ID:MM58nUo0氏:その笑顔は誰がために

 誰がために笑うのか?
 そう聞かれたならば、成美ゆいは躊躇なくこう答える。
 自分のためさ。





 とある病院の一室。
「やほー、ゆたか。来たよん」
 いつものように笑顔で部屋に入る。
「お姉ちゃん、いらっしゃい」
 ゆたかも笑顔でそれを迎える。
 私が笑顔でここに来るのは、自分がそうしたいから。
 ゆたかが笑顔で迎えてくれるのは、誰のため?
 私のためにそうしてくれるのならば嬉しいし、ゆたか自身のためであるならばそれでもいい。結局のところどちらでもいいのだ。
「今日は調子いいみたいだね」
「うん」

 ゆたかが出産後に病院を移されてから5週間がすぎていた。
 ろくに食事もとれない状態なので、腕には点滴の針が刺さっていた。
 病室はゆったりとした個室で壁は防音仕様。多少騒いだところで、周囲に迷惑になることもない。
 当然かなり値がはるんだけど、そこは私が公僕の給料で何とかしていた。金は使うべきときに使わないと損だ。

 二人でたわいもない話をする。
 結構な時間がたったころに、来客があった。
「お義姉さん、こんにちは」
 ゆたかの旦那さんだ。
 腕には、赤ん坊が──ゆたかの娘が抱かれている。これがまたゆたかに似て可愛い。
「こんちは」
「ゆたか、今日は調子がいいみたいだね」
「うん」
 ゆたかが、旦那さんから娘を抱き取った。
「いい子にしてたかな?」
「あう、あう」
 ゆたかも赤ん坊も、笑顔が輝いて見えた。
「さて、私はそろそろ帰るかな」
 椅子から腰をあげる。
「えっ? お姉ちゃん、帰っちゃうの?」
「家族団欒を邪魔するほど、私は野暮じゃないよ」
「別にいいのに」
「私がいると、旦那さんに甘えられないでしょ?」
 私がそう笑いかけると、ゆたかは顔を真っ赤にした。
 そんなゆたかを残して、私は笑いながら病室を後にした。



 そんな日々が続く。
 ゆたかの病室で鉢合わせるのは、旦那さんだけじゃない。母さんや父さんはほぼ毎日のように来ていたし、こなたやそうじろうおじさんもよく来ていた。
 ゆたかの親友みなみちゃんも頻繁に来ては、旦那さんがよく嫉妬しないものだと思うほどの仲のよさを見せ付けてくれた。
 ひよりちゃんやパティちゃんも仕事の合間を見つけては来てくれていた。
 私は、ゆたかのためではなく、自分が会いたいから会いにいく。それは昔から変わらない。
 ゆたかのために会いに来てくれる人もいるだろう。それはそれでいい。人それぞれだ。
 ゆたかは、そのすべてを笑顔で受け入れてくれるから。

 正直、ゆたかが回復する可能性については、客観的に見れば低いというのが現実だった。
 警察官という職業柄、物事を楽観的に予測するということはしない。まあ、それを態度に出すことはしないけどね。
 かといって、必要以上に悲観するわけでもなく、いつもとほぼ変わらぬ日常を過ごしていた。
 もちろん、ゆたかの回復を心から願ってはいる。しかし、それがかなうかどうかなんて分からない。
 どんな願いも、かなうこともあればかなわないこともある。ただそれだけだ。



 ある日。
 私は、埼玉県警本部交通部交通規制課の課長席で、どうでもよさそうな書類仕事を片付けていた。
 ヘラヘラ笑いながらノリだけで生きてる私を課長にするなんて、埼玉県警大丈夫?って思っちゃうけどね。
 正直向いているとは思わない。現場の方が性に合う。交通畑一筋の経験の中でも、高速道路交通警察隊時代が一番楽しかった。「制服を着た暴走族」なんて異名をいただいちゃったりしてね。
 まあ、部下がそれなりにできた人たちだから、こんな私でも何とかやっていけてる。

 たいして中身も読まずにポンポンとハンコを押していたところに、電話が入った。
 父さんから、ゆたかの容態が急変したとの連絡だった。
「うん。今から行くよ」
 電話を切ると、私は公務用の携帯電話を充電器から取り外してポケットにねじ込んだ。充電器も忘れずにカバンに詰め込む。警察官として奉職して以来、これだけは忘れたことがない。
 部下に言い残す。
「妹の容態が悪化したから、ちょっと抜けるよ。そのまま忌引になるかもしれない。休暇処理はあとでするから」
「了解です」
 その声を背中に受けつつ、私は足早に職場を去った。

 ありとあらゆる交通法規を遵守しつつ病院まで突っ走り、慌てず走らず急いで病室に入ったときには、すべては終わっていた。
 父さんと母さんと旦那さんとゆたかの娘、そして、私の娘(親のところに預けてある)。それが、ゆたかの死を見取った人たちだった。
 父さんも母さんも旦那さんもぐだぐたに泣きぬれてた。
「お母さん、おばさんが……」
 私は、黙って娘の頭に手を置いた。
 そして、ゆっくりとベッドに近づく。
 ゆたかの死に顔は、笑顔だった。
 その笑顔が誰のためであったとしても、残された者たちにとっては、いくばくかの救いであることは確かだろう。
「母さん、ゆたかは最期になんて言ってた?」
 泣き濡れつつも、母さんは答えた。
「幸せだったよ、って……」
「かなたおばさんと同じか……」

 あの人も天使みたいな人だったけど。

 そのあと、私は精力的に動いた。
 旦那さんも両親も、ずっと泣きっぱなしでまともに動けるような状態ではなかったから。
 なすべきことがある間は、なすべきことをなしている間は、泣かずにすむから。
 ゆたかの葬式が終わるまでは、完全にお別れになるそのときまでは、笑っていたい──そう望む自分自身のために。
 職場に連絡し一週間は出れないと告げ、きよたかさんにも連絡をとる。親戚・知人にも一通り連絡する。
 そして、死亡届とかのもろもろの手続をしつつ、通夜・葬式の手配をした。
 具体的な段取りは葬儀屋さん任せにした。それが一番楽でいい。



 通夜の日。
 通夜までにはまだ時間があったから、外の空気を吸いに葬儀場から出ると、雪が降っていた。埼玉県じゃ、今時期にこれだけの降雪量は珍しい。
 それを見て、ふいに思い出した。
「なんてこった。今日はゆたかの誕生日じゃないか」
 小さいころは、自分の誕生日に雪が降ったら、ゆたかは笑顔ではしゃいでいたものだ。

 通夜は滞りなく行なわれた。
 お坊さんがお経をあげて説話をすれば、あとは夜を明かすだけだ。
 黙っている人は黙っていて、泣いてる人は泣いていて、騒がしい人は騒がしい。私がどれかなんていわずもがなだよね。
 語って笑って夜を明かす気満々だった私だけど、ポケットの中で何かが震動したのに顔をしかめた。
 震動しているのは、公務用携帯電話。
 この二日間だけは着信があってほしくなかった──その願いはかなわなかった。

 フロアに出て、通話する。
「もしもし」
『こんなときにすみません』
 部下からだった。
「いいよ。何かあったかい?」
『そちらにテレビありますか?』
 フロアの一角にテレビがあった。
「あるよ」
『NHKをつけてください』
 テレビをつけると、そこに映し出されたのは交通事故の現場だった。
 テロップには「埼玉県の国道で100台以上の多重衝突事故」とあった。
 どんな事故も、時を選んで起きてはくれない。
『県警本部に対策本部の設置が決定されました。交通部と各警察署交通課の全職員に取得済休暇の取消しと非常招集命令がかかってます、成美課長を除いて。部長は、判断を任せると言ってますが』
「部長も随分と温情家だね」
『いかがなさいますか?』
 天は私に泣ける時間を与えてくれる気は当面ないようだ。
 それならそれでもいい。そんな時間は、あとでいくらでもあるだろう。
「私も行くよ。部長も各課長も悪い人たちじゃないけどさ。キャリア組のボンボンじゃ、修羅場の統制なんて無理でしょ」
『迎えの車をやります』
「いや、いいよ。覆面パトカー用の赤色回転灯があるからね。自分の車でサイレン鳴らして突っ走ってくさ」
『勝手に持ち出したんですね? 駄目じゃないですか。バレたら、処分ものですよ』
「固いことはいいっこなしだよ。今はそれどころじゃないでしょ?」
 勝手に持ち出したことは事実だけど、私用に使ったことは一度もない。緊急時の参集は公務のうちだ。バレても何とか言い訳はつくさ。
 部下の溜息が聞こえた。
『今のは聞かなかったことにしますので、早く来てください』
「物分りがよくて助かるよ。それでこそ、私の部下だ」
『上司の薫陶が行き届いておりますので。でも、内部監査のときまでには戻しといてくださいよ。あいつら、細かいことにいちいちうるさいですからね』
「了解」

 電話を切り、会場に戻った。
 きよたかさんを見つけて、話をする。
「ごめん。仕事が入っちゃったから抜けるよ」
「分かった。みんなには話しておくから」
 きよたかさんとは、それだけで通じる仲だった。
 私が喪服ではなくあえて警察の制服を着てこの場に臨んでいることの意味を、きよたかさんはよく理解してくれていた。

 祭壇の前までいく。
 みんなと一緒にお別れはできないから、今ここでしなければならない。
 いつも変わらぬ笑顔を、ゆたかの棺と遺影に向ける。
「ごめんよ、ゆたか。お姉さんだけ先にお別れだ」
 ゆたかはどう思っているだろうか。笑って許してくれるか、それとも、むくれてるか。
 どちらであっても、結局のところ、私のなすべきことに変わりはない。

 さようなら、ゆたか

 声に出さずにそう告げて、私は背を向けた。
 二度と振り向くことなく、その場を足早に去った。





 遺影の中のゆたかは、その後姿を天使のような笑顔で見つめていた。
 その笑顔は誰がために?
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