ID:FIRHoZs0氏:赤蜻蛉(ページ1)

  トンボは飛んでいた。どうやら迷って仲間と逸れてしまったようだ。川辺には居られなくなったのだ。もう一週間飛び続けている。
人間では一週間でもトンボのからみれば数ヶ月分の時間だろう。もう心身とも限界に近づいていた。しかし休めるような場所、水場がなかった。
しかしもう彼に帰る所はない。もう飛べない。そう思った時だった。かすかに水の匂いがするのに気が付いた。もうこの微かな匂いに賭けるしかなかった。
水辺ではくただの水溜りならそのままかればそのまま死んでしまうだろう。それでも彼は匂いのする方に向かった。四枚の羽の内もう二枚が破れている。
飛んでいる途中に車に接触してしまったのだ。もう真っ直ぐに進むのも間々ならない。それでも彼は最後の力を振り絞って飛んだ。
 
 彼は見つけた。青く広がる水。彼が追われた水辺よりも広い池が広がっていた。彼は喜んだ。でももう体力は限界だ。喜ぶ前に休むところが欲しかった。
池の辺に丁度止まれそうな草が生えていた。そこで休めそうだ。かれはよろめきながらその草に向かって飛んだ。そしてみごと草に止まることができた。
彼は羽を折り力を抜いた。やっとこれで休める。彼は改めて歓喜した。
 
 彼は周りを見渡した。自分の仲間であるトンボ、赤とんぼの姿は見当たらない。自分よりも大きいトンボの姿もなかった。池の底もみてみた。子供(ヤゴ)も見当たらない。
どうやらこの池を訪れたトンボは彼が初めてのようだ。これなら破れた羽でもこの池で暮らしていけそうだ。彼はこの池に定住することを決めた。
さて、この池の探索でもするか。そう思った彼は飛ぼうと羽に力を入れた。
その時彼は忘れていた。二枚の羽が破れていたことを。バランスを崩しそのまま池に落ちてしまった。
 
 彼はもがいた。しかし羽は水面にぴったりと張り付いて動かない。足もばたつかせてみた。しかし細い足では水を掻くことが出来ない。子供(ヤゴ)の時は水の中を
自由に進む事ができたのに今の彼にはそれはできなかった。動いても体力を消耗するだけだった。目の前に止まっていた草の茎がある。でもそこまで行けそうにない。
彼は死を覚悟した。
 
 急に何か胴体を挟まれた。鳥の嘴か。しかし感触は柔らかい。そしてとても優しく挟まれている感じだった。急に体が軽くなった。彼は水から引き上げられた。
鳥かネズミか。しかし彼に抵抗する力はない。もう身を持ち上げた者にゆだねるしかなかった。
「これなーに」
幼女が彼を手に取り男に見せた。挟んだのは鳥の嘴ではなかった。人間の指。しかし彼にその区別をする能力はない。彼は必死に抵抗したがたとえ幼女と言えども
力の差は歴然としていた。逃れられない。彼は諦め抵抗するのを止めた。
「赤とんぼだな、どこに居たの?」
男が聞くと幼女は池の水面を指差した。
「そうか、溺れてたんだね、羽もボロボロだ、もう死んでしまうね」
「しぬってなに?」
男は返答しなかった。彼には二人の会話はどうやって殺そうか相談しているように思えた。
男は悲しい顔をした。幼女はそれに何かを感じたのかそっと近くの草の上の彼を置いた。彼はその草にしがみ付いた。
「えらいぞ、それじゃ帰ろうか……」
男は幼女の手を引き池を去った。彼は何があったのか理解できなかった。なぜ助かったのか。
 
……
 
……
 
 ここは泉家。そこにかがみ、つかさ、が訪れていた。なになら勉強会をしているらしい。珍しくこなたとつかさは真剣になっていた。
こなた・つかさ「どう?」
かがみに問いかける。かがみも真剣にこなたとつかさのノートを見ていた。
かがみ「……驚いた、全問正解、やればできるじゃない」
つかさ「すごーい、やったねこなちゃん」
手を叩いて喜んだ。それもそのはず。こなたとつかさは苦手な数学の問題を問いていた。
かがみ「それが解けたなら宿題の問題も解けるわよ、やり方同じだから」
こなた・つかさ「えー、教えてよ」
かがみ「なに言ってるのよ、もう私の教えることはないわ……それに私はみゆきほど甘くないわよ」
こなた・つかさ「けち」
かがみ「二人で息を合わせて同じことをするな、いつから姉妹になったんだ」
かがみに嗜まれしぶしぶと二人は宿題の問題を解き始めた。
 
かがみ「休憩しましょ……しかし二人とも今日は頑張るわね、いつもこうなら勉強会もすることもないでしょうに」
こなた「今回はつかさと二人で決めたんだよね、少なくとも及第点は取ろうって」
かがみ「……まあ、その意気込みがいつまで続くか心配だわ」
こなた「あまり自信ないけどね……そうだ、ケーキ用意してあったんだ、ちょっと用意してくるから待ってて」
こなたは部屋を出た。かがみはつかさを見た。つかさはノートに向かってまだ問題を解いていた。
かがみ「つかさ、休むときには休まないと続かないわよ」
つかさ「そうだね」
つかさはノートを閉じて両手を揚げて背伸びをした。
かがみはそんなつかさを見ていた。
つかさ「どうしたの、何かついてる?」
かがみの目線に気が付いた。
かがみ「いやね、こなたとなんでそんな約束したんだ」
つかさ「約束って二人で決めたこと?」
かがみは頷いた。
つかさ「何でだろうね、二人で自然にそうなったんだよ、いつもお姉ちゃんに負けてるし、たまには……なんてね」
つかさは笑ってそう答えた。しかしかがみはあまり嬉しくないようだ。
かがみ「私を目標にされてもね、確かに成績は上位かもしれないけど……どうせならみゆきを目標にしなさいよ」
つかさ「お姉ちゃんはゆきちゃんを目標にしてるの?」
かがみ「クラスが同じなら……もっとライバル心むきだしだったかもね」
かがみはつかさから目を逸らした。
つかさ「お姉ちゃんは私たちと同じクラスじゃなくて良かったよ、ゆきちゃんとそんな喧嘩しちゃったら……」
つかさは今にも泣きそうな声で話した。
かがみ「ばかね喧嘩なんかしないわよ、それとこれとは別よ、ライバルでもみゆきとは友達でいられる、それに私が敵対してもみゆきは気付かない、そんな人よ、みゆきは」
つかさ「そうかな……そうなのかな」
つかさは考え込んでいた。そこにケーキとお茶を持ったこなたが戻ってきた。それぞれにお皿を配った。
こなた「何を話していたの」
つかさの表情が暗かったのが気になったようだ。
つかさ「ゆきちゃんの事だよ」
こなた「そういえばみゆきさん最近私達と一緒にならなくなったね」
かがみ「……みゆきの進路を考えれば私達なんかに構ってはいられないわね」
その一言にこなたとつかさは黙ってしまった。かがみはその雰囲気に気が付いた。
かがみ「いや、別にこなたやつかさが邪魔になったとか……そうゆう事じゃない……と思う……」
二人は余計に沈んでしまった。かがみはそれ以上何も言えなくなってしまった。
こなた「みんなケーキ食べたね、片付けるね……」
こなたはお皿を集めると部屋を出た。
かがみ「つかさ、さっきは……」
つかさ「ゆきちゃんはそんな人じゃないよ、さっきお姉ちゃんだってそう言ってたよね……」
かがみ「そうね、憶測で話すのはもう止めよう、もう一息だから宿題片付けましょ」
こなたが戻ってからも嫌な感じが収まることはなかった。
 
 勉強会は予定より早く終わった。残りの時間はゲームなどをして時間を潰したがどうもノリが悪い。つかさは元々ゲームが得意なわではないので漫画を見ている。
一体感がなかった。しかし三人ともどうしていいか分らない。
こなた「なんか調子ででないねー」
かがみ「まあね……」
その原因の一つにかがみの言葉あることは自分でも分っていた。
つかさ「少し外に出てみようよ」
かがみ「いいわね、気分転換にもなるし、こなた、どう?」
こなた「いいよ、出てみるかな」
こなたは少し考えてから返事をした。出ても行きたいところが無かったからだ。
 
 外に出た三人。こなたが思った通りどこに行くわけでもなくただ歩いていただけだった。
つかさ「どこか面白い所ないかな」
こなた「面白い所ね……何も思い浮かばない」
かがみ「自分の地元でしょうに、少思い当たらないのか」
こなた「かがみの家だって隣町じゃない、あまり変わらないよ、どこか思い当たるところある?」
かがみにもそんな所は思い当たらなかった。喫茶店でお喋りは普段からやってる。何もない。まるで犬の散歩のようにただ近所を歩いているだけだった。
つかさ「もうすっかり秋だね、涼しくなってきてるし、雲も秋の雲だよ」
こなた、かがみもつかさと同じように空を見上げた。ひつじ雲がそらいっぱいに広がっていた。
かがみ「もうすっかり秋ね、焼き芋が恋しくなるわ」
こなた「かがみはすぐ食べ物の話になるね、さっきケーキ食べたばかりじゃん、つかさみたいに少しはデリカシーってもんをだね」
かがみ「悪かったわね、どうせ私はそんなものなんかないわよ」
つかさ「あっ、赤とんぼだ」
二人の会話に釘を刺すようにつかさが叫んだ。つかさの指差す方を二人は見た。トンボが数匹同じ方向に飛んでいた。
こなた「ほんとだ」
かがみ「アキアカネね、夏は高地で過ごして秋になると低地に戻ってくるのよ」
こなたはまじまじとかがみを見た。
かがみ「なによ、何か付いてる?」
こなた「いやね、かがみがそんな薀蓄を言うなんてね……しかも虫だし、興味あるように見えないじゃん」
かがみ「偶然知っていただけよ、みゆきほど深く調べたわけじゃない」
トンボはそのまま飛び去ってしまった。
つかさ「あのトンボは何処にいったのかな」
かがみ「卵を産むために池や沼を探しているはずよ」
こなたには思い当たる所があった。
こなた「それならいい所があるよ、夕焼けがとても綺麗な公園があるよ」
つかさ「夕焼けが綺麗な公園……行ってみたいな、もうすぐ夕方だし丁度いいかも」
つかさのその一言で公園に行く事になった。
 
 かがみ「へーこんな所に公園があったなんてね」
こなた「私が生まれた頃にできた公園だよ、で、そこにあるのがひょうたん池、別に名前があるわけじゃないよ、小学生の時勝手についた名前」
野球場二面くらいの大きさだろうか、ひょうたんのような形をしていた。
かがみ・つかさ「ふーん」
いつの間にかこなたは公園を案内していた。
かがみ「こなたはここで遊んでいたのか、いやに楽しそうだな、いい思い出でもあるみたいね」
こなた「いや、そうでもないよ……」
急にこなたの顔が曇った。かがみは何か複雑な事情があると思った。それを聞こうとした時。
つかさ「あっ、赤とんぼだ、さっきのかな」
またつかさが二人の会話に割り込んだ。
つかさ「向こうにも、こっちにも……うわー凄いよ……いっぱい飛んでる……なんか綺麗だね」
池の真上を見上げると赤とんぼの大群が飛んでいた。日はだいぶ西に傾いてきた。空はオレンジ色に染まってきた。
こなた「私が生まれた頃はトンボは居なかったって」
かがみ「新しい池だと生き物が住み着くのに時間はかかるわね」
こなた「小さい時、一匹の赤とんぼがこの池で溺れいたのを助けた事があってね……」
こなたは大群の赤とんぼを見ながら話した。
つかさ「……それじゃここのとんぼってこなちゃんが助けたとんぼの子孫なんだね……こなちゃん凄い」
つかさもトンボを見ながら話した。
こなた「違うよ、もう羽もボロボロで飛べそうにないほど弱ってたから……きっとそのまま死んじゃったんだよ」
かがみにはこなたがやけに悲しそうに見えた。
かがみ「よくそんな小さい頃の事覚えているわね」
こなた「拾ったトンボを見てお父さんの表情が忘れなれなくてね、何故か覚えてるよ……それからお父さんとはこの公園に一回も行ってない」
つかさ「そのトンボ……きっと辛い旅をしてきたんだね、嵐でも遭ったのかな、鳥にでも追いかけられたのかな、それでもやっとの思いでここに来て……
     池に落ちちゃったんだね、こなちゃんに助けられてきっと嬉しかったんだよ、だから……この池に住み着いたんだね」
こなた「つかさは夢をみれていいね……」
こなたもかがみもつかさの話を聞きながら黙って空を眺めていた。
 
「お姉ちゃん?」
突然こなたを呼ぶ声がした。
三人は振り返った。
そこにはゆたかとみゆきが立っていた。
こなた「ゆーちゃん、みゆきさんまで……何してるの?」
ゆたか「社会の自由課題をしてたんだよ」
こなた「自由課題?」
ゆたか「うん、何にしようかなって考えて、ちょうどお姉ちゃんの町に住まわせてもらってるから街の歴史でも調べようかなって」
こなた「それでこの公園?」
ゆたか「この公園の事をおじさんに聞いたら昔、おばさんとよく来てたんだって、でも新しい公園でそっけなかったから、秋なのにトンボも飛んでないから寂しいね
     おばさんが言ってからこの公園に行かなくなったんだって、だからあまり詳しく教えられないって……お姉ちゃんは小さい時よく遊んだんでしょ?」
こなた「……まあね……」
この時初めてこなたは知った。なぜ父がこの公園に来ない訳を。何故ゆたかに話してこなたには話してくれなかったのか疑問と怒りが湧いてきた。
ゆたか「……この公園は昔工場だったから汚染が酷いって書いてあったけど……でも綺麗だね、こんなに沢山トンボがいっぱい、夕日に溶け込んでいるみたい」
つかさ「このトンボ達ね、こなちゃんが小さい時助けたトンボの子孫なんだよ」
ゆたか「そうですか、お姉ちゃんもこの景色おばさんに見せたかったんだ」
こなた「そんなんじゃない、あのトンボは死んじゃったんたよ、このトンボとは関係ない……」
ちょっときつい言葉で返した。これは父、そうじろうに対する怒りであった。八つ当たりだった。ゆたかもそれ以上何も言わなかった。
みゆき「しかしこの景色を見られるのも数年ですね、なんでもこの公園の池は埋め立てられて新しい公園にする計画があるそうです」
かがみ「みゆき、なんでゆたかちゃんと一緒に?」
ゆたか「あっ、私が図書室でこの公園を調べていたら偶然に高良先輩に会って……一緒に調べてくれるって……それで……貴重な時間を私に割いてくれて……」
みゆき「お構いなく、私も学校周辺の地理には疎かったので丁度よかったです」
かがみは最近みゆきの付き合いが悪くなった理由が分った。安心したと同時に勉強中に言った事を反省した。
ゆたか「それにしても綺麗な夕日だね……お姉ちゃんの助けたトンボ……なんかこのトンボ達、池を守っているみたいだね……絵本を描きたくなっちゃった」
つかさ「ゆたかちゃん絵本描くんだ、こんど見せて」
ゆたか「……はい、それじゃ帰ってレポート纏めるから先に帰るね」
みゆき「泉さん、お宅にお邪魔します」
 
 みゆきとゆたかは何度も夕日を見ながら公園を後にした。
つかさ「ゆきちゃん、ゆたかちゃんの手伝いをしてたんだね、だから私達に会えなかったんだ」
かがみ「そのようね、しかしレポートまで手伝うなんて、過保護すぎるわよ」
そうは言っているが内心は嬉しかった。みゆきはかがみ達から離れている訳ではなかったからだ。
 
 
かがみ「どうしたこなた、さっきから池を眺めてばかりで、らしくないぞ」
かがみは知っててわざとそう言って会話に誘った。しかしこなたはその誘いに乗ってこなかった。
かがみ「赤とんぼの行列、とても綺麗よね、秋の夕焼けにこれほど会うとは思わなかったわ、これもこなたが小さい時トンボを助けたからかな」
こなた「かがみまでつかさと同じような事を言うんだ」
かがみ「そうよ、そう思ったから言ったまでよ、つかさやゆたかちゃんもそう思った、そう思った方がロマンティックじゃない」
こなた「かがみからそんな言葉が出るとは思わなかったよ」
煮え切らなかった。かがみはそんな答えは望んでいなかった。
かがみ「赤とんぼが大群になったのは最近になったからでしょ、おじさんに教えたの」
こなたは首を横に振った。
こなた「どうせゆーちゃんが教えるよ、それにこの池はなくなっちゃうし、今更そんなそんな事しったって……」
 
 
 突然かがみは池の辺りに向い歩き出した。赤とんぼの大群の中に入っていった。かがみが近寄ったので近くに止まっていたトンボはビックリして飛び出した。
こなたとつかさはかがみのする事を不思議そうに見ていた。かがみは頭上に左手を上げた。そして人差し指だけを空に向けた。
かがみ「こなたが助けたトンボの子孫はこの指にとまりなさい」
暫くすると一匹の赤とんぼがかがみの指に近づきしばらくホバリングしてから指に止まった。羽を休めている。
つかさ「すごーい、お姉ちゃん、そのトンボはこなちゃんが助けたトンボの子孫なんだ」
つかさは飛び上がって喜んだ。
こなた「かがみ、赤とんぼって尖がった所に止まるよね、それを知ってれば何だって言えるよ」
冷めた言い方だった。
つかさ「そうなの、私知らなかった」
かがみは指を揺らした。赤とんぼはビックリして飛んだがすぐまた戻ってきてまた指に止まった。
かがみ「そう、赤とんぼは尖った所に止まって羽を休める……つかさが同じ事をしたら私はこなたと同じ事を言うわね、私が何も言わなくてもこのトンボは
     私の指に止まった……幼いこなたがトンボを助けなくてもこの池は赤とんぼの大群でいっぱいになっていた……」
こなた「かがみ……」
かがみは自分の指に止まった赤とんぼを見ながら話しを続けた。
かがみ「確かにここの夕焼けは綺麗、でもただ綺麗なだけ、でもこなたの話を聞いたらもっと美しく見えてきた、今まで見てきたどの夕焼けより美しく見える、
     幼いこなたはそんな事をしたのよ……この指に止まっているのはこなたの助けたトンボの子孫のトンボなのよ」
つかさ「お姉ちゃん、こなちゃん見て、私も出来たよ」
少し離れた所でつかさがかがみと同じように指に赤とんぼを止まらせていた。
かがみ「こなた周りを見てみて」
こなたが池の周りを見ると、子供達がかがみの真似をして指に赤とんぼを止まらせて遊んでいた。
かがみ「こうゆう事よ……こなたがした事を誰かが見ていれば同じ事があれば真似をする……凄いわよ、初めてこなたを凄いと思った、あの時、幼いこなたを
     見た誰かは、溺れたトンボをきっと助けるわよ……助けたトンボが死んだなんて言わないで、私も、こなたのお母さんもきっと悲しむわよ……
     この美しい夕焼け、家族みんなで見たかったんじゃないの」
その時こなたは、母、かなたが見たかった夕焼けの風景、こなたと一緒に見たかった風景なのだと理解した。そしてその夕焼けが今そこに在る。
かがみの後ろに夕焼けの風景が広がる。
こなた「お母さん……うう」
こなたは泣き出してしまった。いままでかがみ達に見せなかったこなたの表情だった。かがみは思った。おじさんはこなたにそんな姿を見せたくなったんだなと。
つかさ「こなちゃん、大丈夫、どうしちゃったの?」
つかさがこなたの元に駆け寄った。
 
かがみ「まさか本当に私の指に止まってくれるなんて、中学の時の自由権研究でトンボを調べたのが役にたった」
囁くように赤とんぼに語りかけるとかはみややさしく手を振った。赤とんぼはゆっくりとかがみの指を離れ頭上のトンボの大群に合流した。空は真っ赤に焼けていた。
ひつじ雲も真っ赤。そこに真っ赤な赤とんぼ。かがみは目に焼き付けるように眺めた。綺麗な夕焼けを忘れないように。
 
かがみ「もう日が落ちたわね、赤とんぼも居なくなったわ、私とつかさはこのまま帰るわね」
こなた「ちょっと待って、折角だから夕飯食べてから帰ってよ、みゆきさんも居るし」
つかさ「どうするお姉ちゃん、ご馳走になるなら家に連絡しないと……久しぶりにゆきちゃんとも話したいな」
かがみは少し考えた、。なたの家にはみゆきが居る。明日話すつもりだったけど今日、今しかないと思った。
かがみ「たまにはいいかもね、ご馳走になるわ」
 
 こなた「お待たせ」
皆が食卓に座った。
かがみ「あれ、おじさんは?」
ゆたか「今日は出版社に用事があって遅くなるって言ってました」
かがみは少し残念に思った。公園のことを聞きたいとおもったからだ。こなた手製の料理。もちろんつかさやゆたかも手伝った。
会話も弾んだ。こなたも公園での出来事が嘘のように上機嫌だった。
 
こなた「かがみ、さっきはありがとう」
こなたが珍しく礼を言った。しかしかがみは返事をしなかった。
つかさ「こなちゃん、そういえば公園でなんで泣いていたの?」
みゆき「どうなされたのですか?」
ゆたか「どうしたの?」
こなたは公園でかがみがしたことを話した。
 
つかさ「お姉ちゃん、それで赤とんぼを手に止まらせたんだ、赤とんぼがお姉ちゃんに答えたんだね……」
ゆたかは言葉も出ないようだ。みゆきも暫くなにも言わなかった。
かがみ「赤とんぼが指に止まるとは思わなかった、いや、止まった時の台詞なんか考えていなかった……」
つかさ「えっ?、どうゆうこと」
つかさは驚き聞き返した。
かがみ「止まらなければこなたの助けた赤とんぼは死んだことになる……現実はそんなものだよって言うつもりだった……でも赤とんぼは私の指に止まった、
     吸い寄せられるように、振り払っても……また止まった……こなたが赤とんぼを助けたと言った、つかさが言った、トンボが池までにたどり着くまでの苦悩……
     そんな話を聞いてあの綺麗な夕焼けを見たら、赤とんぼが池に向かう所から今の大群になるまでの物語が頭の中に浮かんじゃなったのよ……
     後は何を言ったのか覚えていない……それだけよ」
かがみの目から涙が出ていたがそれに気が付いたのはつかさだけだった。つかさは不思議に思った。虫や昆虫の事でここまで語る事なんか今までなかったからだ。
それよりも自分のした事を否定するようなことをゆうかがみにつかさは怒りを覚えた。つかさはかがみを問い質そうとした。
みゆき「しかしその赤とんぼの夕焼けも見れなくなるようです」
かがみ「公園でも言ってたわね、みゆき、詳しく教えて」
つかさがかがみに聞くより早く話は変わってしまった。もうこの場では聞くことは出来そうに無い。
ゆたか「公園の池は調整池として臨時的に造ったものらしいのです、あの辺りに立派な調整池ができたのでひょうたん池は必要なくなった……」
かがみ「皆、あの池、なくすのは惜しいと思わない?」
かがみは真剣な面立ちで座っている皆に語りかけた。
ゆたか「あの池が無くなったら、赤とんぼも居なくなるね」
かがみ「そうでしょ、あの池は残すべきね」
こなた「残すってどうやって、私達は普通の高校生、どうせ何もできないよ」
こなたのこの一言に絶望感が漂った。
かがみ「こなた、あんた赤とんぼを助けた時、あの大群になると思って助けたか」
こなたは首を横に振った。
かがみ「でしょ、やってみなきゃ分からないわよ……どう、みんな私に賛成してくれる?」
皆は頷いたがこなたは頷かなかった。
こなた「具体的にどうするのさ……」
かがみは戸惑った。
かがみ「ごめん、何も思い浮かばない……」
みゆき「私もあの池をなくしてしまうのは悲しいです、それは皆さんも同じだと思います、今は何も出来なくても、その思いがあれば……」
この言葉にかがみは励まされた。
かがみ「みゆき、ついさっきまでみゆきの事を悪く思ってた……ごめん」
みゆき「え、なんですか?」
勉強会の会話の事であったのはこなたとつかさはすぐに分かった。しかしこなた達も少なからずかがみと同じであったので何も言えなかった。
かがみ「最近、みゆきが付き合いが悪くなったってことよ、こうゆう事ならちゃんと言って欲しいわね」
みゆき「そうでした、私からも謝ります、ごめんなさい」
かがみ「話がそれたわね、とにかく池を埋めさせない方法を考えましょ」
 
 こうして夕食は終わった。こなたは泊まっていけばと誘ったがかがみ達は帰ることにした。
ゆたか「かがみ先輩達帰っちゃったね」
こなた「しょうがないよ、準備もしてないしね」
こなたは少し嬉しそうだった。
ゆたか「どうしたの、何か良いことでもあったの?」
こなた「いやね、かがみもなんだかんだ言って、かさと同じような所があったってね、初めてあの二人を双子らしいと思ったよ」
ゆたか「公園で赤とんぼを止まらせた話のこと?」
こなた「そう、本来ならつかさがやっても良かった、ふふ、夕食の時にあんな事言って照れ隠しして……」
微笑みながら嬉しそうに話していた。
ゆたか「それって、ツンデレって事?」
こなた「そうそう、ゆーちゃんも分ってきたね」
ゆたか「んー、よく分からないよ、言ってみただけ……かがみ先輩、物語が浮かんだって言ってたけど私も浮かんだよ、多分かがみ先輩と同じだと思うけど
     本当に絵本描きたくなっちゃった」
こなた「それなら描いてみればいいじゃん」
ゆたか「うん」
 
 一方柊家。つかさは釈然としなかった。夕食でかがみが言った言葉。『赤とんぼが手に止まるとは思っていなかった』そして『現実はこんなもの』と言おうとした。
冗談でも酷いと思ったからだ。公園でこなたはお母さんの事を思っていたに違いない。それなのにかがみはあんな事を。居ても立ってもいられなかった。
つかさはかがみの部屋に向かった。そしてドアをノックする。
つかさ「はいるよ、お姉ちゃん」
ドアを開けてつかさの顔をみたかがみは驚いた。怒っていたからだ。
かがみ「どうしたのよ」
そう言うしかなかった。思い当たる節がない。
つかさ「お姉ちゃん、お昼なんであんな事言ったの?」
かがみ「あんな事ってどんな事よ」
いきなり詰め寄ったのでかがみも少しきつく返した。
つかさ「公園であんなに凄いことをしたのに……なんであんな事を言うの、あれじゃこなちゃん可哀想だよ」
かがみ「あんな事……つかさ落ち着いて、分るように説明して」
かがみはつかさをなだめた。
つかさ「夕食の時のお姉ちゃんだよ」
かがみは思い出した。
かがみ「ああ、あれね……今頃こなたのやつツンデレとか言ってるかもね……言ったのはそう思ったからよ、嘘を言ってもしょうがないでしょ」
つかさ「もし、もしも、赤とんぼが本当に止まらなかった本当に『そんなものだよ』って言ってたの」
かがみ「そうね……確かにそう言ってた、でも赤とんぼはそう言わせなかったわね」
かがみは急に悲しい顔になった。しかしつかさはまだ理解できなかった。かがみはそれを察したようだ。話したくなかったが話すしかないようだ。
かがみ「……中学校二年生の時、夏休みの自由研究の宿題……私と日下部で昆虫の地域分布を調べた」
つかさ「中学……ああ、そういえばお姉ちゃんそれで学年賞とったよね、県の展示会にも……なぜ男の子がするような研究なんかしたの?」
かがみ「夏休み前、よくは覚えていないけどクラスの男子と喧嘩したのよ、それで勝負した、昆虫の研究でどちらが優秀かってね……」
つかさ「……そうなんだ」
 
かがみ「そうね確かにあれで賞を取った、でもね、ぜんぜん嬉しくなかった……」
かがみは一回間を置いてから話し出した。あまり話したくなかった。でもつかさならとも思ったからだ。
かがみ「日下部は昆虫採集が上手かった、お兄さんがいるからかしらね……虫かごにいっぱい捕まえてね、蝉、蝶、トンボもいた、私は昆虫を捕まえることができなかった
    から昆虫を標本にした……つかさ、標本にするってどうするか分かる?」
つかさは首を横に振った。
かがみ「薬を使って殺すの、暴れないように、傷つけないようにね、そしてお湯に浸けて柔らかくして形を整えて、防腐剤を入れて乾燥させる
     ……蝶とか羽が出ている昆虫はまた違った処理をする……私は何匹もそうやって標本にした……まるで人形を作る感覚だった、生き物であったこと
     なんてこれっぽっちも思わなかった……公園で腕を上げるまではね……」
つかさ「お姉ちゃん……」
かがみ「そんな私の指にに何の疑いも無くあの赤とんぼは止まった、しっかりと私の指にしがみ付いて……羽を休めたのよ、何匹も殺した私の指に……この時、
     賞を取っても嬉しくない理由が分かった、峰岸が参加しなかった理由も分った、指に止まった赤とんぼが生きているって事が分ったのよ……
     急に胸が熱くなった……後はつかさが見てきた通り」
つかさは夕食の時のかがみの涙の理由が分った。そして、かがみが池を守ろうとしている理由も分った。つかさの顔から怒りの表情はすっかり消えていた。
かがみは押入れから数個の箱を取り出した。それは昆虫標本だった。
つかさ「それをどうするの?」
かがみ「せめて土に返してやりたくて……」
つかさ「埋めるの、でも、日下部さんと共同でやった研究でしょ、いいの、そんな事して?」
かがみ「さっき日下部に携帯で連絡した、好きにすればいいって……」
かがみは部屋を出て庭に向かった。庭に出て埋めるところを探していると。懐中電灯とシャベルを持ったつかさがやってきた。つかさは懐中電灯で
適当な場所を探して掘り始めた。
つかさ「私も家に入ってきたゴキブリとかハエとか殺してきたけどお姉ちゃんみたいな気持ちにならなかった」
かがみ「つかさ、ハエは分るがゴキブリは大丈夫なのか、見ただけで失神しそうな気がするが」
つかさ「うん、普段は見ただけで逃げちゃう、でも家の台所にいると何故か平気なんだよ」
守るべきものがあれば人は変わるのか。かがみはそう思った。
かがみ「私だって今ゴキブリが出たら叩くわよ、それはゴキブリやハエが害虫だからよ、良いとは思わないけどそれはしょうがないわね……衛生面からもね、
     でも、思えば、蚕や蜜蜂は益虫って言ってるけど、虫から見たら迷惑な話かもね」
つかさ「高校生にもなって虫の話をするなんて面白いね」
かがみ「高校生になったからこうゆう話ができるのよ、虫、虫ってバカにしてるけど、数億年前からこの地球に居るんだから見習うべき所もきっとあるはずよ、
     恐竜の滅亡の時だって生き残ったんだからね」
つかさ「お姉ちゃん凄い、賞を取ったのも分るよ」
つかさの言葉はかがみにとってあまり嬉しいものではなかった。
かがみ「違う、今言った事、あの時は少しも思わなかった、調べた事を並べただけ、みゆきの方がきっともっと気の利いた事を言うわよ……
     こなたがとんぼを助けた話を聞いて、公園の夕焼けがなかったらそんな気持ちにはなれなかった」
つかさ「お姉ちゃんは教えてもらったね、賞をもらったことよりもっといい物を、私も……教えてもらったよ」
かがみ「そうかもしれない……」
かがみが物思いに耽っているとつかさがごそごそとし始めた。
つかさ「私、あの夕焼け撮ったよ」
つかさは携帯電話の画面をかがみに見せた。
かがみ「私は撮らなかった、この目に焼き付けた、忘れないようにね」
つかさ「ひょうたん池、残るといいね……」
 
 この後の会話はなかった。まだかがみは池の事をどうしたらいいかわからかった。
シャベルで掘った穴の中に標本にされた昆虫達をかがみとつかさで埋葬してあげた。蝶や蝉、甲虫、トンボ類もいた。綺麗に腐ることもなく、カビも生えず当時のままの
状態で保存されていた。かがみの標本を作る技術の高さが伺える。しかしどんなに防腐処理をしても土に埋められたらいずれは腐り土に返るだろう。
止まっていた。いや、止めていた時間が動き始めた。かがみはそれを心の中で感じていた。
 
 こなたが助けた赤とんぼ。こなたは死んだと思っていた。本当ははどうなったのだろうか。こなたが逃がした時はかなり衰弱をしてた。死んだのか。
いや、彼は生きていた。こなたが彼を解放した時、彼は自分の活きが悪いから捕食に値しないからと思ったにすぎなかった。彼は三日三晩草に掴まり羽を休めた。
しかし傷ついた羽は治ることはない。彼は試しに飛んでみた。彼は再び空を飛ぶことが出来た。でも、もう遠くに行くことはできない。この池で生活するしか
なかった。周りには仲間は見当たらない。彼は餌を捕りながら仲間を探した。見つけた。一匹の雌の赤とんぼ。彼らは結ばれ。数千個の卵をこの池に産み一生を終えた。
池の汚染は酷かった。次の年、成虫になれたのは数匹にすぎなかった。その子供達は何故かまたこの池に戻ってきた。それは天敵が居なかったからだった。
彼の子孫は毎年この池で産卵をした。他のトンボもこの池で産卵をしたが汚染のせいか彼の子孫しか生き残らなかった。十五年を過ぎると自然の浄化作用で池の汚染が
少なくなり一気に数が増えた。かがみの指に止まったのも、こなたの指に止まったのはこなたが助けたトンボの子孫だった。
 
 標本の昆虫は全て土の中に埋葬された。
かがみ「これで私が許されるとは思わないけど何かすっきりしたわ、さて、少し寒くなってきたわ家に入りましょ」
つかさ「待ってお姉ちゃん」
つかさはかがみを呼び止めた。もう庭には用はないはずだった。
かがみ「なに?」
つかさ「耳を清ませてみて、聞こえない?」
かがみは目を閉じて耳を清ませた。
かがみ「聞こえるわね、コオロギね、さすがに鈴虫はいないわね……驚いた、マツムシの音が聞こえるわ、こんな街中でも居るのね」
つかさ「シー」
つかさはかがみを止めた。かがみの声のせいかどうかは分らないが虫の音が止まってしまった。かがみは慌てて自分の両手で口を押さえた。暫くすると虫の音が始まった。
かがみは再び耳を清ませた。秋夜の虫の音。夕焼けに飛ぶ赤とんぼとは違った感情が湧いてきた。
終わり行く秋を惜しむ切ないような歌声に感じた。かがみはふとつかさを見た。
つかさは目を閉じて虫の音に聴き入っていた。埋葬した標本にされた昆虫達に祈っているようにも見える。言葉はもう要らないとかがみは思った。
かがみもつかさと同じように目を閉じて聴いた。秋の夜の少し冷たい風が二人を通り抜けた。風に乗って遠くの虫の音が混ざってくる。ただ静かに二人は聴いた。
この虫達の音を忘れないように……。
 
……
……
 
 
 

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最終更新:2010年09月21日 19:56
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