泉こなたの消失 第七章

……さて、どうしたものか。

私は今、ベッドで横になっている。

状況がよく分からない人のため、といっても誰一人状況を理解してる人などいないだろうが、
ここまでの経緯をちょっと説明させていただこう。

「やるしかない」と意気込んで立ち上がった途端である。
私の視界は、大きく揺れた。意識も飛んだ。気付いたら、私はベッドの上に倒れていたのである。
すぐに母さんが部屋に来てくれて熱を測ってみると、なんとまぁ三十九度七分。

結論、私は風邪をこじらせてしまったのである。証明終わり。

私の体を蝕んだ風邪菌を呪いたいが、呪ってばかりもいられない。私にも非がある。
あんな時間に風呂なんか入って、寒い部屋でボーっとしてたら風邪菌が喜んで侵略を始めるなんてことがなぜ予想できなかったのか。
くそ、油断した。幸いインフルエンザじゃないからよかったけど、これじゃどうにも動くことができない。
動きたい意志を脳に送り込んでも、脳の方が拒否反応を返してくるのだ。

つかさは心配そうな顔をして遅刻ギリギリまで私のそばに居てくれたし、
いのり姉さんも早く良くなるようにアドバイスをくれたが、
まつり姉さんだけは「そーやって汗かいたほうがダイエットになるんじゃない?」と言いながら鼻で笑って立ち去っていった。
母さんがすぐに薬を持ってきてくれて、さらに氷枕を用意してくれたお陰で、11時を回った頃には自力で動けるようになっていた。
さらば、風邪菌。次はまつり姉さんに取り憑いてくれ。できれば明日に。

腹いせのためにまつり姉さんの部屋に向けて大きく咳払いをしていると、携帯電話が鳴った。

『うぉーい、風邪かよ、柊ぃ~』

日下部からのメールだった。時計を見ると、ちょうど4時間目の真っ最中である。

『ちょっと、授業中じゃないの。しかも今世界史でしょ? 黒井先生に殴られるわよ』
『今まさに殴られた~。痛ぇよぉ~』
『馬鹿ね。私が黒井先生でも殴ってたわよ』
『柊が心配なんだよ~。私の愛ってものがわからないのか?』
『お前に“愛”なんて言葉は似合わん。別に私のほうも心配するレベルじゃないわよ。次殴られる前にとっとと携帯しまっとけ』
『みゅ~、折角ゲーセン行こうって約束したのになぁ~。プリクラ撮ったりしたかったぜ』

そうだった。昨日の放課後、日下部と峰岸とゲーセンに行く約束をしてたんだった。
こんなときに遊びに行くのもどうかと思ったが、突然日下部への対応を変えたら怪しまれる。仕方ない。
そういえば随分前に峰岸に聞いたことだが、日下部いわく「柊を釣るならゲームかスイーツ」なんだそうだ。
何かモヤモヤしてきた。明日一発殴ることにしよう。とにかく返事をしないと。

『悪かったわね。また今度行きましょ』

この返事を最後に、日下部からメールが来なくなった。
さしずめ、痺れを切らした黒井先生が鉄拳制裁+携帯剥奪という処置を取ったのであろう。アーメン、日下部。



それにしても、プリクラか……。修学旅行でこなた達と撮ったのが記憶に新しい。
『We love Kagami』なんて書かれてすごく恥ずかしかったけど、本当は嬉しかったんだよね。

どこにしまったっけ。確か机の一番見えやすいところに……。



――あった。

笑った4人の姿。こなた、つかさ、みゆき、私。あのときの思い出を間違いなく映し出していた。
こなたが一人で張り切って、何かの会社の本社まで行ったのよね。帰りが遅くなって、黒井先生に怒られたけど。
黒井先生に怒られる中で一人ホクホク笑っていたこなたの顔が浮かぶ。



――こなたの顔と共に、一つ疑問が浮かんだ。

何でプリクラにはこなたの姿が写ってるんだろう?

こなたが消失しているのであれば、ここに、こなたは写っていないと思う。
しかし、泣きボクロといい、アホ毛といい、写っているのはどこからどう見てもこなた。



こなたが昨日、夢の世界で私に語りかけた言葉が蘇ってくる。



勿忘草の咲く草原、ぽっかりと空いた空間。
そこに私の思い出が埋め込まれたとき、扉は開かれる。



――まさか。



鉛のように、いや、密度的にウランのように重い体を起こし、私は机に手を伸ばした。
目的は一つ、あの“しおり”である。

勿忘草とは、春に見られる植物。どこか悲しげな淡い青色をしている。
北原白秋がこの植物を詠んだ短歌を、現代文の授業で教わった記憶がある。

そう、勿忘草色とは、いわゆる「水色」のこと。
勿忘草の咲く草原とは、きっと、あの水色のしおりなのだ。
ぽっかりと空いた空間という言葉にも当てはまる。若干薄くなっていた部分を指しているに違いない。

そして、「私の思い出」――。
これは即ち、このプリクラ。
修学旅行、それだけじゃない、私たちの高校生活という思い出を集約したあの一枚なのだ。

しおりを手に取り、プリクラと見比べる。
やはりプリクラのサイズと、「ぽっかりと空いた空間」は一致しているようだった。

体が熱い。それが風邪によるものなのか、極度の緊張によるものなのか、そんなことはどうでもよかった。
私はそっとプリクラを剥がし、しおりに貼り付けた。



一瞬、何が起こったのか把握できなかった。



目の前が真っ白になった。



遠くから、何かが聞こえた。



それはどこか聞き覚えのある声。



だけど私の知っている声じゃない。



知ってるけど、知らない声。



私の知らない、こなたの声だった。











目を覚ますと、私は何もない、真っ暗な空間にいた。
真っ暗なだけで、本当に何もない空間。果てしない闇が私の眼前に広がっている。
声を出そうと口を開くが、耳には何も届かない。
喉は震えているが、音にはならない。

探るようにそろそろと足を踏み出すと、確かな地面の感触がした。
その感覚を頼りに一歩ずつ丁寧に歩みを進めると、何かにぶつかった。
視覚的には何か確認できないが、どうやらただの壁のようだった。

壁に沿って歩き出す。右手で壁の感触を確認しながら、一歩一歩。
どうやら熱は下がったらしく、体の気だるさは既に消えていた。
10分ほど歩いただろうか。どこからともなく、声が聞こえてきた。

「ぐすっ……。ひっぐ……」

誰かの泣き声。消えてしまいそうなほどに弱々しく、その泣き声だけで悲しみの程度が想像できた。
そして、私の左の方から、何者かが迫ってきた。

こなただった。
背丈は私の知っている者と一緒。でも、その姿はどこかみすぼらしく、もともと小さいこなたがより小さく見えた。
ふらふらと今にも倒れそうな歩みで私に近寄ると、そのこなたは私のスカートの裾を掴んで言った。

「もう、やめてよ……。お願い……お願いだから……」

私のことを涙目で見上げながら、時にしゃくり上げながら。
私はこなたに声をかけようとするが、吐息が漏れるだけで何も言えない。
それどころか、体も金縛りにあったかのように動かない。

「ねぇ、何で……? 何でこんなことするの……?」

何を言っているのかがわからない。私はこなたに何もしていない。
疑問に思う気持ちが沸く。その気持ちが徐々に不快感へと変わっていく。
そして――。





我に返ると、目の前にはうずくまるこなたが居た。
あれ? 一体何が起きたんだろう? なんでこなたはうずくまってるの?
右手に何か熱いものを感じる。見ると、手の平が赤くなっていた。
私の口が、意思に反して勝手に動き始めた。喉が震えて、声が出る。

「触らないで。二度と寄らないでちょうだい」

自分の心臓が大きく収縮するのを感じた。
何とんでもないこと言っているんだ、私は。詫びなくては。今のは私の言葉ではない。

「何でアンタなんかと仲良くしなきゃいけないのよ」
「アンタがそこにいると目障りなのよ」
「そんなにアニメやゲームが好きなら、二次元の世界にでも行けばいいんじゃない」
「その方がお互いのためになるわよ。消えて。早く」

矢継ぎ早に出てくる侮辱の言葉に、私は口を切り落としてしまいたい衝動に駆られた。

違う。違う。こんなの私の気持ちじゃない。私の気持ちなんかじゃない。

私の足が振りあがる。そして、こなたの頭を踏みつけた。
私の意志に反して、体はこなたを傷つけ、口はこなたを罵倒し続ける。
頭を押さえて呻くこなた。こなたを攻撃しながら、言葉でも暴力を振るう私。
私の心の奥にあった、この行動に対する抵抗心は徐々に薄れていき――





いつしか、“憎悪”へすり変わってしまっていた。





私の意志とは別に、体がこなたへの暴力をやめようとしない。
もっと蹴り飛ばして、もっと殴りつけて、その顔をもっとグジャグジャにしてやる。
そんな心が、私を支配していく。止める者など、ここには存在しない。
心の奥に住む「私」が今の「私」を制御しようとするが、叶わない。
こなたは何も言わず、ただ呻いている。私の暴力を受けても、何も抵抗しない。





私は、
心の底で、
こなたを、
鬱陶しく思い、
邪魔者に感じ、
できることなら、
消えてもらいたいと、
思っていた。





それが事実だった。





「アンタみたいな奴は、この世から消えてしまえッ!!」

右足が振りあがり、こなたの頭へ振り下ろされる。



そして――





私は――





地面を強く踏みつけた。





こなたは、私の傍から消えた。
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。