ID:1jRxjss0氏:Merry-go-round

 寒い。これ以上ないくらい寒い。
 私は仕方なく自宅へ引き返し、姉が残していったコートを羽織って家を出直した。



 Merry-go-round



 鏡を見るまでもなく、自分でも滑稽な格好だと思う。自分より遥かに背の高い姉が小学生の頃に着ていた服を、何が悲しくて二十歳を越えた私が着なければならないのだろう。それだけ私の背が低いということだ。
 救いがあるとすればその色で、20年前に姉が子供っぽくないグレーを選んでくれていたことに感謝しなくてはならない。
 私も必要以上に服装に気を使わないほうだとは言え、無頓着なわけではない。どうしても体質的に実用重視になってしまって、華やかじゃない日もあるけれど、それなりのこだわりはあるのだ。いつまでも子供服を着ているというのもどうかと思う。

 みなみちゃんに話したらどんなリアクションをするだろう。あの人はフォローがうまいから……かわいいとか、言ってくれるかもしれない。
 でもフォローが思いつかなかったら……また赤面してあたふたするんだろうな。見てみたいとも思うけれど……やめておこう。無茶な話だ。いつも自分の体格と趣味に合った服を探すのに四苦八苦していることだって、みなみちゃんには言ってなかったのに。
 今年の夏頃にこなたお姉ちゃんの入れ知恵でいたずらを仕掛けた時は酷かった。ドッキリだと気づかなかったみなみちゃんは、昼ドラ顔負けのドロドロのシナリオを信じ込んでしまったのだ。あの時は申し訳ないことをした。
 料金所のお金を返すと言っておきながらまだ彼女は返さない。別にしつこく取り立てる必要もないけれど。

 田村さんなら?私が二十歳になった時に、こなたお姉ちゃんとグルになってサプライズパーティーをしてもらったことがある。雪の深い日だったことを覚えていた。パティちゃんは実家に帰っていたし、みなみちゃんは仕事で戻って来られなかった。だから2人は、いつの間に描いたのか、私をキャラクター化したイラストをプレゼントしてくれた。これが自分で見てもたいそうよくできたキャラクターで、自分はここまでかわいかっただろうかと疑いを持ってしまうほどだった。
 田村さんは大学に上がってから、お姉ちゃんの(というか、おじさんの)家に頻繁に出入りするようになっていた。楽しそうだから構わないけれど、一体何の仕事をしていたのか。今思うにたぶん、お姉ちゃんのライトノベルの挿し絵を書いていたのだと思う。出版社に持ち込んでいたかどうかは知らない。

 私の地元というのは、どうしてこう、何もないのだろう。大きな買い物をするのに電車が必須なくせに、その駅まで行くのにクルマが必須とは。
 私はフィアット・バルケッタに乗り込み、かじかむ手でセルを回した。最近は……いや、かなり前から、キーレスのエンジン始動もできるらしいけれど……私のクルマにはリモコンキーさえありはしない。日本車を買えば良かったかな。
 でもこのバルケッタはすごく気に入っているから、しばらくは手放したくないし、出来れば壊れるまで乗り続けたい。メンテナンスはゆいお姉ちゃんと同じ店に一任しているけれど、燃費が落ちすぎたら見切りを付けなければならない、かもしれない。エコ替え、っていうやつかな。昔は流行ったけれど、今はもはや流行を通り越して常識になってしまった。
 なんで買ったんだっけ……。そうだ、お姉ちゃんが勧めてくれたんだった。致命的に優柔不断というか、とにかく右も左も分からない私にクルマを選んでくれたのが、こなたお姉ちゃんと、そしてゆいお姉ちゃんだった。
 今思えば、こなたお姉ちゃんはクルマに詳しかっただろうか?かつてはそれほど興味がなかったような気もするけれど……誰でも一生に少なくとも一度、自分のクルマを買う時くらいは勉強するのかもしれない。ゆいお姉ちゃんもいたことだし、或いはあのおじさんに何か叩き込まれている可能性も大いに考えられる。いずれにせよ、きっと何かしらの知識は持っていたのだろう。

 今日は雪が降っていた。粉雪と言うには降りすぎているけれど、豪雪ではないからスタッドレスがあればバルケッタでも何とか走ることはできる。この山奥では雪が積もる日というのもさほど珍しくはないので、逆に雪が降らない日がラッキーだと思ってしまう。幸手なら雪が降ればみんな喜んでいたけれど、それはやっぱり育ったところが違うからなのだろう。
 いつもは雪が降ればお姉ちゃんのインプレッサを借りていた。正直言って、どう見ても私には車格が大きすぎるし、いろいろと凶暴すぎるように思うのだけれど、とにかく四輪駆動だから雪の日に限って言えば乗りやすかった。バルケッタでは心許なくても、インプレッサなら余裕を持って運転できた。
 なのに、この雪にもかかわらず、私はバルケッタに乗っていた。そして、今から私は、西武秩父駅に実姉を迎えに行こうとしているのだ。
 それは実に間抜けな理由による。

「ごめーん!わざわざかわいい妹に迎えなんか頼んじゃってさ!大丈夫?生きて駅まで来られたぁ?」
 姉はそう言いながら、助手席側のドアをバタンと閉めた。軽く酒に酔っているようにも見えるが、この顔はシラフだ。
「うん、何とかね……で、お姉ちゃん、インプレッサは結局どうなるの?」
「うーん、もうフレームまでイっちゃったから……普通に考えたら廃車だけど、とりあえず部品取りのために手元においとくよぉ」
「部品取りって……まだ使えるの?」
「部分的にはね。駆動系統はまだ多少使えるんじゃない?エンジンは結局変わってないんだし」
 そう、姉は、愛車のインプレッサを先日のラリーで全損させてしまったのだ。幸いにして姉には怪我ひとつなかったが(これはまさに奇跡的だった)、フレームが歪んだ状態で運ばれてきたインプレッサは、それはもう悲惨な状況であったらしい。
「ま、今度は中古で適当なインプ探すからさぁ、何とかなるよぉ」
「いや、インプレッサ云々じゃなくて、お姉ちゃん自身だよ、問題は」
「私自身?」
「こないだの事故に限らず、ラリー自体が命を危険にさらしてるってこと、分かってる?ゆみちゃんだってきよたかさんだって、私やこなたお姉ちゃんだって、お姉ちゃんにもしものことがあったら黙ってられないんだよ?」
「ゆたかぁ……」
「今回はたまたま怪我がなかったから良かったけど、いつなんどき何が起こるかも分からないんだから……ゆみちゃんを母親のいない子にしたくないでしょ?」
 私は卑怯なやり方を使った。本来、小早川家の中で人が死ぬ話をすることはタブーだからだ。それは若くして亡くなった私達の叔母のことがあるからであり、また私自身、幼い頃に死線を彷徨った過去があったからでもあった。
「そりゃもちろん、きよたかさんとゆみのことは大事だけどさぁ……」
「お姉ちゃんがクルマが好きなのは、私も素人なりに理解してるつもり。このバルケッタだってお姉ちゃんのつてで買ったんだから。でも、クルマの運転が好きだってことは、何もラリーやレースに限ったことじゃないと思うんだ」
「そんな……ゆたかが思うほど簡単には死なないよ」
「うん、昔に比べたらそうだと思う。私も気になってラリーについて色々調べたけど、最近は確かに安全にはなってるみたいだし。でも、そういう問題じゃないよ。お姉ちゃんにはもっと、自分を大事にして欲しいんだ」
「自分を大事に……する?」
 姉は私の意図を確かめるように聞き返す。私は運転に集中しているから余所見をすることはできないけれど、身内であるがゆえに、そういうリアクションをとっていることは手に取るように分かる。
「昔は、私と違ってアクティブでパワフルなお姉ちゃんがうらやましかった。憧れていたと言ってもいいかな。私にないものを、お姉ちゃんは全部持ってた。私なら手に入れる前に息が切れているだろう、と思っても、お姉ちゃんはしっかりとそれを掴んでた。それは今のお姉ちゃんが何よりも確かな証拠だよ。でもそれが、今のお姉ちゃんを少しずつ蝕んでる。」
「私を蝕むって、そんな大層なこと、」
「大げさかもしれないけれど、今のままのお姉ちゃんじゃ、きっと周りがいつか不幸になる。お姉ちゃんには守るべきものも、待ってくれる人もいるんだから。だから、そんなわざわざ命賭けるようなことしないでよ」
「うん……ごめん」
 私は何とか姉を説き伏せた。やり方が汚かったかもしれない。でも、もうこれ以上、姉が無茶をするのを見ていたくなかった。半分は私のためだと知っていても、こうやって私の分まで頑張る姉を見ているのがつらかった。

 私のクルマは相変わらず地方都市の市街地を走っている。交通量が多いおかげでほぼ完全に雪は溶けてしまい、雪の敷き詰められたアスファルト舗装は普通の濡れた路面と変わらないくらいに回復していた。
 小さな街はクリスマスに向けたイルミネーションで、やりすぎなくらいにピカピカと光っている。私が高校2年の時の世界恐慌から7年近く経って、何とか日本経済は再び軌道に乗り始めていた。もっとも、どんなに不景気だって、このイルミネーションだけはご丁寧に過剰点灯されるんだろうけれど。

「ねぇゆたか」
「……何?」
「ゆたかが4歳くらいの頃かな、家族で大宮のテーマパークに行ったのは覚えてる?」
「行ったのは知ってるけど、自分では覚えてないよ。小学校入るまでの記憶って、もうあんまりないし……」
「そっかぁ……」
 姉は窓の外に目線を投げ出して、小さく溜め息をついた。
「いや、ゆたかの話聞いてたらさ、何か、昔のことを思い出してねぇ……。閉園時間ギリギリに、ゆたかがメリーゴーランドに乗ってたんだよ。『もう帰るよ』って、お父さんもお母さんも呼んでるのにさ、ゆたかったら、どうしてもあのメリーゴーランドに乗るんだー!って、珍しく駄々こねちゃってさ」
「……それ、本当なの?」
「本当だって!お父さんもお母さんも、ゆたかは私と違って滅多にわがままなんて言わないの分かってたからさ。たまのことだからって、快く送り出してくれたんだよね」
「……なんで突然そんなことを?」
 今の私の話と過去のエピソード、いったい何の関係があるのか、私には分からなかった。
「だからだねー、私が思うに、今の私は昔のゆたかと一緒で、駄々こねてる子供だったのかな、って。だから、『もう帰ろう』って言ってくれる人がいる私は、きっと幸せもんなんだって思ったのさ!今になって思えば、きっと最初から呼んでくれてたんだろうけどさ、私は鈍感だから気づかなかったんだよね」
 私は姉の言葉に答えなかった。こんな時に答えるべき言葉なんてあるのだろうか?当然、そんなことは学校の授業では習わなかったし、大学のゼミでもそんな話は出なかった。
 でも今思うのは、こういうシチュエーションでいったい何を話せばいいのかを、誰かが教えてくれたらどんなに楽だろう、ということだった。
 そうだ。待ってくれる人がいるから頑張れるのだろう。と同時に、自分を大事にすることもまたできるのだ。無鉄砲で後先を考えない努力は、待ち人のいる人がやるべきことではないのだから。

「ねぇ、ゆたか」
「……何?」
「このクルマ、あとどれくらいガソリン残ってる?」
「ん……昨日入れたから、ほとんど満タンかな」
 助手席からではフューエルメーターは見えない。でも、満タンなのは本当だった。
「じゃあ、ちょっと運転変わってよ」
「なんで?」
「そこらの山にでもドライブ行こうよ。久々にお姉さんのドラテク見せてやる!」
「お姉ちゃん……私の話聞いてた?」
「大丈夫!飛ばさないしドリフトもしないって!本当に何もしないからさぁ……」
「分かったよ……」
 私はハザードを点灯させて、路肩にクルマを停めた。私が一度クルマを降りて右側から乗り込み直すや否や、私の赤いバルケッタは奥秩父のマウンテンロードへと突っ走り始めた……。
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