朝七時半。
鳴り響く目覚まし時計を叩くように止め、私はのそりと寝返りを打った。
今日はみんなで映画を観に行こうと約束していた日。
集合の時間は昼前だけど、私にはやることが多い。
午前中に宿題を終わらせておきたいし、休日を寝過ごしてしまう悪癖を持つつかさを少々手荒な手段を講じてでも叩き起こさなければならない。
まだ眠っていたいと訴える脳に喝を入れ、目を開ける。
と、ここで私はなぜだか首を傾げていた。
何だろう、何が疑問なのかもわからない。
少しだけ暗い自室をぼんやりと見回し、やがてあることに気が付いた。
カーテンの隙間から漏れる光がいつものそれとは違っている。
やけに白く、眩しい。
いや空に輝く太陽が白く見えるのはごく当たり前なのだがそういう意味ではなく、……ああもう、どう説明したらいいのだろう。
とにかく眠い目をこすりながらカーテンを引き開けてみると――
「……うそ」
一面の銀世界が、そこに広がっていたのだ。
「っ、さむ……」
そう無意識に呟いたところで私はようやく違和感の正体を悟った。
寝起きで頭の回転が遅かったのとあまりに異様な窓の外の光景に気を取られていたのとで気付くのが遅れてしまったのだが、部屋の中がやけに寒い。
当たり前だ。あんなに雪が積もっているのだから気温だって相当低いはず。
「なんなのよ、これ」
ぽつりと漏れた本音はきっと、百人が口を揃えて言うセリフに違いない。
本来ならまだ最低気温二桁を維持しているはずの十月二十五日。
私の一日は、エアコンの電源を入れることから始まったのだった。
「つかさ、起きてる――わけないか」
ドアを軽く叩きながら口にした呼びかけが、諦めの混じったものになってしまう。
返事はないとわかりきっているだけに虚しくなってくるのだ。
「起きてるよー」
まあそういう妹なんだってことは何年も前からわかっていることだし……あ、起きてたのか。
入るよ、と断りを入れて私はドアノブを回す。
「おはよ、今日は早いわね」
「お姉ちゃんおはよう。すごい雪だよ」
つかさはベランダのガラスにへばりつくようにして外を眺めていた。
気持ちはわかる。こんな積雪、珍しいどころの話じゃないから。
それにしても割と落ち着いている。寝ボケてるわけでもないみたいだし。
「ホントね。こなたあたり、『寒いから今日はパス』とか言い出しそう」
「えー……そんなのもったいないよ。せっかくこんなに積もってるのに」
「冗談だって。そこら辺は心配いらないでしょ」
たぶん、世間では異常気象だの何だのと大騒ぎになっているのだろう。
だけどそんなのは私たちには関係のないことだ。映画館はこの程度では休業になどならないのだから。
この機会に大雪というものを飽きるまで満喫してやろうじゃないか。
……あぁ、でも電車は下手したら止まるかも。こなたたっての希望で大宮まで出向くことになっているのでそれだけは少し不安だ。
「とりあえず午前中に宿題終わらせちゃうわよ。まだやってないでしょ?」
「あ……うん、今日はがんばるね」
姉としては今日「も」がんばってくれると嬉しいかな。
「かがみ、つかさ」
くぐもった声。
ドアががちゃりと開かれ、お母さんが顔を覗かせてきた。
「ご飯食べたら外の雪かきお願いね?」
……はぁ。
朝ごはん、雪かき、そして宿題。やるべきことを淡々と片付けていくと時刻は十時を回っていた。
結局、この大雪に関しては何もわかっていない。
例えばテレビ。どのチャンネルのニュースでも大々的に報道されてはいるのだが「原因不明の異常気象」以上の情報が得られない。
既に運行を再開したとはいえ電車は案の定足止めされていたらしいし、自動車の交通事故も数件発生してしまっているようだ。
もっとも、私たちの今日の予定に干渉されるわけではないからあまり深刻には捉えていないんだけど。
「全然わかんねーよひーらぎぃー……」
「ん、ちょっと待って」
で。
そんな世間の混乱とはさっぱり無縁な私は、押入れから急遽引っ張り出されたこたつに入ってのんびりとラノベを読んでいるわけだ。
「もう写させてくれよぅ……」
「駄目」
……訂正。のんびりラノベを読もうとしているわけなのだがどうも邪魔が入る。
「つーかなんでわざわざうちで宿題やるのよ。あやのに見てもらえばいいのに」
「だってせっかく柊んち行くんだからついでにやるかーって思わねぇ?」
「思わない」
「あやのー、柊がつめてーよぅ」
「私も柊ちゃんに同意……かな」
「うっ……いもーとぉ!」
「だ、大丈夫だよ! なんとか私も一人で全部できたから……」
最終的につかさに泣きつくみさお。もはや日常茶飯事とすら呼べる光景だ。
二人をうちに呼ぶようになってからというもの、みさおは毎回宿題を持参してくる。家で終わらせた方がずっと楽だろうに。
あわよくば写してしまおうという考えがありありと見て取れるからいつもほとんどの問題を自力で解かせているのだが。
あやのがここではなぜかみさおにやや厳しく当たっているのが少し楽しくて、ついこんな流れに持っていってしまう。ごめんつかさ。
そんなこんなで二十分後。
「お……終わったヴぁ……」
なんだよヴぁって。
真っ白に燃え尽きたみさおを一瞥し、私は携帯のアドレス帳を開く。
普段はあやのたちの家とこなたの家の中継地点である我が家に一旦集まってから改めて出かけることが多い。
でも今日は自転車が使えないからそういうわけにいかない。さすがに徒歩二時間の距離を歩く元気はこなたにはないだろうし。
そう考えて先ほどメールを送ってみたのだが一向に返事がない。
仕方がないから今こうして直接電話をかけてみている……のだが。
「出ない……」
「寝てんじゃねーのー?」
「まさか」
呼び出し音が途切れる。
「もしもし?」
『……ふぁい。かがみ……?』
寝てやがった。
「あんたね……もう昼よ」
『んー……ネトゲが切り上げらんなくてさぁ』
「大宮行きたいって言い出したのあんただろーが。どうすんの今日は?」
『……どーするって?』
「雪積もってるからうちには来れないでしょ。あっちで待ち合わせる?」
『ゆき?』
「雪」
……返事がなくなる。
まさか二度寝したんじゃないだろうな、と思った瞬間。
『うっそぉ、雪ぃ!?』
耳が痛くなるほどの絶叫が受話口から聞こえてきたのだった。
「いやー、ごめんごめん!」
さいたま新都心駅。ばつが悪そうに頭をかきながら青いアホ毛が現れた。
予定から二時間半遅れることの十四時、ようやくいつものメンツが揃ったことになる。
それにしてもこいつはあまりにも時間にルーズすぎる。思えば初めからそうだった。
学級委員長にだって立候補で選ばれた(つかさ談)はずなのに、委員会に遅刻なんてしょっちゅう。
たまに早く来たと思えば居眠りを始めるし……と、こなたはそんな問題児だったのだ。
二年生になり、もう一度立候補したにも関わらずこの役職から外された(つかさ談)と聞いた時は因果応報だと盛大に笑ってやったものだ。
「おっせーぞちびっ子! 私らよりゲームのが大事かー!」
「ふっ、男には睡眠時間を削ってでもやらねばならないことがあるのだよ!」
「泉ちゃんは女の子だけどね……」
「睡眠時間削ってない、よね?」
「それに雪積もってるなんて思わなかったし!」
「寝坊したこととは何の関係もない」
いつも思うけど、こいつは反省って言葉を知らないのだろうか。
結局、予定していた十二時台の上映には間に合わなかった。
次は十五時台だそうだからまあ、ちょうどいいと言えばちょうどいいのかもしれない。
よくわからない掛け合いを続けるバカ二人を小突いて黙らせ、私は提案する。
「んじゃ、まずはどこかでお昼にしますか」
腹が減っては戦ができぬ、と。
「じゃあみさきち、映画館着いたらお姉さん役よろしく!」
「は、お姉さん役ぅ!?」
合流してからこっち、こなたとみさおの姦しさはとどまるところを知らない。女三人寄らずとも、だ。
なんだかんだ憎まれ口を叩き合ってはいるけれど、この二人は特に仲がいいと思う。
「私の背なら子供料金で観れそーじゃん? そーゆーわけで!」
「なっ! ちびっ子だけずりぃぞ!」
「高校生四人に小学生一人ってかなり無理があると思うんだけど……」
あやの、そうじゃなくて。
こいつは犯罪をやらかそうとしてるってことをまず自覚すべきだ。つーか前科あったし。
「普通に詐欺だから。黙って学生証出せ」
「ちぇ、かがみのいけずぅ」
「わ、こなちゃん似てる似てるー!」
「でしょー。実は結構練習してるから自信はあるんだゾォ♪」
……なんだかバカらしくなってきた。
とまあ今でこそ五人でわいわい騒いでいるのだが、みさおやあやのとは二年になるまであまり親密とは呼べなかった。中学からずっと同じクラスなのに。
三人ではなんだか味気ないということでカラオケに誘ってみたのが転機だったのだろう。
それ以来、私たちはどこに遊びに行くにしてもほぼ必ず五人で行動している。
「結局、なんで降ったんだろーな?」
灰色の空を見上げながらみさおが唐突に呟いた。
「雪?」
「ん」
私たちもつられて天を仰ぐ。
ありえない異常気象は、それでもただの異常気象に過ぎない。
雪が降ること、積もることに意味などあるはずがないと、私はそう思っている。
……こなたあたりに「夢がない」とか言われそうだから口に出すようなことはしないけれど。
「それに、そんなに寒くないのも不思議」
そうなのだ。
朝こそ身を切るような寒さがあったものの、午後になってからはだいぶ気温が上がってきている。そろそろ十度くらいになっているだろうか。
だというのに雪は一向に解ける様子を見せない。
前言撤回。これはただの異常気象じゃないのかもしれない。
「ヘンだよね? 雪はちゃんと冷たいのに」
「確かに、おかしいけど」
けれど、やっぱり私たちにはさして関係ない異変だ。
みんなもそれは理解しているらしく、私がそう言うと雪の話はそれきりに再び姦しく目の前の映画館へと足を踏み入れるのだった。
「いやー、燃える展開だったなー!」
「うんうん、製作陣は萌えを理解してるね!」
「すごくロマンチックな話だったね」
「えへへ……私、ちょっと泣いちゃった」
上映が終わり、みんなが一斉に感想を漏らす。
……なんでこうも言うことがバラバラなんだ。あんたら本当に同じ映画観たのか。
私? まあ……普通に面白かったけど。
「えー、もっと他に何かないの?」
「い、いいじゃない別に。面白いものを面白いって言って何が悪いのよ」
エントランスホールはシアターから出てきた人々で溢れ返っている。
こなたとみさお、あやのが何やら映画のグッズを買うと言うので私とつかさは壁際に避難しつつ、ごちゃごちゃとした人波を眺めていた。
「面白かったね、お姉ちゃん」
「うん」
『忘れられた季節』。
温暖化が過度に進んだ近未来の地球で、子供たちがいつしか失われた「冬」を取り戻すために奔走する……というアニメ映画。
こなたが薦めるような作品だからどうせ私たちにはさっぱり見どころがわからないだろうとタカをくくっていたのだが、なかなかどうして楽しめてしまった。
ちなみにシナリオはロマンスあり感動ありアクションありのごった煮状態だったので、先ほどの満場不一致な感想はあながち間違っているわけではなかったりする。
「ま、実際は冬真っ盛りなんだけどね。秋なのに」
「あはは……なんだか不思議な感じだよね」
不思議。
「……不思議なのよね」
「え?」
とっくに晴れたと思っていた違和感は未だ心の隅に残り続けている。
何がわからないのかすらわからない、こんなもやもやした気分は初めてだ。
「どしたのかがみん、そんな顔して」
いつの間に買い物を終えたのか、こなたが私の顔を覗き込んでいた。
「そんなに変な顔してた?」
「結構ねー」
みさおたちはショーケースを指差して何やら選んでいるようだ。
あの二人もそろそろ戻ってくるだろうな、と私は壁から背を離す。
「何買ったの?」
「一通り全部三個ずつ」
「さ、さすがこなちゃん……」
「どうせまたアニメイトとか寄るんでしょ? 金なくなるぞ……」
「まーねぇ。今月ちょっと厳しいかも」
こいつの情熱は本当に……もっと活かすべき方向ってものがあるだろうに。
「買ってきたぜー! すっげー混んでんなぁ」
「お待たせ二人とも。そろそろ帰る?」
「あー……こなたが寄りたい所あるって」
「別にまだ何も言ってないけどね。んじゃ大宮駅まで歩こっか」
「おー、私はいいぜ?」
「駅ひとつぶんって結構あるよね……」
「メイト行くのも今日の目的のひとつなわけよー」
つかさとあやののささやかな抗議もむなしく、こなたは意気揚々と先頭に立つ。
みさおは何だかんだで乗り気だし、私は――予想済みというか最初から諦めているというか。
そんな感じで、女五人は日が傾き始めた雪の街へとみたび繰り出していくのだった。
結局、疑問の正体をつかむこともできないままこうして一日が終わろうとしている。
こなたに振り回され歩き疲れたのだろう、つかさはお風呂に入った後早々に自室へ引き上げてしまった。
つかさ、こなた、みさお、あやの。五人で映画を観に行って、ついでにこなたの要望でアニメイトに寄った。
雪が積もっていたこと以外はまったく何の変哲もない休日。の、はず。
「……疲れてるのかな」
口に出すと急にどっと疲労が押し寄せてくる気がした。
そう、ただ疲れていただけなのだろう。ありもしない違和感をおぼろげに感じていただけ。
やれやれ、と呟きベッドに横になる。
まぶたを閉じるとすぐに睡魔が脳に流れ込んできて――
「あ」
素っ頓狂な声を上げ、私は反射的に時計に目をやっていた。
午前零時になったばかりだ。
……十月二十六日の、午前零時。
ばっと携帯を手に取り、メールの本文を打ち込んでいく。
“こんな時間にごめん。
昨日言っておかなきゃならないことだったんだけど、なぜか頭の中から抜け落ちちゃってた。
誕生日おめでとう。”
彼女は二十三時にはもう寝ているらしいから、たぶん返信は来ないだろう。
それでも私は送信ボタンを押す。こういうのはなるべく早く送るべきだと思ったから。
だけど。
そんな私の予想を裏切り、彼女はメールを返してきたのだった。
“ありがとうございます、かがみさん。
今、お電話してもよろしいでしょうか?”
返事を打ち込む間もなく携帯に着信が入る。……彼女が相手の答えを聞かずに電話してくるなんて。
「もしもし、私」
『夜分遅くにすみません、高良です』
「ん、私は大丈夫だけど……もしかして起こしちゃった?」
『いえ、今夜はたまたま起きていなければならない用事がありましたので』
「そっか」
なぜ忘れてしまっていたのだろう。
一昨日までは確かに覚えていたし、机の上には渡すつもりだったプレゼントがずっと置かれていたはずなのに。
せっかく六人で遊びに行ったというのにこれじゃ……って、そういえばみんなみゆきの誕生日を祝ってなかったな。
「改めて、誕生日おめでとう」
『ご丁寧にありがとうございます』
「んー……なんでか忘れちゃってたからさ。むしろ怒ってくれてもいいって言うか」
『いえ、そんな。かがみさんは悪くありませんよ』
彼女はまるで豆知識を披露するかのように、
『皆さんが私の存在を忘れていたのは、私が故意にそうさせたからです』
いつもと変わらない声のトーンで、私の表情を凍り付かせる独白を始めていた。
「……なに?」
当然、私はこう聞き返すしかない。
『私が誰だか、おわかりになりますよね?』
「あ……当たり前じゃない。どうしちゃったのよみゆき」
『ええ、私は高良みゆきです』
おかしい。会話が噛み合ってない。
本当に電話の相手はみゆきなのか? そんな疑問すら浮かんだ直後、彼女はおかしな質問をしてきた。
『ではもう一度お尋ねします。かがみさん、【私が誰だか、おわかりになりますよね?】』
「いっ、いい加減に――」
だけど、その先の言葉は出なかった。
――嘘だ。
ほんの数秒前に口にしたはずの彼女の名前がわからないなんて嘘に決まってる。
『みゆきです。高良みゆき』
「……みゆ、き」
心当たりが、ない。
……いや、ある。ないわけがない!
そうだ、私がみゆきのことを忘れるわけ――
「って……まさか」
『おわかりいただけましたか。私はこういったことができてしまう人間なんです』
がつんと後頭部を殴られたような気分だった。
「お……おわかりいただけたわけないでしょ。何、どういうことなの!?」
『……そうですね。順を追って説明します』
そう前置きし、彼女は「説明」を始める。
『正直なところ、きっかけなどはよくわかりません。気が付くと私は、他人の記憶に存在する【私】を操る能力を身につけていました』
「えっと……何?」
『今日……正確には昨日、かがみさんたちに施したのがまさにそれです。十月二十五日の二十四時間のみ、私の存在を忘れていただきました』
「待って。そもそもそこからしておかしいわよ。つかさもこなたも日下部も峰岸も、みゆきも確かにいた!」
『いいえ、いませんでした。私が先ほどかがみさんの――いえ、昨日かがみさんたちの近くにいらした人々全員の記憶を改竄し、【いたと記憶させた】んです』
「そっ……そんなバカな話! じゃあ聞くけど、なんでそんなことする必要あったのよ! いなかったらいなかったで別に――」
良くない。
昨日は、みゆきの誕生日だったのに。
『……見てみたかったんです。私がいなくても笑い合えている皆さんを』
なぜ。みゆきの存在すら忘れておいて、その誕生日に平然と笑う私たちを?
言わんとすることが全くわからない。そう反論しようとした矢先、彼女は私が何よりも聞きたくなかった言葉を容赦なく言ってのけた。
『そう遠くない未来に、私は皆さんの前から姿を消さなくてはならないかもしれません』
「……なんで」
返ってくる答えなどわかりきっている。物語でよくある、アレだ。
こんな使い古された三流のシナリオ、先を予想できない方がどうかしている。
『この力は危険ですから』
「どこが! ただ記憶をちょっと操れるだけじゃない!」
それなのにテンプレート通りの反応を返してしまう自分が情けない。
『記憶を操作するということは私の痕跡を操作するということです。例えば――払われなかった六人目の入場料が今あの映画館に存在するんですよ?』
そんな小さなことだけでなく、きっとその気になれば何だってできてしまうのだろう。
回転を拒み続ける頭もそれに気付いている。
『この能力はいくらでも悪用できてしまうものなんです。万が一誰かに目を付けられたりしたらかがみさんたちにもご迷惑をおかけしてしまいます』
「っ、迷惑なんかじゃ――」
『私が!』
彼女は声を荒げ、主張する。
『嫌なんです……皆さんを巻き込んでしまうのだけは絶対に』
これだけは絶対に譲れないと、電話越しでもはっきりと伝わるほど強く。
「……もしかして雪も? あれは?」
『力を行使した際に発生する副作用……のようなものだと考えています』
つまり。
みゆきは本当に始めから今日という一日を「操る」つもりでいたのか。
嘘、ではないのだろう。
信じたくはないけれど、エイプリルフールにすら人を欺かないみゆきのことだ。
きっと私は信じるしかないんだと思う。
「……勝手すぎるわよ」
『かがみさん……』
けど、こっちにも譲れないものはある。
『どうかわかってください。大切な人を巻き込みたくないんです』
だから私だってこれだけは声を大にして言わなきゃならない。
「バカ! 大切だからこそ力になりたいって言ってるのよ!」
はっと息を呑む音が聞こえた気がした。
「ごめん。怒鳴るつもりはなかったんだけど」
『……いえ、私の方こそかがみさんのお気持ちを考えずに――』
消え入りそうな声には、確かに涙が混じっていた。
「っ……ごめん! 強く言い過ぎた……」
みゆきが、泣いている。
『あ……いえっ、違うんです! これはその、……嬉しくて』
「嬉しい?」
『大切だからこそ力になりたいって、そう仰ってくださるかがみさんとお友達になれて……よかったって』
「……は、恥ずかしいこといわないでよ……」
どうして私たちは電話なんかしているんだろう。
こんなの、ちゃんと相手の顔を見て話すべきことのはずなのに。
しばらくの間、受話口からは嗚咽だけが聞こえ続けていた。
五、六分ほど要しただろうか。
みゆきはまだ少しだけ潤んだ声で、
『……たった今、かがみさんにお願いができました』
「……いいよ。何?」
『本当に不躾なお願いです』
懇願するように。
『もし私が皆さんの前から消えてしまったら』
――私を捜してほしいんです、と。
独りは寂しすぎるからと、彼女は呟いた。
「……捜すわよ、みんなで」
そんなの答えるまでもない。
「みゆきが嫌って言ったって地の果てまで捜し尽くしてみせる。あんたのことを覚えてなければ意地でも思い出す!」
だから。
そんな怖いこと、言わないでよ。
『……ありがとうございます、かがみさん』
『今夜お話ししたことはかがみさんの記憶には残りません』
「……明日も雪が降るってことね」
『おそらく。また月曜日、学校でお会いしましょう』
「みゆき」
私にはたったひとつだけ、みゆきに伝えなければならないことがある。
「明日みんなでみゆきの家に行っていい? プレゼント渡しておきたくて」
――私たちみんなで今を大切にしよう。
『……はい。お待ちしていますね』
そう、にっと笑って言ってみせた。
*
「……いい天気ね」
抜けるような青空。輝く太陽が真っ白な地面に照り返し眩しく、私は目を細める。
「柊、はえーな」
「まあね。言いだしっぺだし」
唯一車で来る約束だった日下部の到着が早いのは至極当然のこと。
「妹ちゃんと泉ちゃんはまだなんだ?」
「昔から時間にはルーズだったしね。それより」
その日下部の幼馴染である峰岸が彼女と行動を共にしていることだって何の不思議もない、のだが。
「いいの? 他のみんなは独身だからともかく、あんたは」
「大丈夫、ちゃんと話し合って決めたことだから。それに私だけ行かないっていうのも、ね」
「あやのは結構ガンコだからなー」
……そうか。余計なお世話だった。
「お待たせー!」
次に現れたのは我が妹。
「今回は寝坊しなかったみたいね。感心感心」
「そ、それは高校で卒業してるよぉ……」
「お姉さんっていつまでたってもつい妹を子供扱いしちゃうのよね。私の姉さんもそうだったな」
「姉妹っていっても双子なのに……」
「いや、まあ癖っていうか。つかさも今ではしっかりしてるって頭ではわかってるんだけどね」
みんなちっとも変わっていないものだから、私も変われないのだろう。
「やあやあ諸君、出迎えごくろー!」
で、一番変わらないやつの登場というわけか。
「重役出勤なんて偉くなったもんだなー、ちびっ子」
「む、まだ集合時間にもなってないじゃん」
「また『面倒だから行かなーい』とか言うと思ってたけど」
「こういうの、実際にできるとは思ってなかったしね。貴重な体験だよ」
これで全員。
「ね、行こうよ。車の中でも話はできるし」
「だね――ってみさきち、いい車持ってんねぇ」
「あー……ま、腐っても金だしなー」
「さすが世界を相手にする女は言うことが違うわね」
「なんだよオマエら! さっさと乗れってば!」
否、まだ一人だけ足りない。
「どこに行こっか?」
「風の吹くまま、気の向くままでいいんじゃない? どうせ時間はあるんだし」
「案外近くにいたりしてね」
「なんだよ。ここだ! って行き先は誰もねーのかよぅ」
「手がかりゼロなんだから仕方ないじゃない」
「じゃあ……思い出の場所巡り、とか」
「おし、まずは陵桜行ってみっかぁ!」
『賛成!』
雪化粧の夏、私たちは旅に出る。
記憶の真ん中にぽっかりと空いた穴を唯一埋めることのできる「誰か」を捜して。
いつ終わるとも知れない、長い長い旅へ。
-end-