泉こなたの消失 第六章

ベッドから見下ろす町の景色は、いつになく寂れていた。
心の中にできた靄が、普段と変わらない景色をそう見せていたのかもしれない。

あぁ、なんかくたびれた。少し横になるか。
この間新調した枕に頭を預けて、溜め息を一つつく。

かなたさんに直面した「死」という運命。
お腹の中でお天道様との対面を心待ちにしている「生」の存在。
その狭間で揺れ動く心、そして苦渋の決断。

こなたがいる世界、つまり、私が昨日までいた世界では、かなたさんは自らの「生」を絶って新たな「生」を誕生させた。
しかし、この世界でかなたさんは自分の「生」を選択した。
それが誤りだとは思わないし、死ぬのが怖いと思うのも無理がないと思う。

目を閉じる。目の前に広がる闇。
これが果てしなく続く、それが「死」。どこを探しても、ただ闇が蔓延るだけ。

そんなことを考えながら天井を見つめていると、部屋のドアがノックされた。

「かがみー、ごはん」

いのり姉さんだった。昨日のまつり姉さんと比べると、落ち着いた雰囲気の声。

「今日はいいや」

いのり姉さんは「わかった」と返してきたが、直後、声を殺して密かに笑う声がした。

「……かがみ、またダイエットでしょ?」
「ばっ、違うって! とにかく今日はいいから!」
「はいはい。うふふ」

私の耳と神経は『ダイエット』という単語に過敏に反応してしまうので、
いのり姉さんに私がダイエットしてるとバラしているような態度をとってしまった。誠に遺憾である。
これからその話がまつり姉さんやら母さんやらつかさやらに伝わって……あぁ、メンドくさ。

正直、お腹が減っていないと言ったら嘘になる。さっきから、私の腹の虫は栄養を求めて鳴いていた。
それでも今下に行ったら「ほーら、結局我慢できないで出てきた」なんて茶化されるのは目に見えている。
……しょうがない、みんなが寝たらポテチでも漁りに行こう。

部屋の冷たい空気にさらされて冷えたキャラクターの抱き枕に掴まりながら、私は目を閉じた。







助けて。

助けてよ、かがみ。

何で気付いてくれないの?

何で捜してくれないの?

何で平気にしているの?

私はずっと呼んでいるのに。

かがみはちっとも応えてくれない――



不快感を感じて、目を開ける。
暖房のタイマーが切れた部屋は冷気に包まれていて、私の体に纏わりついていた。
それとは対称に、私の体は無駄に火照っている。

額の汗をパジャマで拭い、溜め息を一つつくと、寒さがより一層増したように感じた。
このままじゃ風邪を引きかねない。私は、風呂に入ることにした。
横目で時計を見ると、午前二時を示していた。いわゆる『丑三つ時』というやつだ。

「私はいつも丑三つ時まで起きてるからね。古典で『丑三つ時は何時のことか』とか出たら確実に点が取れるね」
「そんなもん常識だろ。みゆきはもちろん、私だって知ってるわよ。胸を張って言うことじゃないと思うけど」

予想以上に大量の汗を掻いていた。汗でベトついた肌が、温水によってみるみる滑らかさを取り戻していく。
シャワーに打たれながら、私は風呂の床を見つめていた。



さっきの夢。
こなたの声がした。
私に必死に呼びかけていた。
助けて、助けて、かがみ。そう叫んでいた。
こなたの今にも泣き出しそうな顔が頭に浮かぶ。
こなたを助けたい。でも、どうしたらいいかわからない。見当もつかない。



――畜生、私は何をすればいいのよ……!



心の中の靄が、広がっていく。それは風呂の煙たさと混ざり合って、息苦しく感じた。
私はシャワーを止め、体を拭いて部屋へと戻った。

制服のスカートのポケットから、一枚の栞を取り出す。
泉家の物置で見つけた、水色の栞。ワープロ文字で「助けてかがみ」と書かれている。
これが、何かの鍵を握っていることは間違いない。間違いないのだが、その鍵を何に合わせればいいのか分からない。
何かヒントのひとつでもないものか。

RPGだったらマップに設置された看板を調べたり、街の人に話を聞いたりすればヒントが得られるものだが、
あくまでここは現実世界でありファンタジックに満ち溢れた架空世界ではない。私が居た世界とは違う世界なのは確かだけど。
大きく息を吸い込み、なんちゃら波の一発でも出そうなほどの溜め息をつく。

栞を蛍光灯に透かせる。厚紙でできたその栞は私の顔に影を作り、黒い縁を身に纏った。
そのとき、栞にある変化が見て取れた。

一箇所だけ、まるでそこだけ紙が薄くなっているかのように透き通っていた。
対角線を一本引けばピタゴラス数の直角三角形が完成しそうな長方形である。
この形……どこかで見た覚えがある。でも思い出せない。切手か何かだろうか。
そう思って懸賞のハガキを送ろうとして用意した切手を重ねてみるが、合わない。

「かがみに足りないのは愛だよ、愛」

懸賞がどうこうという話をしたときに、こなたに言われた覚えがある。
一度に100枚送れって言うからホントに100枚買ってみたけど……結局送らなかったなぁ。
グッズにかける愛の差ってやつかな。あいつ、その根性を何で他のところで発揮できないんだろう。
思い出しながら、なんだか可笑しくなってきて、つい笑ってしまった。

――そして、笑って気付いた。そういえばまだご飯食べてないや。

夜の間食は太る、という知識は過去の苦い経験で痛いほど身についているが、それでも食欲にはどうしても打ち勝てない。
――まぁ、ちょっとだけなら大丈夫だよね。私が体を起こすと同時に、ノックもなしに部屋の扉が静かに開いた。

人の性格って言うのはこういう時にも現れるようで、扉の開け方一つで何となく誰かわかってしまうものだ。
勢いよく開けてくるのはまつり姉さん。サバサバしてるし、図々しいし。
あんまり扉を開けずに入ってくるのがいのり姉さん。マナーを心得ている……と解釈していいのかわからないけど。
そして今回、申し訳なさそうに扉を開けてきたのは――

「お姉ちゃん、起きてる?」

大当たり。つかさだった。市販のチョコクッキーを片手に、恥ずかしそうに部屋に入ってきた。
髪の毛が少しハネてるところを見ると、寒くて目が覚めたから少し一緒に時間つぶそう、ってことだろう。

「どうしたのよ」

とはいえ、何もなく部屋に入れたんじゃつかさも焦るだろうと思い、私は尋ねた。

「怖い夢を見たの」

意外な答えが返ってきた。まぁ、過去に同じケースでつかさが入ってきたことはあったけど。
どんな夢だったのだろうか。つかさをクッションの上に座らせ、私はクッキーを一枚かじった。

「私のことを、誰かがずっと呼んでるの。つかさ、つかさ、つかさ……って」
「何よそれ。不気味な夢ね」
「でもね。その声、どこかで聞いたような気がするんだ。私が大事に思っていた人の声……みたいな」

――まさか。

「それ、女の声だった?」
「うん。そうだったよ。学校で聞いたことがあるような声……だったかな。不思議だよね、知らないのに知ってる声、なんて」

こなただ。口に出していた。つかさはキョトンとした顔をしていたが、私は気にしなかった。
こなたが、つかさにも助けを求めていたのだろうか。クッキーの甘みでエネルギーを補給しつつ、私は脳を回転させた。

「そういえば、お姉ちゃんの事も呼んでたかなぁ」

その言葉に、心臓がドクンと鼓動を強めた。

「私のことを……?」
「うん。かがみ助けて、かがみ助けて……って、泣きそうな声で」

声が出なかった。こなたが私に人の夢を介してまで助けを求めている。
それは私に動揺と焦りを与え、風呂から上がって少し冷めてきた私の体を容易に暖めていった。
唾を飲み込む。喉が渇いていることを自覚した。

そのとき、つかさが大口を開けて、ふわぁ、と欠伸をし、体を反らした。
私の緊張の糸は、つかさの体が弛緩していくのと同時に綻んでいった。

「あんた、目が覚めたんじゃないの?」
「うーん、やっぱり眠かったのかもしれないや」
「なんじゃそら」
「えへへ、ごめんね。お姉ちゃん、おやすみ。付き合ってくれてありがとー」

つかさに軽く返事を返すと、つかさは目を擦りながら部屋を出て行った。
現時刻、午前三時。普段のつかさならこの4時間前、酷いときには5時間前にはベッドで寝息を立てている。受験生のくせに。呆れるばかりだ。
こなたも遅くまで起きてる割には勉強しないし、日下部なんか夜中に突然電話して「暇だから世間話しよーぜー」とか言ってくる。
まぁ、私も人に言えるほど勉強しているわけではないが、今の3人に比べたらヤムチャと悟空の戦闘力並みの差があると自負している。
それにしても、私の周りにはサボり癖のあるヤツばかりなのが癇に障る。チームメイト評価でも下げたいのだろうか。

……例えがいちいちゲームだったり漫画だったり、私もなかなかに染められてきてるな。大丈夫だろうか。

なんにせよ、私も眠くなってきた。特に宿題が出ているわけではないし、もう一度闇に堕ちることにしよう。







助けて、かがみ。

また、あの声だ。何を私に伝えようとしているんだろう。

私はすぐそばにいるんだよ。

すぐそばって、具体的に言ってくれないとわかる訳がないだろう。

勿忘草の咲く草原、ぽっかりと空いた空間。

勿忘草が何だって……? 一体、何が言いたいんだ。

そこに私の思い出が埋め込まれたとき、扉は開かれる。

思い出を埋める……? わけがわからない。もっとちゃんと教えてよ。

もう時間がないんだよ。私はずっと待っている。

待って、まだ消えないで。聞きたいことが沢山あるのに。

かがみ。私は、泉こなた。あなたの、親友。

そんなのわかってる。待って、待って――!



「こなたっ!」

覚醒して、気付いた。

こなたは、私じゃなければ助けることができない。

頭は、目覚めたばかりなのにスッキリしていた。



私がやらなくちゃいけない。

私は布団を跳ね飛ばし、真っ直ぐに立った。



――砂時計に残された砂は、もう、ほんの僅かなのだ。
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