祈ること
柊家一家は、とある田舎の山奥の旅館に旅行に来ていた。
「お母さん、お外に遊びに行ってくるね」
「遠くに行っちゃダメよ」
「はーい」
まつりは、そういうと走るように部屋を出ていった。いのりがついていく。
かがみとつかさは、まだ幼子だ。外を走り回るにはまだ早すぎた。
部屋の中を這い回るかがみとつかさを、みきとただおが見守っていた。
それから二時間後。
いのりとまつりは、ものの見事に道に迷っていた。
いのりが制するのも聞かずに、まつりが山林の中を走り回ったため、すっかり道が分からなくなってしまったのだった。
「お姉ちゃん、暗いよう……」
まつりがいのりの服の裾をつかんだ。
いのりは空を見上げた。山林の中だから暗くなるのは早いが、それを差し引いても既に夜なのは間違いない。
どうしよう……。
冷静な大人なら一晩過ごして明るくなってから行動するところだろう。しかし、いのりとてまだ子供だ。そこまでの合理的な思考は難しかった。
それに、妹のまつりにこの寒い夜空の下ですごさせるわけにもいかないと思った。
ならば……。
いのりは、両手を合わせて握りしめ、目を閉じた。
いのり。それが自分の名前。だから、祈ることは自分にとっては特別の意味がある。
むやみに多くの願い事をしてもかなうことはないが、本当にかなえたいことだけを選び抜いて真剣に祈ればかなうことも多い。
死んだおばあちゃんはそう言ってたし、お母さんも同じようなことを言ってた。
「お姉ちゃん、お化けー!!」
まつりがそう叫んで、いのりにしがみついた。
いのりは目を開けた。
目の前に、青白い鬼火が浮かんでいた。
「お化けじゃないよ」
いのりは、そう言ってまつりをなだめた。
この世ならざるものではあるが、化け物ではない。いのりにはそれが何なのかはすぐに分かったが、まつりに説明するようなことはしなかった。
四歳になったばかりのまつりには理解できないだろうし、たぶん将来、このことを覚えていることもないだろうから。
鬼火がゆっくりと動き始めた。いのりとまつりを先導するように。
いのりは、はぐれないようにまつりの手を握り、鬼火についていった。
三十分ほど歩いたときだった。
鬼火の先に、光が見えた。懐中電灯だ。
その持ち主がこちらに早足で近づいてくる。
その姿は、まぎれもなく、母みきだった。
「お母さん!!」
まつりが走っていってみきに抱きついた。
みきは、まつりを抱き上げた。
「もう、どこ行ってたの?」
まつりは、泣きじゃくって答えられない。
いのりが代わりに答える。
「まつりが勝手に走り回ったせいで道に迷ってた」
みきがあやしてるうちに、まつりは泣き疲れて寝てしまった。
みきは、まつりが寝付いたのを確認すると、いのりの前に浮いている鬼火に近づいてこう語りかけた。
「すみません、お母さん。あの世からお呼びだてしてしまいまして」
すると、鬼火──いのりの祖母──は、世間話でもするかのようにこう言った。
「あの世で寝てたらいきなり呼び出されたから、何事かと思ったけどね。しかし、いのりもたいしたもんだ。その歳でここまでできるなんてね。柊家も安泰だ」
「いのりも、おばあちゃんにお礼しなさい」
いのりが祈ったのは、無事に戻れること。それをかなえるために、おばあちゃんが来てくれた(というより、無理やり引き寄せてしまった)。感謝しなければならない。
「おばあちゃん、ありがとう」
「かわいい孫のためなら、これぐらいはどうってことないさ。でも、むやみにやるもんじゃないよ」
「はーい」
みきが鬼火に手をかざした。
「それでは、お母さん。お休みください」
みぎが短く祝詞を唱えると、鬼火はゆっくりと蒸発するかのように消えうせた。
あの世に帰っていったのだ。
旅館に戻ると、まつりは起こされた。
そして、いのりとまつりは、父ただおの前に正座させられ、がっつりと怒られた。
まつりは、またわんわんと泣き出した。
まつりは、この日のことを覚えてはいなかった。
いのりははっきりと覚えている。でも、まつりに話したりはしなかった。
それは、自分と母、そして、祖母だけの秘密だから。
コメント・感想フォーム
最終更新:2011年09月07日 22:04