被った帽子の位置を、鏡と隣に置いた母の写真を交互に見ながら直す。
「…ん、こんなもんかな」
もう一度鏡の中の自分と、母の写真を見比べる。
「うん、いい感じ」
そう言いながら、こなたは満足そうに頷いた。
ピンク色の花があしらわれた、白くて大きな帽子。父の部屋を掃除してるときに見つけたそれは、母の形見の品だと聞かされた。『欲しいのなら、持っていっていいぞ』その父の言葉に、こなたは迷わず頷いていた。
鏡の中の自分を確認し、クルッと一回転してみせる。帽子にあわせて買った白いワンピースがふわりと舞った。
そのワンピースの裾がクイクイと軽く引っ張られる。こなたが見下ろすと、娘が親指を咥えながらこなたを見上げていた。
「ごめんごめん、ちょっと待たせちゃったね」
こなたは謝りながら娘を抱き上げた。
「よし、しゅっぱーつ」
そう宣言し、こなたは娘と散歩に出るために玄関へと向かった。
- 命の輪に問う -
娘を乳母車に乗せ門を出たところで、こなたは見知った顔に出会った。
「おや、かがみ」
「ういす」
片手を挙げて挨拶してくるかがみに、こなたは少し考えてからこう答えた。
「主人がいつもお世話になってます」
言いながら丁寧に礼をする。
「…いや、別に世話してないけど…」
かがみが呆れたようにそう言うと、こなたはまた少し考えてこう言った。
「ご主人様がいつもお世話になってます」
「いやいやいや、変な風に言い直すな…今から散歩?」
「うん、そうだよ。この辺りを少し回ってくるから、用があるなら中で待ってていいよ」
かがみは少し考えて、答えた。
「散歩、付き合ってもいいかな?今日は特に用があって来たわけじゃないし」
かがみの言葉に、こなたは微笑んで頷いた。
「…なにかな?かがみんや」
歩き始めてからしばらくの間、自分をまじまじと見つめてくるかがみに、こなたはそう聞いた。
「いや、ホント馬子にも衣装だなって…あんたそう言う格好も出来るのね」
「失礼だなぁ」
かがみの微妙な評に、こなたが不満げな表情を見せた。
「あはは、冗談よ。よく似合ってるわよ…格好だけ見てると、どっかのお嬢さんに見えるわ」
「お嬢さんねえ…母親っぽくは見えない?」
まだ不満そうにしているこなたが、かがみにそう聞いた。
「母親ねえ…背と体格が足りないかしら」
「そこに触れますか…」
こなたはがっくりと肩を落として、ブツブツと何かを呟き始めた。
「…雰囲気は母親っぽくなってるわよ」
「え、そう?…えへへ、ありがとう」
かがみのフォローに急に機嫌を直し、こなたは鼻歌など歌いだした。
「単純ねえ…」
かがみは呆れたようにため息をついた。
「ん?どうしたの?」
急にこなたがそう言って、乳母車を覗き込んだ。乳母車の中では、こなたの娘が何かを言いたそうにむずがっていた。
「…こっちに行きたいの?うん、じゃあ今日はこっちにしようか」
「え?今ので分かるの?」
かがみの目から見れば、赤ん坊がただぐずってるようにしか見えなかった。
「うん、なんとなくだけどね…ほら、機嫌よさそうだよ」
こなたに促されてかがみが乳母車を覗くと、たしかに赤ん坊は機嫌良さそうに微笑んでいた。
「はあ…大したものね」
かがみが感心したように呟く。
「ふふふ、母親っぽい?」
こなたがニヤニヤしながら、かがみにそう聞いた。
「こだわるわねえ…そうね、今の見てると、ちゃんと母親してるみたいね」
かがみがそう答えると、こなたは満足気に頷いた。
「なんでまた急にこんな格好しだしたのよ」
かがみが、こなたの被ってる帽子をクイクイと引っ張りながら、そう聞いた。
「こらー引っ張るなー」
こなたが文句を言いながら、帽子を押さえる。
二人が知り合った高校の時分から、こなたは活発な服装を好んでいた。私服は全部ズボンで、スカートなど制服かアルバイト先のコスプレ喫茶での衣装くらいでしか見たことなかった。
「この帽子、お母さんのだったんだって。それで、格好も帽子に合わせてみたんだよ」
こなたは、かがみがずらした帽子の位置を、片手で直しながらそう言った。
「家にあるお母さんの写真でね、こんな格好してるのがあったんだ。だから、ちょっと真似してみようと思ってさ」
そう言った後、こなたは小さくため息をついた。
「わたしはさ、お母さんを写真の中でしか知らないからね。だから、格好くらいしか学べるものが無いんだよ。子育てのことはお父さんに色々教えてもらえるけど、それはやっぱりお父さんであって、お母さんじゃないんだよね」
そこまで言ったところで、こなたは恥ずかしそうに頭をかいた。
「あー、わけわかんない事言ってるよね。最近考えること多くて、頭ん中ちょっとごちゃごちゃしてるかも…」
そのこなたを、かがみは少し苦笑しながら見ていた。
「確かに言ってる事は分からないけど、言いたいことは分かるわよ…なんて言うか、今のこなたは頑張ってるわね」
「頑張ってる?わたしが?」
かがみの言葉に、こなたが首を傾げる。
「うん、頑張ってる。頑張って母親やろうとしてる…それだけはちゃんと伝わってくるわよ」
そう言ってかがみは、こなたに微笑みかけた。それを受けて、こなたはまた恥ずかしそうに頭をかいた。
しばらく歩いた後、二人は目に付いた公園に寄って一休みすることにした。
ベンチに二人並んで腰掛ける。こなたは、乳母車から出した娘を抱きかかえていた。
ワンピースの胸元にあるリボンを掴もうとして、手を伸ばす娘を目を細めて見ているこなた。その様子を見ているかがみは、自然と自分の顔が綻んでいくのを感じた。
幸せそうだ。本当にそう思う。
そして、不思議な感じを覚える。高校の時は色々と馬鹿なことしてた彼女が、今は一児の母だ。
あの頃には思い描くことさえなかった光景。目の前にあるそれは、自分にとってはとても遠いものに思えた。
「…ねえ、こなた…母親ってなんなのかしらね」
「これはまた、難しい質問だね…」
こなたの問いに、こなたが困った顔をした。
「あ、いや、深い意味は無いんだけどね。その、なんて言うか…あんたがこうやって母親やってるのが不思議な気がして…」
「んー…」
こなたは少しの間、眼を瞑って考えていた。そして、目を開けて答える。
「分かんない」
「…そう」
「さっきさ、わたしが頑張ってるって言ってくれたよね」
「うん、言ったけど…」
「分からないから、頑張れてるんだと思う。自分なりにさ、お母さんってのがなんなのか…」
こなたはそこで言葉を区切って、娘の頭を撫でた。
「この子にとっての、ちゃんとした母親になれるかなって…分からないところを探りながらだから、頑張れるんだと思う」
「…うん」
高校の時と、背や顔立ちは全く変わってないのに、時折感じるこなたの大人びた雰囲気。かがみにはそれが羨ましくあり…少々、妬ましくもあった。
「…可愛いよね」
こなたはそう言いながら、娘の頭を撫で続けている。
「この子見てるとさ、頑張りはきっと報われるって思うんだ…喋れるようになってさ、『ママ』とか言ってもらえたら…最高に萌えれると思うんだ」
カクンとかがみの肩が落ちる。
「娘に萌えるなよ…」
「えー、普通萌えるでしょ?こんなに可愛いんだから」
そう言うこなたの顔は、いつもの人を食ったような笑顔だった。
「いや、普通の感覚がおかしいって…」
かがみは、心底呆れたようにため息をついた。
「ところでかがみ」
「ん?」
「そう言う事に気が向くって事は、今の彼氏と上手くいってるって事なのかな?」
これ以上は無いというくらいニヤニヤした顔つきで、こなたがかがみにそう詰め寄る。
「そ、そんなんじゃないわよ…か、関係ないでしょ」
「三人目だもんねえ。そろそろ決めたいよねえ」
「う、うるさい!どうでもいいでしょ!ほら、もう十分休んだでしょ!行くわよ!」
顔を真っ赤にして立ち上がり、そのままドスドスといった効果音が聞こえてきそうな足取りで歩き出すかがみ。
「…頑張れ、マイフレンド」
こなたはそう呟きながら、娘を乳母車に乗せる。
「さ、次はどっちに行こうか?」
そう娘に問いかけながら、こなたは乳母車を押して歩き出した。
- 終わり -
最終更新:2009年05月10日 22:24