ID:tfaoQ360氏:峰岸あやのと世界

「違う」
言葉にするつもりは無かったが、それは自然と彼女の口から零れていた。
もう一度、今度は意識して、呟く。
「違うわ……こんなの」
彼女をよく知る者が見たとしたら、この光景、かなり異様なものとして映るだろう。
微笑みを絶やさず。例え怒ったとしても、悲しんだとしても、そこからある種の――非常に曖昧だがこう言う他無い――"明るさ"が失われることは無い彼女の顔が。
今は、曇って、雲って、曇りきっている。
ヲタグッズを取り上げられた泉こなたでもこんな顔はしないだろう、と思えるほどの表情で、独り言ちている。
何故、彼女――峰岸あやのが、このような"らしくない"状態に陥っているのか。
話は、朝まで遡る。

――

その日は、いつもと変わらない始まりだった。
普段通りの時間に目覚め、普段通りの時間に家を出て、これまた普段通りの時間に学校に着く。
しかし、そこから先が、普段通りとはいかなかった。
朝のホームルーム。それが始まる時間になっても、柊かがみが教室に姿を現さない。いや、それだけならばまだ普通の延長に過ぎない。誰だって、学校を休むことくらいある。
何となく、彼女は隣にいた日下部みさおに問いかけた。
「柊ちゃん、風邪でもひいたのかしら?」
それに反応したみさおの顔には、驚きと疑問を足して足しっぱなしにしたような、何とも表現し難い表情が、貼り付いていた。
「柊? 誰だ、それ」

それが、おかしな世界の始まりの、合図だった。あるいは、おかしな峰岸あやのの、始まりだったのだろうか。


流石に、動揺を隠すことは出来ない。それでも、何でもないわ、と繕うことには、彼女は辛うじて成功した。
みさおが訝るような視線を彼女に向けているが、それを気にしている余裕などあるわけも無く、彼女は混乱した頭で、それでも状況を整理し始めた。
見れば、かがみの席――かがみがいるべき場所も、無い。
親友が消えた。そしてもう一人の親友はその存在を忘却している。当然、原因なんて分かるはずもない。
状況は芳しくない。と言うよりは、全く常軌を逸してしまっている。逸しすぎて、現実感が欠片もない。親友の消失を悲しむ気持ちすら、彼女は感じなかった。
最早、非現実だとか夢物語だとか、そう形容しても差し支えないレベルの話。そんな中で、まともな感覚を維持しろという方が無理な話なのかもしれない。
目下、彼女にとっての最大の問題は、自分だけが異常を感じている、ということだ。それは即ち、渦中――そのど真ん中にいるのが、彼女だということ。
人が一人消えた、にも関わらず世界は、彼女に「お前がおかしい」と言わんばかりに、普通に動いている。
ここにいなければならない、否、"ここにいなければ話にならない"人間がいない。なのに、彼女以外は平然としているのだ。
悲劇のヒロインなんて――いや、例えそれが喜劇や惨劇であったところで、「主人公」などというポジションは決して彼女のものではないのに。
裏方志向で、裏方思考で、裏方嗜好。それが峰岸あやの。そんな彼女にとっては、何よりも度し難い状況。

「自分が中心にいる」

その現実は今、彼女を取り巻く非現実を超える重みで、彼女を困惑させていた。


ホームルームが終わってから、彼女はB組へと向かった。授業が始まるまでには、五分ほど時間がある。
藁にもすがる、というのはこういうことなのだろうか。泉こなた達がかがみを覚えていれば、それだけで彼女はそれなりに救われる。かがみが存在しているという希望も、消えない。
もっとも、かがみが存在していれば、それはそのままみさおが記憶を失っているということを示すわけで、簡単に「希望」などという言葉をあてることは出来ないのだが。
それはともかく、こなた達とコンタクトを取ろうというのは、間違った選択肢ではないだろう。かがみと、いちばん近くにいた人物であることは、間違いないのだから。
しかし、彼女の微かな期待は、あっさりと裏切られた。
泉こなた、柊つかさ、高良みゆきの三人は、柊かがみという人を知っているか、というあやのの問いに対して一様に首を横に振った。

「なんて……ご都合主義的なのかしら……」

三人と別れ、廊下を歩きながら、彼女はぼやく。
親友が消え、頼ることが出来る人間もいない。自身で、何とかしなければならない。
このような展開、今日日小説や映画でもお目にかかることは滅多にないだろう。そんなものを、「今起こっていること」として目の当たりにしている彼女の心中は、察するに余りある。
どれだけ現実離れしていようと結局現実は現実でしかなく、現実が現実である以上逃げることは許されない。
「私が、何をしたっていうの? 私に、何をしろっていうの?」
誰にも聞こえないように、彼女はそう、呟いた。



――

そうして、今に至る。
真面目な彼女はこんな状況でも授業はしっかりと受け、昼休みを利用して、屋上に来ていた。
無論、飛び降りるためなどではない。静かで、思索するには最適の場所だろう、という判断からだ。
実際その判断は間違ってはいなかったのだが、憎たらしいほどに青い空が、彼女の心を乱していた。
かがみがいなくなっても世界は何も変わっちゃいない、それが、痛いほどリアルに感じられる。
それでも、「どこにいても気持ちが沈むことに変わりは無いから」と考えて、彼女はその場に留まった。
時間が経って混乱していた脳が正常に機能し始めたせいか、今更になって、喪失感のようなものに、彼女は襲われていた。
親友なら真っ先にそんな感情を抱くべきじゃないのか。そんな心の声に、胸が少し痛んだが、彼女は強引にその声を無視した。
そしてまた、現状を反芻する。理不尽だ、という思いだけがこみ上げてくる。

「違う――違うわ……こんなの」

何が違うのかは分からない。ただ、何もかも違うということだけは、彼女にははっきりと分かる。
それで十分だった。それさえ分かっていれば、自ずと選択肢も見えてくる。
即ち、正すか、放置するか。
もっとも、このような超常現象をどうにかするなどということは不可能に近いし、その上それは彼女の対極にある「主人公」というものを地で行くようなもの。
ならば後者か、というと、それだって軽々しく選べるようなものじゃない。
現状を放置する――それはとどのつまり、親友をきれいさっぱり忘れて、何も知らないふりをして普通の女子高生を演じる、ということなのだから。
忘れることは覚えていることよりも難しい、そんな当たり前のことを持ち出すまでもなく、親友を忘れてしまおうと考えられるほど、彼女は薄情ではない。
――手詰まり。端的に言うなら、そんなところだろう。目の前に二筋の道はあれど、その両方が、塞がれている。
みさおだったら、不可能だとか可能だとか、そんなものは度外視して前者を選ぶのだろう。
彼女も、出来ることならそうしたかった。しかし、それは彼女にはあまりにも、重すぎた。
なんだかんだと御託を並べたところで結局、彼女には、世界と積極的に関わることが、出来ないのだ。例えそれが、親友と関わることであっても。
別にそれは責められるべきことではない。それもまた、仕方のないことだ。
誰もが、世界を形作る歯車になれるわけじゃない。世界を動かせる、わけじゃない。
「ごめんね、柊ちゃん。私には、待つことしか出来ないわ」
帰って来そうにない人間を、ただ待つ。それも、相当に辛いことではあるだろうが、それ以外を、彼女は選べない。道なき道を、進むしかない。
その名残すらも失われた存在を、忘れることが出来ないまま。呆れるほどに曖昧な時間を、過ごすことになるのだろう。
前を見据えるでもなく。停滞するでもなく。今にも消えそうな希望だけに支えられて。
あるいは、あっさりと忘れてしまうのだろうか。その方が、彼女にとっては幸せかもしれない。
いずれにせよ、世界は何も変わらない。そう、変わらないのだ。

空を見上げた彼女の瞳いっぱいに、青色が、映りこんだ。
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