とあるアニメ製作会社。
「終わったぁー」
田村ひよりは、両手をあげて万歳した。
今日までが期限の仕事をやり終えたところだった。
「ひよりんは、いつもぎりぎりデスネ」
パトリシア・マーティンが突っ込む。
「それはいわないでよ~」
ひよりは机の上にへたり込んだ。
「仕事には余裕を持つべきデース」
ひよりは作画担当、パティは脚本担当。
パティはある意味でのセンスを要求されるとはいえ、仕事量自体はそれほど多くない。むしろ、総監督や他のスタッフとの調整等にとられる時間の方が多い。
それに対して、ひよりは、質と量の両方を要求されるという点で、パティよりも体力勝負の割合が大きかった。
それでも、本来はひよりも日程的には余裕があるはずだった。それなのに詰まっていたのは、コミケの企業ブースで販売する限定イラストにかける時間をとるために、本業の仕事を一ヶ月分前倒しで仕上げる必要があったからだ。
同人サークル出身者としては、コミケに出す作品に手を抜くことはありえないことだった。もちろん、会社としても、企業ブースで販売するものに手を抜かれては困る。
というわけで、ここ数日の追い込みでひよりはヘロヘロになっていた。
しかし、そこは生粋のオタク(供給側)である。
ノルマを果たしてしまえば、コミケに向けての意欲も湧いてくるというものだった。
ひよりはゆっくりと顔をあげた。
「フフフ、本業は片付いたから、明日からコミケ限定イラストに没頭するッス」
今でこそこうして生き生きと働いている二人であるが、この会社に就職するまでにはひと悶着あったのは事実である。
アニメ製作会社に就職したいというひよりの希望は、両親の猛反対にあった。ひよりは、粘り強く説得したが、両親の意見は変わらなかった。
そして、
「もう少しまっとうな仕事につきなさい」
父のその言葉が、ひよりの中の何かをぶった切った。俗にいう「堪忍袋の緒」だったのかもしれない。
激怒したひよりは、両親に絶縁を言い渡して、家を飛び出した。
それ以来、実家には一度も帰っていないし、連絡もとっていない。
パティも、事情は似たようなものだったが、国をまたぐ話だけにひより以上の大騒ぎになった。
いくら成人年齢とはいえ家出同然で国を飛び出してきた若い娘だ。日本側が在留許可を出すのをしぶったのも当然だろう。
さらにいえば、在留資格「芸術」(就労可能な在留資格で当てはまりそうなのがそれしかなかった)で許可申請したのも、しぶられる理由の一つであった。アニメの脚本も芸術だといえばそうともいえないことはないとはいえ、それで役所を通すにはかなり無理があった。
結局、泉こなたのつてで、成美ゆいが身元引受人になることで、奇跡的に在留許可がおりた(ゆいの現役警察官の肩書きが効いたようだ)。
パティもそれ以来両親とは絶縁状態。将来は、日本に帰化するつもりである。
そんな経緯のある二人であるからすっかり意気投合したのであるが、だからといって二人の関係に特に変わったところがあるわけでもなかった。高校時代そのまんま。交わす会話も昔のそれと大差ない。
女が二人以上集まれば、恋愛談義に花が咲くのが普通であるが、この二人の場合は「普通」の恋愛談義にはならない。なにせ、二人とも「三次元の男には興味ない」と公言するほどの筋金入りのオタクだからだ。
たとえば、次のように。
「でも、ここのやりとりって、完全に泉先輩とかがみ先輩のボケとツッコミだよね」
ひよりがアニメの脚本を指差しながら、そういった。
「その通りデス。私もあの二人をイメージしながら脚本書きマシタ」
それは、こなた原作のラノベをアニメ化するにあたっての脚本だった。
こなたもラノベを書く際には身近な人物を参考にすることはよくあり、ひよりが指摘した部分は、原作でもこなたとかがみをモデルにした形跡がある部分だった。
「あの二人、今でも仲いいみたいッスけどね。いっそのことくっ付いてしまえばいいのに」
「同感デス。かがみも、男なんか諦めてこなたにアタックすればいいのデス」
「そうだよね」
「仲がいいといえば、みなみとゆたかがそれぞれ結婚しちゃったのは、意外デシタ」
「そうそう。あの二人絶対くっ付くと思ってたのに」
みなみもゆたかも、つい最近結婚して、それぞれ夫をもつ身である。
ひよりやパティは意外だというが、それは二人が一般人の感覚からズレまくってる確かな証拠だった。
みなみもゆたかも一般人であり、同性同士でくっ付くなんて当人たちは想像(むしろ「妄想」というべきかもしれないが)すらしなかっただろう。それに、周囲の男性が彼女たちを放っておくわけもない。順当に極々普通の結婚をしたのは、むしろ当然すぎる成り行きだった。
二人がこんな調子の会話をしていても、職場の同僚も上司も、特に気にもしていなかった。この会社は、社長を初めとしてオタクがほとんどを占めているからだった。
ここの社員・スタッフにとって、百合談義など日常の雑談のひとつにすぎない。
そして、やるべきことさえやっていれば、雑談に時間を費やしていても、うるさく言われることはない。よくいえば自由な雰囲気の、悪くいえばだらけた職場であった。
実際、二人の仕事ぶりは申し分ないものだった。
日本人以上に日本のアニメ文化に通じているパティの脚本は、原作のよさを最大限に引き出していると評価されていた。彼女は、その実力から、将来は総監督を務めるだろうことは確実と見られている。
ひよりの作画はアニオタの間で高い評価を受けており、コミケの企業ブースで販売する彼女の限定イラストはあっという間に売切れてしまうプレミア物だった。
それゆえ、彼女たちは、仕事をきっちり終わらせてさえいれば、職場でだらだらと雑談をしていても、特に怒られるようなことはない。
仕事を終え、二人そろって自宅に帰る。
彼女たちは、アパートの一室をルームシェアしていた。
それなりの給料をもらっているとはいえ、二人とも家出同然の身の上だ。将来ずっと独身である(上述したように、彼女たちは三次元の男には興味がない)ことを考えれば老後に備えて蓄えは必要であり、そのためには節約しなければならない。だから、こうして家賃をケチっていたのである。
そんな二人に職場の同僚たちは密かに百合疑惑をかけていたが、実際にはそういうことはなかったし、当人たちもそんなことは思いもよらないことだった。オタクは、自分自身がそのような認識の対象となりうるということについては、案外無自覚なものだ。
それはともかく、二人の間にあるのは、高校時代からずっと変わらぬオタク仲間としての友情である。
今日の夕食当番はパティだった。
メニューは、スパゲティ。たらこスパゲティであるところが、何気に日本通であることを示していた。
食べながら、また会話がはずむ。
今度は、とあるアニメの男キャラをネタにした801談義であった。
何度も繰り返すが、二人の間に「普通」の恋愛談義はありえない。
二人の普通でない恋愛談義はおおいに盛り上がりながら、深夜アニメが始まるまで続いた。
終わり
最終更新:2008年08月21日 00:53