ID:bgOCpr20氏:とある出版社にて

「みなみちゃん、ちょっと」
 八坂こう編集長が、編集担当の一人の名を呼んだ。
 岩崎みなみが席を立って、編集長の前まで来た。
「何でしょうか?」
「泉先生の原稿、どうなってる? 締め切り明日なんだけど」
「いつもどおりというか……一夜漬けで仕上げると言ってました」
「またかぁ」
「まあ、泉先輩のことですから、遅れることはないとは思いますが」
「確かにね。一夜漬けでも面白いの書き上げちゃうんだから、一種の天才だよ、あの人は。でも、毎回はらはらさせられるのは、勘弁してほしいんだけど」
「そういうことは、日頃から親交のある編集長から直接言っていただければと」
「私、あの人に頭上がらないんだよね。この前も格ゲーでこてんぱんにやられちゃってさ」
「ゲームでの勝敗と仕事上の話とは関係ないと思いますが」
「そういえるのは、みなみちゃんぐらいだよ」
「?」
「泉先輩のペースに流されないってのは、なかなか得がたい資質だよ。あの泉先輩の担当が務まるのはみなみちゃんぐらいだね。頼むから、辞めないくれよ」
 夫に充分な収入があるので、みなみにはここで働く必要性というのも実のところあまりなかった。
 それでも、働き続けているのは、
「そのつもりはありません。ゆたかとの約束ですから」
「そうだったね。しかし、惜しい人を亡くしたもんだよな。出版部としちゃ、ゆたかちゃんの絵本と泉先輩のラノベの二枚看板でずっといきたかったんだけどなぁ」
 今でも、ゆたか作の絵本は売れ続けている。生きていれば、さらに多く作品を生み出し、世に出すことができただろうに。


 しめっぽくなりかけたところに、


「ハロー、みなみ、こう。お久しぶりデース」
 みなみが振り向くと、そこには、パトリシア・マーティンと田村ひよりがいた。
「岩崎さん、八坂先輩、こんにちわッス」
「久しぶり」
「ひよりん、しばらくだな。仕事か?」
「こっちの映像部と打ち合わせッス」
 パティとひよりは、とあるアニメ製作会社に勤めている。
 今は、パティが総監督、ひよりが作画監督兼作画担当といった役回りだった。
「うち関連で今放送してるのってあったけ?」
「OVAッスよ。ちょっときわどいシーンがあるんで、どのあたりまで出せるかすり合わせしたッス」
「ひよりんお得意の18禁シーンか?」
「そんな大げさなもんじゃないッスけどね」
「日本は、いろいろと規制があって面倒くさいのデス。湯気で隠すなんて邪道デス」
「そういうわけにもいかないんだよ、パティ。一応、小学生以上が対象のアニメだしね」
 この会話の流れからすると、温泉シーンかなんかなんだろう。
 総監督がこの調子じゃ、ひよりも苦労してるんだろうなと、こうは思った。
「ひよりもちゃんと監督やってんだな」
「正直、向かないと思ってるんスけどね。ひたすら手を動かしてる方が気が楽ッス。先輩は部長とか会計とかやってたッスから、編集長になってもすぐに慣れたんじゃないッスか?」
「まあ、そうだけどさ。今でも、ときどき胃が痛くなることがあるんだよね。泉先輩の原稿がいつもぎりぎりとかさ」
「泉先輩はぎりぎりでもいつも完璧ッスから大丈夫ッスよ」


「おや。田村さんに、パティさんじゃない」
 みんなが声がした方をいっせいに向くと、そこには永森やまと経理課長が立っていた。
「永森先輩、お久しぶりッス」
「ハロー、やまと」
「二人とも仕事かしら?」
「そうッス」
 こうがちらっと時計を見た。
「もう昼だな。みんなで飯食いにいくか。せっかくだから今日は私のおごりだ」
「ありがとうございます」
「ごちになるッス」
「こうはお腹がふとましいネ」
 一行は、一緒に昼食をとるべく、街に繰り出した。


 こうは、一緒に歩く面々を見て、ふとつぶやいた。
「しかし、つくづく私の周りの世間って狭いよな」
「世界は広くても、世間は狭いもんよ」
 やまとが簡潔に突っ込みを入れる。


 まあ、世の中、そんなもんだろう。

終わり
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