とある日の放課後。
「あ、ゆたかちゃん」
ゆたかが下校しようと靴を履き替えていると、後ろから声をかけられた。
振り向いてみると、そこにいたのは先輩のつかさだった。
「今、帰り?みなみちゃんは一緒じゃないの?」
「あ、はい。みなみちゃんはまだ用事があるから先に帰ってって…」
「えーっと…わたしも今日一人なんだ。良かったら、一緒に帰らない?」
「はい、よろしくお願いします」
遠慮がちに提案するつかさに頷いて、ゆたかは急いで靴を履き替えた。
「じゃ、いこうか」
「はい」
玄関に向かう、つかさの後ろについていくゆたか。
前をいくつかさに、ゆたかはなんとなくだが違和感を覚え、つかさの足元を見た。
「…つかさ先輩。それ、上履きじゃ…」
「え?…あれ…は、履き替えてなかったー!」
顔を真っ赤にして自分の靴箱へと向かうつかさに、ゆたかは思わずクスリと笑ってしまった。
- 悪い子 -
「それでね、こなちゃんったら暑いからって、服とかスカートとかまくってノートでパタパタ風送ってたんだよ。電車の中で。あれは見てて恥ずかしかったなー」
「そうですよね。こなたお姉ちゃん、そういうの無頓着なんですよねー。この前、下着のまま家の中うろついてたんですよ」
「え、ホントに?…うわー、お父さんとかに見られたら、いくらこなちゃんでも恥ずかしいんじゃないかな…」
「いえ、伯父さんの前でも堂々としてました…」
ゆたかもつかさも、最初はお互い話しづらいと思っていたが、ネタの尽きない共通の知り合いのおかげで、思ったより話は弾んでいた。
「あ、この事言ったの、こなたお姉ちゃんには内緒にしといてくださいね。なんだか怒られそうで…」
「うん…でも、こなちゃんって怒っても怖くなさそう…っていうか、本気で怒ってるところ見たことないかな」
「そうですよね…かがみ先輩はやっぱり怖いですか?」
「うん、怖いよー。怒ったらこんなだもん」
つかさは両手の人差し指を頭につけて、鬼の角に見立てた。
それを見たゆたかがプッと噴出す。
「あはは、やっぱりそうなんだ…でも、ちょっと羨ましいです」
「え、どうして?」
「わたし、本気で怒られたこと無いんです」
ゆたかが少し寂しそうな表情になった。
「お父さんやお母さん、ゆいお姉ちゃんからも…少したしなめられることはあっても、本気で怒られるって今まで一度も…」
「それって、良いことじゃないのかな?」
「そうだといいんですけど…なんか気遣われてるんじゃないかって思って…わたしの身体が弱いから…」
「うーん…」
つかさは少し俯き、右手を顎に当てて考え込んだ。
しばらく考えて何かを思いついたのか、顔を上げてゆたかにこう言った。
「じゃ、試してみたらいいんじゃないかな。ちょっと悪い子になって、怒られるかどうかって」
「え?」
ゆたかはつかさと別れた後、泉家からだいぶ離れた公園に入り、ベンチに腰掛けた。
『わたしが一番怒られたのは、門限破った時だったよ。連絡無しで。だからさ、ゆたかちゃんもちょっと遅めに帰ってみたらどうかな』
そう、つかさに言われ、ゆたかはここで時間を潰していこうと考えていた。
「…ん…なんだか眠い…」
不意にゆたかは眠気を覚えた。少しならいいかと、ゆたかはベンチに座ったままウトウトとし始めた。
「…ふぁ…あ…あれ?」
ゆたかは目を覚まし、辺りをキョロキョロと見渡した。
少しウトウトするだけのつもりだったはずなのだが、いつの間にか寝入ってしまったようだ。
辺りはもう真っ暗になっている。ゆたかは慌てて携帯電話で時間を確認した。
「え…うそ…」
ディスプレイに表示されたのは、既に日付が変わろうかという時間。
それを見たゆたかの顔から、血の気が音を立てて引いていく。
「そ、そんな…ど、どうしよう…」
今から家に帰れば、確実に日付は変わるだろう。いくらなんでも、これは怒られるどころではすまないのではないか?
しかし、いつまでもここにいてるわけにはいかず、ゆたかは震える足で帰路についた。
「…もう遅いんだ。俺が行くから、こなたは家で連絡を待ってなさい」
「ゆーちゃんが何処でどうなってるかわかんないってのに、家で待ってなんかいられないよ!まだ見てないところいっぱいあるんだ!わたしも行くよ!」
ゆたかが泉家の傍まで来たところで、こなたとそうじろうが話しているのが聞こえた。二人とも相当焦っているのがわかる。ゆたかはしばらく進むのを躊躇ったが、意を決して二人の元に向かった。
「…あ、あの…」
「ゆーちゃん!良かった無事なんだね!?」
ゆたかが何か言うよりも早く、ゆたかに気がついたこなたが駆け寄ろうとしたが、後ろからそうじろうに服を掴まれ止められた。
「ちょ、お父さん何するの…」
「ゆーちゃん、とりあえず中に入ろうか」
「…はい」
そうじろうに促されて、ゆたかは家の中に入った。その後に、そうじろうと憮然とした表情のこなたが続いた。
居間に入ると、そうじろうはゆたかをテーブルに座らせ、自分がその向かい側に座った。
「こなた。少し外してくれ」
自分もこの場にいて、ゆたかに話を聞きたかったこなたは、そうじろうの言葉に驚いた。
「ええ、なんで!?わたしだって…」
「いいから…それと、ゆいちゃん達に連絡も頼む」
「う…分かったよ…」
渋々と言った感じで、こなたが居間を出て行った。こなたが階段を下りていく音を確認して、そうじろうはゆたかに向き直った。
「さて、ゆーちゃん。何があったんだい?」
「………」
ゆたかは何も言わず、俯いていた。正直、どう説明していいか分からなかったのだ。
「…なにか理由があったんだろ?こなたもゆいちゃんも随分と心配してたんだ。ちゃんと話してくれないか?」
まだ、何も言わないゆたかに、そうじろうはため息をついた。
「…それじゃ、話す気になったら言ってくれ。今日はもう寝なさい」
「…それ…だけですか?」
立ち上がるそうじろうに、ゆたかは思わずそう呟いていた。
「理由を言ってくれないことには、これ以上何も言えないよ…」
「…怒らないんですか?…わたし、悪いことしましたよ?」
そうじろうは眉をしかめた。
「怒るだけの理由かあれば、そうするよ…」
「理由なんてない!」
ゆたかは顔を上げ、大きな声を出していた。
「…ゆーちゃん?」
「理由なんかない…ただ、悪い事やろうとしてやっただけだんだよ!?なのにどうしてこれだけで終わったちゃうの!?」
心の奥底から、嫌な感情が湧き上がってくるのが分かる。ゆたか自身も気付かないうちに溜まりこんでいたモノが、一気に噴出していた。
「みんなそうだ…いつもそうだ…わたしが弱いから怒れないんだ!可哀相な子だからって怒ったりしないんだ!わたしが…わたし」
ゆたかの声を遮って、パンッと乾いた音が居間に響き渡った。
ゆたかは最初何をされたのか分からなかったが、数秒してそうじろうに頬を張られたことを理解した。
「…いい加減にしなさい。誰もそんなこと思ってなんかない」
ゆたかは張られた頬を押さえ、放心していた。
そうじろうはゆたかの傍を離れ、居間の扉を開けた。
「…こなた、後頼む」
「え?…あ、うん…」
扉の向こうで聞き耳を立てていたこなたにそう言うと、そうじろうは居間を出て行った。
「なんだ、バレてたのか…」
ポリポリと頭をかきながら、こなたが居間に入ってきた。
ゆたかは、未だに頬を押さえて放心していた。
「ゆーちゃん、大丈夫?」
こなたがゆたかに近づきながら声をかけると、ゆたかはゆっくりとこなたの方を向いた。
「…伯父さん、怒ってた…怒られた…」
そう呟いて、ゆたかは頬を押さえている手を離した。こなたが張られた箇所を覗き込むように見た。
「結構強く叩かれたね…こりゃ明日ちょっと腫れるかも」
「お姉ちゃん…わたし…」
「どういって言いかわかんないけど、ゆーちゃんはちょっと考えすぎかな」
こなたがゆたかの頬を軽く撫でた。
「お父さんが手を上げるところ、久しぶりに見たよ…結構痛いでしょ?」
そうこなたに言われて、ゆたかは今頃になって頬の痛みを感じた。
「…うん、痛い…すごく痛い…」
涙が溢れてくる。ゆたかはこなたに抱きついて、泣きじゃくり始めた。
こなたはゆたかの頭を撫でながら、ゆたかが落ち着くのを待った。
「…今日は遅いから、もう寝よっか?」
ゆたかの泣き声が小さくなってきた頃に、こなたがそう言った。
「…うん…ごめんなさい…こなたお姉ちゃん…」
呟くゆたかに、こなたは頷いて見せた。
「うあー…やっちゃったよ、俺…」
「そんなに激しく後悔するんだったら、もちっと冷静になりゃ良かったのに…締まらない人だなあ…」
ゆたかが寝たことを報告しに、そうじろうの自室に来たこなたは、机に突っ伏して頭を抱えているそうじろうを発見した。
「そうは言ってもだな、こなた…なんつーか流れっつーか…」
「はいはいっと…でもなんか、わたしがお父さんに叩かれた時にちょっと似てるかな」
「ん、そうだっけか?…つーか叩いたことあったっけか?」
顔を上げてそう言ったそうじろうの言葉に、こなたが思い切り呆れ顔になる。
「うわ、忘れてるよ…小学生の時に今日と似たような事あったじゃん」
「そう言われてみれば、そうだったかな…」
「あの時のわたしと今日のゆーちゃんは、多分同じだったんだよ…自分は人より可哀相な子だから、誰もまともに自分を見てくれないんだって」
「…そうか…そうだったな」
そうじろうは、ため息をついた。
「分かってるつもりでも、分からないもんだな」
「だねー…特にゆーちゃんは良い子過ぎるから、怒るところなんて見つからないしね」
困り顔でそう言うこなたに、そうじろうが頷く。
「流石に遅いな…そろそろ寝るか」
「うん、おやすみお父さん」
「ああ、おやすみ、こなた」
翌日、いつもの待ち合わせ場所に来たゆたかは、先に来ていたみなみに手を振って挨拶をした。
「おはよー、みなみちゃん」
「…おはよう、ゆた…っ!!??」
ゆたかの方を見たみなみは、ゆたかの頬に貼られてる大き目のシップを見て、大きく目を見開いた。
「な、な、何!?どうして!?き、昨日何かあった!?」
普段のからは考えられないほどの慌てぶりで、みなみがゆたかにまくし立ててくる。
「お、落ち着いて…」
そのみなみを、ゆたかが両手で制した。
「帰り!?帰り道!?先に帰したから!?用事すっぽかして一緒に帰ったらよかった!?」
しかしみなみはゆたかの声が聞こえていないのか、手をわたわたと動かして更にヒートアップしていた。
「…うわー、みなみちゃん千手観音みたい」
あまりに速いために、何本もあるように見えるみなみの手を見て、ゆたかが感心していた。
「あのね、みなみちゃん。何にもないから。ただ、悪いことして怒られただけだから、ね?」
ゆたかが大きめの声でそう言うと、ようやくみなみの動きが止まった。
「…え、怒られた?ゆたかが?」
「うん」
「…悪いことして?ゆたかが?」
「…うん」
「………」
ポカンと口をあけて呆気に取られているみなみに、ゆたかは不安を覚えた。
「えっと…変、かな?」
「…ううん、なんていうか…珍しいっていうか…うーん…」
真剣に考え込み始めたみなみを見て、ゆたかはなんだか可笑しくなってきた。
「うん、やっぱり悪い事はダメだよね…痛かっただけだもん。行こ、みなみちゃん。遅刻しちゃうよ」
そう言いながらゆたかは、みなみの背中をポンッと叩いて歩き出した。
「…え?…あ、うん…」
みなみは首を捻りながら、ゆたかの後に続いた。
「ういーっす。お昼食べに…って、おお!?」
昼休み。こなた達のクラスにお昼ご飯を食べに来たかがみは、机に座って弁当を広げているつかさを見て三歩ほど後ずさった。
「…な、なに、それ?」
少し引き気味になりながら、かがみが指差したのはつかさの頭。そこには、いつも愛用している黄色いリボンの変わりに、派手にキラキラ輝いている虹色のリボンが乗っかっていた。
「昨日、小早川さんに何かあったらしくて、その原因がつかささんだとか…」
みゆきがかがみにそう説明した。
「ま、そう言う事。つかさには今日一日それで過ごして貰うよ」
こなたがチョココロネの袋を破りながら、得意気にそう言った。
「ふえーん。こなちゃん、もう許してよー。みんなにはなんか噂されてるし、先生は白い目で見るし、恥ずかしいんだよー」
こなたの身体を揺すりながら泣き言を訴えるつかさを、かがみは呆れた顔で見ていた。
「…ま、つかさが悪いって言うなら、特にわたしからは何にも言えないけどね」
かがみは、ため息をつきながら席に座って、弁当を広げ始めた。
- おしまい -
最終更新:2009年04月07日 20:50