ID:lcVe7V3T0氏:いのり姉さん

いつもの生活。いつもの風景。そして住み慣れた家。平和な我が家、柊家。そう、あいつが来るまではそうだった。でも、あいつがきてから我が家は困り果てている。
でもあいつのせいで私たち柊家は変わった。


まつり「またやられたよ」
憤るまつり姉さん。
みき「私も」
相槌をするお母さん。
ただお「この前は盆栽をひっくり返された、もう許すわけにはいかん」
さすがのお父さんも憤慨している。そして、私も。
かがみ「私もぎょぴちゃんを食べられそうになった、これは私に対する挑戦ね」
まつり「ぎょぴちゃん?……ああ、金魚ね、私なんか洗濯物にオシッコ引っ掛けられた、もう許さないんだから!!」
ここ数週間くらい前に近所に野良猫が住み着いた。住み着くだけなら誰も文句は言わない。しかし数日前から家の裏庭に来ては糞尿を撒き散らし、悪戯の限りを尽くしている。
寛容な柊家もさすがにこれ以上野放しにはしておけなくなった。それでこうして家族会議をして野良猫をどうするか話し合っていた。

みき「ご近所にも相談してみたのだけど、あの猫は他所では悪さはしていないそうよ、協力はしてくれそうだけど、やっぱり追い出すしかないわね」
まつり「少なくとも裏庭に入れないようにしないと」
ただお「猫の入りそうな壁には園芸用の網を張ればなんとかなりそうだ」
かがみ「それじゃダメよ、猫は高い塀も飛び越えられるのよ、それだけじゃ生ぬるいわ」
喧々諤々の意見が飛び交った。それでも決定的な対策は出てこなかった。さすがに案が出なくなってきた。そんな時だった。
まつり「姉さん、つかさ、さっきからずっと黙ってるけどやる気あるの?……少しは対策案だしてよ」
いのり・つかさ「えっ……」
意見に夢中で気が付かなかった。たしかにいのり姉さんとつかさはさっきから私達の意見を聞いてばかりで何も発言していない。私達は二人に注目した。
しかし二人は何も言わなかった。
みき「二人ともしっかりしてもらわないと、この前だってつかさの下着がビリビリに破られていたのよ」
いのり「そんな事言っても私は実際に被害を受けていないから、あまり実感がない」
みきはため息をついた。
つかさ「……あまり猫さんのせいにしちゃいけないような気がするけど……」
まつり「甘い、甘すぎる、つかさは、だから野良猫が図に乗るんだ……つかさ、あんたもしかして餌付けしてないでしょうね、最近家ばかり来るようになった」
まつり姉さんはつかさに詰め寄った。つかさは大きく首を横に振った。
まつり「……どうだか怪しい」
つかさを疑いの目で見ている。今はそんな事をしている時ではない。
かがみ「そんな事よりこれからどうするのよ、野良猫は待ってくれないわよ」
私は話を元に戻した。
いのり「それならペットボトルに水を入れて玄関とか猫の来そうな所に置くのはどう?」
まつり「……それいいね、お父さんの網を張るのと併用すれば来なくなるかも」
ただお「やってみるか……」

 結局一番無関心ないのり姉さんの一言で対策が決まってしまった。私自身はあまり有効な手段とは思えなかったが他に良い案が浮かばなかったので賛成するしかなかった。
会議が終わると各々自分の部屋に戻っていった。ふと私はつかさの顔を見た。何か俯いて元気が無い感じだ。まさかまつり姉さんの言っているのが本当なのか。
私もつかさを疑った。これが本当なら止めさせないといけない。暫くしてから私はつかさの部屋に向かった。

つかさの部屋に入った私は早速聞いた。
かがみ「つかさ、もしかしてあの野良猫に餌付けしてるんじゃないでしょうね」
つかさ「やっぱりお姉ちゃんも同じ事言うんだね……」
つかさにしては珍しく反論をしてきた。
かがみ「私だって疑いたくない、だけど家族でそんな事をするのはつかさくらいじゃない」
つかさ「そうだね、そうだよね、あのネコさんを最初に見つけたら私だってそうしたかもしれない」
かがみ「最初、最初ってどういう意味よ」
つかさは暫く黙り込んでしまった。私はつかさを睨み付けた。
つかさ「……やっぱりお姉ちゃんには隠せない」
そう言うと一回深く呼吸してから話した。
つかさ「餌付けしてるのはいのりお姉ちゃんだよ」
つかさの言葉が信じられなかった。いのり姉さんが猫を可愛がるなんて。動物はそんなに好きではなかったはず。しかも野良猫なんて。
かがみ「それでいのり姉さんを庇ったの?」
つかさ「そうゆう訳じゃないけど……私もきっと同じ事をしたから、何となく……」
これ以上つかさを問い詰める事が出来なかった。
かがみ「なるほどね、これでいのり姉さんがあの案を出したんだな」
つかさ「案ってペットボトルで追い出すって言った?」
私は頷いた。
つかさ「いのりお姉ちゃんは私達の為に大事にしていた猫さんを追い出す決意をしたんだね……」
かがみ「いいや、その逆よ、いのり姉さんは追い出すつもりなんかないわ」
つかさは驚き不思議そうな顔で私を見つめた。
つかさ「どうして、水の入ったペットボトルを見ると猫は怖がるんじゃないの?」
かがみ「バカね、それは都市伝説みたいなものよ、そんなので猫が怖がるわけがないじゃない、つかさは見たの、猫がペットボトルを怖がっている姿を」
つかさ「……ないけど、お姉ちゃんは見たの、猫がペットボトルを素通りする姿」
見てはいなかった。しかし確信はある。そしていのり姉さんもペットボトルで猫が怖がらないのを知っている。それあの案を持ち出して私達の怒りをやり過ごそうとしている。
つかさとの話でそう私は結論した。
つかさ「お姉ちゃん……この事、皆に話すの?」
つかさは小さな声で私に質問した。私はその質問の意味を理解した。こんなのは話すまでもない。
かがみ「どうせ効かないのはすぐにばれるわね、その時にでも話すわよ、でも、それまでにぎょぴちゃんが食べられちゃったら元も子もない、金魚鉢にでも避難させる」

あれから二週間が過ぎた。私の予想とは裏腹に猫はすっかり鳴りを潜めた。裏庭に来た様子が全くなった。まさかあれだけで猫撃退が出来たとでも言うのだろうか。
未だに信じられない。しかし結果が全てを証明していた。
まつり「凄い効果ね、あれからあの猫一回も庭に来ていない、かがみも金魚元に戻せそうだよ」
かがみ「どうかしら、一ヶ月くらいしないと安心できない」
負け惜しみか。自分で心の中でそう呟いた。
しかしこれが本当だとするといのり姉さんは餌付けまでして可愛がった猫を自ら追い出した。そんな事が簡単に出来るものなのか。それとも一時の気まぐれか。
それが事実なら私はいのり姉さんを軽蔑する。猫の、生き物気持ちを弄ぶなんて。

つかさ「お姉ちゃん、あれ……」
つかさが居間の窓を指差している。私はつかさの指差す方を見た。庭の植え込みに一匹の猫が座っている。そう、あの悪戯猫だ。尻尾の先が黒いのが特徴。
一度見たら忘れなれない猫だ。
猫対策をしてから三週間目の休日だった。もしかしたら確かめられるかもしれない。
つかさ「猫さんが入ってきちゃった……追い払う?」
かがみ「シー」
私はつかさを猫が気付かない位置まで呼び寄せた。私達は猫を観察することにした。猫は水の入ったペットボトルの壁をじっと見つめている。猫はご自慢の尻尾を左右に
揺らしている。いい気なものだ。4,5分くらいしただろうか。猫は立ち上がりペットボトルを背にして引き返してしまった。猫はペットボトルを越えなかった。
つかさ「ほら、言ったとおりでしょ、猫さんは怖いんだよ」
自信満々のつかさ。別に賭け事をしていた訳じゃない。悔しくもなければ怒りも湧いてこない。しかし少なくともあの猫に関して言えばペットボトルは有効だった。
これは認めるしかなさそうだ。なんだろう、このやり切れない気持ち。猫に対してではない。いのり姉さんに対してだ。

みき「丁度良かった、これをいのりに渡してきて」
お母さんは私達をみつけるとお守りの入った箱を差し出した。
つかさ「分かった、行って来るよ」
つかさは箱を受け取ろうとした。
かがみ「私が行って来る」
お母さんから箱を受け取った。
つかさ「え、いいの、この前お姉ちゃんが行ったから今度は私の番だよ」
かがみ「ちょっと気晴らしに外に出たくなった、ついでに渡してくる」
いのり姉さんとは二人きりで話したい。あの猫をどう思っているのか直接聞く。それしかこのもやもやした感情を消す事はできない。

 飼い主の途中放棄。私が一番嫌う行為だ。子供でもそのくらいは知っている。いのり姉さんはそれをしようとしている。許せない。猫を飼いたいのならそう言えば良い。
追い出された猫は路頭に迷う。きっと野垂れ死にだ。たとえ生き残っても他の家で同じ悪戯をして迷惑をかける。
お守り売り場にはまつり姉さんしかいなかった。私はお守りの箱をまつり姉さんに渡した。
かがみ「いのり姉さんは?」
まつり「あれ、会わなかった、ついさっき帰ったけど……」
行き違いになったのか。それなら夕方家族が集まった時にでもいいか。
かがみ「それじゃ私も帰るわ」

帰り道。神社の鳥居を出ようとした時だった。私の正面から歩いてくる猫の姿を見た。尻尾の先が黒い。あの猫だ。猫はそのまま私を通り過ぎ私の来た道を戻るように神社の
境内に入っていった。私はある程度の距離を保ちつつその猫の後を追った。
猫は神社の奥の方に入っていった。普段は人が来ない所だ。林道を抜け広場に出た。そこにいのり姉さんが居た。猫はいのり姉さんを見つけると駆け足で近づいて行った。
『にゃー』
猫はいのり姉さんの足に絡みつくように擦り寄った。いのり姉さんはしゃがむと猫を優しく抱きかかえた。
『ゴロゴロ』
嬉しそうに喉を鳴らす猫。いのり姉さんを信頼しきっている様子だ。いのり姉さんもまるで子供をあやす様だ。飼い主と飼い猫の良く見る光景だ。
いくら餌付けをしているとはいえ数週間でここまでの関係になれるのか。まるで仔猫から育てたような感じすらする。私はいのり姉さんに近づいた。いのり姉さんは気付いた。
驚くわけでもなくいのり姉さんは私の方を向きながら猫をあやし続けた。
いのり「かがみ……つかさ意外に見られるなんて……」
かがみ「その猫が案内してくれたわよ」
いのり姉さんは黙って猫を撫でている。猫は目を閉じて今にも眠りそうだ。やはり私から聞かないと何も言いそうにない。
かがみ「その猫がどんな猫なのか、姉さんなら分かるわよね、私が納得できる説明をして」
いのり姉さんは困った顔をした。
かがみ「私がこの神社を出ようとしたとき、その猫が境内に入って行った、目的が決まっているように、何かを求めるようにね、思わず追いかけたら姉さんが居た」
猫はいのり姉さんの腕の中で寝てしまったようだ。いのり姉さんは観念したみたいだ。ゆっくりと話し始めた。

いのり「十年前、そう、もうそんなになるかな、かがみ達はまだ小学生、私が中学の時だった、神社に捨てられた仔猫を見つけた、しっぽの先が黒い仔猫……だった」
十年前、姉さんは十年も前からこの猫を知っている。信じられない。私はこの猫を初めて見たのは数週間前だった。
いのり「見て直ぐにその猫が気に入ってね……タマって名づけたよ、私は抱きかかえてタマを家に持ち帰った、そしてお父さんとお母さんに言った『この猫を飼いたい』」
姉さんはそのまま黙ってしまった。私にはその答えが分かった。願いが叶ったならその猫は家の猫になっていた。
いのり「『ダメ!!』この一言だった、泣いて頼んでも聞いてもらえなかった……今思えばつかさを利用すればよかった、でもその時はそんな知恵なんか無かった……
    私は猫を抱いたまま家を飛び出した、神社で私は何時間も泣いていた……」
姉さんはタマを胸元まで抱きかかえた。その時の悲しさが私にまで伝わってきそうだ。
いのり「そんな時、私に声をかけてきた人が居てね、事情を話すとタマを飼ってもいいよって言ってくれた……それが山田さん」
かがみ「山田さんって隣町の?」
姉さんは頷いた。山田さん隣町の地主さんでよく神社の寄付をしてくれる人。家から1キロ位はあるだろうか。
いのり「いつでも会いに来て良いと言ってくれた、私は毎日のように山田さんに家に行ってタマの世話をした、何時しかタマはこの神社にまで遊びにくるようになってね、
    ここでいつもタマと遊んだものね……」
かがみ「知らなかった、今まで内緒にしていたなんて、どうやって十年も秘密にしていたの?」
いのり「知らない、秘密にしようとしてはいたけど、特に何もしていない……でもタマは何故か家に来ようとはしなかった、そのせいかもね」
それがどうして数週間前から来るようになったのだろう。分からない。
かがみ「その利巧なタマが最近になって悪さをするようになった、姉さん、何かしたんじゃないの?」
いのり「そうね、一つだけ思い当たる事がある」
かがみ「それは?」
いのり「私ね、一ヵ月後に結婚する」
私は言葉を失った。初めて聞いた。相手は誰。何故今まで黙っていた。そんな素振りも一回も見せてはいない。
かがみ「け、けっこん」
姉さんは少し微笑んだ
いのり「まだ、お父さんやお母さんにも言っていない、もちろんまつりやつかさにもね、まさかかがみに最初に言う事になるなんてね、
彼は、仕事でちょっと遠くに行く、私も行く事になる、タマにそれが分かってしまったのかもしれない」
かがみ「相手は誰なの、何処に行くのよ、何故黙っていたの、そんなのいきなり言われても私はどうしていいか分からない」
動揺している私に姉さんは諭すように話した。
いのり「相手はかがみの知らない人、行き先はヨーロッパとだけ言っておく……何故黙っていたか……何故かしらね、何より嬉しい事なのに、皆に話したかったのに……」
タマは姉さんが遠くに行くのが分かった。だから家にまで来て悪戯までした。それで姉さんを止めようとした。私達家族でも気付かなかったのに何故タマには分かる。

猫や犬と人間の付き合いは長い。有史以前まで遡る。野生の猫は人間と共に生きる選択をした。餌をくれるから。人間も数ある野生の動物から猫を選んだ。
ネズミを獲ってくれるから。最初はその程度の関係だったかもしれない。時が流れ次代がかわるにつれて猫は人間を理解するようになる。
もちろん人間の言葉なんかわかるわけは無い。だから微妙な表情の変化、もしかしたら匂いなんかで人の心を読むのかもしれない。人の心が分かれば
付き合い方も分かる。こうして猫は人間社会に溶け込めた。
タマにとって姉さんは居なくなっては困る存在。いのり姉さんの微妙な変化をタマは感じ取った。私達家族にも分からないような微妙な変化を。
いのり「家で悪戯したのは私を結婚させたくなかったのかな、ふふ、暫くここに来なかったから……でも、こんなに甘えてくるのはここ数年なかった、
    そこまでして私を行かせたくないみたいね」
タマを優しく撫でる姉さん。その時。裏庭でペットボトルを見つめるタマの姿が脳裏に浮かんだ。タマはペットボトルを越えようとはしなかった。
私はタマの心が分かったような気がした。
かがみ「猫が水の入ったペットボトルなんて怖がらないのを知っていて私達に提案したでしょ?」
いのり「知っていた、知っていたけど私はもうタマとは一緒に居られない、だから少しでも遠ざけようとした……だけどタマは諦めなかった……
    こんなに甘えて私を止めようとしている……もうタマは高齢、タマが亡くなるまで結婚を延期してもいい」
姉さんの目が潤んできた。そう、姉さんが提案したペットボトル作戦。庭に置かれた沢山のペットボトル。それでタマは理解した。姉さんがこの町を去ろうとしているのを。
かがみ「タマは姉さんを止めに来たんじゃない、お別れを言いに来た」
いのり「何故」
姉さんは私を見て怒り気味に言った。私にタマの何が分かるのかと言いたげだった。私もそれに答える。
かがみ「タマはここに来る前に家の庭に来た、タマはペットボトルを越えずに引き返して姉さんの居る神社に向かった、怖がったフリをしたのよ、
    姉さんがこの町を去るのを分かっていた、だからそうやって思いっきり甘えて最後のお別れをしている、私はそう思う、きっと明日からは
    この神社にも、家にも来ないと思う、結婚を延期したりしたら、それこそタマは暴れるわね」
姉さんはタマを抱いたまま泣き崩れた。タマは眠ったままだった。猫の十歳は人間に例えるとかなりの歳だろう。山田さんの家からここまでの距離を移動すればその疲労は
辛いに違いない。姉さんとタマ、最後の時間を邪魔するのはもういいだろう。
かがみ「結婚の話を私はしない、姉さんの口から皆に話して」
私はそっとその場を後にした。

 いのり姉さんが結婚だって。驚き半分。当然が半分って所か。もうとっくに結婚してもいい歳だ。内心このまま結婚なんかしないと思っていた。
柊いのり。柊家四姉妹の長女。歳が離れているせいかつかさやまつり姉さんに比べると一緒に遊んだりした覚えは殆ど無い。気が付いた時からお姉さんだった。
まつり姉さんと喧嘩している時、真っ先に止めに入るのはいのり姉さん。弱気なつかさを励ましていたのは私よりいのり姉さんの方が多かったかもしれない。
そんな弱気なつかさも中学までか。こなたとみゆきが友達になってからは見違えるようになった。こなたとみゆきの影響も大きいがいのり姉さんが励まなさなければ
こなたとみゆきはつかさの友達になれなかったかもしれない。

 気が付くと私は家に帰っていた。自然と裏庭に向かっていた。園芸用ネットと水の入ったペットボトルが今となっては空しいだけだ。
そういえば私は姉さんに祝福の言葉を言っていなかった。なぜか祝う気持ちにはなれなかった。猫を飼っていたのを黙っていたから、結婚する姉さんへの嫉妬心か、
家を離れてしまう淋しさからか、素直になれない。タマが庭で悪戯をした心境が分かったような気がした。そして、そんなタマは姉さんの別れを決意した。
私は庭に置かれたペットボトルを片付け始めた。
つかさ「どうして……お姉ちゃん」
私を不思議そうに見ていた。
かがみ「もうこれは必要ない」
つかさ「でも、また猫さんが来たらどうするの」
かがみ「もうタマは二度とここに来ない」
つかさ「えぇ、お姉ちゃん、その名前どうして知ってるの」
つかさは驚いた。しかし私は何も言わない。そんな私を見て何かを感じたのかつかさは二階に行った。暫くするとつかさは私の部屋から金魚鉢を持ってきた。
つかさ「池に戻してもいい?」
私は黙って頷いた。
つかさ「うわー、元気に泳いでる、やっぱり大きい池の方が嬉しそうだよ」
つかさはそう言うとお父さんが仕掛けた園芸用の網を片付け始めた。

夕方になっていのり姉さんが帰ってきた。家族全員が居るまで姉さんは自分の結婚の話をし始めた。皆は動揺した。お父さん、お母さんは叱り付けて怒った。
まつり姉さんは呆れた顔で姉さんをみていた。つかさは放心状態。それぞれが姉さんに辛く当たった。それを見てまたタマを思い出す。家族それぞれ態度は違うけど
同じような反応になる。まつり姉さんもこれが分かっているから言い出せなかった。そんな混乱の中、私はもう心の整理がついた。
かがみ「姉さん、結婚おめでとう」
その言葉に皆は次第に冷静さを戻した。そして祝福ムードへと変化していった。

 二ヵ月後。
つかさ「それじゃお姉ちゃん行こう!」
かがみ「そうね」
先月いのり姉さんは旦那さんとヨーロッパに行ってしまった。空港での別れの時のつかさの泣きじゃくりぶりは周りの人々の涙を誘った。そんなつかさも今では普通に戻っている。
今日はわたしとつかさで山田さんの家へ今までタマをを育ててくれたお礼に行く予定をしていた。私達は歩きながら話した。
かがみ「つかさはタマをいつ知ったのよ」
つかさは少し間を置いて話した。
つかさ「えっと二年くらい前かな、たまたま掃除しようとして神社の奥の方に行った時にいのりお姉ちゃんとタマちゃんが居たのを見つけた」
そうか、その時タマは山田さんの家で飼っているのを知ったのか。だからつかさはいのり姉さんが追い出そうとしても平然と居られたのか。タマには帰る所がある。
かがみ「そうだったの、それにしてもお父さんとお母さんが猫嫌いだったとは思わなかった、家ではもう猫は飼えないわね」
つかさ「それは違うよ」
かがみ「違う、違うってどうしてよ、いのり姉さんはタマを飼うのを反対されたじゃない」
つかさは空を見上げならが話した。
つかさ「私ね、お母さんに聞いたんだよ、あの時お父さんとお母さんは喧嘩してたんだって、だから素直に聞き入れられなかったって言ってたよ、いのりお姉ちゃんの
    一所懸命に猫を飼いたいって言ってた姿が今でも覚えているって言ってた、でもね、それが切欠でお父さんとお母さんは仲直りしたんだって」
頼むタイミングが悪かっただけないのか。つくづく不運だった。でもその不運を自分の力で乗り越えてタマを育て続けた。
かがみ「私、姉さんを誤解していた、いい加減で、ズボラでお調子者で……だからペットに対してもなんの責任も感じていないと思ってた、でもタマを見て分かった
    姉さんはいい加減でもズボラでもないってね」
つかさは無いも言わず微笑みながら空を見上げていた。

つかさ「ごめんください」
山田さんに家に着いた。つかさは早速呼び鈴を押した。中から奥さんの浩子さんが出てきた。
浩子「いらっしゃい、つかささん……かがみさん」
浩子さんは少し暗いかをしていた。
つかさ「えっと、少し遅れてすみません、いのりお姉ちゃんが持ってきた猫のタマをいままで預かってくれて有り難うございました」
私達は深々と頭を下げた。
浩子「別に改まってそんなお礼なんかいらないよ、泣いているいのりさんを見ていたら放っておけなくてね、それに丁度あの時は猫を飼いたいと思ってたから
   お互いの利害が一致しただけ、お礼を言いたいのはこっちのほうよ、いのりさんは毎日のように家に来てはタマの世話をしてくれたからね」
かがみ「そうですか、それを知ったのもついこの間なんです」
私はお礼の品を手渡そうとした時だった。
つかさ「あの、タマちゃんに何かあったのですか?」
つかさは心配そうに浩子さんに質問をした。後から聞いたがつかさは弘子さんの口調が普段と違っていたと言っていた。私には全く分からなかった。
つかさの質問に浩子さんは言葉を詰まらせた。
浩子「その、タマがね……昨日息を引き取ったのよ」
つかさ「そんな……」
浩子「眠るように亡くなった……」
つかさは私の胸の中で泣き崩れた。
あの日以降タマは家にも神社にも来ていない。来なかったわけではない。病気で来られなかった。
違った、タマは姉さんと別れをしに来たわけじゃなかった。タマは姉さんに自分の死期が近いのを伝えに来た。それがタマの真意だったのか。
タマは姉さんと一緒に居たかった。それだけだった。
私は姉さんに、タマになんて事をしてしまったのか。私は姉さんに結婚を急がせてしまった。タマの寿命が数ヶ月だったら姉さんに言うように延期しても良かった。
私はタマの心、姉さんの気持ちなんて全く理解していない。
浩子「もう荼毘に付しているけど……祈ってあげて」
つかさ「是非そうさせて下さい」
つかさは私から離れると部屋の奥に走るように向かっていった。もともとこのお礼はつかさの提案だった。つかさのタマに対する想いも姉さんと同じ位なのかもしれない。
私が部屋に入るとつかさは既にタマの小さな骨壷の前で手を合わせていた。私はつかさの隣に並びつかさと同じように手を合わせて祈った。

帰り道、私はつかさに聞いた。
かがみ「私は姉さんに怒られるだろうね、まさかこんな事になるなんて、神社で私が姉さんに言った事は聞いてるでしょ、私は姉さんを急がせただけかもしれない」
つかさは何も言わず携帯電話をいじっていた。答えるまでもないか。つかさも怒っているに違いない。つかさは急に立ち止まった。私も立ち止まる。きっと私に対する
怒りをぶつけてくるに違いない。覚悟を決めた。
つかさ「浩子さんに渡したお礼の品の中にね、いのりお姉ちゃんが書いたお礼の手紙と葬式のお金が入っているんだよ」
かがみ「えっ?」
私は意外なつかさの言葉に何の反応も出来なかった。姉さんは知っていて旅立った。
つかさ「神社でお姉ちゃんが言った言葉で分かったって言ってたよ、もうタマちゃんは長くはないって」
かがみ「それなら何故予定通り結婚して外国まで行ったんだ、今日まで待つ事だって出来たはず、神社で姉さんはそう言ったんだ」
つかさ「結婚はいのりお姉ちゃんと司郎兄さんで決めた事だからって……」
決めた事。解せない。司郎さんは山田家の息子。いのり姉さんが毎日のようにタマの世話をしに通っていくうちに司郎さんはいのり姉さんを好きになった。
ごく自然の成り行きだ。司郎さんだってタマと毎日のように暮らしていた。二人を結びつけたのはタマ。
私は神社で姉さんとタマが触れ合って居る所を見て人間とペットの関係以上の絆を感じた。そう感じただけだったのか。タマが悪戯をしていた時以上に姉さんを軽蔑する。
つかさがいじっている携帯電話が目に入った。
かがみ「つかさ、その携帯で姉さんにタマが亡くなった知らせをしてるんじゃないでしょうね?」
つかさ「うん、今送信するところ……」
かがみ「止めておけ、そんなの送っても二人はもう幸せモードで楽しんでいるわ、タマの事なんか忘れている、放っておきなさい」
つかさ「私はそうは思わないよ、いのりお姉ちゃんは……違うよ」
つかさの目が潤んでいる。元々このお礼はつかさの提案だった。私は付き添いみたいなもの。
姉さん達はあのお礼の品で全てを終わりにするつもりだ。つかさだってそのくらいは分かっているはず。
でもタマは幸せかもしれない。つかさがあんなにタマの為に泣いてくれたのだから。私は涙がでない。タマとの付き合いが殆どないからか。感情移入ができない。
つかさは携帯電話をポケットにしまった。送信したのだろう。もう姉さん達の問題だ。

 数日後いのり姉さんと司郎さんは帰ってきた。たった一日の滞在だった。そう、タマを埋葬するためだけに。

 私は学校を休んで空港に居た。姉さん達を見送るためだった。いや違う。わざわざ帰国するのだったらなぜタマを見送らなかったのか聞きたかった。
出航ロビーで姉さんに聞いた。
かがみ「姉さん、ひとつ聞きたい事がある、そこまでするなら何故待ってあげられなかった、姉さん達ならそれができたはずじゃない」
やや怒り気味で姉さんに伝えた。司郎さんは私から少し離れた。姉さんは少し目を閉じて考えてから話した。
いのり「あの時、神社で私とタマはお別れをした、そうね、したはずだった、だけどつかさのメールを見た時、まだお別れをしていなかったのに気付いてね」
かがみ「どうして、そんなのはすぐ気付くじゃない、その時間もあったはずよ」
いのり「かがみ、周りを見て」
私は姉さんに言われるまま周りを見た、出航ロビーで人々が行き交い、別れを惜しんでいる人もいれば手を振って送る人もいる。
かがみ「何よ、何も変わらないじゃない」
姉さんに意図が分からない。
いのり「違う、よく見て、先月の出国の時は家族全員が送ってくれた、でも今回はかがみ一人だけ」
かがみ「そんなのは聞いていない、私の聞いてる事に答えて」
いのり「覚えているかな、つかさなんか泣きっ放しだった」
かがみ「一ヶ月前の話なんか覚えている、今更なによ」
一向に答えない姉さんに苛立った。
いのり「つかさ達が来ない、もうお別れが済んだから」
私は言い返せなかった。あんなに泣いていたつかさは確かに今回来ていない。
いのり「別れは遠ければ遠いほど、期間が長ければ長いほど辛い、そうでしょ、みんなは、特につかさはそれをよく知っていたみたいね、感情を隠すことなく私に表してくれた」
かがみ「そ、それと私の質問とどんな関係があるのよ」
私は動揺した。そんな私を諭すように話しかけた。そう。それはまさしくお姉さんそのものだった。
いのり「私もね、あの時つかさと同じようにお別れは済んだと思った、だけどね、つかさのメールを見た時気付いた、まだお別れを済んでいなかった……ってね」
遠くで話を聞いていたのか司郎さんが俯いている。
いのり「それからもう一人お別れを言っていない人が居てね、本人もそれに気付いていない、だから帰ってきた」
かがみ「誰よその人は」
いのり「目の前に居るじゃない、かがみ」
お別れを言っていない。そんなはずは無い。誰よりも先に結婚の祝福をした。お別れだってちゃんとした。
かがみ「私は……タマの事を聞きたくて来ただけよ」
いのり「ふふ、かがみ、相変わらず素直じゃないね、その話なら後から手紙でもメールでも聞ける、そうじゃないの」
笑って話す姉さん。まるで私の心の中を見透かしたような言い方。違う断じて違う。
かがみ「はぐらかさないで」
私は話を戻そうとした。
いのり「いつもそう、かがみ、先月もつかさに譲ったんでしょ、だから私も何もかがみに言えなかった」
今別れれば五年は帰ってこない。あの時別につかさに譲ったつもりは無かった。だけど確かに姉さんに正面から話を交わしていない。
かがみ「いのり姉さん……」
いのり「そして私はもう柊家の人じゃない、だからもうまつりに遠慮することも無い……今まで良くやってくれた、お父さん、お母さん、まつり、つかさを帰ってくるまで
    よろしく……まつりと喧嘩しちゃだめだ……めだから」
いのり姉さんの目から涙が出ていた。その時気付いた。私は姉さんにお別れを言いに空港まで来たのだと。
かがみ「そっちこそ、夫婦喧嘩して離婚なんか承知しない」
姉さんは無言で頷いた。
かがみ「いのりお姉ちゃん」
私は思わず幼少の頃の呼称で名前を言った。
空港の別れのシーン。よくある光景。お互いに抱き合って別れを惜しむ。周りの人々と同じように私たちは別れを惜しんだ。
『〇〇行き〇〇〇便の出航準備ができました……』
アナウンスが響いた。
いのり「あ、もう時間、それじゃ、かがみ……」
いのり姉さんは振り返って私に背を向けると司郎さんと手を繋ぎ小走りに飛行機の方に向かった。『幸せに』と心の中で祈った。
私は二人が見えなくなるまで見送った。でも涙で歪んで見えて最後まで見届けられなかった。たった五年間の別れだと言うのに。

 いのり姉さんとタマの出会いはお父さんとお母さんの喧嘩を仲直りさせた。十年以上経っているのに覚えているのだからきっと危機的なものだったに違いない。
つかさの性格にも大きな変化を与えた。最後にいのり姉さん自身は結婚にするに至った。そして私はどんな影響を受けたのか。
私自身は分からない。だけど何かを感じる。それが悪いものではないのは分かる。

空港から帰宅するとつかさは既に帰ってきていた。
つかさ「おかえりお姉ちゃん、どうだった?」
かがみ「どうだったって、何が?」
つかさの聞きたい事はすぐに分かった。だけど直ぐには言えなかった。つかさはそれ以上聞かなかった。空港で何があったのか分かったようだ。
私もこれ以上答えなかった。つかさはそんな私に微笑んだ。
かがみ「姉さんが居なくなって淋しくなったわね、犬か猫でも飼いたくなったわ」
つかさ「お姉ちゃんからそんな台詞を聞けるとは思わなかったよ、そういえばね、まつりお姉ちゃんの友達が飼っている猫が子供を産んだんだって、話聞いてみる?」
一番タマを憎んでいたはずのまつり姉さんも影響をうけたのか。
話くらいなら聞いてもいいかな。

 三日後私達は仔猫を貰いに向かった。三匹の仔猫から気に入った子を選んでよいと言われた。つかさは真っ先に一匹の仔猫を箱から取り出し抱いた。
私とまつり姉さんも直ぐにその仔猫を気に入った。つかさはタマと名付けた。
柊家に新しい家族が加わった。尻尾の先が黒い可愛い仔猫。



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  • イイハナシダナー -- 名無しさん (2011-03-27 23:21:49)

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最終更新:2011年03月27日 23:21
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