──開始。
「ただいま~」
「お帰りなさい。遅かったわね」
「ちょっとゲマズに寄ってきたからね」
こなたの手には、マンガを詰め込んだ袋が握られていた。
「こなた。また、そんなに買ってきて。無駄遣いしちゃ駄目っていってるでしょ」
「お父さんに頼まれてたのもあったからね」
食卓には、夕食が並べられていた。
ごはんに味噌汁におかず。典型的な和食だ。
「そう君。ごはんよ~」
「ほーい」
そうじろうがやってきて、みんなで夕食。
そうじろうが、味噌汁に口をつけて、一瞬固まった。
「そう君、どうしたの?」
「いや、かなたの味噌汁はいつもうまいなぁ、ってな」
こなたは、そうじろうの目に涙が浮かびそうになっているのに気づいたが、あえて何もいわなかった。
「変なそう君」
夕餉は続く。
「そこで、かがみんがさ……」
こなたが高校であったことを話したり、そうじろうと一緒にアニメの話でもりあがったり。
その様子をかなたはにこにこしながら見ている。
──残り1時間。
夕食が終わり、かなたは食器洗いに取りかかった。
一方、こなたたちは、
「お父さん、格ゲーやろう」
「おう」
二人そろって、仲良くゲームに興じる。
食器洗いを終えたかなたが、ゲームに興じる二人の後ろに立った。
「こなた。勉強しなくてもいいの? もうすぐテストでしょ」
「一夜漬けでなんとかなるから、いいんだよ。お母さんもゲームしようよ」
「9時までよ。9時になったら、ちゃんと勉強しなさい」
「え~、やだよぉ」
「こなた。お母さんのいうこともちゃんと聞いた方がいいぞ」
「うう~、お父さんまで……」
こなたは、しぶしぶかなたの言葉に従った。
──残り30分。
「えい、えい」
両手で握ったコントローラーを振り回してるいるかなたの姿は、実年齢よりも幼く見えた。
そんなかなたを、そうじろうは目を細めて眺めている。
ゲームの方は、プロゲーマー並のこなたにかなうはずもなく、かなたの連戦連敗だ。
こなたは、部屋の時計をちらっと見た。
8時55分。
──残り5分。
こなたは、ゲームの手を休めた。
「ねぇ、お母さん」
「なぁに?」
「前から聞きたかったんだけど、お母さんはなんでお父さんと結婚したの? どっから見ても、ダメ親父じゃん」
「こなた、お父さんは悲しいぞ」
「そうね。そう君はこんなだけど、でも……でも、私のことを世界で一番愛してくれるから」
「かなたぁー!」
そうじろうが感激のあまりかなたに抱きついた。
「もう、そう君ったら」
──残り1分。
まもなくシンデラの魔法が解ける。
こなたは、目をつぶった。
そうじろうが、かなたにありったけの愛の言葉を叫んでいた。まるで、まもなく今生の別れだとでもいうように。
──10、9、8、7、6、5、4……。
かなたは、そうじろうの尋常ではない様子に戸惑っていた。
──3、2、1、終了。
暗転──
こなたは、ゆっくりと目を開いた。
電極コードがたくさんつながっているヘルメットのようなものを外して、リクライニングチェアのような椅子から上半身を起こす。
現状を再認識する。
自分は、まもなく三十路を終えようとしている独身女。断じて、高校生ではない。
そして、隣を見れば、いくつになってもオタクな父親が、こなたと同じくヘルメットを外していた。
スーパーリアルシミュレーションシステム、略称SRSS。
人間の脳に五感を完全再現するシミュレーション装置だ。
主な需要は、政府や自治体である。
自衛隊が実戦と同等の状況を再現して隊員の訓練に用いていたし、政府高官も危機管理演習に用いていた。市町村の消防隊では、火災状況などを再現して、消火やレスキューの訓練に用いている。
使い方によっては精神病の治療にも有効で、精神病専門の病院にも設置されていた。
ただし、危険な側面もある。
死ぬほどの激痛を脳に再現してやれば、実際にショック死してしまう可能性はきわめて高い。また、仮想世界で飽食してても現実世界では何も食べてないわけで、満腹感で満たしつつ餓死させるといったことも可能だ。
実際、かなり慎重に運用しているはずの自衛隊でも、2、3年に一人ぐらい訓練中の殉職者を出していた。
また、あまりにも多用しすぎると中毒症状を起こすこともある。仮想世界にひたりきって、現実世界に適応できなくなってしまうのだ。
そのため、SRSSの製造、販売、所有、使用には、法的規制がある。特に、民間で用いる場合には、再現する内容には多くの禁止事項が定められおり、使用者は必ず事前に適性検査を受けることになっていた。
とはいえ、規制されればそれをかいくぐろうとする者も当然出てくる。暴力団によるSRSSの違法な製造・所有がはびこっており、警察とのいたちごっこが続いていた。暴力団がSRSSで提供する主なコンテンツは、性風俗だ。生身の人間を用意する必要もなく荒稼ぎできるのだから、暴力団としては笑いが止まらないだろう。
しかし、この手のコンテンツは中毒性が高いため、法律で全面的に禁止されている。
こなたたちが体験したのは、秋葉原のゲームセンターにあるSRSSだった。
1回、2、3時間のゲームで、100万円。大人の遊びというレベルを超えている高級ゲームだった。
「どうだった、お父さん?」
「うーん、やっぱ、違和感あったかな」
「あのお母さんは、お父さんの記憶をもとに再現したはずなんだけどね」
「俺の中のかなたは、あのときのまま止まってるからな。あれから歳をとったかなたというのは、想像もできないよ」
「そんなもんかね」
二人ともさばさばしたものだった。
二人は、SRSSへの適性は極めて高かった。仮想と現実の区別がきっちりつくということだ。
そうでなければ、ディープなオタクを長年続けることなど不可能だ。仮想と現実の区別がつかなくなったオタクがどのような末路をたどっていったかという実例を、二人はあまりにも多く知っていた。
電車で帰路につく。
あの仮想世界とは時差があって、自宅についたときには、まだ夕方だった。
今日の夕食当番は、こなただ。
ごはんと味噌汁。おかずは少なめだった。
仮想世界で食事をしたせいで、あまり空腹を感じてなかったから。
そうじろうが、味噌汁に口をつけて、一瞬固まった。
こなたがニヤリと笑う。
「どう?」
「ああ、完璧だ。完璧にかなたの味だよ、これは」
「よかった。再現度でコンピューターに負けるわけにはいかないからね」
少ない夕食はすぐに終わった。
「お父さん、格ゲーやろう」
「おう」
二人そろって、仲良くゲームに興じる。
それをとがめる者は誰もいない。
二人にとって、それこそが揺るがない現実であった。
最終更新:2008年10月20日 01:09