ジリリリン。
古風な黒電話が鳴り響く。
受話器をとった。
「はい、柊ですけど」
「柊さん、あの……」
声を聞いただけで相手が誰かはすぐに分かった。
「あんたなんてもう知らないわよ! もうかけてこないで!」
ろくに話も聞かずに受話器を乱暴においた。
それから数日がすぎた。
彼からは電話もこなくなっていた。絶交状態が続いている。
仕事にもすっかり身が入らなくなったため会社を休み、家に閉じこもっていた。
「はぁ……」
溜息をつきながら、机につっぷす。
釣り目もいつもに比べて下がり気味。降ろした長い髪も心なしか元気がない。
両親はそんな娘の様子を気にかけながらも、特に干渉してくるようなことはなかった。子供のころから、わりかし自由放任の教育方針だったから。
神社の家としては珍しいのかもしれない。
現時点で干渉なんかされても、反発するしか反応はありえないだろうけど。
黙ってても憂鬱になっていくだけだ。
立ち上がり、家を出た。
神社の境内をぶらぶらと歩き回る。
何もない平日の昼間。自然の音以外の音が一切なく、木々の緑が映える。
心を落ち着けるには最高の環境であったが、根本原因が解消されない限り、心安らげるわけもない。ましてや、気分が晴れるようなことはありえなかった。
きっかけは些細なこと。
それで始まった喧嘩は、こじれにこじれて収拾がつかなくなっていた。
失敗の原因は分かってる。自分の素直じゃない性格。
それが失敗を招き、次々と積み重なって、取り返しのつかないところまで……。
「おーす、柊」
背後からの突然降ってきた声に、思わず振り向く。
そこには、二人の友人がいた。
「は……」
友人の名を間違えそうになって、言いよどむ。急いで頭の中を整理した。
自分の名を呼んだのが日下部、その隣が峰岸だ。
昼間からこんなところにいるのも、二人が専業主婦だからにほかならない。
峰岸はともかく、何かといい加減な日下部がまともに主婦業をこなせてるのかはなはだ疑問ではあったが。
「彼氏と喧嘩中なんだって?」
日下部がいつもと変わらぬ能天気さでそう言い放った。
「何よ。あんたには関係ないでしょ」
きつく言い返す。
「そうなんだけどさぁ」
「柊ちゃん。このままじゃ……」
「もう終わったことよ! 放っておいて!」
「まあ、終わっちまったってんなら仕方ないよな。ようし、今日は失恋した柊を慰める会でもやっかぁ? 太っ腹な私がおごっちゃるからさ」
日下部のあまりに能天気なセリフに、頭に血が上った。
思わず振り上げた拳。
しかし、それが振り下ろされることはなかった。
その腕をがっしりつかんでいるのは、意外なことに峰岸だった。
「私たちは、柊ちゃんのことを心配して言ってるのよ」
「あんたたちには関係ないっていっ……」
パシン!
峰岸の右手が頬を叩いた。
痛みよりも、峰岸の行動自体に驚いて、思わず目を見開く。
「柊ちゃん。もう終わったなんて本当にそう思ってるの!? 違うでしょ!?」
「本当に終わったと思ってんなら、頭に血なんかのぼらねぇって。いい加減、素直になれよなぁ」
「……」
二人の言葉があまりにも図星だったため、沈黙するしかない。
確かに自分にはまだ未練が残っていた。でも、もう取り返しがつかないんじゃ……。
「まだ、取り返しはつくわよ、柊ちゃんが素直になれば」
「そうそう。取り返しのつかねぇもんなんて、そんなにねぇって」
そんな二人の言葉が、自分にはめていたかせを外してくれた。
まだ、失敗の取り返しがつくのであれば……。
「ありがとう」
「礼なんかいいから、さっさと行けって」
「ほら」
峰岸に背中を押され、走り出す。
「がんばれよ~」
日下部の能天気な声が背中をさらに後押しした。
彼の家は実は結構近くにある。
走っていくにはかなり疲れる距離ではあったが、今はそんなことは関係なかった。
息を切らせて家の前にたどり着き、インターホンを鳴らした。
そして、出てきた彼になりふり構わず突進する。
「ただおさん! ごめんなさい!」
ただおは、突然抱きつかれてよろめきそうになったが、しっかりと彼女を抱きとめた。
ただおと柊家の一人娘みきが結婚したのは、それから三ヵ月後のことであった。
終わり
最終更新:2008年09月01日 23:18