ID:I7xalJE0氏:for myself

「いってー、すりむいちったよ」
「大丈夫?みさちゃん」
「すり傷だとは思いますが…保健室に行きましょう」
「痛そう…だね。はぅ~、血でてるよ」
「ったく、あんたたち勝負するにしても限度ってもんがあるでしょうが!チアの前に怪我でもしたらどうすんの」
「ごめんね。みさきち」
「いいって。こんなこと部活してたら日常茶飯事だぜ」

体育の授業中のことである。
今日の体育はサッカーだった。
普段から怪我には気をつけているのだが、ちびっこと対戦前どっちのチームが勝つかで賭けをしたのが間違いだった。
思わず白熱して私とちびっこは本気になってしまい、私が陸上部で鍛えた走力で、強引に突破したところで、必死に止めにきたちびっこのスライディングに引っかかってしまい派手に転んでしまったのだ。
そのため私は授業を抜け出してめったに使わない保健室に来ることになってしまった。

「失礼しまーす」

保健室に入ると天原先生がいた。
私は保健室を使うことはほとんどなかったけど、担任の桜庭先生とよく一緒にいる天原先生とはそれなりに交流はあった。

「あらあら、珍しいお客さんね。ちょっと待っててね」

どうやら先客がいるようだ。
先生は奥のベッドの方に入っていく。
ってあれ?あの子って…確か…
小早川ゆたか
柊に誘われたチアのメンバーの中で見かけた、ちびっこ以上に小さい女の子がいた。

しばらくして先生が戻ってきた。
「ごめんなさいね。お待たせして…ちょっと見せてね……ただの擦り傷みたいね。消毒しt」
ピンポンパンポーン…
『天原先生、至急職員室までお願いします』

「あら、どうしましょう?」
「私、自分でもこの程度のけがの処置ならできますから大丈夫ですよ」
「そう?じゃあごめんなさいね」
天原先生はそう言い残すといそいそと保健室から出て行った。

私は早速傷の手当に取り掛かった。
これぐらいの怪我は小さい頃から日常茶飯事だったから手慣れている。
え~っと、オキシドールは…
「あの、大丈夫ですか?」
ベッドの上からさっきまで寝込んでいたはずの小早川ゆたかが話しかけてきた。
「ああ、ただの擦り傷だから…それより、えーっと…」
「ゆたかでいいですよ」
「ゆたかはどうしたんだ?」
「ちょっと気分が悪くなっちゃって…最近はずっと調子よかったんですけど」
「そっか」

ゆたかが病弱であること。
それはちびっこからチアのメンバーを紹介されたときに聞かされていた。
「だからあんまり無理させないであげてね…」
「でもよー、そんなんでホントについてけんのか?」
「私も不安だけど…本人がやりたいって言ってるから」
私は自慢じゃないけど、大きな病気もしたことないし、風邪もめったにひかない健康優良児だ。
だから、体育の授業も見学で、日常生活をしていてもときどき体調が悪くなってしまう人の気持ちは想像できない。
少しだけ考えてみる。例えば、思いっきり走ることができなくなったら…
想像するだけでもぞっとした。

「あの…」
「ん?」
「チア、絶対に成功させましょうね。足を引っ張らないように頑張りますから」

嫌な予感がした。
自分の体調を省みずに頑張りすぎること。かっこよく聞こえるけど、結果的には他の人に迷惑を掛けてしまうことも多い。
ゆたかの言葉は私に苦い体験を思い起こさせた。


数年前、リレーのメンバーとして選ばれた私の友達は、初めて選ばれたこともあってすごく張り切っていた。
しかし、本番三日前になって急に風邪をひいてしまった。
「無理しない方がいいぜ」
「大丈夫だよ。みんなに迷惑かけちゃうし」
私の必死の説得にも応じずにその子は先生やほかの子には何も言わず練習に出続けた。
その子が練習中に高熱で倒れたのは、本番の前日だった。
結局、本番はバトンパスの練習もあまりできず、心の準備も全くできていない補欠の子が走った。
結果は惨敗…
「ごめんなさい…」
そう言ってずっと泣いている友達の顔は今でも忘れられない。
どうしてもっと必死で止めなかったんだろう…
あの時のことを思い出すと今でも苦い後悔の念が蘇ってくる。


嫌なことを思い出してしまった。
沈んだ気分を盛り上げるようにあえて大きな声でゆたかに話しかける。
「でも無理は禁物だぜ。体調悪くなったらすぐに言えよな」
「はい。でも頑張らないと完成しませんよね。もう時間もないですし…」
確かに…準備段階で遅れていただけに時間はかなりヤヴぁい。
背後でノック音がした後、ドアが開く音がして私は振り返る。
「みさきち、大丈夫だった?ごめんね…ってあれ?ゆーちゃん?」
「あっ、こなたお姉ちゃん」
「おぅ、ちびっこ。ただの擦り傷だったから気にすんなって」
「ゆーちゃん、また気分悪くなったの?」
「うん、最近は大丈夫だったんだけど…」
ちびっこはしばらく考え込んでから、口を開いた。
「ゆーちゃん、やっぱりチアはやめた方がいいんじゃないかな」
「でも…」
「私もゆーちゃんと一緒にやりたいけど、これから練習も追い込みに入ってきてきつくなると思うんだよね。ゆーちゃん今でもちょっとつらそうだし、ついてくるの厳しくなr」

「そんなことねーよ」


「っていうかさぁ、謝るくらいならはじめから言ってくれればよかったのに」
大会の後、友達のいないところで、リレーでアンカーを走った、エースの子が言った。
他のリレーのメンバーも口にこそ出さないが同じ思いであるらしかった。
でも…
私にはぎりぎりまで無理をした友達の気持ちが分かるような気がした。
リレーのメンバーに迷惑をかけたくない。
それはそうだろうと思う。
でもそれ以上に強い思いがあったんじゃないか、そう思わずにはいられない。

自分が走りたい…

そういう、for the teamとは正反対の、競う世界に身を置くものがだれでも持っている感情。
多少熱があっても、足を痛めていても、他の人には譲りたくない…
そういう感情があったんじゃないか…

そしてその感情を今のゆたかも持っているんじゃないだろうか…
チームのために、そして何より、それ以上に自分のために踊りたい。

一つの思いが私の中に芽生えていた。
今度こそリタイヤさせたくない…


「そんなことねーよ、ちゃんとできるよ、なぁ?」
「は、はい!」
「でも絶対に無理はしないこと。きつくなったらみんなに言うこと。あと私たち全員で話し合って無理だって結論になったらやめること。それだけ約束な」
「はい」
「いーよな、ちびっこ?」
「みさきちとゆーちゃんがそこまで言うんなら私に止める権利はないよ。がんばろーね、ゆーちゃん!」
「ありがとう!こなたお姉ちゃん、日下部先輩」

「ん…」
私はゆたかに向かって小指を差し出した。
「え?」
差し出した小指の意味がよく分かっていないらしい。
一人で小指を立てている姿は、なんか間抜けっぽくて恥ずかしい。
ちびっこがこっちを見てにやにやしてる。

「指きりだよ!指きり」
「あっ、はい」

慌てて私の小指に自分の小指を絡ませてくるゆたか。

ゆーびきーりげーんまん、うーそつーいたーらはーりせんぼんのーます、ゆーびきった

「がんばろーな」
「はい!ありがとうございます」


結局、厳しい練習にもゆたかはめげずによく付いてきた。
チアの練習は、ゆたかに限らずみんなぎりぎりで仕上がった。
振りつけが出来上がったのが遅かったのが痛かった。
通しで成功したのは本番前日の一回のみ…
いやでも不安が募る。

本番の朝、体育館に行き、チアの衣装に着替えているとゆたかが話しかけてきた。
「日下部先輩、おはようございます!」
「おはよう、ゆたか」
「いよいよ本番ですね。すっごい緊張してますよ」
「そうだな。でも私はけっこう本番前の緊張感って好きだぜ」
「そうですか。私は苦手かも…こういうの初めてだし」
「私もさ、陸上の大会とかですげー緊張するんだ。スタート前に心臓が飛び出るくらいドキドキしてるんだけど、ピストルの音と同時に体が動くと、そのドキドキが全部体を動かす力みたいに感じられるときがあるんだよ」

ゆたかは、私と違って外で思いっきり走ることはできない。
でも、その感覚を味わってほしかった。
スタート前の独特の緊張感とそれを解き放つときの気持ちよさ。
今日なら、ゆたかも一緒にそれを味わえるかもしれない。

「だから怖がんないでさ。たのしもーぜ!」
「はい!あの、先輩」
「ん?」
「本当にありがとうございました」
そう言ってゆたかは深々と頭を下げる。
「先輩があそこでできるって言ってくれなかったら、こなたお姉ちゃんに言われたとおりにあきらめちゃってたと思うんです。他にもいっぱいくじけそうになったけど先輩のおかげで頑張れました。ありがとうございます」
「そんなこと言われたら照れるな。それに…」

それにお礼を言いたいのは私の方だった。
今回ゆたかが頑張ってやり遂げてくれたおかげで、あの大会の苦い経験が少しでも意味を持ったものだと感じられた。

ゆたかが言いかけて止まった私を不思議そうな顔で見つめていた。
「…まだ終わってねーからな。お礼を言うならその後だぜ」
そう、お礼を言うのはすべてが終わった後だ。
踊り終わったら真っ先にゆたかに言いたかった。
私の方こそありがとうと…

…ていうか、みんな緊張し過ぎ…
幕の下りた舞台で全員が緊張でカチコチになっている。
プレッシャーに強いと自負している私も緊張がうつってしまったようだ。
程よい緊張感は良いが、こんなに緊張してちゃまずい…
ゆたかは大丈夫だろうか…
そう思ってゆたかの方に顔を向けようとしたとき司会の人の携帯が鳴った。
会場が笑いの渦に包まれる。
舞台にいる私たちも一緒になって笑った。
肩の力が抜けて程よい緊張感が残る。

あ、これはいけるな…
瞬間、私は確信していた。新記録が出る時の感覚だった。

一瞬だけゆたかの方を見た。
ゆたかも大丈夫そうだ。
目が合って笑った顔には余裕が感じられた。
相変わらず心臓は飛び出そうなくらい高鳴っていた。
でも嫌な感じはしない。解き放たれるのを今か今かと待っている。

一瞬静まり返った舞台の上で10人がひとつになるのを感じた。

今、舞台の幕が開く……

 

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最終更新:2008年12月01日 20:22
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