ID:6.3u6Bg0氏:柊かがみ法律事務所──痴漢事件

1.突然の電話
 秋葉原に居を構える柊かがみ法律事務所。
 かがみがパソコン画面とにらめっこしていたところに、電話がかかってきた。
「はい。柊かがみ法律事務所です」
「かがみ!」
 いきなり、受話器からこなたの大声。
「あら、こなた。どうしたの?」
「お父さんが警察につかまっちゃったんだよ!」
 いきなり告げられた驚愕の事実であったが、かがみは冷静だった。
「動転しちゃう気持ちは分かるけど、落ち着いて」
 弁護士をやっていれば、刑事事件など日常のものだ。それが知り合いに関係するものであったとしても、それぐらいで動揺していては弁護士は務まらない。
 動転しているこなたを落ち着かせて、情報を聞き出す。容疑の内容。逮捕日時。捕まっている警察署の場所など……。
 容疑は痴漢だった。改まった言い方をすれば、埼玉県迷惑行為防止条例違反。
「じゃあ、いまから接見にいくわ。どうするかは状況を把握してからの話よ」
「ありがとう、かがみ」
「あくまでも仕事だからね。ちゃんと報酬はもらうわよ」
 そう釘を刺しておく。
 ある意味では冷たい言い方かもしれない。でも、仕事に私情をはさまないのがかがみのポリシーだから。

 そうじろうが捕まっている警察署に電話をして、容疑者と接見する旨を伝えた。
 雇っている事務員に行き先を告げてから事務所を出る。
 電車に乗って埼玉県に向かった。


2.泉そうじろう容疑者
 警察署。
 仕切られたアクリル板越しの接見。
 そうじろうはかがみの姿を見るなり、
「かがみちゃん!」
「こんにちは。娘さんの依頼により、弁護士として接見に参りました」
「俺はやってない! やってないんだ!」
「落ち着いてください。まずは、経緯を最初から詳しくお聞かせください」

 そうじろうを落ち着かせ、経緯を聞きだすうちに、かがみはしぶい顔になった。
 話を聞く限りでは、残念ながら、嫌疑は濃厚だった。
 痴漢に決定的な物証があることはほとんどない(防犯カメラ付の電車は多くないし、あっても死角だからけだから)。よって、証拠となるのは、被害者及び現場にいた者の証言、状況証拠、そして容疑者の自白だ。
 話を聞く限りでは、証言と状況証拠だけで嫌疑はかなり濃厚。あとは、自白さえとれば完璧だ。
 そのうえ、言い方は悪いが、日頃の行ないがよろしくないことが不利に働くことだろう。こなたの話では、既に家宅捜索が入って、マンガやDVD、エロゲーのソフトなどが押収されていた。ご近所さんにも聞き込みが入っていることは間違いない。
 かがみがそうじろうのことを何も知らない裁判官だったとしたら、間違いなく有罪判決を下すだろう。

「泉さんは、本当にやってないんですね?」
「やってない」
 かがみは、そうじろうの目をじっと見た。

 沈黙がしばらく続く。

「分かりました。無罪を立証するために、できる限りのことはしてみます」
「ありがとう! かがみちゃん!」
 そうじろうは、涙を流しながら、かがみの手を握った。
「念のためお聞きしますが、自白はしてませんよね?」
「してない」
「絶対に容疑を認めてはいけませんよ。認めちゃったら最後です。警察から、書類に署名と拇印を求められたときは、内容をよく読んでください。内容に納得がいかない場合は、絶対に拇印を押しては駄目です。自白した証拠として使われますからね」
 そうじろうは、真剣な表情でうなずいた。
 その他注意事項をいくつか告げて、接見を終える。

 帰り道。
 携帯電話でこなたと連絡をとる。
「かがみ! どうだった!?」
「おじさんは、容疑を否認してるわ」
「そう……本当にやっちゃったのかと思ってたよ」
 娘からここまで信用されてない父親というのも、少しかわいそうに思えてくる。
「弁護士としては、無罪を立証する方向で弁護する方針よ」
「ありがとう、かがみ」
「お礼は、無罪を勝ち取ってから聞くわ。あと、できれば、おじさんには毎日接見に行ってあげて。精神的に追い詰められて、やってないのに容疑を認めちゃうってのが結構多いから。支えてあげて」
「分かった。毎日行くよ」
「じゃあ。こなたもがんばってね」
 電話を切る。

 正直、現在の状況では無罪を勝ち取るのはかなりきつい。
 有罪判決が下ってしまったら、こなたとの友情も終わりだろうか……?
 そう思うととっさに投げ出したくなったが、仕事に私情をはさまないという信念がかろうじてそれを思いとどまらせた。


3.あっけない終幕
 書類送検。検察による公訴提起。公判期日の決定。公判前整理手続に付す旨の決定。
 所定の手続が淡々と進んでいく。
 公判前整理手続に向けて準備を進めているかがみのもとに、ある日、裁判所から連絡が入った。
 内容は、「公判前整理手続の期日を延期する。理由は、検察側から諸般の事情により延期したい旨申し入れがあったため。状況によっては、先に決定した公判期日を延期することもありうる」というものだった。
 詳しい事情を聞き出そうとしたが、裁判所はそれ以上のことは教えてくれなかった。もしかしたら、裁判所も検察側から詳しいことを教えられてないのかもしれない。

 何が起きているのかと思いつつ、待つこと数日。
 裁判所から、公訴取消しの通知が届いた。検察側が示した理由は、「当該公訴事実につき、警察の捜査によって新たな容疑者が判明し、嫌疑充分と認められたため」。
 あまりにもあっけない終幕だった。

 その翌日。
「「本当にありがとう、かがみ(ちゃん)!」」
 事務所を訪れた泉親娘が、土下座せんばかりに頭を下げた。
「警察が真犯人捕まえたってだけで、私は何もしてないわよ。だから、そんなにしてくれなくても」
「いやいや、何もかもかがみんのおかげだよ」
「そうそう」
「だから、私は何もしてないってば」
「もう、こうなったら、今度入る印税は全部かがみんにあげることに決まりだね、お父さん」
「うんうん」
「だからぁ」
 かがみは、勝手に盛り上がる親娘を何とか説き伏せて、仕事の見合う報酬だけを受け取ることで話をまとめた。
 相談料、公判準備費用、あとは刑事補償請求関係書類を整えたことに対する報酬といったところ。
「この書類を提出すれば、刑事補償がもらえますから。正直いって微々たる額ですけど」
 冤罪による損害を補償する刑事補償制度であるが、補償額が損害の実態に見合わないことは昔から問題視されていた。
「何から何まですまないね、かがみちゃん」
「仕事ですから」

 泉親娘が帰っていったあと、かがみは考え込んでいた。
 嫌疑充分として書類送検した事件について、警察が捜査しなおすなんてことはめったにない。今回のような取るに足りない(といっては失礼だが)痴漢事件なら、なおさらだ。
 なのに、捜査しなおして真犯人の逮捕までこぎつけたということは、真犯人の存在について警察にタレこんだ者が誰かいるということである。
 それは、いったい誰なのか?
「ちょっと、調べてみようかしらね……」


4.舞台裏の真相
 埼玉県警。
 交通安全課長成美ゆいがどうでもいい書類の決裁をしていたところに、珍しいお客さんが現れた。
「おや? かがみちゃん。久しぶりだね」
「お久しぶりです」
「こんなところに何の用事だい? かがみちゃんが関わるような交通事故案件はなかったと思ったけど」
「泉さんの冤罪事件はご存知ですよね?」
「ああ、あれね。いやぁ、おじさんもついにやらかしちゃったかと思ったよ。無実で、よかった、よかった」
 ゆいはちゃかすようにそういったが、
「再捜査するように所轄の警察署に圧力をかけたのは、成美さんですね?」
 かがみの単刀直入な言葉に、ゆいが驚きの表情を浮かべる。
「おや? 誰から聞いたんだい? 関係者には口外無用っていっておいたんだけどね」
「警察には知り合いが多いものですから」
「かがみちゃんの情報網には、お姉さんびっくりだ。まあ、確かにかがみちゃんのいうとおりだよ」
 ゆいは、あっさり口を割った。
「おじさんはあんなだけど、悪いことしたら素直に認めるような人だよ。そのおじさんが否認してるって聞いたからさ。ちょっと捜査課の知り合いに頼み込んで調べてもらったんだよ。そしたら、怪しい人物が見つかったんだよね。再捜査しないなら関係資料をかがみちゃんに渡しちゃうぞって脅したら、所轄の警察署はあっさり折れたよ」
 誤認逮捕は、警察にとっては汚点である。ゆいからの圧力に対して、最初は抵抗しただろうことは容易に想像がつく。
 しかし、若手女性弁護士に糾弾されて恥をかくぐらいなら、自身で汚名をそそいだほうがマシなことも確かだ。
「こなたやおじさんには言わないんですか?」
「はっきりいえば越権行為のうえに職権濫用だから、あんまり言いふらされたくないんだよね。だから、かがみちゃんも黙っててくれないかな?」
「分かりました。でも、おじさんぐらいには、教えてあげてもいいような気もしますが」
「私はいい加減な親戚の警察官ってことでいいんだよ。おじさんたちには、警察のどろどろとした裏側のこととは無縁でいてほしいね」
「そうですか。では、私も胸のうちに仕舞っておきます。警察に対して貸しひとつということでよろしいですね?」
「参ったなぁ。警察としては、かがみちゃんに借りばっかりってのもまずいんだけどねぇ」

 それから、少し雑談して、かがみは埼玉県警を出た。
 すべての謎が解けてすっきりとした気分だった。

終わり
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