とある墓地。
泉そうじろうは、小さな墓石の前にたたずんでいた。
墓石には「泉かなた」と刻まれている。
「思えば、ずいぶんと時がすぎてしまったな……」
あのときからずっと時が止まってしまった妻と、すっかり歳をとってしまった自分。
変わらないものと変わってしまったもの。いろいろとある。
「せっかくの銀婚式だってのに、一人なんて寂しいね、兄さん」
唐突に聞こえてきた声に振り向くと、そこには、
「ゆき……。なんでここに?」
小早川ゆきが立っていた。
「銀婚式ぐらい、祝ってあげようと思ったのさ。うちじゃ、毎年結婚記念日は、ゆいやゆたかが盛大に祝ってくれるよ」
小早川家ならばそうだろう。
でも、泉家の場合は……。
「うちは、そういうもんでもないからな」
「こなたちゃんは、今日が兄さんとかなた義姉さんの結婚記念日だって知らないのかね?」
「ああ。訊いてこないから、話してもいない」
「それもまた、こなたちゃんの優しさかもしれないけどさ」
ゆきは、墓の前までくると、
「かなた義姉さん、銀婚式おめでとう! あのときはいろいろとあったよね」
「そうだな。ゆきにはいろいろと世話になった」
「たいしたことはしてないけどね」
そうじろうとかなたの結婚と埼玉県移住は、両方の親の反対にあって、駆け落ちも同然だった。
当時は、ゆきにいろいろと世話になったものだ。
「でも、どうしてなんだ? うちの親だって反対してたのに……」
そうじろうは、長年の疑問だったことを、口に出した。
そのせいで、そうじろうやかなただけでなく、ゆきも、石川県の親戚一同との関係が致命的に悪化してしまったのだから。
「兄さんだけだったら、絶対に応援しなかったけどね。まっ、かなた義姉さんの熱意にほだされちゃった、ってところかな」
意外かもしれないが、二人での埼玉県移住に積極的だったのは、かなたの方だった。
通信手段が貧弱だった当時、作家として名を上げるには、出版社が集中する首都圏に住むのが最低条件だった。だから、埼玉県に移住を試みたのは、そうじろうとしては当然の選択であった。
ただ、そうじろうは、作家として充分な収入を得られるようになってから、かなたを呼び寄せて結婚しようと思っていたのだ。
そうであったなら、親たちもあんなに反対はしなかっただろう。
「あのときのかなたは、すごく強引だったな。まるで、いつもと立場が逆になったような気分だった」
「かなた義姉さんは、優しい人だからね。兄さんを一人で送り出すのが心配だったんだよ」
「俺はそんなに頼りなく見えたかな?」
「駆け出しの作家なんて貧乏の代名詞でしょ。そんな貧乏暮らしで一人で無茶すれば、体も壊しただろうし。私は、かなた義姉さんが一緒に来てよかったと思うね」
「そうだな……」
それは確かにそうなのだろう。
かなたに感謝すべきことは、数え上げればきりがない。
だからこそ、家を買い、こなたも生まれて、さあこれからだというときに、あんなことになってしまったのは……。
生きてさえいれば、まだまだ幸せにしてやれる自信はいくらでもあったのに。
「夫婦水入らずを邪魔するのも悪いから、私はこれで退散するよ」
ゆきは、そういって手を振ると、その場から立ち去っていった。
そうじろうは、再び妻の墓石と向かい合った。
二十五回目の結婚記念日。かなたに語りたいこと、語るべきことは、いくらでもある。
「なあ、かなた……」
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最終更新:2011年03月01日 02:17