柊かがみ法律事務所──とある自治体の青少年なんたら条例
かがみは、アキバのとある同人誌受託販売店を訪れた。
「すいませんね、先生。わざわざご足労いただきまして」
「いえいえ。歩いてすぐの距離ですから」
売り場からは見えない事務スペースのテーブルで向かい合う。
「これなんですがね」
店主が一冊の同人誌を差し出した。
付箋が貼られたページをめくって内容を確認する。
「ちょっと微妙ですね」
「前まではこれぐらいで18禁指定を受けることはなかったんですがね」
条例の文言に従うなら『不健全な図書類等の指定』だが、要するに『18禁指定』だ。
「最近、都の審議会のメンバーが入れ替わりましたから、その影響かもしれません」
「やっぱりそうなんですかね。ぎりぎり健全な百合や801ってことで売れてる人なんで、18禁指定はちょっと痛いですな」
同人誌をぱらぱらとめくる。
登場人物がなんとなく高校時代の後輩女子に似ているような気がした。
そこまで思考が到達した時点で、かがみは思考をとめた。これ以上思考を進めると知りたくない真実に到達してしまうような気がしたからだ。
「対応措置は?」
「もうやってます。帯つけてビニールかぶせて18禁コーナーに移しました」
「なら、問題はないですね。作者には都から通知がいくでしょう」
それを受けて都を訴える作者もいないわけではない。
かがみもその手の訴訟の弁護を引き受けたことは何回かあった。勝率はほとんど0に近いが。
条例自体は最高裁で合憲判決が出てしまったし、個別の18禁指定の妥当性を争う訴訟でもほとんど勝てなかった。
かがみが弁護を担当した訴訟で勝訴したのは、源氏物語をアニメ化したDVDが18禁指定を受けたのが不当だとして訴えた事件が唯一だった。
これは、作者ではなく出版社が18禁指定に反発して起こした訴訟だった。出版社の方針として古典のアニメ化に重点を置いていたということもあって、死活問題だったからだ。
「で、どうします? 訴えますか?」
「いや、そこまでするつもりはないですよ。ただ、審議会がそんな感じじゃ、じきに指導も厳しくなるんでしょう。一度同業者で集まって話し合わなきゃならんかもしれませんな。そのときは、先生もご出席願えますか?」
法的拘束力のある『指定』とは違って、行政指導には法的拘束力はない。
しかし、理由もなしにただ反抗するだけでは住民の理解は得られない。やるならやるで理論武装は必要だ。
「ええ、それはもちろんです」
かがみは、東京都の同人誌受託販売業者のいわゆる自主規制団体の顧問弁護士にもなっている。要請があれば、話し合いに出席するのは当然だった。
店主から相談料を受け取って事務所に戻ると、
「あっ、所長。ちょうどよかった。お電話が来ております」
机について、電話をとる。
「はい。お電話代わりました」
「柊先輩、お久しぶりっス。田村っス」
「あら、珍しいわね。会社で何かあったの?」
田村ひよりは、現在、アニメ会社のアニメーターをしている。
会社との間で何か法的トラブルでもあったのだろうか?
「いや、仕事は順調なんスけど、ちょっと趣味の方でですね。……まあ、今でもときどき同人なんか描いて、委託販売をお願いしてたりしてるんスけど……」
なんか嫌な予感がした。
「その関係で、なんか役所から通知とかいうのが来てっスね。まあ、いわゆる18禁指定ってやつを受けたみたいっス。私としては、18禁指定はちょっと心外なんで、柊先輩ならなんとかしてくれるかなぁなんて……」
やっぱりあれはひよりの作だったのか。
内心げんなりしつつも、口はひよりの言いたいことに対して答える。
「言っておくけど、その手の訴訟はほとんど勝ち目ないわよ」
「やっぱりそうなんスか……」
「あと、これ以上この件で話しするなら、相談料いただくわよ」
「厳しいっスね、先輩。そういうことなら、この話はもういいっス。お忙しいところ、すみませんした」
「田村さん」
ひよりが電話を切りそうになったところを呼び止める。
「なんスか?」
「あなたの趣味にとやかくいうつもりはないけど、友達を同人のモデルにするのはどうかと思うわよ?」
「うっ、なんで知ってるんスか、先輩!?」
「さっき、その件で受託販売の店主さんの相談に応じてきたところだったのよ。キャラがどっかで見たような感じだったから、まさかとは思ってたけど」
「どうか本人には内緒にしてほしいっス」
ひよりの声は懇願するかのようだった。
「タダというわけにはいかないわよねぇ」
「先輩! いつから悪徳弁護士になったっスか!?」
「冗談よ。本人には言わないけど、田村さんも少しは自重しなさい」
「できる限りは努力するっス……」
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最終更新:2010年05月01日 08:33