開演のブザーに続いて幕が上がった後、岩崎みなみは何故こうなってしまったのかを考えていた。
高校に入学して一年目だというのに、まさか文化祭で演劇をやる事になるとは予想していなかった。
それも、同じクラスの誰かが書いたオリジナルのストーリーでだ。
イメージに合っているという理由で主人公を押し付けられ、それでも任されたからには練習に励んだ。
しかし、舞台開演の一時間前、敵役の女生徒二人がアクシデントで怪我をした。
保険の先生の診断に寄れば軽い捻挫らしいのだが、これから舞台に立つ事は不可能らしい。
なにより、その役は主人公と激しいアクションシーンを繰り広げる相手役だ。
衣装のサイズが合う人間は、男だったり、別の役を既に持っていたりと代役は見つかりそうにない。
絶望とため息にクラスの全員が飲み込まれかけた時、『彼女達』は現れた。
「あれ……ゆーちゃん達のクラス、何かあったの?」
本番前に遊びに来たのであろう上級生にクラス中の視線が集中し、そこに希望の光を見つけた。
捻挫をした女の子二人と同じ背丈、同じ髪型。
みなみにとって直接の面識はなかったが、こなたやみゆきの知り合いであるらしい二人。
困り果てていた担任の教師は、藁にもすがる思いでその二人に頭を下げた。
急造の先輩たちに台本を暗記できるのかという不安はあったが、このままでは舞台は成立しない。
数十人からの期待を受けては断れるはずがないと、みなみは内心で同情した。
二人の先輩は舞台に上がることを承諾し、衣装の着付けをされながらストーリーの説明を受けた。
――かくして悪夢の舞台は始まる。
先輩の出番のない中盤まで、物語は練習と同じように進行した。
ヒロイン役のゆたかを連れて、みなみは舞台の端から端を移動する。
「みなみちゃん……私怖いよ……」
そう言って、自然な振る舞いで繋いできた手は汗ばんでいて、演技ではない緊張がそこから感じとれる。
無理もない。顔には出さないものの、みなみも同じ心境だった。
「……大丈夫……ゆたかは私が守」
みなみが台詞を言い終えるより先に、銃声の効果音が舞台に響いた。
今の台詞は、まだ一分近くの長さが残っている。
おそらく、緊張した音響係が間違ってスイッチを入れたのだろう。
仕方がなくゆたかは胸を撃たれた演技をして、床に倒れた。
想定外の事態にみなみはパニックを起こしかけるが、何とか冷静さを保つ。
問題ない。緊張からゆたかや私が台詞を間違えるよりは、ずっといい。と。
「……ゆたか?」
みなみが銃声後の次の台詞を口にすると、舞台袖から物音が聞こえた。
「あ、当たっちゃった………足元撃って驚かせるつもりが……」
その声はあまり大きくなく、完全な棒読みだったが不満はない。
たとえ今の言葉が観客に聞こえなかったとしても、その程度の逸脱は許容範囲内だ。
「…………」
みなみは銃を構え、舞台袖のほうを睨む。
そうして、そこからゆっくりと出てくる敵役に銃の狙いをつけ――。
気づいていたのは一人だけだった。
「みさちゃん危ない!」
場面転換の際に置き忘れられていた小道具は、踏んだみさおを転倒させる。
それを庇うようにして飛び出したあやのは、みさおを突き飛ばすような姿勢になった。
そう――勢いは殺しきれず、そのままみなみの構える銃口の目の前へと。
彼女はラストの場面で死ぬはずの役だ。
みなみは慌てて照準を変えようとしたが、無情にも一つの銃声があった。
他人のミスを責める気持ちはない。誰か一人が悪いわけでもない。
それでも、『撃たれた』あやのは倒れ、物語はまだ続いている。
舞台に仰向けになって倒れた彼女は、とても申し訳なさそうな顔をしていた。
「……あやの……」
つぶやいた声に慌てて顔を上げると、本来死ぬはずだった相手が居た。
みなみは咄嗟に銃の照準を合わせるが、すでに手遅れだった。
悪のボスはすでに死に、ここで退場するはずだった子分役が生きている事になってしまった。
「よくも………よくもあやのをやったなぁぁー!!」
待った、そんな台詞は台本にない。
そう思ったが、既にアドリブで話を終わらせる以外に手段はない。
緊急時にはアドリブで誤魔化すようにと決めていたが、まさかそれがこんなに早く訪れるとは。
みなみがそう考えていると、再び銃声の効果音が鳴り響いた。
「!」
アドリブに合わせた銃声と、舞台を駆け回る暴走状態の先輩。
連続するハプニングに思わず、みなみの手から銃がすべり落ちた。
「終わりだ!」
「……ゆたかの敵は……私が……取る!!」
みなみはゆたかの銃を引き抜くと、狙いも定めないうちに銃声の効果音が鳴った。
もう、音響係もまともに思考が働かなくなっているのだろう。
だが勢いさえあればなんでもいいのか、みさおは手を押さえながら銃を落とす。
「くっ!」
これで終わりか、そう思ったがみさおはナイフを取り出すかのような仕草をして突っ込んできた。
何の小道具も持っていないはずだが、観客席からではよくわからないと考えたのだろう。
こうなっては、普通に撃ち殺して幕、というわけにもいかない。
みなみは銃を捨てるとサバイバルナイフを取り出し、相手に向かって走り出した。
「お前ぇー!!」
「……ゆたかの敵!!」
「パァン!」
ナイフがぶつかりあう効果音は用意されておらず、代わりに銃声が鳴って舞台は締めくくられた。
最終更新:2007年07月10日 23:20