ID:O1mi2Otc0氏:つかさの旅の終わり(ページ1)

この物語は「ID:ilryqbMC0氏:つかさの旅」の続編です。

 

 

 あれから二年が過ぎた。この町に来ていろいろあったけど、ゆっくり考えている暇はなかった。レストランはどんどん有名になっていき来客もうなぎ登り、
テレビや雑誌からの取材申し入れが幾度となく来るほどだった。でも、かえでさんはその度に断っていた。只でさえ忙しいのに雑誌とかで紹介されたら
店に入れないお客さんも出てくるし、ちゃんとした料理を出せなくなってしまう。直接かえでさんに聞いた訳じゃないけど、多分そうじゃないかなって思っている。
 
 お姉ちゃん、ゆきちゃんは大学院で猛勉強をしているみたい、あまり来てくれないし、こっちからも来て欲しいなんて言えない。
そして……もう一人、進路が全く決まっていなかったこなちゃん。冗談半分でうちの店で働いてみないなんて誘ったら、本当に来てくれた。正直驚いた。
もう一人、あやちゃんも誘ったのだけど断られてしまった。家庭をもつとやっぱりダメなんだよね……もっと早く誘えばよかったかな。
 
 こなちゃんは店にくるとホール担当になった。コスプレ喫茶で働いているだけであって直ぐに店の決まりごとやかえでさんの厳しい注文に対応した。
そしてあっと言う間にこなちゃんはホール長になってしまった。
この頃になるとスタッフも増えて役割分担がはっきりとした。休日も定期的取れるようになった。私は相変わらずのスィーツの担当。かえでさんは店長兼、メイン料理……
私だって負けていられない。賄い料理を出しては新しいメニューを提案した。もう何品かは採用されている。
なんだかんだで、充実した生活を送っているのかもしれない。
 
こなた「明日は久々に二人とも休みだけど、どこか行く?」
朝食の準備をしながらこなちゃんが言った。そう、私達は同じ部屋に住んでいる。いわゆる共同生活って言うのかな。ここなら家賃は安いからこなちゃん一人でも
借りられた。私の借りた部屋が少し大きすぎたのもあった。急にこなちゃんが来る事になった。最初はそんな理由だった。職場が同じだった。
なにより一人暮らしの寂しさから共同生活は続いた。もっとも休みが重なるのは月に1、2日くらいなのと、個室があったので、
それぞれのプライベートな時間は保たれていたのかもしれない。
つかさ「別に予定はないけど……」
こなた「それじゃお昼、松本さんが教えてくれたパスタ屋さんに連れて行ってよ」
つかさ「……別に良いけど、まだ朝ごはんも食べていないのにお昼の話なの?」
こなた「……お腹が減った時についでに話しただけ……」
私達は笑った。
 
 
『つかさの旅の終わり』
 
 
お昼の時間、私の運転する車は店に着いた。結局こなちゃんとパスタのお店に行く事になった。
つかさ「こなちゃん、どうしてこの町に来てくれたの、おじさんとか、ゆたかちゃん、寂しがらなかったの?」
オーダを頼むと私はこなちゃんに質問をした。まだちゃんと話を聞いていなかった。こなちゃんは今更なんでこんな話をするみたいな顔をしいた。
こなた「ゆーちゃんは喜んで送ってくれた、お父さんは……」
こなちゃんの話が途切れてしまった。おじさんと別れるのが辛かったのかもしれない。思い出させてしまったかな。
つかさ「あ、ごめんなさい、話したくなければいいよ」
こなた「……いや、誘ってくれて嬉しかった」
沈んだ顔が急に明るくなった。
つかさ「誘ったって、店で働くこと?」
こなちゃんは頷いた。
こなた「あのままだったら完全にニートだった、お父さんもあまり厳しく言わなかったし……良い機会だったのかもしれない」
つかさ「でも、この町は不便じゃない?」
こなた「いいや、ネットが繋げれば問題ないよ、コンビニもあるし……ゲームも出来るし……」
この町もやっとインターネットが出来るようになった。こなちゃんが来る条件でもあった。
つかさ「でも、お店に直接行けないのが寂しい?」
こなた「そうそう、陳列されているのを見て、選ぶ楽しみって言うのが……あ、つかさ、誘導したでしょ?」
つかさ「ふふ、そう思った?」
「お待たせしました……」
話の区切りが着いて二人で笑って居ると、飲み物を持った店員が来た。そして飲み物をテーブルに置くと厨房に戻って行った。するとこなちゃんは胸のポケットから
手帳を出して書き出した。
つかさ「どうしたの、何を書いているの?」
こなた「さっきの店員、私達がお喋りをして一段落したのを待っていた、これはうちの店でも採用できると思って……」
つかさ「……私、全く気付かなかった……流石ホール長だね……」
こなた「いやいや、褒めるな、褒めるな……」
こなちゃんは飲み物を少し飲んだ。少し顔を赤くして照れている。
私は全く気付かなかった。確かに店員は自然に、会話を中断せずに飲み物を置いて行った。それを見逃さなかったこなちゃん。
私には無いものをこなちゃんは持っている。そんな気がした。それは高校時代では分らなかったもの。私が知らなかっただけなのか。卒業してからのものなのか。
こなた「飲み物ならいいけど、温かい料理だと、熱いうちに出したいよね、その辺りの駆け引きが難しそうだよ」
駆け引き……こなちゃんはゲーム感覚なんだ。こなちゃんは楽しんで仕事している。私も料理は好きだけど。店と家で作っているのは別物だと思っていた。
別にする必要なんかなかった。もっと楽しく……そうだよね。
つかさ「今日はこなちゃんと食事をして良かったよ、何か教わった気がした」
こなた「なに、私、何もしていないよ……変なつかさ……あ、料理が来たみたいだよ……」
食事の後は、待ちに出てお買い物をした。
そして、楽しい休日はあっと言う間に終わってしまった。
 
 
かえで「ちょっと、何回言ったら分るの」
休日が終わって直ぐだった。
感情的に怒るかえでさん。仕事でこんなに感情的になるのは珍しい。開店前、新人スタッフに怒鳴っていた。
こなた「……店長どうしたのかな、意味もなく怒る人じゃないのに……あの日かな」
私の耳元で囁くこなちゃん。
つかさ「……分らない、分らないけど何かありそう、そういえば一週間くらい前から落ち着きが無くて、セカセカしていたよね」
私もこなちゃんの耳元で囁いた。
かえで「皆、何ボヤっとしているの、もうそろそろ開店よ、しっかりして!!」
更に声を張り上げるかえでさんだった。それは私達に言うよりは自分自身に言っているような気がした。
かえでさんの不機嫌とも思える行動は閉店まで続いた。
 
「お疲れ様」
店の片付けが終わり、皆が帰っていく。
今日は私が鍵当番、最後の戸締りをする仕事が残っていた。チェック表を見ながら電気の消し忘れをチェック、ガスの元栓の閉め忘れを確認しないとね。
つかさ「全部チェックヨシ!!」
チェック表に全て記入して更衣室に入った。今日はこなちゃんが先に帰って夕食を作っているはず。早く帰ろう。
着替えていると床に何かが落ちているのに気が付いた。何だろう。着替え終わってから落ちているものに近づいた。それは名刺だった。
拾い上げると『ワールドホテル』と会社名が書いてあった。ホテル……ワールドドホテルって言ったら全世界に店舗をもっている高級ホテル……
『バン!!』
突然ドアが開いた。私はビックリしてドアの方を向いた。そこには息を切らせたかえでさんが立っていた。ノックをするのも忘れているくらい慌てているみたいだった。
つかさ「ど、どうしたのですか……びっくりした……」
かえでさんは私が居るのさえ気が付かない。床にコンタクトレンズを落としたみたいに何かを必死に探していた。
つかさ「かえでさん?」
いきなり飛び上がって驚くかえでさん。
かえで「うぁ!!  つ、つかさじゃない、黙って入るなんて、居るなら居るって言いなさいよ」
つかさ「さっきからここに居ましたけど……」
かえで「そ、そうだったの……それより、こんな遅い時間に何をしていたのよ」
つかさ「今日は鍵当番だから……」
かえで「……そ、そうだったわね、お疲れ様……」
また床を探し始めた。おかしい、話が微妙に噛みあわない。
つかさ「あ、あの、探し物ってこれですか?」
持っていた名刺をかえでさんに見せた。かえでさんは名刺を見ると、まるでひったくるようにして私から名刺を取り上げた。
かえで「あった……」
かえでさんは溜め息をつくとそのまま部屋を出ようとした。
つかさ「待って下さい……ワールドホテルって何ですか?」
かえでさんは立ち止まった。
かえで「……つかさには関係ない事よ……忘れなさい……」
そう言われると余計関係あるように思えてくる。
つかさ「今日は朝から変だった、あんな怒り方したら新人さん辞めちゃうかもしれない、何か悩み事でもあるのですか?」
かえで「……そうね、朝の態度は悪かったわ……明日、謝っておくわよ……私が帰らないと鍵が閉められないわね、帰るわよ……おやすみなさい」
つかさ「おやすみなさい……」
かえでさんはそのまま店を出て行った。
何も話してくれなかった。何だろう……
 
つかさ「ただいま~」
こなた「おかえり~」
おかえりか……確かに一人暮らしだとこんな返事はないよね。
こなた「鍵当番だけどちょっと遅かったね……なんかあったの?」
テーブルには既に料理が並べられていた。少し冷めている感じだった。私はかえでさんの事を話した。こなちゃんは腕組みをして考え込んだ。
こなた「やっぱり、店長……松本さんは何か隠しているね……かがみに似ている所があるからなんとなく分るよ」
つかさ「お姉ちゃんに、似ている?」
こなた「そうだよ、この前、初めてここに来た時、かがみと言い合いの喧嘩をしたでしょ、それで分ったよ、二人は似たもの同士のツンデレだって、
    だからかがみと同じように接するとうまくいく、実証済みだよ」
得意そうに話すこなちゃん。こなちゃんはかえでさんをお姉ちゃんに置き換えていた……私も今までホームシックにならなかったのもこなちゃんと同じように
かえでさんをお姉ちゃんに見立てていたからかもしれない。
こなた「とにかく、夕ご飯食べよう、話はそれからだよ」
つかさ「そうだね、私もお腹減った……」
私達は食事をしながら話した。
 
 食事も半ばくらいした頃だった。
こなた「一ヶ月くらい前の休日なんだけど、買い物の帰りに偶然松本さんを見かけてね、挨拶しようとしたんだけど……隠れて後を付けちゃった、
    そうしたら、例の神社に入っていくのを見たんだ」
私は食事をするのを止めた。かえでさんが神社に行った……こなちゃんは更に話を続けた。
こなた「私はそれ以上後を付けなかったけど……つかさ、似ていると思わない、呪われた時のかがみに」
つかさ「え……」
まさか、そんな筈はない。お稲荷さんは皆この町を去った。
つかさ「呪いなんて考えられないよ」
こなちゃんも食べるのを止めて私を見た。
こなた「だったらなんで神社なんかに行くのさ……そういえばつかさは私がここに来てから神社に行くのを一回も見ていないし、ひろしって奴も一度も
    見かけていない……何があったの……」
お稲荷さんの話は二年前に帰ってお姉ちゃんと話してから誰とも話していない。懐かしさが少し込み上げた。でもまだ懐かしいなんて言うほど時間は経っていないのも確か。
つかさ「……今は言えないけど……呪いは考えられない、だけど、かえでさんが神社に行く理由なら心当たりあるよ」
こなた「……心当たり、教えて」
こなちゃんはまたご飯を食べだした。顔が少し曇っている。お稲荷さんの話をしないから納得いかないみたい。
つかさ「辻さんはあの神社で自殺したから、多分お祈りに行ったと思うよ」
こなた「辻……辻浩子さんだね、松本さんが以前一緒にレストランを開店しようとした人だったね、何で今頃になって、辻さんってどんな人なの」
つかさ「私もそのくらいしか教えてもらっていないよ、かえでさんから彼女をする事なんてないし……」
まさか、かえでさんはまだ辻さんが自殺をしたのを自分のせいにしているのかな。でもそれは本人に聞かないと分らない。私も残りのご飯を食べ始めた。
つかさ「そういえば……帰りに更衣室で名刺を見つけた、そうしたらいきなりかえでさんが入ってきて、慌てて名刺を取り上げたよ」
こなちゃんはお茶碗のご飯を全て食べてから話した。
こなた「名刺……誰の名刺なの?」
つかさ「名前まで見られなかったけど……ワールドホテルって書いてあったかな」
こなた「ワールドホテル……」
こなちゃんは食器を片付け始めた。
こなた「つかさ、もしかして松本さんはワールドホテルからスカウトされたんじゃないの」
つかさ「どうゆうことなの?」
こなちゃんの言っている意味が分らなかった。
こなた「うちのレストランの評判はつかさだって分っているよね、ネットの中じゃ人気トップクラスだよ、テレビや雑誌で紹介されないのは松本さんの方針、
    それは私も賛成する、でもね、有名ホテルならこういったレストランの有能者をヘッドハンティングしちゃえばレベルを上げるのが手っ取り早いからね……」
ヘッドハンティング……そんなかえでさんは他のレストランに行っちゃうってことだよね。
つかさ「かえでさんが居なくなったら……このレストランはどうなっちゃうの、ここまで来るのに皆苦労したのに、これからなのに……」
こなちゃんは私の食べ終えた空の食器も片付け始めた。
こなた「そうだよね、つかさは私がここに来る前からかえでさんと一緒に頑張ってきたから……つかさと松本さんの絆が試される時だよ」
つかさ「絆……」
こなちゃんは急に笑い出した。
こなた「ふふ、つかさはいつも真に受けるんだね、松本さんの態度と名刺から私が勝手に想像した事だよ」
つかさ「……で、でも……」
さらにこなちゃんは笑った。
こなた「何があったか知らないけど、呪いの方は解決したみたいだね、私にはそっちの方で安心したよ、つかさもかがみも解放されたんだね」
つかさ「うん……」
あれで本当に解決したのかな。まだあの時の唇の感触が……何も解決していないような気がする。
こなた「どうしたの、急にボーとしちゃって?」
私はハッと我に返った。
つかさ「うんん、なんでもない、なんでもないから」
こなちゃんは不思議そうに私を見ていた。そして気付くと、食器をいつのまにか全部洗い終わっていた。
こなた「これから私の部屋でゲームしない?」
つかさ「え、でも、私じゃ相手にならないよ」
 
この後、こなちゃんの部屋でゲームをしたけどコテンパンに負けたのは言うまでもなかった。
こなちゃんの言うことが本当なら、かえでさんはどう思っているのかな。かえでさんは元々この町で生まれ育った。わざわざ生まれ故郷でこのレストランを始めたのだから
どんなにお金を積まれたって店を手放すはずなんかない。そう思いたいし、そう信じたい。
 
 次の日私とこなちゃんは一緒に出勤した。
こなた「この車は……松本さんのだ、凄いな、今度こそ一番だと思ったのに」
つかさ「何かあると必ずかえでさんは早く出勤するよ」
店の駐車場に車を止めた。かえでさんの車が既に止めてあった。
こなた「成るほどね……名刺の事、聞けるじゃん」
私は頷いた。
 
つかさ・こなた「おはようございます!!」
声を張り上げて挨拶。客席に座っていたかえでさんは飛び跳ねて驚いた。
かえで「うぁ、つかさ、こなたじゃない……朝から驚かさないでよ……」
私とこなちゃんはお互いに目を合わせて相槌をついた。そして私はかえでさんの目の前に立った。
かえで「ちょ、ちょっと何なのよ、」
私達の気迫にかえでさんは立ち上がってしまった。
つかさ「一昨日の名刺の事を聞きたい、あれはいったいなんですか?」
かえで「……名詞の事ね……」
かえでさんはバックから財布を取り出し中から名刺を取り出した。そしてそれを私に見せた。一昨日見た名刺と同じもの。
つかさ「ワールドホテル」
かえで「そうよ、ワールドホテルの会長の名刺よ」
そこには「柊けいこ」と書いてあった。
つかさ「会長さん……女性なんですか?」
かえでさんは頷いた。
かえで「名刺を持ってきたのは秘書の方だったわ……是非話がしたい……そう言ってこの名刺を置いていった」
こなた「話ってどんな話なのかな?」
かえで「そこまでは言わなかった、ただね、相手は世界的大企業の会長よ、世間話するためにわざわざ呼ぶようなことなんか考えられない」
こなた「ヘッドハンティングじゃないのかな……」
かえでさんは笑い始めた。
かえで「ふふふ、レストランごときに会長が出るわけ無いでしょ、それが本当だとしても私はお断りするわ」
つかさ「本当ですか」
かえで「決まっているでしょ、どんな条件出されても、この店を手放すもんですか」
つかさ・こなた「良かった!!」
私達は両手を繋いで喜んだ。
かえで「それで、会長と会うのは五日後、つかさも同行してもらいたい」
つかさ「わ、私も?」
かえでさんの顔が真面目になった。
かえで「はっきり言って、つかさが居なければここまでのレストランにならなかった、私の支えにもなってくれた」
つかさ「うんん、私は……かえでさんに助けてもらってばかりで……この前の、ひろしさんの……」
かえで「ゴホン、ゴホン」
こなた「ん、ひろし……なんかあったの?」
つかさ「うんん、なんでもないよ」
かえでさんの咳払いで話が止まった。危なかった。こなちゃんに分ってしまうところだった。私がひろしさんの話を秘密にしているのをかえでさんは知っている。
かえで「そうゆう事だからよろしく、一応スーツを用意しておきなさい、当日は出勤扱いで良いわ、場所は東京だから帰りに実家に寄っていくわよね、次の日は休みだから」
つかさ「はい、分りました……そのつもりです」
かえでさんは事務室に入って行った。
こなた「よかったね、かがみ達にも会えるじゃん、それに「日下部あやの」さんにも会ってきなよ、結婚式出られなかったんでしょ」
みんな元気かな、あやちゃんにも会いたいな。
つかさ「こなちゃんも逢いたいんじゃ?」
こなた「まぁね、でも、つかさに比べればましだよ、私は先月帰ったし、大丈夫だよ」
つかさ「そうだったね」
こなた「それより、つかさ……」
こなちゃんは私をじっと見た。
つかさ「なあに?」
こなた「いや、ホテルの会長の名前……柊」
つかさ「私も少し驚いたけど、柊なんて姓は珍しくないし、もし近縁だったら知っているはずだよね、少なくとも私達、家族の親戚じゃないよ」
こなた「そうだよね、そうだよ……それにしても会うまで目的を言わないなんて……怪しいな」
つかさ「詮索しても何も分らないよ、着替えに行こうよ、その時になれば分ることだし」
こなた「そうだね」
私達は更衣室に向かった。今日の仕事の始まり。
 
 慣れないスーツを着て一番電車に乗っていた。今日はワールドホテルの会長に会う日。隣に同じくスーツを着たかえでさんが私の隣の席に座っている。
かえでさんも落ち着きがなく、あちらこちらをキョロキョロとしていた。
かえで「なんか息苦しいわ、つかさは少し大きすぎじゃないの?」
つかさ「うーん、引越しする時に買ったスーツなんだけど……少し痩せたのかな……」
かえでさんは窓の景色を見始めた。まだ目的の駅までは暫くかかる。
かえで「東京か……専門学校時代と数年働いてから直ぐに帰郷したのよね……久しぶりだわ」
つかさ「私も、専門学校の時、こなちゃんと秋葉原行ったのが最後かな」
かえで「そういえば泉さんは高校時代からの親友だったわね……彼女は面白い、思いもしなかった事をやらかす、良い意味でも、悪い意味でも」
つかさ「でも、こなちゃんはどっちかと言うと、お姉ちゃんと一緒にいた時の方が楽しそうに見える……」
かえでさんは窓の外を見るのを止めて私を見た。
かえで「そうかしら、それなら何故彼女はつかさの誘いに乗って私達の店に来た、就職先が無かったから……それだけの理由じゃない、
    現に彼女は短期間でホール長になった、つかさに誘われて嬉しかったのよ」
つかさ「う~ん、分らない」
かえでさんは微笑みながらまた窓の外を眺めた。
かえでさんの親友、辻浩子さん……彼女はかえでさんと志を共にしていたって言っていた。だけどそれしか聞いていない。もう亡くなってしまった人の話をするのは
辛いのかもしれない。だけど、私は聞いてみたい。私は思い切って聞いた。
つかさ「……かえでさん、辻さん……辻浩子さんってどんな人だったの?」
かえで「……彼女は自殺した……ばかな奴よ、思い出したくもない」
相変わらず外の景色を見たままだった。
つかさ「思い出したくない……そんなかえでさんが何故辻さんの亡くなった神社に行ったりするの、一番、彼女を感じる場所じゃないの?」
かえで「……知っていたんだ……」
つかさ「こなちゃんが見かけたって」
かえでさんの目から涙が流れたような気がした。
かえで「つかさがあの神社に行かなくなって、今度は私が行くようになった……好きな人が……狐と言った方がいいかしら……そんな人が二人も居たあの神社に
    つかさは何の未練も感じないの……」
まなちゃんとひろしさん……未練が無いと言ったら嘘になる。でも、あの神社に行っても会えるわけじゃないから。
つかさ「ひろしさんはまだ生きているから、もしかしたらまた会えるかもしれない、まなちゃんは……もう居ないけど、財布の中に生きているから……」
かえでさんは私を見ながら話し出した。
かえで「葉っぱの事を言っているのか……浩子は私の幼馴染よ、一人っ子の私には姉妹のような、妹みたいな存在だった、喧嘩もよくしたけど、それ以上によく遊んだわ、
    小学校、高校、そして専門学校まで同じ学校に通った」
つかさ「……すごい、お姉ちゃんとは高校まで一緒だったけど、そこまで一緒だったなんて」
かえで「一緒にパテシエなろうなんて約束した……それが夢だった……彼女の料理の腕は私をはるかに超えていた、特にお菓子に関してはね……」
つかさ「そうだったのですか、私も会ってみたかった……」
かえで「つかさはその彼女の腕を更に超えているわよ」
私は耳を疑った。私はそんな腕なんかない。
つかさ「そんな……お客様に褒められた事はそんなにないし……作るのに時間もかかっちゃうし……」
かえで「つかさが居なければ今のレストランはなかった……旅館だけだったあの頃は料理より温泉が有名だった、私は料理長だった、それが何を意味しているのか分るでしょ」
かえでさんらしくない。卑下するなんて。
つかさ「旅館の時、出していた料理と今の料理じゃ種類が違うよ、洋風と和風だし、かえでさんの得意は洋風だから……」
かえで「……あんたは優しい、優しすぎるのよ、たまには人を傷つけるような事をしてみなさいよ」
かえでさんは少し興奮気味だった。やっぱりこれから行こうとしている所には何かがある。かえでさんを見ていると、そんな気がしてならない。
かえでさんは会長さんがどんな用事があるのか知らないって言っているけど。概略くらいは伝えているのが普通だよ。でもこんな状態じゃ聞いても答えてくれそうにない。
それに時期にそれも本人から聞ける。
 
 私達は思わず見上げた。ワールドホテル本社ビル。周りの建物と比べると豪華さと気品で圧倒していた。入り口には沢山の人々が行き交っている。
つかさ「なんか凄すぎて入り難いね……」
かえで「…噂には聞いていたけど……そこいらのリゾートホテルとは違うわね、各国の要人も泊まるのが頷けるわ」
かえでさんはホテルのホールへと入ってく。私もその後に付いて行った。するとホテルのテナントレストラン街を通った。
かえで「三ツ星級のレストランが軒を連ねているわよ……私に対する当て付けにしか感じないわ」
更に奥に進むと受付の前にかえでさんは止まった。そして例の名刺を受付に見せた。
かえで「「レストランかえで」の店長、松本かえでですが……」
受付「……お待ちしておりました、そちらのエレベータで35階へどうぞ」
エレベータを降りると目の前が会長室だった。かえでさんは扉をノックした。扉が開いた。
「どうぞ」
優しく気品のある声だった。私達はその声に導かれるように向かった。
「よく来てくれました……どうぞ、お座り下さい」
会長……この人が会長。その人は椅子に座っていた。髪は短く全て白髪……銀髪に見える。かなり歳をとっているように見えるけど背は真っ直ぐに伸びているから
歳を感じさせない。服も若い人が着ているようなピッタリとしたスーツを着ていた。
かえでさんの顔を見ると微笑んだ。私達は椅子に座った。すると奥の方から秘書らしい女性が飲み物を持ってきた。テーブルに飲み物を置くと軽く会釈をして奥に戻って行った。
会長さんは私に気付いた。私の方を向いた。
けいこ「そちらは?」
かえで「……副店長の柊つかさです」
え、今何て言ったの。副店長って……そんなの初めて聞いた。何時からそんなのになったのかな……
けいこ「はじめまして、私は柊けいこ……このホテルの会長を勤めさせていただいているわ」
かえでさんは私の脇腹を肘で軽く突いた。
つかさ「あ、わ、私は柊つかさです、よ、よろしくお願いします」
会長さんは微笑んだ。何だろうこの人前に会った事があるような……素敵な笑顔……
会長さんはかえでさんの方を向くと表情が厳しくなった。
けいこ「早速でもうしわけないですが、ご返事を聞きたいわ」
返事……会長さんはいきなり回答を求めてきた。やっぱりかえでさんは呼ばれた理由を知っていたんだ。
かえで「……お断り致します、とても承服できる内容ではありません」
会長さんは微笑むとゆっくりと立ち上がった。そしてテーブルに置いてあった飲み物を取った。
けいこ「……そうですか、悪い条件とは思いませんが、それに……断ったのはあの町で貴女だけになりました、それでも?」
……条件とか町ってどう言う意味だろう。かえでさんをスカウトしているにしてはちょっと意味が分らない。
かえで「それでもです」
けいこ「……最初から同意できるとは思っていません、今後も会いたいのですが、どうです」
かえで「会うのは構わない……でも、結果は同じと思います」
いったい何を話しているのだろう。やっぱりかえでさんをスカウトしているのかな。話に入れない。そんな私と会長さんの眼が合った。
『パチン』
会長さんの指が鳴った。奥からさっきの女性が出てきた。テーブルの上の飲み物を片付けると会長さんに紙を渡した。
けいこ「柊さん、貴女は松本さんから話を聞いていないようですね……松本さん、それでも店長なのですか」
かえで「むぅ……」
とてもソフトな口調だけど言っている事は厳しい。かえでさんが反論できない。それにしてもさっきの指の鳴らし方……気になる。何だろう思い出せない。
会長さんはさっき渡された紙をテーブルいっぱいに広げた。それは地図だった。その地図は私達が住んでいる町の地図だった。
けいこ「この地図は見て分るように、貴女達の住んでいる町……この辺り一帯を再開発するプロジェクトがあります、もちろんあなた達のレストラン、旅館もそのエリアに
    入っています、是非あなた達の店を売ってもらいたいのです」
地図を良く見ると色が塗られている。これが開発する地区なのかな、町の殆どが対象みたい。だけど私達のレストランだけが色が塗られていなかった。
けいこ「もちろんお金を渡されただけでは仕事は出来ないでしょう、数百ある私の世界中のホテル、施設、何処でも良いわ、五年間無償でテナントを貸しましょう、その後、
    留まるのも、他に移るのも自由、移ると決まった場合でも無利子で資金を提供いたしましょう」
なんて至れり尽くせりの待遇……悪くない。もっと良い調理器具とか欲しいし、広い厨房、間取りも変えてみたい。
けいこ「どうですか、柊さん?」
つかさ「いい……」
かえで「私の店は三ツ星が付く様な洒落た料理は出せませんし、出す気もありません、貴女のご希望に添えるとは思いませんが」
私が言うより早くかえでさんが話した。かえでさんはあの条件でも不服なのか……住み慣れた町を離れるのだから、その気持ちは分る。
会長さんは笑った。
けいこ「私のテナントの店は最初から三ツ星だった訳ではないわ、テナントに来てからそうなったのよ、もちろんそうならない店もあるわ、それでも
    彼らは誇りをもって仕事をしているわ、それに私はテナントの経営には一切口出しはせません、それは約束します」
会長さんの言う事が本当なら凄く魅力的に感じる。私だったら直ぐにでも会長さんに店を売ってしまうかもしれない。
かえで「話はそれだけですか、他に用がなければ帰らせて頂きます……」
かえでさんは席を立った。
けいこ「道中、さぞ疲れでしょう、食事でもご一緒できれば……」
かえで「結構です」
けいこ「……そうですか、残念です、今度、来週の日曜日、時間はとれますか」
かえでさんは、しばらく考えた。
かえで「来るだけは来ます」
会長さんは微笑んだ。
けいこ「ありがとう……」
……この笑顔。思い出した。この人会った事がある。こなちゃんが来る少し前、店に来たお客様……あの時はまだ持ち回りでホールをやっていたから……会計の時
料理を褒めてくれたから覚えている。この人……ただ土地が欲しいだけじゃない。私はこの会長さんに魅かれているのを感じた。
かえで「つかさ、行くわよ!」
つかさ「は、はい」
私は席を立った。
けいこ「お待ち下さい……柊つかささん、少しお話があります、よろしいですか」
つかさ「え、私に……話ですか……」
思わずかえでさんを見た。かえでさんは少し不機嫌そうな顔になった。
かえで「好きになさい、つかさはこれから実家に帰るのでしょ、丁度いいわ、ここで解散」
かえでさんは部屋を出て行った。
 
 広い会長室に私と会長さんだけになった。どうして私を呼び止めたのだろう。かえでさんはなんか怒ってしまったみたいだし……休みが明けに会うのが嫌だな……
もうこうなったら、会長さんの事をもっと調べておこう。かえでさんに話して参考にしてもらおう。
つかさ「あ、あの、会長さんは以前、私達のレストランに来られましたよね?」
会長さんは微笑んだ。
けいこ「けいこで良いわ……そうです、覚えていてくれたのですね、光栄ですわ」
つかさ「い、いえ、料理を褒めてくれるお客様なら覚えますよ……光栄なのはこっちの方です……」
けいこ「美味しいから、美味しいと言っただけ……あれは松本店長の料理でした、料理と同じようにやはり妥協はしませんでしたね……ますます彼女を気に入りました」
あんな断り方をしたのに、けいこさんはかえでさんをよっぽど気にいったに違いない。
つかさ「えっと、ご用件はなんでしょうか……」
けいこさんは目を静かに閉じた。
けいこ「……一人、二人……三人」
いきなり数えだして何を……私は首を傾げてしまった。
けいこ「最初は憎しみから始まった、そして……それは愛情に変わって行く……懐かしい……仲間の香りがする」
つかさ「え?」
けいこさんが目を開けた瞬間私は、無意識に目線をけいこさんから外した。この感じは紛れもなく……お稲荷さん……
けいこさんはクスクスと笑った。
けいこ「……金縛りの回避ですね、それは教えられたものではない、自分の体験で覚えたもの、試してすみませんでした、最初からそんな技をする気などありません」
ほっとして目線をけいこさんに戻した。
けいこ「これほど強く感じるほど貴女は仲間に関わっていたのですね……そんな人間は近代になってからは殆どいません……」
確かに関わっていた。最後には好きになったりもした。もう関わらないと思っていた。でも運命の悪戯なのか。今、目の前にお稲荷さんが立っている。この人、うんん、
このお稲荷さん……今まで会ってきたお稲荷さんとは感じが随分違う。人間として生活している。と言うより企業の会長にまでなるなんて……え、どうゆう事なの?
つかさ「ど、どうして今までバレなかったの、人間になっていられる時間って決まっているのでしょ、狐に戻った時どうしていたの?」
けいこ「驚いた……そんな極秘にしている事も知っているなんて、貴女はよっぽど信頼されていたみだいですね……それを話す前に、手を貸していただけますか、
    恐らく話したくない事もお在りでしょう、貴女の記憶に直接語りかけます、よろしいですか?」
何だろう、この人には全てを話しても良いような気がしてきた。けいこさんに両手を差し出した。けいこさんは私の片手を両手で握った。そして目を閉じた。
私も目を閉じて、まなちゃんの出会いからひろしさんの別れまでを思い出していった。
 
けいこ「……ありがとう、すまないと思いました、貴女の生い立ちも見させてもらったわ……四姉妹の末っ子……神社の娘、優しい家族、双子の姉を一番慕っているわね」
数分後、けいこさんは両手を離した。
けいこ「まさか真奈美が亡くなってしまったなんて……しかも私達の過ちで……」
つかさ「まなちゃんを知っているの?」
けいこさんは頷いた。
けいこ「真奈美、ひろし、たかし……そして五郎、みんな知っているわよ」
つかさ「五郎……さん?」
けいこ「貴女の記憶の中では「大きなきつねさん」と言っていたわね、先代のお頭よ、あの未熟者も引退する時が来たようね……」
ここまで具体的に私の記憶を覗いていたなんて……私を見ただけでまなちゃん達と出会ったのを見抜いた、ひろしさんでさえ私をまなちゃんと間違えたのに。
それに先代のお頭さんを未熟者呼ばわりするなんて……このお稲荷さんはいったい……
つかさ「お稲荷さんは人と付かず離れず……そうやって暮らしてきたって聞いていました、でも、けいこさんは……」
けいこ「お稲荷さん、そう呼ばれるのは数百年ぶり……そうね、私は仲間から離れた……私は人間の社会の中で生きていく道を選びました、そこで恋をし、
    生涯を共に生きようと誓った人ができました」
けいこさんは自分の席に向かって歩き始めた。そして机に置いてあった写真を手に取った。男性の写真……老人の写真。
けいこ「三年前に亡くなった、私は彼の意志を継いで会長になった」
けいこさんは人を好きになった。人間と一緒に……
つかさ「結婚したの、そんな事が出来るの、カゲロウみたいな寿命の人間と一緒にいて幸せになれるの?」
けいこさんは写真を見ながら答えた。
けいこ「なれないわね、お稲荷さんで居る限りは……五十年前、私は人間になった、長寿と引き換えにね、元の狐の姿に戻ることはもうないわ、それでも彼の方が先に亡くなった」
好きな人の為に長寿を捨てたなんて……ひろしさんは……比べちゃいけないけど……出来る訳ないよね、そんな事……それにそんな事なんてさせたくない。
つかさ「わ、私達は……」
けいこさんは写真を元の机に置いた。
けいこ「愛と言うのはね、はっきり形が決まっているものではないわ、私はそうしただけ……お互いが納得できればそれで良い、私はそう思います」
私の聞こうとしていた質問を話すまえに、答えを先に言われてしまった。でも……私は納得したのかな。
けいこ「十年、五年……もっと短いかもしれない、私に残された時間は短い、私の出来る事は彼の夢を実現させる事、その為なら私の持てる能力、知識を全て使うつもりよ」
つかさ「それが町の再開発なの?」
けいこさんは頷いた。けいこさんの決意の固さこれで納得した。
 
テーブルの上に置いてある地図を改めて見た。「レストランかえで」
このレストランがあの町に居なければならない理由は私には思い浮かばない。どこに移ったっていいと思う……ん?
これは……どう言う事なの。
つかさ「けいこさん、これは、どうして再開発するの?」
私は色の塗ってある区域に指を指した。それは、町唯一の神社……お稲荷さんのすみかだったはず。
けいこ「あの小山は景観を損ねます、山を削り更地にして公園にするつもりです」
分った、かえでさんが何故、けいこさんの話しに乗らない理由が。
つかさ「あの神社がどんな所か、けいこさんなら分るはず」
けいこ「私は古巣には興味ありません、つかささん、貴女もあの神社には執着していない筈です、それに私の調べた限りではあの神社を信仰する人間は居ません」
つかさ「そんなんじゃなくて、辻さんが眠っているから……かえでさんの親友の辻浩子さんが……」
けいこ「辻……浩子……」
けいこさんは目を閉じた。
けいこ「……それは調べました、自殺した人のようですね、ご遺体はもう既に荼毘に付されて彼女の墓地に埋葬されたと、なんの問題もありません……」
つかさ「かえでさんが反対の理由、私の記憶を見たのなら分るはずです……」
けいこさんは目を開いた。
けいこ「あぁ、そうだったのですか、彼女の私に対する態度の理由が分りました、時間が掛かりそうですね」
つかさ「時間がかかる……計画を変更する気はないの?」
けいこ「ありません、もう計画は動いています……しかし満場一致が私の信念、松本さんが賛成してくれるまでは止めるつもりです」
けいこさんの意志は固い。でもかえでさんも考えを変える気はなさそう。いったいどうすれば……
けいこ「貴女はさきほど初めて副店長といわれましたね」
私は頷いた。
けいこ「貴女は私の計画に賛成と感じましたが相違ないですね」
つかさ「う、うん……でも」
けいこ「咄嗟であれ、貴女を副店長といったのならばそれなりに貴女は信頼されています、どうです……説得してもらえますか」
つかさ「やってはみるけど……それにはけいこさんがお稲荷さんだったって言わないといけないかも……かえでさん、あまりお稲荷さんは好きじゃないみたいだし……」
けいこ「私の正体は話しても構いません、それが解決の糸口となるならば……松本さんにとっても、あのままではいい仕事は出来ないと思います」
つかさ「今日はありがとうございました、久しぶりにお稲荷さんに会えたし……」
私はお辞儀をした。
けいこ「いいえ、貴女が来てくれて良かった、懐かしいさが込み上げてきました、来週の日曜日、是非松本さんとご一緒に来てください」
つかさ「はい」
握手をして私は会長室を出た。
 
うわ~、出来そうもない約束してしまった。かえでさん、私が残ろうとした時怒っていたし……まともに話を聞いてくれるかどうか。でもこの問題は
私やかえでさんだけで決められる事じゃない。レストランで働いている人皆に関わる問題。まずは皆に話さないと、考えるのはそれからだよ。
それより、けいこさんが人間なった経緯をもっと聞きたかった……
さて、今くよくよ考えたってしょうがない、実家に帰ろう。皆どういているかな。
 
ホテルの飲食店街を通りかかった。けいこさんはテナント経営に口を出さないって言っていた。ホテルの店に急に興味を持った。帰るにはまだ少し早い。
店の様子でも見てみようかな。辺りを見回し適当な軽食店に入った。
「いらっしゃいま……ひいちゃん?」
つかさ「あ、あやちゃん……」
全くの偶然だった。目に入った最初のお店、そこに彼女は居た。私達は両手を握り合って再会を喜んだ。
あやの「どうしたの、こんな所に来て……」
つかさ「いろいろあってね……それより、結婚おめでとう、私達の中で一番乗りだね」
あやちゃんは高校時代から付き合っていた日下部さんのお兄さんと結婚をした。こなちゃんが店に来る少し前だった。
あやの「ありがとう……いろいろ話したいけど、仕事中だから……取り敢えず席へどうぞ」
つかさ「うん」
あやちゃんに案内された席に座った。私は辺りを見回した。旅館の食堂を改装した私の働くお店とは違う。装飾、電灯、テーブル、椅子……全てが……
奥の厨房は広くて動き易そうだった。そこで働いている従業員はみんな活き活きとしている。あやちゃんがメニューと水もって来た。
あやの「店長に許可をとったから少し話せるよ、スーツなんか着込んじゃってどうしたの?」
つかさ「う、うん……ここのホテルの会長さんに呼ばれて……私達の店を移転して欲しいって……」
あやちゃんは喜んだ。
あやの「凄い、チャンスだよ、このホテルに入れるだけでも大変なの、テナントに空きが出ると何件ものお店が候補する、でもね、最後は会長が決める……
    会長に認められただけでも相当な宣伝になるよ……そうか~つかさの店がホテルの店舗にはいるのか、ここはとってもいい所、
お店同士はライバルになるけど、一緒に頑張ろうね」
ちょっと興奮気味に話すあやちゃん、その話しぶりから環境がいいのは直ぐに分った。
つかさ「ちょっと気が早いよ、まだ決まったわけじゃないし……」
あやの「そうなの……」
あやちゃんの顔が曇った。
つかさ「それより、結婚してどうなの、旦那さんとは……日下部さんとはうまく言ってるの?」
あやの「もちろん……」
またあやちゃんの顔が明るくなった。私にはそれだけで彼女が幸せなのは充分分った。
5分位かな、彼女とお話をした。彼女は嬉しそうに旦那さんのお話をした。
「日下部さんちょっと……」
ホール長らしい人があやちゃんを呼んだ。
あやの「あ、もう時間だね、今度またゆっくりお話しましょ」
つかさ「うん」
あやちゃんは仕事に戻った。
 
 あやちゃんのお店で私はコーヒーを頼んだ。そのコーヒーを飲んで驚いた。香りがうちの店とはぜんぜん違っていた。きっとコーヒーを淹れる専門の人がいるに違いない。
軽食店だと思って侮っていたらとんでもなかった。このホテルのテナントに入ればこんな店と張り合わないといけない。
だけど楽しそうに働くあやちゃん見て思った。こんな店で働いてみたい。コーヒーを飲み終わりお会計をしにレジに向かった。
あやの「ありがとうございました」
つかさ「いつからここで働いているの?」
あやの「半年くらい前かな……泉ちゃんがひいちゃんの所に行った後だから、知らないかもしれない」
つかさ「もし、もしも、もっと早く誘っていたら来てくれた?」
あやちゃんは暫く考え込んだ。
あやの「結婚……こうなる事は分っていたから……」
答えはなんとなく分っていたけど……聞くんじゃなかった。
つかさ「それじゃ、ごちそうさま」
あやの「移転……決まると良いね、待ってるよ」
つかさ「ありがとう」
私は店を後にした。
 
  空はすっかり夕方になっている。私は実家に向かっていた。家に連絡はしていなかった。皆を驚かせる為。長期休暇を取らないで帰るのは初めてかもしれない。
見慣れた町並み……もう直ぐ家に着く……柊家が見えてきた。みんなどんな顔するかな……ちょっとドキドキしてきた。
玄関が見える所に差し掛かると、ドアが開いた。お姉ちゃんが出てきた。私は歩くのを止めて電信柱に隠れた。お姉ちゃんの後からもう一人出てきた。
男性……見たことも会った事もない人だった。お姉ちゃんと同じくらいの歳に見える。二人は楽しげに会話をして……急に男性がお姉ちゃんに近づいて……
あ……キスを……お姉ちゃんは拒むことなく受け入れていた。初めてのキスじゃない。もう何度も……そんな感じに見えた。男性が離れるとお姉ちゃんの顔が少し赤くなって
見えた。男性が玄関を出るとお姉ちゃんは手を振って見送った。男性は私の隠れている電信柱を過ぎて駅の方に向かって行った。男性が見えなくなると
お姉ちゃんは家の中に戻って行った。
 
 お姉ちゃんに恋人が……私が居ない間に……こなちゃんも何も言っていかった。どしよう。何て言って家に入ろう。知らない振りも出来そうにない。
自分の家なのに玄関の前に立って何も出来ない。でも……恋人ができるのは良い事だよ。別に私が恥かしがる事じゃないよね。
『ピンポーン』
合鍵を持っているのに何故か呼び鈴を押していた。
ドアが開くとお姉ちゃんが驚いた顔で出てきた。
かがみ「つ、つかさ、なんで……く、来るなら連絡くらいしなさいよ……」
私は笑った。笑ったけどなんか自然に笑えなかった。
つかさ「へへ、皆を驚かそうと思って……ただいま」
かがみ「お、おかえりなさい」
つかさ「疲れた……少し部屋で休みたい」
私は家の中に入ろうとした。別に疲れてはいなかったけど……
かがみ「ちょ、ちょっと待って、5分……10分待って」
急にお姉ちゃんは慌てだした。
つかさ「なんで?」
入れたくない理由は何となく分る。でも聞いた。
かがみ「急につかさが来るから……片付けしないと」
つかさ「お母さん達は」
居ないのは知っている。そうでなければ男の人を家に入れたりはしない。
かがみ「……今日は皆出かけて私しか居ないから」
つかさ「分った、10分したら戻ってくる」
私は駅の方に戻った。5分くらい経った頃、私の携帯電話が鳴った。お姉ちゃんからだった。もう片付いたと連絡が来たので私は家に戻った。
 
 家に入るとほんのりと香水のような香りがしていた。
かがみ「ビックリしたわ、突然来るから……どうしたの、スーツなんか着て、何か大事な会議でもあったの」
つかさ「……そんな所かな……」
お姉ちゃんは黙っているつもりなのかな。私もひろしさんの事は黙っていたから人の事は言えないのかもしれない。だけど……
かがみ「居間で休んでいて、お茶を淹れてくるから」
お姉ちゃんは台所に行こうとした。
つかさ「さっき家を出て行った男の人……誰なの?」
お姉ちゃんは止まった。
かがみ「わっ、わっ、見みたの……」
つかさ「……キス……してたよね……」
お姉ちゃんは振り返った。顔が真っ赤になっていた。
かがみ「突然だったから、不可抗力なのよ……だから彼は……なんて言うのか……私はっ…えっと、えっと」
何を言っているのか分らない。両手をバタバタさせて今まで見たこと無い慌てっぷりだった。お姉ちゃんらしくなかった。
つかさ「ぷっ……ふふふ、はははは」
何とも言えない。滑稽だった。思わず吹いてしまった。
つかさ「恋人なんてしょ?」
その声にお姉ちゃんは一回深呼吸して冷静さを取り戻した。
かがみ「そ、そうよ……笑ったわね、そんなに似合わないのか」
つかさ「うんん、そんな事ないよ、誰も居ない家、二人で愛し合っていたの?」
かがみ「ば、ばかな事いわない!!」
お姉ちゃんは台所へ小走りに行った。
 
居間で休んでいるとお姉ちゃんがお茶を持って来た。
かがみ「久しぶりね、帰ってこないから私達の事なんか忘れちゃったと思ったわよ」
私の前にお茶を置いた。
つかさ「やっとお店も一段落したから……」
かがみ「……そう、それならいいわ……お帰り……まだ言っていなかったわね」
つかさ「ただいま……私もまだ言っていなかった……」
お姉ちゃんは私に微笑みかけた。
かがみ「……さっきの人は大学院のOBで先輩……大学院になって直ぐに知り合った」
あんなに恥かしがっていたのに。今度は普通に話している。
つかさ「それじゃ、もう一年以上のお付き合いだね」
かがみ「……そうね」
つかさ「どうして急に話したの?」
お姉ちゃんはお茶を一口飲んだ。
かがみ「さっきは気が動転しちゃって、やっぱりこうゆうのは話さないといけない、将来つかさの兄になるかもしれない人だから……」
つかさ「そこまで……考えていたんだ、本気なんだね……」
かがみ「私は本気……彼は、まだ聞いていない、法律事務所を一緒に経営しようなんて、冗談で話した程度よ」
つかさ「だめだよ、ちゃんと聞かないと!!!」
私は思わず身を乗り出して叫んだ。お姉ちゃんは驚いて身を引いた。
かがみ「つかさ、ど、どうしたのよ、急に、お茶が零れちゃうわよ」
お姉ちゃんは私に話してくれた、それならば私も話さないといけない。
つかさ「私ね、ひろしさんに告白した……」
かがみ「ひろし……えっ、告白したの、別れたって言ったじゃない、彼が一方的に別れたと思っていた、つかさが好きと言ったなら別れる理由なんかなかったでしょ」
つかさ「でも、別れちゃった……ひろしさんはお姉ちゃんには言ったんだよね、私が好きだって」
かがみ「……夢の中の話よ、思えば私に信頼してもらいたかったからそんな事まで言ったのね、でも、それがどうしたのよ?」
つかさ「告白していなかったら……別れた後、お姉ちゃんのその話を聞いて私はきっと後悔したと思う」
かがみ「後悔……」
つかさ「そうだよ、あの時言っておけば良かったって……好き合っていても……別れる場合だってあるから、お姉ちゃんにはそんな思いさせたくない、」
お姉ちゃんは私を見て呆然としていた。
かがみ「……凄いわね……経験者が言うと説得力があるわね、身につまされるわ……でもね、私はつかさほど強くない……」
つかさ「私に告白させたのはお姉ちゃんだよ、駅で別れた時に言った言葉……電車が出る直前に言ったでしょ?」
お姉ちゃんは苦笑いをした。
かがみ「……自分の信じるように……ふふ、確かに言ったわね、人には言えても、自分の事になると意気消沈するのよね……」
元気がなくなってしまった。無理に押し付けても逆効果なのかもしれない。
つかさ「……私、お姉ちゃん達がうまくいくように祈ってあげる……ずっと一緒になれると良いね」
かがみ「ありがとう……」
「ただいま~」
懐かしい声が玄関の方から聞こえてきた。まつりおねえちゃんだ。
つかさ「おかえり~」
まつり「その声は……」
まつりお姉ちゃんは居間に来た。
まつり「つかさ、つかさじゃない、今まで帰らないで、もう私達の事なんか忘れたと思ったよ」
駆け寄って私の肩を叩いた。お姉ちゃんと同じ台詞を言うなんて……私は微笑んだ。
まつり「田舎暮らしがよっぽど気に入ったのかと思った……ん……何、この香り……香水?」
まつりお姉ちゃんは辺りを見回し始めた。お姉ちゃんは俯いて小さくなっている。お姉ちゃんは恋人が家に入ったのを隠そうとしていた。そんな気がした。
つかさ「気が付いた、新しいのを付けて来た……今日は大事な会議があったから」
まつり「会議……だからスーツを着ていたのか……何の香水使ってるいの、今度教えてよ」
つかさ「うん、後でね」
まつり「もうすぐお父さん達も帰ってくる、つかさ、着替えちゃいなさいよ、着替え持ってきたんでしょ?」
つかさ「うん」
暫くするとお父さん、お母さん、いのりお姉ちゃんが帰ってきた。久しぶりに一家団欒で楽しい会話が弾んだ。
 
 夕食を食べ、お風呂に入り、また家族と団欒……そして私は自分の部屋で寝ようとしていた。自分の部屋で寝るのは久しぶりだった。お母さんがいつでも帰ってきても
大丈夫なようにしていてくれた。今までの私なら直ぐに眠ってしまう。だけど何故か眠れなかった。けいこさんのお話し、かえでさんの事、お姉ちゃんの事、あやちゃんの事、
みんな頭から離れない。これからどうなるのかな……期待と不安が行ったり来たりする。
『コンコン』
ドアがノックされた
つかさ「開いてるよ」
ドアがゆっくりと開いた。お姉ちゃんが入ってきた。
かがみ「起きているの……少し良い?」
つかさ「うん」
部屋に入るとドアを閉め、私のベッドに腰を下ろした。
かがみ「まつり姉さんが帰って来て香水の香りに気付いた時、つかさが使った事にしてくれてありがとう……姉さんに言われたらこの香水を渡すといいわ」
お姉ちゃんは香水の瓶を私に渡した。
つかさ「うんん、彼の事、まだ知られたくないと思って……でも、いつまでも隠せないよ」
かがみ「そうね……彼の本心を聞いてから、それから話そうと思っている」
つかさ「告白する気になったの?」
お姉ちゃんは少し顔を赤くした。
かがみ「……つかさが、あんなに力説するから……でも、もし彼が、ただの遊びだったら……そう思うと恐くなってしまって……眠れない」
つかさ「でもお姉ちゃんは本気だから、それで良いよ、彼がもしそんな気持ちだったとしても、それはそれで、すっきり出来るよ」
かがみ「そんな簡単に割り切れるのか……」
つかさ「割り切るしかないよ、これは自分の力じゃどうしようもない事だから……」
お姉ちゃんは目を閉じて考え込んでしまった。そうだよ、割り切るしかないよ。
つかさ「でも、よくこなちゃんにバレなかったね……大学院になって直ぐに出会ったのなら、こなちゃんもまだ居たのに」
お姉ちゃんは目を開けた。
かがみ「高校時代のように毎日会っている訳じゃないからな……それよりこなたは上手くやっているのか?」
つかさ「うん、この前、ホール長になったよ、少し驚いちゃった……」
かがみ「ふふ、やっぱり……あいつはやる時はやるからな……皆凄いな……私からどんどん離れて行く様な気がするわ、置いてけぼりにされそう」
嬉しそうに微笑んでいる。それに、やっぱり……お姉ちゃんはそういった。もしかしたら。
つかさ「こなちゃんを誘ったのは私だけど、後押ししてくれたのはお姉ちゃん?」
かがみ「こなたが相談してきた、私に相談してきてどうするのよ、まったく……妹の誘いなら迷うことなんかないって言ってやった、それだけよ」
以前、お姉ちゃんはこなちゃんの事を親友じゃないなんて言っていたけど、やっぱりお姉ちゃんはこなちゃんの親友だよ。
あの時は呪われていたから素直になれなかっただけなのかもしれない。
お姉ちゃんは両手を上げて背伸びしながらあくびをした。
かがみ「ふぁ~ つかさと久しぶりに話して落ち着いた、今夜はよく眠れそう……それに勇気も湧いてきた、後悔なんかしたくない……つかさ、私、やってみる」
つかさ「うん、その調子」
お姉ちゃんは立ち上がった。
かがみ「おやすみ、つかさ」
つかさ「おやすみなさい」
お姉ちゃんは私の部屋を出て行った。
お姉ちゃんならきっとうまくいくよ。私と違って相手は人間だし、もう既に愛し合っている。それに、あんなキスを見せ付けられたら……。
見ているこっちが熱くなっちゃうよ。
あっ……相手の名前を聞いていないや。うんん、慌てない、お姉ちゃん達の愛が本物なら何れ分る。私のお兄ちゃんになるかもしれない人……か。
「ふぁ~」
あくびが出た。私も眠くなった。寝よう……良い夢が見られそう。
 
明くる日、実家を後にして帰宅した。お姉ちゃんに店の移転の相談をしたかったけど止めた。お姉ちゃんに頼ってばかりはいられない。私だけで……違う、
かえでさんやこなちゃんだって居る。店の皆も……やっぱり店の問題は店の関係者で解決しないといけない。
つかさ「ただいま~」
返事がない。おかしいな。玄関にこなちゃんの靴が置いてあった。こなちゃんは居るはずだけど……部屋の奥に入っていった。居間にこなちゃんはいた。
テーブルにノートパソコンを広げて夢中になっていた。
つかさ「ただいま~」
さっきよりも少し大きな声を出した。
こなた「おかえり~」
こなちゃんはパソコンの画面を見たまま返事をした。またゲームをしているのかな。こんな時のこなちゃんは何を言っても上の空。
つかさ「お姉ちゃんがよろしく言っていたよ……」
こなた「柊けいこ……」
突然会長さんの名前を言った。
こなた「ワールドホテルの会長にして、幾多の企業を経営している……倒産寸前の会社を買い取りことごとく復活させて利益をあげている、しかも、経営が軌道にのると
    すぐに独立させて経営には二度と口を出さない……カリスマ的経営者……」
つかさ「こなちゃん?」
ノートパソコンを閉じると私の方を向いた。
こなた「ちょっと調べてみたんだ……凄い経歴の人だよ……得に外食産業に関してはこの人の右に出る人は居ないようだよ」
そんな人だったとは……でも確かに今までに無い魅力を感じる人だった。
こなた「でもね……ちょっと怪しい所もあるんだ……五十年前、前会長の柊竜太って人と結婚しているんだけど……結婚以前の経歴が全く無い……
    これだけの人なのに、何処で生まれて育ったのさえ全く分らない……おかしいよね?」
五十年前……けいこさんが人間になったって言った時期と一致する。お稲荷さんだったけいこさんの履歴なんて分るはずもない。
こなた「前会長、竜太ならネットでも簡単に調べられたよ、この町で生まれ育ったらしいね、この町の有力者の息子だったってさ、父親村長で猟友会の会長だったって」
つかさ「えっ!!!」
私の声にこなちゃんは驚いた。
こなた「ど、どうしたの?」
つかさ「な、なんでもない……」
どうゆう事なの、猟友会の会長の子供の竜太さんとけいこさんは結婚した……信じられない、まなちゃん、ひろしさん、たかしさん、私の会ったお稲荷さんは狩りをする人間を
憎んでいた……けいこさんと竜太さんに何があったと言うの……
こなた「大学を卒業した竜太はワールドホテルに入社した、そこで出世街道まっしぐら、ホテルはみるみる大きくなり、世界的なホテルとなった、
    でも、経営的な決定権はけいこが握っていたみたいだね……何者なんだろう……」
つかさ「なんでけいこさんを調べているの?」
こなた「昨日、松本店長が店を休んだよ、連絡がつかない……」
つかさ「休んだ?」
かえでさんが店を休むのは珍しい事じゃない。でも、無断で休む事なんか一回もなかった
こなた「そうだよ、昨日はかえでさんしか作れない料理は品切れって事で開店した、料理に欠かせないスープも無くなりそうになってね、かえでさんが明日も休めば
    開店できないよ、つかさ、あの会長は松本さんに何を言ったの、何をしようとしているの」
私が言っていいのだろうか、本当は店長であるかえでさんから話す方がいいに決まっている。こなちゃんだってホール長、話を聞く権利はある。うんん、
お店の皆が聞かないといけない。
つかさ「けいこさんは、この町を再開発するつもり、エリアの中にいる人達はほぼけいこさんに賛成しているみたい、残るは私達のお店だけ」
こなた「何だって、そんな話し聞いていない、開発ならもっと大々的に宣伝するでしょ?」
私も昨日初めて聞いた。どんな開発なのか。けいこさんは何をしようとしているのか、詳細は聞いていない。
つかさ「移転するにあたって、けいこさんはホテルのテナントを無償で五年間貸すって言っていた、それだけじゃない、いろいろ良い条件を出してくれている」
こなた「良い条件って、つかさ、もしかして、会長の計画に賛成なの?」
こなちゃんは私に近づき詰め寄った。
つかさ「ホテルのテナントのお店に入った、最新の設備、インテリア、調理器具……凄いよ、あそこならもっと美味しい料理ができそう」
こなた「なるほどね、つかさが賛成で、松本さんは反対なのか」
つかさ「こなちゃんはどうなの?」
逆に私がこなちゃんに詰め寄った。
こなた「私は、まだここに来て半年を過ぎたばかり、やっとこの町にも慣れてきた、でも、この町に何か特別な想いはない、皆が賛成すれば良いよ、調べた限りでは
    悪い所はなさそうだしね……怪しい所はあるけど……」
怪しい所、もし、もしも移転がきまればけいこさんと会う機会は増える、こなちゃんやかえでさんだって増える。けいこさんの正体を言うべきなのだろうか。
こなた「ん、なんかあるの、私をじっと見て?」
つかさ「え、うんん、なんでもないよ、それより、かえでさんが心配……けいこさんに説得するように頼まれたのだけど、なんか自信ないな……」
やっぱり言えない。
こなた「ん、つかさ、もう会長とそんなに親しくなっての、なんか凄いな、つかさって社交性がそんなにあるとは思わなかったよ、そういえばお稲荷さんとすぐ仲良く
    なるよね……しかも相手は憎しみたっぷりだったのに」
その会長さんもお稲荷さんだったりする。
つかさ「そんな事ないよ、私なんて……」
こなた「なんだかんだ言ってレストランの皆と一番うまくやっていると思うよ、喧嘩もしないし、それはある意味能力だよ」
つかさ「こなちゃんだってすぐにホール長になったし」
こなた「アルバイトの経験がうまく活かせただけよ……そういえば、覚えているかな、初めて会った時の事、高校二年だったよね……」
こなちゃんは昔の話をしだした。覚えている。確か外人さんに尋ねられて……
つかさ「うん」
こなた「その時さ、思ったんだけど、つかさは助けてあげたくなるような素質があるんだよ」
つかさ「それって素質って言うの、助けてもらう素質って頼りなさそうだよ」
こなた「あ、そうかもしれない」
私達は笑った。
こなた「まぁ、松本さんの説得は私も協力させてもらうよ」
つかさ「ありがとう」
 
 次の日、私は遅番だったけどこなちゃんと一緒に一番に出勤した。
店に着くと案の定、かえでさんは出勤していなかった。皆は厨房で立ち尽くしていた。料理の基本、スープが底を突いていた。このままでは一品も
料理を作ることができない。開店も侭ならなくなった。
「どうしよう、このままじゃ休業だ、今日の予約、キャンセルしてもらうしかない」
スッタッフの一人が呟いた。
こなた「スープなんて肉と野菜を入れて煮込むだけでしょ……なんとかなるよ」
つかさ「簡単だから難しいの、人によって味が変わっちゃうから、かえでさんが作らないと店の味が出ない」
こなた「つかさなら作れるんじゃないの、松本さんと一番付き合い長いし」
こなちゃんの言葉を皮切りに皆の目線が一斉に私に集まった。かえでさんがスープを仕込んでいる所は何度も見たことあるし、手伝ったりもした。
だけど肝心な所は全てかえでさんがしていた。
つかさ「ごめんなさい、私もできな……」
その時だった。急に頭の中に閃いたものを感じた。冷凍庫、そう、あそこに確かかえでさんが作り置きしていたいろいろな食材を冷凍してあったのを思い出した。
私は冷凍庫を開けた。中を隈なく探した。ラップに包んだ氷の塊……私はそれを取り出した。
こなた「なにそれ?」
つかさ「寸胴鍋にお湯を沸かして」
こなちゃんが鍋を用意した。スタッフもその後から動いた。お湯が沸くとラップを剥がして凍った塊を鍋の中に入れた。塊は溶け出して鍋いっぱいに広がってきた。
鍋からスープの香りが立ち込めてきた。塊が全て溶けたら、火を弱火にした。料理担当のスタッフが小さじで掬い取って口の中に入れた。
「……店長の味だ……」
皆の歓声が広がった。
こなた「すごい、どんな魔法を使ったの」
つかさ「魔法じゃないよ、スープを煮詰めて濃縮したのを凍らせただけだよ、かえでさんが昔、スープを作るのを失敗した事があって……この方法をしてスープを作ったのを
    思い出した、余ったスープを煮詰めたのを貯めて置いて凍らすの、そうするとこういった緊急の時の即席スープができる」
こなちゃんは感心したように頷いていた。
こなた「皆、予定通りの時間で開店だよ」
皆は一斉に持ち場に戻って行った。私もデザートの準備をしようとした。
こなた「さすがつかさ、うんん、つかさ副店長!」
かえでさんじゃないのに副店長だなんて。
つかさ「そんな……私はかえでさんの真似をしただけで……」
こなた「私も含めてその真似が出来ないんだよ、兎に角危機を脱したのは確かだよ」
つかさ「スープの元も後数日分しかないよ、かえでさんに作ってもらわないと」
こなた「でも、連絡がつかないし……」
つかさ「それなら、今日、帰りにかえでさんの家に行ってみる」
こなた「それがいいよ、つかさの言う事なら何故か聞くからね、そうゆう所がかがみに似ているよ」
そう言うと掃除道具を持って店の外に出て行った。
 
 私は早めに店を出た。そしてかえでさんの家に……向かっていなかった。もう一箇所、かえでさんが行きそうな場所に向かっていた。それは……神社だった。
ひろしさんと別れてから一回も行っていない。忘れられた神社。その神社に今度はかえでさんが頻繁に行っている。不思議なものを感じてならない。
まなちゃんと初めて会った場所、別れた場所でもあった。短い間だったけど私にも一生忘れられない思い出があそこにはある。
そして、お稲荷さんが住んでいたあの場所を、お稲荷さん自身が壊そうとしている。それについてはちょっと違和感があった。今度の日曜日に真意を聞いてみたい。
神社の入り口、私は階段を登った。
かえで「つかさ……」
かえでさんが階段から降りてきた。
つかさ「かえでさん……やっぱりここだったんだね」
頂上と神社入り口の丁度中間くらいで彼女と会った。
私達はゆっくり降りながら話をした。
かえで「お店をほったらかしにして、さぞみんな怒っているでしょうね……」
つかさ「お店はなんとかしています、スープが無くなったから……冷凍してあったのを使いました」
かえで「あれを使ったのか……失敗した時の為に取って置いたものよ、でもね、煮詰めてあるから普通に作ったのよりコクが出るの、よく分ったわね、冷凍庫の奥だったのに」
つかさ「お店を休みにはできないから」
かえで「そうね……つかさはもう一人でも立派にやっていけるわね、それに引き換え私なんて……情にながされて皆に迷惑をかけた」
つかさ「そんな、私だって何度お店を休んでここに来たか、その度にかえでさんに励まされて、教えられて……」
かえでさんは黙ってしまった。話がそれたかな、こうなったら直接聞くしかない。
つかさ「けいこさんの話しの答えを考えて、それで此処に来ていたの?」
かえで「答えは出ている……多分つかさと同じ答えよ、飲食業を営む者にとってあのホテルで店を出す……それが目標みたいなもの」
つかさ「そうなの、でも、あの時けいこさんに取った態度って……」
かえでさんは立ち止まった。
かえで「この話し、店の皆には話したの?」
つかさ「こなちゃんにだけ話した、皆にはかえでさんから話すのが良いかなと思って……」
かえで「それで、泉さんは何て言ったの?」
つかさ「賛成してくれたよ……」
かえで「そうよ、そうなのよ、頭では私だってそう思ってる!!」
私に向かって叫ぶような声だった。私は驚いて階段を一段降りた。
かえで「思っているけど、素直になれない……」
今度はか細く弱弱しい声になった。
つかさ「その原因はこの神社の開発なの?」
かえでさんはまたゆっくりと階段を降り始めた。
かえで「この神社の話しは知っているのか、一昨日、私と別れてから会長さんと何を話した……」
やっぱり聞いてきた。こなちゃんには話せなかった。だけど、かえでさんはひろしさんと私の関係を知っている。けいこさんも話して良いと言っていた。
つかさ「けいこさんは……お稲荷さんだよ、うんん、お稲荷さんだった、五十年前、人を愛して、長寿を捨てて人間になった……」
かえで「な、なんだって」
かえでさんはまた立ち止まった。
かえで「あんたはよっぽど狐に縁があるみたいね、良くも悪くもね、別れては出会って……ふふ、ははは、お稲荷さんかよ、よりによって、今度は何を企む……何の復讐だ」
今度は笑い始めた。
つかさ「開発の理由は詳しく聞かなかったけど、復讐とか恨みとかじゃないみたい、ただ、亡くなった旦那さんの夢だったって……そう言っていた」
かえで「夢……何が夢よ、金にものを言わせて立ち退かせるだけじゃない、それに、この神社は彼等の住処じゃなかったのか、それを「夢」の一言で壊せるのか」
かえでさんの表情を見て分った。かえでさんはまだ辻さんの事を……
つかさ「かえでさんはまだ辻さんが自殺した責任を負うとしているの、もうとっくに解決したと思った、私が初めて稲荷ずしをこの神社に持って行った時に……」
私は階段を降りる速度を上げた。かえでさんは私の後から速度を上げて離れないように付いてきた。
かえで「私がこの神社にこだわるのは、浩子が亡くなったからじゃない……浩子が生きていても、私はこの神社を壊すのは反対する、おそらく浩子も反対すると思う」
つかさ「どうゆうこと?」
かえでさんは急に微笑みながら話した。
かえで「私達は幼少からこの神社でよく遊んだ、ふふ、狐とは一回も遇わなかったけどね、階段を登ったり、降りたり、当時はそれだけで楽しかった、
    一人っ子の私からみたら、同じ歳の彼女は妹のように見えた……頂上から見える景色は……特に夕日は……今でも忘れられない、景観が悪いだって、
    とんでもない、あそこは私にとっては唯一無二の絶景なの……分るかしら、つかさにここの素晴らしさが」
思い出した。初めてこの神社に来た時の事を。小さな森、木漏れ日……とても幻想的だった。あの時、時間を忘れてぼんやり眺めていた。
つかさ「夕日じゃないけど、木漏れ日に凄く魅かれる物を感じた……」
かえで「それなら、私の気持ちも分るでしょ……」
もうそろそろ階段が終わろうとしていた。入り口の鳥居が見えてきた。
つかさ「神社の件は話せばきっと分ってくれる、けいこさんは皆が賛成しないと実行しないって言っていたから……だからかえでさんは移転の事だけ考えて」
かえでさんは立ち止まった。
かえで「移転ね……あのホテルに立ち並ぶ歴々のレストラン、どう考えてもあのホテルの店と張り合える訳がない」
つかさ「けいこさんは一度店に来てる、あの時かえでさんは厨房にいたから知らないと思うけど、会計の時、美味しかったって……あの時の笑顔で思い出した、
    かえでさんには一応報告したけど……けいこさん、店の実力を知った上でテナントを貸してくれるって言ったと思う」
かえで「もし、移転が決まれば、今のようにゆったり構えたりなんか出来ない、覚悟は出来てるでしょうね、廻りの店と争うのよ」
つかさ「私は出来る事しか出来ない、でも、料理は優劣だけじゃ決まらないから……分らないよ」
かえで「優劣だけじゃない……つかさらしからぬ意味深長ね」
かえでさんは興味ありげに私に近づいてきた。
つかさ「以前、家族で外食した時なんだけど、まつりお姉ちゃんは美味しくないって、いのりお姉ちゃんは美味しいって言って言い合いになった事があって、同じ料理でも
    これだけ評価が違って不思議に思った、食材の好き嫌いも料理では大きいよね、味付けも、酸っぱいもの、辛いものも好き嫌いははっきりするよね、
    見た目も関係するかも……結局答えはでなかったけど……」
かえで「万人に好まれる料理なんかないわ……感覚……味覚を満足させるのが料理なら、聴覚なら音楽、視覚なら絵画……芸術に近いものがあるかもね、
    芸術は人によって千差万別、好みも人それぞれ、キリがないわ……」
つかさ「今まで通りでいいよ、変に構えるときっとつまずくと思う」
かえで「今まで通りか……今までの私達がどこまで行けるか、それも良いかも」
つかさ「それじゃ……」
かえで「明日は臨時休業、皆を集めてどうするか決めましょう」
かえでさんの顔が明るくなった。こうでなくちゃダメだよね。
 
 次の日、「レストランかえで」のスタッフ全員が集まり、けいこさんの計画の話をかえでさんがした。みんな活発な意見が交換された。
そして……夕方頃に皆の意見が一致した。一つの答えが出た。
 
 日曜日、その日が来た。
私とかえでさんは会長室に居る。
けいこ「どうですか、答えは決まりましたか」
その言葉に一拍置いて答えようとした時だった。
かえで「答えは決まっています、しかし、私は貴女に聞かなければならない事があります」
かえでさんが話し始めた。事前の打ち合わせではお稲荷さんと何度も話していて、慣れている私が先に話す事になっていた。
けいこ「何でしょうか、疑問点はこの際、ここで全て明らかにしましょう」
かえでさんはどうするつもりか分らない。私はただ黙って様子を見るしかなかった。
かえで「町の神社……なぜあの神社を壊さなければならない、あそこはわたしの幼少から思い出のある場所、それに少なからずとも森林が生い茂り、
    緑豊か、四季折々の綺麗な花々を咲かせてくれる、公園にする必要性が私には理解できない」
この内容は私が話すはずだった。でも話を聞いてみると、感情がこもっている。本人が言った方が説得力あるよね。
けいこ「……貴女は幼少からあの神社で遊んでいたのですか……幼馴染の辻浩子さんの面影を消したくないのではありませんか、そうつかささんから伺いましたが」
かえで「浩子は確かにあの神社で自殺した、それはもう私の中では解決した……それより柊さん、貴女は解決したのか、狐の頃の思い出は、住処に未練はないと言うのか、
    そこまでして、あの神社を壊す理由は何だ」
けいこさんは一瞬目を閉じた。そして私の方を見た。私がけいこさんの正体を言って怒った……違う、彼女の顔は怒ってはいなかった。
けいこ「良い目をしている、何かを守ろうとしている良い目です、この前に会った時とは比べ物になりませんね……」
かえで「私の質問に答えて!」
かえでさんは声を張り上げた。けいこさんはかえでさんが落ち着くのを待ってから話し始めた。
けいこ「……つかささんから聞いたのですね、私は、貴女達がしっている狐と同じ一族でした……人間になったとは言え、その事実は変わりありません……
    私達の思考は人間のそれと大差ありません、笑い、怒り、悲しむ……いいえ、感情の起伏は人間よりも激しいかもしれません、つかささんなら分りますよね、
    何の関係もない人を恨むことさえある……そんな私達ですが住処について私達は執着などありません……しかし、松本さん、貴女の目を見て分りました、
    あの神社は、あの山は貴女にとって信仰の対象であると……いいでしょう、神社はそのままに致しましょう」
あっさりだった、かえでさんが少し感情的になっただけなのに、こうも簡単に開発を撤回してしまうなんて。それにけいこさんは他のお稲荷さんと違って
感情を表に出してこない。と言うよりまったく動じていなかった。かえでさんは何も言わずけいこさんをただ見ていた。
つかさ「あ、あの~神社を壊して公園にして、私達の住んでいた町をどうするつもりなの?」
『パチン』
けいこさんは指を鳴らした。この前の時と同じ様に女性が飲み物を持ってきて私達の前に置いた。この指の音……そうだ、あの時と同じ、瀕死のたかしさんを見たひろしさんが
仲間を呼ぶ時に鳴らした音とそっくり。私は飲み物を持ってきた女性を見た。多分この人もお稲荷さんなのかもしれない。
けいこさんは飲み物を取り一口飲むと、私とかえでさんをゆっくりと見ながら話した。
けいこ「貴女達なら話しても良いでしょう、私の悲願……いいえ、私と竜太の夢……」
つかさ・かえで「夢……」
けいこさんは頷いた。
けいこ「私達の一族と人間の共存……それが私達の夢、あの神社に仲間を呼び戻し、町の一部に住んでもらうつもりです……そして近いうちに私達の存在を
    公表し、人と同等の権利を主張する……」
かえで「ば、ばかな……おとぎ話のような狐を人間が受け入れると本気でおもっているのか……百年前ならいざ知らず、このご時勢に……病院送りにされるのが落ちだわ」
かえでさんは半分呆れ顔だった。
けいこ「……私も只では受け入れてもらえるとは思っていません、見返りに私達の知識を全て公開します」
かえでさんは笑った。
かえで「ふふ、どんな知識か知らないけど、有史以前の知識なんてたかが知れている、私達の人間の暮らしぶりを見て分らないかしら」
けいこさんは目を閉じた。
けいこ「私はホテル以外にも製造業も経営しています、そこで得た特許数は軽く千を超えています……それはその知識のほんの一部です、石器時代の人々に私達の知識を
    教えても魔法としか思わないでしょうね」
かえでさんは黙ってしまった。
つかさ「で、でも、ひろしさんが言ってた、知識を教えると争ってしまうって……」
けいこ「そうですね、何度もそんな事がありました……私達の知識は人が生きている限り、遅かれ早かれ人も研究して見つけるでしょう、教えた知識を使い滅びるようなら、
人間はそれまでの種族です、同じ事です」
スケールが大きすぎてイメージできない。私はレストランが移動するだけの簡単な事だと思っていた。でも、人間とお稲荷さんが仲良くなれるならそれも良いかも。
けいこ「松本さん、つかささん、私の夢の計画に協力してくれませんか?」
かえで「私は貴女の計画に興味ありません、ただ悪いことではないのは分ります、あの神社を壊さないのであれば私の店のメンバーで反対する人は一人もいません」
店の皆は移転に全員賛成した。かえでさんだけが反対だった。今はもうかえでさんが反対する理由は一つも無くなった。
けいこ「ありがとう……感謝します、まずは移転先を決めてもらいます」
また奥から女性が地図を持って来た。飲み物を片付けるとテーブルにその地図を広げた。
けいこ「私のホテルから選んで下さい……」
かえで「それは少し時間をくれませんか、場所についてはまだ意見が分かれています」
けいこ「いけない、私としたことが……先走りすぎました、それでは同意書にサインを……」
女性は地図を片付け奥の部屋に入っていった。けいこさんは逸る気持ちが抑えられないみたいだった。
つかさ「けいこさんはどうして人間になったの、旦那さんの為?」
けいこ「……それもあります、でも人間になったのはそれだけではなかった、私達に無くて人間にあるもの……私達がいくら知識を積んでも得られなかった……芸術……
    古今東西、私が見聞きした物……絵画、彫刻、音楽……そして貴方達の専門である料理……それが理由です」
でも……人間にならなくても……寿命が短くなったら芸術もあまり鑑賞できない気がする……
奥の部屋から女性が書類を持ってきてかえでさんの前に置いた。かえでさんは書類を手に取り黙読しはじめた。
けいこさんは私の方を見た。
けいこ「つかささん、私の仲間を説得するのを手伝ってくれませんか」
つかさ「え……」
突然だった。急に言われて最初はなんだか分らなかった。
けいこさんの仲間……お稲荷さん……ひろしさんにまた逢えるかも知れない……
つかさ「わ、私は……」
けいこ「生贄にされて、姉が呪われた、それでも貴女は生きている、少なくとも貴女は仲間の心の中から人間に対する憎しみを取ったのは確かです……」
つかさ「でも……」
私はチラっとかえでさんを見た。かえでさんは書類に目を通したまま動かなかった。
けいこ「百年近く会っていない私よりも貴女の方が適役かもしれません」
何だろう、この胸の高鳴りは。「はい」と言いたい。だけど「いいえ」とも言わないといけないような。分らない。どうしよう。頭がグルグル回ってどうしていいか分らない。
かえで「これでいいですか?」
かえでさんは書類にサインをした。けいこさんは書類を見た。
けいこ「ありがとう、どうです、契約成立を祝ってこれから食事でもいかがですか」
かえでさんは立ち上がった。
かえで「いいえ、まだ完全に決まっていません、これから移転場所をきめなければならないので、そのご好意はそれからで……」
けいこ「そうですね」
けいこさんは微笑んだ。かえでさんは会長室を出て行った。私も立ち上がった。
けいこ「つかささん、先ほどの話し、考えておいて下さい」
私は軽く会釈だけしてかえでさんの後を追った。
 
 かえでさんはエレベータを乗ってから一言も話していない。やっぱりけいこさんの誘いが影響しているのかな。
つかさ「かえでさん……えっと……」
かえで「お腹が空いたわね……この店、良さそうね……はいりましょう」
私と話すのを避けるように店の中に入っていった……その店はあやちゃんの働く店だった。私はかえでさんの後を追った。
店に入るとかえでさんは既に席に座りメニューを見ていた。私もかえでさんと同じテーブルの席に着いた。私はかえでさんをじっと見ていた。なんとなく話し難い。
かえでさんはメニューを置いた。
かえで「この店のインテリア……センス良いわね、移転先のインテリアもこんな感じがいいかしら」
つかさ「そ、そうですね……」
「お決まりですか?」
聞き覚えのある声、あやちゃんが私達の目の前に立っていた。
かえで「トーストとコーヒー」
あやちゃんは私の方を見た。
つかさ「え、えっと……」
あやの「メロンソーダですね」
つかさ「あ、は、はい、それで」
あやちゃんは私に微笑みかけると厨房の方に向かって行った。
かえで「さっきの子……つかさの知り合いなの?」
かえでさんは透かさず厨房の方を見ながら聞いてきた。
つかさ「はい……高校時代の友人です、日下部あやのさんと言って……」
かえで「こんな所にもつかさの知り合い……凄いわね、まるでつかさが中心に世界が動いているよう……」
私の話しに急に割り込んできた。私は話すのを止めた。
かえで「柊けいこさんの言う事が真実なら、これから私達の暮らし……うんん、世界観が一変するわよ、なにしろ私達が数百……数千年経たないと得られない
知識が手に入るのだから、そんな仕事が出来たなら、人類史に残る偉業かもしれないわよ」
私は何て言って良いのだろう。かえでさんはそんな私を笑いながら話した。
かえで「そんなのはどうでも良いわね……つかさ……ひろしさんに逢いたいんでしょ?」
つかさ「……別れたのは運命だと思ってた、でも、逢えるなら……逢いたい、でも……私は」
目頭が熱くなってきた。
かえで「ば、ばか、こんな所で泣くやつがあるか、少しは場所を気にしなさい……」
かえでさんは辺りを慌てて辺りを気にしだした。でも涙は急に止まりそうになかった。
かえで「無理も無いわね、好き合った者同士が分れ離れなんて……よく今まで笑顔でやってこられたわね、それだけでも立派よ」
 
 涙が止まった頃、あやちゃんは私達が注文をした品を持って来た。かえでさんはコーヒーを口に含んだ。
かえで「今時珍しい機械を使わないで淹れているわね……こんな香りはうちの店ではだせないわね……」
つかさ「……ごめんなさい、泣いたりしちゃって」
かえで「気にしなくていいわよ、私も少し取り乱したわ」
私はメロンジュースを飲んだ。
かえで「けいこさんの誘いの返事しはなかったわね、それは私が居たから出来なかったのかしら、会長室で何度も私を見ていたわね」
つかさ「それは……私は副店長になったし、そんな簡単に別の仕事なんて」
この前の臨時会合の時、かえでさんの提案で副店長を選ぶ選挙も行われた、こなちゃんとかえでさんが私を推薦した。それで皆が賛成して私は正式に副店長になった。
かえで「これから私はつかさスープの作り方、私の持てる技術の全てを教えるつもりでいた、でもね、副店長はつかさの人生まで縛るもじゃないわ、
    つかさが本当にしたい事なら、私も皆も喜んで送るわ……お稲荷さんと人間の橋渡しはつかさが適任ね、友人や恋人まで作るのだから……」
つかさ「私……はっきり言うと、ひろしさんに逢いたい、ただそれだけ、だから知識が云々とかそうゆう難しいことなんか全く分らない、
    きっと足手まといになるだけ……それより、かえでさんは私が本当に店を離れていいと思ってるの……そうだよね、失敗もいっぱいしてるし……」
かえで「い、いや、離れて欲しくない、だから副店長にまでになったじゃない……あの会長のしようとしている事はスケールが大きすぎる、つかさはもうその
    計画の中に足を突っ込んでいる、つかさがそれを望むと望まないは関係ない……それにね、会長の計画を手伝えるのは、
    人間ではつかさしか居ない……ふふ、会長のけいこさんは最初からつかさが目当てだったのかもしれないわね、そんな気がしたわ」
本当は店でずっと働いてって言って欲しかった。そうすれば私は悩まなくて済んだのに。
つかさ「私……ひろしさんやお姉ちゃんの言うほど強くない……どっちか選べって言われても……そんなの決められないよ……」
かえで「そうね……難しい選択ね、会長さんの計画は全て聞いた訳じゃないけど、きっと一年、二年で出来るようなものじゃないと思う、考える時間はまだあるわよ」
かえでさんは財布からお金を出した。
かえで「これで払っておいて、今日は私の奢りよ、今日も帰りは実家に戻るのでしょ?」
私は頷いた。
つかさ「……ごちそうさま」
かえで「さてと、私は帰って仕込みがあるから、先に帰るわよ」
かえでさんは店を出た。
暫くするとあやちゃんが心配そうな顔でこっちに来た。
あやの「かなり深刻そうな話をしていたみたいだけど……あの方は誰なの?」
つかさ「私の上司、松本かえでさん……」
あやちゃんは思い出したようにビックリした。
あやの「もしかして「レストランかえで」の店長さん?」
つかさ「そうだけど……」
あやの「……松本かえでって言ったら最近雑誌とかで話題になっている……取材拒否する頑固者でも有名……そんな人と……大丈夫、厳しくないの?」
更に心配そうな顔をしている。
つかさ「厳しいと言えば厳しいけど……優しい所もあるし、お姉ちゃんみたいだと思ってる……」
笑顔で話すとあやちゃんはホッとして笑顔に戻った。
あやの「最近このホテルの何処かに新しいレストランが移転するって噂があったけど、まさかひいちゃんのレストランだとは思わなかった……どんな仕事してるの?」
つかさ「デザート担当……この前副店長になっちゃった、こなちゃんもホール長になった」
あやの「わぁ~すごい、すごい、二人とも大出世じゃない、今度お祝いしなきゃ」
自分の事の様に喜んでくれている。だけど、今はそんなに嬉しくなかった。
つかさ「ありがとう……お会計……ここで済ませちゃっていいかな?」
あやの「はい、かしこまりました」
私はあやちゃんにお金を渡した。
 
 あやちゃんのお店を出た私は実家に向かった。今度は私が家に帰るのは皆知っている。と言うより、お姉ちゃんの方から来るように言われた。
きっとお姉ちゃんの恋人についての話があるに違いない。わざわざ家に呼ぶのだから、もしかしたら結婚まで考えているのかも。そこまでじゃなくても、家族に紹介くらいは
するよね。お姉ちゃんが結婚するならあやちゃんの次になる。そういえばまつりお姉ちゃんも恋人が出来たって言っていた……どうなったのかな。いのりお姉ちゃんは
そんな話は全く聞かない。もうそろそろ考えないといけないよね……なんて人の事考えてもしょうがない。私の恋人は……今度会ったら、もう別れるなんて言わない。言わせない。ダメダメ!……もう考えないって決めたのに……どうして……けいこさんのせいで……わぁ、私ったら、思い出したのを人のせいにしちゃってる。
どうしたらこの気持ちを抑えられるのか分らない。
 
 悶々を堂々巡りの想い……気が付くと実家の玄関前に立っていた。ドアを開けると居間から笑い声が聞こえてきた。みんな居るみたい。
つかさ「ただいま~」
さらに笑い声が強まってきた。話しに夢中で私に気が付かないみたいだった。私はそのまま居間に向かった。居間のドアを開けると笑い声が止まり皆私を注目した。
つかさ「ただいま……」
かがみ「おかえり、遅かったわね……先に始めちゃったわよ……」
お姉ちゃんの隣に男の人が座っていた。この前見た男の人……お姉ちゃんの恋人。目が合った。私は会釈すると彼も会釈した。
かがみ「紹介するわ、彼女が私の妹、つかさ……彼は、私の先輩で、小林ひとしさん」
まつり「まったくいつの間にこんな人を見つけるなんて、つかさ、小林さんは司法試験合格したって、かがみは何時になるのやら」
小林さんって言うのか……さっきの笑いは小林さんと話していた時の笑い声だった。もう家族と打ち解けているみたい。
つかさ「はじめまして、つかさです……」
ひとし「はじめまして……」
まつり「つかさ、突っ立っていないでこっちに来て座りなさいよ」
私はまつりお姉ちゃんの隣に座った。すると皆はお姉ちゃんと小林さんに顔を向けた。私もそれに釣られるように二人を見た。急に二人の顔が赤くなっていくのが分る。
いのり「どうしたの、さっきの様に言いなさいよ」
いのりお姉ちゃんはにやけながら話した。
二人はチラチラと目線を合わせながら、タイミングをうかがっているみたいだった。お父さんとお母さんは笑いをこらえている。そして……
かがみ「わ、私達……け、結婚することにした……から……」
呂律が回っていない。こんなお姉ちゃんを見るのは初めてだった。でも言っている意味は、はっきりと分った。今までもやもやしていた心に光が射してきた様な感じになった。
つかさ「おめでとう」
お姉ちゃんはそのまま感極まったのか、涙をこぼして泣き始めた。私がひろしさんから告白を受けた時を思い出した。あの時の私と同じ心境なのかもしれない。
みき「どうしたの、さっきはそんなにならなかったじゃない?」
かがみ「だ、だって……」
更に泣き方が激しくなった。小林さんがお姉ちゃんの肩を抱き寄せて慰めた……同じだ……あの時と……
いのり「それで、式はいつにするの」
お姉ちゃんは話せそうにない。
ひとし「かがみさんが卒業してからと考えています。」
しっかりとした口調ではっきりとそういった。
ただお「それが良いかもしれない……」 
 
小林さんは優しくてユーモアがあって知的で……お姉ちゃんにぴったりの人かもしれない。もう皆も家族の一員みたいに話している。私も兄として見る事ができそう。
短い時間だったけどお姉ちゃんの恋人……婚約者の人柄が分った。小林さんは法律事務所に入り何れは独立すると言っていた。お姉ちゃんも卒業すれば同じ事務所で
働く事になる。私とかえでさんみたいに上司と部下の関係、私とかえでさんは友達として、お姉ちゃん達は夫婦として……
小林さんと私達家族の会合は和やかのうちに、あっと言う間に終わってしまった。
 
夕方、小林さんを送ると、お姉ちゃんは私も送ってくれた。小林さんは先発の電車で帰って行った。ホームで私達は電車を待っていた。
かがみ「泊まっていけばよかったのに……」
つかさ「明日も仕事あるし」
かがみ「残念ね……」
短い会話で途切れてしまった。私は時刻表を見て次に来る電車の時刻を確認した。まだ電車がくるには時間はある。
かがみ「さっきはごめん……」
ぼそっとした声だった。
つかさ「ごめんって、何か謝る様な事したっけ?」
かがみ「泣いてしまったでしょ、私ったら、どうしようもないわね」
つかさ「自然に出てきたのでしょ、分るよその気持ち……」
かがみ「分るって……分るのか?」
少し驚いた感じで聞き返してきた。
つかさ「ひろしさんが告白した時の私と同じように見えたから……」
かがみ「お互いに愛し合っているのに別れるのは悲劇以外なにものでもないわ、私なら一緒になる方法を探すわよ、つかさはこのままでいいの、彼だってあと何十年、
    いや、何千年先、後悔をするかもしれない、私は例え狐でも、お稲荷さんでもお互いが愛し合っていれば一緒になるのは構わないと思っているわよ」
つかさ「その方法、あるかもしれない……」
かがみ「あるかもしれないなら試しなさいよ」
即答だった。お姉ちゃんは真剣な眼差しで私を見ていた。私は何も言えなかった。
かがみ「話を聞きたいわ、駅を降りて少し散歩でもどう、次の電車でも間に合うわよね?」
恋愛の話しは全くしなかったのに。今までのお姉ちゃんとは違う。恋をすると、愛するとこんなに変わっちゃうのかな。
 
 駅を降りるとお姉ちゃんは神社の方に向かって歩き出した。私はその後を付いて行った。そこでお姉ちゃんは隠している事はないのかと問い質してきた。
その熱意に負けて私は話した。店の移転の事、柊けいこさんの事……
かがみ「柊けいこ……知っているわよ、私の大学のスポンサー、何度か大学に来て特別講義を受けたことがあるわ……あの人が、お稲荷さんだって……
    確かにそう言われてみれば、講義の時、なんとも言えない、引き込まれるような魅力があった」
私は頷いた。お姉ちゃんは空を仰いだ。
かがみ「つかさは本当にお稲荷さんに縁があるわね……そもそも神社の娘に生まれてきたのも何かの運命かもしれないわね……」
つかさ「かえでさんも似たような事言ってた、そう言うお姉ちゃんだって、関係しているかも」
かがみ「私は呪われただけよ、私達家族も一つ間違えればお父さんやお母さん、姉さん達だって危なかった」
つかさ「そうだったね……」
お姉ちゃんは天を仰いだまま暫くゆっくり歩いた。
かがみ「つかさは松本さんに義理を感じている、違う?」
義理、私はかえでさんに誘われてあの町に移り住んだ。そこでいろいろ教わった。誘われる前で働いていた所では得られない物がたくさんある。
つかさ「かえでさんには教えてもらってばかりで、ドジばっかりして……これからかえでさんに恩返ししないといけない」
かがみ「それが義理って言うのよ……松本さんも内心は柊けいこの手伝いにつかさを行かせたくないはずよ、副店長ですって、凄いわよ、そこまでの人を簡単に手放したくない」
神社に行く途中にある公園を横切ろうとしていた。お姉ちゃんは公園の中に入りベンチに腰を下ろした。私も隣に座った。
かがみ「でもね、私がつかさなら……柊けいこさんの方に行っていたかも」
つかさ「ほ、本当に?」
私は身を乗り出して聞き返した。お姉ちゃんは驚いて腰を引き私から離れた。
かがみ「いや、つかさの今の仕事が下って言っている訳じゃないぞ、少なくとも美味しい料理を作るなんて私にはできないのだから……現に料理でつかさは何人も幸せにしている」
つかさ「いいから、理由を聞かせて……」
私は更に詰め寄った。聞いてみたかった。お姉ちゃんの考えを。
かがみ「二つの仕事なんか比べちゃダメよ、私なら好きな人に逢いたいと思うだけ、目的が果たせたら元に戻ればいいでしょ」
つかさ「元に戻れるかな……一度出ちゃったら、かえでさん怒っちゃって戻れないかも」
かがみ「それはつかさと松本さんの問題ね、私はどうすることも出来ないわ……ゴメン、何の助言にもなっていなかった……」
つかさ「うんん、やっぱり最後は私が決めなきゃいけない事だし……」
お姉ちゃんは立ち上がった。
かがみ「私もね、つかさが家を出る時、笑って見送ったけど、時間が経つに連れて松本さんに恨みを持つようになった、それが呪われる隙を作ったのかもしれない、
    人の心って変わっちゃうもの、松本さんが柊けいこさんの誘いに賛成したとしても、それはその時の考えに過ぎないわ、時間が経つと柊けいこさんを恨んでしまうかも、
    もしかしたら、つかさ自身も恨まれるかもしれない、特に、つかさが大活躍なんかしたらね……」
つかさ「それって、焼餅を焼くって意味?」
かがみ「そうね、嫉妬かもしれない……こうしてみると、私達もお稲荷さんとさほど変わらないわね……ふぅ」
お姉ちゃんは深く溜め息をついた。
かがみ「とりあえず「ガンバレ」としか言えないわ……」
つかさ「うん、ありがとう」
私も立ち上がった。そろそろ駅に戻らないといけない。
かがみ「お礼を言うのは私の方よ……相手に自分の意志を伝える……こんなに重要だとは思わなかった、彼と婚約できたのはつかさのおかげ……ありがとう」
つかさ「告白……したんだ」
お姉ちゃんは頷いた。そして、顔が赤くなった。
かがみ「そして……新たに生まれる命の為に……」
お姉ちゃんはお片手をお腹に当てた。
つかさ「え……もしかして、赤ちゃん?」
かがみ「……そう、これは私とひとしとお母さんしか知らない……さすがにお母さんにはバレたわ……隠すつもりはなかったけど、やっぱり話すのは恥かしいわね」
お姉ちゃんの泣いた本当の意味が今、分ったような気がした。
つかさ「予定日はいつなの?」
かがみ「……卒業してからになるわ……」
つかさ「それじゃここで別れようよ、体に障るよ」
かがみ「大丈夫よ、駅まで送るわよ」
つかさ「それと……こなちゃんにはどこまで話していい?」
お姉ちゃんは駅に向かって歩き始めた。私も並んで歩いた。お姉ちゃんは少し考えていた。
かがみ「全て話して良いわよ、中途半端に話しても面倒なだけだわ」
つかさ「こなちゃんの驚く顔が目に浮かんじゃった」
かがみ「ふふ……その他は私から話すわ、明日は日下部と会うし」
つかさ「どっちの日下部さん?」
かがみ「……あ、そうだった、みさおの方よ……まったく、紛らわしいったらありゃしないわ」
私達は笑った……
 
 駅に着くと丁度電車が来た、そして電車のドアが閉まる直前にお姉ちゃんに言った。
つかさ「おめでとう」
妊娠はまだ祝っていなかったから。お姉ちゃんはにっこりと微笑んで手を振った。ドアが閉まる。そして電車は駅を離れた。お姉ちゃんは直ぐに見えなくなった。
この電車だと町に着くのは最終電車の深夜になる。
 
 目的の駅に着くまで私は考えていた。このままの仕事を続けるか、けいこさんの仕事を手伝うのか……
こなちゃんのよくやるシュミレーションゲームみたいなものかもしれない。
このままだと私はかえでさんから料理の技術を教えてもらって……いつになるかは分らないけど……かえでさんと同じ料理を作ることができるようになる。そうなれば
店長になれるかもしれない……でも、今の仕事でいっぱい、いっぱい、とても他の仕事まで手が回らない、大きなミスをしてしまうかも……
けいこさんの仕事……人間とお稲荷さんと共に暮らすためのお手伝い……何をすれば良いのだろう……全く想像すら出来ない。料理ならなんとか今まで働けたけど……
ひろしさんと二年も会っていない。もしかしたら私の事なんか好きじゃなくなっているかもしれない。今更会って……一緒に暮らそうなんて言ったってダメだよね、
そんな事が出来るならあの時出来ているよね……やっぱりどう考えてもこのままかえでさんと仕事をした方が良いに決まっている。
私の中では結論が出てしまった。
 
つかさ「ただいま~」
返事がない。もう寝ちゃったかな。でも居間の方から明りが漏れている。私は居間に入った。するとこなちゃんが椅子に座っていた。
こなた「おかえり~」
つかさ「まだ起きていたの、寝ちゃって良かったのに……」
こなちゃんはテレビの電源を消した。
こなた「遅くなるのは知っていた、でもそれは契約のためじゃないでしょ、私が店を出るとき松本さんが店に来たからね、つかさ、家に寄っていたでしょ?」
こなちゃんは人差し指を立てながら話した。私が驚く顔をすると透かさず。
こなた「かがみが婚約したとか?」
私は更に驚いた。
つかさ「え、ど、どうしてそれを知っているの……」
既にこなちゃんはお姉ちゃんと話していたのかな。
こなた「図星だったみたいだね、そんな感じはしていたんだ、大学を卒業した辺りからかがみの様子が少し違っていたのに気が付いていたからね……かがみも結婚しちゃうのか」
少し悲しい顔をしたような気がした。確かに結婚すれば今まで通りの付き合いは出来ないかもしれない。でもそれは私も同じ……
つかさ「そんなに悲しい顔をしないで、おめでたい事なんだから……」
こなた「そうだね、ところでみゆきさんは知っているの?」
つかさ「分らない、だけどお姉ちゃんから直接話すと思う」
こなた「それが良いかも」
こなちゃんは台所に向かうとやかんに水を入れてお湯を沸かし始めた。
こなちゃんはお姉ちゃんの婚約を薄々感じていた。やっぱりけいこさんの正体を隠し切れないかも。このままだと私、うっかり話しちゃうかもしれない。
それなら今のうちに打ち明けた方が良いのかもしらない。だけどこなちゃんはお稲荷さんをあまり良く思っていないみたいだし、話したら、店の移転に反対しちゃうかも……
私って……
かも、かも、でも、かも……私って悪い方、悪い方、に考えちゃう。私はこなちゃんにまなちゃんやひろしさんの話をした。けいこさんの事だけ内緒にしたって意味はないよね。
反対されてもそれはそれ、移転しから分ったらそれこそ「なんで黙っていたの」って怒られる。それなら今話してすっきりした方がスッキリするよ。
 
『ピー』
私が決断をした時、丁度やかんのお湯が沸いた。こなちゃんはお湯をポットに入れていた。
つかさ「こなちゃん、私……お店の移転でまだ話していない事があるの」
こなちゃんは紅茶を淹れながら話した。
こなた「なに、改まっちゃって?」
つかさ「えっと、会長さん、柊けいこさんの事なんだけど……」
こなた「……柊けいこ、会長さん、実はお稲荷さんって言うんじゃない?」
つかさ「あ……」
私は固まった。何もその先から話せなくなった。こなちゃんは紅茶の入ったカップを私の目の前に置いた。
こなた「やっぱり、この前の休日ね、みゆきさんと会ってもっと詳しく調べさせてもらったよ」
こなちゃんはノートパソコンを取り出し開いた。
こなた「凄すぎるんだよ、会社を幾つも経営していて、特許取得が千以上、しかも前会長が亡くなってからだよ、とても人間技じゃないよ、その特許と言うのが
    どれもオリジナルらしいんだ、なんかピンと来たよ」
こなちゃんはパソコンを見ながら話した。私は深呼吸をして落ち着いてから話した。
つかさ「こなちゃんは、お稲荷さんが嫌いだと思ったから……」
こなちゃんはノートパソコンを閉じて私を見た。
こなた「かがみとつかさを殺そうとした連中だよ、嫌いにもなるよ……でもね……」
つかさ「でもね?」
私は聞き返した。
こなた「この会長は別かな、収益を慈善団体に寄付していて、美術館、学校、病院、にも寄付している、かがみとみゆきさんの大学にもね、特に芸術関係には熱心みたいだね、
    少なくとも私達、人間には敵対していない……」
つかさ「敵対なんかしていないよ、けいこさんは、人間になったから、だから人間と結婚をして……」
こなた「ど、どういう事なの?」
こなちゃんは身を乗り出した。私は知っている事全てをこなちゃんに話した。
 
こなた「長寿と引き換えに人間に……」
つかさ「うん……」
こなた「ふ~ん」
こなちゃんは感心したようにうなずいていた。
こなた「それで、つかさは会長さんの企画に参加するの?」
その答えをまだ決めていなかった。私は何も言えずにいた。こなちゃんはお茶を一口含んでから話した。
こなた「お稲荷さんの知識が云々なんか抜きにして、つかさはひろしってお稲荷さんが好きなんでしょ、そしてそのひろしって人もつかさが好き……片思いなら諦めもつくけど、
    悩むことなんかないじゃん、私がつかさなら即断だね」
つかさ「でも……」
こなちゃんは私の話しに割り込んだ。
こなた「でもって何、何を悩むの、今の仕事を辞めるのが惜しいの、つかさの今やってる事はいつでも出来るよ、でもね、会長さんのやろうとしている事は今しかできない
    つかさだって会いたいでしょ、それだけで充分だよ」
つかさ「今しか……出来ない……」
こなちゃんはお茶を飲み終わるとノートパソコンを持って立ち上がった。
こなた「私、明日は早番だから、もう寝るね、つかさは遅番だからゆっくりして」
私は飲みかけのお茶を一口飲んだ。もうすっかり冷えてしまっていた。こなちゃんは居間を出ようとすると立ち止まった。
こなた「つかさは凄いよ、一度でもつかさを憎んでいた人を好きになれるなんて、だから相手も好きになれたんだよ」
つかさ「でも、それはまなちゃんが」
こなた「……そうだね、真奈美さんがつかさを殺していたら今はなかったよね、その真奈美さんの為にも会長さんと一緒に行動した方がいいと思うよ……」
つかさ「そうかな?」
こなちゃんは大あくびをした。
こなた「そうだよ、つかさは高校時代とは比較にならないくらいに成長したよ、こんな話をつかさとするなんて……おやすみ」
つかさ「おやすみ……」
こなた「あ、そうそう、店の移転先の候補が幾つか上がっているよ、つかさの部屋に置いておいたから目を通しておいて」
つかさ「うん」
こなちゃんは居間を出て行った。
 
 お稲荷さんと人間がもっと仲良くできれば私とひろしさんが別れている理由はなくなる。そうなればまた会えたり、デートしたり、食事をしたり……結婚だって……
そんな事、出来るのかな。じゃなくてしたい。うんん、しなきゃダメだよ。こなちゃんの言うようにまなちゃんの為にも。
確かに今じゃないと出来ない事かもしれない。料理はこれからいくらでも……かえでさんも私がけいこさんの手伝いをしても良いって言ってくれたし。お姉ちゃんも。
なんか方向性が見えてきたかも……
時計を見ると日が変わっていた。いくら遅番といっても、もう休んだ方が良いね。自分の部屋に着替えに行った。
 
 机の上に紙が置いてあった。こなちゃんの言っていた店の移転先候補かな。紙を取って見た。そこにはいくつかの候補地が書いてあった。
みんなここから遠くの場所ばかり……東京の本店は候補になっていなかった。
都会のゴミゴミしている所よりもこの町みたいな所の方が働き易いのかな……それも良いね。あやちゃんには悪いけど本店は私も候補地から外すね。
大きな欠伸が出た。
さて……お風呂入って寝よう……
 
 二週間後、私は一人で電車に乗っていた。けいこさんの計画の返事をしに行くのと、候補地が決まったのでそれもついでに……
かえでさんは旅館の女将さんと移転について話すので出席しない。もともと旅館は温泉が出るから始めたって女将さんが言っていた。旅館は移転には参加しないみたい。
そして旅館は日帰り温泉になる。そして女将さんは温泉の番頭さんに。ちょっと寂しくなるかな……
多分かえでさんは女将さんに一緒に来てもらうように説得するために残った。そんな気がした。
さて、私もけいこさんとの交渉……頑張らなくちゃ!
 
 これで会長室に入るのは三度目になる。いつものようにノックをして会長室に入った。
ドアを開けると突然ピアノの音が耳に飛び込んできた。音のする方を見るとピアノにけいこさんが座り、静かにピアノを弾いていた。音がしないようにゆっくりとドアをしめた。
そしてゆっくりとピアノの前に移動した。けいこさんは目を閉じて弾いている。とても声を掛けられるような状態じゃない。それより……弾いている曲を聴こう。
曲名は分らない。ゆったりとしたリズム、静かに弾いている……何だろう、とても悲しい感じがする。悲しい……だけどとても優しくも感じる……
幻想的な曲だった。最初のフレーズが繰り返されると、終盤はちょっと激しく鍵盤を叩きつけて……まるで何かを断ち切ろうとしているみたいだった。

 

 

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最終更新:2012年07月01日 23:47
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