ID:eHUo2gyQ0氏:あの夏を越えて

 蝉の声が響き渡り、空には入道雲が浮かぶ、ある真夏の日。
「調子はどうだ?」
 一人の男性が病室に入ると、その妻である女性がベッドの上で身を起こし、窓の外を居ていた。
「大丈夫なのか?寝てなくて…」
「うん…今日はちょっと調子がいいから」
 答えながらも、女性は窓の外を見続けていた。
「…聞いたよ。あの子のこと」
 そして、ポツリとそう呟いた。
「…そうか」
 男性は大きくため息をついた。今日はその事を伝えに来たのだが、知っているのならば特に言うことは無いと思い、ベッドの側に椅子を引き寄せ座った。
「わたしより先にいっちゃうなんてね…」
 女性の寂しげな呟きが、男性の胸を締め付ける。
「あの子には、この夏よりもっと向こうまで行ってほしかった。わたしの分まで、ずっと…そして、できれば守って欲しかったな…」
 続く女性の言葉に、男性は何も言えず、無念そうに顔を伏せるだけだった。



― あの夏を越えて ―



「帰りは遅くなるからな。俺の分の晩飯は用意しなくていいぞ」
「うん、分かってるよ」
 玄関で靴を履きながら、念を押すように言う泉そうじろうに、娘のこなたは軽く頷きながら答えた。
「それじゃ、行ってくるよ」
「ほい、いってらっしゃい」
 軽く手を振るそうじろうに、こなたも軽く手を振りながら答え、ドアを出て行くまで見送った。
 ドアが閉まるのを見てから、こなたは大きく伸びをした。
「さてっと、今日はどうしよっかな?折角の休みなんだし…」
 そして、そう言いながら振り向くと、従姉妹の小早川ゆたかが少し困った顔をして立っていた。
「お姉ちゃん。今日は家事当番だよ」
「…わ、わかってるよゆーちゃん」
 こなたは頬に汗をかきながら、ゆたかに手を振って見せた。それでもゆたかはこなたを信用しきっていないのか、表情を変えずにじっとこなたを見つめていた。
「もしかして、前にさぼったのまだ怒ってらっしゃいます?」
「らっしゃいます。あの日はわたしも用事あったんだからね」
 ゆたかは不機嫌そうにそう言うと、こなたに背を向けて自分の部屋に戻った。
「んー、なんとかご機嫌取りしないとなー…とりあえず、今日は真面目にやろうかな」
「デスネー。モンクいいながらカジするユタカ、ハジめてミましたヨ」
 独り言に返事が返ってきて、こなたは驚いて後ろを振り向いた。そこにはジョギングから帰って来た居候の留学生、パトリシア・マーティンがタオルで汗を拭きながら立っていた。
「何時の間にいたのパティ…びっくりしたよ。ってか、こんな暑いのによく走れるねえ」
「カラダはシホンですヨ、コナタ」
 さほど疲れた様子も見せずにパティは靴を脱ぐと、玄関を上がりシャワーを浴びるために二階にあるバスルームに向かおうとした。
「あ、そうだパティ。お昼何か食べたいのある?」
 そのパティを呼び止めるようにこなたがそう聞くと、パティは振り向いて両手を大きく広げた。
「オソーメンたべたいデス!」
「オッケー…ま、簡単でいいよね」
 オーバーアクションのパティに、こなたは苦笑しながらそう答えた。
「しっかし、ホント今日も暑いねー」
 自然ににじみ出た汗を服の袖で拭う。朝からひっきりなしに蝉の声が聞こえる。外に出ればきっと溶けそうな位眩しい日差しが降り注いでいるだろう。文句のつけようのない真夏日だ。
 こなたは大きく伸びをして、とりあえずキッチンで洗い物をしようと階段に足をかけた。
「…ん?」
 そして、ふと覚えた違和感に足が止まる。こなたは玄関の方を向いた。
 なにかがいる。玄関には誰もいないはずなのに…実際目に写っているのは何もおかしい所のない玄関なのに、なにかがいるという感覚を覚える。
「…気のせい…だよね」
 こなたは自分に言い聞かせるようにそう呟くと、軽く頭を振って階段を上り始めた。




 正午過ぎ。昼食のそうめんをすすりながら、しきりに廊下に続くドアの方を気にしているこなたを見て、ゆたかは首をかしげた。
「お姉ちゃん、ドアがどうかしたの?」
 そう聞いてみると、こなたはなにか考えるように少しうつむき、すぐに顔を上げてパタパタと手を振った。
「なんでもないよ、ゆーちゃん」
 変なお姉ちゃん。ゆたかはそう心の中でつぶやいて、小皿にそうめんつゆを追加しようとして、瓶の中が空なのに気がついた。
「おつゆ、冷蔵庫にあったっけ。取ってくるね」
 ゆたかはそう言って席を立ち、冷蔵庫の方に向かった。
「…あっ!」
 そして、ドアの前を通り過ぎようとしたときに、こなたがそう声を上げた。ゆたかが立ち止まりこなたの方を見ると、こなたはしまったという風に口を押さえていた。
「どうしたの、お姉ちゃん。さっきから変だよ?」
 ゆたかがそう聞くと、こなたは困ったように頬をかいた。
「あー…その、なんていうか…えっと…ゆーちゃん、その辺りさ…なにか変じゃない?」
 こなたにそう言われて、ゆたかは自分の周りを見回したが、特におかしなところは見当たらなかった。
「…?別になんともないけど…」
「そ、そっか…だったらいいいんだよ、うん。きっとわたしの勘違いだよ」
 やっぱり変だ。ゆたかはこなたが何かを隠してるように感じたものの、特に追求するような理由もないのでそれ以上は何も言わないことにした。



 昼食後。こなたはそうじろうの部屋で掃除機をかけていた。
 その最中に、手を止めため息をつく。
「…ゆーちゃん、怪しんでるだろうなあ」
 思わずそう呟いてしまう。
 部屋を見回しても、玄関で感じた何かが居るという感覚は無い。少なくとも、この場にはその何かは居ないようだ。
 こなたは昼食の間中それを感じていた。何かは部屋のドアの前で、じっとこちらを見ていた…ようにこなたは感じていた。
 だから、ゆたかがその側を通りかかった時に、思わず声が出てしまったのだ。
 こなたはもう一度ため息をついた。一緒に昼食をとっていた、ゆたかとパティは何かに気がついている様子は無かった。
 自分一人だけが感じる奇妙な感覚。話したところで信用してもらえるとは思わず、下手をすると頭がおかしいのではないかと疑られそうだ。
「…良く考えたら、そっちのほうがいいかもね」
 自分一人がおかしいのなら、それはそれだけで終わってしまう話だ。
 ふと、こなたは部屋の中央にある座卓の上に、携帯電話が置いてあるのを見つけた。
「あれ、お父さんのだ…忘れてっちゃったんだね。しょうがないなー」
 こなたは苦笑しながら、掃除を再開した。





「やっぱり、お姉ちゃん変だったよね?」
 自分の部屋で机に向かい勉強をしながら、ゆたかは床に仰向けに寝転んで漫画を読んでいるパティにそう聞いた。
 パティは漫画をたたんで横に置き、上体を起こしてゆたかの方を向いた。
「おヒルのトキのですカ?…んー、ごハンのマエからなにかキにしてましたネー」
 パティは腕を組み目を瞑って考え込んだが、すぐに顔を上げて首を少しかしげた。
「…コナタにしかミえないナニカがアソコにいたのでしょうカ…」
 おどろおどろしげの言うパティの言葉に、ゆたかは顔をしかめてシャーペンを置いた。
「怖いこと言わないでよ、パティちゃん…」
 そして、情けない声を上げながら、椅子を回してパティのほうを向いた。
「ソーリーです…デモ、そういうのはコナタにチョクセツきいたほうがいいとオモいますデスヨ」
 そう言いながらパティは立ち上がり、部屋の出口へと向かおうとした。
「あ、ちょ、ちょっと待って」
 それを見たゆたかが、慌ててパティを引き止める。
「ドウカしましたカ?」
 パティは動きを止め、首だけをゆたかの方に向けた。
「え、えっとね…普通に聞いても、素直に答えてくれないと思うの。ホントに何か変なものが見えてるなら、わたし達を巻き込まないように嘘つくと思うんだ…こなたお姉ちゃん、そういうところ優しいから」
「…オーケー、わかりマシタ。それではナニかタイサクをたてるとして…フクからテをハナしてくだサイ。ノびちゃいますヨ」
 パティの言葉を聞いて、ゆたかの背筋を冷たいものが走った。自分の両手は何も掴んではいない。そもそもゆたかの座っている場所からパティには、手が届かないのだ。
「パティちゃん…わたし、掴んでないよ…」
 震える声でゆたかがそう言うと、パティの顔色が青くなった。
「…デ、デハ、コレはナンですカ…?」
 そして、そう呟いた後、パティは糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
「パティちゃん!?」
 ゆたかはパティの側に行き、その体を抱き上げた。呼吸はしているし、心臓も動いているようだ。
「パティちゃん!どうしたの!?パティちゃん!」
 しかし、いくら呼びかけても返事をせず、光を失った目はゆたかの方を見ようとはしなかった。
「…や、やめてよ、パティちゃん…ホントに、こんな冗談…やめてよ…」
 突如として起きた異変に、ゆたかはただパティの体を揺さぶり続けることしか出来なかった。




 二階の掃除を終えたこなたは、続いて一階の掃除をしようと階段を降りていた。そして、最後の一段を降りたところで『パティちゃん!?』と叫ぶ、ゆたかの声が聞こえた。
 何かよくない事が起きた。こなたはそう直感し、持っていた掃除機を投げ出し、ゆたかの部屋の前まで走った。そして、ドアに手をかけたところで、動きを止めてしまう。
 アレが中に居る。そう感じたこなたはしばらくドアの前で躊躇していたが、中にはゆたかやパティが居ることを思い出し、意を決してドアを開けた。
「ゆーちゃん!パティ!」
 中にいるはずの二人に声をかける。ゆたかは床に座り込んで、パティの体を膝の上に抱えていた。
「…こなたお姉ちゃん…パティちゃんが…パティちゃんが…」
 こなたに気づいたゆたかは、顔だけを向けてそう呟き、そのまま泣きじゃくり始めた。
「どうしたの、ゆーちゃん?パティに何かあったの?」
 こなたはそう聞きながら、ゆたかが抱いているパティの顔を覗き込んだ。
「…え」
 そして、パティの生気の無い目を見て絶句してしまう。
「ちょ、ちょっと、なにこれ…何の冗談?」
 こなたがそう言いながらゆたかの方を見ると、ゆたかは力なく首を横に振った。
「わからないの…パティちゃんが服を掴まれたって言って、それで急に倒れて…」
 こなたはとっさに部屋にいる何かの方を見た。きっとあいつがパティに何かをしたに違いない。しかし、それが分かったとして、一体どうすればいいのかは見当もつかなかった。
「…お父さんを…」
 呼ぼう。そうこなたは言おうとしたが、そうじろうが部屋に携帯を忘れていたことを思い出し、言葉を切った。そして、少し考えた後こなたはゆたかのほうを見た。
「呼びに行って、ゆーちゃん」
「…え」
 その言葉に、ゆたかは驚きの表情を見せた。こなたは手近にあったメモ帳に、とある駅名とその近くにある喫茶店の店名を書き、そのページをちぎってゆたかに手渡した。
「お父さん、携帯持って無くて連絡がつかないんだよ。何時もここで編集さんと打ち合わせしてるから、連れてきて」
「そ、それならお姉ちゃんが…」
「わたしは…」
 こなたは視線をゆたかから何かに移した。
「…あいつを見てるから。これいじょうパティに何もしないように…それに、ゆーちゃんが行った方がお父さん信じると思うんだ」
 そう言って、こなたは苦笑した。
「そんなこと…でも、うん…わかった」
 その表情を見て、ゆたかはぎこちなく頷き、メモを握り締めた。そして、抱いていたパティをこなたに託し、こなたの見ている方を警戒しながら、部屋を出て行った。
「ゆーちゃんは物分りが良くて助かるよ…さて、どうしたものかな…」
 部屋の中の何かは動く気配を見せない。こなたはとりあえずパティをベッドに寝かせて、その側の床に座った。
「…どうしよう…」
 こなたの口から、不安げな呟きが漏れた。ゆたかの前では押さえていた恐怖がじわりとにじみ出てくる。そして、膝を抱えて顔をうつむかせたが、別の異変に気がつき顔を上げた。
「なんで、こんな静かなの…?」
 外から聞こえてくるはずの音が無い。家の前を走る車の音。近所の人の声。なにより、うるさいくらいの蝉の声。それらが何一つ聞こえてこなかった。
 こなたは立ち上がって窓に向かい、ロックを外して開こうと手をかけた。
「開かない…?な、なんで…」
 いくら力を込めても窓はびくとも動かない。どころかガタガタと揺れることすらなく、まるで絵に描かれた窓を開けようとしているようだった。
「お姉ちゃん!」
 それでもこなたが窓を開けようとしていると、部屋にゆたかが飛び込んできた。
「玄関が…玄関が開かないの!」
 こなたはそのゆたかの言葉に顔を青ざめさせる。そして、部屋にあったゆたかの椅子を掴むと窓に向かった。
「…ゆーちゃん、ごめん」
「え?」
 こなたは椅子を両手で持って振り上げ、思い切り窓に叩きつけた。しかし、椅子は派手な音をたてて窓に弾かれ、部屋の中央に落ちた。
「…そんな…」
 こなたは衝撃でしびれた手を唖然と見つめた。この家に閉じ込められた。不安と恐怖が大きくなり、ゆたかの前だからとなんとか整えていた体裁すらも失いかけていた。
「い、いやーっ!」
 横に居たゆたかが突如悲鳴を上げ、こなたは驚いてそちらを見た。
「や、やめて…やめてよ!引っ張らないで!」
 ゆたかは半狂乱になって、自分の服の裾を手で払っていた。こなたは、パティが服を引っ張られた後倒れたと言うゆたかの言葉を思い出し、なんとかしないとと思ったが、何も思いつかずすがり付いてくるゆたかを見つめることしか出来なかった。
「助けて!…お姉ちゃん、たすけ…」
 そして、ゆたかはそのままずるずるとその場に倒れ伏した。
「ゆ、ゆーちゃん…」
 ゆたかはパティと同じように虚ろな目を開いたまま、ピクリとも動かなくなっていた。こなたの体を恐怖から来る悪寒が這い上がる。
「い、いやだ…いやだー!」
 こなたは叫び、部屋から転がるように逃げ出した。




 こなたは家の中の部屋と言う部屋を回り、あらゆる外と繋がる窓を開けようと、あるいは壊そうとしたが、どこも開くことも壊れることも無く、ただ疲労と恐怖が重なっていくだけだった。
 最後にこなたが辿り着いたのは、そうじろうの私室だった。テーブルに残されたままの携帯を見つめ、こなたはその場に座り込んだ。
 そして、ズボンのポケットに自分の携帯が入っていることを思い出し、アドレス帳に並ぶ友人や親戚に片っ端から電話をかけようと試みた。
 しかし、電話は繋がらないどころか呼び出し音すらならず、まるで故障しているかのように沈黙していた。
「どうして、どうして繋がらないの…助けて…誰か助けてよ…」
 こなたは祈る様に携帯を握り締めた。すると、突然携帯が着信音を鳴らした。ディスプレイを見ると友人の柊かがみの名前が出ていた。こなたは震える手で通話ボタンを押した。
「か、かがみ…?」
『あ、こなた?…なによ、繋がるじゃない』
 電話の向こうから、かがみのどことなく呆れたような声が聞こえ、こなたは安堵感から涙を流していた。
『なんかね、日下部からアンタに電話が繋がらないから、代わりにかけてみてくれって言われてね…なんか用事あるみたいだから』
「た…たすけて…助けて、かがみ!」
 かがみの言葉を遮って、こなたはそう叫んでいた。
『な、なに?声、大きいわよ…』
「家から出られないの!ゆーちゃんとパティが!助けて!助けてよ!」
『ちょ、ちょっと落ち着きなさいよ。意味がわからな…え、なにお父さん?…切れって…待ってよ、まだ話の途中…え、あ、ちょ』
 プツッと音が切れ、携帯は再び沈黙してしまった。
「かがみ…?かがみ…かがみ!」
 こなたはかがみに電話をかけてみようとしたが、先ほどと同じように携帯はまったく反応を示さなかった。
「…そんな…」
 絶望感に包まれ、こなたは携帯を床に落とした。そして、何時の間にかあの何かの気配が部屋の中にいることに気がついた。
「…いやだ…こないで…いやだよぉ…たすけて、お父さん…」
 こなたはこらえきれず、手で顔を覆って泣き出した。
「ひっ!?」
 涙の伝うこなたの頬を、生温かな何かが撫で上げる。
「やめて…もうやめてよぉ…」
 こなたは泣きじゃくりながらそれを振り払おうとするが、もがく手は空を切るだけだった。




 辺りを染める夕焼け。そして、ひぐらしの鳴く中をそうじろうは自宅に向かい歩いていた。
「…思ったより早く終わったなあ」
 夕飯はなにか適当なものを作るとして、冷蔵庫に何が残っていただろうか…そうじろうはそんな事を考えながら角を曲がり、そこで立ち止まった。
 目の前にある一本の電柱。その側に何かがいるような気がする。何も見えないと言うのに、何かがいるという感覚をはっきりと感じていた。
「君は…誰だ?」
 そうじろうはその何かに思わずそう聞いていた。なんとなく、それが人であるような気がしたのだ。そして、同時にひどく懐かしい感覚をその何かに感じていた。
 しばらくその何かのいる辺りを見つめた後、そうじろうは家に向かって走り出した。
 早く家に帰って欲しい。何故かは分からないが、そうじろうはその何かがそう訴えかけているように感じたのだ。

 その場を離れる直前。そうじろうは懐かしく、そして愛おしい声が聞こえた気がした。



 泉家に辿り着いたそうじろうは、呼吸を整え門をくぐり、玄関のドアノブを握った。
「…あれ?」
 しかし、ドアノブはびくともしない。鍵がかかっているとしても、ノブが回らないというのはおかしい。そうじろうは鞄から家の鍵を取り出し、鍵穴に差し込んで回そうとしたが、それもまったく回る気配はなかった。
「どうなってるんだ、これは…」
 どうにかならないものかと、鍵やドアノブを動かそうとしていると、背後でチリンと自転車のベルの音がなった。
 そうじろうが振り向くと、かがみが自転車から降りてスタンドを立てていた。
「かがみちゃん…どうしたんだい?こなたに会いに?」
 門をくぐって歩いてきたかがみにそうじろうがそう聞くと、かがみは軽く頭をかいた。
「んー、まあそんか感じなんですけど…お父さん、遅いよ!」
 かがみは道路の方を向いて、そう大声を上げた。そうじろうがそちらを向くと、一人の男性が自転車から降りてよろよろとこちらに歩いてきていた。
「…かがみが速いんだよ…お父さん、歳なんだから…」
「何言ってるのよ。こなたんちに行こうって言ったのお父さんでしょ?」
 息も絶え絶えな男性に、かがみが愚痴っぽく呟く。
「急に携帯取り上げて切ったと思ったら、これだもの…何がどうなってるのよ」
「…しょうがないよ。あのまま話してたら、繋がってしまったかもしれないからね」
 息を整えた男性が玄関の前に立ち、家全体を見回す。
「…かがみちゃん、こちらの方は?」
 そうじろうがかがみにそう聞くと、かがみは首を少しかしげた。
「あ、おじさんは会ったこと無かったっけ…わたしの父のただおです」
 そう言えばさっきお父さんとか言ってたっけ…そうじろうがそんな事を思っていると、ただおがこちらを向いて顎に手を当てて考えるような仕草をした。
「どういう状況なんでしょうか…えーと」
「あ、泉こなたの父で、そうじろうと言います」
 そうじろうがそう言いながら軽く頭を下げると、ただおも同じように頭を下げた。
「どうも、柊ただおと申します…娘がいつもお世話になっているようで」
「いえ、こちらこそ…」
「そんな挨拶はいいから、早くしてよ」
 頭を下げあう二人を、かがみがそう急かす。
「そ、そうだね…えーっとそうじろうさん。それで、どういった状況なのでしょう?」
 ただおに改めてそう聞かれ、そうじろうは頭をかいた。
「いや、それが私も今帰って来たところで…とりあえず、ドアが開かなくて家に入れないといったところなんですが…」
「なるほど」
 ただおは頷くと、再びドアの前に立った。
「…強力だけど単純…というか雑だねえ…人間じゃないかもしれないね…」
 そう呟きながら、ただおは右手でドアを払うような仕草をした。
「これで大丈夫かと。入ってみてください」
 そして、そうじろうの方を見てそう言った。
 そうじろうが恐る恐るドアノブを握り回してみると、先ほどのことが嘘のようにあっさりと回りドアが開いた。
「これは一体…」
「まあ、見ての通り…といった理解で十分ですよ。悪意は感じませんから、あまり警戒する必要はないでしょうな」
 ただおはそう言って、家の中を見た。
「そう…ですか」
 そうじろうはただおに頷いて家の中へと入り、ただおとかがみがその後に続いた。




「こなたー…ゆーちゃーん、パティちゃーん」
 家に入ったそうじろうは、家にいるはずの娘達の名を呼びながら、一階の部屋を回った。こういう時、いつもなら誰か一人くらいは返事が返ってくるのだが、それが無い事にそうじろうは不安を感じていた。
 そして、ゆたかの部屋に入ったそうじろうは、床に倒れているゆたかを見て慌ててその体を抱き上げた。
「ゆ、ゆーちゃん!?どうしたんだ!?」
 声をかけながら揺さぶっても、まったく反応が無い。
「安心してください。少しずらされているだけですから…あちらのお嬢さんも」
 後ろに立っていたただおが、そう言いながらベッドの方を指差した。そうじろうがそちらを見ると、パティがベッドの上に寝転んでいた。
「ずらされている…ですか?」
「ええ…まあ、あまり深くは考えないようにしてください」
 ただおはそう言いながらゆたかの体を床に下ろさせ、ゆたかの額を右手の人差し指で軽く小突いた。そして、パティのほうに向かい同じようにその額を小突く。
「…う…ん?」
 少し呻きながら、ゆたかが首を振る。その目には先ほどまでとは違い、しっかりと生気が戻っていた。
「ゆーちゃん、大丈夫かい?」
「あ…おじさん…わたしどうなって…あ、パティちゃんは?」
 ゆたかの言葉にそうじろうがベッドの方を向くと、パティもゆたかと同じように生気を取り戻した目で部屋を見回していた。
「よかった…そうだ、お姉ちゃん…こなたお姉ちゃんが…」
 そう言いながらゆたかは立ち上がろうとしたが、体をふらつかせその場に座り込んだ。
「体力を消耗しているようですから、少し休ませておいた方がいいでしょう」
 ただがそう言いながら、天井を見上げた。
「あとは、上ですかな…」



 ゆたか達を部屋で休ませてる間に、三人は二階に上がりそうじろうの私室へと入った。
「…こなた」
 そこには、部屋の中央で膝を抱えて座り込んでいるこなたがいた。そうじろうは部屋に入ろうとして足を止めた。こなたの側に何か…帰り道で気配を感じたものとは違う何かがいる気がした。
「どうやら、アレが原因ですな」
 ただおも同じ事を感じているのか、そう言って一つ頷いた。そして、まだ廊下にいるかがみのほうを向いた。
「かがみ、そっちの隅に立てなさい」
 そう言いながらただおは、部屋の角の辺りを指差した。
「え、なんで?」
「今は、そういう役割だよ」
「…はいはい」
 かがみは諦めたようなため息をついて、指示に従い部屋の隅に移動した。
「あの、いったい…」
「ああ、あまり気にしないで。こういうときの作法のようなものですから」
 不安そうなそうじろうにただおはそう答え、部屋の中のこなたのほうを向いた。
「娘さんは、特に何もされていないみたいですな」
 ただおはこなたに近づき、その側にいる何かに向かい右手を差し出した。
「君は分からないかもしれないが、悪意が無くとも人に迷惑をかけることもあるんだ…とりあえず、今日は帰ってもらうよ」
 そして、その手を払った。何かの気配が、ゆっくりと霧散していくのをそうじろうは感じた。
「…おとう…さん?」
 周りの気配を察したのか、こなたが顔を上げ周りを見回した。そして、そうじろうの姿を見つけると、四つんばいでその側に向かった。そうじろうはこなたに駆け寄ってその小さな体を抱きとめた。
「おとうさん…怖かったよぉ…」
 胸に顔を埋めて、子供のように泣きじゃくるこなたの髪を、そうじろうはあやすように撫でる。
「…アレは一体なんだったんでしょうか」
 こなたをあやしながら、そうじろうはただおに向かいそう聞いた。
「犬…だと感じましたが、何か心当たりはありますかな?」
「犬ですか…犬…まさか…」
 そうじろうは帰り道に会った、懐かしい気配と分かれたときに聞いた言葉を思い出していた。

『そう君…あの子は、まだあの夏にいるわ』





 数日後。暑さの増す夏の盛り。かがみとつかさが泉家の門前に立っていた。
『はーい、すぐ出ますー』
 インターホンからそう聞こえた後、玄関からゆたかが顔を出した。
「あ、かがみ先輩、つかさ先輩、こんにちは」
「こんにちは、ゆたかちゃん。こなた達は?」
「えっと、まだ戻ってきてませんね」
「ああ、そうなんだ…ちょっと早かったかしら」
 かがみは首を傾げて、つかさの方を見た。
「…だから、そう言ったのに」
 不満そうにそう言うつかさに、かがみは苦笑いを返す。
「悪かったわよ…ゆたかちゃん、ゴメンだけど中で待たせてもらっていいかな?」
「あ、はい。どうぞ」
 かがみの言葉に頷き、ゆたかは二人を家の中に招き入れた。



「グレイトですヨ!おフタリさん!」
 居間に入ってくるなり、パティはそう言いながらソファーに座っているかがみとつかさに向かって親指を立てて見せた。
「えーっと…褒められてるのかな?」
「だと思うんだけど…別にオタク趣味を満足させるために、この格好で来たわけじゃないわよ」
 つかさは苦笑しながら、かがみは呆れた表情でそう呟いた。
 二人は巫女装束を…それもバイトの時に着るような簡易的なものではなく、神事に用いる正式な巫女装束を着込んでいた。
「ワカってますヨ。キョウの…えっと、ナンでしたでしょうカ?」
「え、えっと…確か神様がなんとか…」
 パティに急に聞かれ、ゆたかは少し慌てて答えようとしたが、はっきりとした答えは知らないようだった。
「守神(もりかみ)よ。この前みたいなことが無いように、正式にこの家に迎えるの」
 かがみが呆れたようにそう言うと、ゆたかとパティは罰が悪そうに頭をかいた。
「わたし達もあんまり良く知らないんだけどね…お父さん、わたしたちに役割は振るけど、それがどういうことなのか教えてくれないから」
 横からつかさがフォローするようにそう言うと、かがみが頷いた。
「そうね…まあ、お父さんが言うには、あんまり知りすぎちゃダメらしいんだけどね」
 そして、出された冷たいお茶を一口飲んでため息をつく。
「あの…それで、この前のアレって一体なんだったんですか?」
 ゆたかがかがみにそう聞くと、かがみは少し考えるように頬をかいた。
「あれ、聞いてなかったの?」
「はい…なんか聞きづらくて…」
「アレは、そうじろうさんの知り合いだったみたいね…」
 かがみはそう前置きし、とある夏の話をし始めた。



 その病院には一匹の野良犬が住み着いていた。
 本来なら衛生上好ましくないことなのだが、元々が躾の良い飼い犬だったのか、特に悪さをすることも無く建物の中に入ることも無く、それに患者の精神的な助けになることもあったので容認されていた。
 その病院にとある女性が入院してきた。重い病を患った女性は満足に出歩くことも出来なかったが、体の調子のいい時には夫に車椅子を押され、病院の庭を散歩していた。
 犬はその女性の何が気に入ったのか、散歩にいつも付き従うようになった。まるでお姫様を守る騎士のように、車椅子の前を堂々と歩くその姿は、いつしか病院のちょっとした名物になっていた。
 しかし、女性が入院して数ヶ月が過ぎて迎えた夏。その犬は病院の前の道路で車に引かれ死んでしまった。
 そして、女性もまたその夏を越えること無く他界してしまった。




「…わたしを、お母さんと間違えてたのかな」
 病院の庭の隅。単純ながらもしっかりと作られた犬の墓の前で、こなたはそう呟いた。
「どうだろうな…覚えてないだろうけど、こなたもあいつと会ってるからなあ」
「そうなの?」
 自分の呟きに答えるそうじろうに、こなたは驚いた表情を見せた。
「ああ、赤ん坊だったお前とな…ぐずって泣いてるお前の頬を舐めてあやそうとしてたけどな、気持ち悪がって余計に泣いてたよ」
 そういいながら、懐かしそうな表情を見せるそうじろう。こなたはその顔も見ながら、あの日のことを思い出したいた。
「あやそうとしてたんだ、あれ…」
 赤ん坊の頃と変わらないリアクションをしていた。そう思うとなんだかおかしくなって、こなたはクスリと笑った。
「守ろうとしてくれてたんだよね」
 そして、お墓に向かいそう言うこなたに、そうじろうは頷いた。
「すこし…というか、だいぶ乱暴なやり方だったけどな」
「だねえ」
 苦笑するそうじろうに、こなたも同意する。
「そろそろ、始めてもよろしいですかな?」
 二人の後ろに立っていたただおがそう言うと、そうじろうは頷きこなたと共に脇へ寄った。その場所に、巫女装束を着たただおの娘のいのりとまつりが小さな神輿を置く。
「…暑いし、重い」
「文句言わないの。この後、泉さんの家までこれを運ぶんだからね」
「マジで…?車とか使おうよ…」
「それじゃ神事にならないでしょ」
 文句を言うまつりと、それを諭すいのり。
「…なんだか悪い気がするんですが」
 それを見たそうじろうが、困ったように頬をかきながらそう言うと、ただおが軽く声を上げて笑った。
「心配いりませんよ、これも役割ですから。まつりも、文句は言っても心得てはいますから」
「そう、ですか」
 そうじろうはそれ以上は何も言わず、神事を見守ることにした。
「…ねえ、お父さん」
 そうじろうと同じように神輿の方を見ていたこなたが、声をかけながら服の裾を引っ張った。
「ん、なんだこなた?」
「その犬ってさ、どんな犬だったの?」
「そうだなあ…」
 こなたの問いに、そうじろうは空を見上げた。それに習うようにこなたも空を見上げる。
「あの入道雲みたいに、大きくて白い犬だったよ」


 抜けるような真夏の青い空。漂う入道雲。鳴り止まない蝉の声。
 その中を、新たな家族を迎える祝詞が朗々と響き渡る。

 あの夏を越えて、どこまでも。



― 終 ―


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