「あーあーあー……やっちゃったよ……」
広く名の知れた写真週刊誌の表紙を睨みながら率直な感想を漏らす。
少女の顔色はフグの毒にでも当たったかと思うほどに真っ青だった。
「っ……」
数年ぶりの貧血に体が揺らぐが、辛うじて踏みとどまる。
――どうしよう。どうすればいい?
答えはすぐに出る。
速やかに問題を解決することは不可能、まずは全容を把握するのが最善であると。
そうと決まったらさっさと記事を読み終えなければ。表紙にでかでかと名前まで書かれている以上、買って帰ることもできない。
今後、外出する時は帽子を肌身離さず持ち歩くよう心がけるか――
心の中で舌打ちし、小神あきらはひたすらに文章を追い続けるのだった。
「きらっち! スキャンダルってマジぶっ」
週が明けた月曜。
大声を張り上げながら教室に駆け込んできた少女をあきらは顔面狙いのラリアットで迎え撃ち、そのまま廊下の窓際へと追いやった。
「りっ、りんちゃん大丈夫!?」
「きゅう……」
鼻と口を押さえる音無りんこの身を案じたのは後から現れた大原。二人ともあきらの親友である。
「ったぁ……いきなり何すんだよー」
「あんなの大声で言うことじゃないだろがっ!」
唾が顔にかかりそうな剣幕であきらは怒鳴る。
この反応を見て、音無はようやく自分が地雷を踏んだのだということに気が付いた。
「む。悪かったよぅ」
反省のそぶりは全くと言っていいほど見られないが、一応の詫びは口にした。
あきらは矛先を納め、はあっとため息をついてから壁にもたれかかる。
よもやああいった雑誌には微塵も興味を示さないはずの音無がいの一番に声をかけてくるとは。
彼女でこうならヤツはどれだけ陰湿にからかってくるのか――
「……音無、それ誰から聞いたの?」
「お? くるっちだけどー?」
「――やっぱりか」
そう、これは彼女が自ら進んで調べようとする話題ではない。
つまり入れ知恵をした「誰か」がいるのだ。そしてその人物とはまさしく――
「おはよう。朝から元気ね」
「白々しい! 音無に教えたのあんたでしょ!?」
中谷あくる。やはり大原らと同じく王国カルテットの一人に数えられるあきらの親友だ。
「前に盛り上がってたわね。アイドルはスキャンダルを経てより大きくなる、だとか」
「う、うん……そういう話はしてたけど」
「よかったじゃない。あきらに一定の知名度があることも証明されたし、これを踏み台に躍進していけるんでしょう」
「ぐ……そうは言うけどさ……」
ばっさりと切り伏せるような中谷の言葉に、あきらですらもたじろぐ。
彼女はいつも少々暴力的なくらいに意見を投げつける人間なのだ。
「今回は事情が違うっつーか――」
「なーくるっち、それで? お相手って誰なのさ?」
呟きは元気を象徴するかのような音無の声にかき消される。
中谷はどこから取り出したのか、いつの間にやら件の写真週刊誌を持っている。
迷いなくページをめくっていき、やがて手を止めるとその記事を彼女の目の前に突き出した。
「知ってるでしょ。らっきー☆ちゃんねるの白石みのる」
小神あきらと白石みのる、二人が夜の住宅街を並んで歩いている写真。
後方から撮られたものばかりではっきりと顔が写っているわけではないが、それでも彼女たちに違いないと断定するには充分すぎる材料だった。
何より、あきら自身このシチュエーションに覚えがあるのだ。たとえ口で否定しても認めざるを得ない。
ヘタな盗撮よりも数段タチが悪い――とはよく言ったものである。
「おーっ! へえぇ……きらっち案外イロモノ好きだにゃー」
「でも、こういう雑誌で取り上げられるのって大抵ガセネタだよね?」
「そうね……だからこそ踏み台にできるんだと思うわ」
「なるほど! ともかくよかったじゃんきらっち!」
――人の気も知らず。
「そーいやその白石みのるのことよく知らないや。らきちゃんは聴いてるんだけどさー」
「あ、この間バラエティに出てるの見たよ」
「私も……」
「ほほぉ。どんなヤツなん?」
「イジられキャラって言うの? 面白い人だよ」
「タレントより芸人って呼んだ方がしっくり来るわね……女の子と仲良くなっても友達以上になれない、典型的な『いい人』タイプよ」
気の置けない友人だからこそ、悪意のない言葉が重い。
耳を塞ぎたくなる衝動を抑えながら、あきらは俯きくっと唇を噛む。
「ふむふむ。んでこのスキャンダル? あっりえねーなー!」
「あきらにだって男を選ぶ権利くらいあるわ……」
「……やめて」
「あ、あっちゃん……さすがに白石さんに失礼だよ」
「そうかしら」
「きらっちだって毎週こんな感じでイジってんじゃんなー」
「向こうも何を考えてるかわかったものじゃないわ。今回の件であきらに迷惑がかかるようなことを思いついたり――」
「やめろって言ってんでしょおがッ!!」
そして、苛立ちは頂点に達した。
音だけが消失したかのようにしんと静まり返り、皆が四人に注目する。教室から顔を覗かせる生徒も少なからずいた。
予想だにしなかった怒声に、音無と中谷はぽかんと口をあけている。
「……あきらちゃん」
大原が伏し目がちに、小さな声で尋ねる。
「もしかして、白石さんのこと――」
長い静寂。
やがて廊下が喧騒を取り戻し始めた頃、あきらはぽつりと呟いた。
「……好きになって、何が悪いのよ」
いつもならとっくに終わっているはずの収録が二十三時近くまでずれ込んでいた。
そもそも集合時間からして普段よりも遅かったのだ。スタッフ側に何か事情があったのは間違いない。
この業界では別に珍しいことでもない。口先では文句を並べ立てていたものの、あきらはそういうものだと割り切っている。
近頃、真白学園の周辺にしばしば変質者が出没するらしい。
あきら自身が目撃したわけではないものの遭遇例は多いようだったし、新聞やニュース番組で取沙汰されている。
もっとも、だからと言って何がどうなることもない。そういったモノに出くわす確率など限りなく低いのだし。
そして、あきらはこの日やや寝不足だった。
待ち時間に居眠りをしてしまったり、収録中に大あくびが出てNGになってしまったり。
早く家に帰って眠りたい――と、白石にも何度か愚痴をこぼしていた。
「あきら様。送っていきますよ」
ようやく仕事から解放されたあきらに白石がそう声をかけてきたのは、きっとそれらの要因が積み重なったせいなのだろう。
実のところ、彼女は以前から白石みのるという異性を意識していた。
明確なきっかけがあったわけではない。共に仕事をしているうちに抱いた、純粋な恋心というやつだ。
もっとも、不器用な彼女にはアプローチをかける勇気もなく、二人の関係はこの一年間「仕事仲間」でしかなかった。
だからこそ今日、彼の口から出たその言葉があきらにはたまらなく嬉しかった。
「……でも、あんた帰りの電車なくなるかもしれないじゃん」
その時はタクシーでも拾いますよ。白石はそう笑う。
二人は寝静まりつつある住宅街を並んで歩く。
交わされる会話は決して多くはないが、彼女たちの間にある空気はいたって穏やか。
そんな心地良い世界に少しだけ酔いながら、あきらは口を開く。
「白石」
「はい?」
「なんで送ってくれてるの?」
「へ?」
質問の内容が変だったか。
白石は目をぱちくりさせ、もしかして余計なお世話でしたか――などと聞き返してくる。
「そんなことないわよ。急に言われて……びっくりしたってわけじゃないけど」
なぜ今日になって唐突に声をかけてきたのか。それが気になっていたのだ。
「最近、この辺物騒らしいじゃないですか。だからなんて言うか……何かあったら嫌ですし」
とどのつまり純粋な善意。
下心もあるのかもしれない。それでも、終電に乗り遅れる可能性が多分にあるこの時間まで自分の身を案じて付き添ってくれているのだ。
もし小神あきらをなんとも思っていないのなら白石は今ここにはいない。彼女はそう解釈する。
やがて二人は明かりの消えた一軒屋の前で立ち止まった。
正確にはあきらが先に足を止め、白石がそれにつられた形だったのだが。
「ここなんですか」
「うん」
女の子に夜道を一人で歩かせるのは忍びないので家まで送った。白石にとってはそれだけのこと。
だから次に彼がこう別れを告げるのも当然の流れなのだ。
「それじゃあきら様、今日はお疲れ様でした。また来週スタジオで」
「あのさ」
彼女にはどうしても言いたいことがあった。
タイミングよし、シチュエーションよし。たぶん今この瞬間はまたとない機会のはず。
「……あの、さ」
「はい」
固唾を呑み込んだ後、意を決して少女は精一杯を伝える。
「オフでは『様』とか付けなくていい、っつーか付けないで!」
「え――でも」
「いいから!」
「……わかりました」
「敬語もなし!」
「えぇ!?」
白石はしばらくの間仰天していた。上下関係に厳しい小神あきらにまさかこんなことを言われるなど想像もしなかったからだ。
「あ、あきら様……」
「だーかーら!」
「ああっと……参ったな。いきなり言われてもなんて呼べばいいのか……」
「……呼び捨てで、いいから」
だが、気付く。
ちらちらと逸らしがちな瞳の奥に垣間見える不安。彼女の「気持ち」に。
「あきら様、それって」
「――!」
「あ、っと、すいません……」
いや、もはやあきらの胸の内などたやすく見て取れてしまう。
顔はこれ以上ないほどに赤面しているし、するなと言ったのに様付けを続けられたのが原因か涙目にすらなってしまっている。
「……ごめん。いきなりこんなこと言われても困るか」
ならばここで応えねば男とは呼べるまい、と彼は決意する。
そもそも、これまで口に出すことはしなかったが白石みのるもまたあきらを意識していたのだ。
「そんなことないです。大丈夫ですよ」
「え、」
かきむしりたくなるほどに頭が痒くなってきたが、この際無視することにした。
「……あきら」
「白石――」
「……や、やっぱ譲歩してくれませんか。呼び捨てはさすがに慣れそうにないんで――」
白石が苦笑いし、同時にあきらも満面の笑みを浮かべ――
「白石っ!」
「おあぁ!? ちょ、まっ!」
少女は少年の胸に飛び込み、少年は少女が取った予想外の行動にたじろぐ。
そんな二人を、街灯がさながらスポットライトのようにぱあっと照らし出していた。
この夜あったことはそれだけ。
小神あきらにとってみればスキャンダルでも何でもなく、写真週刊誌ごときに邪魔をされる筋合いもなかったのだ。
「……ごめん」「ごめん!」
涙があきらの目に溜まっているのを見て、音無と中谷がほぼ同時に頭を下げる。
馬に蹴り殺されても文句は言えないわね、と中谷は続けて呟いた。
「いいよ。こっちこそ、怒鳴ってごめん」
各々が非を認め謝った。だからこれで終わりだ。
これ以上責め立てるような性格の悪さなど四人の誰も持ち合わせてはいない。
「……さ、チャイム鳴るよ。教室入ろう?」
そして大原の一声が固まった空気を元に戻す。
あきらはふうっと息をつき、ばつが悪そうに頬をかいた。
「ま、そんなだからさ。この際だし公言しちゃってもいいかなあって」
「白石さんもそれでいいって?」
「ん。別にやましいことしてるわけじゃないしさ」
「確かに、下手に火消しに走らない方が調子付かせなくて済むわね……」
「いつかお話してみたいなぁ。どうかな、あきらちゃん」
「白石と?」
「うん。あきらちゃんの彼氏がどんなひとかもっとよく知りたいから」
「お、いいねー! きらっちの相手にふさわしいかどうかウチらが審査しちゃる!」
「そうね……あきらと気心が知れているとは言え、心の底でどう思っているかはまだわからないものね」
「よっ、余計なことすんなっ! 絶対連れてこないっ!」
こうして今日もまた、騒がしくも平穏な一日が始まりを告げる。
ちなみにあの夜、カメラを所持していた不審者が付近を歩いていた少年の通報によって逮捕された――というのはあまり関係のないお話。
完
最終更新:2008年09月27日 16:56