しいのか、朝の挨拶もそこそこにイメチェン? それとも男? 
私と言う者がありながら! とか脳天気な話を始める。みさおの天井知らずの馬鹿さ加
減――空気を読まないとも言う――に今日は心底うんざりする。
 いつものようにツッこまず、無視しつづける私にあやのがみさおの肩を両手で掴み身
体の向きを変えさせて、そのまま教室の外へもうすぐホームルームなのに、リリースし
た。
 鍵がかかった訳でもないのに、扉を叩いて何やら文句を言っている。五月蠅すぎる。
 あやのは、ちらりとこちらに目配せをしただけで自分の席に戻って行った。

 短いため息。教科書を朗読する声。シャープペンのノック音。紙を滑る黒鉛の感触。
 まとまらない髪が前に落ちる度にかき上げる。
 鬱陶しい。休み時間に、購買部でヘアバンドでも買ってこよう。
 髪のおかげで集中できず、やる気も同時に霧散していく。
 机に突っ伏すと、こなたに借りっぱなしになっている落書きだらけの教科書。
 ……っきったないなぁ……、普段であればそう思うだけだが、何故か温もりに似た何
かを感じる。本人は居ない、だからその存在は更に強くなっていっている。そんな気が
した。

 休み時間に何度かこなたの教室を覗き見たが、こなたの席は空いたままだった。
 お昼もつかさが呼びに来る前に席を離れて適当な場所で食べてしまった。
 放課後、こなたが欠席している可能性は高かったが、自分からこなたの教室に向かう
のが何となく、はばかられた。毎日顔を出している隣の教室にたった一日行かなかった
だけで、不思議とそこには大きな壁があるように思ってしまったからだ。
 自分の教室で誰を待つ訳でも無く外をぼんやりと眺めると、夏の残り香が香ったよう
な気がした。
 頬杖を解き、帰ろうと腰を上げた所で、つかさの声が後ろから響いた。
「お姉ちゃん?」
 ついさっき、最後の集団が前のドアから出て行って、教室は私だけになっていた。僅
かに疑問型なのは、髪を上げていないからだろう。
「帰ろう、つかさ」
 振り向かず、言葉だけで答える。だが、つかさが動く気配が無い。うん、でも……と
何かを言いあぐねている。何となく予想はついたが、つかさが切り出すまで黙っていた。
「あの、えーと、こなちゃんがね。今日、お休みだったの。だから……お見舞いに行こ
うと……思うんだけど……」
 自分の鞄を持つ。
「どうせ、こなたの事だからゲームのやりすぎか、ゲームする為に休んだんでしょ? 
放っておきなさいよ」
 つかさは、でもぉ……と食い下がった。何か言いたげな目に苛立つ。どうしても一緒
に行く気になれなかった。
「新しいの買うから、先に帰る」
 自分の髪の束を握ってそう言い捨てると、一人で教室を出た。買い物に行く訳じゃな
かった。ただ、そこから逃げ出したかっただけだ。
「お姉ちゃん……」
 いつも以上に眉が下がっているつかさを尻目に、今朝のみさおと同じぐらいの音で扉
を閉め、教室を後にした。

 何があっても習慣を変えないのが私の主義だし、そもそも習慣と言うのはそう言う物
だ。
 帰宅し、着替え、夕食までの時間で明日の準備を整える。今日は課題は無し。
 よしっ、と指さし確認問題なし。
 そう言えば、とお気に入りのラノベの背表紙を追いかけると新刊が出ているはずなの
にそれが無かった。
「買って来なきゃなぁ」
 独りごちた所で電話が鳴った。が、取らずに済ませた。こなたの家に行ったつかさか
らだと嫌だったから。両親のどちらかが電話を取ったと思う。
 夕食につかさの姿は無く、その事で誰も何も言わなかった。なるべくつかさに顔を合
わせないよう、早々に部屋へ引きこもった。
 課題も無く、明日の準備も済ませする事が無いと時間が経つのが遅く感じる。その時
間を何か有益に使えればと常々思うが結局何もせずに終わる事が多い。ただ、時間が過
ぎるのを待つばかりだ。それに、何が有益なのか、それを考えると積極的に何もしない
時間もまた、有益と言えるかもしれない。
 ベットで仰向けになり、そんな堂々巡りで時間を潰す。
 潰した時間、経過した時間、その分だけ心に沈殿していく何かで身体が重くなってい
くようだ。
 二度目か、三度目か。寝返りを打ったところで、ドアがノックされた。
「お姉ちゃん…?」
 つかさだ。
 寝たフリでもしようかと思ったけれど教室で八つ当たりに近い言い方をしてしまった
事もあり、出来るだけ普通の調子で招き入れた。それに、こなたの様子も聞きたかった。

 つかさは制服のままだった。しかも、通学鞄も持ったままだ。自分の部屋に戻らず
真っ直ぐ私の部屋に来たらしい。まったくこの娘は……。
 ココアを淹れてテーブルに置く。つかさは心許ない感じでちょこんと座っている。恐
る恐ると言うか、生徒指導室にでも呼び出されたような面持ちで、私はベットに腰掛け
たままでココアに口をつける。
 つかさはココアには手を付けず、俯き気味で黙ったままだ。
 どうしたの? と聞いた方がいいに決まってる。何時だってつかさには切っ掛けが必
要だ。
でも、聞かない。
 違う、私は聞けないんだ。
「お姉ちゃん。こなちゃんと……」
 絞り出すような感じでやっとつかさが話を始めた。それを遮って答える。
「何もある訳無いじゃん」
 努めて普通に冗談っぽく返す。その言葉に反応してつかさがまるで睨み付けるような
表情になる。

「お姉ちゃん、嘘ついてる」

 今までとは打って変わって思い詰めた、珍しい、とても珍しいつかさの怒った顔だ。
何時もとは違う、堅くそして強い口調だった。
「こなちゃん、昨日帰ってから部屋に入ったままで全然出てこなくて。こなちゃんのお
父さんもゆたかちゃんも凄く凄く心配してた。ご飯も食べてないし、何度呼んでも答え
てくれないって」
「だ、だからそれは、ほら寝食忘れてネトゲーを……」
 話を始められないつかさ、それを促せる私。立場が逆転し、私が言い訳めいた事を
言っている。
「黒井先生も心配してた。一日と置かず30分だって時間があればゲームに入って来るの
にって」
「じゃ、じゃぁ……」
「こなちゃんには会えなかったの。何度もノックして名前を呼んだけど」
「……」
 私は黙るしか無かった。

「諦めて帰ろうとした時、やっと中から声が聞こえたの『明日からは大丈夫だから』っ
て。それと、お姉ちゃんにごめんねって」
 ……こなたが謝る事じゃない。発端がなんにせよ、最後は私が悪いのだから。
「何があったか判らないけど。わたし、わたし嫌だよ……」
 つかさがぐずぐずと泣き始める。
 何も言葉が思いつかなかった。それに、この場面で適切な言葉があったとしてもそれ
は私から言え無い。つかさの嗚咽だけが部屋に響く。
 つかさはもう話を続ける事は出来ないだろう。私はベットからなんとか身体を引きは
がし、泣き続けるつかさにそっと肩に手を伸ばしたが、触れる前に私の部屋を出て行っ
た。
 私は何をしているんだろう?
 中途半端な前傾から、全身から力が抜けて床に座り込む。全く……泣きたいのはこち
らだ。手を付けられていないココア越しに通学鞄が見えた。
 入るのは無理にしても、部屋の前に置いておこうと思い鞄を引き寄せると、ココアと
同じ色のダークブラウンのリボンが鞄にかけられていた。破けてしまったリボンとその
片割れだった。
 玄関先か、洗面所かに放置してあったのを見つけて、つかさが持ってきたようだ。
 鞄を置き、リボンを手に取る。さらりと肌触りの良い感触が手の中を滑る。
「お気に入りだったのになぁ……」
 階段で蹴躓いて転んだ時思った事を独りごちた。
 一組、無事な方と、破けた方。つかさの泣き顔。 
 そう言えば、今日つかさのしていたリボンと同じ、お揃いだ。
 そこでやっと思い至った、こなたからの私達へのプレゼントだった。

「ホント、最低……」
 漏れた言葉。
 何故? 答えられる理由は、無い。

 電灯を付けていない部屋は何もかも飲み込んでいく黒体の様だ。
 その中でLCDのバックライトだけが煌々と光っている。
 OSは立ち上がっているが、ネットゲームのログイン画面すらその画面には無い。

「こなたお姉ちゃん?」
 元々鍵がかかる構造ではない。入る気になれば何時だって入れる。しかし、呼びかけ
にまるで答えず出てこないのであれば多少なりとも部屋へ入るのには抵抗がある。少な
くとも、ゆたかはそうだ。
 丸二日も何も食べていない。このままでは身体を壊してしまう。
 夕食の時間も近く、意を決して、こなたの部屋に入った。だが、当の本人は居ない。
 何時、何処へ行ったのか?
 コードレスの電話を持ってきて携帯へ連絡したが、いつもの通り不携帯で着信音は部
屋の何処かで鳴っていた。音が何処から鳴っているのか、部屋を一回り見渡してパソコ
ンの画面にテキストが表示されている事に気付いた。

『心配御無用』
   ↓

 ……全然、安心出来ない。
 探しに出ようかと思ったが、連絡が取れない上、何処へ出かけたのかが判らない。こ
の街に住んで間もないゆたかではどうする事も出来ない。仕事とは言え、こんな時に家
に居ないそうじろうおじさんに多少なりとも怒りを覚えないでもない。
 困り果ててみなみちゃんに相談を――それは、出来ない――と思ったが、テキストを
良く見たら矢印が入っている。そのまま視線を下げると、光に照らされた机にメモが一
枚見えた。
 それには、慣れないと判読が難しいこなたの筆跡でこう書いてあった。

『買い物』
 ……それにどれ程の意味があるのか判らない。判らないが、怒りや呆れと通り越して
何故か、笑いがこみ上がってきた。

『こなたは、大丈夫だよ』
 そうじろうおじさんが出かけ際に言った言葉を思い出した。
 私に目線を合わせて、微笑んでいた。こなたお姉ちゃんとそうじろうおじさん。そこ
に二人で――家族二人で――生きてきた信用に、胸にチリリと焼け付く何かを感じると
同時に、みなみちゃんの顔が浮かんだ。みなみちゃんは静かに頷く。

 こなたお姉ちゃんは、大丈夫だ。
 だから余計な事はせず、自分が出来る範囲の最良を尽くすんだ。
 先ずは、 こなたお姉ちゃんとそうじろうおじさんの帰宅に合わせて夕ご飯を作ろう。
きっとお腹を空かせているだろうから。
「よしっ!」
 気合い一閃、ゆたかは腕まくりをして台所へ向かった。

 その夜、ゆたかが作った“カレーのような物”で、遊びに来たゆいを巻き込んで泉一
家が崩壊の危機に陥ったのはまた別のお話。


 昼休み、居心地が悪いことこの上ない。
 適当に理由をつけて今日も一人でお弁当を食べようと思っていたが、つかさに腕を掴
まれて教室まで連れてこさせられた。ここまで強引なつかさは珍しい。と言うか初めて
の事でその迫力に押し切られてしまった。
 教室に入ると、私の方を向いてこなたが授業参観で手をしきりに挙げる子供の様に手
を挙げてる。勢いでてっぺんの髪の毛が揺れていた。
「よっ、かがみん」
 こなたはいつもの通りで、私は視線を合わせず黙って席に着いた。

 とは言うものの、私はこなたに話しかけず、こなたは私に積極的には話しかけない。
つかさはいつも以上に話をしようとして滑り気味、みゆきはいつものように振る舞って
いたけれど、口数がやや多めだったし柳眉の端がいつもより下がっていた。
 場の違和感を感じて、なんとかしようとしているが、原因が不明瞭で困っているのが
ありありと伝わってきた。そう思うと、溜飲が下がった感覚に襲われた。
 慌てているみゆきを見て、自分の劣等感を満足させて……そんな自分に嫌気がさす。
もし仮に自分がみゆきの立場になったとしたら、と想像した。
 こういう空気が一番嫌いだし、許せない。だから、強引に話を付けようとして空気を
読まずしゃしゃり出てしまうだろう。結果、何もかもぶち壊しにしてしまいそう。
 どんなに親身になった所で所詮、他人事なんだ。当事者にならないとこればかりは判
りようがなかった。そして私はめでたくその当事者と言う訳だ。
 その立場から見てみると、私自身が嫌になる。他人の私が言いたい事は所詮正論で、
正論が故に判りきった事なのだ。他人に言われるまでもない。
 つかさの話、みゆきのフォローに生返事を返しながら、ぐるぐると思考が回る。
 全く息の合っていないコントもかくやと言うズレた会話と雰囲気で、ひたすら気まず
い時間だけが流れた。まるで拷問だ。嫌だな、と思う授業でもここまで長く感じた事は
無い。

 そして、やっと昼休み終了する間際。
「お姉ちゃん、新刊買ってないでしょ。わたしも買ってないから買い物に付き合って欲
しいな」
 断る理由は……作ればあるが、もうなんだか面倒になったので放課後一緒に付き合う
事にした。
 こなたは、満足そうに牛乳を飲み干して、上唇についた牛乳を嘗め取っていた。

 気が重いまま、こなたの教室へ向かう。ドアを開けると、夕日の朱に染まった部屋に
こなただけが居た。椅子に座って両足を宙に浮かせて遊ばせている。
 ……やられた。こうなる事は十分に予想できたはずだ。
 心の中でため息をつく。
「つかさとみゆきは?」
 普通に平常に。
「ん~~先に昇降口に行ってるってさ~」
 机に俯せになったままで、こなたは立つ気配が無い。
「……」
「……」 
 続かない会話。
「こなた、アンタ」
「ん?」
 顎だけを浮かせてこちらを見る。なんでコイツはこんなに平和そうな顔をしていられ
るんだ。

「……怒ってないの?」
 “何に”とは言えなかった。
「何言ってるんだよぉ、あんなのいつもの事じゃ~ん」
 まるで軟体動物の様に手をヘロヘロと振って否定をしている。でも、そんなはずは無
い。今でもハッキリと思い出せる。堅く結んだ唇。零れた涙。
「だって、あの後休んで…」
 私の言葉にかぶせて、こなたが一気にまくし立てる。
「いやぁ、アレさ。レアアイテムざっくざくでさもう止まらなかったんだよぉ。ガッチ
リヘッドフォンでガンガンだったからさぁ。全然何も聞こえなくてぇ。そのまま寝落ち
してて爆睡。あの後おと~さんとゆ~ちゃんにもう、すんごい怒られてさ~」
 さ~の後が続かず、ぴたりと止まった。
「ツッコミ、無し?」
 上目遣いで私を見る。その視線を受け止めきれずに、視線を外してしまう。
「ある訳無いでしょ」
「……みんな待ってるから、早く行こうよ」
 よっ、とかけ声をかけて、椅子から飛び降り鞄を持つ。そのまま昇降口に向かおうと
する。

「いいの? こなたはそれでいいの?」
 侮辱されたままでいいはずがない、いい訳が無い。私は許せない。
 こなたは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたが、にたにたと笑い始める。
「なんだよぉ、やっぱりアレ? 無いと機嫌悪いんだ。しょうがないなぁかがみんは、
我が儘なんだからぁ」
 鞄を開け、脳天気な調子で何かを差し出してきた。
 そして、沈む夕日の最後の光と同じ暖かい笑顔でこう言った。

「何を言われたって。かがみんの事きらいになるなんて事無いよ」

 全身の力が抜けていく。だが、次の瞬間頭に血が上る。息が詰まり、視界が狭まって
いく。与えられる許しは今の私に絶対にあってはいけない事だ。
 私は差し出されたそれを、反射的に払う。
 こなたの短い悲鳴、手とは違う堅い感触。
 時間が、止まった。
 耐えられず、叫んだ。

「アンタがっ! アンタがそんな風だから、私はっ!」

 自分が何を言おうとしているのか、判らない。上がりきった息に喉が乾いて舌が張り
付く。
 こなたはゆっくりと背を向け、私がはね除けた何か箱の様な物を拾っている。
 表情は……長い蒼い髪の向こうで伺い知れない。そのまま、こなたがつぶやいた。

「私は? かがみ、私は、何?」
 堅い声、怖い声、泣きそうな声。
 それは耐え難い重圧で、後ずさると机に当たって鞄が落ちた。
 その音と衝撃で我に返る。

「バカっ!」

 自分の驚異的な語彙の無さに、ただ呆れた。そのまま扉を叩き開けて外へ駆け出す。
 突然の音に、驚いた顔の――昇降口に居るはず――つかさとみゆきに出くわしたがそ
のまま走り抜ける。私は逃げたんだ。
 つかさから、そして今度は、こなたから。
 悔しい。恥ずかしい。 流れる涙をそのままに、どこまでも走っていきたかった。

 誰も居ない何処か遠くへ。
 と言った所で結局は自宅に帰って来る。こんな事――そうだこんな事でここまで気が
滅入るんだ――で家出なんかするのは馬鹿だ。……違う、私は何処にも行けない。

 帰ってきてから部屋に籠もった。誰とも、本当に誰とも顔を会わせたくなかったし、
食事や飲み物も喉を通らなかった。理由はどうあれ、つかさに聞いた時のこなたと同じ
だ。
 一時の諍いに振り回されて言った心ない一言。そのたった一つの小さい鎖が歩いてい
く道程で、同じ小さな鎖を磁石みたいに引き寄せて連なっていきその重さで、一歩も動
けなくなる。
 これを罰と言うのなら、それも仕方がない。それだけの事をして、自分の意気地のな
さが更にこなたを傷つけた。
 自業自得だ。
 普段はその温もりを楽しむ毛布も、被った所でその重さばかりがのしかかる。
 針が時間を刻む音は私自身を刻む。そしてそれは延々と途切れること無く続いている。
一つ一つは明確なのに、どれだけ過ぎたのか感覚が追いつかなかった。
 足が痛い。後先を考えないで全力疾走。準備運動も無し、走り終わった後のケアもし
ていなければ当然だ。さすった程度で太腿と脹ら脛の鈍痛は取れない。

 何故ここまでこだわるのか。どうして? 自問自答ばかりが続く。
 確かにこなたは友達――今この時点でそう言う事を許されるのなら――だけれども。
 こなたの声が響く、続きを聞きたがっている。

――私が?――

 彼氏が、と言う話は人並みにするし、こなたはしょっちゅうその手の話を振ってくる。
人並みにそういう関係に憧れてはいるけれど、本気でそれを考えた事は無い。それ以上
にこなたが誰かの隣にいるのが嫌だった。

――私は?――

 その答えは私自身が一番知りたい。自分が判らない感情で振り回されるのは、もう嫌
だ。

 扉がノックされた音で目が覚めた。いつの間にか、ベットの端で毛布にくるまったま
ま壁にもたれて寝てしまっていたようだ。時間を確認すると、一時間も経っていなかっ
た。
 返事をする前に遠慮がちなつかさの声がした。
「お姉ちゃん、鞄置いておくね」
 床に鞄が置かれ、ドアにもたれる音がした。
 そうだった。勢いに任せて手ぶらのまま帰って来ていた。言われてやっと思い出す。
服も制服のままだった。
 ドアの向こうにこのまま立ち去ろうか、声をかけた方がいいのか迷っているつかさの
気配があった。
 ベットを降りて、そのままドアの前に立つ。
「お姉ちゃん?」
 それを感じ取ったのか、ドア越しの私に話しかけてきた。とは言え、何をどう話した
らいいのか判らない。ドアの向こう側とこちら側で同じように黙ったまま時間が過ぎる。
「こなちゃんが、しばらくは一緒に居ない方がいいかもって」

 沈黙の堰を切ったのは、つかさだった。
「そう……他に何か言ってた?」
 今頃になって、払った手が痛い。
「……」
 沈黙が何よりも雄弁な事もある。
「お姉ちゃん。今日、何の日か覚えてる?」
 こなたの誕生日も、私達の誕生日もとうに過ぎている。唐突に何の話をと思った。
「……何?」
「わたしとこなちゃん。そしてお姉ちゃんが初めて会った日」
 そうだった。初見からあの容姿と調子だったので、もの凄いインパクトだった。
始めはなんの話をしたんだろう。ゲーム? アニメ? はっきり覚えていない。けれ
ども、その日の内に今と殆ど変わりないやりとりをしていた事は確かだ。
 変わらぬ友情の記念にとか何とか言ってこなたは私達にリボンを、私達はこなたに
――いやぁ~これ、すんごぃ欲しかったんだよねぇ~とか言っていた――ゲームを一本
買って交換した。

 用意していたあの箱は、そう言う事だったのだ。

 もらう物は刹那的物を欲しがる割に、あげる物はさりげない記念になるような物を渡
す。ロマンチシストの癖に、メロドラマが嫌い。シニカルなこなたらしい。全く……人
のことは散々言う癖に。

「お姉ちゃん。お願いだから……だから」
 つかさの声がぼろぼろと涙で崩れ始める。話の前後が繋がっていない。だが、言わん
とすること、言いたいことは判る。だから、その先を言わせる訳にはいかない。ドアを
開けて正面に立っているつかさを抱きしめると、言葉を涙に換えてつかさが私の胸に顔
を埋めて泣いた。

 ごめん、つかさ。本当に辛いのは私じゃない。ごめん、こなた。本当に哀しいのは私
じゃない。
 だから、許してもらえるかは判らないけれど、明日ちゃんと謝ろう。
 そう決めると――後悔と不安が完全に露払いされた訳じゃなかったけれど――ほんの
少し力が湧いたような気がした。

「……心配かけてごめん。それに、今更こんな事頼むなんて」
 つかさに手の包帯を巻いてもらいながら、今日何度目のごめんを言ったのか。
 しかも明日のこなたへの伝言を頼む自分の声が自分に聞こえない程にか尻すぼみに
なっていく。

「いいよ、お姉ちゃんとこなちゃんが喧嘩なんて、似合わないもの」
 つかさはそれに、と付け加える。
「お姉ちゃんは、こなちゃんの事大好きだものね」
 は、恥ずかしい台詞禁止! と口から出かけたが、寸での所で止める。
「なっ! そんな事ないわ……よ……あんな、意味不明の生物」
 自分でも訳が判らないジェスチャをわたわたと繰り返す。人間は不都合に出来ている。
でも今はそれでもいいと思っている。
 つかさは自分の事より、他人の事で泣いたり笑ったり忙しい。今は、何か恥ずかしそ
うに笑っている。
「ゆきちゃんに言われた通りにしてみたんだけど……ゆきちゃん凄い」

 ここでネタバレしなくてもいいぞ、つかさよ……。
 危うくツッコミかけた。確かに、つかさらしくないと思える行動が幾つかあったが、
みゆきが何時、何を言ったのかは判らないし、確証も無い。今に至って、どうでもいい
事だ。
 全く、みゆきには敵わない。なんて聖人君主、何処のパーフェクト超人か? ならば、
敵うはずもない。劣等感や嫉妬は無く、ただ肩の力が抜けていくのが判った。
 みゆきにではなく、誰から比べられたか。それが気にくわなかっただけなのだから。

 いらない心配をさせてごめん。そして、ありがとう。

 迷惑をかけたみゆきには昨日電話で、改めて今日直接会って謝って、お礼を言った。
いえいえ、私は何もしていませんから。と謙遜していたが、トップスのケーキを奢らせ
てもらう事にしたら、ありがとうございます、楽しみにしていますね。とそれは穏やか
に言われた。
 なんと言うか……存在自体が卑怯だ。と思うぐらいは許して欲しい。

 蝉時雨。
 誰も居なくなった教室にひょっこり、こなたが現れた。
 自分の教室で私を待っているように、とつかさには伝言を頼んだはずなのに。
 先手を取らせない生粋の勝負師的センスがそうさせるのか、距離感を掴ませない間合
いの取り方には何時も舌を巻く。だが、それも事によりけりだ。今の私にとっては、間
が悪い事この上ない。
 反射的に立ち上がる。
 こなたはゆっくりと、私に近寄って来る。
 たった一言。ごめんなさい、と言えない自分の性根が恨めしい。
 喉の奥に何かが詰まったみたいに苦しい。声を出そうとしても力ばかりが入って言葉
にならない。
 数分、もしかしたら十分。多分、数秒だと思う。混乱した体内時間がますます私を混
乱させる。自分の唇がわななき、視線が下がっていく。
 その視界に角が少しひしゃげた箱が飛び込んできた。

「何を言われても」
 たった数日、一週間も空いていないはずだったが私に向けられたその舌足らずの声が、
何故か懐かしく心地よい。
 差し出された箱を受け取り開くと、見知ったリボンだった。

「判るまで、何度でも言うよ」
 いつもの、全く変わらないいつもの調子だった。
 惚けていて、それでいていて人を見透かしているあの感じ。
 リボンを取り出す、肌触りの良さはこなたの隣に似ていた。

「かがみの事、好きだよ。これは変わらないからね」

 堰を切ったように、熱い軌跡が頬を伝う。
「ごめん……ごめんなさい、酷いこと言って…」
 私の頬にその小さな手が添えられる。こなたはつま先立ちになっていた。

「泣くような事け? ん? ん?」

 暖かい、こなたの掌。

 そのまま抱きしめてしまいたい、抱きしめられるのならば。でも、気付いてしまわな
ければ良かった。私はこなたが好きだ。でも、好きの意味はこなたと私とでは少し違う。
 それでもいい、どうしようもなくくうたらな、この小さい小悪魔の為に、貴女の為に
生きていけるなら。喧嘩も……きっとたくさんするだろけど、




 きっと幸せ。




 こなたが一歩下がる。

「とりあえず、かがみん」
一つ咳払い。


 そっと、手を出して……。


「溜まったポイントで手打ちだ」


 涙を拭い、黙って自分の鞄の中に入れたままになっていた手持ちポイントカードでは
無く、文庫本――シャドウプリム――を取り出して……。

 こなたの顔面に投げつけた。

 クリーンヒットし、文庫本の半分が顔面に沈む。
「さ、流石ワタシのツンデ……」と最後の言葉が途切れ、ゆっくりと膝から崩れ落ちる
こなた。
 両手は真剣白刃取りのポーズで固まっている。

 訂正……コイツは一度死ぬべきです。

【終】
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。